Neetel Inside 文芸新都
表紙

短編集(『雨の日、二人で歩く道』更新)
祖母

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赤子だった頃喘息持ちだった私はよく祖母の世話になっていたらしい。そのためか三人いる兄弟の中で、私が一番祖母に可愛がられていた。
一週間に一度は祖母に顔を見せに行くのが私の習慣となっていた。と言っても自分からすすんで行っていたわけではない。ほとんど父に促されてやむをえずという感じであった。私は祖母が嫌いであった。
 その日、いつものように玄関を開けて家に入ったが、どこを見渡しても祖母がいない。ほとんど外出をしない人なので、珍しいなと思い部屋でテレビを見ている祖父に聞いてみたが、テレビから視線を移さないまま「知らん。」と一言呟いただけであった。
祖母と祖父は仲が悪く、私は彼らと十歳の時まで一緒に暮らしていたが、会話らしい会話をしているのはほとんど見たことがない。お互いに干渉しようとしないのだ。
私はしかたなく帰ろうと思い外に出た。すると庭にある樹に何やらぶら下がっているのが見える。
 ぶら下がっているのは祖母であった。
 ズボンは失禁しているため濡れていた。真下の地面も濡れている。両手はぶらりと下がっており、顔は少し鬱血して紫がかっていて、舌が何か別の生き物の死骸のようにだらりと出ていた。
不思議と驚きはなかった。二年ほど前からずっと「死にたいィ。死にたいィ。」と言い続けていた祖母であったので、まさかというよりはやはりという感じであった。
私は祖母の死体を見て「醜い。」と思い、同時に「弱い。」と感じた。祖母の左手首には無数の傷痕があった。祖母は右利きである。
 しばらく呆然と眺めた後家に入り、祖父に「婆ちゃんが死んどる。首吊っとる。」と叫んだ。祖父は少し驚いた顔を見せ私の顔をしばらく見つめると「そうか。」と顔を下に向け、「逝ってもうたか。」と小さく呟いた。

 やがて葬儀が行われた。従弟が私に近づき耳元で「誰も泣いてヘンなァ。」と言い小さく笑った。嫌な笑顔だと思った。従弟は私の一つ年下で、父の弟夫婦の子である。従弟も弟夫婦も祖母のことを嫌っていて、日頃から「あの糞婆、はよ死んだらええんや。」とか「キチガイ婆が。」と言っていた。
 祖母は七人兄弟の次女だったが、葬儀に来たのはそのうち二人だけだった。あとの四人は姿を見せなかった。友人は一人もこなかった。そもそも祖母に友人がいたかどうかも怪しい。
 母が「あんた、ああなったらあかんで。婆ちゃんが病気で倒れたとき誰も見舞いにこんかったやろ。今日かて友達なんか一人もきてへんやろ。ああなったらあかん。あんたはああなりそうで怖い。」と言った。何度も何度も聞いた台詞だった。腹が立った。
 私は祖母に似ているらしい。どこが似ているのかは全然わからないが、そう言われると無性に腹が立ち、吐き気がし、嫌な気分になり、祖母のことがますます嫌いになった。できることなら今すぐ棺桶に入った祖母の顔に唾を吐きかけてやりたいぐらいだった。
 その夜、私たち家族は祖母の家に泊まった。私と姉は同じ部屋で寝た。私は蒲団の中で祖母のことを思い出していた。

 もうずいぶん前私が五歳か六歳のときに、誤って祖母が大事にしている壺を割ったことがあった。私は怖くなってそのまま知らんふりをしてその場をあとにした。しばらくして祖母が壺に気づき、私に聞いたが、私は「知らん。」と答えた。祖母は次に兄に聞いた。兄は気性の激しい人で、やはり祖母のことを嫌っていた。
 壷のことは無論兄にとって身に覚えのないことである。兄は激怒した。「なに俺のこと疑っとるんやッ。ボケて自分で割ったのを忘れてとうだけとちゃうんかッ!」
 隣の家まで聞こえるくらいの怒鳴り声だった。祖母は必死に謝ったが兄の怒りはおさまらず、兄が疑われたことに対して母も怒り、しばらく口論が続いた。私はそれを傍で見ながらガタガタ震えていた。逃げ出したくなった。
 突然祖母が台所に行き、包丁を取り出した。祖父が慌てて祖母を羽交い締めにして止めた。祖母は暴れながら「でていけえッ! お前ら、この家からでていけえッ!」と叫んだ。恐ろしい形相だった。私は「殺されるッ。」と思った。思ったが、仕方ないとも思った。私はただうつむいて震えながら時間が過ぎるのを待つほかなかった。しばらくして話し合いは終わった。もちろん誰も殺されることなどなかった。
 その後私たちはその家を出ることになった。すべて私のせいだった。新しい家は祖母たちの家からあまり離れていなかった。父に一週間に一度くらいは祖母に顔を見せるように言われた。私はよほど「嫌だ。」と言ってやりたかったが、祖母に対する罪悪感から行くより他なかった。
 私が来ると祖母は喜んだ。私はその笑顔をまともに見ることが出来ず、いつもどこか微妙に違う方向に視線を向けていた。祖母といつも何を話していたのかはよく覚えていない。たいてい上の空で聞き流していたからだ。
 いつからか祖母は「死にたいィ。」と言うようになった。恐ろしかった。祖母がそんなことを言うのはすべて私のせいではないかと思ったからだ。祖母は「ひろちゃん、うちと一緒に死なんか。もうトリカブトも買ってあるんや。うちと一緒に死なんかァ。」と泣きながら言った。私が首を振ると寂しそうな顔をした。
 ある日私は祖母に首を絞められた。祖母の両手が私の首に食い込んできた。「ひろちゃん、死のう。うちは一人で死にとうない。死のうゥ。」
 老人とは思えないほどの力だった。だが振りほどこうと思えば振りほどける力だった。しかし、振りほどくことができなかった。これは罰だ、と思った。すると私の目から涙が滲み出てきた。祖母の両手が緩んだ。祖母は私の首から手を離し、うつむいて泣き始めた。私はどうしたらいいかわからずそのまま祖母を置いて家に帰った。また逃げ出したのだ。
 
 私が蒲団の中でそんなことを思い出していると、すすり泣くような声が聞こえてきた。姉だった。私は姉がうらやましいと思った。同時にうしろめたく思った。その日は寝ることが出来なかった。
 
 それから一年が過ぎ、私たちは祖母たちの家に再び住むことになった。祖母が死んでから祖父の痴呆が急激にひどくなったからだ。
学校に行く前に父に呼び止められ「たまには婆ちゃんに手を合わしなさい。」と言われた。仏壇の前に座り手を合わせて目を閉じるとあの祖母の寂しそうな顔や、恐ろしい形相が浮かんできた。
 ふと祖母は私が壺を割ったことを知っていたのではないかと思った。それは私の中でだんだん確信めいたものに変わっていった。私は自分の心臓が高鳴るのを感じた。冷や汗が脇から流れた。祖母は私が壷を割ったことも私が祖母を嫌っていたこともみんな知っていたのではないか。
 すぐそこに祖母が立っているように思えた。祖母はどんな顔で私を見ているのか。あの寂しそうな顔だろうか、笑顔だろうか、それともあの恐ろしい形相なのか。私はどうしても目を開けることが出来なかった。

       

表紙

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