世界がなんでこうなったかなんて覚えていない。
いや、正確に言うと知らないんだ。
もっとも、知った所でどうこうなる話じゃないんだがな。
俺の場合だったら、そうだな、まずは3年程前の話から始めようか。
今から3年前の夏、駅前でいつもの様に俺が通勤してた頃の話だ。
いつもと変わらぬ時刻に電車がやってきて、いつもと変わらぬように電車に数分揺られて出社する筈だった。
だがな、その日は違ったんだ。
その日は改札を抜けた先に浮浪者のような風貌をした男がいてな。
辺りに何かを涎か何かを喚き散らしていたんだ。
酔っぱらいかとも思ったさ。
もしくは、その、障害者とか、とにかく関わらずに避けて通ろうとしたんだよ。
勿論周囲の人間だって変人に関われる程、朝は暇じゃない。
皆が当然のように男を避けて通っていたよ。
暫くすると騒ぎを聞きつけた駅員が男の側へ近寄っていった。
大丈夫ですか、あまり騒ぐと周りの人へ迷惑が掛かってしまうのでこちらへ来て頂けませんかって、駅員は男にそう対応したんだ。
すると男は喚くのを止めてな。
焦点が合ってるのだか合っていないのだが分からない両目でじっくりと品定めするみたいに駅員をじっと拝んでた。
そして、噛んだんだ。
男が駅員の首元を。
駅員はぎゃあぎゃあと悲鳴を上げるがそれもすぐにかなわなくなっちまった。
喉元を食い千切られちまったんだ。
そうなりゃ詰まったパイプから水が吹き出すような間抜けな音しかもうだせない。
ごぼごぼってさ。
駅員は床へ崩れ落ちて、身体を痙攣させたかと思ったらそれっきり動かなくなってしまったよ。
でもそれで終わらなかったんだ。
回りにいた連中は、それは俺を含めてだが、誰もが駅員は死んだと思っていただろう。
立ち上がったんだよ、駅員は。
首から血を流しながらゆっくりと立ち上がったんだ。
目は虚ろでどこを見てるのかさっぱりわかない。
だらしなく開いた口からは喉から逆流して行き場を失った血がだらだらと垂れていた。
誰がどうみたってあれはあまりにもその、ゾンビだった。
あんたは映画は観るほうか。
あるだろうゾンビ映画って。
ゾンビに噛まれたらゾンビになるっていう映画のルールの通りだったんだよ。
ウイルスなのか寄生虫なのかオカルトなのかは知らんがな。まあ要因はなんだっていいんだよ。
その後というと、回りは既にパニックになり悲鳴を上げる者や、この場から逃げ出す者もいたよ。
俺はというと、すっかりビビッちまって脚が動かなかった。だけどゾンビだって思った途端に逃げなきゃって思ってよ。
それで逃げて、逃げて、逃げて、今に至るんだ。
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宿泊場所を提供してくれた礼に酒を振る舞うと、男は上機嫌で語ってくれた。
だが結局情報はその程度だ。
既知の情報しかない。
この世界にゾンビが現れてから3年がたった。
当初は致死性の高い流行り風邪のような扱いを受けていたが、2週間で世界各地に広がり、その1週間後には既存の社会が機能しなくなっていた。
「ああ」
思わずため息を付く。なんて、なんて陳腐なシナリオだろう。
これが映画だったらとんでもない駄作だったであろう。
設定も何も練っていなく、その場の思いつきで作ったような碌でも無い映画であろう。
結末としては主人公が新天地へ向かって終わりだろうか。
それとも最後にワクチンの開発に成功するのだろうか。
いや、どうでもいい。
なんにせよこれが今の現実だ。
無尽蔵に撃てる銃もなければ豆の缶詰も無い。
唯一間違いないのは町には恐ろしい数のゾンビが徘徊し、免れた者達は法も秩序も無くゾンビ同様に人間同士で文字通り食いつ食われつの生活を送っているということだ。
空いたコップにまた酒を注いでやると男はまた上機嫌に語りだした。
俺はそれに釣られて少し笑う。
思ってみればこうしてまともな人間に出会ったのも久々だ。
いや、生きている人間に会ったのだって久しぶりだ。
ただ単純な会話を通して人間的な何かを取り戻せた気がした。
ここで終わってました。