Neetel Inside 文芸新都
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不忠の糸
過去を刻む懐中時計

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ティータイムを終え(テレーズがお茶を飲めないと言う事実に少し寂寞の感がある
)たのでこの家というものを把握しなければならない。
邸第、屋敷、家、あらためサナトジウム。このquaintな建物の全容を掌握しなくては。テレーズにそう切り出したところ、
「全部は無理ですよ、この館には無意味なものが多すぎます。あと、その中に危険なものも希にあるのです。だから取りあえず寝室とバスルームだけご案内させて頂ければ」
少し残念だった。

魔法というものは存在するだろうか。存在しない。今この状況が在るのはこれが私の夢の中だからだ。全てが夢だと思うとこうして廊下を歩くのも面倒くさくなり、寝室に着いたらベッドで眠ろうと言うようなことを考えていた。そんな考えはしばしば現実世界にも適用されるが、それだけはやめたほうがいい。
寝室の戸扉をあけると、天蓋付きのベッドがある絢爛な寝室の全容が目に入ってくる。
「豪華なベッド・・・。」
言うなり寝転がった。
しばらくし、飛び回って部屋中を点検していたテレーズがナイトテーブルの上に置いてある時計に目をとめた。
「どうしたの?この時計が何か?」
「はい、マスター。この時計は『過去を刻む懐中時計』です。時読みにはあまり役に立ちません」
はっと息をのんだ。過去。まさか時間を溯(さかのぼ)る行為が、魔法では可能だというのだろうか。
「それはどういう懐中時計なの?」
「はい、ええっと、見てください。この時計は9時17分を指していますが、無論今はその時間ではありません。これは昨日の9時17分のことなのです。そしてこの時計は正しい時を指している・・・つまり昨日の9時17分に存在するべき物体が、私達と同じ時間に存在しているのです。不思議ではありませんか?」

よく考えて馬鹿らしくなって笑った。

     

「どう考えても、嘘よそれは。私達に認識できるものは現在のものだけで、いくら過去が鮮明に甦ろうが、未来が浮かんでこようが、はっきりと認識できるのは現在だけなんだから、つまりその時計が本当に過去を刻んでいるとしたら、私達の目には見えないはずよ」
「見えるのが魔法の世界なんです。それでもこの時計は役に立ちませんけど。」
「しゃあ、その時計を進めて現在を刻ませてみるのはどう?」
「御法度です。それよりも、もっと役に立つ時間の知識というのがあるのです」
テレーズはそう言って私の袖を引き、耳打ちした。
「時間を止める方法です。あなたの元いた世界でも使える方法ですよ。」
私はまた笑った。またこんな赤嘘をつくとは、なかなか侮れない。私は地球が属している法則で、時間を止めるのがいかに難しいかを縷々と説明した。
「それでも、時間を止める方法があるんです。」
テレーズはそう言ってなおも得意げに笑っている。私は馬鹿らしいと思って笑っている。和気藹々だった。

「・・じゃあ、その方法というのは何?」
「それは、その時間に留まりたいと思って念じることです。例えばあなたが3:00という時間に固執すれば、その時間にあなたの精神の一部が残留思念となって残るわけです。だから人は、現在から溯ってその時間について思い出すことができる訳なんですが、仮に、その時間に対する思いが余りにも強く、精神の半分以上がその時間に固執したとしたら、・・・そう、あなたはその時間への残留思念として人格を持つわけです。『この時間に留まりたい』と強く思えば、あなたはその時間の残留思念として一生を終えることが出来ますよ」
そのような説明だった。

「そこまでして時を止めようとは思わないけれど、・・私が昔のことを憶えているのは・・・精神の一部が残っているからだ・・・と言うの?」
「はい」
あまり相容れないと思いながらも、言葉が口をついて出た。
「じゃあ・・・虐げられている瞬間の時間にとどまっている私の精神は、永遠に虐げられているって言うの?」
「気に病むことはありません」
確かにその通りだ。こんな事を考えても何にもならない。気分転換に次の亊をやることにした。

     

「バスルームへは王道があるんですよ」
テレーズがそう言って陽気に飛ぶ。その手には先ほどの時計がぶら下げられていた。


その後バスルームに行ったが、特に変わったところはなかった。
「マスター、早速お風呂に入りますか?」
と人形のテレーズが謂う。無論彼女は入らないわけだけれど。
「さっきティータイムにしたばかりじゃないの」
「でももう案内も終わりましたし」

すばらしく綺麗な浴場だったので、入ることにした。こんな上等な入浴は、生まれてから十何年たって、全くの初めてだった。それは割愛する。驚いたことに、浴場のなんとか窓から外を眺めると、いつの間にか夕方だった。
この世界では時間というものが随分いい加減だということを再三修得した。しかしもしかしたら厚雲で太陽の位置が隠れていたせいかもしれない。
 バスタオル、パジャマ、体重計、必要なものはすべてあった。ナイトガウンを羽織って二度リビングで彼女と落ち合った後は夕食を食べずにすぐに寝た。

 私はベッドに入ってもなかなかねつけない質(たち)である。そういう時、どんどん余計なことを思い出してしまうことがあるので、そのときは頭を振ってそれを追い落とす。さらにもっといい方法がある。というのも、あの馬鹿らしい懐中時計のことを密かに思い出すのだ。『今何時ですか?』『昨日の11時01分です。』このような意味のないものの事を考えると、一日目はそれで快眠できた。

       

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