第六話
彼は私に会いに来たのではない。
彼は私に付いているはずの虫に会いに来たのだ。
そんなことはわかっている。
しかし、彼が望む虫に会うためには私が必要であった事を彼は知っているのだろうか。
いや知らない。
もし、そうであった事に彼が気づいたとしても、彼は何も思わない。
私が話しかけていたことに彼は気づかない。
私は永遠に語りかけるだけ。
孤独な人間に。
私が語りかけるという事は、その人が孤独でなければならない。
私はその人が孤独でなければ、語りかけられない。
しかし、私にはその人が孤独である事を伝える事はできない。
あの心優しき少年は夏に虫が出てくる事をしらない。
彼に四季はない。
私が白いコートに身を包む冬にも、彼は私に会いに来るだろう。
そして、私にそれを止める事はできないだろう。
私の声が伝わる事は決してないのだから。
私が誰かに会っている限り、人から孤独は消えない。
孤独は存在し続けるのだ。
私が末永くここに居るように、それは在り続けている。
ここは公園。
私はここに存在し続ける事で目的を果たしている。
ここに居る限り、目的以上の何かを掴む事はできない。
私の意思が彼に伝わる事はないのだ―――
…
もう日は落ちていた。
静かな公園に街灯の陽が燈せられると、子猫が私の影からひょっこりと顔を出した。
いつからいたのだろうか。
いつの間に戻ってきたのだろうか。
あどけない顔つきで何かを見ている。
その視線の先には、あの黒人の青年がいた。
独りのステージでスポットライトを浴びた彼はゆっくりと立ちあがり、紺のケースからその美しい銀のトランペットを取り出した。
青年は音を発てない様に静かに目を閉じる。
すると彼の目の前には大勢の観客がいたのだろう。
彼はタキシードに身を包み、慎ましく礼をする。
トランペットがきらりとスポットライトの光に反射する。
ゆっくりと大きく息を吸い込むと、彼は空に向かって高らかに吹いた。
――冬がやってくる。
繰り出された音色は、乾いたこの空に高く響く。
子猫が体の力を抜き、私に寄り添う。
私達は特等席で彼の奏でる音の波に身を委ねた。
子猫は静かに目を閉じてゆく。
――ふと、あの飛び立っていった鳥の事が頭に浮んだ。
あぁ、そうかあの鳥は私に停まっていたんだ。
またあの鳥が戻ってこないだろうか。
私の頭の上に彼がガールフレンドを連れてくる。
二人で手作りの木造の新宅を建て、そして、冬が過ぎて春になれば彼らの子供が巣立ってゆくのだ。
豊かな緑が生い茂る私の頭の上で。
The end