Neetel Inside ニートノベル
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賭博異聞録シマウマ
第二十七話 牙……

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「ロン。ピンフドラ1。2900」
 倉田がうっと息を詰まらせたが、天馬に催促されるとのろのろと点棒を転がした。
 親のヤミテンでまんまと連荘……しかし天馬はぎゅっと唇を引き結び、体を硬直させる。
 いま必要なのはこんなケチな安アガリではなかった。
 もっとこの場全体を根底から揺らがすような、そういうアガリだ。
 さっきからこちらを見ようとしない対面。
 やつの鼻っ柱をへし折ってやらねばならぬ。
 でなければ、天馬は負けるだろう。
 あっさりと……。

(このままいけば、あと一回あいつの親番がある。
 やつの運からして、何も起こらず終わるってことはないだろう……。
 そこで一気に離されたら、差はますます広がっちまう。
 オーラスはオレの親だけど、そんなの期待できねェ。
 今なんだ。
 勝つ時は、今しか――)

 天馬は額に手をやった。不恰好に巻かれた包帯の隙間から傷口に触れる。
 わざと痛みを発するように、ぐっと中指で圧迫し、指の腹の下に血がにじみ出る感触があった。

 痛い……。
 けど、それでいい。かまわないんだ。
 オレはもう、こんなものに怯えたくないから。
 さァ……来い!

 血を拳の中に封じ込め、卓をにらみつける。
 自動卓の中央で二つの賽が回った――
 一四の五。
 天馬の目が、スッと細められた。

 *****

(軽くていい……早い手……!)
 逃げたい時、これまでいったいどれほどの人々がそう願っただろう。
 点数上で天馬を上回っている雨宮はとり終えた配牌をそっと立ち上げた。


<雨宮 配牌>

     


     

 一二二三三五②⑨1236東

 悪くない。東を鳴かれたら天にツバ吐くほかないが、そこさえ処理できればピンフまっしぐらだ。
 もしかしたらこの局が大局的に勝負の分かれ目になるかもしれない、と思い雨宮の背筋が自然と伸びた。
 しかしなかなか局が始まらない。
 天馬が切らないのだ。
 ふと見ればドラ表示牌すらめくられていない。
 そのことを早口で告げると、天馬は慌てて自分のヤマの三番目の牌を裏返した。
 この時、手中の牌と入れ替えていないか雨宮は注意を飛ばすがそんな気配はなし。
 ドラ表示牌は6ソウ。
「なあ、王牌ってここまでだよな」
 ちらりと目をやると天馬が倉田のヤマの左から二トンを指で示している。
 雨宮が頷いてやると、天馬はその二トンを自分のヤマにくっつけた。
 雨宮は今度も空いている天馬の左手をじっと注視していたが、ぶっこ抜きに類するような入れ替えをしている気配はなかった。
 特に大した意味もない動作だったのか、あるいは臆病風に吹かれてイカサマをやめたのか……。

 *****

 三順目、天馬のツモでそれは起こった。
「おい、どこツモってんだっ!」
 倉田の怒声も空しく、天馬はその牌を見てしまっていた。
 天馬がツモったのは倉田のヤマの一番左端の上山。流局寸前のところだ。
 八木のヤマが終わったあと、雨宮のヤマではなく倉田のヤマに手を伸ばしてしまったのだ。
「悪い悪い、寝ぼけてたみたいだ」
「ふざけんな、早く戻せ! チョンボにしてやろうかっ!!」
 倉田は顔を真っ赤にし、そこら中にツバを吐き散らした。
 おそらく積もりに積もったストレスが爆発したのだろう。
 ミスがどうのというより、ただ喚きたいだけのように皆の目には映った。
 天馬は再度詫びながら、その牌を戻すとき、すっと上山と下山を入れ違いにした。


 それを雨宮は見逃さなかった。


 一瞬のうちに天馬の手を捕らえると、卓に叩きつけた。天馬の手からぽろりと牌が零れ落ちる。なんの牌かは見えない。
「てめェ、入れ替えたな。自分が見た牌を下にしやがった」
「な、なんのことだか――」
「とぼけるな。ケチな野郎め――なにを狙ってた? ハイテイか? くだらねェ浅知恵使いやがって……」
「だからなに言ってるのかわからねェって」
「てめェの言い分なんてどうでもいい。おいカガミ、あんたはどうだ。見てたか」
 振り向いた天馬とカガミの視線が交錯した。
「入れ替えていました」
 天馬はぐっと押し黙った。雨宮はニヤリと笑う。
「チョンボだな、クク……」
「いえ、そうではありません」
 雨宮の眼光が烈火のごとくカガミを襲った。
「イカサマだろうが」
「勘違い、ということもあります」
「味方するのか?」
「とんでもございません。ただ……この勝負、多くのイカサマを行ってきたのは雨宮様の方です。
 本来なら、さきほどの国士の弾丸を見抜かれた時点で、これまでの勝負……たとえば雨宮様が勝利なさった二回戦をチャラにされてしまうこともありえました。
 それに目を瞑ってもらい、いま勝負させてもらっているのは……あなたなのです」
「…………」
 雨宮は天馬の手を離すと、自分でしっかりとツモヤマを直した。
 しばらくBGMには、雨宮の呪詛の言葉が混じることとなった。


 *****


 中盤戦に差し掛かった頃、雨宮の手は詰まっていた。

<雨宮 手牌>

     


     

 一一二二三三②123667東

 東は相変わらずションパイ。
(焦るなよ……三色なんかこだわっても意味ねェ……
 ここは②ピンはずしで大丈夫だ……)
 最悪、東単騎になってもイーペーコがある。リーチをかけずともオーケー。
 まだまだ自分のツキは落ちちゃいない。
 恐れることはない。
 いつものように終わるのだ、今夜も。
 自分の勝利というありふれた形で。

 ***

「ポン!」
 天馬がびくっと肩を震わせた。
 これまで倉田の数倍のガードで放銃を回避し続けた八木が珍しく攻めに回った。
 白を鳴きさらし、打四萬。
 先ヅモしかけていた倉田が牌を戻し、それを天馬が掴んだ。
 しばらく手牌の上に置いてかちかち鳴らしていたが、やがて手の中に入れて打八萬。
 八木は手を倒さない。しかしテンパイしているだろう。
 すると八木は口をかすかに開き、獰猛そうな大きい犬歯を舌でなめた。
(待ちはソーズか……)
 ちょうど自分の手牌の中には6,7ソウといかにもアタリくさい牌がごろごろしている。
(決まったな……)
 倉田がサインを受けて2ソウ打ち。しかしこれはアガらず。
 雨宮は③ピンをツモり、ドラの7ソウを打った。
 牌をさらしたのは――





「ポン」

 ――天馬。
 親のドラポン。マンガン確定。
 アガれば雨宮との差はひっくり返る。
 致命傷の7ソウ打ちだった。

「さて、どうしようかな……」

(早くしやがれ、このクソッタレが……。
 テンパイさえしていなければ。八木に差し込んで終わりなんだ……!)

 いや、いっそ天馬が八木に振り込んでしまえばいい。
 そう思った次の瞬間、天馬が打った牌は3ソウ。

(やった――!)

 しかし八木は手を倒さない。雨宮は再び灰皿に伸びかけた手を必死に押さえた。
(このドクズが、いったいなに待ちなんだ!)
 八木の河にはマンズ、ピンズが多いものだからてっきり雨宮は染め手と推察していたが実は違った。

<八木 手牌>

     


     

 七八九⑦⑧⑨79三三 白白白(→)

 白三色ドラ1のカン8ソウ待ちである。
 アガりたくても、7ソウも3ソウも倒せない手だった。

(クソ、クソ、クソ!
 どいつもこいつも役立たずのゴミ畜生め!)

 苛立ちばかりが募り、状況は悪化の一路。
 しかしそんな雨宮に曙光が差した。
「あっ――!」
 理牌しようと牌をごちゃごちゃやっていた弾み。
 慌てたところでもう遅かった。


<手牌>

     


     

 六七八④⑤⑥⑦⑦⑦ ? 777(↑)

 天馬の倒された十二枚に、視線というスポットライトが浴びせられたのだった。






(やってくれたぜこのカス。待ちは単騎か……ピンズを絡めた変化形……?)
 倉田はタンヤオドラ3にびびったのか、それとも手になっていないのかヤオチュウ牌の9ソウ切り。
 お、今度こそこれで八木がアガるか、と思ったがまたもやアガらず。
 本当にテンパイしているのか不安になってくる。
(まァ愚形だったんだろうが……カン8ソウあたりか? いまさらわかってもしょうがねェがな……)
 雨宮のツモは③ピン。トイツった。
 もし天馬の見えなかった牌が③ピンか⑥ピンならアタリ牌だ。
 当然止め、ずっと苦しまされてきた東をやっと河へ逃がした。
(……わざとか?)
 天馬は痛恨のミスをしたにしては、落ち着いているように見えた。
(ピンズの多面張なら見せてもツモれる。八木のテンパイ気配を察して、脅しをかけにきたのかも……)
 もしそれを目論んでいたのなら、天馬は大成功を収めたことになる。
 八木はこの順でド本命の⑤ピンを掴んで9ソウ切り。オリたのだ。
 雨宮も手出しの9ソウから八木の戦線離脱を察している。
(となると俺しか選手がいねェかな……)
 雨宮の手は一見バラバラだが、今の③ピンを重ねたことによってチートイツのイーシャンテンになった。
 さらにこぼれ牌の1ソウや3ソウは天馬にとって安全牌。
 まだまだ勝負を仕掛けられる状況だった。
 しかし雨宮はすぐ呪うことになる。
 己の豪運を……。

(また③ピン……クソっ!)
 ③ピンはもっともありえそうな③-⑥、②-⑤-⑧待ちに直撃する。

<天馬 ③ピン待ちの場合>

     


     

 六七八 ③④⑤⑥⑦⑦⑦ 777(↑)

(1-4や6-9と違ってこの待ちはタンヤオでアガれないヤオチュウの筋がないからフリテンになる恐れがない……見せ牌するならまずこれだろう……)
 しかし、その心理を逆手にとってマンズやソーズのど真ん中単騎かも。
 結局、天馬の見えない13枚目の牌に雨宮たちは左右されるしかないのだ。
 雨宮はついにイーシャンテンを崩し、3ソウ打ち。
 天馬が通ってない手中の牌を打ってくれることを期待するが、打中。
(こんなところで不ヅキに助けられてんじゃねェ、クソバカ!)
 そして雨宮ツモ、二萬。アンコである……。
(切れない牌を重ねてどうすんだよ……)
 口内で蚊が百匹ぐらい産卵したような最悪の気分で、1ソウ打ち。
 そろりそろりと忍び寄ってきていた……安牌ゼロの足音が。

 *****

 流局まであと四順……
 雨宮は、処刑台の上に立っていた。

<雨宮 手牌>

     


     

 二二二三三③③③④2266
 ツモ:①ピン

 ようやくヤオチュウ牌を引いてきたが、それも流局まで保ってくれるかどうか。いまや河はヤオチュウ牌と、天馬が切った数牌で埋め尽くされている。
 なのに雨宮の手に安全牌が増えることはないのだ。
「なァ雨宮……」
 最初、自分が呼ばれていると気づけなかった。それほど追い詰められていたのだ。
「なんだよ……」
 天馬は卓に両肘をついて、こちらを見ていた。
「オレはずっとおまえが羨ましかった……。
 なんでもできるおまえを見ていると、誇らしい気分だったよ」
「だから?」
「おまえと入れ替われたらって祈っていたよ……。
 来る日も来る日もオレは最悪で……
 なにもない、空っぽの人生だった」
「お似合いだ、そのまま死ね」
「ああ、死のうと思っていたよ。月曜が来る前の日曜日、もう何回、木からロープをぶら下げたかわからない」
 でもな、と天馬は続けた。
「オレは死ねなかった……。いや、死ななかった」
「今からでも遅くない、死んじまいな。それがみんなのためさ」
「そうかもしれない……。
 でもオレは生きるよ」
「勝利の女神に見放されててもか?」
 天馬はツモった牌を河へ捨てた。

「勝利の女神が振り向いてくれないなら……胸倉を掴んで、お高く止まったその鼻に」

 2ソウ。

「頭突きを喰らわしてやるんだ」


 *****


 どういうわけだろう、ようやく雨宮の手に安全牌が二個も増えた。
 語りたがりのかっこつけめ、余裕ぶるからツキが逃げるのだ。
 ツモった牌はまたもや危険牌だったが、悠々と2ソウを打つ。
 これであと二順。最悪のときは五種の中からランダムに一種捨てるしかない。
(俺なら潜り抜けられるはずだ、その程度の確立……!)
 最後の2ソウも捨て、ラス牌をツモる……これが通れば流局である。
(俺は正しい……いつだって……絶対に……
 負、け、る、も、の、かっ――!!!)



 タァン…………




「クククク……」




 笑っているのは……




 雨宮……。



「な? おまえが俺に勝つなんて……万にひとつもありえねェんだよ」

「…………」

「ちょっとドキドキさせられたが、まァ楽しい暇つぶしぐらいにはなったぜ。
 ありがとよ、シマウマくん」

 雨宮の河の最後を飾ったのは西。
 タンヤオに絶対に絡めない西――
 天馬も、シマも、カガミも、みながその牌を見つめていた。


「オレは……シマウマだ……」
 俯いていて、天馬の表情は見えない。
「いつもそうなんだ……肝心なところで負けちまう……」
 そのザマを見て、雨宮は喜色満面を隠そうともしない。


「……でもそれは違った。
 オレは負けてたんじゃない。
 逃げていたんだ……。
 勝負することから……闇雲に……。
 だからオレは負け犬にすらなれていなかったんだ……今夜まで……
 シマウマ……ただ食われるだけのシマウマ……」

「ごちそうさん。ま、運命ってやつだ。
 王は王、奴隷は奴隷。
 綺麗に色分けされてる方が、誰も夢見なくて済むのさ」


「そんなシマウマにも……すぐ食べられちまうシマウマにも……
 闘わなきゃいけないときがあるんだ……
 負けることも考えず、突っ走らなきゃいけないときが……!」

 天馬は顔を上げた。その目にはあふれんばかりの輝きが湛えられている。

「これがオレの全身全霊の一撃……
 ライオンの喉に喰らいついた……
 オレの牙――っ!!!!」



 伏せられた牌が開かれた。

 ハイテイドラ3――――




 ――――逆転。

     


       

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Neetsha