Neetel Inside 週刊ヤングVIP
表紙

うわーーーお今より熱い愛が欲しいかい?
69ページ以降セパ

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ハイスクール高校

 01.Unproducing man


  俺はもう美術室の四角い椅子の上で,半日以上うなり続けていた。

「石の上にも三年というじゃない、元気出しなよ」
と言いながら、美術部顧問の石橋先生が俺の横へとやって来た。俺はその言葉を聞いて俯く。すると頭をがしがしと鷲づかみにされる。この先生のこういう所が好きだ。こうするだけで簡単にこころを落ち着かせて、全てが許されるような気分になる。その瞬間、俺の頭の中には黄色くて暖かな、ふわふわとしたイメージが浮かぶ。俺はぱっと顔色を明るくし、先生に向って叫ぶ。
「出てきました!先生!俺、描けそうです!」
そう、と漏らすと一歩下がって、描いてみな、と言う。そして俺の腕は、25号の真っ白なキャンバスを前にして、活き活きとしたラインを描き出す。・・・はずだった。
「先生」
「どうした?もう終わり?」
「見られていると思うと、緊張しちゃって」
「そう。・・・それは悪い事をしたね」
そして溜め息を吐くと、石橋先生は部屋から出て行く。あるいはその溜め息は俺の幻聴だったかもしれない。また、幻滅されてしまった。そしてその後、学校がしまる時間まで俺はずっと残って描こうとしたが、結局何を描くことも出来ず。俺はとどのつまり、何も生み出す事ができない男だ。蝉時雨が和らいで、夏もそろそろ終わりに差し掛かろうとしている頃のこと。白いキャンバスに穴をあけ、何もかもを捨てて、逃げ出した。

     


 街まで走る。陽はとっくに山の向こうに降りてしまっている。走り疲れると息を切らして立ち止まる。隣には店の窓。そこに映っていたのはおよそ全ての負の感情を浮かべた、泣き出しそうな男の顔。何故だろう、笑いが込み上げて来た。俺は道化だ。壊して逃げ出して、辿り着いたこの場所で、涙を浮かべながら笑っている。道化じゃなかったら何だと言うのだろう。

俺は自分の家に辿り着くと、玄関の鍵を開けて入りこむ。俺の家は1LDKのアパートだったので、泣き顔を誰にも見せずに済んだ。もしこれが前の実家のままだったとしたら、最悪な事態になっていただろうな。そう考え、ふ、と俺は微笑を浮かべると、力も無くベッドに横たわる。

―そんなだからお前は、何も産み出せずにいるんだ―

と、浅い眠りに捕らわれるかどうかという所で、頭の中で声がする。それは父親の声だ。辞めてくれ。勘弁してくれよ。何でいつまで経っても俺の邪魔をするんだ、父さん。

―お前など、消えてしまえ―

嫌だ、聞きたくない。こんな声、聞きたくない。

―ごめんね、ごめんね―

それは母さんの声。

―本当にごめんね―

やめてくれ。そんな事を言わないで。

―産んでしまって、ごめんね―

「やめてくれ!!」
と絶叫しながら目が覚める。おぼつかないまま、俺は立ち上がると、部屋の中を行ったり来たりしていた。意識が明確になると、俺は思い出す。そうだ、絵を描かなくては。俺はさっそく机に向って、紙と鉛筆を用いて、絵を描き出す。最初は良い。だがその内駄目になってしまう。そうだ、いつも俺はこうなんだ。何をしても駄目で、続かない。小さい頃から俺は習い事を沢山、それは沢山やってきた。だがそのどれもが中途半端、いつも投げ出してしまうのだった。そう、いつもそうだ。続かない。今日だって、キャンバスを目の前にして感情が爆発してしまった。気が付くと朝に成っていた。今日はたしか、始業式がある筈だ。だがそんな事を考える余裕は無かった。目の前に紙がある。ならば俺はそれを埋めなければならなかった。こういうのを強迫観念と呼ぶのだったか、どうだったか、よく思い出せなかった。母親の悲痛な、父親の怒鳴るような、それぞれの声がずっと頭の中で反響していた。

朝焼けの陽が窓の向こうの山の上から昇り、照り付いていた。

     


 長い休みがあけて、始業式が行われた。
美術室に大きな白いキャンバスが一枚あった。まだ絵の具も載っておらず、立派に使えたはずの白い紙のど真ん中には、男子高校生のこぶし程の穴ががっつりとあいていた。始業式が終わって生徒達が帰宅する頃、それを発見した美術部員の女子が携帯で撮影していると、いつの間にかその背後に居た美術部顧問が頭を殴りつけ、携帯電話を取り上げた。
「いだっ・・・!げっ、たかちゃん先生!」
その小さな女生徒は、いつの間にか背後に近づいていた女教師を見上げておののく。
「こぉーら、こんな物持って来ちゃいかんだろ~が?」
そう言いながら、石橋貴子(いしばし/たかこ)は女の子の携帯をにらみ、不手際ながらも操作した。
「あっやべ、すまん。二階堂・・・全部消しちゃった」
その女の子は携帯を引っ手繰ると、画面を見つめてあんぐりと口をあけて叫ぶ。
「私の二年間の思い出が!」
「すまんこ、じゃねえよ!この!この!返してください!私の思いでえ!」
ぼかすかと石橋を殴りつけているこの娘の名前は、二階堂史絵(にかいどう/ふみえ)。140cm後半くらいの小さな、黒い髪が肩まで伸びた可愛らしい二年生の美術部員の、これまでで合わせて14個の賞を獲得した女の子。作品に広がりがあって多作な、文句無く実力もあり見所もある、言わば天才という名がふさわしい女の子だった。

今朝、学生達が登校してくる前の早い時間に、美術室に入って驚いた。ある生徒のキャンバスに、たぶん誰かが殴った痕のような、大きな穴が開いていたからだ。というか、間違いなくその穴はその生徒自身で開けたものだろう。彼は悩んでいた。彼は傷つきやすい、どこにでもいる普通の10代の若者だった。そんな彼がこんな天才的な女の子に笑いものにされた暁には、彼が抱えた苦悩という爆弾によけいな推進剤を投入して、導火線に火を付けるも同然だ。だから貴子はいま、この女の子が余計な真似をしないよう、事前に火を消し止めたのだった。貴子は問題のキャンバスを見つめた。

「二階堂、このキャンバス、誰のものだか判るか?」
二階堂は頭を縦に振り、そのキャンバスを振り返ると、石橋に向き直って言う。
「勿論ですよお。わかんないんですか?」
と勿体つけて(付ける意味がわからなかったが)、二階堂は解説を始める。
「白いようだけれど、よく見れば試行錯誤の跡。描き悩んだアトが見えますよね、という事は、犯人はいつも作品を描き挙げられない人!そして、見てください、背後の木枠まで粉砕したこの大きな穴!相当イラついたんでしょうねえ。気持はわかります。私も一度はやってみたいですもの!こんなしわざ、先輩にしかできないですよお」
「ああ、わかったわかった。もういい、それ以上言ってやるな」
貴子は深い溜め息を吐く。よく見てみると、なるほど観察眼鋭いこの娘の言う通り、彼のパンチはキャンバスを張る木枠まで叩き折っていた。
「二階堂」
「はいぃ?」
二階堂の眼差しは純粋無垢な幼い子供の目だ。好奇心で満ち溢れていて、それだけにキズ付きやすいものの触り方というものを心得ていない。才能のあるこの子だからこそ、解からせてやらねば、解からせてやりたかった。二階堂の両肩を掴むと、
「いいか。お前の言う先輩の事だ」
そのまま背後に移動させ、
「は?ぃぃい?」
椅子に座らせてやる。そうするとこの小さい子の顔は貴子のお腹くらいにまで下がってしまう。貴子は中座になって身長差を埋めてやると、目線を合わせて見つめあう。
「先輩は確かに、何も描けない男だ。いいか、それでも」
貴子は目に力を入れて言う。その瞳を黙って二階堂は見つめる。
「今のお前にはわからない事だろうけど・・・。人には必ずスランプに陥ってしまう時期がある。そんな時その人を助けてやれるのは、やっぱりその人自身だけだ。だけど、周りの人間がその人の状態を見て、笑っていたらどうだ?その人はどう思う?どんな気持になる?」
と問うと、いやなきもちになります、と小さく二階堂は言う。それをきいて貴子は大きく頷いた。
「そうだよな。・・・もう判ったか?私の言いたいことが」
はい、とやはり小さく返事をする二階堂。その顔は、俯いていてどんな表情をしているのかわからない。さてどんな反応が来るだろうか。この年頃の小悪魔ちゃん達は、それでも、と、自分の主張をしてきがちだ。自分の世界の物差ししか持たない、視野の狭い子供なので仕方が無いと言えば仕方が無いのだが。
「ごめんなさい」
素直に謝って来られると、どんな風に諭せば良いのか常々考えている教師としては、拍子抜けというか、腑に落ちない所がある。が、それでも良い。そんなことなんかどうでも良い。
「良いよ、謝らなくても。どうせ軽い気持ちで写メでも撮って、誰かに送ってやろうとか、そんな所だったんだろう?」
「はい・・・そうです。私、わかってました」
ふむ。貴子は二階堂を黙って見つめる。
「私、何となくわかってたんです。先輩が悩んでいる事、とか、いつも泣きそうな顔をして、美術室にいつも独りで居残って、キャンバスに向ってるのは、先輩が、頑張っているっていうこと。でもその姿を見てたら、わたし、なんでだろう・・・、腹が立っちゃって。いつも、私、先輩の事嫌ってる素振りばっか見せてました・・・」
二階堂の声は、身体は、小刻みに震えている。何という事だろう、このちいさな娘は、ちょっと私がプレッシャーを掛けただけで、その心のほころびを開き始めた。まさかこんなにもろい子だったとは。うん、うんと貴子は優しく頷いて、彼女の膝の上で組まれた手を撫でてやりながら聴いている。
「だめだな、って思ってたんです。わたし、これじゃだめだって思ってました。それでも、先輩のことを馬鹿にしたくて。どうしても止められなくて。さっきも、見つけた時に、友達にばらしてやろう、って、思って」
彼女の瞳から、大粒の涙があふれているのを貴子は見ていた。その告白は嗚咽混じりになってきた。
「ご、ごめんなさい。わたし、ほんとは。先輩の事嫌いなんかじゃ・・・」
貴子は彼女の頭を抱きしめてやる。
「うん、わかってるよ。二階堂は何も、なんにも悪くなんか無い。」
「で、でも、わたし、せんぱいのかげぐちとか、わざと聞こえるようにしてえぇ・・・」
貴子は苦笑いをする。そんな風にして彼の精神を蝕んで居たのか、この子悪魔ちゃんは。そりゃあ、彼だって荒むわ・・・。
「良い子だね、全部話してくれたじゃないか。二階堂。お前は偉いよ」
遂に声をあげて泣き始めたこの子は、きっと、今までその小さな胸の中に、罪悪感を積み重ねて来ていた。恐らく彼女は、懸命に絵に励もうとする彼の姿勢に妬ましさと、うっとおしさを感じていた。「どうせ何も出来ないくせに。」「頑張ってもむだなのに。」そんな彼女の心の中の暗い部分の処理の仕方が分からなくて、ずっと彼女は彼の事を小ばかにしていたのだろう。
「はいはい・・・もう泣かないで。」
「はっ、はい・・・ご、ごめんなさい」
彼女の髪を撫でてやりながら。
「謝んなくていいわよ。それって誰にだってあることだから」
「ほんと・・・ですか?」
「えーえ。もちろん。先生にだってあったわよ。そんな事、人生の中で2度や3度じゃ利かないわ」
ようやく彼女も落ち着いてきたようで、「うふふ。流石はたかちゃんだ、ぐすっ。伊達に長生きしてないね。」と軽口を叩いた。こめかみに青筋が浮いたが、それは恐らく気のせいだという事にしておこう。それから暫く二人で話し込んだ後、はああっと、彼女は大きく息を吐いた。
「なんだか、すっきりしました。先生に怒られて、良かったです」
怒った覚えは無いのだが。ああ、最初にグーで殴りはしたな。

「おっほん」
という声が二人の背後から聞こえてきた。そこに立っていたのは、財満津(ざいまつ)教諭だった。堅物で知られているこの人物は、彼のクラス、つまり3年2組の担任を受け持っている。
「あー、お取り込み中失礼しますが」
「はい?」
と受け答えるのは石橋教師。
「こちらにも、吉岡くんは見えてませんか?」
財満津先生はその不精な青ヒゲの残る顔面を揺らせながら尋ねる。
「はあ?」
石橋がまるで要領を得ない答え方をわざとすると、彼はこめかみをピクリ、と右だけあげて硬直する。その光景は一体いつから、誰が言い出したか、まるでパグそのもので、財満津教師から見て石橋の後ろに位置した二階堂は声を押し殺して笑う。
「と言うと?」
「来ていないのです。彼は学校に」
えっ、と石橋の後ろに居た女の子は声を漏らす。まさか、わたしのせい・・・。
「んな事は無いから、安心してな。」
よしよしと、後ろを見もせずに石橋がそう言うと、財満津は要領を得ないのか、またしても右こめかみをあげて硬直する。しかし今度は笑いは起きない。
「そうですか。いや、有難う御座います。」
「財満津先生、彼は確かこれまで皆勤で出席してましたよね」
「ええ、そうですが?」
うーむ・・・。これはちょっと不味いんじゃないか。石橋は頭を捻った。

吉岡亨(よしおか/とおる)。
件の彼とは吉岡亨の事だった。

「吉岡先輩・・」
と、石橋の背後で、か細い声がした。

     


 どれくらいこうしていただろうか。わからない。もうずっと部屋の中で絵を描いていた。

A4サイズのコピー用紙、クロッキー帳の紙、キャンバス用紙。描いては消し、描いては消して。ものは全く食べずに、たまに水を飲む程度。それをずっと繰り返していたら、ある時突然すさまじい腹痛が襲ってきて、死ぬかと思った。結局便所で用を足してからと言うもの、空腹感は綺麗さっぱりと消えてしまったのだが。俺はこのまま死ぬんだろうか。何も喰わず、餓死ってやつか。それもいい。と思ったが、流石に死ぬ寸前ともなれば、いずれ食欲も湧いてしまうのだろう、その時は表に出て、高い物でも食ってやろうか。なんて考えると、笑いがこぼれた。いくぶん自嘲ぎみな笑い。描いては消し、描いては消して。やがて床の上は白紙の山と化したので、一枚ずつ壁に貼り付けた。マスキングテープなら腐るほどあった。丁寧に壁の一面を白紙で埋めると、また次の面へ。そして埋めたら、次の面へ。途中で足りなくなるとまた絵を描く。そして消す。何時からか、絵を描く事よりも、壁を埋めてしまう方に意識が行っていた。そして4面全てを埋め尽くすと、俺は大の字になって、眠った。泥のように、眠った。しかし、やがてその深い眠りからも覚めてしまった。そして目を開けると、俺の恥が、不甲斐無さが、現実が、四方から俺を見つめていた。発狂してしまうかと思った。俺は布団の中に隠れると、身体の震えが止まらずに、ずっと涙を服の袖で拭っていた。これは悪夢なんだ。俺は布団の中で何度も祈った。はやく目が覚めますように。この悪夢から、抜け出せますように。

そして長い夢から醒めると、玄関の方で、呼鈴が鳴っていた。その音に呼び寄せられるように、俺はゆっくりと布団から起き上がった。誰だ。もしかすると・・・母さんとか、父さんとかかも知れない。それもいい。今となってはあの人たちの顔も恋しかった。俺は気が付くと、玄関を開けていた。

     

     
 「こんにちはー・・・。」
玄関を開けると、そこに居たのは母さんでも父さんでも無く。ただの、制服姿の二階堂史絵だった。
「よしおか、先輩・・・?」
よしおか、それは俺の苗字だ。
「先輩、大丈夫ですか・・・?」
ヨシオカ。よしおかとおる。吉岡亨。俺の名前を目の前の女が口にした瞬間、俺の中で全てが現実感を帯び始める。向かいの家の白い壁、茜色に陽が傾いた空、肌に感じる空気の暑さ、すぐ傍で流れる車の音。首を掻いた時、俺は肌着の下に大量に汗をかいていた事に初めて気づく。そして様々な知覚が呼び起こされた後になって初めて、その後輩の奇妙な髪型に気づいた。
「二階堂、何だそれ」
ふっ、俺は思わず噴出してしまった。彼女はついこの間まで、首下まではあろうかというロングヘアーをなびかせながら歩いていたはずだ。だがしかし、今は見るも無残なおかっぱになって目の前に佇んでいるのである。しかも彼女は真剣なまなざしでこちらを見つめているので、尚更それを滑稽に映らせた。
「先輩・・・」
二階堂はその時、何かを恐れた。それは一体何だろう。彼女と俺の間には、俺と彼女しか居ないのに。その顔つきは今までに見た事が無い類の表情をしていて、見ているこちらが悲しくなって来るような、今にも泣き出しそうな。そういう表情だった。   
「あの、これ、最近学校に来てなかったですよね、それで渡すように言われたプリントなんですけど」
と言いながら彼女は自分の鞄を急ぐようにして開けると、プリントを取り出して、俺に突き付けた。それを見た瞬間、今までの白紙達の記憶が走馬灯のようにフラッシュバックした。気分が悪くなって、俺は口に手を当てると、その場に崩れた。それっきり、記憶は無い。

目が覚めると、俺は俺のベッドで寝ていた。隣には、何故か石橋先生が床に座っていた。ああ、そうか・・・。
「二階堂が電話をくれてな。学校の業務が終わり次第、迅速に駆けつけてきてやったぞ。有難く思え」
「ありがとうございます」
そう言って俺は起き上がろうとするが、力が上手く入らずによろけてしまった。
「お前、何日間食べてない?」
と聴かれると、ぼんやりした頭では考えられなかった。
「判らないです・・・」
「今日が何日か分かるか?」
その問いに対しても、沈黙で答えるしかなかった。
「20日だ。9月の20日。始業式からすでに3週間近く経ってる」
「ああ・・・」
始業式。その言葉を、何時の間にか遠くに置いてきてしまったような気がした。
「3週間絶食したら人間生きては居られないだろう。まー2週間と計算して、だ。ほれ。コレ、回復食」
と言って、差し出されたのはコップに注がれた、おかゆのような匂いがするお湯だった。
「ありがとう・・・ございます」
俺はそれを口にする。
「ったく、お前って奴は・・・」
石橋先生は下を向いていた。怒っているのだろうか。
「ごめん・・・なさい」
「うっ・・・るせえ・・・!馬鹿野朗!・・・」
驚いた。先生は涙ぐんでいた。どんだけ熱血教師なんだよ・・・。俺のクラスは3年B組じゃない。石橋先生は嗚咽を押し殺すと、上を向いて息をふうぅと吐く。
「よしおかァー」
睨み付けて来る。目は赤いままだった。
「お前は馬鹿か?馬鹿なのか?ちゃんと脳みそは入ってんのか?この頭の中にはよおお!」
と言いながら、石橋先生は俺の頭を掴んで揺さぶって来る。俺がそうされて考える事は石橋先生が何故タンクトップ姿なのかという事だった。目の前で激しく揺れる石橋先生の谷間に視線は釘付けだったが、俺の頭は冴え渡っていたので、冷静そのものだった。
「先生、痛いです」
「ああ、すまん・・・つい感情的になってしまって」
確かに、こんな風に感情をムキ出しにして怒ってくる先生を見るのは、3年間美術部員とその顧問として付き合ってきて、初めてのことだった。びっくりした。
「昔な、私の親友が同じ事をしたんだ」
同じ事?
「大学の友人だった。お前に似ていたよ、奴も。」
同じ事って、何だ?
「何週間もろくに水分も摂らずにな・・・。気が付いた時にはもう、目の前から消えていた」
絵を描いたりっていう事か?そして俺はさっきから、視界がさっぱりしていた理由に気が付いた。俺の絵が、無い。壁の上には、俺の絵は存在を消していた。
「先生・・・」
俺は立ち上がろうとする。先生はそれを制そうとして立ち上がるが、俺の気配を察してたたずんだ。俺の怒りは尋常じゃなかった。俺の絵をどこへやった。まさか捨てたんじゃねえだろうな。先生の目にはゴミに見えたかもしれないが、あれは俺の血と肉だ。骨を砕いてその粉で作ったようなものなんだ。
「俺の絵を、どこへやったんです」
先生は、俺の表情を見つめると、黙り込んだ。それを見て俺は苛々した。
「どこへ!」
「落ち着け、吉岡。すぐそこにあるじゃないか」
先生が指差す方を見ると、確かに部屋の隅には、山のように積まれた俺の絵があった。
「今、お前は絵だと言ったな」
その言葉に俺はピクリと反応する。
「これのどこが絵なんだ?言ってみろ」
「それは・・・俺の・・・絵です」
鼓動が速くなる。心臓が、脈を撃つ。
「この全てが白紙じゃないか。え?これのどこが絵なんだ?言ってみろ」
沈黙。
「言ってみろ!」
うるさい。黙れ。
「どうした、言ってみろ」
「どうして―」
どうして俺を苦しめるような事を言うんですか。こんな風に責められるくらいなら、俺は助けて貰いたくなんて無かった。
「先生・・・」
「すまん、吉岡。お前を苦しめようとか言うつもりじゃなかったんだ。すまん」
気が付くと俺の頬には涙が伝っていた。
「私は部屋に駆けつけた時に、驚いたよ。部屋中びっしりと貼られた白紙の紙」
白紙、という言葉に異常にひっかかった。まるで俺の絵をコケにされたような気がして。
「だけど、それらを一枚一枚剥がして行くうちに、気が付いたんだ」
先生は紙の山の方へ移動すると、一枚そこから取った。
「どれ一つとして、綺麗な白紙の状態の紙は無かった」

「なあ、教えてくれ。なぜ全ての紙を一度は埋め尽くしたのに、全部消したんだ?」

       

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Neetsha