Neetel Inside ニートノベル
表紙

突然ですが、世界を救って下さい。
どういうことなの…-01

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 だからどうしたと言われればそれまでなのだが、ここは天照町である。
 観光協会に気を利かせたような名所も無ければ、老後はこういう場所に住みたいなどと思わせるような雅も特に無し。最寄り駅に関しても、特急や急行には気持ち良いくらいにスルーされるという体たらくだ。自慢といえば、決して混雑せず、ゆとりある運転が出来る車線くらいしか思いつかない。しかも僕は運転免許を持っていないため、その魅力を十二分に語る事が出来ない。
 そんな、クオリティレベルを言えば中の下くらいの町に住む僕は、これまた両方とも視力が良いという申し訳程度の特徴しか持っていない普通の延岡都(のべおかみやこ)である。特に、後ろ暗い過去があるとか、超絶に腕っぷしが強いとか、そういった所謂一つの設定的なものは皆無だ。梔子高や比較的仲の良い友人知人からは、
《おはよう、ミヤコ。今日も良い朝だね》
 このように呼ばれているので、皆様方もそれに倣って頂いて一向に構わない。
 
 
 脱兎よりも脱兎らしい腰抜け振りを披露した日から夜を跨いだ今日。
 小学校低学年の頃からの幼馴染の女の子が毎朝迎えに来るという、特定のユーザーからは血の涙を流して羨まれるであろう今の状況を持ってして尚、僕の顔色は優れなかった。
《良い朝だ、と私は言ったけれども》
 両手が自由になる画板のようなステンレス製の板を首にぶら下げながら、梔子高が小気味良いブラインドタッチ音をステンレス板上のパソコンから響かせて、僕に問い掛けてきた。
《今の君の心情を察するに、その限りではないようだ。……何か、あったのかい?》
「……梔子高」
《うん?》
「もしも僕が、『昨日、殺人犯に会ったよ』って言ったら、梔子高は信じるだろうか?」
《信じるよ》
 朝一番に目の当たりにしたい顔としてはかなりの上位に食い込むであろう朗らかな笑みを浮かべ、しかしそれとは相反して無機質な機械音声で、梔子高が答えた。
 自慢ではないが……いや、本心はどうかと言われれば実は自慢に他ならないのだが、梔子高のこういった表情を目の当たりに出来るのは、梔子高の御家族の方々を除けば、僕と、あと片手の指に収まる程度の少数の友人だけである。
《君が過去に、私を騙せた試しは無いだろう? 嘘を本当のように言うことも、本当を嘘のように言うことも、君は下手だからね。それに、君は意味の無い嘘をついたりはしない》
「……」
《会ったんだね?》
 それは「本当に?」という響きではなく、「それで、どうしたの?」という響きだった。
「明確には、殺人犯っていう言い方は正しくないのかもしれない。何て言ったら良いのか……血塗れの甲冑を着ててさ」
《甲冑?》
「血塗れ」よりも「甲冑」に、梔子高は反応した。確かに、どちらもどちらではあるが、日常会話に於いて使用回数が少ないのは、多分そちらの方ではある。
《甲冑と言うと、あの甲冑かい?》
「あの甲冑。本当に、バケツでぶちまけたんじゃないかってくらいでさ。背中に剣まで背負ってたんだけど、こっちもまたべっとりと……」
《出て来る場所を間違えた幽霊、といった感じだね》
 目をイコールの形にしながら顎を人差し指で掻き、余った片手でブラインドタッチをするという、大道芸人も舌を巻く奇芸を伴って梔子高が言った。富豪が自宅玄関に置いているような重装備の甲冑と勘違いしているのかもしれない。
《歩きながら話そうか。朝の通学路を歩く気だるさを紛らわす良い材料になるだろうし、今から学校までの通学時間を考えると、そこに雑談の時間を設けるには些かゆとりが足りなそうだ》
 言われるまでもなく、僕はつま先で地面をノックして足にしっかりと革靴を装着させ、そして歩き始めた。梔子高も、慣れた動作で僕の横に着く。低血圧で寝起きが悪く、来る日も来る日も遅刻ぎりぎりまで待たせてしまっている手前、これが本当の遅刻になってしまったら申し訳の欠片も無い。
 甲冑の誤解から解こうと思いながら歩く通学路の風景は、昨日見たものとは何も変わらなかった。


《白昼夢の類じゃないのかい?》
「ない。ほらここ、下敷きにされた時に擦り剥いた場所」
 一頻り、昨日の自分の体たらくを語って聞かせた僕は、ブレザーとシャツの袖を捲くって、前腕部分の擦過傷跡を梔子高に披露した。梔子高がそれを見て、指で下唇を撫でる。
《うぅん……昨日の昼食中に話した話題が話題だったから、よもやと思ったんだけどな》
「白昼夢なら白昼夢で、もう少し浪漫がある夢を見せてもらいたかったよ。カスカだのコミニカだのって、言っていることが何一つとして理解出来ないままだったもんな」
《かすか?》
「風景がガラスみたいに砕けた、って部分があっただろう? 理屈はさっぱり解らないけれど、それがカスカってのらしいんだ」
 無音の時間が、容量が三分の一程度になっている飲みかけの缶コーヒーを一気に飲み干せるくらいの間続いた。
「信じるって言ったこと、後悔してるだろ」
《どうして?》
 梔子高が小首を傾げた。《どうして?》と聞く方が「どうして?」である。
 梔子高はここまでの一連の会話の中で、一度も僕のことを疑わなかった。「錯覚」や「白昼夢」といった可能性の提示こそしたものの、決して僕の言葉そのものを疑ったりはしていない。
「どうして、そんな風に手放しに信じるのさ? 自分で言うのもなんだけど、仮に梔子高が僕に、今僕が言ったような話をそっくりそのまま話したとしたら、僕はとりあえず梔子高の手を取って精神病院の看板を探すと思うよ」
 仮にそれが白昼夢や幻覚の類だったにしても、それならそれで精神病院の扉を叩く必要がある気がする。
《うーん。それはしていらないな》
 梔子高が、そのまま有料化してもそれなりに利益を得られそうな朗らかな微笑みを漏らした。そうして横一文字になった瞼がゆっくり開いて、その下から、綺麗な琥珀色の瞳が僕を覗く。
《何度も言うようだけれど、君の嘘は私には通用しないよ、ミヤコ。何年この距離を保っていると思っているのかな? 私は、君という生命体の生態に関するイロハに関しては、他の意見を一切尊重しない覚悟がある程度には詳しいつもりさ。そして嘘を言っているのが解るということはそれ即ち、本当のことを言っているのも解るってことだよ》
 以上の長文を片手でタイプしながら、残った片手を手櫛にして、僕の襟足についた寝癖を整えた。
 実際、そうだった。
 僕が、ノンフィクションを語ろうが、登場する団体名・地名・人物などがいっさい現実と関係しない物語を語ろうが、梔子高は常にこんな風に、斜に首を傾げ、微笑みながら耳を傾ける。
 しかし僕とて、伊達や酔狂で梔子高とこの距離を保っているわけではない。一見同じような微笑であっても、僕クラスの人間が見れば誤差は判別出来る。その数ミリレベルでの判定で差異が出てくる表情筋や唇の形で、それがどんな意味を持った微笑なのかを判断する観察眼には定評があるつもりだ。
 今の梔子高は、僕の与太話を信じて疑っていない。唇の右端と左端が綺麗に左右対称になっている時は、その話に疑いの念を向けていない時である。
「良い経験だったよ、楽しませてもらった」
 一ミリ、眉間が吊り上った。楽しんでなどおらず、ただ腰を抜かしていただけだからだ。
《カスカ、と君は言ったね?》
 プロファイリングもどきに勤しんでいた僕に、梔子高は不意に問いかけて来た。
《種明かしをしようか。実は私も、そのカスカと呼ばれるものに心当たりがあるんだよ》
「……」
《そんなに不安げな顔をしないでも大丈夫さ。私とて、その単語に対する心当たりが生まれたのはつい先日。つまり、君がその摩訶不思議現象に遭遇した日と同じなんだ。つまり、このカスカという単語が世間様の流行になっているわけでもなければ、ましてや君が無知なわけでもない》
 成る程。
 そう思った。何のことはない。
《私の場合、それは自室で発生したね。それに甲冑の美女ではなく、小さな男の子だったよ》
 事情を把握しているのだから、疑う筈が無いのだ。
「意地が悪いじゃないか、何でもっと早く言ってくれなかったんだ」
《ついさっき、他ならぬ私自身が君に言ったのさ、『白昼夢の類じゃないのか?』とね。私だって半信半疑だったんだよ、本当にあれは現実として起こったことなのだろうか、と。だけど今の君の話を聞いていると、どうにも私のそれと類似する部分や合致する部分が、偶然の産物として処理するには些か強引になってしまうほどに存在する。違う人間が異なる場所で、似たような白昼夢を同時に見る。これもまた、偶然として片付けるには惜しい材料だね。つまり、私と君が同じように経験したその事象は、おそらく何かしらの関連性を持ったものだと私は推理するよ》
 ……つまり、である。
 この、自分の意思を言葉で伝えることすら機械に頼っている怠慢の化身は。
 この、経験してもいない早朝ランニングの素晴らしさを、何となく納得出来てしまう度合いで語り続けることが出来る演技の天才は。
 この、何をするにも用心深く、物事をフカンで捉えることを十八番とする優秀な幼馴染は。
「安全策を取ったな?」
《君の右手を私の左手に精神病院の看板を求めるデートを満喫するのは、ご勘弁願いたかったものだからね》
 グゥの音も出ない。確かに僕は、ほんの数分前に、お説ごもっともであることを口走っていたからだ。
《そうむくれるなよ。私はただ君に、頭のイカれた野郎だと思われたくはなかっただけさ》
「僕は言ったぞ」
《君にはそれが出来る。私にはそれが出来ない。それを一番よく解っているのは君だと思っていたんだけれどな。私は少し自惚れていたのかな?》
「……」
 いちいち、真理を突いて来る娘だと思う。
 
 
《ミヤコ》
 梔子高が、長い間共に連れ添った仲であるからこそ侵入が許される距離にまで、顔を近づけて来た。
《今日、学校が終わったら、私の家においでよ》
「何だって?」
 マゼンタとイエローが鮮やかに混ざり合った瞳を真っ直ぐ僕の瞳に向けて来る。当然、僕は思春期なのだから、胸の一つや二つは高鳴った。
 梔子高の家に最後に上がり込んだのは、何年前だったろうか?
 あの頃はまだ、梔子高は、ちゃんと己の口で主張をしていた。梔子高がTTSに頼るようになったのが中学一年。今から四年ほど前だから、つまり少なくとも四年以上遡る計算になる。
 何故梔子高がTSSに頼るようになったかは、説明出来なくはない。特に後ろ暗い理由があるわけでもないのだ。それに実のところ、喋ろうと思えば、何の不備も無く普通に喋れる。
 ただ何と言うか……幼少時の罪の無い残酷な仕打ちの後遺症というか、梔子高の僕に対する意地というか、そういう類のものだ。それで納得して頂ければ有難い。
 それはともかく。
 五年無いし四年以上前だ、梔子高の家に最後に上がり込んだのは。
……まだお互いの家に行っても、おばさんに挨拶をして、テレビゲームで遊んで、お菓子をご馳走になって、場合によっては夕飯もご馳走になって、それでも何事も無く帰路につく事に、疑問を感じずにいられた年だ。
「っ?」
 違和を感じた。違和を感じたから、顔を微かに仰け反ったのだ。
《残念だけど、というのも自惚れかな。君の想像しているような色っぽくて甘酸っぱい展開にはならないと思うよ。ただ、君に見せたいものがあるんだ》
 そうキーボードに打ち込んだ梔子高の顔は、既にいつも通りの距離に戻っていた。
《さて、学校が終わったらと言った以上は学校に行かないとね。私の視線右下には、既にのっぴきならないような時刻が表示されている》
「……たまに、梔子高が何を考えているのかが解らなくなる時があるよ」
《のっぴきならないような時刻、って言ったんだけどな。その話をしている余裕は無い筈だよ?》
 いけしゃあしゃあと、梔子高が微笑む。のっぴきならないような状況だったから、やったに決まっているのだ。
《何も、考えていないさ。君が相手なら、何を考えずにいられるんだ。それに、何かを思案していたらこんなことは、ね?》
 その疑問系を最後に、梔子高は僕を置いていくようにすたすたと歩いていく。グリニッジ標準時間に設定されている梔子高のデスクトップクロック同様、僕の腕時計ものっぴきならない時刻を表示していることは揺ぎ無い事実であり、僕には梔子高の後を追い駆けるくらいしか出来ることは無かった。

 唇には、まだ柔らかい違和感が残っている。

       

表紙

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Neetsha