Neetel Inside 文芸新都
表紙

NOT シー LOVE!
八つ眼 「小泉……安らかにお眠りください!」

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恋が生まれるにはほんの少しの希望があれば十分です。


スタンダール









「ねぇ、小泉。男って熟女を恋愛対象にできるもの?」
「はぁ? 姉(あね)さんいきなり何を聞いてくるんだよ」
 小泉のキョトンとした顔が目に浮かぶ。私たちがするいつもの世間話からは想像もつかないような事を訊かれたものだから小泉が驚くのも無理はない。
 私が突拍子もない先生への「星さん争奪」の宣戦布告を敢行したその次の日の正午過ぎ、第二講義室での講義後のほんの一時に私はたまたま同じくその講義を受講していた同じクラスの小泉にそんな事を尋ねていた。私はいかに真剣に質問しているのかをアピールするために、背筋をピンと伸ばして手は膝の上に置いて、まじまじと小泉がいる右手の方を見つめた。
「おいおい、俺はこっちだぜ姉さん……。すぐ左側!」
 なに? いつの間に小泉は移動したのだろう。私の右隣の席に座っていたはずなのに断りもなしに移動されると困るよ。しっかりと話ができないって。やれやれだぜ。
 私は前方に両手を翳し(かざし)ながら、小泉の位置を確かめるようにして椅子に座ったまま左向け左をした。私の左手の甲にポフッと何かが当たる感触がして、やっと私は小泉と面と向かって対話する体勢を整えることができた。
「ねぇ、私の話ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるって、ほら、リュックを肩に掛けるぞ、ちょっと左腕浮かして」
 すぐさま、自分の質問に答えない小泉にムスッとして私は両頬を膨らませながらも、小泉に言われるままに左腕を浮かし、点字教材やレーズライターなどが詰まったリュックを背おわせてもらった。ありがたい事なんだけどね……。
「まぁ、とりあえず学食行こうぜ、慧も待っているんだろう、さ、歩くぞ」
 なんだか小泉は私の話よりも学食に行くことを優先しているみたいなので、溜め息をもらしつつ、しぶしぶ私は小泉の肩に掴まって小泉に先導してもらいながらのそのそと第二講義室をあとにした。
 今日、ラブリーはお家でお留守番だ。だから今日は白杖で私は大学に来ている。
 ラブリーはどうやらお腹を下してしまったらしく、仕事ができる体調じゃなかったのだ。
 盲導犬は、仕事中は気が散ってしまうので普通に散歩中の犬に接するように気軽に頭を撫でたり食べ物を与えたりしてはいけない。それなのに、昨日、喫茶店「サンタナ」で私がトイレに行っている間に、あの憎きアホの子先生が勝手に得体のしれない食べ物をラブリーに冗談半分で与えていたらしい。慧から聞いた話だ。あの野郎。よくも……。でも、しっかりと訓練されているはずなのにそれを食べるラブリーもラブリーなんだけどね。
 それにしても非常識な人間がいたもんだよ。そんな女に星さんが奪われてしまうかと思うと虫唾が走ってしまう。とりあえずそんな事態にならないようにあの先生に釘を打っておかなきゃならん。どげんかせんといかん。でも、その前に私はもっと星さんと親密にならなくてはいけない。星さんの事をもっと知らないといけない。
 何せ、私は星さんに一度しかあったことがないのだから。
 よ~し、やるぞ。グッと私は右の拳を握り締めた。


「はいよ、着いたぞ。すぐ右手に椅子があるからな。座れるか?」
 昼食を求めて約数百の学生がごった返す学生食堂や売店がある通称‘ランチ棟’と呼ばれる建物にやっと着いた私は小泉にお礼を言ってから慎重に椅子に腰掛けた。
「おっす、あかりん! ごきげんよう! 味噌バターらーめんでよかったよね?」
 他の学生の雑談の中でも、はっきり聞き取れる元気な声で慧が私に呼びかけた。
「やっほー! 慧、いつもありがとね」
 私はそう言いながらラーメン代の400円をポケットから取り出してお金を握った左手を自分の目の前に突き出した。そして温かい小さな慧の両手が私の手からお金を受け取った。
「はいラーメンのどんぶり……目の前に置くよ。右手に割り箸ね」
 慧にどんぶりまで左手を持っていってもらって、右手には割り箸を。
 とりあえず、私はスープや麺をこぼさないように食事に専念することにした。
 コーンのような細かい具材はテーブルにこぼしたかもしれないけど、ゆっくりと時間をかけて食事を済ませた後、私は隣でズルズルとはしたなく麺を啜っているのであろう小泉に先ほど第二講義室で私がした質問をまたぶつけた。
「姉さん、俺にはそんな趣味ないよ」
「あんたの事じゃないよ。世間一般の男子はどうかって聞いてるの! 熟女っていうか……年上の女性?」
「そんなの人それぞれだろ」
 まぁ! この男はなんてありきたりな物言いしかできないのだろうか。
 でも、確かに好みは人それぞれだと思うし、年齢や年の差なんて好みのタイプを選別するうえでの一要素にしか過ぎない。それよりも重要な条件はその他に色々とあるはだ。容姿や性格やら共通の趣味とか、恋人として付き合っていく上で吟味しなければいけないことはもっと別の事だろう。年上だから。年下だから。第一条件にそんな事を考慮に入れる人間はそんなに多くはないかもしれない。でも、私と先生の比較対象となりうる要素は「年齢」しか今の私には思い浮かばなかった。
 星さんは年下好きか年上好きか、そもそも私より年上か年下かそんなことはわからない。でも、星さんにとって喫茶店のお客である私と先生を区別する要素はこの点だと私は思うのだ。 痛いくらいに私は必死だな。ははは……。
「まぁ~俺は年上よりタメの方がいいかな。変に気を遣わなくてよさそうだしな」
 ううう。……まぁ、そんなものだよね。年齢が恋愛に及ぼすメリット、デメリットなんていうものは。私は未だに恋人なんていたことがないからその辺の感覚はよくわからないけれど。それに、よくよく考えたら星さんはあくまで「お客さん」としてしか私たちに接していないかもしれないし星さんが「お客さん」を恋愛対象とみなすかどうかもわからない。でも、気になるんだよな~。先生があんな冗談を言うくらいだから、私より先生は星さんと親しいのかもしれないし……。だから、曖昧にしか見えてこない星さんと先生の関係をあれこれと考えているうちに、私は「年齢」という点だけでも先生よりも優位に立ちたかったのだ。
 ちなみにその冗談が、私が先生を恋のライバルと見なしたきっかけだ。きっと昨日、いきなり先生にあんなことを言ってしまったのも、私よりも星さんと親しい関係にあるかもしれない先生に嫉妬していたからかもしれない。
 まぁ、小泉にした質問は星さんに直接すればいい話なんだけど……恥ずかしい。いやいや、恥ずかしいでしょ! てか、勢いとはいえ「サンタナ」であんな告白紛いの行いをしたことが今となっては悔やまれる。何をむきになっていたんだろう。星さんがあの場に居なかったのが幸いだよ。……あぁ、なんか、もう恥ずかしくて「サンタナ」に行きづらいな。思い出すだけで顔から火が出そうだ。
「な~に、顔真っ赤にしてんだ? 姉さん」
うひゃ~、見られた? 見られた? 小泉なんかに醜態を晒しちゃったよ~。馬鹿馬鹿! と私は握り拳を小泉の顔面に向かって突き出した。
「はい! 残念でした~」
 案の定、私の拳は空を切ってしまい、その勢いで私はテーブルに突っ伏す状態になってしまった。私がかけているお気に入りの赤いセルフレームの伊達メガネがカツンとテーブルに当たって、その情けない音が余計に私を惨めな思いにさせる。
「なんだよ、そんなにむきになって」
「うるさい! うるさい!」
 あんたに私の複雑な気持ちなんてわかるもんか。
 とりあえず私は火照った顔が元に戻るまで顔をテーブルに埋めて、何とか探り当てた小泉の太ももを右手に作った拳でトントンと叩き続けた。小泉はまるで子犬とじゃれるように「あ~よしよし落ち着け落ち着け」と言いながら冷やかし半分でそんな私の頭を撫でまわす。なんか癪に障るけど、私と小泉の間ではよくあるやり取りだ。
 慧の笑い声が微かに聞こえてくる。
「あかりんはね~、今、絶賛片思い中なんだ~。だから小泉からかったら駄目だって」
 笑いながら慧がそう口走った。すると、小泉の手がピタッと止まった。あぁ~慧! 余計なこと言わないでよ。
「お~! マジでか! 誰よ誰よ! その可愛そうな男は!」
 コラ! 小泉食いつくなよ! てか、なに、あんたはさらっと失礼なこと言ってんのさ! 私はその怒りを右エルボーに託して小泉のお腹にお見舞いした。至近距離なので今度はしっかりと手応えがあり、小泉はゴフッと情けない声にならない悲鳴をあげてむせ始めた。ちょっとやりすぎたかな? でも、これは当然の報いでしょ?
「えっと……名前は、なんて言ったっけ? ……う~ん」
 言うなよ慧! 絶対言うなよ! 私は向かいの席に座っている慧の口を手で塞ごうと体勢を戻そうとしたけど小泉の大きな手が邪魔して思うように動けずジタバタともがくことしかできない。
「ほし……こ……」
「あー! あー! あーー!」
 慧が星さんのフルネームを最後まで言い終わる前に私は奇声を上げて必死に慧の言葉を遮ろうとした。どうして、慧はこんなに口が軽いかな。
「‘星光一’だと~!」
 小泉の声はどういうわけかうわずっていた。それは目を大きく見開いて口はポカンと大きな輪を描いた驚愕した表情を容易に私に喚起させるような大げさなリアクションだった。何をそんなに驚いてるの小泉? もしかして、星さんの事知っているの?
 私の密かな疑問を代弁するかのように慧が小泉の発言に食い付いた。
「あれ?小泉、星さんの事知ってんの?」
「知ってるも何も星さんは、俺のサークルの先輩さ。なんなら今からサークル室に行ってみるか? たぶん昼休みだからいると思うぜ」
 こんな、偶然ってあるんだ。私は、まだ若干火照っている頬の事なんて忘れて、今出くわした思わぬ幸運に胸を打震わせた。
「小泉! お願い! そのサークル室まで私を連れてって!」
そう言いながら、私はテーブルに突っ伏した上体を元に戻した。
 ガツン!
 その拍子に私の頭に何か当たった。イテテ……ツイてないな。……もう!
「あかりん。小泉……のびちゃってるよ」
 どうやらさっき私の頭は斜め45度の適切な角度で小泉の顎を捕らえ、十分すぎるほどのインパクトを以て小泉の脳みそを頭蓋骨のなかでシェイクさせたらしい。
 ……どんまい! 小泉! 私はそう小泉の耳元で呟いたけど小泉の耳には届いてないみたいだった。

       

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