Neetel Inside 文芸新都
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小説を書きたかった猿
13.家族ノーゲーム

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 13 家族ノーゲーム
 

 父が乗っている車のエアコンの調子がおかしくなった。
 だから僕はハローワークに出かけた。
 間を大幅に省略するとそういうことになる。
 ある日の食卓で、父がエアコンのことを言うと、深く考えずに「それくらい我慢して」と母は即答した。これから暑くなる季節だというのに、ただあまりお金を使いたくないからと、父の願いを断った。
 確かに父の通勤時間は二十分程度だ。エアコンが効いていなくたって耐えられる時間だ。
 だが父はほぼ毎日車に乗る。職場へ行くため、買い物のため、祖母のいる老人ホームへ、時には母を連れて小旅行に……。父一人の楽しみのためということではない。家族のために働き続けてきたのだ、父も愛車も。車を運転しない母にはその辺りの感慨がよくわかっていなかった。母だって働き続けてはいるのだが。
 時には既に手遅れになってしまってから物事を切り出す父と、あまり深く考えずに答えを出す母、昔から馴染みの、喧嘩のパターンが久し振りに繰り広げられた。僕は「ああ、これはいけない」と思いつつ、止めることもせずただ傍観していた。
 
 仕事はあった。
 仕事はなかった。
 システムエンジニアの仕事があった。
 十年間パソコンを触っていようとも、僕にはHTMLの知識なんて「<BR>」や「FONT SIZE=14」くらいしかなかった。
 多すぎる介護関係の職があった。
 何の資格も持たず体力もない僕が今すぐ就ける仕事とは思えなかった。
 マンションの管理人、駐車場の警備員、障害者施設の職員、などの求人票をプリントアウトして持ち帰った。受付に相談などする気にもなれなかった。

 時折気まぐれに夜に走っているからといって、体力があるわけではない。筋力があるわけでもない。急に無理をして倒れるようなことになったら、働く前よりも家族に迷惑をかけてしまう。うまくない言い訳だった。日頃から筋トレをしていればいいのだ。毎日走っていればいいのだ。

 箸が折れた。
 父は怒る時に暴力を振るわない代わりに物に当たる。昔のように壁に穴を空けることはなく、新聞紙をくしゃくしゃにしたり箸を折ったりする程度だ。そんな父を見るのも数年振りだった。
 長らく僕ら家族は、激しい感情を表に出すことを忘れて過ごしてきた。
 父の怒りの理由をはっきり理解出来ない母はうろたえてはいたが、「寝不足違う?」と一人で原因を決め込み、謝ることもなく、話し合うこともなく、黙って夕食の残りを食べ始めた。

 いきなりフルタイムの労働はやめておくことにした。
 バイトを探すのもいいが、その前に、働くリハビリのようなものをすることにした。
 十年近く前に、少し働いた経験のある登録派遣型アルバイトは、肉体的にきついバイトもあったが、拘束時間は短い仕事もあった。珍しい経験が出来ることもあった。たとえ嫌な仕事でも一日限りだから我慢出来た。引っ越しなどの重労働を避けることも出来た。某大手会社の支部がハローワークの近くにあり、これも縁と思い、登録説明会を予約した。

 エアコンの調子は数日で元に戻ったので、修理する必要はなくなった。またすぐにおかしくなるかもしれないし、もっと取り返しのつかないことになるかもしれないが。
 父が箸を折った時、テレビからは殺人事件のニュースが流れていた。二十八歳の無職男性が、口論の末父親を刺し殺していた。
 父と母が口論になることはあっても、僕が二人と争うことはなかった。
 僕は殺すよりも殺されたかった。

       

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