Neetel Inside ニートノベル
表紙

うちのオーパーツ
銀髪の少女

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 二.

 鍵を開け、玄関の引き戸をスライドさせる。
「ただいま」
 返事がないことは知っているので、ごく小さな声で克己は呟いた。
 茶の間に入り、テーブルの上にぶら下がった、バスケットボール程の大きさの球体に手を触れた(・・・・・)。ぱっ、と一瞬にして光が灯り、部屋の全景が明らかになる。十畳、文字通り畳張りの和室。克己が触れた際に軽く揺れた照明に追従するように、室内の影もわずかに右左。
 台所に近いいつもの位置に腰を下ろすと、バッグを隣に放って、郵便受けに入っていたチラシ等々に目を落とす。
 ピザ、寿司、地域報。
 一通、何か厚みのあるものが入った封筒があった。見るまでも無く、差出人の想像はつく。切手に押された消印を見て、とりあえず日本にいるらしいことを把握する。裏返すと、案の定そこには殴り書きされた父親の名前だけ(・・)があった。
 封筒の上方を破り、克己は中身をあらためた。
 すぐに目についたのは、この封筒の厚みの原因である。逆さにして、転がり落ちてきたそれを掌で受け止める。
「人か、これ…?」
 五センチ程度の、人をかたどったように見える透明な石。水晶だろうか。
とは言え、ディテールは精密とは言えない。頭と手足に相当する部分は先端が丸みを帯びており、まるで子供の描いた落書きのような外見である。
次に、ノートから乱雑に切り取られたらしい紙を取り出した。二つ折りになったそれを広げると、いつも通り、これ以上ないくらいにあっさりと、近況が記されていた。
どこぞの大学の発掘チームと仲良くなってそこに世話になっている旨、そこで偶然見つけた人型の石を同封する旨。それだけである。
克己は一度ため息をつくと、やや乱暴に手紙を折りなおし、封筒に戻した。握ったままの人型の石も同様に戻そうとして、けれどそこで面白いことに気がついた。
「髪の毛…」
 人に相当する背中側に、盛り上がりがあることに気がついて裏返すと、そこには確かに髪の毛。それも、若干左右に広がりながら、腰のあたりまで届く長い髪がかたどられていた。
 もちろん、毛の一本一本が再現されているわけではない。これも結局はそう見える、という程度である。とはいえ、ここまで偶然に人の形を再現出来ていることには多少の感心を覚えて、克己は石を光源にかざしながら回してみた。
 純度はかなり高そうだ。透過した光がほぼ屈折することなく目に届く。
「ふうん…」
 が、そこまで。それ以上の興味は沸かず、克己はその石も封筒に戻すと、立ちあがってテレビ台の引き出しの中に、今までの手紙に重ねて入れた。
 壁の時計に目をやると七時四〇分。
 ほとんど同時に、お腹が小さく音を立てた。
「しまった、メシ無いぞ…」
 台所の引き戸を開けて、すぐ隣の、二ドアの小さな冷蔵庫を開く。半分ほどに減ったペットボトルの内容物が壁面を叩き、軽い水音を立てる。
分かり切っていたことではあるが、食べ物はない。空の冷蔵庫がぶうう、と低い唸りを上げた。
「先、フロにするか…」
 肩を落とし、力なく冷蔵庫の扉を閉めて、台所を後にする。茶の間を通り過ぎ、廊下を左へ。
 数メートル置きにぶら下げられたうちの最初の一つだけ―今度は野球のボールほどの球体―に手を触れると、これも光を放ち、廊下を照らした。
板張りの床が時折小さく音を立てるのを聞きながら一〇メートル程歩くと、彼の部屋が右手にある。とは言え、この家自体、彼しか住む者がいないので、そこら中がプライベートな空間である。意味合いとしてはせいぜい、よく使うものを集めておける場所と言った程度だ。
克己は自室の襖を開けた。ここも今時珍しい畳張りの部屋。六畳程度の部屋に、小さめのタンスが二つ、机が一つ、背の丈ほどの本棚が一つ。それから敷きっぱなしの蒲団がひと組、転がっていた。
それ以外にはほとんど物の無い空間である。慣れた部屋を、廊下から差し込む弱い明かりだけを頼りに突っ切ると、上着を脱いで窓枠にかけられたハンガーへ。ネクタイとズボンも同じくハンガーで吊るし、タンスから一揃い、シャツとパンツを取り出すと、克己は浴室へ向かった。
 再び切り取られた暗闇の中、部屋の片隅でぼんやりと、青い輝きが漏れ出していた。

 暗くなった空を窓越しに眺めながら、彼女は膝の上で軽く指を組んでいた。
 方向が変わったらしい。遠くにはライトアップされた街並み。あの光の中のどこかから、自分はやってきたんだ、と思考したところで、体の正面から声がかかる。
「あと、一〇分ほどで到着します!」
 大きく張り上げた男性の声。顔の距離は一メートルと離れていないが、彼が前を向いたままであることと、激しいローター音の影響で、その位の声量でなければ恐らく聞き取るのは困難である。
「わかりました」
 こちらはギリギリ聞こえるだろうという程度の声量で返事をし、彼女は一度目を閉じると、軽く息を吸い込んだ。
 右手で左胸の辺りを押さえつける。コート越しの硬さ。それに遮られているためか、あるいは周囲の振動が強すぎるためか、いずれにしても、普段より強く胸を打つ鼓動は、掌には伝わってこなかった。

 浴場の椅子に腰かけてシャワーを浴びながら、克己は考えていた。
 将来について、である。
 月に一度、父親からの手紙が送られてくる度に、彼は頭を悩ませる。
 自分は将来、何をしたいのか。
 高校二年。周囲も受験を意識し出した。秋一も大学に進学するという。
 俺は?
 したいことが無いから、大学に行ってそれを見つける。
 周囲はそう言う。
 父親はどこかの二流大学を卒業し、普通の会社員になった。結婚して、克己が生まれた。
 けれど、克己が中学三年の冬、卒業を間近に控え、母親は出て行った。父親が会社を辞めて、冒険に出る、と言いだしたのが原因である。
 彼の高校進学と同時に、父親は本当に出て行った。残していったのは残高数百万の通帳。時折送られてくるのは短い手紙と―
 克己はシャワーを止めて、浴槽に視線を向けた。湯気と水音。けれど、それは蛇口から出ているものではなかった。
 蛇口とは反対側の浴槽の端、木の板をコの字に張り合わせたものの上に、バスケットボール大の灰色の石のようなものが乗せられている。転がらないよう丸い穴が開けられ、その上に置かれているのだ。その石の表面を伝うようにして、湯気の立つ温水が浴槽に流れ出していた。
 ―おかしな球体。
 浴槽からぎりぎり顔が出ない高さに設定された球体の、七割ほどがお湯で覆われたのを見て、克己は浴槽に身体を入れた。
 流れ出したお湯の流れに、椅子がわずかにさらわれる。その様子を見ながら、克己は足を伸ばした。コの字になった木の台の下側が、ちょうど足を伸ばすことの出来るスペースになっている。
 排水溝にお湯の流れるずずずずず、という音を最後に、浴室は無音になった。
 足を伸ばした方向に視線を向けると、全体がお湯に沈んだ球体が歪んで見える。克己はそれを手に取って持ち上げた。見た目ほど重くはない。それこそバスケットボールをわずかに重くした程度だろうか。
 これは彼の父親が旅先から送ってきたものだ。
 触れるとお湯が流れ出す。穴があいているわけではない。全身から満遍なく流れ出てくるのだ。温度を測ったことはないが、体感としていつも同じくらい。温すぎず熱すぎない。
 もう一度触れるか、あるいは周囲がお湯で満たされると、止まる。だから、今彼の目の高さに持ち上げられたそれからは、再びお湯が流れ始めていた。
 昔から―それこそ彼が生まれたときからだ。克己の家にはこういったものが多くあった。
 照明用がほとんどだが、いくつか別の用途のものもある。円形の、数センチの厚みのある、直径三〇センチ程のプレート。これは台所に置いてあった。側面にある四つの出っ張りに手を触れると、それぞれに異なる温度で熱を発する。フライパンや鍋を乗せて使う、と言えば分かりやすいだろうか。
 球体シリーズでは、触れると冷たくなるもの。食品の冷蔵保存にも使えそうだが、そのための箱のような物を作るのが手間だったので、普段は庭にある倉庫にしまわれている。夏になると持ち出して、抱きかかえるなどして使用していた。
 彼が今持ち上げているこれも、実は初めて使うものではない。数年前まで全く同じ物があったのだが、いつだったか急に湯が出なくなり、廃棄した。
それを含め、この家にある不思議な球体のほとんどが、克己の祖父、父親の父親が、どこかから見つけてきたものである。
 克己は祖父を写真でしか知らない。それも相当若いらしい頃のもの。彼に対する印象と言えば、目もとが父親に似ているということと、小学校の頃まで送られてきていた、父親同様簡単な内容の手紙を見て、字が読みづらいと感じたことくらいのものだ。今見れば、達筆と評価できるのかもしれないが、あの手紙が今どこにあるのか、あるいはもうどこにもないのか、克己は知らない。
祖母も同じく写真だけ。こちらは早くに亡くなったと聞いているが、母親が出て行ったときに漠然と、ああ、ばーちゃんもこうやって出ていったんだなと、彼は思った。
 克己は自作した木の台に、持っていた球体を戻した。ちゃぽん、という音が小さく響く。
台は彼のアイディアではない。以前のものは父親が作ったらしいが、それは初代のものと一緒に捨ててしまっていた。だから、今あるこの台はまだ新しい。
 再び全身がお湯に沈み、歪んで見える球体を眺めながら、克己は再び思考を巡らせた。
 漠然としている。
泥水のように濁ったまま、先の見えない未来。
 適当な大学に入って、適当な会社に入り、そして結婚する。
 その後は?
 視線の先。
 歪んだ球体。
 親父が見つけた。
 視線を上へ。
 光る球体。
 じーちゃんが見つけた。
 冒険に出る?
「バカバカしい」
 呟き、小さく舌を打つ。そのどちらもが、耳によく響いた。
 現実味がないのだ。熱、と言い換えてもいいかもしれない。自身が高校を卒業した、その先のビジョンが何一つ熱を帯びて見えてこない。
 ざぶん、と克己は全身を湯ぶねに沈めた。
 いつまでもゲーセン通いの生活が続くはずはない。それは分かっている。だけど…。
 五秒ほど、歪んだ世界を眺めてから、克己は立ち上がった。
「ぷはぁっ!」
 額に張り付いた髪の毛を左右に分けると、水面に顔を出した球体に、もう一度視線を向ける。
 まだ二年あるさ…。
 いつものようにそう胸中に呟いて、浴槽を出たちょうどそのときだった。ずん、と腹に響くような振動が一度。
驚いて動きを止めたが、続く振動はない。地震ではなさそうだ。
けれど、気のせいと思えるほど微弱なものではなかったし、現に天井から吊られた照明用の球体は左右に揺れている。
軽い胸騒ぎを感じて、克己は浴室を飛び出した。
乱暴に身体を拭いて、トランクスだけを身につけると、廊下につながる引き戸をゆっくりとスライドさせた。
点いている照明は一つだけ。玄関の側はよく見えるが、奥側は暗い。克己は音を立てないようにして廊下を歩いた。初めに客間の襖を小さく開いて覗きこむと、そこですぐに異変に気がついた。
庭に通じる障子戸が、青く光っている。
襖を全開にして、克己は障子戸を見た。それ自体が光っているわけではない。光源はさらに奥。おそらく、庭。
ゆっくりと障子戸に近づいて、先ほどと同じような動作で覗きこむ。小さな公園ほどもある庭の中央に、青く輝く何かが横たわっているのが見えた。ぼんやりとした光ではあるものの、ここからではその正体までは分からない。縁側のガラス戸を引き、サンダルを履いて庭に降りる。
いくら風呂上がりとはいえ、さすがにこの格好では寒い。Tシャツくらい着てくるんだったと思いながら、克己は慎重にその光源へと近づいた。
「…!」
 一メートル程の距離まで近づき、ようやくその正体が明らかになる。克己は息を飲んだ。
 女性。
全身が青い光を放つ、裸の女性が、仰向けになっていた。
幸いにも―あるいは残念なことに―彼女の色素の薄い頭髪によって肝心な部分は覆われており、ひとまず克己は彼女をじっくりと観察することが出来た。
少女、と言っていいだろうか。同年代に見える。眠っているのか目は閉じられていて、開きそうな様子はない。
身体のところどころに付着しているのは土か。確かめようともう一歩彼女に近づいたところで、彼女の身体の向こう側の地面が窪んでいるのが目に入った。けれどそちらに視線を移してよく見ると、それが窪み(・・)といった程度のものではないことに気付く。
窪みだと思ったもの(・・・・・・・・・)を真上から覗きこみ、克己は小さく声を漏らした。
「何だよこれ…」
 穴である。幅一メートル弱のだ円形。当然、昨日まではこんなものは無かった。深さは分からない。ほんの数十センチ先までしか見えないが、けれどどこまでも続いていそうな気配があった。
 穴の周囲にはよく見れば、たった今掘りかえしたと言わんばかりに大小様々な土の塊が飛散している。
 それが意味することは何か。
 穴の隣に寝転がる彼女に視線を移す。
 ちょうど彼女の肩幅がこの穴の横幅と同じくらいであることを確認して、そこから導いた自分の想像に、克己は心の中で突っ込みを入れた。
 まさか。
 直後だった。
 さくっ、と土を踏む音がして、そちらに顔を向けると、一〇メートル程先に人影があった。
「見つけた」
 やや高めの、男性の声。
 もう二歩分、足音がして、そこで男は立ち止まった。
 月は半月。顔が見える程明るくはない。スーツを着ているらしいことだけは分かった。
「ここ、ひとん家っすけど」
 忠告二割、警戒八割といった声音。
「ええ、それは」男は首を動かし、家を眺める。「分かりますよ、ええ」
「警察、呼びますよ」
 今度のこれは警告一〇割だったが、けれど男の方は動じる様子も見せずに、右手を懐に潜り込ませる。引き出されたその手に握られていたものを見て、克己は息を飲んだ。
 暗闇に混ざる黒が、微かな月明かりを受けて鈍く浮き上がる。実物こそ見たことは無いものの、すぐにそれと理解した。
 拳銃。
 闇の中にひと際暗く穿たれた銃口が、真っ直ぐに克己の方を向いている。
「念のため、本物ですので」
 奇妙なことに、男に言われるよりも前から、実感があった。
 身動き一つせず、否、出来ず、克己は視線だけを男の顔に動かした。ゆっくりと近づいてくる。
七メートル。
足元の少女の発する青い光も手伝って、男の顔をようやく認識することが出来た。歳は二十代だろうか。目鼻立ちがやけにはっきりとしており、日本人らしくない、という印象を克己は抱く。クセ毛だろうか、緩くカールのかかった頭髪も黒色ではなく、茶色が強い。
自分が危険におかされている状況にも関わらず、そこまでを思考する。
「結構。抵抗さえされなければ、こちらも危害を加えるつもりはありません」
 男の物腰から漠然と、こういった言葉が出ることを想像していたからである。鼓動は不思議と落ち着いていた。
そうすると次は…。
「目的は、こいつか?」
 慎重に、身体は動かさないようにして、克己は問いかけた。
「話が早くて助かります」
 そう言って、男は満足そうに唇の両端を上げて見せた。けれどその表情の柔らかさとは裏腹に、握られた拳銃の銃口は頑なに克己を捉え続けている。
「なら、さっさと持って行ってくれ。俺はこいつが何なのか知らないし、そんな知りもしないもんのために殺されるのはごめんだ」
「ええ、賢明ですね。知らないのが、あなたのためです」
 目で小さく頷いてみせ、さらに一歩近づいてきた男に対し、克己はゆっくりと右足を後退させた。
 悪いがまだ死にたくはない。こいつが何だろうと俺には関係ないし、危ないものなら関わらないに越したことは無い。
 だが。
 ひねくれてるよなぁ。
 胸中に独りごち、男の二歩目に合わせて左足を下げる。
 一介の高校生がなんでいきなり現れたワケも分からんモノのせいで殺されかけるなんて展開にならなきゃいけないんだ?大体この男、勝手にひとん家の庭上がり込んで、その上家主に銃向けるってのはどういう了見だこの野郎?
 三度目の後退は、しなかった。
 男との距離が縮む。さらに鮮明になった男の顔を、克己は睨みつけた。
「何か?」
 つり上げた唇を定位置に戻し、そう問いかける男に、克己は口を開く。
「いや、どうやって持って帰るのかなと思って」
 男は鼻から笑いを漏らした。
「鍵がありますので、ご心配なく―」
 鍵。
 その言葉を聞いた瞬間に、克己の脳裏に閃いたものがあった。
 なんとなく、などというものではない。理由は分からないが、その閃きは確信として、克己の胸を騒がせた。
「―あなたは私たちがいなくなるまで、そこでそうしていてくれさえすればいい」
 男に気付かれないよう顔を俯け、視線を左手、客間へ。自分が開け放った襖の間に、何かがうごめくのが見えた。徐々に、ゆっくりと、それはテーブルの下を通り、縁側へと抜け出てきた。
 仄かな明かりに照らされて、姿が見えた。彼の高校指定のブレザーが、床を這っている。もちろん克己には、それ自体が這っているのではないと分かっていた。こちらに向かって突き出された一点。右のポケットの中の何かが意思を持ち、彼の制服を引きずってきたのだ。
 そこで「何か」は動きを止めた。まるで克己の思考を読み取ったかのように。
 もう一度、克己は顔を上げて男を睨みつけた。男の方は先ほどまでとはうって変わって、その表情に不快さを露わにする。
「……何か?」
 奇妙な確信。
 鼓動が一度、胸がはち切れんばかりに大きく鳴った。
 来いっっ!!
 びっ!と布の繊維がやぶれる音がして、青い光が直線の軌跡を描く。男が音のした方向に目を奪われた一瞬の間に、克己の右手には小さな石が握られていた。
 男がはっ、とした表情を浮かべ、克己に向き直る。
「しまっ―」
 言葉を吐き切るよりも前に、訓練された正確さで引き金に掛けた人差し指が動く。
 だぁんっ!と激しい音が三発。闇を照らす強烈な光。
 けれど、放たれた弾丸が克己に届くよりもさらに、彼女(・・)の挙動の方が速かった。
「―た!」
 克己が腕で身体をかばう動作を終えたのは、本来であればとっくに彼の身体を弾丸が通過していたであろう後。それでも彼がこうして無事に立っているのは、弾丸を遮ったものが彼の前に在るからに他ならない。
 とす、と小さな音が三つ鳴って、克己は彼女(・・)の足元に視線を落とす。先端の潰れた弾丸が三発、そこには転がっていた。
「くそっ!」
 顔を上げる。苦虫を噛み潰したような男の顔。その手前、克己と男との間に、視界を遮らない程度の背丈の女性が立っていた。その手が男の拳銃に伸びている。銃身を握り、銃口は明後日の方向へ。男は握っていた拳銃を手放して数メートル後退した。その間に彼女は奪った拳銃を両手で握ると、まるで子供がバナナを半分こにするような手軽さで拳銃を折り曲げた(・・・・・)。めきめき、と音がしてVの字に変形した銃は、そのまま背後、克己の隣へと放られた。
いつからだろうか。気がつけば、先ほどまでの青い光は消えている。代わりに眼前の―先ほどまで足元に横たわっていた―少女は、地面に寝転がっていたにも関わらず汚れ一つない、その透き通るような肌に月光を受け、淡く白い光を身に纏っていた。
「すでにオリジナル(・・・・・)があるとは思わなかったよ…」
 青い光が消えたことで、男の表情は分からない。
「起動されてしまった場合は、止むを得ない」
未練と諦観が半々と言った様子でそう口にすると、彼は右手で自らの左腕を掴み、袖ごとその肘から下を抜きとった(・・・・・)。
「な…っ!!」
「伏せてください!」
 驚きの声を上げたのもつかの間、克己の身体はものすごい力によって地面へと押しつけられる。
「うわっ!」
 右肩を握られていたらしいと気づいたときには、すでに目の前の彼女は男の方に向き直り直立していた。土の地面に尻もちをついた克己は、彼女の両足の間から男を見た。
 彼の左腕だったものが右の肩に担がれ、肘の部分がぽっかりと穴を開けてこちらを睨んでいる。
「さよならだ」
 どしゅうっ!という音の直後、男の左腕から白煙が漏れ踊る。赤い尾を引いて迫る物体が、やけにスローモーションに克己の目に映った。
 死ぬ…。
 がん!と高い音が耳朶を打つ。強い風を巻き上げて、ほんの一瞬のスローモーションから解放された物体が、克己の右脇を通り過ぎ、後方へと走り抜けた。
 直後、爆音。
 例えばハリウッド映画の爆発シーンでならば、こんな音を味わうことができるだろうか。およそ現実では耳にする機会の無いような音の方向に、克己は首だけで振り返った。
 立ち上る炎が、まず目に入った。庭の隅、彼の家の倉庫にそれは直撃したらしい。石造りの倉庫はそれほどやわなものではないが、その壁を破り抜けるだけの威力を、先ほどの物体は有していたということだ。肩車をした力士が二組、横に並んで通り抜けられそうなくらいの大穴。漏れ出る光が周囲の様子までも赤々と照らしだす。遅れて、熱を纏った爆風が彼の頬を強烈に叩いた。
 燃え上がる炎。そして、倉庫。目を離すことが出来ずにいた彼に、体の正面から声が掛けられた。
「マスター、お怪我はありませんか?」
 即座にそちらに向き直る。マスター、と言うのが自分のことだと認識するよりもやや早く、何かが彼の鼻をくすぐった。
 それを追って視線を這わせる。爆風に浮きあがったのは眼前に立つ彼女の銀髪。今は炎を受けてオレンジに輝くそれは、さながら風に舞うドレス。ところどころにほつれた糸も付き従い、ともに踊る。
 それを見送って正面に戻した視線を、克己は逸らすことが出来なくなった。
 長い髪の毛によって覆われていた彼女の後姿。それが今は、遮るものなく克己の目の前に全てを晒していた。先ほどまで白い光を纏っていた肌は、今度は炎の輝きをありのまま反射している。
 きれいだ…。
 なんの捻りもないそんな感想を胸中に呟いたところで、克己は彼女に何か問いかけられていたことを思い出す。
 大きく喉を鳴らして唾液を飲みこむ。そうしてようやく、克己は口を開くことが出来た。
「あ、ああ…」
 この返答に間を置かず小さく頷くと、彼女は正面を向いたまま、けれど克己に向かってこう言った。
「ご命令を、マスター」
 凛と響いたその声に、克己はわずかの逡巡の後、立ち上がった。彼女の頭越しに、立ちつくし、歯噛みする男の、炎に照らされた顔が見える。
「あいつを、何とかしてくれ」
「了解しました」
 すぐ眼下にあった彼女の頭が一歩分前進し、代わりに視線の先の男が後退する。
それを、五歩繰り返したときだった。男は歩みを止めて俯くと、強張らせていた身体を直立させ、少女に向かい合う。
 その様子に、克己が眉間にしわを寄せた直後だった。
「くっくっ…」
 小さな音だったが、聞き間違いではない。その証拠に、男の肩が上下に、小刻みに揺れていた。
「なんかおかしいか?」
 張り上げた声音でそう問いかける。
「ええ―」
 一拍遅れた男の返答は、こうだった。
「―あなたの迂闊さがねぇっ!!」
 すた、と音がして、克己は背後を振り返った。
 先ほどまでであれば、そこに人がいると認識するのに時間がかかったはずである。前方三メートル程のところに中腰になっていた男―体格的におそらく―は、顔も含めて全身を黒いタイツのようなもので包んでいたからだ。
「な…っ!」
 克己が声を発するよりも早く、黒ずくめの男は彼に向って走り出した。
「マスターっ!」
 だだだだだぁんっ!
 背後からの彼女の声が聞こえたのとほぼ同時に、頭上後方から激しい音が降り注いだ。よくは見えなかったものの、一瞬のうちに彼の眼前を通り過ぎた物体は、微かに炎に照らされて赤い軌跡を描き、そのまま地面へと突き刺さる。目の前の男は勢いよく後退した。
 直後後方から近付いてきたのは、これも爆音。ただし爆発音とも異なるそれは、強烈な風を伴って上空から飛来し、そのままスピードを落とすことなく、高度を上げながら前方へと抜けて行った。
 とん、と再び地面を打つ音がして、克己は顔をかばっていた腕を下ろす。再び黒ずくめの後ろ姿が目の前にあった。けれど今度のそれは、先ほどの男のものではない。黒いロングコート。わずかに遅れて、目の前の人物のミドルの黒髪が、ふわり、と落ちて背中を覆った。
「大丈夫?」
 その声が自分にかけられたものだと気づき、克己は数瞬遅れて返事を返す。
「は、はい…」
 女性らしいと気がついたところで、彼女は首だけをわずかに後ろに向け、声を張り上げた。
「あなた!えっと…」
 後方、銀髪の少女に対しての呼びかけらしい。彼女の方もすぐに理解したらしく、これに返答した。
「クリス」
「クリス、こちらは任せてもらって大丈夫です。あなたはそっちを!」
 クリス、と名乗った少女を振り返る。
「分かりました。信用します」
 そう叫んで、彼女は前方―スーツの男に向かって走り出した。
「ちぃっ!」
 男のその声は、直後背後で鳴った銃撃音にかき消された。
「あなたは家の中にっ!」
 あまりの大音量に耳を塞ぐ。振り向くと、彼女の両手に握られた銃が火を吹いていた。拳銃ではない。下部にはみ出すほどの長さのマガジンを備えた、サブ・マシンガン。秒間数十発といった驚異的な勢いで吐き出される弾丸の雨を、黒ずくめの男は後退してかわす。どうやら彼女の方にも当てるつもりは無いらしい。でなければ、男の身体はとっくに蜂の巣になっているはずである。けれども、懐に手を入れて何かを取り出そうとする男に対しての牽制は、十分に効果を示しているようだった
 激しい音と閃光をまき散らす彼女を見ながら、克己は縁側へと上がり込んだ。ずん!と振動があり、今度はそちらに視線を向ける。
 地面にめり込んだ拳を、クリスがゆっくりとした動作で抜き取るところだった。数メートルの距離を置いてそれを眺めるスーツの男の顔が歪む。なるほど目の前であれをやられれば、相当に戦意を削がれるだろう。ほどなくして、男は声を上げた。
「態勢を立て直す!」
 身を翻し、男はそのまま視界から消えた。ほぼ同時に銃撃の音がやみ、そちらには身軽な動きで塀を乗り越える黒ずくめの男の姿があった。
「ひとまず、今のところはこれで大丈夫かしら」
 慎重な足取りで後退し、男が戻ってこないことを確認すると、彼女は両手に握ったサブ・マシンガンを、長いコートの背面に差し入れた。
「怪我は無い?」
 振り返った黒ずくめの彼女が言う。
「だ、大丈夫です…」
 縁側で四つん這いになった克己は、やや見上げる格好で頷いた。
「そう、ならよかった」
 そう言って笑った彼女の顔を眺める。右頬のえくぼが目に入った。その優しそうな笑顔と、先ほどまでマシンガンを乱射していたこととのギャップに、克己は多少戸惑いながら「はぁ…」と返す。
「ありがとうございます。助かりました」
 左からの声に、克己は視線を動かした。銀髪の少女、クリスがそこにはいた。
「いいえ、どういたしまして。ところで―」
 そこで言葉を区切った女を克己は見上げる。克己とクリス、二人へ交互に視線を向けた彼女は、わずかに苦笑いを浮かべてから、続きを口にした。
「―二人とも、服、着たら?」
 クリスと目が合って、続いて自分の身体に視線を落とす。
数秒の思考の後、トランクス一枚の姿で女性二人の前に立っていたことに気がついて、克己は思い切り後退した。
「のわああああああああっっ!!」
 どん、と背中に鈍い痛み。
「………っっっ!!」
テーブルに勢いよく背中を打ちつけて、声にならない声を上げ、痛む背中を押さえつけながら、克己は畳に倒れ込んだ。

       

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