Neetel Inside ニートノベル
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うちのオーパーツ
力の無さ

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 五.

 よく覚えている。夏の暑い日だ。終業式で、明日からは夏休み。
 身体に張り付くワイシャツを引っ張ってはがす。また別のところが張り付く。はがす。
 セミが呆れるくらいにうるさいが、だからといって何かできるわけでもない。どうせ短い生涯だ。思う存分に鳴いてから死んでくれ。
そんなことを考えられるくらいには、大人であったらしい。
「カツミ!」
 そう呼ばれ、極力最小限の動きを心がけて振り返った先には、駆け寄る静奈の姿があった。
「よう」
「あっついね!」
 最後の一歩は軽くジャンプ。両足を揃えて跳んだ彼女の身体が克己の隣に滑り込む。とん、と軽い音をさせ、ボタン一つ開いたブラウスの胸元に右の平手で風を送り込みながら、静奈は克己の隣に並んだ。
「そう思うなら走んなよ」
「あ、それってひどくない?」
「わりい」
「うむ、許そう」
 いつものやり取り。
 中学時代の、気の置けない友人の一人。
 隣を歩く、ほとんど背丈の違わない同級生を横目で眺める。
 二の腕に張り付いたブラウスの袖。
 彼女の身体から、熱気に混じった僅かな甘い香りが立ち上り、克己の鼻孔をくすぐった。
 歩きながら、わずかに距離を開くと、正面に目を逸らした。
「夏休みは、どっか旅行とか行くの?」
「さぁ、うちはあんまりそういうの無いかな」
 父親は優しい人物ではあったが、家族サービスといったものには無縁だったように思う。ただ擦り切れるように働いて、働いて。
 母親も多くを望んではいないようだった。だからといって、会社を辞めて旅に出るような夫を許容することは無かったわけだが。
「静奈は?」
「どーだろ。ってか、受験勉強もしなきゃじゃん?」
「レベル高いとこ狙ってんのか?」
「まさか。二校」
「なら、こんな時期から根つめなくても」
「ヨユーだなぁ」
「普通にやってりゃ受かるって」
「だといいけど」
 視界の端に動いていた、彼女の右手が一瞬動きを止めた。
「あの、さ…」
 心なしか俯き気味になった横顔を眺める。
「ん?」
「えっと…、高校行っても、よろしくね」
「まだ先のことだろ」
「うん、まぁ、そうなんだけどさ」
 汗。
 意味もなく、左の袖を何度も引っ張る。
 無言。
 あんなにもうるさかったはずのセミの鳴き声が、今はどこか遠くに聞こえて。
「そーいえばさ」
 沈黙は何秒だったのだろうか。
「三組の――さん、いるじゃん?」
 よく聞き取れなかったが、聞きかえす気にはならなかった。
「ああ」
「カツミのこと、気になるって言ってたらしいよ」
 セミの声が、一斉に止んだ。
偶然にか、あるいは聴覚がシャットアウトしただけだったのかもしれない。
「へぇ」
 声は乾いていないか。
「それで?」
「ん、なんかあったのかなーって」
「いや、別になんも」
「そっか。女っ気ないねー」
「そうだな」
「うん」
「やっぱ、夏は勉強するかな」
「うん」
 そこから先の記憶はとても曖昧だ。
 別れるまでの道すがら、なにか差し障りのない話題を繰り返したような気もするし、終始無言であったような気もする。
 気の利いた答えを返していたとしたら、どうなっていただろうか。
 そんなことを考えたまま、結局その夏休みの間、静奈に会うことは一度も無かった。

 天井があった。つられた球体もいつも通り、そこにある。
 ぼんやりとした視界が次第にクリアになっていく。
 克己はゆっくりと視線を動かした。右側には大の字に寝転がる秋一、左側には同じく静奈がいた。
 軽い頭の痛みをこらえながら、身体を起こす。
 茶の間のテーブル。対面には制服姿のクリスが座っていた。この場でただ一人だけ、おそらくずっとそうしていたのだろう。正座の姿勢を崩さない。
「よう」
「おはようございます」
「おはよう…」
 よく見れば、クリスの隣には零花が右手にビールの缶を持ったまま寝ころんでいた。いつ用意したのかは分からないが、昨晩とは違い私服の装いである。
「何時?」
「二三時一五分です」
 日付は変わっていないようだ。テーブルの上に乗った、まだ半分以上残ったままのチューハイの缶を眺める。
 こいつのせいだろうか。
 零花に無理やり飲まされた以降の記憶がおぼろげだった。
 静奈の寝顔を見下ろす。
 興味が無かったわけではない。けれど、それ以上にあの関係が崩れてしまうのが不安だった。
 いや。
 それは言い訳か。
 胸中に呟く。
 多分、自信が無かったのだ。新たな関係を築くことに対して。
 後悔、しているだろうか。
 問いかける。
 あの夏休みが明けて、初めて会った静奈の一言。
 いつもと変わらない「おーっす」
 何かの気の迷いだったのだろう。
「寝てて良かったのに」
 いくらか抑えた声で、克己はクリスに言った。
「いえ、睡眠は必要ありませんから。ただ…」
 きゅる、と小さな音が鳴る。
「その、食事を…」
「いいんだぞ、勝手に持ってきて」
「いえ、そういうわけにはいきません」
 丁寧に頭を下げるクリスに笑って見せて、克己は立ち上がった。
 なんて分かりやすい機能だ、と克己は思う。
 台所の片隅に、大小様々な球体が乱雑に置かれていた。昨夜倒壊した倉庫から引き上げてきたものである。その中から一つ、小さめの照明用途の物を掴み取ると、克己はそれをクリスに放ってやった。一度光った球体は、クリスの手に触れ再び鈍い灰色へと姿を変える。
「足りるか?」
 両手で受け取ったそれを顔の前で支えて、クリスは言った。
「はい、いただきます」
 貰う、という方の意味では無かった。
 遠くから見れば、それはおにぎりを食べているようにしか見えなかっただろう。
 コンクリートが砕けるような鈍い音。
 口を離した球体には、綺麗な歯型が穿たれていた。
「やっぱり、ただの石だよなぁ」
 長年の間、中身がどうなっているのか不明だったが、いざ蓋を開けてみれば中には何もなく、言葉通りただの石となんら変わらないのである。
 隣に立って見下ろす克己を、クリスが見上げる。
「旨い?」
「私には、味覚はありませんので」
「あったら食えないかもな」
「そうかもしれません」
 おかしさが分かったらしい。そう返して、クリスは笑った。
「それ食い終わったら、こいつら起こすから」
「ふぁい」
 まさかこんなものを食べているところを見られるわけにもいくまい。
 口いっぱいに、本来は食べ物ではないそれを頬張るクリスを見て、克己も笑った。
 さて、とはいえこれも無限にあるわけではない。毎日このペースで消費されると、日常的に使用しているものを含めても一月もつかどうか。
 その辺りは零花になんとか考えてもらうほかないだろう。
 そこまで考えたときだった。
 半分ほどかじっていた球体をテーブルに置くと、クリスがすっ、と立ち上がった。
「クリス?」
「零花さん」
 緊張を含んだ声音である。爆睡しているように見えた零花だったが、その一言でぱち、と目を開くと、こちらも間断なく立ち上がる。
「ありがとう。状況は?」
「庭です」
「分かった。克己くん」
 素早いやり取りに続いて向けられたのは、鋭い視線。
 事態はすぐに把握できた。
「あいつらか?」
「そうみたいですね」
「こいつらは?」
 まだ寝転がったままの二人に視線を向ける。
「ここにいてもらった方がいいと思います」
 克己は頷いた。
「私が玄関から出ます。クリスと克己くんは直接庭へ」
「分かりました。カツミさん、なるべく離れないで下さい」
 そう言うなり、クリスは早足に廊下へ出ると、迷いなく左へ進む。その背中を追って克己が続いた。
 廊下に明かりは無い。突き当りの闇には既にあの二人のどちらかが潜んでいるのではないかという予感。けれど、今はためらいなく歩を進めるクリスについていくしかない。
 周囲の空気が粘度を増し、不快な湿気となってまとわりつく感覚。クリスによって勢いよく開かれた襖に、一瞬にして湿気が凝結し、背中を冷やした。
 室内に人の姿は無い。月明かりが障子を透過し、畳に微かな光を落とす。静止した部屋。その様子からは、異変を感じ取ることは出来ない。
「いるのか?」
「二人。先ほどから静止しています」
 聴覚、だろうか。
「どうするんだ?」
 その問いかけに応じるようにして、すっ、と後ろ向きに伸ばされた左手が、克己の手首を掴んだ。
「……!?」
 息を飲む。
「零花さんの合図と同時に出ます。少し乱暴になりますけど」
「ああ、分かった…」
 静けさが鼓動を強調する。空いている右手で、一度強く胸を押さえつけた。
 大丈夫、クリスがいる。
 ―直後のことだった。
 強く引かれた腕が痛みを訴える。が、それを最後まで聞くよりも先に、わずかな浮遊感。すでに腕には引かれる感覚は無く、代わりに首の後ろと膝の裏に触れるものがあった。
 視線の先に、クリスの顔。至近距離、下から見上げる角度。抱きかかえられているものと分かった瞬間、衝撃。がたっ!という音に続いて再びの浮遊感。今度のは先ほどよりも長い。急激な上昇と、下降。
 全身に軽く衝撃が走ったかと思うと、いつの間にか身体は直立の姿勢を取っており、正面にはすでにクリスが、その先の人影を見据えて直立していた。
 障子戸が一枚、縁側に斜めに立て掛けられたような状態に外れている。突き破って跳躍したものと分かった。
 クリスを挟んで三メートル先に立っているのは、全身を真っ黒に固めた後姿。
「そのまま、振り向かないで下さい」
 無言のまま、微かに動きを見せた男に向かって、クリスはさらに告げた。
「あまり乱暴な真似はしたくありませんが、あなたが振り返るよりも、私がこの距離を詰める方が早い」
 低い声音に、男の動きが止まる。
「あなたもね」
 零花の声。一〇メートル程先に、こちらを向いて両手を上げているらしいシルエットが微かに見える。その背後、いつの間に着替えたのか、昨夜のロングコートをなびかせ、サブ・マシンガンを構える姿があった。
 ふう、と息を吐く音。
「形勢逆転、か」
「ガルシア大沢さん」
 零花は正面に立つスーツの男―ガルシア大沢に銃を突き付け、言った。
「可能ならば、こんな街中で血を流したくはありません」
「…それで?」
「おとなしく捕まっていただけませんか?」
「我々が、飲むとでも?」
 背後を取られ、完全に不利な状況にも関わらず、ガルシアに態度を崩す様子は無い。
「こちらにはヒュームズがいます。その力に関しては、あなた方の方が詳しいはずですよね。二人だけでは、手に余るのでは?」
「なるほど、確かに」
 そう言ってガルシアは、一度小さく鼻を鳴らした。
「それでも、飲めないと言ったら?」
 零花の声音が、一段低くなった。
「言いましたよ。可能ならば(・・・・・)、って」
 銃を握り直す音。それに応じるように、クリスがわずかに態勢を下げる。
 数秒間があって、ガルシアは口を開いた。
「オーケー。どうします?」
 それは当然、クリスが背後をとっているこの男に対しての言葉であると、誰もが思った。
「こっちとしては、盛大に血が流れようと別に構やしないんだが―」
 だからその声が縁側、一段高い場所から聞こえたことに、零花も克己も、クリスさえも驚きを隠せず、一様にそちらに視線を向ける。
「―むしろ、その方が面白い」
 表情さえ想像できそうなほどの笑みを含んだ声音。
 全身を顔まで黒く包んだ人影がもう一つ、そこには立っていた。
「そんな…」
 クリスの呟きに、ガルシアがそちらに向けた言葉が答えとなった。
「ヒュームズさえも出し抜くとは、本当に気持ち悪い」
「そう言うなよ」
 くくっ、と二人の笑い声が重なる。
「さて、形勢逆転だ。先ほど言った通り」
 気が付いていた。
 縁側に立つ男が抱えたもう一つの人影。右のこめかみに突き付けられた拳銃。
「静奈っ!」
 びく、と身体が震えるのが見えた。しかしそれ以上、声を上げることも身をよじることもしない。いや、出来ないのだ。
 薄雲がかかり、わずかな月明かりが遮られる。
「さてと」
 暗く沈んだ世界にガルシアの声が響いた。
「要求は、言うまでもないと思いますが」
「オリジナル・キー…?」
 零花が答える
「無論、本体も」
 沈黙が数秒。主導権は相手側にある。
 しかし、それでも零花は強気の姿勢を崩さなかった。
「この状況、一番不利なのは誰だと思います?」
 依然、マシンガンの銃口はガルシアの背中に突き付けられたままである。
「彼は、私が死ねば見捨てると思いますよ?」
 縁側の男に向かってガルシアが言った。
「まさか。金がもらえなくなっちまう」
 そう言って男は笑う。が、その直後、一転冷やかな口調に変わり、
「だから、当てつけに引き金を引くくらいはするかもな」
 克己の背中を、冷たい汗が伝った。
 誰も動かない、沈黙の時間。息をするのさえも忘れるほどの。
「分かった」
 破ったのは零花だった。
「克己くん、鍵を」
 身体が反応するのに数秒を要した。じっとり、と湿った右手を、ズボンのポケットに滑らせる。底で転がる球体をしっかりとつかみ取ると、拳を作って身体の正面に固定した。
「静奈さんを放して」
「当然、交換です。降りて下さい」
 ガルシアの声に従って、縁側に立っていた男は静奈を伴ったまま庭へと降りる。
「そいつに、渡して下さい」
 ガルシアが言うと、クリスの正面、もう一人の男がゆっくりと振り返った。武器は持っていない。右手を広げ、克己に向かって突き出す。
「待って。もっと静奈さんを近づけて」
 零花の声に、静奈を抱えた男が振り返る。が、何か言おうとするより先に、ガルシアが応じた。
「構わない。その代わり、そちらもヒュームズを下げてもらえるかな」
「クリス」
「分かりました」
 零花の声に、クリスが三歩後退した。位置が逆転、克己の正面には右手を広げた黒ずくめの男。
 静奈を抱えた男が動いた。
 一歩。
 握った右の拳をわずかに緩める。
 渡していいのか?
 二歩。
 けど、渡さなければ静奈が…。
 はち切れんばかりの鼓動。
 三歩。
 距離は三メートル強。
 恐怖に歪んだ、静奈の表情。
「……っ!!」
右腕を伸ばしかけた、そのときだった。
「クリス!!」
 零花の声。
 先に認識したのはその声か、隣を通り抜けた強烈な風か。
 雲が晴れた。
 残像。
いや、残像だと思ったものは、月光に照らされたクリスの美しい銀髪。
 右の拳を振りかぶった彼女が男に肉薄する。
 鈍い音が響いた。
「え…」
 呟きは、零花のものである。
 音はクリスの拳が男の顔面を撃ち抜いたものではなかった。
 克己は目を見開いた。正面、ほんの一瞬前までそこに立っていたはずの男がいない。代わりに残されていたのは、その足元に位置していた場所にはじけ飛んだ、いくつかの塊。
「読み違えていましたね。何もかも(・・・・)」
 だん!と銃声が一度、鳴った。
 それと分かったのは、激しい閃光が視界の端に見えたからである。
「ぁっ…!」
 うめき声。
 右の腕を垂らし、膝をついた零花から距離を取るガルシア。右腕に握られた拳銃からは、硝煙がたなびいていた。
「ジエノ…!」
 そう呟いたクリスの拳を包むようにして掴んでいるのは別の手である。
 背格好はほとんどクリスと変わらないだろうか。だから、それが少し前まで克己の目の前に立っていた男(・)であると気付くまでには時間がかかった。克己の足元に転がったものは、ウレタンの塊である。彼女(・・)の体型をカモフラージュするための。
服装は変わらず全身黒。ただし、先ほどまでのがっしりとした外見とは異なり、ほっそりとした特有のラインが露わになっていた。
露出しているのは顔だけ。クリスの銀髪と対照的なブロンドのセミロング。流れた髪が左の肩を覆う。
クリスの肩越しに見えたその顔は、特に力を込めたようなものには見えない。だからそのつり上がった目や真一文字に結ばれた唇が、彼女にとっての標準の表情なのだろう。クリスとは対照的な、気の強そうな女性という印象を抱く。
当然、問題はそんなことではなく、彼女がクリスの拳を意にも介さず受け止めている、そのことが重大な事実であった。
「確かに、我々二人だけでは、ヒュームズ相手は多少手に余る」
 静奈を掴んだ男の隣に並び、ガルシアは言った。
「ジエノ!」
 その叫びに呼応するように、クリスの拳を受け止めたままだった彼女に変化が起きた。
 瞳。
 血のような赤い光が、暗闇に浮き上がる。
 みし、という音がして、クリスがうめいた。
「ぐっ…!」
 小刻みに震える体から、距離を取ろうと力を込めていることが分かる。が、出来ないのだ。ジエノと呼ばれた少女が拳を掴む力が、クリスのそれを上回っている。
 めき、と先ほどよりも明確な、何かが割れるものと分かる音。
 直後だった。
 クリスの身体がそれと分かるほどに跳ね上がる。そのまま、糸の切れた人形のように、彼女の身体は正面、ジエノに向かって倒れ込んだ。
「クリス…?」
 呟きが漏れた。
「これは…、エネルギー切れとはねぇ!!」
 ガルシアの声に、思い当たるものがあった。
 食べかけの球体。
「そんな…」
 もはやクリスは微動だにしない。ただそうされるがまま、ジエノの肩に担がれる。
 文字通りの、糸の切れた人形。
 嘘だ…。
「クリス!」
 右の拳に力を込める。が、そこに握っていたはずの感触が無いことに気がついて、克己は目を見開いた。
「これかな?」
 向き直った先の、ガルシアの左手。三本の指に支えられたその球体は、紛れもなくオリジナル・キー。そう、先ほどまで克己が手にしていたはずの。
「そいつか…?」
 考えられるとしたら他には無い。
 あの一瞬、クリスのパンチを止めるよりも先に、克己の手からそれを奪い取った。
 睨んだ先のジエノの瞳の輝きは消え、ただ無表情に克己を見返していた。
「静奈さんを、放して」
 撃たれた右腕を押さえながら、なんとか立ち上がった零花だった。
「冗談でしょう、先に約束を破ったのは、そちらだ」
 ガルシアが笑むのが分かった。
 静奈の顔が悲痛に歪む。
「とは言え、私もこんなところで血を流すのは避けたい。どうでしょう。私たちがここから消えるための保険として、彼女を借り受けるというのは」
 そう言って、ガルシアは拳銃を懐にしまった。
「もちろん、飲むか飲まないかはお任せいたしましょう」
 視線を、零花に向ける。
「五秒」
 無言。
「四…」
 無言。
「三…」
 一歩、近づく。
「おっと、それ以上はダメだ。二…」
 零花さん…!
「一…」
「行って」
 その声が、克己の耳に張り付いた。
「賢明な判断だ」
 笑いを含んだ声音でそう言うと、ガルシアは踵を返した。
 背後のことなど何一つ気にする様子を見せず、悠然と立ち去っていく。
「カツミ!」
 初めて、静奈が声を上げた。そうして身をよじった直後、ごっ、と硬い音が響く。
「静奈…!」
 だらり、と男に支えられた首が力を失って垂れ下がる。男は拳銃を懐にしまうと、ジエノがクリスをそうしているのと同じように静奈を抱え上げ、無言でガルシアの後に続いた。
 最後にジエノの姿が見えなくなるまで、克己はただ立ち尽くしていることしか出来なかった。
 そうして数秒経った後で、すとん、と垂直に体が落ちた。
 地面に触れたことで、ようやく気がついた。
 どうしようもないくらいに、身体が震えていた。

       

表紙

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Neetsha