Neetel Inside 文芸新都
表紙

灰の魔王
4・敵わない・叶わない

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「夢と希望。そして、剣と魔法の世界へようこそ。歓迎いたします」
 彼女はそう言って、深く礼をした。

「魔法」
 僕とキャロルは口をあわせて、呟く。
「え、何これ。良く分からないんだけど。いやいや、冗談」
「・・・・・・これは、何なのですか。説明はして頂けるのですよね」
 背筋が凍りつく。この冷たい感覚は、この城内に蔓延する冷気の所為だけではないだろう。
 呼吸がうまく出来ない。
 鼻の穴が凍りついたようだ。
 怖い。怖い。何なんだこれは。
右から左、上から下、何から何まで分からない。何がどうしたら地震が起こった後にこんな豪華な城のホールにいる。ということに繋がるんだ。
だが今は、現実逃避をしている時ではない。何とか、情報を一つでも集めないといけない。

「取りあえず、コホッ、魔術師の存在は信じて頂きましたか」
 僕の頭に『魔術師と灰』の中で、魔法を使う、マルコの姿が横切る。作品の中では、地震を操ったり、テレポーテーションをする魔術師も存在した。
 しかし、だからといって・・・・・・
「魔術師、あんたがそうだっていうの?」
「はい」
 キャロルは苦虫を噛み潰したような表情をしている。否定なり、笑い飛ばしたりしたいのだろうが、今いる場所がそれを許してくれない。
「あんたが魔術師だっていうんなら、今すぐ家に帰しなさいよ。そして、私の目の前に二度と現れないで。そしたら信じてあげる。本当なら、簡単でしょう」
「キャロル、静かに。まず、あなたのお名前を聞かせて頂けませんか? 誘拐犯さんという訳にもいかないでしょう」
 僕はショックで我を失いつつあるキャロルを制し、女とのコミュニケーションを試みる。
「そうですね。では遅れてしまいましたが、自己紹介をさせて頂きます」
 そこで、女はコホリと乾いた咳を吐き出して、軽く、微笑んだ。

「私の名前はアッシュ。小さい物ですが、魔王の冠を頂いております」
 魔王アッシュ。『魔術師と灰』の中の登場人物の一人。魔王を名乗っており、主人公のマルコと敵対している。いわゆる、物語における敵役だ。
「ふん。アッシュ? あんたもごっこ遊び? 私達を無理やり役に引きずり込んで、何がしたいの」
 キャロルはつばを飛ばしながら挑発する。
 彼女は興奮しているようだった。何とかしたいが、今は構っている状態ではない。
「信じましょう。僕がマルコであるように、隣の彼女がキャロラインであるように、あなたは、アッシュ。そうですね」
 震える腕を押さえながら、冷静を装う。
「わかって頂いて、嬉しいです。ですが、私はあなた達とは少し違うのですよ」
 聞き入れろ。それしかないんだ。
「聞きましょう」
 呼吸が少し楽になった。事態はどんどんと妙な方向に向かっているのに不思議なものだ。相手とコミュニケーションが取れるということで安心したのだろうか。
「あなた達には本当の名前があります。役を演じて頂くために一時的に忘れていただきましたが」
「やっぱり、あんたの仕業だったのね」
「事が終われば、お返ししますよ」
 アッシュはにこやかにキャロルの視線を受け流す。
「私が、あなた達を呼び、マルコとキャロラインになって頂いたのは、頼みがあるからなのです」
 アッシュの涼しい声を聞きながら、僕は少しおかしな気分になっていた。アッシュとマルコは、作品の中では戦い合う関係だ。けして、今のようにゆっくりと話をしたり、ましてや、頼み、頼まれたり関係ではけしてない。
「山本黄世という男を知っていますね?」
 これに何の意味がある。名前をいじくり回すだけで、中身は空っぽのごっこ遊びに何の意味が。
「ええ、『魔術師と灰』の作者ね。自殺したっていう」
 応じたのはキャロルだ。
「はい。私は山本の頭から、両目と右腕を伝い、黒いシミとなり、ゆっくり、ゆっくりと形作られました。私が私であると気付くまでに、とてもとても、当時私ではない私にとっては気が遠くなるような時間がかかりました」
 頭、両目、右腕、黒いしみ。まるでアッシュは自分は人間ではないかのような言い方をした。
 まるで、己の意思がある人形や、夢の中の住人のような。

 そんなことがありえるのか。
 僕は心臓が高鳴るのを感じた。
 頭がぼうっとする。
 しかし、ここまで来て全てを否定するわけにも行かない。

「では、あなたは、こんな言い方が正しいのかはわかりませんが、『本物の魔王』というわけですか」
 僕の目の前で頷いた女は、僕の想像の中に存在する魔王アッシュとは、ぜんぜん違っていた。アッシュは邪悪で卑劣だが、王としての威厳も兼ね備えている。だが、目の前の自称魔王からはそのどれも感じられない。
そもそも、僕はアッシュは男だと思っていた。
「山本は主人公を生み、ヒロインを生み、そして魔王たる私を生んで、物語を紡ぎました。しかし、あと少しで終わりという所で、その生涯を自殺で閉じてしまう」
 アッシュは悲しそうな顔をした。今にも泣き出しそうに顔を歪めている。
 だが、そんな表情でも、彼女は美しかった。

「山本を自殺にまで追い込んでしまったのは、私なのです」
 キャロルと眼が合う。彼女が前に行っていたことを思い出す。山本は妻の変死をきっかけに自殺をしてしまったと。
「意味がわからないわ。あんたが架空の物語の登場人物である。ってとこは百歩譲って認めるけれど、そんなあなたが現実にいる作者にどうやって干渉するっていうのよ」
「山本にとって私は子供みたいなもの。親子の干渉は無い方がおかしいでしょう。コホッ、そして何よりも、あなた達にとって、私は物語の登場人物ではないのですか?」
 キャロルが額にしわを寄せる。その横顔は何かに向けた敵意が感じられる。

「その通りね。よおく、分かったわ。あんた、山本の奥さんを殺したのね」
 キャロルはさっきとは打って変わって、落ち着いた声を出した。しかし口調とは裏腹に、その目つきは尋常ではない怒りが込められている。
「正解です、聡明なお嬢さん」
「キャロルって呼びなさいよ、魔王」
「怒っているのですか? キャロル」
 キャロルは一度アッシュから目線を下げ、一息ついた。そして、口を開く。
「ええ、そうよ。あんたの自分勝手な欲望で、私は『魔術師と灰』を最後まで読むことが出来なかったんだから。わかる? 私の悲しみが」
 そして、僕を指差す。
「おそらく、マルコも悲しんだはず、あんたは、山本が死ぬとは思っていなかったんでしょうけど。山本が死んで誰よりも嘆き、悲しんだのはあんたでしょうけど、そんなことは関係ない」
 アッシュはキャロルの『告発』をただ、静かに聞いている。

「ふざけるな! 何様のつもりだ。いくら魔王だからって、私たちの物語を奪っていいと思っているのか。私たち二人だけでもない。彼は無名だったけれど、彼の物語を待っていた人は沢山いたはずなんだ。お前はそれを、自分勝手な欲望でぶっ壊したんだ」
 キャロルは一息に言い切り、自らを落ち着けるように深呼吸をした。そして、少し悲しそうな顔をして、言った。

「物語を絶った罪は重いわ」
 キャロルはアッシュに言い放った後、しばらくの間、沈黙がこの空間を占めた。
「やはり、私では、カナワナカッタのでしょうね」
 アッシュがポツリと呟いた。
「もし、あんたの敗因が、作者と登場人物の間にある壁だと思っていたら、それは勘違い。あんたが、負けた理由は単純にあんたが弱かったからだ」
 アッシュはかすかに笑ったように見えた。いや、もしかしたら、僕の気のせいだったかもしれない。
「魔王の癖に、情けない話ですね」
 僕には、理解のできない世界での話だった。
キャロルは強い。彼女はアッシュと対等に話をしている。あの魔王にだ。
僕にはアッシュに言葉を向けることが、出来ない。理解できない。
頭では分かっている。
言葉としては、存在している。
分っているはずだ。でも、理性が拒絶する。おぞましいものを見てしまったような気す
る。
 現実に、この状況にいながら、現実を語るのもおかしな話だが、現実にアッシュは山本
夫人を殺害しているのだ。
「ありがとう。キャロル。あなたがキャロルで良かった。何せ、長い間一人きりで、あな
たの言うようなことを誰も、コホッ、コホッ、言ってくれなかったのですから」
「ふん。どういたしまして。これでも、長い間、女やってますから」
 アッシュは何かを言いたげに僕をちらりと見る。
「マルコ。あなたは、山本黄世を、『魔術師と灰』を愛してくれていたのですよね」
 少し不安そうな声だった。僕は頷く。これに嘘はない。
「ありがとう。あなたにも、お礼を」
 僕はどうして良いか、わからずに、ただ黙って魔王が頭を下げるのを見ていた。

       

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