Neetel Inside 文芸新都
表紙

いごいごな短編
頭の上で

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「頭の上で」 第一話

今日は約束がある。
昨日は誰と会ったのか。
もう忘れてしまった。
毎日、数多くの人と出会う。
そんな日々の中でいちいち覚えてなんかいられない。

今日はここで約束がある。
彼とはここで出会ったんだ。
だからまたここで会うんだ―――と、私は考えている。

ここは公園。今、私の前には何人かいる。

ビニール袋に溢れんばかりに入ったサンドイッチを次から次へと食べている太ったビジネスマン、学校をサボって黙々と本を読みふける小さな女の子、紺のトランペットケースを抱きかかえ、人が集まるのを待っている黒人の青年。
後、暖かな日差しと公園が静かなのを良いことに、気持ちよさそうにぐっすりと寝ている子猫。

秋の風に舞った落葉がぶつかりあい、彼らに体当たりを繰り返す。
甲高い蝉の鳴き声はもう聴こえない。
乾いた空に、革靴のコツコツとした音が気持ちよく響く。
自転車に乗った子供たちが笑いながら風になり、公園を通り抜けていった。

木の葉はまた舞い上がる。

正午。太陽が優しく、公園を照らしている。
それぞれの孤立した存在が一つとなっている公園でその小さな少女は独り、舞い上がる木の葉の中に消えてしまう。
腰まである長いブロンドの髪が瞳のベールとなり、誰にも悟られることのないよう彼女は自ら光を覆い隠す。
気持ちのいいそよ風が少女の頬をかすめて、その長い髪を揺らしていった。
顔に無造作にかかった髪を振り払って、空を仰ぐ。
初めて見せた小さな緑の瞳の奥には悲しげな光が湛えられていた。
私は彼女に話しかけずにはいられなくなってしまった。

「何でそんな悲しい顔をしているの?」

少女は何も答えない。私は当惑してしまった。
何を言えばいいのか――次の言葉を必死に考えているうちに、彼女はゆっくりと答えた。

「あなたはいいわね。何にも考えなくていいんだから。わたしにはなんにもないの。気持ちよく寝る事も出来なければ、起き上がることも出来ない。行く場所なんて無いの」

…―――。

「学校には行きたくないのかい?」
隣に置いてあったランドセルを見ながら私は言ったが、その私の声を掻き消さんとばかりに彼女は話し続ける。

「友達なんていない。みんな嘘ばっかり。最初だけ仲良くしといて、気に入らなかったら、仲間はずれにするのよ。しかも陰で。みんな裏でわたしのことをめちゃくちゃに言ってるの。わたし、聞いちゃったんだから」
彼女はあんたに言ったってわかるわけないわよね――といった顔をした。

「…疲れちゃった。おうちに帰ってねよーっと」
彼女が本をパタンと閉じると、すぐ近くで眠っていた子猫がハっと目を覚まして体を起こした。

「あっ、ごめんね。寝てていいよ。わたしはもう行くから」
彼女はそういって猫を優しく撫でた。
彼女に安心感を覚えたのか、それともただまた眠くなってきたのか、子猫は小さくゴロゴロと喉を鳴らしながら体を垂れて目を閉じた。
彼女は猫を起こさぬよう、静かにランドセルに本を入れる。
そして少しの間、子猫が緩やかな日差しの中で寝ている様を、物憂げにじっと見つめる。彼女は再び、秋の空を仰ぐ。
わざとらしく大きな溜め息をついた後、ゆっくりと立ち上がる。
ランドセルを引きずらない程度に持つと、彼女は猫のような足取りで風の様に公園を出て行った。

彼女がこの公園を出て行ったことに誰も気付かなかった。
彼女は一つの足跡も残さずに、この公園を後にする。

     

第二話

気づけば公園にはたくさんの人がいた。
犬の散歩に来ている人、子連れの親子、ジョギングをしている人。
ざわざわとしてきて、子猫は危機を感じたのだろうか。
颯爽と起き上がるとすぐに塀の上へと逃げ、自分の体の十倍はあろうかというシェパード犬を影から注意深く監視し始めた。

カチッカチッと私の耳元で音がする。
振り向くと私のすぐ隣にあるベンチに白髪のおじいさんが腰を降ろして、ゆっくりとタバコに火をつけていた。
煙をくゆらせて、ふぅーっと吐き出す。
煙を目で追っているとその先に、あの黒人が見える。彼はそわそわしている。

今がチャンス。人は集まってきた。さぁ吹くんだ!

…と、恥ずかしがっている自分に言い聞かせているようだ。
しかし彼はうつむいて、頭を垂れてしまった。

未だ黙々とサンドイッチを食べているビジネスマンの男が彼を見ている。
(いったいどれだけのサンドイッチを買ってきたんだ?)
その眼差しは「さぁ勇気をだして!」と言わんばかりであったが、結局、昼食を食べ終えるとちらりと腕時計を見て、そそくさとネクタイを締めなおした後、彼は太った体をよっこらしょと言わんばかりにベンチから起こし上げ、ちょこちょことせわしなく公園を出て行った。
そして塀の上に逃げていた子猫もとっくのとうにどこかへ行ってしまっていた。


そろそろ五、六歳の子供を連れた母親達が恒例の井戸端会議を始める時間だ。
公園が一番盛り上がっているように見えるこの時間。
今日の話題は隣町と地元のスーパーの比較。
どうやら、野菜の質について話し合っているようだ。
そんなことに毛頭興味のない子供たちは、砂場に座り込んでじゃれあい、泥まみれになりながら笑っている。

おじいさんは既に二本目のタバコに火をつけていた。
コバルトブルーのスラックスに白のポロシャツを着て、彼は公園の移り変わる景色を楽しんでいるようだった。
まるで「おかまいなく」と書かれたようなその顔は、誰にも気付かれないよう静かで穏やかな雰囲気を醸しだしていた。
澄んだ空気に彼の吐いた白い煙が映える。
木々たちに程よく遮られた光が公園に気持ちよく注がれて、ずんぐりとしたシェパード犬が闘争心を忘れ、うとうとと居眠りをしている。
白い煙は天から与えられた光の階段を登る途中で、たちまちに次から次へと風に消えてゆく。

私の待ち人はまだ来ない。

     

第三話

午後三時―――若き婦人達はもういなくなってしまった。
何かを忘れかけた頃、私の頭の上で鳥が鳴く。
愛を求めたその泣き声は、虚しく空に響く。
その鳥を見たい気持ちを抑えて、私はただ前を向く。
目の前にある景色と、頭の上の景色。
それぞれの物語が私の体の中へゆっくりと染み込むよう、目を閉じる。
おじいさんも大きなシェパード犬もいなくなってしまった。
一瞬、ピタッと時が止まったかのような公園の最も静かな時間。
そんな中で一層、その鳥の声は引き立った。
しかし、誰も聞かない。誰も彼に興味はない。
見えることが無いために、今まで気付かれなかった鳥の悲愴の声は、この公園のどこかにいることだけを解らせるに過ぎなくなってしまった。
その声と心地のよい僅かに冷やされた空気が私の体に纏わりついてくるのを感じる。
風は止み、大気だけが静かに動いている。
木々たちは喋る事をとうに止めていた。音はしない。
鳥の声が永遠と頭の中で廻り続ける。
何も見えない暗闇の中で、時の止まった世界を頭の中で思い起こす―――頭の上で鳥がパタタと飛んでゆく音が聞こえた。

時は突然動き出す。

そしてそれと同時にジョギングをしていた女性が、さっきまでおじいさんが座っていたベンチに腰をかけた。
ペットボトルに入った赤く透き通ったジュースを飲んでいる。
木の葉に紛れた彼女の小麦色に焼けた肌に、汗がきらりと光る。
彼女はかなり長いこと走っていたに違いない。
汗を拭うため鞄からタオルを取る。
彼女は体を冷やさないため、清潔感のある白のタンクトップの上からスウェットを羽織る。
ジュースを軽く口に含む。
そして、飲む。
それらは全て、一定のリズムの上でなされていた。

黒人の青年が彼女に気付き、近づいていく。
目の前に立ったところで彼はこう言った。

「やぁ」――知り合い?
「あんた、なにしてんの?」彼女はまたジュースを飲みながら言う。
「今日、学校ないの?」
「うん、ないよ。君こそ何しているのさ。走っちゃったりなんかして」
「私があんたに最初になにしてんのかって聞いたのよ。質問を質問で返さないって親から言われなかったの?そのケースなに?」

彼は彼女の隣に座って、胸に抱えていたそのケースを膝の上に置いた。
彼はケースを開ける。

「あんたトランペット吹けるの?ちょっと吹いてよ」彼は顔を赤らめた。
「いや、いいよ。恥ずかしいよ」
「この公園に練習しに来たんじゃないの?」
「……そうだけど。まだ人前で吹いた事が無いから恥ずかしいんだ」
「はぁ?何言ってんのよ、それじゃあんた来た意味が無いじゃない。」
「ほっといてよ。ところで君は毎日この公園で走っているのかい?」
「いや週三回よ。毎日走ってなんてられないわよ。私だって学校があるんだから。あっ、もう行かなきゃ。今からバイトなの。じゃあね。今度会うときはちゃんと吹けるようになってなさいよ」

彼は何も答えず、走ってゆく彼女に手を振った。
彼女が見えなくなると彼はケースの中の、銀のトランペットを撫でた。
それは鏡のように周りの景色を映し出すほど綺麗で、美しかった。

     

第四話

午後四時。特に何も起こらなかった。

いつものように公園は子供たちで賑わう。
彼らは放課後から6時のチャイムが鳴るまで、ランドセルを放り投げて公園内を走り回る。
その子供たちの中のひとりの少女が群れを抜けて、私の足元に咲く一輪の花を摘み取っていった。

「ごめんなさいね」それは私に向けて言われたように聞こえた。

この子たちはあの緑の瞳を持った少女と同じ学校なのであろうか。
――そうであるなら彼女は今、ここに居るはずなのに。
もしそうであるなら私と彼女はどちらにしろ、ここで出会っていたのだ。
しかし、もし彼女が今ここに居ても、私は気にしなかっただろう。
私が気にかけたのは彼女が独りだったからだ。

花を持った少女は友達の男の子にそれを渡そうともじもじしている。
が、幾らたってもチャンスがやってこない。
その少女は渡す事を諦めると簪の様に髪に花を挿して、群れの中へ走って戻っていった。

私の待ち人はまだ来ない。

もう午後5時になるというのに。
私は不安になる。
まさか彼との約束は私の妄想だったのではないだろうか…と、そう考えてしまう。
私は記憶の引き出しを一段ずつ開けてみる。

彼は昨日、ここに約束を刻み付けていった。
それはよく覚えている。
もしかしたら忘れてしまったのだろうか。
いや、そんなことはない。
彼は目を光らせて、楽しみに待っているはず。
だから彼は来るはずだ。



静かに時は過ぎていった。
聞こえるはずのない時計のカチッカチッと秒針を刻む音が、私の耳につんざくように聞こえ続けている。
日が暮れ始め、その燃えるような赤が公園を隙間なく染めた。
私の影は幽霊のように伸びて、赤と黒の鮮烈なコントラストが一層それを際立たせている。

コーン…コーン…

チャイムが鳴った。
子供たちが一斉に散らばり、帰ってゆく。

「じゃあね!」「またあした!」

それぞれが誰に何を言っているかわからないほど、幾つもの声が私の頭の上を飛び交っている。
子供たちの一人一人が、夕日の中に約束を刻み付けてゆく。
明日になればまた彼らはやってくるだろう。
昨日も一昨日もそうだった。
だから明日も明後日もそうなるのだろう。
彼らはいつまでもここに来るのだろう。
自分が独りじゃない事を確かめるために。
改めて確認できる喜び――今の彼らにとってここは、独りで来る場所ではないのだ。
でも、もし彼らの中で独り取り残されてしまう者が出てきてしまったら、その子は独りでここに来るのだろう。

そう、あの緑の瞳を持った少女のように。

     

第五話

その大勢で帰ってゆく子供たちの中、一人、公園に入ってくる少年がいた。
時の波に逆らうように私の元に走り寄る。

彼だ。

虫取り網と虫籠を持っている。
彼は私の体をまじまじと見つめる。
約束は破られていなかった。
忘れずに彼はここに来たのだから。

「遅かったね」私はそういったが彼は何も言わない。

彼はまだ、私の体を舐めまわすように見ている。
そうだ、彼は虫を探しているのだ。
私の体に付いているはずの虫を。
彼はぼそっと小さな声で呟く。

「…なんでいないんだろう。ちゃんと蜂蜜を塗ったのに…」
「もう秋なんだよ。蜜に寄ってくる虫達はもう寝ちゃったんだよ」

彼を宥めるため、私は優しく言った。
その時、虫取り網の柄のところに赤トンボがとまった。
それに気づいた彼は慎重に、ぱっと素早く羽を掴んだ。
赤トンボを籠の中に入れて、じっと見つめる。

「代わりにそれを持って帰るといい」

彼は籠の中のトンボを見つめながら、ゆっくりと公園を背にして歩き始めた。
彼が遠ざかってゆく。

これで約束は終わり。
私の待ち望んでいた約束とは所詮、こんなものだったのだ。
私は悲しまない。
こうなる事は必然であるのだから。

彼の赤く染まった背中が公園の出口に差し掛かった辺りで、ぴたりと止まった。
彼は蓋を開けて、籠の中のトンボを取り出した。
手で優しくそれを丸め込み、肩より高く手を上げる。

ぱっ―――突然、光に覆われたトンボは眼をこすり、首を傾げる。

それは彼に対する一礼のように見えた。
羽を伸ばし、準備が整うとトンボは飛んで行った。彼は行く先を少し見送る。
少年は小さく手を振った後、走って帰っていった。

バイバイ

     

第六話

彼は私に会いに来たのではない。
彼は私に付いているはずの虫に会いに来たのだ。

そんなことはわかっている。
しかし、彼が望む虫に会うためには私が必要であった事を彼は知っているのだろうか。
いや知らない。
もし、そうであった事に彼が気づいたとしても、彼は何も思わない。
私が話しかけていたことに彼は気づかない。

私は永遠に語りかけるだけ。
孤独な人間に。
私が語りかけるという事は、その人が孤独でなければならない。
私はその人が孤独でなければ、語りかけられない。
しかし、私にはその人が孤独である事を伝える事はできない。

あの心優しき少年は夏に虫が出てくる事をしらない。

彼に四季はない。
私が白いコートに身を包む冬にも、彼は私に会いに来るだろう。
そして、私にそれを止める事はできないだろう。
私の声が伝わる事は決してないのだから。
私が誰かに会っている限り、人から孤独は消えない。
孤独は存在し続けるのだ。
私が末永くここに居るように、それは在り続けている。

ここは公園。

私はここに存在し続ける事で目的を果たしている。
ここに居る限り、目的以上の何かを掴む事はできない。
私の意思が彼に伝わる事はないのだ―――



もう日は落ちていた。

静かな公園に街灯の陽が燈せられると、子猫が私の影からひょっこりと顔を出した。
いつからいたのだろうか。
いつの間に戻ってきたのだろうか。
あどけない顔つきで何かを見ている。
その視線の先には、あの黒人の青年がいた。

独りのステージでスポットライトを浴びた彼はゆっくりと立ちあがり、紺のケースからその美しい銀のトランペットを取り出した。
青年は音を発てない様に静かに目を閉じる。
すると彼の目の前には大勢の観客がいたのだろう。
彼はタキシードに身を包み、慎ましく礼をする。
トランペットがきらりとスポットライトの光に反射する。
ゆっくりと大きく息を吸い込むと、彼は空に向かって高らかに吹いた。

――冬がやってくる。

繰り出された音色は、乾いたこの空に高く響く。
子猫が体の力を抜き、私に寄り添う。
私達は特等席で彼の奏でる音の波に身を委ねた。
子猫は静かに目を閉じてゆく。

――ふと、あの飛び立っていった鳥の事が頭に浮んだ。

あぁ、そうかあの鳥は私に停まっていたんだ。
またあの鳥が戻ってこないだろうか。

私の頭の上に彼がガールフレンドを連れてくる。
二人で手作りの木造の新宅を建て、そして、冬が過ぎて春になれば彼らの子供が巣立ってゆくのだ。

豊かな緑が生い茂る私の頭の上で。

The end

       

表紙

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Neetsha