Neetel Inside 文芸新都
表紙

短編集(『雨の日、二人で歩く道』更新)
クビノタネ

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僕は自分の部屋に戻るとその種を手にとってみた。何だか人間の皮膚のような奇妙な感触がする。種を買ったのは今日の昼間のことだ。その日僕は一週間ぶりくらいに家をでたのだが、べつにどこかに行こうと決めて出たわけではない。適当に本屋やレンタルビデオ屋をまわるくらいだ。
 家を出ると強い日差しが降り注いできた。久しぶりに感じる太陽の光は嫌味なほどまぶしく忌まわしく思えた。僕はまず古本屋に行くことにした。路地裏に入るとあの忌まわしい太陽の光は影をひそめた。そこは昼間とはいえ、人通りがまったくと言っていいほどなく、妙に薄気味悪い雰囲気が漂っている。目的地の古本屋に行くには少し遠回りになるのだが僕はいつもこの道を通ることにしている。そこを歩いていると、そこだけが世界から取り残されたような感覚におちいるだが、人ごみや雑音が嫌いな僕はこの道を通るのが好きだった。
 少し歩いていくと露店がでていた。店をやっているのは五十くらいの汚らしい男で、何かの種みたいなものを売っている。男はひどくやせ細った体をしていて、頬がこけて前歯が出っ張っているその顔は鼠を連想させた。肌は青白く病人のようだったが、目だけはギラギラと鋭く、どことなく不気味な雰囲気を感じた。すこし気になって見ていると男が声をかけてきた。
「兄ちゃん、種はいらんかね」
その声はひどくしわがれていて実際の男の年よりも年老いて聞こえた。
「なんの種ですか?」
僕がそう尋ねると男は「そいつぁ育ててからのお楽しみさ。だがなあ、できる実はそりゃあこの世のものとは思えないほど美味いぜ。楽しみに育てなよ」と、ゲラゲラ笑いながら答えた。僕はそのこの世のものとは思えない美味さというのにすこし興味をそそられ、その種を買うことにした。
  
 家に帰るとさっそく種を植えることにした。よくよく考えると植物を育てたことなんかないので、とりあえず母が育てている植木鉢の花を引っこ抜いてそこに種を入れた。一体どんな実ができるのだろう? 僕は大した期待もせずにベッドに入った。
寝転びながら部屋の中を見渡した。自分で言うのもなんだが殺風景な部屋だ。まるで僕の人生を象徴するかのように何もない。働くわけでもないし、目標に向かっての努力などしたこともない。恋人はおろか友達もいない。それどころかあの露店の男をのぞけば最近だれとも会話をしていない。毎日何もすることがないし、したくもない。本やビデオを見るときもあるが特に好きというわけではないので、大抵の時間は寝てすごしている。そんな日々を送っていると何だか自分の脳が腐っていっていくような気がした。そういえば一日に八時間以上眠ると脳が腐っていくというのを何かの本で読んだ気がする。そんなことを考えているといつのまにか眠っていた。
 次の日目を覚ますともう芽がでていた。その葉はやけに濃い紫色をしていて、異常なはやさで成長していった。その日の夕方には一メートルを越え、三日ほどすると僕の身長を越えていた。やがてその植物には一つの実ができた。
 その実は、確かに人間の顔をしていた。中学生くらいのきれいな少女の顔をしていて、寝ているように目を閉じていた。以前の僕なら少しはまともな反応……つまり驚いたり、怯えたりしたのかもしれないが、もうすっかり脳が腐って鈍化してしまっている僕は、ただ彼女の顔に見とれていた。そのまだ幼さの残しながらもどこか大人びた顔も、やわらかそうな唇も、首だけというその奇妙な風貌さえも、すべてが美しく魅力的に思えた。
 しばらく眺めているとやがて彼女は目をゆっくりと開いた。彼女はあたりをキョロキョロと見渡すと、怯えたような表情で何かを訴えるかのように叫んだ。しかし肺がないせいだろうか彼女の口からは声はでない。ただ金魚のように口をパクパクさせるだけだ。何を喋ろうとしているのかは僕にはわからなかったし、また興味もなかった。ただ吐き気がするような退屈な日に訪れた、このささやかな刺激に僕は歓喜し、彼女を飼うことにした。
 それからの僕は外にも出ず彼女の顔を眺めて、時々水をやり一日を過ごした。育てるには水があれば十分のようだった。何度か彼女の口に食べ物を与えたがすぐに吐き出してしまった。
 僕は以前から眠れる森の美女のような体温のある死体を欲しいと思っていた。もともと僕は人間に興味がなく、むしろ嫌っていた。例えば好きな女性ができたとしてもたいていの場合、その子の言動やしぐさを見て理想とのギャップを感じ幻滅してしまうのだ。だから死体という完璧な受動体は僕にとって理想のエロスなのだ。それらは反抗することも、口答えすることもない。したがって幻滅することもありえない。
 しかし死体がその美しさを保っていられるのは、わずかの時間だけだ。だから死体でありながらその美しさを保ち、なおかつ肌に触れればその温かみを感じられる体温のある死体というものを僕は欲していた。その意味でこの首の少女は理想に近い存在であるように思う。抵抗することも、僕を幻滅するような言葉を喋ることもできない。できればその表情もなくなれば完璧なのだが、そこは我慢するしかない。
 僕は彼女の頬を撫で回し、その美しい髪に触れた。彼女はビクッと震えて、すこし怖がっているようだった。その表情もとても可愛らしかった。彼女の近くにくるといい匂いがした。僕は彼女の頬を愛撫するように舐めまわしたあと、そのやわらかい唇に口づけをした。なんだか甘い味がする。僕は彼女の口の中に舌を入れた。
「つぅ!……」
突然舌に激痛が走った。何がおこったのかわからず、思わず彼女から離れて見ると、彼女の口から血が滴っているのが見えた。彼女が僕の舌に噛み付いたのだとわかった。
 何でこんなことをするんだこの女は? 誰のおかげで生きていられると思っているんだ。一人では生きられないくせに、たかだか舌を入れられたくらいでなぜこんなことをされなくちゃあいけない? 僕は無性に腹が立ち、また彼女が所詮その辺にいる女たちと大して変わらないのだということに幻滅して、せめて彼女を本物の死体にしてやろうと思った。
 僕は台所から包丁を持ち出して、まず甘い味がしたそのやわらかい唇を切り裂いた。すると血が開放されたかのように吹き出し、彼女のその白い肌と床をみるみるうちに紅く染めていった。血まみれになった彼女の顔からは涙が溢れ、その表情は恐怖と苦痛に歪み、とても美しく思えた。頬を伝った涙を舌で舐め取りながら僕はあの露店の男の言葉を思い出していた。
―――――できる実はそりゃあこの世のものとは思えないほど美味いぜ。
その唇をさらに切り裂くと、僕は彼女の唇に噛み付き、そのまま引きちぎった。唇は思ったよりも歯ごたえがあった。それがはたして本当の人間の肉と同じものでできていて、同じ味がするのかはわからないがとても美味しく感じた。さらには少女の肉を自ら切り裂いて喰らうという背徳感が最高の調味料となり、形容しがたい甘美なものになっていた。
 眼球を抉り出すと流れていた涙は紅い液体へと変わった。僕は眼球を舌先でころころと飴玉を転がすようにして味わった後飲み込んだ。頬の肉はほかの部分の肉より柔らかく一番美味しく感じた。その後も順番に彼女の肉を食べていった。その間も彼女は恐怖と苦痛で顔を歪ませながら、何かを訴えるかのように口をパクパクさせていた。本来ならとっくに死んでいるはずの傷を負わせてもそれが途絶えることはなかった。
 あらかた肉を食べ終わったあと僕は次に彼女の脳みそを食べることにした。頭蓋骨を割るために金属バットで何度も彼女の頭を殴った。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……僕は彼女の頭を殴りつけた。その単純な破壊行動は僕を興奮させた。気がついたときにはもう原型をとどめていないほどグシャグシャになっていた。
 僕はあたりに飛び散った脳みそを貪るように食べた。それはさっきまで食べていたどの部分よりも美味しかった。あまりの美味しさと、いいしれぬ快感にまるで夢の中にいるようなどこか不安定で、心地よい感覚に襲われた。だがそのうちに目の前の景色が歪み、頭が朦朧としていくのを感じた。僕はそのまま気を失ってしまった。
 目が覚めると誰かが僕の頭の中をいじっているのがわかった。まだ頭がボーッとしている。しばらくしてそれがあの露店の男だと気づいた。男は僕の脳みそに手をつっこんで何かを探すようにグチュグチュとかき回していた。何だかむずがゆいような気持ち良いような感じがしたが、痛くなかった。「おっ! あった。あった」と男は嬉しそうに叫び何かを取り出した。それはあの肌色の種だった。僕はそのまま再び気を失った。
 次に僕が目覚めたのは見知らぬ部屋だった。目の前には知らない女の子がいて、こちらを無表情のままじっと見ていた。逃げ出そうにも僕にはもう体はなく、首だけしかなかった。僕は自分があの少女と同じような姿になっていることに気づいた。僕はこの女の子に食べられるのだろうかと思うと、怖くなり必死で「タスケテッ!タスケテッ!」と叫ぼうとしたが声はでず、金魚のようにただ口をパクパクさせるだけだった。

       

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