Neetel Inside 文芸新都
表紙

短編集(『雨の日、二人で歩く道』更新)
猫とネズミ

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穴を抜けると真っ白な部屋に出る。
 四方は白い壁に囲われている。縦、横、高さとすべて均等な部屋である。ざっと見渡してみたが扉は見当たらない。天井に視線を向けると古びた電球が明るくなり暗くなりして明滅を繰り返しながら、部屋の様子をぼんやりと浮かび上がらせている。
 部屋の中央には皿がぽつんと置かれ、その上には三角形に切りとられたチーズがのっている。私は前足で顔をなでながらぼんやりとチーズを見つめる。するとはじめは気がつかなかったのだが、チーズの後ろでもぞもぞと動いている影がいることを私は見て取る。私は皿にゆっくりと近づいていく。
 そいつは夢中になってチーズを食っている。彼は私の気配を察知したのかチーズの後ろからひょっこりと顔を出し、私の方をじっと見つめる。小さなネズミである。だらしなく開けられた口からは長い前歯がのぞいており、灰色の顔に添えられた小さな黒目には恐怖の色が浮かんでいる。
 彼はぶるりと体を震わせる。一瞬の沈黙が私と彼との間を流れる。彼は持っていたチーズを投げ捨てて走り出す。
 私は猫だから彼を追いかけなければならない。
 彼は私のほうを振り向くことなく、必死になって逃げていく。その小さな体にもかかわらず彼の足は非常に速い。少々出遅れてしまったこともあり、私と彼との間には少しばかり距離がある。だがそうはいっても私は猫だ。はじめは広がっていた彼との隔たりも、私の足がスピードのると少しずつ狭まっていく。全身に力をこめてさらに速度を上げる。距離はぐいぐい縮んでいく。
 彼はもう私の目の前にいる。左右に揺れる彼の細長い尻尾が私の鼻先をかすめようかというほどに距離は縮まっている。あとほんの一瞬で彼を捕らえることができる。私は前足に力をこめて彼に飛びかかる。鋭く光る爪がその灰色の体に触れようとした瞬間、彼の姿が眼前から消え失せる。
 私はあわてて立ち止まる。よく見るといつのまにか私は向かいの壁まで来ていた。さらに壁には小さな穴があいていることに気づく。彼はこの穴に入っていったのだ。私は身をかがめて穴の中を覗く。暗くてよく見えないが微かな足音が遠ざかっていくのがわかる。
 私は穴の中に顔を押し込む。穴は小さくてなかなか思うように入らない。何度か続けていると突然すぽんと抜けたようにすんなりと入る。続けて体ごと中に入っていく。中は入り口と同じくらいに狭く動きにくい。真っ暗で何も見えない。彼の足音はもう聞こえない。だがそれでも私は追いかけねばならない。
 中を進んでいくと体がこの狭さに慣れてきたのかすんなりと動けるようになる。はじめは体がこすれて苦痛だったが今はもう問題ない。私は走り出す。どんどん速度を上げていく。足音が穴の中で反響する。暗闇の中を私は走り続ける。しばらくすると小さな光が遠くに見えてくる。出口だ、と私は思う。光はしだいに大きくなっていく。私はさらに足を速める。
 穴を抜けると真っ白な部屋に出る。
 白い壁に囲われたちょうど立方体の形をした部屋である。ぐるりと見渡したがどうやら扉はないようだ。顔を上げて天井を見ると古びた電球が吊るされていて不規則に明滅を繰り返している。部屋の真ん中には三角形に切りとられたチーズが薄汚い皿の上に置かれている。
 ちょうど腹が減っていた私は一目散にチーズの元へと駆け寄る。近づくと食欲を誘う匂いが鼻腔を刺激してくる。涎が口中から溢れでる。私は走り寄って前歯でチーズに噛りつく。
 夢中で食べていると何かが近づいてくる気配に私は気がつく。私はおそるおそるチーズの影からのぞく。一匹の猫が私をじっと睨んでいる。殺気に満ちた視線が私に注がれている。
 私は突然の事態にどう対処したらいいかわからず、食事を中断してぽかんと口を開けながら彼を見つめる。一瞬おかれて恐怖感が全身を這い回り、私はぶるりと体を震わせる。静寂が私と彼との間を流れる。早く逃げなければならない。手に持っていた食べかけのチーズを放り出して私は走り出す。後ろから追ってくる彼の足音が聞こえる。
 私はネズミだから彼から逃げなければならない。

       

表紙

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