Neetel Inside 文芸新都
表紙

NOT シー LOVE!
十余り三つ眼 「そういえば、私、昨日お風呂に入ってないよ……!」

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二人のうちどちらかがいるところには、いつも二人ともいるんだよ。


へミングウェイ







 

 生まれつき全盲の人は視覚的な夢を見るのか。
 多くの人は夢を、視覚で知覚される出来事や景色や人物などをベースにしたものと考えるかもしれない。でも、夢という体感現象は視覚的な要素で形成されるものに止まらない。他の五感も大いに外的な知覚として夢を形成する上で影響を与えている。
 解りやすい例をあげるなら、排泄に関わる夢を見て夜中に目が覚めるという事例をしばしば耳にする事がある。
 どうして、そんな夢を見るのか。それは膀胱内圧が上がり神経を刺激する「尿意」という感覚が夢に反映されたからだ。この事例を念頭に置いた上で、生まれつき全盲の人が視覚的な夢を見るのかという事を考えてみる。
 ある生まれつきの全盲の人は自分の視覚的イメージを材料とした絵のある夢をみる事があるそうだ。つまり、生まれつき全盲の人の夢は五感とはまた違う「イメージ」という要素に支えられている側面も持っているという事だ。
 でも、そのイメージが現実のものと一致しているかと言われればそれは定かじゃない。視覚以外の要素で形成されるイメージには晴眼者(目が見える人)が抱くそれとほぼ変わりはないかもしれない。でも、その一方で視覚的な経験が皆無に等しい生まれつき全盲の人の視覚的なイメージは曖昧なものなのだ。
 なので、生まれつき全盲の人は晴眼者が日常見ている視覚的な夢ではなく、普段感じ取っている視覚以外の感覚に基づいた音や気配を感じる夢を見る事の方が多いという事らしい。
 じゃあ、生まれてから十数年経過した後に失明した中途失明者の私はどうかというと……


 アホの子先生の胸に抱かれて心地よい眠りに就いた私はある夢を見た。
 その夢の世界の舞台は、昔の我が家のリビングだった。そこでは、幼い姿をした私が、まだ白髪のない若々しいパパとまだ若作りとは無縁の綺麗なママと一緒に炬燵に潜ってぬくぬくと食後のティータイムを楽しんでいた。
 懐かしいなぁ。夢の中で私は可愛らしいクマの絵が描かれたマグカップを使っている――私はそのマグカップをすごく気に入っていて、ママが洗い物をしている時に誤ってそれを割った時は、阿修羅のごとく泣きじゃくってママをこっぴどく責め立てたっけ――
 私は満面の笑みを浮かべながら、今日一日保育園であった出来事を楽しそうにパパとママに話している。パパとママはそんな私を温顔で見つめながら、へぇ~そうなのと物柔らかに相槌を打ってくれている。その夢は、まるで絵に描いたような理想的な家族の風景だった。
 両親との談笑を楽しんでいる私はある事に気がついた。さっきまで自分が飲んでいた生温くて甘いホットミルクがもうなくなっていたのだ。ただ一言「おかわり」と催促すればいいのに私は小さな手でマグカップを持って、キョロキョロと辺りを見回している。
 するとリビングにホットミルクが注がれたティーポットと砂糖が入った小瓶をのせた銀色のトレーを手に持つ一人の男性給仕が現れた。その男性は一般的な日本人の普段着としては不釣り合いな上品さを漂わせる黒のタキシードを着ていた。その風貌の正体はケヴィン・ベーコンだった。私が中学生だった頃に彼が出演したある映画を見て以来、私は彼の大ファンなのだ。「おじさん、おじさん」と屈託ない笑顔で私はケヴィンを呼びながら、自分の近くまで歩み寄った彼の逞しい脚に抱きついている。ケヴィンは持っていた銀色のトレーを炬燵のテーブルに置いてから、私の前にしゃがんで私の頭を優しく撫でながら「おかわりはいかがですか? お客様」と言った。しかし、その声はアメリカ人であるケヴィン・ベーコンその人の声ではなく星さんの声だった。
 その声は紛れもなく、喫茶店・サンタナで聞いたあの優しげな星さんの声だったのだ。


 そして、私はパチリと瞼を開けて夢から覚めた。耳を澄ますと、窓の外から小鳥のさえずりが微かに聞こえてくる。朝である事には間違いはなさそうだ。今何時だろう。
 私はいつもの癖で、横たえたまま自分の部屋のベッドの付近に置いた音声時計を手探りで探した。音声時計が見つからない。どうやら、私はあの夜そのままリビングで眠ってしまったらしい。
 起き上がった拍子に私の体から薄手の毛布がずり落ちた。誰かが私に毛布を被せてくれていたらしい。ママかな。リビングには人の気配はなく、そこには眠気眼の私と眠りから覚めた私に気が付いてケージの中でワンッと吠えるラブリーしかいないようだった。
 私は四つん這いでラブリーの鳴き声がするケージまで近づいて「おはよん♪」とラブリーに挨拶してから、今度はそのままの状態でケージから時計の針の「5」の方向にあるはずのテーブルに向ってまた四つん這いで移動を始めた。
 腕がテーブルに当たり、自分がテーブルに辿り着いた事を確認すると、テーブル上の様子を手探りで確かめた。私は、昨日の歓迎パーティーの後始末を一人でしなければならないと覚悟していたけど、テーブルの上にはお皿やコップはおろかスナック菓子の空き袋や空き缶の類もキレイさっぱりと片付けられているようだった。たぶん杏ちゃん先輩あたりが気を遣って片付けてくれたのだろう。
 テーブルの上には換わりに点字で文章が打たれた点字用紙が2枚置かれていた。私は凸状に浮き上がる横書きに打たれた点字を左から右へ指を滑らせて読み取った。
「おはよう さくばんわ おたのしみでしたね きょーわ はやく かえります ばんごはん いっしょに たべよー いってきます」
 一枚目はママからのいつもの伝言だった。
 そして、私は二枚目の文章を読もうと同じように二枚目の点字用紙に打たれた点字を読み取ろうとした。
「ねいさだくてしこおらたっなにさあすまりかをドッベのたなあ」
 なんとも意味不明な文章だった。意図しているところが全く分からない。私はしばらく考え込んでから、やっとこの文章の意味を理解した。
 多くの場合、点字は点筆という道具を用いて「右から左」に打たれる。それは点字を打った後その紙を裏返した時に紙面上に凸状に浮かびあがった点字を左から右に意味のある文章として読むためだ。つまり、左から読み始める文章を点字で表す場合は右から、その逆は左から点字を打たなければならない。
 だから、この文章を意味のある文章として読むためには逆から読む必要がある。そして、私の頭の中に一つの文章が浮かんだ。
「あなたのベッドを借ります。朝になったら起してくださいね」
 一体、この文章を書いたのは誰だろう。
 私は眠気眼を指で擦りながら、二階にある自分の部屋を目指した。慎重に階段を上って、自分の部屋のドアを静かに開ける。
 誰かの寝息が確かに私のベッドの方から聞こえてくる。気を遣う必要もないのに私は忍び足でドアからそのまま「12時」の方向に進んだ。ベッドに近づくにつれその寝息がさらにはっきりと聞こえてくる。
 ベッドのマットに脚がぶつかり私はゆっくりとしゃがんで前方に手をかざした。すると、掛け布団越しに誰かの身体の感触があった。
 点字で書かれた文章の通り、やはり誰かが私のベッドで寝ている。一体誰だろう。私がその人物を確かめるためにベタベタと触っていると、その人物は急に飛び起きた。
 私はその勢いに飛ばされて思わずフローリングの床に尻餅をついてしまった。
「Hmm……akarin? Good morning! Well, What’s the matter with you? (う~ん……あかりん? おはよう! ところで、あなたどうしたの?)」
 ベッドで寝ていたのは、アホの子先生だった。
 普通、逆じゃない? 普通、私をベッドに寝かせるものじゃない?
 アホの子先生に不満やら何やら言いたい事は山程あるけど、私は朝っぱらから文句を垂れる元気もなかったので、とりあえず作り笑顔で先生に「おはようございます」と日本語で返事をした。


 私はバナナを二本に牛乳をコップに一杯という簡単な食事を済ませて、いつもの真っ白なシャツとユニクロのデニムパンツに着替えた。そして今日はチェック柄のカーディガンを羽織った。化粧だけはアホの子先生に手伝ってもらって、私はアホの子先生と一緒に家を出た。
 今日は元気を取り戻したラブリーも一緒だ。
 アホの子先生が得体の知れないものを食べさせたせいでラブリーが体調を崩していた事を私から聞いた彼女は「私がチョコチップの入ったクッキーを食べさせたせいね」と申し訳なさそうに告げると「ごめんなさいね」とラブリーに向かって謝った。
 カツカツとハイヒールのヒールを鳴らしながら歩くアホの子先生。そして私はその後ろをラブリーと一緒に歩いている。
 まさか、自分が恋敵と思っていた相手と一緒に歩いているなんて夢にも思わなかった。
 歩いている途中私は何度かアホの子先生の背中にぶつかった。どうしたのだろうとアホの子先生に尋ねると「ちゃんと後ろにあなたがいるかどうか心配になります」と答えた。
 何を馬鹿な事をと思ったけど、私は何だか嬉しくなって、私の前を歩いているアホの子先生のスーツのベント(背中の裾部に入った切れ目)を掴んで制止させると、彼女の左手を手探りで探してその左手を握った。
「どうしたのですか? あかりん」
「こうすれば、わたしがいるかどうかわかるでしょ」
 私は、私の右隣で意外そうな表情を浮かべているだろうアホの子先生に満面の笑みで微笑みかけた。
 アホの子先生は戸惑ったのか、一瞬間を置いてから「Thank you so much(ありがとね)」となぜか私にお礼を言った。手を握る事は欧米人にとっては相手に感謝するような事なんだろうか。そんな事を考えながら、私はアホの子先生と手を繋いだまま大学まで一緒に歩いた。
「そう言えば、今日、杏ちゃんがミーティングをすると言っていました」
「何ですか? それ? アホの子先生!」
「それは、行ってからのお楽しみね。ところで“アホの子先生”とはどういう意味ですか」
「教えてあげないよーだ」
 いつの間にか、私たちは大学の正門前に辿り着いていたようだった。いつも正門の前に立っている守衛のおじさんが元気に学生に対して挨拶をしている声が聞こえてくる。
 アホの子先生が握っていた私の手を離した。そして私の隣からスッとアホの子先生の気配がなくなる。
「Catch you later.(じゃあ、また後でね)今日は光一に会えるといいわね」
 そう言い残して、アホの子先生は私の許から去り、瞬く間に彼女の気配は正門に押し寄せるたくさんの学生の人だかりに溶け込んでいった。
 そう言われた私は妙に意識をしてしまって、火照る寸前の自分の顔をパンパンと両手で叩いて喝を入れてから、歩き始めた。
 この人混みの中に、きっと星さんもいるんだ。そう信じて。


       

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