Neetel Inside ニートノベル
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賭博異聞録シマウマ
第十三話 思考の泥沼

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 書斎の中の雰囲気が重苦しいのは、いまにも崩れ落ちそうな書物の圧迫感のせいだけではないだろう、と倉田幸介は思った。
 八木がそわそわと点棒を出したり入れたり、それが済むと今度は前髪を気にしたりしている。
 殺意のオーラを全身から放出している雨宮のことを是が非でも視界に入れるつもりはないようだ。
 そりゃそうだ、と倉田は思った。さっき倉田も八つ当たりで殴られ、口の中はヘモグロビンで一杯だ。
 そう、誰も予期していなかったのだ、この敗北を。そして、自分たちが敗北してはならぬ、というプレッシャーを背負うなどと。

 この時、雨宮家の全財産が馬場天馬によって相続されていることを知っていたのは、雨宮秀一ただ一人だった。
 倉田も八木も、今回の勝負はこれから半永久的に毎月万単位の小遣いが支給されるためのものだと聞かされてここに来ていたのだ。
 それが、どういう場の流れか、いまやこのまま次の半荘も落とせば地獄行き。
 生涯ただ働きか、臓器を全部持っていかれるか……倉田はぶるっと身震いした。彼は口や態度は大きいものの、ホラーゲームやオバケ屋敷は必ずパスする。夜はたまに電気を点けたまま寝さえするほどの、いわゆる臆病者だった。だから、本来はこんな生き死にのギャンブルをするような器ではない。
 普通に生き、普通に死ぬはずだった。強者にへつらい弱者を踏み躙る、平凡な人間……。
 あのシマという女が、そのすべてを狂わせてしまったのだ。
 最初に現れた時はなんでもない、ただ態度が大きいだけの少女にしか見えなかった。麻雀どころかババ抜きでさえ負けそうな、ほんわかしたイメージをまとっていた。
 正味のところ、倉田のタイプにストライクしていなかったといえば嘘になる。だから、勝ったときのことを考えると、さっきの半荘は気が気ではなかった。
 いまは自分の身のことだけで頭がパンク寸前だ。さっきまでバカな妄想をして喜んでいた自分を張り倒したい。
 これは狩りではなくなったのだから。
 もうここまで来たら雨宮のほかに頼るものなど思いつかない。
 どんな時も冷静かつ残忍に策を考え出してきた彼なら、あの悪魔のような女も撃退できるはずだ。できてもらわねば困る。
 ちらっと頼れるリーダーに目を向けると、刃物より切れそうな視線が戻ってきた。
 恐ろしい。しかし勇気を出してなにか言おう。このままでは休憩が終了してしまう。
「なあ……雨宮。これからどうする?」
 雨宮はこちらを見もせず、卓を睨みつけている。
「どうするって?」
「だから……このまま次の半荘に入っちまったら……その……負けるかもしんねえじゃん?」
「そうッスよ……なにか対策を立てないと」
 八木が話に乗っかってきた。恐らく話出すタイミングを窺っていたのだろう。さきほど殴られた鼻が赤くなっているのがマヌケだ。
「ああ、あの代打ちさえ認めてなければ……」
 倉田の口からこぼれ出た後悔は、八木の本音も呼び起こした。
「あの馬場だけなら、もうとっくに殺せてましたよね……」
「いまからでも勝負を無効にできねえかな……人質とかとってさ」
「……あのジャッジの人質になるような人間なんて、いるんスか……? すげー冷たそうじゃないっすか、あの人……」
「ああ……なんでこんなことに……」


 ドン!


 雨宮が背後の壁を殴りつけた。木造建築の壁が砕け、倉田たちの口はぴたりと仕事をやめた。
「いいか、黙れ。黙るんだ。そんなことくっちゃべってて何になる? あ?
 もう後戻りはできねえんだよ。いい加減に悟れ。
 倉田、八木。おまえらに難しいことは要求しない。けどな、せめて落ち着け。
 とにかくこれからは、シマが何をやってきても、言ってきても、無視しろ。
 どの道、おめえらが頭ひねって罠にはめられる相手じゃねえんだ。
 頭なんて使わなくていい。やつの待ちを、完璧に避けることだけ考えろ」
「でも、そんなに回してばっかじゃ点棒が稼げないぜ……もしそのまま押し切られたら……?」
「されたら、それまでだ」
 八木の顔が青くなる。
「ちょっ、それまでってどういう…………あ、いやその、すいません、調子乗りました。でも、まだあのサマがあるじゃないですか。それさえあれば、いつだって……」
 結局、八木は頭をはたかれることになった。
「気づいてんだよ、アイツは。わかってて、あえて言わないんだ。現場を押さえりゃチョンボだからな……。
 いまはただ、機を待つんだ。そのために、あえて平凡な打ち回しに徹しろ。いいな……。
 必ずヤツが崩れる瞬間がある。そこを狙い撃つ……この俺が」
 かつて見たこともないほど真剣かつ切羽詰った雨宮の顔に、二人はごくりと生唾を飲み込んだ。




「や、待たせてメンゴ」
「おまえ、さりげなく死語好きだよな……」
 シーン……と書斎の中の空気は落ち込んでいる。明るいのはシマと電灯ぐらいのものだ。
 まるでデートに行く途中かのようにシマの足取りは軽やかだ。一方、そのうしろをついてくる天馬は亡霊のように暗かった。
 すでに定位置の本棚の上に腰かけたカガミが宣言する。
「それでは、半荘第二回戦を始めましょう。シマ様、卓にお座りください」
「はあい」
 倉田と八木に緊張が走る。雨宮はさっきから顔中しわだらけだ。
 この半荘に負ければ……
 死。

 いやだ、帰りたい。
 こんなくだらないことで、どうして俺が命を落とさなきゃならないんだ……。
 俺はただ……毎日を楽しく過ごしたかっただけなのに……。


 たとえ、それで誰かが傷つくことになろうとも……。




<東一局 親:雨宮 ドラ發>

 倉田は震えそうになる指先をなだめながら、理牌していく。

<倉田 配牌>

     


     

 五①③④⑥⑨2346東白發
 ツモ:三萬
  打:⑨ピン

 倉田はちらっとシマを窺う。理牌の手つきが素人のものではない。やはり雨宮の言うとおり自分では太刀打ちできなさそうだ。
 しかしこの手……役牌が重なるか、平和手に順当にまとまっていけば早い。アガリも考えながら打つべきだろう。

 そしてシマの手牌からようやくチュンチャン牌がこぼれだし始めた頃……
 シマ打:發
「ポン!」

<倉田 手牌>

     


     

三四五③④⑥2345
(←發發發)

 あとは1メンツと頭だけだ。少し焦り気味のドラポンだが、シマへの牽制になるかもしれないし、これでいい。
 そう思い内心でほくそえんでいた倉田の目論見は、次順にあっさり蹴られることになる。
「リーチ」
 シマのリー棒が卓を転がったのだ。

<シマの河>

     


     

西 發 東 9 一 ① ③ 八 五 1

 倉田は天馬と違って実際に牌を使って麻雀を打つタイプだった。かといって経験値において圧倒しているとはとても言えない。
 彼は親からもらった小遣いやバイトで稼いだ金をちびちびと、あと天馬から巻き上げた金をぱあっと注ぎ込むくらいの博打しかしたことがない。
 とても相手のテンパイを読めるようなレベルの男ではなかった。
 それでも、最後まで引っ張った1ソウの側が危険だということは感じていた。
 13ソウとあるところに4ソウを引いてきて打1ソウなら待ちは25ソウである。


<倉田 手牌>

     


     

三四五③④⑥2345 (←發發發)
ツモ:四萬

 いまツモった四萬も通るとは言いがたい……。安全を追うなら③ピンか五萬か……。
 なんにせよ、暴牌して一発フリコミなど論外だ。今度は雨宮に灰皿で叩かれるかもしれない。
 結局、倉田はアンパイの③ピンを切った。

 雨宮:9ソウ
 八木:五萬
 シマ:7ソウ

<倉田 手牌>

     


     

三四四五④⑥2345 (←發發發) 
ツモ:⑤ピン

 カンチャンの⑤ピンを一発でツモってきた。通常の麻雀ならノンストップで打四萬、2-5ソウのテンパイをとるのが定石だが……ここは無理できない。

 倉田:五萬
 雨宮:7ソウ
 八木:八萬
 シマ:白

<倉田 手牌>

     


     

三四四④⑤⑥2345
(←發發發)
ツモ:2ソウ

 少し心が動揺した。四萬を通していれば上がっていた……。
 いや、そんな時だからこそ、やつの待ちは逆に四萬で確定なのではないだろうか。
 こちらの打ちたい牌に狙いを合わせて来るのがシマなのだ。自分はやつのアガリ牌を二枚も潰した。そう考えれば悪いことではない。
 ここはスジを追って4ソウか……。
 ……。
 待てよ……。
 あのリーチ牌の1ソウ……。
 この形からリーチした可能性も……。

<シマ仮想テンパイ>
 135 ??? ??? ??? ??
 打:1ソウ
 待:4ソウ

 通常、この形なら5ソウ切りリーチがもっともアガリやすい。スジを追って2ソウが一発で振り込まれる可能性が高いからだ。
 しかし、やつはそれを逆手に取って、あえて1ソウを切って4ソウ待ちにしたのでは……?
 やつなら……役満直撃をひっくり返したシマならありうる。
 ……考えすぎだろうか。確かに、迷彩となる7ソウはあとから引いてきたのだ。それが来なければ、ただ誰も打たないだけのクソリーチには他ならない……。
 倉田の思考は、どんどんと迷走していく……。
 發をポンしなければこんなことには……。
 四萬を通しておけば……。
 やつの思考を考えれば……。
 135ソウからの打1ソウ……。
 やはり、それはありえないように思える。
 やつは上がれる公算が高い方に打ってくるはず。
 つまり2-5ソウか重ねてきた四萬のスジがアタリに間違いない――!

 倉田:打4ソウ





「それだよ……」

 バラッ
 
<シマ 手牌>

     


     

五五六六七七 35 678 北北

「リーチイーペーコ……裏ドラが……」
 裏:北
「ドラドラ。マンガン。ふふ……ごめんね、いろいろ考えさせて」
 呆然とする倉田の手元から、シマは8000点を奪い取っていった。
「ごちそうさま。……あ、うしろ」
「え……?」


 ごつん。


 灰皿は冷たくて、硬かった。


シマ:33000
倉田:17000
雨宮:25000
八木:25000

       

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