Neetel Inside 文芸新都
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白と黒
黒猫の話

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 その黒猫に出会ったのは、学校が冬休みに入った次の日のことだ。
 塾から帰る途中に、私は凍えている猫を見つけた。その時はまだ赤ちゃんで、ちょっと信じられな
いくらいに愛くるしい生き物だった。少し精神的に疲れていたからだろう。癒しを求めたのか、私は
フラフラとその子に近づいた。
 私がかがんで手を出しても、黒猫は少しも警戒せずに大人しくしていた。今思えば、弱っていたせ
いで動けなかっただけかもしれないけれど、その時の私には、受け入れてもらえたことがとても嬉し
く感じられた。
 指で小さな喉を撫でてやると、猫は目を細めて喜んだ。しばらくそうして遊んだ後、抱きかかえて
みた。やはり黒猫は抵抗せず、私の胸元でプルプルと震えた。凍えているくせに暖かいのが印象深か
った。確か猫の体温は人間より高いんだっけ、と思い出しながら、暖めるように黒猫をさすった。
 さすりながら、いつの間にか私は、猫に愚痴を零していた。気が落ちるようなことばかりが続いて
いた頃だったとは言え、どれだけストレスが溜まっていたのだろう。気付いて、軽い自己嫌悪を覚え
て、その後は無言で猫の背中をさする事に集中した。

 どのくらいそうしていただろうか。あまり遅くなると言い訳もきかなくなるだろうと思い、黒猫を
おろして立ち上がった。行かないで、と言っていたかどうかは定かではないけれど、猫は私の足に擦
り寄ってきた。抱きしめたおかげで温まったのだろう、少しは元気になったのだと思う。
 私は困った。猫と遊んだのは、ただの気まぐれだったからだ。ひどい話ではあるけれど、それでも、
私に猫を養うことは出来ないのだ。両親も、今は動物を飼うことを許してはくれないだろう。
 そのまましばらく考えたものの、結論を変えることが出来なかった。せめて、と思い、着ていたコ
ートを脱いで、猫を緩くくるんだ。偽善だなぁ、とは思ったけれど、何もしないで去るのは心配だっ
たから。まったく身勝手な人間だ。私は猫に「ごめん」と呟いて、今度こそその場を立ち去った。
 悲しそうな猫の鳴き声が、やけに胸に響いた。

 数週間が経った。黒猫とは、それっきり会っていない。出会った次の日には、猫はコートを残して
いなくなっていた。どこかに移り住んだのか、それとも誰かが拾ってくれたのか。それならばいい。
 事故にでも遭っていないか、お腹を空かせていないか、ひょっとして、凍死でもしているんじゃな
いか。心配だった。
 あの時やっぱり無理にでも連れて帰った方が良かったかもしれないとも思ったけれど、今更だ。私
は考えるのを止めて、荷物を担いだ。そうだ、今日は大切なセンター試験。この日の為にがんばって
きたんだ。悩んでいる場合じゃない。私は両頬に自分で張り手を食らわせて思いを断ち切り、家を出
た。
 会場に向かう途中で、携帯電話が震えた。まさか忘れ物でもしたのでは、と、慌ててポケットから
取り出すと、ディスプレイには電話帳に登録のされていない、しかし見覚えのある番号が表示されて
いた。
 そんな馬鹿な。
 一瞬、背筋が凍った。
 その番号を、私は確かによく知っていたからだ。だってそれは、私の番号なのだから。
 数週間前。そう、黒猫に出会ったあの日に、私は携帯電話をなくしていた。猫にあげたコートに入
れっぱなしだったのかと思ったのだが、次の日に探しても見つからなかった。結局どこを探しても見
つけることは出来ず、誰かに拾われたのだろうと考え、しかし拾い主からの連絡もなかったので、解
約したはずだった。けれど今、確かに前の携帯電話の番号が私を呼び出している―――。
 私は恐る恐る、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
 電話からは、沈黙だけが伝わってきた。なんだろこれ、気持ち悪い。そう思って切ろうとしたその
時だった。
「温もりをありがとう。がんばってね」
 確かに、そう聞こえて、向こうから通話が切れた。聞き覚えのあるような、ないような、そんな不
思議な声に、私はしばらく呆然と新しい携帯電話を眺めていた。
 謎の電話の招待こそ分からなかったけれど、何故だか私は妙に落ちつくことができた。試験も、い
つも以上に集中して取り組めたと思う。
 そして、センター試験は終了した。ピリピリしていた空気がほぐれ、辺りがざわめき始めた。
 と、こんな会話が偶然耳に入った。
「やばいよ、ぜんぜん駄目だった。あーあ、朝からあんな縁起悪いもん見ちまったからだよ絶対。
こんな日に」
「あ? 俺なんか目の前黒猫通ったぜ。朝家出るなり」
「お前も? 俺も見たのそれだよ。黒猫。畜生、ついてねーな」
 多分、黒猫と言う言葉に反応したのだろう。猫のせいにするのは良くないと影ながら憤慨しつつ、
私は会場を後にした。



 三月。そろそろ日差しも暖かくなってきた頃。私はドキドキしながらその場に立っていた。私が志
望した大学の合否発表は昔ながらの掲示式である。私は自分の番号を探した。
「……あった」
 一瞬、夢じゃないかと思った。次に涙があふれ出た。元々、身の丈に合わない高いハードルだった
のだ。その分努力はしたものの、やはり最後まで心配だった。本当に、嬉しいよ。
 合格を伝えるために母に電話しながら、私は大学を出た。
 そこに。
 そこに、黒い猫がちょこんと座っていた。大学を出た、目の前に。周りにいた何人かは、何故か猫
を見て顔をしかめた。
 何かが、猫の前においてある。
 気付いて、私は猫に近づいた。すると猫はそれを鼻で押して、私に差し出した。それは、私がなく
したはずの携帯電話。
 ―――そうか、君だったんだね。
 私は言った。
「応援ありがとうね。受かったよ」
そして、猫の喉をくすぐった。あの時と同じように、猫は目を細めた。
 と、携帯電話の向こうから、母親の声が聞こえてきた。「おめでとう」と言っている。そうだった、
母に電話しているのだった。泣いているようだ。母は私が偏差値の高い大学を受験する事に反対してい
たはずなのに。そのせいでたくさん酷いことも言ったのに。ちゃんと応援してくれてたんだ。私の目に
も、一度は引っ込んだ涙が再び浮かんだ。
 ふと、思いついて、今度はちゃんと母に向けて言った。
「あのさ、合格祝いに、猫飼ってもいいかな」
 よほど私の合格が嬉しいのだろう。母は快く了承してくれた。
「だってさ」
 言って、私は黒猫を抱きかかえた。やっぱり猫は大人しくて、暖かい。
 私は猫の名前を考えながら、一緒に家へ向かって歩き出した。

       

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