【賭博濁流録ミライ】



01.

 ある日のことである。
 ルカジたち一行は場末の雀荘で卓を囲んでいた。
 といっても、なにか賭けているわけではない。ノーレートで遊んでいるだけだ。
 メンツはルカジ、キクチ、みらいの三人。マンズを抜いた三人麻雀に興じていた。
「また勝ったなぁ、ルカジはん!」
 キクチがドラを打ち出した。ルカジはそれをポンし、卓縁に寄せる。
「ああ」
 今日のルカジが潜り抜けた勝負はポーカーだった。
 相手の自暴自棄気味のレートアップを冷静にいなし勝利を拾ったのだ。
 しかし、喜んでしかるべきはずのルカジの顔は、不思議と浮かない。
 眉間に傷に似たシワを寄せ、時々憂鬱そうに吐息をつく。
 これは彼の常で、たとえ圧勝したとしても決して無闇やたらに喜んだりはしない。
 むしろ彼の脳裏には、さっきまでの勝負の反省点が駆け巡っているのだろう。
 次の勝負に活かすために……。
 そんなルカジとは対照的にキクチは陽気だった。
 無理もない。ここのところ連戦連勝で、ライツにもいくぶんかの余裕ができている。
 少なくとも、二三日中に靴をなめる仕事はしなくて済みそうだった。
「やっぱりアンタは天才やなあ。いったいどんな神経しとん?」
「べつに……。ロン」
「あちゃっ……」
 ルカジは手を崩すと卓を立った。
「今日はもう二戦したから、俺はもうあがるが、おまえらはどうする」
「わいも適当にぶらついたら帰るわ」
「そうか。じゃあ……」
 ルカジは素っ気無く数枚の紙幣をキクチへ渡した。
「いつもすまんな、ルカジはん」
「いや、お互いさまだ。おまえらには世話になってる。それにそのうち、返してもらうさ。……おい、みらい、いらないのか」
「えっ? あ、いや」
 何気なしに中空を見つめていたみらいは反射的に500ライツ受け取ってしまっていた。
 手の中の紙ぺらを少しの間眺めていたが、やがてポケットに仕舞い込んだ。
「じゃあ、今日はこれでお開きやな。……ってもうおらへんし」
 ルカジの背中は扉の向こうへと消えるところだった。
 キクチはテキパキと牌を片付けていく。几帳面に牌の向きを揃えていた。
「しっかし、ホンマにお強い人や。ついてきて正解やったなぁ」
「……」
「みらいはん? どないしたん?」
「……ん? あ、いや……なんでもない」
 みらいは慌てて笑顔を浮かべたが、すぐに仏頂面に戻る。
 今日、胸が塞ぐ思いを抱えていたのは、ルカジだけではなかった。


02.

 動物園の中を、みらいはあてもなくフラフラと彷徨う。
 通り過ぎていく勝者と敗者を横目に流しながら、心中はたったひとつの感情にびっしりと埋め尽くされていた。
 焦燥。だが決してライツがないからではない。
 ルカジに頼っている今の、悪く言えばたかっている状況がみらいに破滅を予感させていた。
 確かにルカジは強い。だからといって、いつまでも彼に頼っていてよいのだろうか。
 いくつか前のギャンブルが終わったあたりから、みらいはそう思い始めていた。
 どの道、いつかは自分で勝ち取っていかねばならないのだ。この動物園の中で生き抜いていくためには。
 もうゴロウや兵堂は自分たちでライツを稼ぎ始めている。
 いくらルカジがいいと言ってくれてはいても、このままでは……

 死ぬ。

 足手まといになって、三人もろとも……。



03.

 ふと視線をあげると見慣れない場所にいた。無意識に人通りを避けていたら、裏路地に迷い込んでしまっていたらしい。
 辺りを見渡すが見覚えはない。どことなく薄気味悪く、みらいは身震いした。
(参ったな……)
「そこの……お嬢さん?」
「ひゃっ!?」
 振り向くと老人が壁にもたれて座っていた。
 人懐こそうな笑顔を浮かべながら、粗末なゴザの上にあぐらをかいている。
 その足元を鼠が通り過ぎていった。
「びっくりした……」
「ああ、驚かしてしまったかな。すまんね」
「いいけど……あと、オレは男だ。勘違いするな」
「ほほ、そうかね。へえ。そりゃ悪かった」
 老人は飄々と笑いながら顎ヒゲを撫でている。
「じいさん、アンタ、なにしてんの。……これ、なに? ガラクタ?」
 老人のゴザにはいろいろなものが雑多に積み重ねられていた。
 壊れたテレビ、野球ボール、卓球のネット、トランプ、雑誌、望遠鏡……なぜか女子用のスクール水着まであった。
 老人はひょいと野球ボールを手に取るとパンパンとホコリを払った。
「失礼な。売り物だよ」
「そうは見えねえけど……買うやついんのかよ」
「はは、意外とこれが売れるんだ」
「どうだか。そんなことよりじいさん、オレ、迷っちゃったんだけど、帰る道教えてくれないか」
 差し出された老人の右手をみらいは見下ろした。
「1000ライツ」
「なんだよ、金取るのか。じゃあいいよ、バイバイ」
 立ち去ろうとしたみらいの背中に老人の声が追いついた。
「見えるのォ。お嬢さんの顔に……死相がなァ」
 みらいはため息をつきながら振り返った。心なしか声に棘が混じる。
「ケンカ売ってんの?」
「ハハハ、いやいや、そんなこたぁない。
 ただ……どうも曇ってるからの、顔が。
 お嬢さん、迷ってるちゅうんは、帰り道だけかい。
 本当は、もっとべつのことでお困りなんじゃないかな」
「……なんでそんなこと、アンタにわかるんだよ」
「気持ちが顔に出すぎだなァ。
 正直者は結構だが、それじゃあお嬢さん、死ぬぞ。
 ギャンブルで、あっさりスっちまう。自分の命さえもな」
「……ハア。
 どうしろっていうんだよ、一体」
 老人はかっかっかと高笑いした。その声は狭い路地裏に反響し、まるで何人かの人間が一斉に笑っているようだった。
「お嬢さん、たったひとつだよ、たったひとつ。
 勝負するしかない。腹をくくるしかないんだ。
 ――また、なにかあったら相談に乗るよ。いつでも来な」
「……気が向いたらね」
 老人に片手をあげて挨拶しつつも、みらいの脳裏にはさきほどの言葉がいつまでもループしていた。
 ……勝負しかない。



04.


 結局、元の道には戻れなかった。
 みらいはいま、袋小路のどん詰まりにいる。
 そこには扉がひとつあった。横の粗末な立て看板にはペンキで英語が殴り描かれている。

【GREEN DOLPHIN】

「グリーン……ドルフィン……」
 どういう店なのだろう。
 なんにせよ、恐らく扱っているサービスはたったひとつ。
 ギャンブルだ。
 やや躊躇した末に、みらいは中へと忍び込んだ。
 地の底まで続いていそうな階段をみらいは恐々と降りていく。
 灯りは粗末な蛍光灯が壁に点々と備わっているだけ。
 いったい、この先ではどんなギャンブルを行っているのだろう。
 カジノ形式なら、ポーカーやブラックジャック、スロット、ルーレットか。
 あまり心理戦に強い方ではないから、ルーレットやスロットがいいかと思う反面、対して強運を持っているわけでもないことに気づいてガックリと肩を落とした。
(やっぱり、帰ろうかなあ……)
 早くも一人ぼっちに耐え切れず心細くなってきていた。
 と思った次の瞬間、階段が平地に溶け込んだ。猶予期間は終了したのだ。

 しばらくその場に突っ立って、目の前を塞ぐ鉄製の扉を睨みつけていた。
 いざ入ろうとすると、手のひらからじっとりと汗がにじみ出て来た。
 ここに来て、初めてやる、自分の博打。
 賭けるのは、張るのも、負けるのも……自分。
 しかし、とみらいは歯を食いしばる。
 ここで進まなければ、いつまで経ってもこのままだ。
 このままでは、ダメなのだ。

 この向こうにあるのは果たして希望か破滅か……。
 みらいは扉を開け放った。
 眩い光がみらいを覆う――



05.

 プールだった。
 蛍光灯に照らされて、水面がキラキラと光を跳ね返している。
(やばっ……もしかして私有地に入り込んじゃったのかな……でも、それなら看板なんて出しておかないはずだし……)
 きょろきょろと辺りを見渡すと、寝転がっている男が目に入った。
 その男は色黒な肌をしており、床の保護色になっていたので気づかなかったのだ。
 みらいが近づくと、顔を覆っていたグラビア雑誌をどけ、ぎょろりと侵入者に鋭い視線を投げつけた。
「や、やあ」
 とりあえず挨拶だ、とみらいが手を挙げると男は起き上がり首をぐるりと回した。骨がコキコキと鳴る。
 みらいと頭二つ分は違うほど長身の男である。みらいはなんとなく昨日食べたサンマの細く鋭い身を思い出した。
「なんか用?」
「いや、用っていうか……。
 ギャンブル、しにきたんだけど」
 心臓を暴れ馬のようにさせながらみらいがその言葉を口にすると、男は一瞬固まった後、にいっと笑った。
「なんだ、そうなの。いいよ。やろうぜ」
 案外あっさりと了承してもらえたのでホッとするものの、まだ肝心のことを聞けていない。
「あのさ……なんのギャンブルをするんだ? 奥にカジノでもあるのか?」
 男はにやりと笑った。
「なにってそりゃあ、泳ぐのさ」





06.


「ルール説明は公平に私の口からさせていただこう」
 どこからともなく立会人――三科が現れた。ミスターうるちかおまえは。
 プール隅にある倉庫に三科が入っていき、カゴを乗せた台車を押しながら戻ってきた。
 みらいが背伸びをしてその中を窺うと、小さな六角形が山のように積まれているが見える。
 その中のひとつを三科は取り出し、二人の前にかざした。
「このゲーム【グリーン・ドルフィン】は至極明快なゲームだ。
 いまからこのカゴの中の六角形――ヘキサゴンをプール内にブチ撒ける。
 おまえら二人は一時間の制限時間の中で、それを取り合うのだ。たったそれだけ」
「二人一緒に入るのか?」
 みらいが教えを請う生徒のごとく手を挙げて質問した。
「いや、違う。一人が入り、息が続かなくなったら交代だ。いわばターン制だな」
「一度プールに潜ったら、息継ぎはなしってことか」
「そうだよ」
 答えたのは対戦相手の男だ。
 彼はルール説明を受ける必要がないので、壁際にもたれかかってみらいを眺めていた。
「華奢なおまえさんにゃあキツイだろうな」
 油断たらたらの男の態度がみらいのカンに触った。キッと男を睨み返す。
「オレは負けない」
「クク……そりゃ楽しみだ。あ、そうだ言い忘れていた」
「なんだよ」
「一度潜ったら必ず、一個以上は取らなきゃダメだぜ」
「え? そんなの当たり前だろ」
「クク、いやいや、たまにいるんだ。差が大きくなると、ね」
「差……?」
「そのことについて説明してやろう」
 三科が無愛想に言ってきたので、みらいは向き直った。
「ヘキサゴンを取り合うといっても、それだけではただの潜水競技でしかない。そこでだ」
 かざしたヘキサゴンを裏返した。
「50……? あ、ライツのことか」
「その通り。
 このヘキサゴンの裏には、バラバラのライツの量が刻まれている。
 だからタイムアップ時に、獲得ヘキサゴン数では負けていても、獲得ライツで勝利していれば勝ちだ。どんなに絶望的であっても、逆転が残されている。
 このギャンブルで獲得できるライツは相手との差額ではなく、あくまで自分が稼いだ額のみ。
 ここまでで、なにか質問はあるか?」
「うーん……。その六角形、全部でいくつ?」
「600個だ」
「ライツの合計は?」
「知らん」
「は?」
「それはヤツの方が詳しいだろう」
 話の矛先を向けられた男は、にやにや薄気味悪い笑みを浮かべている。
「わからん方がいいだろ。勝ったときのお楽しみってやつだ」
「それじゃ負けたとき、ライツを払えないかもしれないだろ。そんな勝負は受けられないよ」
 みらいの当然の反論に男は笑みを深めた。
「いくらでもあるじゃないか。
 人券がさ」
 背筋に冷や汗がつたうのを、みらいは感じた。
「どうする、やめるか?
 まァ、その方がいいと思うがなァ。ククク……」
「……る」
「ん? 悪い、よく聞こえなかった」
 みらいはまっすぐに男を見据えた。


「勝負するって、言ったんだ」


 みらいと男の視線が空中で激しく交錯する。
 それまでのどこか穏やかな雰囲気は消し飛び、ちょっとした振動でなにかが破裂するのではないかと思わせるほどの緊張感が充満する。
「……合意と見てよろしいようだな。
 では【グリーンドルフィン】を開始するっ……!」

 こうして秋川未来、その初めての博打が始まった。



07.

「あ、悪い。水着買ってくる」
 土壇場でこんなことを言い出したみらいに、男が怪訝そうな顔をした。
「べつにパンツ一丁でも全裸でも俺は構わんぞ」
「そ、それは嫌だ。すぐ買ってくるから待っててくれ」
「ちょうどいい。私も今からヘキサゴンをバラまかなくてはならない。その間に行って来い」
「サンキュ」
 三科と男に見送られ、みらいは一時、その場を後にした。
「クク、これから死ぬヤツに、恥ずかしいもクソもあんめえ。なあ、三科?」
 男の呼びかけに、三科はなにも言わなかった。



 みらいが戻ってきた。
「それはなんの冗談だ……?」
 鉄面皮と名高い三科の頬が引き攣っている。その横で男は腹を抱えて爆笑していた。
「し、仕方ないだろ! これしかなかったんだからっ……!」
 みらいが身に着けていたのは、当時のライツ価値に換算すると測定不能。
 現在のスクール水着である。



08.

「く、くく」
「いつまで笑ってんだよ!!!!」
 顔を真っ赤にしたみらいを男はいさめた。
「悪い悪い……まあ気にするな」
「もういいか……勝負を始めても……?」
 なんだかげんなりした様子で三科が言った。
「それじゃあ先攻後攻を決めようぜ」
「わかった。……最初はグー」
「じゃーんけんっ」
「ポン! ……やった!」
 男のチョキをみらいのグーが粉砕した。
「あぁ、くそっ」
「へへへへ……」
 握り締めた自らの拳を誇らしげに見つめた。今日はついてるのかもしれない。
『こっちを見ろォ』 
 突然声が大きくなった三科を見ると、飛び込み台のところからメガホンで喋っていた。
『水中でも声が聞こえるように、私はこれを使って喋る。十分おきに残り時間を言うから、安心して潜れ』
 三科のうしろにはバスケットの試合などで使われる電光タイマーが置いてあった。




09.

「……よし」
 準備運動を終えたみらいは最後にうーん、と体を伸ばした。
 この土壇場で足でも攣ったら笑えない。
 いよいよ勝負開始である。
 小脇にヘキサゴンを入れるためのカゴを抱え、いざ飛び込もうとしたとき、
「ちょっと待て」男に呼び止められた。
「わわっ……」足を踏み外しかけた。
「なんだよ!」
「悪い悪い。いやなに、まだ名前を聞いてなかったと思ってな。
 俺はシカノコウスケ。おまえは?」
「なんだ、そんなことかよ。オレは未来。
 秋川未来だ」

 みらいの体が宙を舞い、水柱を立てた。
 ――ゲームスタート。




05.


 飛び込む瞬間、みらいは目を閉じていた。
(制限時間は一時間……急がなくちゃ)
 そして目を開けると……


 人に出会った。


 ぶぼっ……と口の端から貴重な空気が漏れてしまう。慌てて手で押さえた。
 反転しかけた体勢をかろうじて保ちながら、よく観察してみる。
(なんだよ……鏡か)
 プールの底が鏡張りだったのだ。みらいは自分の顔に驚いてしまったというわけだ。
(こうやって出鼻をくじこうって作戦だな。なんて卑怯っ……姑息っ……!)
 そう思いながらも時間は待ってはくれない。急いでヘキサゴンを集めなければ。
 みらいはできるだけ動きを小さくし、無駄なくそれらをカゴの中へ集めていく。
 しかし最初のドタバタでずいぶん空気を吐き出してしまい、かなり苦しい。
(ぐっ……も、もうちょい……
 ……………………。
 もう無理っ!!)

「ぷはぁっ!」
 水面から首を出し、酸素を思い切り吸う。地下の澱んだ空気が今は極上の馳走だ。
「おー、結構やるな」
 シカノののんびりした声に振り向くと、みらいは今の自分のタイムを確認した。
「1分か……」
 10分くらい中にいた気がしたが、やはりそう長くはいられないようだ。
 プールサイドに上がり、筒を下ろして中身をブチ撒ける。
 金額はまだ数えていないが、ヘキサゴンの数は10個だった。
「次、シカノ、いけ」
「へいへい」
 三科の無機質な声に後押しされ、シカノがプールへと消えた。
 しかしみらいの注目は、それには引かれなかった。
「なんだ……コレ……」
 喜ぶべきか、悲しむべきか。
 みらいが何気なくとったヘキサゴンの裏に印されていた数字は――


 1000。


 たった一個で、1000ライツっ……!!



 みらいは二つのことを考えていた。
 もしこの1000ライツが、このプール内のヘキサゴン中トップクラスの額なら御の字。かなり有利になったことになる。
 そうではなく、もしこのプール内のヘキサゴンの額が1000など当たり前、むしろ一万クラスこそが大物という話になれば……。

 敗北した時、一体どれほどの人券を払わされるのだろう……。

 みらいは想像するのを、やめた。



10.


「かはっ……」
 シカノの首が水中から生えた。時計を見ると、潜水時間はおよそ三分。
 やはりみらいよりも手馴れている。スペックでは向こうに分があるだろう。
「ふー、ま、こんなもんかな」
 獲得したヘキサゴンをブチ撒けた。パッと見ただけでも、みらいより多い。
「おい、そっちはどれぐらい獲得した?」
 誰がそんなもの教えるか、と思っていたら三科が勝手に答えてしまった。
「秋川未来の1ターン目は、ヘキサゴン数10。獲得ライツは、1270だ」

 そう、結局、数えてみると、どうやら1000ライツは大物と考えてよさそうだったのだ。
 内訳はこうである。


<みらい 1ターン目>
 1000……1個
   50……3個
   20……6個
 獲得ライツ…1270


「ひゃあ、マジかよ! いきなり1000か……やってらんねえ」
 シカノは頭を抱えてうめいた。
「俺は……獲得数は30。額は……ひでえ、なんだこりゃ!」


<シカノ 1ターン目>
 10……17個
 20……10個
 50…… 3個


 水中で額を見て回収するものを選べばいい、と読者の皆様は思われるかもしれないがそれはできない仕様だった。
 ヘキサゴンは中に重しが仕込んであり、水中に投げ入れられると自然とライツが印された面が下に来るようになっていたからだ。
 よって手に取るまで金額は不明なのだ。
 それに一度手に取ったなら、そのまま回収してもしなくても時間的に大差ない。なら取った方がいい。
 みらいは指を折ってシカノのライツを数えた。
「ごさんじゅーごで……えーと……520か。どんまい」
「うるせーよ!!!! さっさと潜れ!!!!!」
「わ、わかったよ」
 怒鳴り散らすシカノから逃げるように、みらいはプールに飛び込んだ。



11.

 誰もいないプールをみらいは泳いでいく。
(静かだ……)
 かなりのリードがあるため、みらいは落ち着いてヘキサゴンを集めることができた。
 プールの端付近を中心にさらっていく。
 2ターン目は2分きっかり潜り、回収ヘキサゴン数は18。まあまあの結果である。
(無理して体力を落とすよりも、自分のできる範囲内で拾っていこう)


<みらい 2ターン目>
 10…7個
 20…6個
 30…4個
100…1個
 1270+410=1680ライツ


「ハァ……嫌になるな……」
 色黒の顔からすっかり明るさを失ったシカノがどぼんと2ターン目に突入した。
 しかし入水した途端に機敏になり、ショーのイルカのように激しく的確に泳いだ。
 みらいは見惚れている自分に気づき、ぶるぶると頭を振った。
 遊園地に遊びに来たわけじゃないのだ。


<シカノ 2ターン目>
 回収ヘキサゴン…32
 10…21個
 20…8個
 70…2個
200…1個
 520+710=1230





12.

『10分経過だ』
 潜ってすぐに、三科のメガホンの音がみらいの耳朶を打った。
 すぐ下の鏡に写る自分の姿に目もくれず、ヘキサゴンを集めていく。
(こんなことなら、スイミングスクールにでも通っておけばよかったなぁ……)
 後悔先に立たず。
 人生、いつ何時にどんなスキルが求められるかわからないものである。


<みらい 3ターン目>
 回収ヘキサゴン…22
 10…14
 20…5
 30…3
 1680+330=2010


<シカノ 3ターン目>
 回収ヘキサゴン…31
 10…19
 20…8
 30…4
 1230+470=1700


 少しずつ差が近づいてきていた。それもそのはず、みらいがヘキサゴンを20個前後しか獲得できないのに対し、シカノは平均30個を獲得してプールから戻ってくるのだ。
 あと少し100ライツクラスをゲットされたら、最初の1000の差など吹っ飛んでしまう。
(がんばらなきゃいけないけど……ちょっと疲れてきた……)
 初めての勝負というプレッシャーに加え、慣れない水中を泳ぎ回ってヘキサゴンを集める作業はみらいの貴重な体力を確実にこそぎ取っていた。
 そういう意味では、シカノが長く潜ってくれているおかげでいくぶんか回復できていたとも言える。
 しかし……


<みらい 4ターン目>
 回収ヘキサゴン…14
 10…9
 30…5
 2010+340=2350


「ゼェ……ハァ……」
 へたりこんでいるみらいをからかうようにシカノが見下ろしてきた。
「おいおい、大丈夫か? 鼻水でてるぜ」
「う、うるさい! ……ハァ……ハァ……」
「クク……」


<シカノ 4ターン目>
 回収ヘキサゴン…27
 10…14
 20…8
 30…5
 1700+450=2150


「ついに差は200か……ワンチャンスだな」
 髪から水を滴らせながらシカノがにっこりと笑った。
「……………………」
 みらいにはもう、答える余裕などなかった。
(辛い……やめたい……。
 でも……ここでやめたら一生ルカジのお荷物だ……
 それだけは……嫌……
 嫌なんだっ……!!)

 しかし、単なる気合では失われた体力は戻ってくれなかった。






13.



<みらい 5ターン目>
 回収ヘキサゴン…12
 10…5
 20…7
 2350+240=2590


<シカノ 5ターン目>
 回収ヘキサゴン…26
 10…20
 30…6
 2150+380=2530


「おいおい、元気出せよ。まだ60ライツもリードしてるじゃないか。え?」
「どいて……」
 みらいはシカノを押しのけると、フラフラとプール中に消えていった。
 水中での動きも緩慢で、死にかけたゴキブリのようだ。
「どうやらおまえの勝ちに終わりそうだな、シカノ」
 メガホンを介さずに話しかけてきた三科に、シカノは肩をすくめてみせる。
 なにをわかりきったことを、と言わんばかりだ。
「見てみろよ、三科」
 シカノが指差した先にはみらいの姿がある。
「あの辺は、よくない」
 シカノがそう言った瞬間、異変が起こった。
 みらいが水中で足をバタつかせて暴れ始めたのだ。
「ぶぼぼっぼぼぼぼぼぼ!!」
 引っくり返りそうになっていたが、なんとか姿勢を回復させ、なにかから逃げるようにプールサイドに転がり出た。
「がはっ……ごほっ……けほっ……」
「どうした、秋川」
 三科が駆け寄ると、みらいは手に持っていたヘキサゴンを彼に投げつけた。
 受け取ったヘキサゴンをひっくり返してみる。
「……」
 釘で磔にされた哀れなサソリの死骸から、体液が滴っていた。
「げほっ……シカノ……おまえっ……さっき潜った時に仕掛けたなっ……!」
「さあ、なんのことやら。世の中には性質の悪いイタズラするやつがいるもんだな」
「ひどいっ……インチキっ……」
「インチキもトンチキもあるか。
 真剣勝負だろ、これは。
 死ぬわけでもねえのに、そんなもんにビビったおまえが悪いんだよ」
「うっ……」
 シカノの正論に、みらいは何も言い返せず、俯いてしまった。
 それを見下ろすシカノの顔は、ひまわりのような笑顔。
 とても人を陥れた人間の表情とは思えない輝きを湛えていた。



14.


<みらい 6ターン>
回収ヘキサゴン…3
10…3
2590+30=2620



<シカノ 6ターン>
回収ヘキサゴン…30
10…18
30…4
100…7
1000…1
2530+2000=4530



 差額1910――



 うなだれたまま飛び込み台の上に登ったみらいを見る二人の目は対照的だった。
 まったく感情を交えず石のように定着している立会人・三科と歯を見せて嫌味な笑いを浮かべているシカノ。
 そんな二人に向かってみらいが振り返った。
 儚げで、今にも倒れてしまいそうだ。
「シカノ……」


 プールの水面がさざめき――みらいは俯けていた顔を、あげた。



「……オレの勝ちだ」


 シカノが目を大きく見開き、なにか言葉を発そうと口を開けかけたとき、すでにみらいの体は蒼々たる戦場へと沈んでいった。




15.

 室内灯の灯りが陽光のようにプールの底に降り注いでいた。
 その優しい光線を一身に浴びながらみらいはゆっくりと目を開く。
 さっきまでの弱々しさは水中に溶け消え、いまはただただある一点……勝利を目指し精気が全身隅々までみなぎっている。

 機は熟し、勝負の刻――。

 シカノを機敏に動き回るイルカから、パクパクと口を開けて呼吸する金魚にしてやるのだ。
 みらいはおもむろにスクール水着の胸元に手を突っ込んだ。
 ずるずると、手品師が国旗を取り出す手品のように網状のものを取り出す。
(なるほどあの店……確かに買うやつはいるわけだ)
 ここへ来るきっかけになった老人の店。
 みらいはそこで水着と一緒にこの秘密兵器を買ったのだ。
 水中でそれは広げ、調節する。
 卓球のネット、それをいくつか繋げたそれは簡易的な網。
 そしてみらいの眼前には手に入れられるのを寡黙に待ち続けるお宝の山。
 プール脇から優先的にヘキサゴンを回収したのは、このためである。
 中央付近はこの網で残らずかっさらってしまえばいい。
(勝つのは……)
 みらいは勢いよく床の鏡を蹴り、加速した。
(オレだっ……!!)
 数が減った今、ほとんどを取りこぼさずにみらいの網はヘキサゴンをかっさらっていく。
 その様は長く息を殺して耐えてきたみらいの心にさわやかな風を吹き込むようだった。
(ぐっ……)
 しかし予想以上に網は重く、弱っているフリをして休息し回復した体力をもってしても息がかなり苦しい。
 もしここで耐え切れずに水上に出てしまったら、ただシカノがとりやすいようにヘキサゴンをまとめただけになってしまう。
 我慢するしかない。たとえこの頭の中の血管が何本破裂しようとも。
 意識途切れるまで闘うのだ。
 それが博打なのだから。



16.


 そしてみらいは無事にプール端まで泳ぎ切り、累計5000ライツに匹敵する収穫を壁目がけて放り投げた。
 完璧なる勝利を確信し、プールサイドに転がり出る。
「はぁっ……はぁっ……」
 涙と鼻水で顔がぐしょぐしょだ。長く酸素の供給が経たれたため、視界に星が散っている。
 この勝負の中で最も苦しい数分間だった。
(でも……もう、勝ったも同然だ。さすがにこれだけ集めれば、もう逆転できないハズ)
 みらいは身を起こし、おそらく絶望しているであろうシカノの方にワクワクしながら目をやり……思い知った。
 いまはまだ勝負の途中であり、いくら優勢になったとしてもそれは勝利ではないということを。
 シカノの不気味な微笑みが、それを雄弁に物語っていた。

(どうして……?)




17.

「三科ァ」
 唖然とするみらいの前で、シカノは立会人の肩をつついた。
「いままでの回収ヘキサゴン数わかるか」
 三科がすらすらと答えると、シカノはふむと頷いて顎をなでる。
「おかしいなァ、合わないよ。ちょっと数えてみてくれ。プールの中と外のヘキサゴンの合計が合わないぜ」
 シカノの意図するところがわからず、みらいは自分が集めたヘキサゴンの山に身を寄せた。
 ベッドの中で幼い少女が、悪夢を見ないためにぬいぐるみを抱きしめるように。
 やがて三科はこくんと頷いた。
「ひとつ足りない。探してくる」
 ヘキサゴンを持ってきた倉庫に入り、みらいの呼吸がようやく静まった頃に出てきた。
 その手にはひとつのヘキサゴンが握られている。
「すまない、私の手違いだ。いまからこれをプールに投げ込むが、かまわないかね」
 シカノは鷹揚に顎を下げ、なんとなしにみらいもそれに倣った。
 勝ったと思ったのに、まるで何事も起こらなかったかのように場が平然としている。
 それがみらいの困惑を引き起こしていたのだ。
「ふん」
 三科が軽いスナップを利かして六角形を投げた。
 一瞬、その裏に刻まれた字が見えた。
(B……?)
「気になるか……?」
 いつの間にか背後にシカノが立っていた。
 みらいはぼぉっとした表情のまま彼を見上げる。
「あのBってのは頭文字なんだ」
「なんの……?」
「BOMBだよ」
「ぼ……む……?」

 ボム。
 爆弾。
 みらいの顔からさっと血の気が引いた。
 いまや紫になってしまった唇がわなわなと震える。
「そ、そんな……」
「なァに、大丈夫! ボムを引いても腕が一本なくなるだけさ。
 ま、次のターンからは利き腕は使わない方がいいんじゃないかな」
 なんなのだ、この男は。
 虚勢? それとも……
「俺はな、秋川」
 シカノはみらいの側にしゃがみこみ、目線を合わせた。
「スリルが欲しいんだ。身も心も凍てつくような……そんなスリルが。
 なにせこの動物園に入りたくて、罪を犯してきたんだからなァ」
「……ど、どうして……そんな無意味な……」
 みらいは初めてまじまじとシカノの瞳を見つめた。
 ガラス玉のように温度を感じさせぬそれは人のものとは思えなかった。
「無意味? 無意味だからいいんじゃァないか。
 勝ったやつが生き、敗者が死ぬ。
 それでいいんだ」
 シカノは立ち上がると、さっとゴーグルをはめてプールへと飛び込んだ。
 みらいはその場から動けなかった。
 圧倒されてしまっていたのだ。
(勝てない……)
 シカノはなにも怯えることなどないと言わんばかりに、ヘキサゴンを集めていく。
(やつは本物……本物の博打打ちだ……
 敵わないっ……敵わないんだ……
 オレなんかじゃ……絶対……)

 あっさり終わるはずだった勝負の時空は歪み、安楽を謳うレールはもうない。
 みらいはギャンブルという魔性の濁流に飲み込まれようとしていた。





18.


「やだ」
 みらいはひざを抱えたままその場を動こうとしない。
 三科が珍しく困ったように頭をかいていた。
「そうは言っても、おまえのターンだ」
「取らない。もういい、このまま勝負する」
「それはだめだ」
「どうして!」
 キッと三科を恨みがましく睨むが、彼はちっとも動じやしなかった。
「ルールを忘れたのか?
 『必ず1ターンにひとつのヘキサゴンを取らねばならない』
 状況が変化したからといって、秩序を変更することはできない」
 確かにそう言われた覚えがある。
 シカノは最初からこうするつもりだったのだ。
 自分が圧倒していればそれでいいし、負けそうになったらボムを入れて相手を恐怖でがんじがらめに拘束する。
 最低だ、最低の男だ。
 でも、強い。
(オレとは覚悟が違う……
 甘かった……がんばれば勝てるなんて、そんな博打はないのに、オレは……)
「早くしたまえ」
 悪魔の言葉に促され、みらいはプールに潜り、ひとつだけ取った。
 不発。
 この残りのヘキサゴンの中に、自分の腕を吹っ飛ばす鬼子が混じっている。
 そう思っただけで、胃の中からすっぱいものがこみ上げてきた。





19.


 相変わらずシカノはボムを引くことなくヘキサゴンを軽やかに集めている。
 みらいはもうなんだかやる気を失ってしまって、ぼんやりと力なくその光景を眺めていた。
「他人事のようだな」
 顔をあげると、三科が見下ろしてきていた。道端の吸殻を見るような目だった。
「もういい……もういいんだ」
「そうか。残念だ」
 残念? そんなこと言われたって、無理なものは無理。
 それがこの世の法則なのだ。
 弱肉強食。
(……残念だと思うなら、助けてくれればいいのに。
 ハハ……終わってるな、オレ……
 終わっ……て……)

 なにかが引っかかった。

 みらいの脳内で『違和感』という信号がチカチカと瞬く。
(残念……?)
 象がアリを踏み潰して、人は残念だと思うだろうか。
 思わないはずだ。だって勝てないのだから。
 残念だと思う理由は……

(オレにまだ……チャンスが残ってる……?)

 みらいは立ち上がり、三科を見上げた。不審そうな視線を返されるが気にしない。
「三科さん。オレ、勝てると思う?」
 三科は数瞬の間の後、答えた。




「君に闘う意思が、まだあるのなら」




 三科は視線をそらした。
 喜色満面になった囚人の顔を見るのが、こそばゆくなったから。






20.


(死にたいわけがない――)
 みらいは水の中で、まぶたを閉じて思った。
(そんな化け物、いるわけないんだ――)
 必ずなにか秘密があるのだ。
 爆弾を探知するなにかが。
 一番ありうるのは、ガン(目印)。
 ヘキサゴンの色はすべて同一だが、細かい傷などで判別しているのかもしれない。
(でも水の中で見えづらいし、オレが回収したヘキサゴンを調べてみてもそんな違いは見当たらなかった……)
 ではいったいどうやって判別しているのか。
 透視能力……?
(そんなわけない……ていうか、もしそうだったら勝てない。
 そうじゃないと信じるしかないっ……!)

 頼れるものはどこにもなく、それでもみらいは考え続けた。
 孤独に。





21.


(もうすぐチェックメイトだ)
 シカノはあぐらをかいて座り、ゴーグルの中を見つめた。
 そこにはすべてのヘキサゴンの位置と、そのライツが表示されていた。
 当然、ボムの位置も。
(ククク……必死こいてライツをかき集めて、ようやく作り上げたこのシステム……新入りごときに破れる代物じゃねェんだよ。
 ま、わかったところで手の打ちようがねェからな。
 ……下からマジックミラーで覗かれてるなんて)
 このプールの下には部屋があり、シカノの仲間たちが待機している。
(俺は最後までボムを引かない……それがどういう意味を示しているのか、わかるか秋川?
 最後のおまえのターン、残りがたったひとつになったら……おまえはそれを手に取らなきゃならない。
 たとえそれがボムだとわかっていても……。
 フフ……。
 久々に見れるようだな……
 赤い煙を……
 クク、ククク……!)


 残りヘキサゴン数は30を切った。
 シカノのターン。
 決着まであとわずか――





22.



「よくがんばったよ、おまえは」
 シカノはうずくまり、顔を伏せているみらいの前に立ちふさがった。
「正直言って、網の作戦はビックリさせられたよ。いやいやホント、咄嗟の作戦にしちゃ上出来だ。
 俺以外が相手だったなら、あれでケリが着いていただろう」
 みらいはなんの反応も見せない。
 さっきは演技だったこの弱々しさも、今度こそ本物だろう。
「だが残念ながら……おまえは一歩、届かない。永遠に……」
 シカノはみらいを鼻で笑うと、跳躍した。
 花が咲くように水しぶきが上がる――。




23.

 この動物園の中にツキだけで生きているものなどいない。
 常勝無敗なんて所詮、夢物語なのだ。
 誰もが知恵を絞り策を張り勇気を奮って、しのぎを削っている。
 明日を生きるために。
 
(だから、悪いな、秋川。
 俺のために……
 死んでくれや)

 最後のヘキサゴンは二つ、すぐ近くに寄り添っていた。

(勝ったッ――!!!)

 そのひとつにシカノが手を伸ばした時――



 すべての光が消失した。





23.


 ゴーグルの中がまったく映らなくなった。
 それはシカノにとって高度二千フィート上空の飛行機から投げ出されるようなものだ。

『消灯の時間だ』
 メガホンで大きくなったみらいの声は水中のシカノの耳にも届いた。
『これでマジックミラーは使えない』
(気づきやがったのか、秋川ァッ……!
 なめるなよ、まだヘキサゴンの位置は覚えてる。
 いまケリをつけてッ――)



『忘れ物だ、シカノ』



 ぽちゃん、となにかがプールの中に投げ込まれる音がした。
(なんだ? ……うっ!?)
 なにかがシカノの腕に触れた。
 ちくっとした痛みがシカノの冷静さを奪う。
(ひいっ!)
 無我夢中で見えない『なにか』を払った。
 それはあっさりとシカノの手のひらから離れていった。

『死んでるとはいえ、サソリはもっと大事にしろよ、シカノ』

(忘れ物って……そういうことか、クソッタレ!
 ……!)
 
『気づいたか?
 いまのドタバタで、おまえ結構激しく動いたから……もうわかんないだろ?
 どこにボムがあるのか、さ……』

(野郎ッ……!
 クソ、ここはいったん外に出て……運否天賦になるが、あいつが二分の一をヘマることを期待するしか……)

『外に出たら負けるぞ、シカノ』

 シカノはぴたりと動きを止めた。

『勝負が決する前に油断したこと……それがおまえの敗因だよ。
 おまえ、さっき明かりがまだ点いていたとき、二つのうちの一方にあからさまに手を伸ばしてたじゃないか。
 どう考えたって、そいつがセーフティに決まってる』

 もし暗闇を見通す者がいたら、シカノの顔色がプールと同じ青に染まっていることに気づけただろう。

(こいつ……本当にあの震え上がってたガキなのか……!?
 さっきまでとは……まるで別人っ……!!)

 勝負は最後までわからない。
 その真理から目を逸らしたシカノに、もはや挽回のチャンスは残されていなかった。

『シカノ……取引しよう。
 負け分の二倍払うなら……ドロップアウトさせてやる。
 すぐにプールから上がるんだ。
 それとも……やるか?
 二分の一に腕を賭けて……オレとの最後の勝負を』

(う……
 うううううううぅぅぅぅっ……!!!!!!)




 シカノの肺に、空気が流れ込んだ。
 





24.



 再び地上の空気を吸っても、みらいの中の現実感はなかなか戻ってこなかった。
 体がふわふわして、いい気持ちなんだか具合が悪いんだかわからない。
 麻薬をやったらこんな気分なのかなァと思った。
 周囲をたくさんの囚人たちが過ぎ去っていく。
 富めるもの、貧しきもの。
 果たして自分はこの先、どうなるのだろう。
(とりあえず今は……)
 みらいは踵を返して歩き始めた。


(みんなに、ご馳走してあげよう!)







【賭博濁流録ミライ 完】