Neetel Inside 文芸新都
表紙

NOT シー LOVE!
一つ眼 「目が見えなくても、伊達メガネはします!オシャレです!」(2010,0226 改稿)

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恋は炎であると同時に光でなければならない。


ソロー









「ラブリー、sit! (座って!)」
 盲導犬のラブリー(ラブラドール・レトリバー)を脇に座らせた事を確認すると私は慎重にベンチへと腰掛けた。
 肩まで伸ばした私の髪の隙間を春風が通り抜けてゆく。とても気持ちがいい。
 授業でも終わったのか、ざわざわとした男女の喋り声が次々に私の耳に流れ込んでくる。大学構内を賑やかなものにしているキャンパスメイト達のさざめきはそよそよと吹く風に乗ってまるで心地良い音楽のようだ。
 私はベンチに一人腰掛けて彼らの楽しそうな喋り声にそっと耳を傾ける事が好きだ。
「あ~今日の鷲田の授業眠かった~」
「ねえ、ねえ、これからカラオケ行かない?」
 別に盗み聞きってつもりじゃないけど、こうやって彼らの何気ない会話を聞くことで何故だか私の胸は躍る。話の内容を楽しんでいるんじゃない。彼らがどんな顔で楽しそうな会話をしているのか。それを想像するのが楽しいのだ。
 目が見えない私にとってインスピレーションに頼りながら人がその時々でどんな表情をしているのか想像する事はもはや日常茶飯事となっている。
 なぜわざわざそんな事をするのか疑問に思う人もいるかもしれない。でもよく考えてみてほしい。普通、会話は面と向ってするものだ。だから否が応でも相手の表情が目につくと思う。その時、人は相手が見せる表情を見てその時々の相手の気持ちや体調など色々な情報を総合的に判断した上で適切な気持のよい言動を選ぶわけだ。だから私は相手の表情を直接見ることができない分、必要以上に発言に気を付けなければいけないし頭を使わなきゃいけない。言ってしまえばこれは訓練。私がこの複雑に入り組んだ人間社会で、そして暗闇の中で生き抜くための訓練なのだ。
 どこか辛そうに見えるかも知れないけど私は毎日が楽しい。なぜなら、何と言ってもそれは愉快な友達がいるからだ。
「モンゴリア~~ん!」
 おどけてプロレス技の名前を口走りながら私に跳びかかってくるような岩下慧という友達がいるからだ。
 「ひゃふ!」と情けない声が口から飛び出た私は突然の衝撃に前のめりになってしまった。 暗闇の生活にあって普段あるわけがない後頭部の衝撃に多くの目が不自由な人は困惑するかもしれない。
 でも私は違う。
「慧~! 今のは痛かったぞ~」
 私は後ろに振り返り先ほどの撲殺未遂犯に飛びかかろうとした。おまけにチョップも喰らわせてやろう。
 でも、私のチョップは慧ではなく華麗に空を真っ二つにした。後ろにいると思った慧を見失い、私は慧の名前を呼びながら辺りを見回した。すると、ポフッとハンチングを被っている私の頭に掌が置かれた。ハンチング越しに頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。
 悪戯に私の頭を撫でまわすその掌は、口を陽気に三日月にさせて眉の角度は緩やかにさせてさらに目は細めている、そんな慧の屈託のない表情を想像させた。
「おっす! お待たせ、あかりん!」
 そんな慧の声を合図にしてベンチに座る私の右隣に人の重みが増した。ベンチの重心がわずかに後ろによりかかっている。たぶん慧が背もたれに身を預けているのだろう。
 「いやぁ~笹塚の授業が延びに延びてさぁ~」と口にする慧はきっと疲れ切った顔をしていると思う。いつもはきはきとしているのに今は歯切れが悪い。語尾にため息がわずかに混じってもいる。
 私はそんな慧の疲れのサインを見逃さない。
「はいさ!」
 私は彼女の頬をめがけて、さっき買ったばかりのペットボトルのジュースを突き付けた。おや、はずしたのかな。慧のプニッとした柔らかい頬の感触が感じられない。
「あかりん! そこはチンだぞ~チン」
 あらまぁと私は愛想笑いを浮かべた。「サンクス!」という声と共に私の右手から優しくペットボトルの感触が消える。私からペットボトルを受け取った慧はゴクゴクと喉を鳴らしてジュースをラッパ飲みしている。私は慧が喉を鳴らす音を聞いて慧の疲れが癒されていっていると勝手に解釈して、良い事をしたなと満面の笑みを浮かべながら背伸びをした。
 ぷは~とオヤジ臭く爽快感を露わにする慧に私はさっき自分が抱いた想像の確信を得ることができた。慧は本当にわかりやすい女の子だと思う。
 慧は私にペットボトルを返してから「行くんだろ~?」といやらしく囁きつつ私の首に腕を巻き付けてきた。
 今日は私の「恋する」人にこれから二人で会いに行く予定なのだ。
 女子という生き物は得てして「恋愛」という人間特有の感情に対して何だかんだ言って敏感だと思う。みんながみんなそうであるとは言い切れないけど、慧の場合は年相応に「恋愛」という感情を素直に受け入れて楽しむ事が出来るタイプの女の子なのだ。
 さっきから慧は「早く行こう」と私を急かしてシャツの袖を引っ張ってくる。きっと、慧は恋に翻弄される私を傍から見て楽しんでいるのだ。
 私はと言えば、いざ「恋する」人の許へと行こうとする段になって、「恋する」人の事を意識するあまりに緊張して身動きが取れなくなってしまっていた。
「もう! 何やってんの、早く行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。心の準備が……まだ」
 武者震いとはこの事を言うのだろうか。私の膝は緊張から解放されて今度はガクガクと小刻みに揺れている。私の心の中では恥ずかしい気持ちや不安な気持ちそして甘い展望を期待する気持ち。様々な思惑が往来して抑制の利かないその気持ち達が今にも私の心を突き破ろうとしている。
「よーし。てこでも動かないってんなら、否が応でも動ける様に私がしてやる!」
 慧がそう言った途端、私の掛けていた伊達メガネが飛んでいった。慧に伊達メガネをはずされたのだ。私は慌てふためきながら「返せ!返せ~!」と、さながら阿波踊りの手つきの様に手を振り回した。抵抗空しく「へへ~やだよ~」と慧のふざけた声が私の許から遠ざかっていく。慧は立ち上がってどこかに行こうとしている。 これは厄介な事になったなと、慧の悪戯に呆れながら私は溜め息を漏らした。
「ラブリー! Up! (立って!)」
 私はラブリーの胴体に付いているハーネスを手に取った。これは私の生命線だ。
 歩行の際、盲導犬ユーザーはこのハーネスを通じて段差や曲がり角の有無などの視覚情報を盲導犬から教えてもらう。このハーネスから伝わる盲導犬の合図を下に私たち目の見えない人々は安全に歩く事が出来るのだ。
 でも、残念な事に人を見つける能力までは盲導犬に備わっていない。
 慧はどこへ行ったのだろう。しばらくラブリーと一緒に辺りを歩き回ってみたけど、聞き慣れた慧の声は聞こえない。聞こえてくるのは人混みのざわめきだけだ。完全に慧の気配は雑踏の中に溶け込んでしまったようだ。
 人混みの中から慧を探し出すのも埒が明かないので、私は荷物が置きっぱなしのベンチに戻る事にした。手印は先月ママから大学の入学祝に買ってもらった丈夫なアウトドアーのリュックとそのファスナーに付けたミッキー人形のストラップだ。
 自分がベンチから歩いた大凡の歩数とラブリーの合図そして手印のリュックを頼りになんとかベンチまで辿り着いた私は項垂れて座り込んだ。
「ラブリー! Stay.(その場で待機。)……ごめんね、余計なことさせちゃって」
 私は、申し訳さそうに私の足元で待機しているラブリーに向かって頭を下げた。でも、ラブリーは物言わない。盲導犬は主人と共に色んな建物や乗り物に入ったりする場合もあるので、むやみやたらに吠えない様しっかりと訓練されている。彼らは本当に賢いパートナーなのだ。
 だから、ラブリーはどんな苦労に出くわしても怒りはしない。ラブリーは従順に私のことをわかってくれているのだ。
 ラブリーの爪垢を煎じて慧の奴に飲ませてやりたいものだ。
 それくらいに私は呆れ返っている。それと同時に僅かながら怒りにも似た感情も込み上げてきている。
 なぜなら、慧が奪い取ったあの伊達メガネは……。
 ドサッ。急にベンチが軋んだ、私の横に誰かが座ったようだ。慧かな。……慧だな!
「ちょっと、慧~ふざけないでよ~。も~! こうしてやる!」
 私は、慧の腹をめがけてグーパンチをお見舞いしようとした。確かな手応えが私の右拳に伝わってきた。でも、一つの疑問が同時に頭に生じた。慧のお腹はこんなに引き締まっていただろうか。慧はいつからビルドアップしたのだろう。
「ナイスパンチですね」
 私にそう話しかけたのは星光一さんだった。星さんは私が偶然に見つけた「サンタナ」という大学近くの喫茶店で知り合った男性だ。
 星さん……。初めてのお店でまだ肩の力が抜けない私の為にわざわざコーヒーに砂糖とミルクを入れてくれた優しい店員さん。
 星さん……。「可愛い犬ですね」とラブリーを褒めてくれた優しい店員さん。
 初対面の私に対してあまりに親切にしてくれたので思わず帰り際、私は星さんに名前を聞いてしまった。目が見えないという理由で見知らぬ人から親切にしてもらう事はざらにあったけど、親切にしてくれたからといって、その親切にしてくれた人の名前を聞くなんて星さんが初めてだった。星さんは口当たりの良い落ち着いた大人っぽい優しい声で私の要望通りに名前を教えてくれた。
 そんな星さんの声はその日から今日まで何故か私の脳裏に焼き付いていて離れない。
 つまり、この人が私の「恋する」人なのだ。
「あわわわっわわっわっわわわわ……。星さん……ですか?」
 「そうですよ」とにこやかに言う星さんの声は、あの日の別れ際に私が聴いた「また来てくださいね」という声と全く一緒だった。今、私の横に間違いなく星さんが座っているのだ。
 その事実は電撃のように私の中を駆け巡って、脳で意識しないうちに私は脊髄反射さながらの反応で、ぱっと星さんの逞しく引き締まったお腹から拳を引っ込めて謝罪をしていた。
 星さんが横にいるという予想だにしない出来事に動揺を隠し切れない私は身体全体でそれを表現していた。まさかの本日二回目の阿波踊りだ。
 いつの間にこの辺りは空気が薄くなったのだろう。胸が苦しい。今にも心臓が張り裂けてしまいそうだ。
 とりあえず落ち着かなければと思い立ち、私は飲み物を飲もうとした。慌ててリュックに仕舞っているペットボトルを取り出そうと、ごそごそとリュックの中を漁る。今の私の姿は星さんにどう映っているのだろう。
 なんとか、私はペットボトルを探し当て慌ててジュースを飲み干そうとした。しかし、ペットボトルの中身は慧が飲み干したのか空っぽだった。何という失態だろうか。思わずグシャリとペットボトルを握りつぶした。今日初めて私は慧に悪意を感じてしまった。
 先ほどから星さんの声がしない。もしかして一人漫才さながらの私の奇行に呆れてしまったのか。だとしたら……今すぐ私は貝になってしまいたい。
 今まさに私の身にありとあらゆる感情が襲いかかっている。
 驚愕・困惑・緊張・幸運・期待・快感・恥・不満。
 それらの感情を一度に制御できるほど私は器用な人間じゃない。ただ、自分のTシャツに少しだけ汗が滲んでいることにはなんとか気が付くことができた。
「あかりん! わかりやす過ぎだろ、あんた」
 冗談ではなく本当に口から心臓が飛び出すかと思った。目の前から、急に声がしたと思ったらそれはいつの間にか戻って来た慧だった。
「びっくりしゃせないで!」
 緊張と焦りから、私は思わず舌足らずになってしまった。星さんの横でこれ以上、恥の上塗りをしてどうする。
 私の隣が小刻みに揺れた。クックックッと笑いを堪える声がする。今、私は星さんに笑われている? 
 もう限界だった。
 私の頭の中が完全にオーバーヒートした。顔も熱い。今まで感じた事がないほどに熱い。身体全体の血液が顔に集合している事が手に取るようにわかる。明らかに私の顔はリンゴも嫉妬するくらいの完熟具合だろう。
 私は、顔を両手で隠した。自分の今の感情はもはや一言では言い表せない。
 その時、私は眩しさを感じた。まるで記者会見場でたくさんのマスコミからカメラのフラッシュを浴びせられているようだ。
 眩暈と共に強烈な耳鳴りもしてきた。そして、終いには意識が宙に浮くような心地良い気分になっていた。
 後で慧から聞いたのだけど、そんなご主人様の状態を知ってか知らずかラブリーは呑気に大きな欠伸をしていたという。

       

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Neetsha