Neetel Inside 文芸新都
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【第一章 其ノ一、既視感】

周囲を包むコンデンスミルクのようにドロッとした白い霧に陽の光を遮断され、止まない雪が全ての足跡を消していくこの島からは、霧を突きぬけ何処かに通じる一本の巨大な白い橋が架かっている。そう、何処か、だ。何せこの橋を渡りきった人は誰一人としてこの島に戻ってこない。だからどんな場所へ通じているのかは島の人間には分からない。ただ一つはっきりしている事は、この橋が何処かから架けられたということだ。この島の名は「ウヴリィエ」。由来など歴史の彼方に消えてしまったこの島に、こんな大きな橋を架ける技術・・・ましてや意志など存在するはずがなかった。

「あの霧の向こうには何があるのかな、スピト?」

橋の近くの白い砂浜に聳え立つ、標高2mほどの木造のオブジェ(十二の絵が均等に刻まれた円状の文字盤が磔られ、そこには2つの針が固定されている)のてっぺんに腰掛けたリモが僕を見下ろして言った。雪の上に座り込んでいた僕は、目にかかった白い前髪越しに、橋が霧に呑み込まれる地点を見つめて言った。
「分からないな、リモ。誰を捕まえて訊いても、多分ね。」
「島で1番賢いキミに訊いても分からないんだもんね。」
「1番賢い?僕が?この島で1番賢いのは誰か島中回って訊いてみろよ。みんな口を揃えて天才発明家・マロニエだと言うよ。僕じゃない。」
「・・・・・マロニエなんて、存在自体怪しいわ。誰も姿を見たことが無いって言うじゃない。」

僕は波打ち際に視線を落とした。白い砂浜に「アゲト」のように黒い波が何度も何度もぶつかっているのに、砂は黒ずむどころか、その白さを増していくように見え、気味の悪さすら覚えた。

「想像でいいから聞かせて?スピトは、あの霧の向こうには何があると思う?」
「黄金の生る木。」
「?」
「ワインの滝に虹の橋。そんな夢の国が広がっているんじゃないかな。」
「珍しいね。キミの口から『夢』なんて言葉が出てくるの。初めて聞いた。」
「それくらいじゃなきゃ誰一人戻ってこないなんて現象、有り得ないだろう。僕らがこの真っ白な世界で自身と他者の生命を食い潰している一方で、この島を出て行った勇敢な冒険者達はそんな快楽を堪能しているのさ。ウヴリィエに戻って黄金を見せびらかす時間が惜しくなるほどの快楽をね。」
「アハハ、やっぱりスピトだ!この上なく卑屈ね。」
「兄弟想い、と言って欲しいな。」

それから僕らは時間を忘れて下らない世間話に明け暮れた。昨日の化学の小テストのこと、朝のニュースで流れていた黒髪による連続殺人事件のこと、今日の授業中にチルヤ先生の奇妙な口癖が三十一回も出たこと、明日発売されるヴァンプのニューアルバムのこと。

《ゴーン ゴーン ゴーン ゴーン ゴーン》

「もうこんな時間!」
「そろそろ帰らないとな。」

この島ではこの鐘が太陽の代わりに時を報せる。太陽は霧の向こうに行ったきりだからだ。ちなみに、鐘は一日で十三回鳴る。最初の鐘が日の出の鐘、最後から二つ目の鐘が日の入りの鐘。通常の鐘は三回撞かれるだけだが、この二つの鐘は五回撞かれ、これから島の照明が灯りだすことや消えてゆくことを告げる。最後の鐘から日の出の鐘までの間隔は鐘四回分。これがこの島の時報システムだ。余談だが、霧の向こうでは時を刻む機械が存在するという噂があるが、こちら側に持ってきても駆動部分が凍り付いて動かないそうだ。

リモはオブジェからぴょんと飛び降りた。自慢の真っ白な長い髪が絹のように美しく舞った。

「じゃあ、また明日学校で!」

こう言ってリモは駆け出した。左右に揺れるスカートの裾に見とれた。そう言えば、この光景は昨日も一昨日も目にした気がする。今まで何十回も目にした気がする。ここ何ヶ月かずっとチルヤ先生の奇妙な口癖は決まって三十一回だったし、もう何年もヴァンプのアルバムを待っている気もする。しかし奇妙なことに、このことに気付いたのは今日が最初で、最後だった。

     

【第一章 其ノ二、悪霊】

翌朝、僕は珍しく島中の照明が灯りだす前に目を覚ました。白かったはずの島はまだ暗闇で塗りつぶされたまま。日の出の鐘も鳴っていないようだ。島では照明が完全に消えたことを告げる最後の鐘から島に明かりが灯りだす日の出の鐘が鳴るまでの間を「魔の刻」と呼んでいて、人々は一切の外出を禁じられている。悪霊に憑かれるとされているからだ。僕は階段を下りて居間へ向かった。姉は一足先にうとうとしながらココアを啜っていた。
「おはよう、姉さん。」
「あら、おはよ。珍しく早いわね。まだ日の出の鐘も鳴っ

《ゴトッ》

姉は僕の顔を見るなり青ざめてカップを落とした。僕が「大丈夫?」と声をかける前に、姉は落としたカップを僕に投げつけて泣きながら叫んだ。
「忌々しいアゲト!兄さんだけじゃなくスピトまで殺したな!」
カップは僕の頬のすぐ横の空間を滑り抜け、壁に激突して粉々になった。咄嗟に僕は自分の髪を何本が抜き取って確認をした。

全て黒かった。

「アゲト」とは悪霊の名だ。取り憑かれた人間の髪は清潔な純白から禍々しい漆黒へ変化し、元の魂を奪われ悪しき魂を植えつけられるとされている。それ故、髪が黒くなった人間は悪魔と見なされ、霧の向こうへ追放されていた。

「ねぇ・・・私も、殺すの?」
ハッとして顔を上げると、そこには包丁を構えてガタガタ震える姉がいた。その姿を見た僕は何も言えずにゆっくりと玄関へ向かった。「さよなら、姉さん」という別れの言葉が溢れそうになったが、呑み込んだ。姉を悪魔の家族にしたくなかった。何より、悪魔の身体に、未だスピト自身の魂が宿っていることを認めたくなかった。

玄関に掛けてあった上着を羽織り、家を出た僕は走り出した。昨日の昼にヤキソバパンを食べてから今まで何も口に入れてないため腹が減った。悪魔でも腹が減るのか、と思わず吹き出してしまったが、自由に行動できる時間、つまりタイムリミットが日の出の鐘が鳴って照明が灯りだす前・・・最悪でも全ての照明が完全に灯る二つ目の鐘までという黒髪の悪魔にとって、事態は深刻だった。昼間に外に出れば見つかってしまうし、照明が消えてしまえば今度は店が閉まってしまう。いや、そもそも人間に黒髪であることがバレてはいけないのだから、店が開いていようが閉まっていようが関係が・・・

《コンコン》

気付くと僕はリモの家のドアの前に立ち、ノックをしていた。僕は彼女に忌み嫌われることを最も畏れると同時に、何故か、彼女にならこの醜い姿を晒せるというような、受け入れて欲しいような気もしていた・・・が、本当に大丈夫だろうか?嫌われやしないだろうか?そうこう考えているうちにドアが開いた。
「どちら様ー?」
僕の髪を見るなり、リモの表情がみるみる変わっていった。こんなにも恐怖と困惑、そして憤怒を詰め込んだ表情をした人間を目にするのは初めてだ。彼女は怒りで煮えたぎった溶岩のような目でこちらを睨み、詰め寄って
「アゲト・・・!返して!スピトを返して!」
僕の襟に掴みかかってこう喚いた。僕は口を開いた。
「黄金の生る木。」
「!」
「ワインの滝に虹の橋。そんな夢の国に・・・行けるのかなぁ?」
僕はその場で泣き崩れてしまった。

       

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