Neetel Inside 文芸新都
表紙

不忠の糸
夙興と、昨日の首飾りと、懺悔

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もう彼を思い出すこともない。





私の、此処での生活の二日目になる。寝付きがよかったせいか、太陽も顔を見せない早暁に目を醒ました。二度寝をしない気概は無いので、さっさと体を布団で覆い直す。・・・十分ほど経って、あえなく空腹に起こされる。私の朝はむげだと思った。

東向きの弓窓のカーテンをあけて朝の日を採り入れる。
太陽は暈(かさ)をさしていままさに昇ろうとしていたのだが、この世界の太陽はどこか詩情に欠ける。灰色の大地のせいだろう。もやは昨日よりも薄く靡いていた。



そういえば、人形は眠らないのだろうか。そんなことを考えながら臉をこすり、寝室の戸扉を寝ぼけた眼のまま開ける。と、その寝ぼけた眼にはっと飛び込んできたものがあった。
それは戸扉だった。この部屋の向かい側にも部屋があったのは知っていたが、あらためて見ると気になるものだと感じる。ので、昨日のテレーズの訓も忘れて、思わず取っ手に手を掛ける。そして鍵が開いているのにかこつけて中を探索してみた。

     




 寝室とは似てもにつかないようなボロ部屋がそこにあった。
荒然としたほこりまみれの四方の壁。薄暗がり。空き部屋とはかくあれとでも言うような体で存在している場所。
「とりあえず何か無いか探ってみよう・・・」
部屋の隅にタコ壷があるが、神秘の欠片も感じないので無視しておく。
机の上には、・・・机の上しかない、(向かいにありながら二つの部屋は広さがだいぶ違うようだ)
何かが置いてある。近寄ってみると、首飾りのようなものが、無造作にそこに存在している。
無造作というわけではなかった。そのペンダントには取扱説明書が付属していた。
鳩散らしにもこういうものつけてくれていたらいいのに、と思うとおさまらない。
三訓の3番目に従うべく、なるべくゆっくり目を通した。

『 ・昨日の首飾り

あなたの思い出したいことも

忘れてしまったことも、

過去を軽々と思い出せます。

使いすぎに注意!             』
染みたインクでそう書いてあった。

「『昨日の首飾り』・・・?」
これは・・・・・・・・・・・駄目だ。この道具はイヤなものだ。こんなものを使いたくはないし、第一、忘れてしまったものと言っても、具体的に何を思い出すというのだ。この道具は、不完全で、聊爾で、 役立たずで、 そして悪意を持っている。

発光する首飾りの宝石を睨めつけながら、沈黙が流れた。それは自分が作り出した痛いほどの沈黙だった。過去・・・私にとって忌むべき過去・・・照らすべからず。
沈黙の中でそれに負け、首飾りにそっと手を伸ばした。宝石に触れないように、そっと金細工の表面をなぞる。
「・・・・・・っ!」
とっさに手を退いた。心臓が激しく鳴動している。記憶の一片、何を見たかも忘れてしまうような有耶無耶な過去の映像が、頭に浮かんだ。蝕んだ。
これは忘れている過去だ、動悸に苦しみながら企てる、恐怖に駆られて。
机を傾け、首飾りが落ちるのを確認してから、それを思い切りひっくり返した。
数分前とは変わって、さながら逆さまの国のアリスのようにペンダントの上に机が乗っている。
壊れた筈だ・・・。壊れた・・・・。たとえ壊れていなくても良い、この部屋には鍵を掛けて二度と入れないようにして貰おう。



空き部屋を出ると、先程より何段と明るかった。いそいで駆け込んでベッドの上に寝転ぶ。
まだ気分が悪かった。過去、どこまで行っても過去。私は自分の父親を殺した。
あまりにもつらかったから。ある日我慢できなくてとうとう殺した。
忘れられないのに、忘れようと思っていた父親に関する全ての事・・。
思い出すだけで背筋が凍る、したものにしか解らない感覚。
決して許してもらえるとは思わない。
あまりにも最低な父親だったけれど、私のしたことは・・・私は殺人者だ。
あのときあの男はどんなに悲痛な死に顔をしていた?そして私が何を考えたかというと、ただひたすら自分の保身。捕まりたくないという願望をのうのうと巡らしていたではないか。
だからこんな所に連れてこられた。
殺人を犯し、どうしようもなくなった私は、あまりに現実を受け入れられなくて、人の住む世界からセパレートされた――ここは私の牢獄。
そう、考えようによっては良いかなと思う。
普通の刑務所に何年間も閉じこめられるより、ひとりきりで、一歩も出られない洋館で一生を過ごす方が気が楽でいい。たとえ狂った世界だとしても。
そうたとえ狂った世界だとしても、ここには高級な調度がある、尽きることのない食料がある。誰にも監視されないし、ある意味では退屈しない・・・。
魔法など存在しないと思っていた私が、魔法の世界に追放されるというのは、皮肉であるがその程度のもの。この牢獄は私を守るために存在している、とも考えられる・・・。

 ここは天国でも地獄でもなく、コキュートスでもシャングリラでもなく、私の精神世界でもない。人の世が必要としなくなったモノの牢獄、人の世を必要としなくなった私の世界。
「わたしが殺したのよ・・・」
声を絞り出す。言えた。言えたのは当然だ、もうここには誰もいないのだから。
一応ここには仏蘭西人形のテレーズがいる、誰もいないというとテレーズに失礼かと思って、でもやはり人形ではどうなることもあるまいと思って、テレーズに会いに階下に行こうと思った。







       

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