Neetel Inside 文芸新都
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桜田類と宇宙人
四."澪"に塗れた京都――前編

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 京都は修学旅行のメッカとも呼べる土地である。秋ともなれば、京都市中心部は妙に浮ついた他都道府県の学生達で一杯になる。
 桜田類とその同級生達も、状況を形作るピースとなっていた。
「ん~っ、着いたなあ、京都!」
 東北新幹線で東京駅まで約二時間、それから東海道新幹線に乗り換え約二時間半。大迫が伸びをするのも無理はない。類も思わずあくびをしてしまった。
 新幹線から降りると、初日なのでクラスごとにバラバラになる。バスに乗って奈良方面に行くクラスもあるし、がんばって天橋立まで行くクラスもある。類のクラスは京都市中心部の寺社巡りという、スタンダードといえばスタンダードな旅程であった。
 JR奈良線の列車に担任含めた三十一人全員が乗り込む。間に一駅挟み、ほんの五分で稲荷駅に到着する。
 列車を降りると、そこは伏見稲荷大社だった。

 稲荷大社は、全国各地に散らばる稲荷神社の総本宮である。さほど神社に興味のない人間であっても、その心の中に朱い鳥居は存在していることだろう。稲荷大社には、飽きが来る数の朱鳥居が居並んでいる。とりわけ有名な"千本鳥居"を"本谷"がくぐる。
 くぐり、振り返る。
 その姿に、類の頭の中がチリチリと音を立て、熱くなる――


 "澪"は漫画が好きだった。その嗜好は広く、少年漫画から少女漫画、青年漫画。さらには少々オタクな人が読むような作品まで持っていた。類もまだ"澪"がいたころは、一緒に漫画を読んでいたのである。部屋で二人きり、何もせずただ漫画を読むだけでも、あの頃は幸せだった。
「…ハァ~」
 ベッドで寝転んで読んでいた"澪"は、深く溜息をついた。どこか甘い溜息だった。
「どうした?」
「いやぁ、これ見てみなよ……ウットリだよ……」
 仰向けの読書姿勢からうつ伏せになる"澪"。類はひょいと本を取り上げる。描かれていたのは、鮮やかに彩色された、たくさんの朱鳥居だった。
「キレイくない? いいよねえ~……」
「ああ、いいなこれ。伏見稲荷神社かな?」
「ふしみいなり!?」
 "澪"はガバっと起き上がり、類の肩に手を掛けて思い切り揺らした。
「なにそれ!? これホントにあるの~!?」
「京都にある神社だよ。写真見たことある……揺らすのやめなさい」
「うんやめる! やめるけど! やめるから!」
「うん」
「いつか、絶対、ここ行こうねっ!」
 "澪"の目は爛々と輝いていた。未来を見つめる瞳だと、類には解った。
 類は、"澪"の笑顔のためなら、何でもしてやるつもりだった。"澪"の笑顔が曇るくらいなら死んだ方がマシだと、この時は本気で思っていた――
「じゃあ、来月の三連休で行こうか? 澪のお父さんが許してくれれば、だけどね」
「マジで!?」
「マジだよ! 高速バスの往復なら安く行けるし」
「やった~! ルイ、ありがとう! 大好き!!」


 ――結果として、それが叶うことはなかった。"澪"が熱望した朱の千本鳥居。類は今、独りでその前に立っている。
「…くん……」
 類は立ち止まっていた。"本谷"の姿はそこになく、クラスメートや他の参拝客の波に流されて奥のほうに行ってしまったようであった。
「桜田くん……」
 類が声の主の存在に気づいたのは、柔らかい感触の体が自分にもたれ掛かってくるのを感じたからだった。
 井田麻里子――中学からの同級生である。
「…井田」
「どうしたの? もう皆行っちゃったよ……」
「いや、俺よりお前がどうしたんだよって感じだよ?」
「あたし、乗り物に弱くて……新幹線はあまり揺れないから、なんとか耐え切れたんだけど……あと、人多いトコも苦手で……」
「…お前、こういうトコ来るの、全く向いてないな」
「うん……自分でもイヤにな――んんっ!」
 井田は、口を押さえてトイレに一直線で小走りした。類は溜息をついて、立ち止まり続けた。


 類と井田は、二人でゆっくりと千本鳥居をくぐった。別段焦って前に追いつく必要もなかった。先行集団は"熊鷹社"で新池を眺めて、それから暫く周辺を歩き回ってから引き返して来るので、追いつく時間は十分すぎるほどあったのだ。場合によっては時間が足りず、熊鷹社で極太ロウソクを買うことが出来ないかもしれないが、それは仕方ないだろうと類は思った。
「…良かったね、桜田くん」
「なにが?」
 類は井田とどう話すべきか、少々迷っていた。思えば、井田と二人きりで話したことなど一度もなかった。井田は"澪"とは親しかったが、類とは一日一言二言喋ればいい方であった。
「澪、スゴい喜んでたでしょ? ずっとここに来たがっていたもんね」
 青い顔で、井田は言った。
 ――何が"良かった"だ。お前、"澪"の告別式で泣いてたじゃないか?
 類の心は少しだけささくれ立った。"澪"の死がなかったことにされている現状では、致し方ないことではあるが――類に向けられた井田の隙だらけの表情は、類にとっては苛立たしいものであった。
 もちろん、そんなことはおくびにも出さず、類は伏見稲荷大社での旅程を終えた。クラスで最後に列車に乗り込む井田は、こう呟いてから乗り込んだ。
「ダメでいいの、ダメでも……」
 そして京都駅に着いて、またトイレへ駆け込んだ。
 修学旅行は、まだとば口に立ったばかりである。




『"澪"に塗れた京都――前編』




       

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