Neetel Inside ニートノベル
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物憂いプロトコル
理不尽、五枚の硬貨、蛾の羽根

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「少し歩かない?」と蛍子が言うものだから、私たちは校舎を散歩することにした。
フローリングのツルツルとした廊下を歩きながら、蛍子はアジサイの育て方の話をした。
私は横を歩きながらアジサイの事を考え、そしてイギリス料理のことを連想した。

 蛍子の話はアジサイの育て方についてから素晴らしい土壌についてに移り、私達の暮らしを支える農家の人々についてに移り、戦国時代の武将についてに移り、最も強い武術についてに行き着いた。
そして「人を殴ったことある?」と聞くものだから、「ある」と私は答えた。

     


     


 蛍子は「私もある」と言って、蛍子が初めて人を殴ったエピソードについて話した。
蛍子が小学三年生の時、「百円おじさん」と呼ばれる頭のまともじゃない中年男性が小学校近辺に出没するようになったという。
百円おじさんについての情報はこうだ。

・常にあてどもなく歩いている。
・人を見かけると「百円ください」と話しかけてくる。
・百円をあげないとどこまでもついてくる。
・百円をあげると「二百円ください」と言ってくる。
・二百円あげると今度は四百円を要求してきて、倍々に要求する値段が上がってゆく。
・どんなに金額が増えても、計算間違いをすることなくきっかりと倍の金額を要求してくる。

 蛍子が百円おじさんに出会ったのは、蛍子の姉の誕生日だった。
お菓子を買いたいのを我慢して、姉の誕生日プレゼントにシャープペンシルを買って帰る途中に遭遇したのだ。
初めは無視していたのだが、百円おじさんの「百円ください」の声の張りがだんだんと大きくなっていくのに我慢できず、蛍子は百円おじさんの顔を思い切り殴りつけて、ポケットの中の十八円を投げつけて、走って逃げた。
その日を境に百円おじさんの出没情報は一切途絶えた。
という話だ。


 百円おじさんの話をし終えたあたりで蛍子の携帯電話が鳴り、蛍子は携帯電話に向かって来週の日曜日の話をし始め、私は黙って隣を歩いた。
その間に私は自分が小学三年生だった頃のことを考え、小学校のひんやりとしたタイルの床のことを考えた。
そして小学校のひんやりとしたタイルの床に嫌というほどまともに後頭部を打ち付けた時のことを思い出した。
そしてその時のプールに溺れて息が出来ないような感覚と、後頭部を伝わって鼻の奥のほうにまで染みてきた痛みを思い出した。
人を初めて殴った時のことは思い出せなかった。
でも柔らかい頬を強烈に殴打した拳の感覚のことは思い出した。
蛍子は携帯電話をポケットに入れて突如有栖川有栖の話を始めた。

     


     


 蛍子は友達が多く、私はどちらかというと友達が少ないことで有名だった。
私は蛍子と学校以外のところで会ったことがないし、連絡先も知らないし、どこに住んでるかも知らなかった。
でも私は蛍子が初めて人を殴った時のことを知ってるし、蛍子の携帯の待ち受け画面が人に慣れた野良犬の「ニオブ」の写真であることを知ってる。
そして、蛍子が昼休みに校舎を散歩する時のパートナーはいつも私だった。

 
 予鈴が鳴り、私達の足は教室へと向き、私の手は教室の扉を開いた。
教室の空気は、暖房の効き過ぎで、まるで蛾の羽根のように乾いていた。

       

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