Neetel Inside ニートノベル
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突然ですが、世界を救って下さい。
【エピローグ】お手数ですが、もう一度世界を救って下さい。-01

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「梔子高。最近悩んでることは無い? 困ったことがあったら、僕に相談してくれよ」
《何だい、いきなり藪から棒に》
 僕がそう言うと、梔子高は珍しく、いつもの微笑に戸惑いのエッセンスを加えた。
 そりゃ、そうだ。何の前触れも無しにこんなことを言われたら、後ろ暗いことがあろうが無かろうが、とりあえずいぶかしむことを優先する。


 朝、目を覚ますと、すべては終わっていた。
 すべてが終わっていたのだから、後日談としてのそれぞれの日常を描くと言うセオリーに則って、僕はこれまで通り制服に着替え、これまで通りの時間に家を出て、これまで通りに梔子高と合流し、これまで通りの通学路を歩き、これまで通り授業中に盛大に船を漕ぎ、これまで通りに屋上で食事に勤しんでいる。
「ここまでこれまで通りを満喫しておいて、今更かよ」と非難されるだろうが、しかし僕はこう思っている。
 終わったのか? と。
 もしかしたら、終わっていないのかもしれない。次の瞬間、再びポポロカなりハユマなり、或いはノマウス辺りが空中から降ってきて、再び波乱万丈のスチャラカシナリオに巻き込まれる可能性も、否定は出来ない。
 何とならば、実際キッカケがあった時に僕が行ったことと言えば、ただ理不尽に憤慨していただけだからだ。
 世界を救うのは、愛とか勇気だというのが相場だ。まかり間違っても、憤怒や何かで世界が救われたと考えるのは、何と言うかこう……あまり見栄えは良くない。
 それに、仮に終わったとして、何がどうなったから終わったのかが、さっぱり解らないのだ。何がどうなったのかが解らないのだから、もっともらしいこじ付けや辻褄合わせすら出来ない。
 しかし、こうも思う。
 終わったんだな、と。
 何とならば、
「……何、これ?」
《幾度も幾度も、中々にくどいね、君は。学習能力が無いのか、それとも視覚探知能力が欠損しているのか、どっちだい? それとも、それは私への侮蔑と受け取るべきなのかな?》
「そういうわけじゃ、ないけど」
 僕の手には、成長期のラグビー部員が携帯しているような極悪サイズの弁当箱が握られている。否、握るという表現は正しくない。下辺と上辺を結ぶ辺の直径が、親指先から小指先までの距離を凌駕している。両の掌で挟んでいる、という表現をしておこう。
 ああ、そういえば前に言ったっけ。
「今回の件にケリがついたら、もう少し沢山ご飯を食べようと思う」って。
 そして、これだ。「今回の件が終わったら」と銘打っているのだから、こうして、食べ終えたら賞金の一つでも出そうな有り得ない量の昼食が出ている以上、今回の件は終わったのだろうと僕は考えている。
 ああ、食べたさ。一週間分の食事を一度に出された気分だ。犬や猫じゃあるまいし、人間には食い溜めは出来ないだろうと考えている諸君。そんなことはないぞ、成せば成るものだ。
 尤も、その後の業の保障は出来ないけれども。


《悩んでいること、ね》
 そして今、だ。食後である。
 自分の限界を遥かに凌駕した量の食物を摂取して、もはや直立すらままらななくなり倒れ込んだ僕の頭を膝に乗せて、梔子高は横に添えているパソコンを、片手でタイピングする。
《二つほど該当するよ。一つは寝不足。午前四時に目を覚ましてお弁当の準備をするのは、中々の重労働だった。私はこれから、板垣さんに足を向けて寝ることは出来ないな》
 言われなくとも解る。あれは、梔子高が本人直々に作ったものだったのだろう。でなければ、あんな非常識な量のおかずを詰め込んだりするものか。半玉分の千切りキャベツが入った弁当なんて、後にも先にもそうそうお目にかかれるものじゃない。
「美味しかった」
 完食出来た理由を問われれば、いの一番にそれが出る。
《また、作って来るよ》
 その返答に対して「待った」をかけられなかった理由を問われても、いの一番にそれが出る。二番目はと問われれば、そうだな……こんなに嬉しそうな顔をされたら、断ることなんて出来る筈が無い、ってところかな。
《二つ目は、言わずもがな。解るだろう?》
「だろうなぁ」
 梔子高が、目を閉じる。どうやら僕の「考え事をする時は視覚機能を~~」論は、僕だけが持っているものではないようだ。
《何が、どこで、どのようにして、終わったのだろうか? 今になっても、私にはそれが解らないのさ。ポポロカもハユマも、今朝目を覚ましたら、忽然と姿を消していた。礼の一つくらい言えとまでは言わないが、別れの挨拶くらいはしたかったな》
「やっぱり、寂しい?」
 問うまでもないじゃないかと、問うてから心で舌を打った。ポポロカに対する梔子高のだだ甘やかしっ振りを見れば、どれだけ梔子高がポポロカに入れ込んでいたのかなど、火を見るよりも明らかではないか。
《不思議なことに》
 しかし梔子高は、どうせ吸うなら高いところの空気を、と言わんばかりに上を見上げ、閉じた目を微かに開く。本当に、微かに。
《それに対する感傷等々が、今の私には一切無いんだ。まるで、最初からポポロカなんて男の子は存在しなかったように感じられるし、またそれと同時に、ポポロカは今でも私の傍に居るようにも感じられる。『心の中に居る』なんて慰みではなく、私の家に、今でも本当に存在しているように感じられるんだ》
「トテチトテが、帰ってきたからじゃないの?」
 梔子高が、空から僕の顔に視線を移動させた。《何故知っているんだい?》とでも考えているのだろう。何故も何も、ポポロカがいなくなったのだから、トテチトテはこっちにいる筈だ。確か、そういうルールだったよな?
「元気にしてる? 今度見に行ってもいい?」
《ああ、きっとトテチトテも喜ぶさ。不思議なのは、数日間行方不明になっていたにも拘わらず、清潔な体を保っていたことだ。もしかしたら、知らない人の家にでもご厄介になっていたのかもしれないね。是非ともお礼の言葉と品の一つでも持って馳せ参じたいところなんだけれども、手掛かりが無いからお手上げさ》
 手掛かりがあろうが無かろうが、お礼の言葉も品も届けることは出来ないのだろう。そんな無茶を可能にするはた迷惑な能力は、もう存在しない。……と、思う。
「ポポロカなら大丈夫さ。ハユマも一緒なんだろ? きっと僕らを巻き込むのは終わったから、こことは違うどこかで、僕らにしたように、誰かを手品ショーにでも巻き込んでるさ」
 そんな穏やかなものであればいいけれども、だが。……ノマウスの奴、ハユマに平手の一つや二つ……或いは鉄拳でも加えられればいいのだ。
 そうしてせいぜい、叩かれることの出来る距離に在れる喜び、一緒に頑張れる頼もしさを享受していればいい。
 僕がこんな風に日常を満喫しているのだ。きっと、あちらもそれに倣ってくれているのだろう。何の根拠も無い推測だが。
 何の根拠も無くたって、いいんだろう?


《君は、髪を切ったかい?》
「何故?」
 予期せぬ質問だった。確かに少しばかり伸びたとは思うが、宛ら体育会系男児のように短髪を好む傾向は無いので、切った記憶も無ければ、近々切る予定も無い。
《ミヤコは、変わったよ。昨日目の当たりにしたミヤコもそうだったけれども、何と言うか、言葉では表せないような深い場所で、君は変わった》
「よく解らない。もっと具体的にならないの?」
《格好良くなったね、とでも言って欲しかったかい?》
「言って欲しかった」
 ……。
《やはり、ミヤコは変わったよ》
 内心、それはそれはほくそ笑んださ。ああ、ほくそ笑んだとも。大方、僕が「そんなこと無い」と主張しながら狼狽するのを傍観して楽しむつもりだったのだろうが、そろそろ僕だって、そう思い通りにはならない。
 これは、復讐だ。梔子高だけのせいではないとはいえ、良い様に掌で弄ばれた僕の逆襲なのである。散々どぎまぎさせられたのだ、せめて一矢報いる程度の逆襲くらいはしたい。
 板垣さんは言った。「これまでの梔子高の不可解な挙動は、別の世界のバランス調節の影響のためだ」と。
 ならば、バランスの整った今の梔子高は?
 すべてが終わった(?)にも拘わらず、明らかに一時間そこらで製作出来るとは思えない弁当を、朝も早よからせっせと作り、それをほうほうの体で完食した僕の頭を膝に乗せて、僕の髪の毛を指先の玩具にしている、今の梔子高は?
 これがもし、何かしらのサインではなく、本当に無意識の行動であったとしたならば、僕は全国……否、全世界の男性諸君を代表して、血の涙を飲みながら梔子高にグーパンチをせざるを得ない。
 約束、しちゃったもんなぁ。
……「一緒に頑張る」って。
 だから、梔子高にだけ任せるわけにはいくまい。こんなに頑張るのは、我ながら「頑張り」とはかけ離れた人生を送ってきた中で二回目のことだ。
《んっ? もう大丈夫なのかい?》
 頭を起こすと、梔子高はそう聞いてきたが、応えるまでもない。
 大丈夫だし、大丈夫じゃない。胃の膨張は収まったが、代わりに心臓が膨張寸前である。
「梔子高」
「っ!? 痛っ……!」
 ガッシ、と肩を掴むと、梔子高が小さく悲鳴を揚げる。我ながら、破壊衝動の一つでもあるのではないかと疑うような掴み方だった。
……しょうがないだろう、慣れちゃいないんだから。
「……何のつもりかな? ミヤコ」
 微笑んでこそいないものの、決して取り乱すことなく、まるで通行止めになっている通路に対して「何の工事だろう?」と疑問に思うそれと同等の度合いで、梔子高は疑問の表情を模っている。
 言わずもがな、それは虚勢だ。
 梔子高千穂という一人の女子が、延岡都という一人の男子をこれまで騙し通すべく、精一杯「心配させまい」「不安にさせまい」とすべく張り続けてきた、付け焼刃の虚勢だ。
 虚勢と解っている虚勢が通用する道理は無い。
「大丈夫」
 何で大丈夫なのか、ましてや何が大丈夫なのかもすら、よく解っていない。
 でも、それでいい。それが僕の役割だ。
 何の根拠も無く、「大丈夫だ!」と、全幅の信頼を寄せるのが、僕のアイデンティティだからだ。
「梔子高なら大丈夫。僕も頑張る。だから、何だかんだで何とかなると思う」
 残念ながら僕は、梔子高のように小細工の技術に長けているわけではない。あれやこれやといった駆け引きが得意なわけでもなければ、ましてや切り札の一つでも持っているわけではない。
 だから、これが精一杯だ。自分の伝えたいことを一方通行で投げ通し、その後は何も言わずに、ゆっくりと顔を近づけるのが、僕の精一杯。
 でも、それでいいんだろ? 後はそっちが何とかしてくれるんだよな?
「……うん」
 らしからぬ、短い返答だった。らしからぬが、この場に限定するならばこの上無く相応しい、短い返答。
 梔子高が、作法に則った。
 そうして、僕と梔子高の顔がゆっくりと、ゆっくりと近づき、そして、


 落ちてきた。

       

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