Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシマ
ep.1 桜の亡霊

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 街灯だけが視界をもたらす、そんな夜。
 田舎の公園の中央にぽつんと置かれた木製ベンチに一人、古びた色のクラシックギターを弾く若い男が腰かけていた。
 白いパーカーにジーンズ、割とラフな格好の彼が奏でるその演奏は聴く者の心を洗う、そんな演奏だった。
 突然、演奏が止まった。
 静寂の中彼が呟く。彼の口が開くと同時に白い息がこぼれおちた。

「……月が奇麗だ」

 彼の言うそんな空は新月。月なんて見えやしない。

「お前も、そう思うだろう?」

 彼が問いかける先には二つ並んだ桜の木。街灯に照らされた部分が煌びやかにその色を闇に映し出していた。この公園中央に植えられたこの二本の桜は、近所の人たちからいつしか『双桜樹』と呼ばれるようになっていた。
 彼は再度クラシックギターを奏で始める。
 彼にしか見えないものに、会うためだけに。

     


     




 彼が演奏を続けていると一人の男が彼の前で立ち止まった。制服を着ている外見から、高校生くらいだと大体想像がつく。

「何で、こんな夜中にギターなんて弾いてるんですか?」

 浅黒く日焼けした肌の青年が強い口調で呟く。
 彼は演奏を止め、男の顔を見上げた。

「こんな夜中に、僕に何のようかな?」

 笑顔で青年に聞き返す。街灯に照らされたその顔は笑っているが、目の奥、その根本的な部分は全く笑っていなかった。青年は彼のその雰囲気を感覚で察知したのか、少しだけ身構える。

「僕に用があるから、わざわざ“こんな夜中に君の方こそ”この場所に来たんじゃないのかい? まぁ、隣に座りなよ。短い話じゃないだろう?」

 彼はそう言って青年を促した。青年はそれに従ってベンチに腰を下ろす。

「君の名前はなんて言うんだい?」

「木戸浩司」

 青年は端的に答える。表情は暗かった。

「都市伝説みたいなの、聞いたんです。七夕、夜中の二時三二分にこの公園にギターを弾く亡霊が現れるって。その亡霊が、願いを一つだけ何でもかなえてくれる……」

 青年が両手を組んで笑う。

「おかしい話ですよね。そんな都市伝説、信じてない、信じてないはずなのに。俺はこうしてこの場所にこうやって座っている。あるわけない。あるわけないのに……」

「僕がその亡霊だと……?」

 ギターの彼がにっこりとほほ笑む。少々不気味だった。

     

「はい。最初はそう思ったんです、失礼ですけど。ですけど、違うんですよね。話せばこうやってあなたは現実に存在する人間だとわかる。やっぱり都市伝説なんだって、いまはそのことを、実感させられているところです」

 青年はちょっとだけ笑ってベンチから立ち上がろうとした。

「すいません。演奏の邪魔をしてしまって」

 ギターの彼はそれを制して彼にこういった。

「あんがい都市伝説は都市伝説じゃないかもしれないよ。あの桜の木を見てごらん。何で二つしかないのか、その理由を知っているかい?」

 青年は意図がわからないという顔をした。

「あの桜の木はもとは一本だったんだよ。でもね、白血病の女の子を救おうとしたミュージシャンがもう一本隣に植えたんだ。……なんでかって? その女の子が“櫻”っていう名前だったんだよ。私はもうすぐ死ぬんだっていつもふさぎこんでいた彼女を慰めるためか、同じ名前の樹を隣にもう一本植えたんだ。君はひとりじゃないんだって、女の子がよく来るこの公園に植えることで、伝えたかったんじゃないかな。……結局女の子は死んじゃったんだけどね。もう五十年くらい昔の話さ。桜の木の亡霊ってのは、そのミュージシャンのことだろう? 願いをかなえてくれるってのは初耳だけど」

 ギターの彼はシニカルに笑うと、青年の方を向いた。

     

「君は亡霊に何のようがあってここに来たんだい? 僕でよかったら、話ぐらいは聞くよ。都市伝説に頼るぐらい、切羽詰っているんだろう。話してくれてもいいんじゃないかな?」

 青年はしばし目をつむり、決心したようにうなずいた。

「実は、俺、野球部のピッチャーなんです。小学生のころから野球やってて、野球が俺の人生って言えるくらいに。一生懸命頑張って、この前、念願の甲子園進出が決まったんです。でも、つい最近、事故が起きて。俺、もう投げられなくなっちまったんです」

 我慢が出来なくなったというようにすすり泣きだす青年。

「別に、俺が投げられなくなったのはいいんです。でも、でも。今まで一緒に頑張ってきた仲間たちに、悪くてっ! だって、俺がいなきゃっ! キャプテンの、俺がいなきゃっ……あいつらは、あいつらは……」

 青年は泣き崩れ、それ以上は語らなかった。

「そうか。……心残りなんだね。部活の仲間たちに対する罪悪感。それが君を縛り付けるのか。うん。これを見てごらん」

 ギターの彼は右手を差し出す。瞬時、その上に、何もない空間のはずなのに。そこにテレビの画面のような映像が再生される。

「君の高校の甲子園の中継だよ。もう十年くらい前のことだね」

     

 そこには、一丸となって昨年の優勝校と戦う、青年の所属していた野球部の姿があった。

「この野球部は君なしでもしっかりやってるよ。つらいのは君だけじゃない。確かに、君はこの野球部に必要なワンパーツだったのかもしれないよ。でもそれ以前に、そのことを補うだけの力を持った、素晴らしいチームだったんだよ。その証拠に前年度の優勝校に勝利するっていう快挙を成し遂げてるしね。番狂わせ、ダークホースと最初はののしられたもんだけど、勝ち進む彼らを見ていて、誰もそんなことを言う奴はいなくなったんだ。準決勝で負けちゃったけど、彼らはすごくいい顔をしている」

 ギターの彼が息を吐く。

「……君はもうこの野球部には必要とされてないんだよ」

 右手の上の画面には汗だくで、泥だらけの球児たちが映っていた。

「君も過去にとらわれてちゃ、だめなんだ。早く、いかなきゃいけない。いつまでもしみったれてこんなところにとどまっいてちゃ、頑張っている彼らに申し訳なくないかい?」

 そう言ってギターの彼は青年の背中をポンとたたく。
 青年は悲しいような、嬉しいような笑みを浮かべて、「はい」とだけ言った。そして立ち上がり、「ありがとうございます」と言って、……消えた。

「……礼を言うんだったら、最初から成仏しやがれ、だ。じゃ、僕も帰るとするか。朝日は体に毒だしね」

 幽霊だった彼にそうぼやき、桜の亡霊である彼もまた、朝焼けの公園に姿を消した。

       

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