Neetel Inside ニートノベル
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突然ですが、世界を救って下さい。
突然ですが、世界を救って下さい。-04

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 果たしてお婆さんの言う通り、ポポロカは霊園の奥、中心部にその姿を置いていた。
 先日、梔子高に購入してもらった衣服ではない。初対面時の、とんがり帽子とキャソックのような服に、身の丈を上回っているのではないかというような直径の杖、という出で立ちである。成る程、お婆さんが首を傾げるのも頷ける。
「ポポロカ」
 僕が呼びかけた。返事は無い。
「ポポロ、」
 もう一度呼びかけようとして、息を詰まらせた。
 ポポロカは杖を前に構えて、身動き一つしない。呼吸をしているのかすら怪しいような、見事な直立不動である。
 動いているのは、ポポロカを囲む芝だった。ポポロカ自身から風が発せられているかのように、ポポロカを中心軸として、芝がざわざわと謳っている。ヘリコプターが着地する際、こんな風に芝は揺れた筈だ。
 一際、大きな風。
 キャソックが舞い上がったその瞬間、突然僕の体重が増したような気がした。当然、不意に体重が増える訳が無い。それも、自覚が出来るほどの重量が、だ。
 空気が、重くなっているのだ。
 空気と言う空気が、まるで水の重量を持ったかのように僕の肩に圧し掛かって来る。立っていられなくなるほどではなかったが、はっきりと自覚出来る程度に。
「お忙しい所お呼びして、ごめんなさいなの」
 それまでピクリとも動かなかったポポロカが、ようやっとそう口にして、僕に振り向く。
「えっ……?」
 僕は、ポポロカを見ていた。
 がしかし、僕は最初、それをポポロカだと断定出来なかった。
 姿形は、間違いなくポポロカその人である。
 表情が、僕の知っているポポロカのものではなかった。
 人がこんな表情を作れるようになるには、どれだけの経験が必要なのだろう? 人生の酸いも甘いも一通り経験して、見えない重圧に押し潰され、それでも歯を食いしばって歩き続けた人達だけが作ることの出来る、気迫と決意の宿った表情。
 少なくとも、ポポロカのような年頃の男の子に似つかわしい表情ではなかった。
 僕はよほど珍妙な顔をしていたのか、ポポロカは僕を見ると、後はいつものようにぴこぴこと耳を揺らしながら歩み寄って来る。
「返事を返せなくてすみませんすみませんなの。本当は聞こえてたけれど、大掛かりなカスカを使うには集中しなくちゃいけなかったのね」
「……そっか。急に声をかけてしまってすまなかったね」
 そう返答したものの、先ほどのポポロカと今のポポロカのギャップを処理しきれずに、頭を掻いてしまう。
「カスカを、使うのかい?」
 何も言わずに、先ほどまで自分が立っていた場所を指差した。
 ポポロカがその場から離れたにも拘わらず、相変わらず芝はざわざわと波打っている。よくよく見れば、そこを中心に、円直径三メートル程度の円柱を模るように蜃気楼が発生していた。
「この場所だけは、リオラの濃度が段違いに濃かった。それでもやっぱり足りなくて、周辺からリオラをかき集める必要があったのね。だから少しだけ時間がかかってしまったの。ミヤコが来る前に終わって良かった良かったなのよ」
 だから、周辺の空気が重くなったのか。
「多分もう、この場でこのカスカは使えないの。時間が経てばリオラは元に戻るけど、それでも二、三年はかかってしまうのね。だからこれが、最初で最後の大掛かりなカスカ」
「大掛かりなカスカ、って?」
「視覚と聴覚に限定した上で、一時的に異世界とコミュニケーションを取るの」
 言うなり、ポポロカは僕の手を取って、蜃気楼の中心へ歩み寄り始めた。
「本当は禁忌のカスカなのね。視覚効果や聴覚効果だけでも、世界の情報への影響は予測が出来ないから。それに禁忌じゃなかったところで、こんなカスカはポポロカやパパにしか使えないの。そして、今回は非常事態」
 蜃気楼を目前にして、ポポロカは急に前進を停止した。僕の手を離して、真っ直ぐ僕を見る。
 何事かと思えば、ポポロカは小指を差し出してきた。
「指切り、して欲しいの」
「約束する、ってことかい?」
 かつて無い、神妙な面持ちでポポロカが頷いた。
「今からここで起こること。ここで話すこと。ここで解ること。その全部を、出来ればダカチホには内緒にして」
 そんな気はしていた。ポポロカと僕という、これまでに無いツーショットを迎える事になった理由は、看護云々とは別に、何か理由がある気がしていたのだ。
 しかし。
「内容による、かな」
 だからと言って、僕がその条件を鵜呑みにするかといえば、それとこれとは別問題だ。考えたくもないが、もしもポポロカ達が、何かしらの理由で梔子高を騙そうとしているのならば、よほどの理由でもない限りは、その提案に首を縦に振ることは出来ない。僕に何かを明かそうとしている時点でその線は薄いのだろうが、それは確証ではないのだ。
「話の内容も解らないんじゃ、約束しようがないよ。どうして梔子高には内緒なんだい?」
 ポポロカの顔に、憂鬱な影が差す。
「……絶対に内緒にしないといけない、ってわけじゃないのね。これをダカチホに話しても、何かしらの利害が出る事はないし、出たとしても、それが決定打になるような事はないと予想出来るの。ただ……」
 振り絞るように、最後に言葉を吐いた。
「ダカチホに心配をかけたくはないし、必要以上に巻き込みたくはないのよ」
 後はただ、黙って僕の返答を待っていた。
 しばし、考える。
 絶対に聞かせてはならないことではないが、出来れば聞かせない方が良い事柄。
 多分、それによる梔子高への直接的な利害は無いと予想出来る。物騒なことを考えているわけではなさそうだ。いかんせん、梔子高の家柄が家柄だ、そこから疑わなければいけない。
 ただし、情報を梔子高に公開すれば、梔子高が心配したり巻き込まれる恐れがある。
 ポポロカは、梔子高のことを懸念しているのだろう。良い弟役である。
 しかし、ならば何故、僕にはそれを告げるのだ?
 可能性は、幾つかある。僕にそれを伝えたところで何も変わらないか、残念ながらポポロカの中のカーストに於いて、僕は至極低い位置に居るか。
 或いは、僕には伝えなければならない理由があるか。
「約束するの。ミヤコがダカチホに黙っておいてくれれば、ダカチホを巻き込んだり、ダカチホに迷惑がかかるような事態には絶対にしない。ポポロカがさせないのね」
 思うところは決して少なくはない。情報も不十分であり、決断を下すのは些か不安が残る。
「……解った」
 しかし、信じる事にした。
 僕の足りない頭で何かを考えても、それが答えに近づくための一歩と成り得る可能性は期待出来ないし、何より、ポポロカのこんな顔は見たくなかったからだ。
 僕だって、ポポロカに愛着は沸いている。ポポロカは、耳をぴこぴこ揺らしながら笑っている時が、一番愛らしいのだ。
「梔子高には言わない、約束するよ」
 ポポロカが、僕が見たかった以上の笑顔を、僕に見せた。やはり愛らしい。


 蜃気楼の中心部は、空気が敷き詰まっているような感覚を覚えた。多分、これがリオラの濃度が濃い、ってことなんだろうと思う。
「今からミヤコは、見ることと聴くことしか出来なくなるのね。だけど心配しないで欲しいの。カスカが切れれば元通りになるのね」
 いまいち想像出来ない。要するに、目と耳以外の機能が停止してしまうのだろうか?
「目と耳の機能も停止するのよ。脳に、直に情報を送るの」
「それ、大丈夫なのかい?」
「心配いらないのね。ハユマ様がミヤコにかけたカスカも、脳に直接信号を送る類のものだったのよ」
 人気の無い路地で、不自然なくらいに冷静になった自分を思い出す。
 あの時は。
 何だかんだでトリックの一種なのだろうと思っていた。
 血だらけの甲冑も演劇用の模造の血糊で塗りたくったものであり、ポポロカの概要説明も難しいことを適当に言っただけのでっち上げだと思っていた。
 今は、少しだけ違う。
 相も変わらず、世界が云々という事柄に関しては、「そんな馬鹿な」という考えは捨て切れはしない。だが、僕の与り知らぬ所で、何かしらの事態が進展しているのではないかという懸念もまた、少なからず存在するのだ。
 そして、当初の予定としては「ほんの先端部分だけ拘わるくらいだったら」のつもりだったのだが、どうやら場の空気的に、本格的に事態に巻き込まれそうな予感がする。
 やれやれだ。せいぜい両目の視力くらいしか誇れる事が無い僕に、何をしろと言うのだろう。
「それじゃあ、始めるのよ」
 言うなり、ポポロカが再び杖を前に構えた。そして例の、人間の声なのかを疑ってしまうような音の羅列を口ずさみ始める。
 長い。
 あの時ハユマの口から発せられたものと比べても、段違いだ。大掛かりなカスカと言っていたし、相応の長い詠唱が必要なのだろうか?
 そうしている間に、僕達を囲むように渦巻いていた蜃気楼の壁に、見る見る内にミルクのような白が混じってきた。ポポロカは未だ、詠唱を続けている。もう三分ほど経過している筈だ。これをすべて暗記しているのであれば、流石はなんちゃらアカデミーの代表というだけあるのだろう。
 気付くことがあった。
 違う。蜃気楼が白く染まっているのではない。
 僕の目が、視力を失っているのだ。
 息を吸おうとしたが、息の吸い方を忘れている。手足を動かそうとしたが、手足の動かし方を忘れている。
 ポポロカの詠唱も、よくよく聞いてみれば、それは鼓膜が振動して音になっているものではなく、ハユマの時のように、脳の内側から信号となって出ているようなものになっている事に気付く。
「何が起こっているんだ」と言おうとしたが、「何が起こっているんだ」ということを誰かに伝える為の音を忘れてしまった。忘れてしまったし、そもそも僕はどうやってそれを他人に伝えていたのかも忘れてしまった。

       

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