Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 一郎は、夢見がちな少年だった。
 山に囲まれた田舎で生まれ育ったせいでもあるし、生まれつきの性格もあった。
 学校帰りに山道を一人で歩き、ぼんやりと過ごす事が好きだった。周囲の大人達はあまりそのことについてとやかくは言わなかった。村自体がのんびりとした風土であったせいもあるのだろう。
 一郎の家は代々、占い師のような事をしていた。
 今年は豊作だとか、台風がいくつやってくるとか、そんなお告げをして村人からお布施をもらって生活をしていた。
 その能力があるのは祖母だった。父はその能力を受け継がなかったため、母と一緒に隣町の工場に働きに出ていた。

 ある日のこと。一郎が下校途中、山道を歩いていると目の端に何かを捕らえた。
 緑色の木の葉で出来た服を着た小人だった。きちんと目で捉えようとするとその小人は見えなくなった。何度やっても同じこと。
 一郎は恐ろしくなり、すぐに家に帰って祖母に話した。
 祖母はにっこりと笑いながら答えた。
「それはクスノキの精だよ」
「クスノキの精?」と一郎。
「そうだよ。お前にも見えるようになったんだね。お前のお父さんはさっぱりだったけど、あたしは後継者が出来て嬉しいよ」と一郎の頭をなでた。
 それから祖母は一郎に、妖精の事について色々と話してくれた。
 世の中のもの全てに精がいること。イチョウの精に杉の精、トンビの精に鳩の精。鯨の精にイワシの精。
「水や風の精もいるの?」と一郎は聞いた。
「ああいるとも。なんにでも。お前も大きくなるにつれて、何がどの精か自然と分かるようになるよ」と祖母は相変わらずの優しい顔で言った。
 そしてそれらの精を観察すると、大自然の動きが見えてくるのだという。
「精とお話できるの?」と疑問をぶつけた。
「普通はお話しする妖精様は少ないけど、中には話しかけてくるのもいるよ。でも話しちゃいけないよ。妖精様は良いお方が多いけれど、中には性悪なヤツもいるからね。そういうヤツに関わるとロクな事にならないよ」
「うん。わかった。でも精霊様とお話したいな、ボク」
 しかし一郎は祖母の言いつけを良く守り、精霊を見るだけにした。
 風の精が多いと大風が近づいてくる。火の精が騒がしいところでは必ず火事があった。
 やがて祖母の力を借りなくても、どの妖精が何の精か分かるようになってきた。
 しかし正体不明の精がいた。
 長いワシ鼻と切れ上がった口を持ち、耳はとがっている。黒くは無いが絵本に出でてくる悪魔のような顔だ。
 そいつは意外なことに一郎に話しかけてきた。
「坊ちゃん、坊ちゃん。わたしが見えるんでしょ」
 ざらついた声だったが、どこか魅力的でもあった。
「……」一郎は祖母の言いつけを守ってひたすら無視をした。
「ねぇねぇ。坊ちゃん。お話しましょうよ」
 その謎の精はしつこく一郎にまとわりついた。
 一郎は、祖母からもらったヒイラギの葉の粉を体に振りかけた。魔よけの道具だ。
「そこまで嫌われちゃしょうがないですね。今日のところは退散いたしますか。でもお婆ちゃんには私と会ったこと黙っておいてくださいね」
 謎の精は耳に残る笑い声を残し、どこかへと消えていった。

 数年たった、ある夏の日。
 一郎は友人と釣りに行く約束をしていた。
 祖母に弁当を作ってもらい手渡され、外に出ようとした瞬間、背中からうめき声がした。
 振り向くと、祖母が胸を抑えて座り込んでいた。
「大丈夫? おばあちゃん」一郎は祖母に手を貸そうとした。
「何でもないんだよ。このところよく胸が痛むんだよ。心配しないで、さぁ遊びに行っておいで」
「でも……」父も母も仕事に出ていた。
 友達との約束もある。
 釣りの魅力にはまり始めたころで行きたくもあった。
「さぁ、お行き。ばあちゃんはもう大丈夫だから」そう言うとよろよろと転げるように縁側に腰掛け、うなだれた。
「う、うん」
 恐る恐るといった足取りで一郎は川へと向かっていった。
 祖母のことを心配しながら始めた釣りだったが、やがて友達とのおしゃべりや釣果のほうに夢中になっていった。
 日も暮れて帰ると、玄関に立っていた父がいきなり怒鳴った。
「おまえ、どこまで遊びに行っていた? ばぁちゃんが死んだんだぞ!」
 呆然と立ち尽くす一郎に、なおも怒鳴り声が続く。
「ばあちゃんが心臓悪いの知っていたんだろう。お前がついていてやれば婆ちゃんだって死なずにすんだのに!」
 一郎はどうして良いか分からずに、泣きながら自室に走っていった。
 父は追ってこなかった。
「だって、だって…」と一郎はひとり言い訳をした。
「そうですよ。坊ちゃんは悪くないですよ」と背中から声がした。
 振り向くと、あの悪魔のような姿の精だった。
「いや、でも…」と言った瞬間ひやりとした。妖精としゃべってしまったのだ。しかしもう後戻りは出来ないし、胸のうちを誰かに晒したくてその精と話してしまった。
「でも僕が少しでも気をつけていたら…あんなに釣りに夢中にならなかったら…」
「坊ちゃんがいくら自分を責めようとおばあちゃんは戻ってきませんよ」
「でも…」
「それに遊びに行けと言ったのは、当のお婆ちゃんじゃりませんか?」
「……うん」
「そうでしょ。お婆ちゃんはもういいお歳でした。天寿を全うされたのです。それに死の間際で坊ちゃんの悲しむ顔を見ずに死ねたのです。坊ちゃんが元気に遊んでいることを想像しながら死ねたのです。不幸でも何でもありませんよ」
「そうかな?」一郎の心は少し軽くなった。
「そうですとも」
 その精はにっこりと微笑んだ。

 一郎は中学に上がるころになると悪い級友たちと遊ぶようになった。
 当然勉強はおろそかで、成績は下から数えたほうがはるかに早かった。
 両親はそんな一郎をたびたびきつく叱るようになった。
 一郎が反省してため息をついていると、妖精はどこからともなく無く現れ、こう慰めてくれるのであった。
「なぁに若いうちは、どんどん遊んだ方が将来大物になれますよ」
「そういうものかな?」
「そうですよ。感受性の豊かなときこそ楽しいことにどっぷりと浸かるべきです。アインシュタインだって学生時代は落ちこぼれだったと言いますし」
 妖精と話しているとなんだか楽天的な気分になれた。
 しかしそれと同時に成績はさらに下がっていき、高校は当然それに見合った処に行くことになった。
 さすがに将来を考えると遊んでばかりじゃいけないな、と思うと妖精はやってきた。
「なぁに人生は長いんです。あとでいくらでも取り戻せます。今のうちにしか出来ないことをしておきましょう」
「そうかな」
「そうですとも。私が保証いたしますよ」

 大学は行けたもののいわゆる三流大学だった。
 小言の多い父母から解放され、自由な毎日を味わった。大学では付き合いから麻雀を覚えた。新たな友人たちと囲む卓は楽しいものであったが、一郎はもっぱらカモであった。
 月末になると口座残高を見ては青色吐息になる。時々そんな自分に嫌気がさして、一人ため息をつく。
「なあに、今しか出来ないことをやっているんだ。未来への自分への投資だと思えば…」彼はそう一人つぶやいた。
 しかし、そうは言っても生活費はかかる。仕送りやらバイト代は片っ端から消えてゆく。
 彼は、親に内緒でローン会社から金を借り、何とかしのいでいった。
 ローンの返済のためにアルバイトの数を増やしたせいで、学業はおろそかになり、そのうちに辞めてしまった。
 両親は田舎から出てきて一郎をこっぴどく叱ったが、彼の心には特に響かなかった。
 両親が帰郷したあと、
「俺ばかり叱って……そもそもこうなったのは麻雀に誘った友達たちじゃないか」と一人文句をたれた。
 妖精はいつものごとく「そうですとも坊ちゃん」とニコニコと言う。
 一郎は学校を辞めたあと、父親のコネで小さな会社に入った。
 その会社は零細企業にありがちな封建的で閉鎖的な職場だった。若い一郎にとっては満足できる場所ではない。
 彼は憂さ晴らしをギャンブルに求めた。
 しかし安月給では続かない。またもや消費者金融で金を工面し始めた。初めのころは何とか返済もやっていけたが、やがて不況になると給料もボーナスも下がり始める。こうなると返済のために、また別のところから借金を作っていった。
 やがて借金は雪だるま式に増えてゆき、金を貸してくれるところは最早まともなところは無くなった。
 給料日前になるとヤクザ風の男が会社まで返済を迫りに来るという事態になった。
 一郎は会社に居辛くなり、退職をした。
 わずかな退職金はすべてを借金返済に充てたが、それでもまだ半分以上残っていた。
 再就職をしたが、人間関係や給与面での不満がつのり長くは続かなかった。
 職を転々としはじる生活が始まった。
 ときどき一郎は酒を飲みながら「あの同僚が俺の足を引っ張ったからだ」「中途採用ということで上司が正当な評価をしないからだ」と責任転嫁の愚痴を言う。妖精は「そのとうりです。あなたは何も悪くはありません」と相槌を打つ。
 やがてその日暮らしのような生活に落ちていった。借金は相変わらずある。もはやとても返せる額ではない。故郷の田畑も借金のかたに取られてしまった。

 ついには、うらびれたアパートを追い出された一郎はため息をついた。
「はぁ、なぜこんなことになったのだろう? 悪い友人のせいだろうか? 俺の実力を評価してくれなかった会社のせいか? それとも社会のせいなんだろうか?」
 妖精がいつものように何処からともなく現れ、
「そうですよ。あなたは何も悪くはないじゃないですか」と言う。
 一郎は妖精を眺めて、どうして今まで聞かなかったのだろうと我ながら不思議に思い、その疑問を口にした。
「お前はいったい何の精なんだ?」
 妖精はくくくっと含み笑いをし、
「ひとのせい、ですよ」と言った。

       

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