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FNアンソロジー
フレンドFN「良い子と悪い大人のための平成馬鹿話」/橘圭郎

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 あるとき、あるところに、一人の女がおりました。
 年は若く、名を久下澄華(ひさげすみか)と申します。

 彼女は背が小さいながらも、無駄な肉は付いておらずに端正な体つき。ふわっとした髪質に黒縁の眼鏡も相まって、遠目に一見すると純情可憐な印象を受けそうですがその実、レンズ越しにうかがえる瞳は弓を構える狩人の如き鋭さと覇気を具えておりました。
 外見について一つひとつ挙げてゆけば語るべきところはもっと他にもあるのでしょうが、如何せん彼女自身はその特徴を否定的に捉えるきらいがありますので、程々にしておきましょうか。ですのでこれをお聴きになっている皆様も、決して告げ口せぬようお願い致します。
 そんな彼女の趣味について申し上げるとすれば、やはり読書に尽きましょう。通学バスの中、学校の昼休み、さらには宿題の合間の息抜きと――他人と関わりたがらぬ性質もあるのでしょうが――活字に浸る時間は相当なものです。



『僕と付き合ってください。一目惚れ……』
『死ね!!』

 さて事の起こりは、とある春うららかな日曜日。空には雲一つ無く、予報では降水確率0%と太鼓判を押されたほどの陽気に反して澄華の気分は優れませんでした。それというのも近頃、高校の合格発表の日に告白をしてきた、実直で男前な変質者・野茂直正の姿と声をよく夢に見るのです。それは彼女にとって平安を掻き乱す悪夢でしかなく、そんな寝覚めをした日はどうしても心がささくれ立ってしまうのでした。
(……そろそろ、なにか新しく買ってきたほうがいいわね……)
 こんなときこそ読書の時間が至福なのですが、本棚を眺めても既に読み終えたものばかり。ならばここは一つ、気分転換も兼ねて本屋にでも行こうと思い至ったのであります。

 いつもより遠出をした、市内で一番大きな二階建ての書店にて。何か面白そうなものは無いかと見歩いていたときのことでした。文庫のコーナーで立ち止まり、新刊の平積みをざっと眺め、店員が手書きしたポップに注目致しますとそこには、
『お待ちかねの最新作! エンディングではきっと泣いちゃう!』
 との紹介文があったのです。澄華は別段、世間一般で騒がれるお涙ちょうだいの話題作が好きなわけではございませんが、それでも見知った題名には目が留まりました。
(あら、懐かしいわ……というよりこれ、まだ完結してなかったのね)
 前巻が発売されたのは自分が小学生の頃だったか、せっかくだから買っていこうかしらと、いくばくかの感慨にふけりながらも手にしようとした表紙には『雲呑み兎』の題が記されております。
 ところが実は、そう思ったのは澄華だけではございません。時機を同じくして横から別の腕がすっと伸び、二人の人間が全くの同時に、一冊の本を掴むこととなりました。
 澄華が顔の向きを変えると隣では、およそ同年代と思しき一人の女が驚いております。どちらかと言えばこの女性のほうが年上に見えるでしょうか。
(……デジャヴ?)
 眉をひそめた澄華が胸の内でそう呟くのもやむなし。最近の彼女が不意打ち気味に出会う人物は決まって背が高く、頭二つ分を見上げる形となっていたのです。先述した野茂直正はその筆頭でありました。そして今、目の前にいる女性もまたその例に漏れません。二度あることは三度ある、との金言通りでありましょうか。
「ご、ごめんなさい」
 申し訳なさそうに手を引いた女性は腰まで届く三つ編みを揺らし、細面によく似合う曲線的な眼鏡をかけておりました。ちなみに澄華の服装は決して派手なものではございませんが、三つ編みの装いはそれに輪をかけた地味な色合いで揃っております。
「いえ、こちらこそ」
 それはそれとして、所詮は縁もゆかりも無い他人。澄華はそれ以上の感情も興味も無く、適当にかわして次は漫画のコーナーへ向かうべく踵を返しました。
「あ、あの、ちょっと待ってえ」
 そこへ後ろから声をかけたのは、やはり三つ編みの彼女です。
「なんでしょうか?」
「あなたが、持っとる、それ……うちに譲ってつかあさい。最後の一冊みたいなん」
 三つ編みは初めおずおずと、しかしやがてはっきりと、澄華の手にある『雲呑み兎』の新刊を指差して言いました。澄華が目を動かしますと確かに三つ編みの言う通り、平台にはもうその本が他にありません。
(本当に売れてるみたいだし、前の巻がけっこう面白かったのは間違いないのよね……どうしようかしら)
 澄華としては特別にこれを買いたくて来たわけではないので、譲ってあげても構わないと言えば構わないのでした。しかし一方で「最後の一冊」というところに少し心惹かれたのもまた事実。そうして澄華が逡巡していると三つ編みは、顔の前で両手を合わせて拝むように頭を下げました。
「ずっと楽しみにしとったんよ。でも近所の本屋はすぐに売り切れとってじゃ。ほんで遠く、ここまで来たんじゃけど……もしここで買えんかったら、たかあ電車賃払って隣方ん町へ行くか、しばらく待つかせんといかん。あなたが譲ってくれようなら、ほんに助かるん」
 三つ編みの心底から困っていそうな面持ちからして、その発言に嘘偽りは無かろうと存じます。澄華もまたそれを理解しておることでしょう。また三つ編みがとても素直な人間で、謀(はかりごと)にも不慣れに違いないことも直感したのでしょう。
「なるほど、そういうことでしたら……」
 それでもと申しましょうか、だからと申しましょうか、澄華の内に僅かばかりの、嗜虐の芽が吹きます。彼女はにっこり天女の如き微笑で目を合わせ、期待を持った三つ編みの固い表情が綻んだ一瞬の間に合わせて、きっぱり言い放ちました。
「嫌です」
 虚を突かれた三つ編みは澄華の雰囲気に気圧されましたものの、やはり簡単には諦めきれぬもの。一息呑んでから返します。
「ど、どうしてもなん?」
「はい」
「後生なんよ」
「分かりました、そこまで言うのなら……」
 さも今度こそ納得してみせたような素振りをして澄華は、本棚に貼られている新刊発売予定リストを一瞥してから答えました。
「どうして昨日のうちに買っておかなかったんですか? 新都社文庫の発売日は毎月決まっていますよね?」
「え……」
 上目遣いに凄まれて、指摘されればその通り。本好きを自負する三つ編みとしてはもちろん事前に、心待ちにしていたタイトルの発売日は確認済みだったのも確かです。
「で、でも昨日は、こーくんと……」
「まさか、男とイチャついていたとか言い出すつもりですか? だとしたら最低ですね。人気作だと分かっていたのなら、早く売り切れてしまうことは簡単に予想出来たでしょう? 既に予定があるなら予約取り置きを頼むという手段もあったはずなのに、それを怠って浮ついていた挙句、瀬戸際になってこんな頼みごとですか。見苦しいです」
 澄華は三つ編みの言い訳を即座に遮りました。こうとなっては止め処なし。早口で、電光石火の追い討ちをかけました。その様はまるで、切捨て御免の剣客であります。
「だいたい、何ですか電車賃って。あなたの財布がどれだけ軽いか知りませんけど、自分の不遇さを押して同情を誘おうとする魂胆がそもそも浅ましくて虫唾が走ります。そんな姑息で無計画な人間に差し延べる手は、無いわ」
「え、あ、うぅ、そん……」
 対して三つ編みは言葉の弾丸を受けるたびに目を伏せ、肩を縮め、背を丸めてゆきました。何かを言い返そうと口をパクパクさせもしましたが、最終的には澄華の理不尽なまでの追及を呑み込んでしまいました。実のところはを申し上げますと『雲呑み兎』の著者は、三つ編みの彼氏の祖父であります。そのつてを使えばタダで手に入れることも可能だったのですが、やはり好きな作品こそ店売りされているものを正々堂々と買いたいという心意気が裏目に出たのです。もちろんそんな事情など澄華には知る由もございませんので。
「ごめんなさい。あなたの言う通りじゃけえ、出直してきます」
 とにもかくにも三つ編みには噛み付き返す気力は残っておりませんで、そのまま唇を噛んで立ち去ってしまいました。

(最悪だわ……)
 勢い余って言い過ぎたと澄華が我に返ったのは、あの場にいた他の客の視線が多く自分に刺さっていると気付いてからでした。万が一にも同じ学校の生徒がその場にいないとも限らないのですから、自分の軽率さを呪いました。
(分かってる。三つ編みの人は悪くない……でも、私も悪くない)
 逆風の当たらぬ振る舞い、何事にも無難な言葉選びをすることには長じていたはずなのに、あの体たらく。そうなった原因は何かと自問すれば、自然と澄華の意識は一つのところに落ち込みます。
(全部あの木偶の坊が悪いのよ。あいつのせいであんな夢を見て、溜まった苛立ちをここぞとばかりにぶつけてしまって。そうよ。あいつに遭ってからというもの、調子を狂わされっ放しだわ)
 結局、件の文庫本は買わずじまい。居心地が悪くなって他の本を見繕う気分にもなれず、早く家に帰ろうと致しました。
(……最悪の上塗りね。今日は一日中、快晴の予報だったのに……)
 そうして外へ出てみると、なんといつの間にやら、雷を伴うドシャ降りではありませんか。鞄を雨避けにして走る人の往来を眺めて、澄華は大きく溜め息を吐きました。
 ここまで来ればコンビニで傘を買わざるを得なくなったのも、お気に入りのストッキングが撥ね水で汚れるのも、何もかもが悪夢の君のせいに思えてまいります。

 平穏を取り戻すために、どれだけ面倒でも、必ずや自分の生活範囲から野茂直正を排斥してみせる。そう決意を新たにした、久下澄華の憂鬱な一日でございましたとさ。



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 夜伽話の表紙絵を描いてくださった、お礼の意も込めてのファンノベルです。
 澄華のキャラを再現出来たかどうか自信は薄いですし(彼女の攻撃性が女性相手にも現れるのかどうかちょっと疑問)、勝手に自作品とのクロスオーバーの形になってしまいましたが、笑って許していただけたら幸いです。

 早々

       

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