Neetel Inside ニートノベル
表紙

死んでも逃げろ
第2部

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  一 車中にて


 1

 自衛隊の男の話しを要約するとこういうことになる。一つ、敵は巨大であるということ。
一つ、目的は不明。一つ、多くの人々が殺されるか、どこかへ連れて行かれているというこ
と。そして、これは全世界で同時多発的に起こったということ。
「恐ろしく周到に用意してたみたいだ。手際は鮮やか。マスメディアをおさえ、次に政府を
黙らせた。後はどうとでもなる。テレビを使ってテロリストみたいな連中が暴れてる情報を
流し、避難場所をラジオなんかで流し、自衛隊のフリして誘導する。自衛隊の3分の2が奴
らに取り込まれてた。反抗した仲間は皆殺し。俺たちはなんとか逃げたんだけどな」
「世界同時に?世界中こうなってるの?」
 ケンジが言う。男は肯く。
「おそらく、ね。どこも似たような状況だろう。外の情報が入ってこないから、わからない
けど。いくら突然の侵攻だと言っても、米軍やなんかに救援を要請する暇がなかったわけじ
ゃないだろう。それでも助けはない。在日米軍もどっか消えちまってる。そうなると、嫌な
予想が当たってるって思うほうが妥当だ」
 男はタバコを踵で踏み潰した。細い煙が一本、宙を舞う。
「なんでこんなことを……」
 サクラはそう言って両手で顔を覆い、うなだれる。
「まったく情報がないわけでもない。変化、っていうのかな、今から思えばそれだったんだ
って思う程度のもんだけど。この間イラクであったこと覚えてるか?」
 男はそう言って二本目のタバコに火をつけた。
「テロがあったやつだ」

 2

 今から3ヶ月ほど前、イラクで大規模なテロ事件があった。すでにテロを行う意味を含め
て弱っていると思われていたところへのテロ。テロリストの自爆行為を含め、多数の死者が
出た。アメリカによりテロが鎮圧されるまでに、3ヶ月を要した。日本の自衛隊はすでに撤
収していたがアメリカからの強い要請により、再度の復興支援へ向うことになった。もちろ
ん世論の反発を含め、国会は紛糾したものの、与党の強引な取りまとめにより、『新 イラ
クにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法』が可決され
た。
 前回の復興支援での経験があったおかげで、自衛隊の復興支援はスムーズに運んだ。テロ
は収まったものと考えられていたし、実際、何も起こらずに一週間が過ぎた。しかし、その
翌日、自衛隊キャンプへ一台の車が突っ込んできた。自爆テロだった。死者は隊員3人、現
地の人間が1人。負傷者多数という前代未聞の――日本にとっては――事件となった。話し
によると、自衛隊のいた地域にテロリストが潜伏していたということだ。テロはそれだけで
収まらなかった。ロケット弾が撃ち込まれる騒ぎが起こった後、自衛隊は救援にやってきた
アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの軍とともに、テロリストを一掃する作戦に加わ
ることになる。日本国内では戦争行為だと強い反発があったが、時の首相は――その3週間
後引責辞任をしている――「積極的自衛」という言葉で、世論を黙らせた。
 テロリスト掃討戦は地獄だったという。
「俺の友人もそれに参加しててな。とにかくひどいもんだったらしい。アメリカやその他の
国の連中の救援ってのは報道されてたよりもずっと数が少なくてさ、自衛隊が主になってテ
ロリスト狩りをやったそうだ」
 男は二本目のタバコを踵でつぶす。
「ニュースになったとおり、たくさん隊員が死んだよ。でもなんとか事は収まった。ある日
を境にぱったりとテロがなくなった。自衛隊の手柄だ、とこっちにいた俺は思ったよ。誇ら
しかった。事実そういう報道がされてたしな。でもそうじゃなかった。その事件のあと、帰
ってきた友人はこういった、神を見た、ってね。詳しくは話してくれなかった。ただ、その
神のおかげで死人はあれだけ済んだし――あれだけって数だとは思わないが――テロが収ま
ったってね。それからイラクへ行ってた連中の様子がおかしくなった。そいつらが見た神の
お告げみたいなものを仲間に説いてるんだ。言うことを聞けってね。助かりたけりゃってさ。
馬鹿馬鹿しい話しだよ。でも、今回、敵になった自衛隊はその神のお告げにはまってた奴ら
ばかりだ、イラクへ行ってた連中はもちろんな。確固たる証拠はないが、神、って奴のせい
で連中は変わった。洗脳かもしれないな。とにかく、そいつのせいで今回の事件は起こった
のかもしれない。あくまで推測だけど」
「神って、あの神様?」
 サヨリが尋ねると男は笑う。
「あくまで比喩だろう。本当の神様なんていやしないよ。それに出てきても、それが神様だ
ってどうやってわかるよ。俺が思うに、そいつは圧倒的なカリスマってやつだ。たぶん、ヒ
トラーとかスターリンの類」
 キョウジは、神、という言葉に反応した。神?俺に運をくれた神と一緒かな……なんてな、
そんなのは冗談だ。それにしても、カリスマを神と形容するだろうか?そこだけが引っかか
る……

 男の話しは終わり、ジープが止まった。男は運転席に声をかける。
「シミズ、どうした?」
「アリサワさん、そろそろ給油しないと」
「わかった、適当なとこで給油しよう」
「てか、もうガソリンスタンドに止まってます」
「そうか」
 アリサワはジープから降りていった。取り残されたキョウジたちは手に持ったアンパンを
見つめている。

 3

 コンビニにアリサワたちが現れた時、キョウジたちは敵だと思って銃を向けた。アリサワ
とシミズは両手を挙げて敵ではないことを示した。
「おっさんたちが敵じゃないってこと証明できないだろ?敵には自衛隊も混じってるみたい
だし」
 銃を構えたキョウジがそう言うとアリサワは笑った。
「じゃあ俺たちが敵だっていう証拠はどこにあるんだよ」
「どちらでもいい。敵か味方かわからなければ、最悪な可能性だけど考えればいい」
 キョウジはそう言って構えた銃をさげようとしなかった。聡いガキだ、とアリサワは思っ
た。こういうガキが一番苦手だ。
「情報をやるよ。この先にある基地、ありゃ敵に占拠されてる。ラジオで流れてるのは嘘の
情報さ。お前らみたいなのを集めようとしてんだ」
 アリサワの言葉を聞いたキョウジしばらく無言で彼をにらみつけた後、は銃を下ろし、同
時に、ケンジやサヨリ、シンジにも銃をおろすように指示を出した。
「どうして信じた」と両手を下ろしたアリサワが尋ねるとキョウジは「敵ならそんな情報は
教えてくれないからな」
「これも罠かもよ」
「違うね」
「どうして?」
「もちろんある一定の事実を餌に人を騙すってのはセオリーだけど、それにはさらなる餌が
必要だ。あんたは情報だけをくれた。俺たちを騙そうって思うなら、その後に嘘をつくはず。
だけどあんたは二の句をつけなかった。その後に嘘がないってことだ。たぶん、あんたらも
俺たちと一緒。逃亡者。違う?」
「その通りだ。だが、行き場所はある。お前らも来るか?」
「ちょっと待ってくれ」
 アリサワにそう言うと、みんなを集めて、相談を始めた。アリサワたちに聞こえないよう
に注意して。
「たぶん、あのおっさんの言うことは本当だと思う。俺はついていこうと思うけど、みんな
どうする?」
「おいおい、そんなに簡単に信じていいのかよ。それに基地は目の前なんだぜ。基地が乗っ
取られてるってのが間違いって可能性、ないのかよ」
 ケンジの言葉にみんなが賛同する。
「それにあいつらこそが敵じゃねえのかよ」
 カミカワの言葉にキョウジが反論。
「それはない。もし敵なら、こう言うはず。基地まで連れて行こう、って。だってそうだろ?
基地が敵に乗っ取られてなくても、乗っ取られてても、どっちでもこの言葉は有効だろう。
それにおっさんはこう言った。お前らも来るか?ってな。これは強制的に連れて行こうって
思ってない人間の言葉だ。危険だから避難しようって言葉じゃない。おそらく、あの男たち
も、逃げてるんだろう。そして確実に安全だと思われる場所かどうかわからないが、目的地
がある。それは自衛隊として目指してるのではなく、単純に保身のためさ。だから来るか?
って聞いたんだ。自由意思に任せてる。たぶん、行かないって言ったらそのままどっか行く
だろうよ。ただ、これはチャンスだ。あてをなくした俺たちには渡りに船。プロと一緒にい
た方が生き延びる確立はあがる」
 キョウジの言葉にみんなは賛同。もとより他に方法がないということを、それぞれに知っ
ている。
「ただし、用心はする。銃は手放すな」
 キョウジの言葉にケンジ、サヨリ、シンジは肯く。
「話しはついたか?」
 男の声。キョウジは返事をする。
「一緒に行きます」

 4

 給油終え、ジープが走り出した。快適とはいえない荷台。幌のせいで熱が籠もって室温は
高い。ようやくアンパンを食べ始めたキョウジたち。口数は少ない。アリサワはひっきりな
しにタバコを吸っている。
「どこへ向かってるんですか?」
 アンパンを食べ終えたキョウジがアリサワに尋ねた。アリサワはタバコを口から離し、煙
を吐く。
「まずは本州へむかう。あと1時間もすれば関門海峡だ」
「関門海峡?そんなところ通って危なくないんですか?」
「大丈夫さ。俺の予想じゃ楽に通れるはず」
「理由は?」
「勘さ」
 もっと明確な理由を若者たちに説明することはできたが、アリサワの性分がそれを嫌った。
生来説明嫌いの彼は、その性格により誤解されることが多かった。自衛隊に入っても変わら
ずで、何度か彼の「勘」で成果を上げたことがあったが――主に災害救助などで――ただの
運がいい男だ、としか思われていなかった。アリサワ自体はとても優秀な人間ではあったが
他人への説明を極度に嫌うという気質は、上に立つものとしては致命的だった。アリサワ自
身それを認めた上で出世を諦めていた。他人に説明するくらいなら出世なんかしなくていい
、と彼は考えていた。
 車の揺れは一定で、サクラやアミは、うとうとし始めた。それにつられてカミカワ、ケン
ジあとを追うように船を漕ぎ始めた。起きている者はそれを気遣うように、物音をたてない
ように気をつけた。シンジは音楽を聴いていて、サヨリは運転席の方を――二台から唯一外
が見えるのは運転席が見える小窓だけ。運転席にいる若い男とその先にフロントガラス越し
に外が見えた――見ていた。キョウジは何かを考えるように銃にもたれて体を揺らしていた。

「もしかして、敵はもう日本から離れてる?」
 しばらくして考え事をやめたキョウジはアリサワへ尋ねた。いきなりのことに、アリサワ
はくわえていたタバコを落とした。
「なんでそう思う?」
「いや、だって関門海峡は交通の要所だし、そこを通れるほど警戒が薄いってことは、日本
に人があまりいないってことだよね。敵も味方も。おそらくいくつかの基地に敵が陣取って
いる程度の。それを知ってるからアリサワさんたちは堂々と橋を渡るんだ。アリサワさんた
ち、波沢から来たって言ってたよね。波沢って言ったら九州の南だ。そこからこのジープで
きた。相当目立つのに。昼も夜も関係なく。それは敵に会う可能性が低いからでしょ」
 アリサワは驚いた。高校生男子とはここまで頭がまわるものなのか?それとも俺が若い頃
が馬鹿すぎたのか。とにかく、アリサワにとってキョウジの知性と想像力は、何か奇異なモ
ノに見えた。平和ボケした日本の田舎に住む高校生。ありきたりの10代にしては、頭が切
れる。テストで点を稼ぐタイプではなく、賢く生きるタイプ。
「お前ら福神からきたって言ってたよな。まさか福神高校か?」
「そうだよ」
「そうか福神か」
 敵によって放送されたテロの映像は福神高校のものだった。ニュースでは全員死亡だった
はず。それでも彼らはここにいる。それは生き延びた証。
「どうやって高校を抜け出した。あそこは全滅のはず」
 キョウジはアリサワへこれまでの経緯を話し始めた。

 5

 アリサワは話し終えたキョウジをじっと見つめる。値踏みするかのように。キョウジはそ
の視線を黙って受け止めている。
「キョウジくんのおかげで生き延びたんだ」
 シンジが言った。アリサワはイヤホンをつけたままの幼い顔の少年へ目を移す。シンジは
満面の笑み。
「すごいな、お前ら。普通死んでる。自衛隊の仲間だっていっぱい死んだんだ。それなのに
……近頃の若者はすごいんだな。見直したよ」
 アリサワは頭を掻く。
「敵はどのくらい撤退してるんですか?」
「おおよそ7割がた。東北の方はもぬけの殻って話しさ。敵味方含めてな。捕らえた人たち
と一緒にどっか行っちまったみたいだ。残ってるのはただの留守番部隊ってとこかな。兵の
数は多くないみたいだ。そうは言っても仕事はある」
「捕まえる仕事?それとも」
「捕まえる仕事、面倒なら殺す仕事。どっちにしろ、あんまり良い仕事じゃないみたいだ」
「それにしても警戒してないですね」
「そりゃそうさ。残された留守番部隊はラジオで釣る以外は、何もしてない。俺が知る限り
じゃそんな感じだ」
「それはツイテますね」
「まあ、な。でも、良いってことにはならないな。どっちにしろ、不安要素は多い」
「はい」
 キョウジはそれだけ言ってまた考え始めた。
 こんな若者が逃げ続け、仲間を生かし続け、兵を殺した……俺も見習わないとな、とアリ
サワは苦笑。その時、外を見ていたサヨリが小さく、あ、と声を上げた。彼女の視界には巨
大な鉄柱とその先に広大な海があった。九州はすでに、彼女の背後にあった。


 続く



     



  二 行く先


 1

 事件の起こった日、アリサワとシミズは独身寮の一室でカップラーメンをすすっていた。
何気なくシミズがテレビをつけると、福神高校での惨劇が映されていた。画面の右上にカウ
ントされている死者の数と、カメラが映す血痕のあとを見て、二人はしばらく思考停止して
いた。ラーメンをすすり終わって、しばらくして、基地内放送が始まった。それは警告では
なく、ましては出動命令でもなく、ただ、宣言だった。
「この基地はすでに占拠が完了している。その意味がわからないものたちは投降すべし。命
はとらない。悪いようにはしない」
 こんな内容の放送。アリサワとシミズは顔を見合わせる。
「アリサワさん、これって」
「嫌な予感がするな。逃げよう」
 二人は隙をついて基地を抜け出した。基地から離れると二人を尻目に、基地へむかう避難
民たちを大勢見かけた。何かがおかしい、とアリサワとシミズは思った。どうしてそっちに
行く?その後、テレビやラジオでそういった放送がなされていたということを知って、二人
は後味の悪い思いをする。あそこで俺たちが止めていれば、何人かは救えたかもしれない…
…職業に深く結びつく、罪悪感。知らなかった、で済めば良いが、そうもいかないのが社会。
結果として、一般人よりも先に我が身可愛さに逃げ出した現役自衛官。それが世の事実。
 コンビニで彼らを見つけたとき、誇りを失っていた二人は、実は、助ける気はなかった。
ついてこられたら、足手まといになる、とすら考えていた。ただし、彼らは二人が思ってい
たような、高校生ではなかった。虐殺の舞台となった福神高校から脱出し、ここまで生き延
びてきた知恵と勇気があった。
「たいしたもんだ」
 アリサワがキョウジそう言うと、キョウジは複雑そうな顔をした。
「福神高校は全滅ですか……」
 こいつも、もしかしたら俺やシミズと同じことを思ってるのかもしれない。助かられたか
もしれない、と。

 ……俺は正しかった。俺は圧倒的に正しかった。間抜けどもは全滅して、俺たちは、俺と
俺に従った連中は生き延びた。これは一つの証拠だ。俺はツイテルってことと、俺の予想は
ただのはったりじゃないってこと……

 キョウジは笑いをこらえるのに必死で、アリサワに表情を読まれないように、身を屈めて
両手で顔を隠した。アリサワにはそれが、苦悩する青少年のあるべき姿に見えていた。

 2

 ジープはパーキングエリアに止まった。休憩、とアリサワが言う。小便したかったんだ、
とケンジがいの一番に車を降りてトイレへ向かう。無人のパーキングには車が数台止まって
いたが、どれももぬけの殻。カミカワが面白半分にそれらの車を覗き込んだり、飛び乗った
りして遊んでいる。それを呆れ顔で見るシミズ。女連は揃って化粧直し。シンジは駐車場の
ど真ん中で大の字になって音楽に夢中。アリサワは自動販売機を壊し、コーヒーを二本とっ
て、一本を傍にいたキョウジ渡す。キョウジは受け取るとプルタブを開ける。
「いつもこんな感じでやってきたのか?」
「ええ、概ね。でもちょっとみんなはしゃいでるかな。きっとアリサワさんたちに会えてホ
ッとしてんだ」
 便所から出てきたケンジが壊された自動販売機を見つけ、その中からコーラを取り出す。
「いやー有事っていいもんだね」
 それを聞いてアリサワは笑う。
「有事だからって何でもしていいってわけじゃないぞ」
「わかってますよ」
 コーラを一口飲んだケンジは照れて頭を掻く。
 何でも、とアリサワは思う。していいってわけじゃない、か。そんなこと彼らに言ってど
うなる。この子たちに有事の際における道徳を説いたところで、無駄だろう。すでに彼らは
生きるために人を殺している。自らの意思で。有事であっても殺人はまずい、って普通は思
う、はず。けれど、彼らは……戦争なんだな。彼らは逃げているつもりで、生き延びようと
しているつもりで、戦争をやってる。気づいていないだけ。これはすでに戦争なんだ。
「アリサワさん、これからどこに向かうんですか?そろそろ教えてください」
「富士だ」
「それって富士山?」
「そうだ」
 キョウジは要を得ない顔をしている。アリサワはタバコに火をつけて一呼吸置く。
「富士の演習場だよ」
「そこに行けば助かるんですか?」
「それはわからん」
 それはアリサワにもわからなかった。たぶん、おそらく……可能性だけ。それでも、行く
価値はあるとアリサワは考えていた。

 3

 アリサワとシミズは、波沢基地を抜け出したあと、情報収集に奔走した。簡易ラジオから
流れる虚偽の情報と、自衛隊専門のチャンネルに入ってくる雑多な情報を統合した上で、地
図を使い、危ないところとそうでないところを色分けし、二つのラジオから得た情報を箇条
書きし、情報の取捨選択を行った。自衛隊専門電波からわかったことは多くはなかった。ど
この部隊も混乱しており、情報は錯綜し、救援要請の嵐。その中で有益だったのは、富士の
演習場に関東方面の部隊が集結している――アリサワはそれをある種の避難だと見なしてい
た――ということと、敵は民間人を拉致しどこかへ運んでいること、それに伴って敵兵の数
も減っていっているということ。また虚偽のラジオ放送ではどこで網を張っているかが簡単
にわかった。これだけで、アリサワにとっては、充分すぎる情報だった。
「富士に行くぞ」
「はい」
 シミズへの説明は不要。シミズは入隊当時からアリサワに惹かれていた。この人について
いったら、何とかなる、と思っていた。シミズにとってアリサワは一種の天才であり、カリ
スマであり、頼れる兄だった。安心感、とシミズは考える。それが一番大事。出世云々は別
の話。
 一度、アリサワはシミズに尋ねたことがある。俺と一緒にいると冷や飯食わされるぞ、別
の誰かにくっついたらどうだ?と。シミズはそれにこう答えた。アリサワさんと食う冷や飯
はまた格別でしょうね、と。

 4

「いつまで高速を走るんだろうね」
 シンジはカミカワに話しかける。カミカワは騒ぎ疲れてシンジと同じように駐車場で大の
字になっていた。カミカワははしゃいだことを後悔していた。半ば自棄になっていたことを
自分で認めている。苛々していた。それはあの子が拉致されてどこかへ連れて行かれたかも
しれないという――おそらく確実に――事実が鬱陶しかった。それなら俺の携帯はこれから
あの子のメールを受信することはないのだろうか?面白い写メはもしかしたら送れなかった
のかもしれない。あいつらにとっ捕まって……
「だって敵はもうほとんどいないんだろ?それなら高速走っても大丈夫じゃないかな?」
 カミカワは携帯を開き、電波状態が圏外であることを確かめた。
「そうか……僕はさ、こういう旅はさ、ゆっくり行きたいんだよね。だって高速ってさ、便
利過ぎるじゃない。ちょっと下品なように思えるんだけど」
「何言ってんだよ。生きるか死ぬかって時にきれいごと言っちゃって」
 カミカワは上体を起こしシンジに怒鳴った。本当は別にどうだってよかった。高速を走ろ
うが下の道を走ろうが、カミカワには関係がなかった。彼にとって重要なのは、あの子がど
うしているかという一点。それに、今頃になって、こんなにもあの子を好いている自分に気
恥ずかしさを感じていた……俺は身軽なんだ。みんなより少しだけ宙を浮いてるんだ。それ
なのに!……
 カミカワに怒鳴られて、シンジは、相手の苛立ちを感じる。怯えているのではないことを
シンジは知っている。カミカワは何かとても気にかかることを抱えていて――それも事件が
起こってから今まで――それが解決できないことに苛立っているのだ。シンジはそれが可笑
しくてたまらない。人の苛立つ顔を見ると、どうしてか、たまらなく可笑しくなる。カミカ
ワくん、死んじゃいそうだな。このままじゃ。焦ってる人ってついついどっかに飛び出しち
ゃうんだよね。軽薄なフリしてても、実はナイーブだなんて、どっかの三流喜劇だ。

「あいつらどうしたんだ?」
 ケンジは飲み終えたコーラの缶をゴミ箱に放る。
「さあ」
 キョウジは二人のことより、これからのことが気になっていた。これから俺たちはどうす
る?アリサワの案に乗っかるだけなのか?それでいいのだろうか?本当に逃げる場所は富士
でいいのか?
「そろそろ出発するぞ」
 アリサワはタバコを灰皿に押し込んで歩き出す。その背中は静かな自信に溢れているよう
に、キョウジには見えた。これが大人か……違うな、そうじゃない、これはこの人の性質な
んだ。そして、おそらく、俺に似ている。
 キョウジとケンジはアリサワの後を追って歩き始める。

 5

「ちょっと格好いいよね」
 サクラはシミズにご執心の様子。アミとサヨリは呆れている。サクラの言うとおり、シミ
ズの容姿は悪くなかった。180近い背に、ミディアムロングの茶髪。二重が目を大きく見
せていて、色白。サクラが好きそうなタイプだ、アミは思う。この子はこういうイマドキ系
が好き。バーッと燃えて一気に冷める。いつものことだ。
 サクラは強引に助手席に乗り込んだ。シミズは気にしていない様子。みんなは荷台に乗る。
アリサワがサクラを指差して言う。
「あの子はあそこでいいのか?」
 アミとサヨリは、さあ、と首を傾げる。
「そうか。ま、いいか」
 ジープは動き出す。

「シミズさんて幾つなんですか?」
「27」
「えー、けっこう大人なんですね」
「趣味はなんですか?」
「釣り」
「あー行ってみたいー」
 シミズはサクラの問いに短く答えていく。ガキの囀りは騒がしいとシミズは思う。アリサ
ワさんもなんでこんな奴らを連れて行こうって思ったんだろう。捨て置けばよかったのに。
「シミズさんて彼女いるの?」
「いない」
「そうなんだー」
 サクラはもじもじしている。まったく、うざったい。
 アリサワさんについていけるのは俺だけだ、とシミズは思う。こいつらはどこかで脱落す
る。そして死ぬ。アリサワさんほどの人間はこんな奴らの相手をするべきじゃない。よし、
シミズは思う。折を見て、処分しよう。
 シミズがアクセルを踏み込むと、急加速に反応できなかったサクラが体を座席にぶつけた。



 続く





     



  三 岩国飛行場


 1

 ひたすら東へ進んでいる。本州に入りすでに1時間が経過。高速道路はキョウジたちを乗
せたジープの専用道路になっている。車がまったく走っていない高速は気味が悪いほど静か。
パークングエリアでの休憩が明るさを取り戻した女二人がお喋りに興じている。アリサワは
その姿に異様を見る。アミは普通の子、ちょっと声が大きい。サヨリはというと、大人しそ
うな子。笑うときに手に平で口を隠すところに慎みを感じる。いわゆる普通の光景。ただ一
点を除いては。サヨリが肩に掛けている89式5.56mm小銃、いわゆるハチキュウが目を惹
く。どこから手に入れたかは知らない。普通の女の子が持つものではない。それでも、異様
ではあるが、妙に馴染んでいる。まるでデコレーションされた携帯を持つような、化粧ポー
チを持つような、そんな感覚。それを持つのが当たり前という空気。キョウジの持つM4A1カ
ービンも似たようなもの。すでに手に馴染んだ感じが異様。アリサワ自身は逃げるのに必死
で火器は所持していなかった。居心地の悪さ。こんな子供が火器を装備しているのに、こち
らはせいぜい隊で鍛えた体のみ。俺が持っていようとは言えない。そういう空気ではない。
高校生相手に、引け目を感じているアリサワ。子供に銃を持たせることを恥じる大人である
よりは、子供より優越した存在でありたいと願う矮小な大人。そこまで考えてアリサワは自
分を笑う。ガキ、だと。
 熱心に地図を見ていたキョウジがアリサワに声をかける。
「アリサワさん。そういや岩国基地ってどうなってるの?ニュースでみたりして随分馴染み
があるんだけど。大きいとこなんだよね」
「そうだな。ここらじゃわりと大きいほうだ。岩国飛行場は」
「飛行場?」
「そう呼ぶのさ」
「そこに生き残りのいる可能性は?」
「あまりないな」
「どうして?たしか米軍もいるようなとこだよね」
「ああ。だが、ラジオ放送含め、何か良い情報があるようなとこじゃない」
「寄っていかないの?」
「寄ってみたいか?」
「何か情報が得られるかもしれない」
「危険かもしれないぞ」
 アリサワがからかうように言う。
「その時はアリサワさんたちが守ってくれるでしょ?」
 キョウジは笑って返す。そうでしょ?俺たちの盾になってくれるんでしょ?これまではシ
ミズと二人だったからただの逃亡者でいられた。けど今は俺たち、民間人がいる。あんたは
試される。俺たちのためになるような人材かどうか……
 キョウジの含みのある笑いにアリサワは、やられたな、と思った。ペースを握られている。
そう思うものの、生き残るためには互いに助け合わないと――利用しあわないと――いけな
いという思いが強い。
 アリサワが運転席に声をかける。
「シミズ、岩国行くぞ。何か情報が得られるかもしれない」
 シミズがルームミラー越しに訝しげな顔でこちらを見る。
「ねえねえシミズさん。岩国ってどんなところなの?」
 サクラの甘ったるい猫なで声が聞こえる。

 2

 岩国ICで高速を降り、山沿いと通る狭い国道二号線を走る。シンジは運転席の先の風景
を見ながら、音楽を聴いている。曲はジャニス・ジョプリンの『Me and Bobby
McGee』が流れている。ジャニスの力強く切ない声は遠くの土地に似合う、とシンジは
思った。随分遠くへ来ちゃった。生まれてから故郷の県を出たことがないシンジにとって、
新しい土地の馴染みのない風景は、物珍しく、そして切ない。遠くへ来ていることよりも、
遠くへ来られた自分が誇らしく、気分は高揚しているのに、感傷的になっている。そんな自
分は60年代にいるのだと、確信する。あれはそういう時代だったんじゃないかな?キョウ
ジというロックスターのアイドル(偶像)を手に入れたことが始まりだ、とシンジは思う。
僕は今、60年代の終わりにいるんだ、と彼は思う。多くのカリスマが活躍し、命を落とし
ていった時代。シンジはいつもその時代を、憧れの目と冷めた目の二つの眼で、眺めていた。
ロックスターの激しい生き様に憧れるとともに、実際は良いところだけを歴史は残していて、
みっともない部分や格好悪い部分は隠されていることを知っていた。それでもなお、憧れる
のは、シンジがその時代に生きていなかったためだろう。シンジは60年代を追体験するチ
ャンスを得た、と考えていた。富士を目指すと聞いた時、頭に浮かんだのはウッド・ストッ
クの荒れた会場だった。富士の広い演習場はこの時代のウッド・ストックになるだろう、と
シンジは思う。そうなんだ、そして、キョウジくんの格好良いとこや、そうでもないとこを
見ることができるんだ。これまでに、すでに、幾つかを見ることができた。そうだ、そして
キョウジくんは華々しく死ぬんだ。僕はそこまで見ることができるんだ!

 岩国基地へ直接ジープで乗り付けるのではなく、その手前の市街に車を置いて、近づくこ
とにした。アリサワの提案だった。
「用心に越したことはないだろう」
 車を停めたのはさびれた市街には似つかわしくない近代的なガラス張りの建物の駐車場。
キョウジが車を降りて、その建物を眺めていると、運転席から降りたシミズが声をかけた。
「市役所さ。昔はもっとボロかったんだけどな。最近立て直したんだ」
「良く知ってますね」
「ここは俺の故郷だ」
 シミズは車の鍵をポケットに突っ込むとアリサワに寄っていった。アリサワはシミズに何
やら指示を出している。自然と他のみんながキョウジのもとへ集まる。
「さて、ここに何かあるかね」
 ケンジがきょろきょろと周囲を眺める。
「こんなとこ寄らずにさっさと行こうよ」
 サクラはアミの腕にしがみついている。怯えている。怯えながら、怯えている自分をシミ
ズに気づいて欲しいと、大き目の声を出す。下品だな、サクラさんは、とシンジは思う。シ
ンジは音楽を止めて、イヤホンを外す。静寂が耳に痛い。と、そこに微かに波の音がする。
「海が近いんだね」
 シンジがそう言う。
「近いって程でもないけどな。波の音が聞こえたか?」
 シミズと打ち合わせを終えたアリサワが輪に近寄ってくる。
「たぶん」
「気のせいだよ」
 とアリサワは笑う。シンジも笑う、フリをする。

 3

 そういや最近アミと話してないな、とケンジは思う。別段隠れるでもなく、彼らは基地へ
向かっている。ケンジは一番後ろを歩いている。アミはサヨリと並んで数歩先歩いている。
村以降、ケンジはアミと話す機会がなかった。状況も状況だし、と自分を説得するも、それ
でも我慢できないことを、ケンジは恥じた。でも話したいんだもんなぁ、とケンジは思う。
ここで思い切って話しかけるべきか?いっちまえ、いっちまえ。びびるこたぁない。何でも
いいんだ。つまらないことでもいいから話しかけちまえば、楽になる。ずっと楽になる。 
 ケンジは足を速め、アミの背後に近づく……
「ここが岩国飛行場だ」
 アリサワの言葉にみなが立ち止まる。ケンジは急のことでアミの背中にぶつかってしまう。
「わ」
 アミは倒れそうになる。ケンジは赤い顔をして、わりい、と言って体を離す。アミはおっ
とっととバランスをとる。
「何やってんのよ。誰かの裸でも考えながら歩いてたの、このスケベ」
「うるせ」
 ケンジはなんだかんだで話ができたことを、喜びながら、目の前に広がる広大な土地を見
る。広い、と彼は思う。
「シミズ偵察だ」
「はい」
「お前らはここで待ってろ」
 シミズとアリサワが二人先行する。待ちぼうけをくったキョウジたち。やることもなく、
かといって勝手に動くでもなく、道の真ん中で突っ立っている。女連はこういうときお喋り
で時間をつぶすことができるから良いが、男どもはあおずけをくらった犬のように、口を開
けて目の前の基地を眺めている。
 カミカワは広い基地の中に生き残りが隠れていて、その中に避難していたあの子がいると
ころを想像している。感動的な再開。熱い抱擁。夜になれば人目を盗んで、二人でキスをし
たり待ちに待ったセックスをしたり……いや、その前に、これまでのことを互いに話しあう
だろうな、とカミカワは思う。現実そうだ。いきなりセックスなんてありえない。そう、あ
りえないことを手放しで想像できるほど、俺は気楽じゃない。だけど、やっぱり、俺は君と
寝たいと思う。強く思う。君は何をしてるんだろうか。生きてるかな?生きてるよね。どっ
かで、何とか、生きてるよね。ああ、オナニーとか……俺のことを思いながらオナニーとか
してんのかなぁ……

 4

 アリサワとシミズは30分ほどで戻ってきた。どうやら無人の様子。
「米軍も自衛隊もいない。もちろん敵も。ただ、広いだけだ」
 アリサワの言葉に、キョウジは笑う。
「アリサワさんの予想はあたりましたね」
「ああ。まあとにかく通信記録含め、何かわかることがあるかもしれない。司令部へ行こう。
そこに何かしらあるはずだ」
 アリサワに連れられ、司令部へ向かう。司令部を片っ端から荒らしても、何も出てこない。
そこら中の机をひっくり返し、書類の目を通し、端末をいじっても、ここにいた彼らがどこ
へ行ってしまったのか、逃げているのか、捕まったのか、何もわからない。無駄骨だ、とキ
ョウジは思う。そんなことわかってたさ。
 司令部がある建物を出て、武器の調達を思いついたのはアリサワ。武器が必要となること
もあるだろうという意見を聞いて、シミズとキョウジを除く全員が不思議そうな顔をした。
ケンジやサヨリも自分たちが持っているものを何かを考えもせずに。
「使う機会がこれからあるってことですか?」
 サクラの言葉にアリサワが顔をしかめる。
「君たちもそれのおかげで生き延びてきたんだろう?」
 ケンジの銃を指差す。みんなの注目がケンジの銃に集まる。AK-47、とアリサワは思
う。素人の持つ銃じゃない。
 アリサワの言葉でみんなが黙る。そのとおり、とキョウジは思う。武器は必要だ。
「格納庫へ行ってみよう、何かあるかもしれない」
 先導するアリサワにみんな黙ってついていく。キョウジと並んで歩いていたサヨリが、小
声で言う。
「大人が持つと思うと、信用ならなくなるのはなんでかしら?」
 キョウジはそれに答えない。大人は何かと「脅す」のがうまいからだ、とキョウジは思う。
だから信用ならない。脅しではなく使用しないから。それをしないから……

 5

 格納庫の扉を開けたアリサワは思わず口を塞ぐ。例えようのない臭い。悪臭。生活が終わ
った臭い。血と蛆と死の……
 半開きした扉の前で固まっているアリサワにキョウジが声をかける。
「どうしたんですか」
 近寄るキョウジを制止するアリサワ。
「見ないほうがいい」
 そんなわけにはいかない、とキョウジは思う。見るなと言えるのは見ることのできる大人
の卑怯な言い訳。そこに何があろうと、俺たちには、見る権利がある。権利を決めるのは俺。
キョウジはアリサワとシミズの制止を振り切り、扉の中に入る。
 目に飛び込んできたのは、5歳児くらいの死体。格納庫の中は熱気が保たれているおかげ
か、下っ腹のあたりに蛆が無数にわいている。先に目を向ける。死体、死体、死体。頭の吹
き飛んだ死体。窓から入ってくる日光に照らされているわき腹から内臓がはみでている死体。
夫婦仲良く頭を打ち抜かれている老夫妻。口から血を流す若い自衛隊員。強烈な悪臭。胃の
中が激しく動く。キョウジはとっさに口を押さえる。だが激流をとどめることはできず、そ
の場にくずおれ、嘔吐する。アリサワとシミズに肩を抱かれて、キョウジは連れ出された。

 木陰にへたり込んで、キョウジは、今見たものについて考える。連れて行かれなかった人
たちの末路。必要なければ殺す。それだけのこと。ただそれだけの。思考にノイズが混じる。
キョウジは引き金を引く。引き続ける。無数の死体が、現れては、キョウジに撃たれていく。
「水だ」
 キョウジはアリサワからペットボトルを受け取る。ぬるい水を一口飲むと、吐しゃ物焼か
れた喉が幾分マシになった。
「大丈夫か?」
 キョウジは首を縦に振る。
「少し休もう」
 アリサワはシミズに休憩の指示を送る。シミズは肯き、少し離れたところで、何もできず
に固まっていた連中に休憩するよう伝える。
 アリサワはキョウジの隣に腰を下ろす。肩にはサヨリが持っている銃を同じタイプのもの
がかかっている。
「調達したんだ。これくらいはないとな、弾薬も、ほれ」
 とアリサワは弾のはいった麻袋を掲げる。
「まとめていれといた。M4にも使えるぞ」
 キョウジはそれを虚ろな目で見ている。アリサワは麻袋を地面に投げて、タバコに火をつ
ける。
「まあ、誰だって吐くさ」
 アリサワが言う。
「俺だって危なかったよ」
「ねえ、アリサワさん。奴ら、殺さなかった人たちをどこに連れて行ったんですかね。何を
するつもりなんですかね?」
「さあな。サーカスでも始めるんじゃないか?」
 アリサワは笑う。キョウジは笑わない。
「俺たちはそれを知ることができるんでしょうか?」
「わからん。ただ、知りたいとは思う」
「知っても無駄かもしれないですけどね」
「そうだな。もう、俺たちには生き延びることくらいしかできなさそうだ」
 それができればじゅうぶんだ、とキョウジは思う。それをするためだけに、俺は『生きて
いる』
「ちょっと顔を洗ってきます」
 よろよろと立ち上がり、歩いていくキョウジの背中を見て、アリサワは少しがっかりする。
もう少し子供らしく、青臭いこと言ったり、弱音を吐いたりすると思ったがな。残念だ。彼
はそんなところを他人に見せるタイプじゃないか。そして1人苦笑い。
 アリサワは煙を吐きながら、空を見上げる。そろそろ日が暮れるな。


 続く



     



  四 箱舟


 1

 市役所の駐車場へ帰りながら、シミズは故郷の変化の乏しさに半ば呆れている。普通五年
したら少しは変わっているものだろう、と彼は思う。ぜんぜん変わってない。おんぼろだっ
た市庁舎が下品になっただけ。あの頃とちっとも変わっていやしない。
「シミズさんの故郷なんですね」
 横を歩いていたキョウジがシミズに話しかける。さっきまで死にそうな顔をしていたが、
今では落ち着いて、いつも通り。こいつは食えない男だ、とシミズは思う。アリサワさんに
似てるんだ。抜け目のないところ、頭の回転……シミズは思わず笑う。高校生のころのアリ
サワさんてこんな感じだったんだろうな。嫌なガキだ。
「思い出し笑いですか?」
 キョウジは不思議そうな顔をする。
「お前さ、この町どう思う?」
「いや、どうって」
「腐ってるように見えないか?お前ら知らないだろうけどさ、在日米軍の基地があるからさ
意外と犯罪とかって多いんだよ。沖縄の影に隠れて知られてないけどさ。あいつらはゴミさ、
日本にたかる」
 シミズは道路に唾を吐く。
「でもいいんだ」そうシミズは言う。「俺はここを出たからな。別に故郷だからって、何も
思わない。実際、つまらない町さ」
「ご両親は?」
「たぶん、今回の騒ぎで死んじまってるだろう。もしくは捕まってるかな。どっちみちもう
ずっと会ってないんだ。近くの他人より遠い存在だ。お前の両親は?今回の騒ぎで死んでる
んじゃねえの」
 シミズは心の中で大きく舌を出す。ガキをいたぶっている感覚。
「俺、両親いないんですよ」
 シミズの思惑とは違う答え。その上、キョウジは笑っている。見透かしている笑み。
「そうか、良かったな。その方が、迷わなくて済む」
「どういうことですか?」
「お前だけが生き残ることを考えりゃいいってことさ。そうだろう?」
 予想外の展開になった、という顔。その顔を見て、シミズは気分が良くなる。アリサワさ
んに似ている。でも、まだ、ガキだ。

 2

 駐車場に着く頃には、夕暮れ。今夜はここに泊まろうとアリサワが提案する。ようやく落
ち着ける、とみんなは安堵する。市役所のガラスを破って適当に休む。布団なんてないから、
真新しいベンチに寝転がったり、人それぞれ。カミカワは5つの机が島になっているところ
へ堂々と飛び乗り、机の上にあったパソコンやら書類やらを蹴落とす。ここが寝床、という
ことらしい。食事は手持ちのもの。缶詰、干からびたパン、カップラーメン。
 ケンジは1人、落ち着かない。アミに話しかけるチャンスだと考えているから。村以来の
腰を落ち着けられる場所。あの調子だ、村の時みたいな調子でいけば、大丈夫。そう自分に
言い聞かせる。アミはサヨリと一緒にベンチに座っている。サヨリが立ち上がりどこかへ行
く。便所か?アミは1人になる。ベンチに座り、足を投げ出して、高い天井を見上げている。
ケンジはアミへ近寄る。それに気づくアミ。
「サヨリちゃんは?」
「トイレ」
 そして会話が始まる。楽しそうに話をしている二人を、シンジがR.E.Mの『Night
swimming』を聴きながら、盗み見ている。喜劇だね、これは。シンジは目を移す。
カウンターが並んでおり、それぞれの窓口を示す案内板がぶら下がっている。そしてまた二
人に目を戻す。ケンジはアミの隣に座って、身振り手振り大げさに話しをしている。アミは
聞きながら頭の悪い笑い方をしている。シンジは、見え透いた行動の浅はかさを笑う。ケン
ジくん、やっぱり、君、頭悪いや。キョウジくんの片腕みたいな顔してるけど、駄目だね感
情が出すぎだ。
 そのうち、死ぬよ。

 3

 シミズはずっとアリサワに聞いてみたいことがあった。
「いつまであいつらと一緒にいるんですか?」
 アリサワとシミズは高校生たちから離れ玄関外の喫煙所にいた。アリサワはタバコを吸い続
けている。
「アリサワさん、どうなんですか?」
「ここはお前の故郷だろ?高校もこの辺か?」
「いや、少し離れたところにあります。岩国高校ってところです」
「あ~甲子園の。確か頭の良い高校だったな」
「そうでもないです。俺はその中でも落ちこぼれです」
「落ちこぼれは大学なんていけやしないよ。それよりさ、久しぶりの故郷を見てまわろうって
気にはならないのか?」
「別に。取り立てて思い出もないですし……つまらない町ですよ」
「お前童貞捨てたのいつだ?」
「何ですか、急に」
「いつだ?」
「大学2年の時ですね」
「そうか、それじゃここにいる頃はお前はまだチェリーボーイだったんだな。俺は故郷の町で、
高校2年の頃捨てたよ。良い女だったなぁ。こう、おっぱいがでかくてさ」
「アリサワさんて鹿児島出身でしたっけ?」
「んあ。そうだ。いいとこだぞ、何にもなくて、ボーっとするには最適だ。一度行ってみると
いい」
 アリサワはタバコを灰皿に押し込み、すぐさま新しいタバコをくわえ火をつける。夕闇に紫
煙が舞う。夕陽は山に隠れていて、最後の輝き。赤紫の空に薄い雲がかかっている。風が出て
きた。カラスの鳴き声。シミズは声の出どころを探す。
「あいつらは、使える」
 カラスは見つけられず、シミズは諦めてアリサワの方を向く。
「俺にはそうは思えません」
「個々人で使えるのはキョウジって奴だけだが、全員だと、なかなかのもんだ。とにかく、俺
たちが生き延びるために役には立つはず」
「アリサワさんの言うことは理解はできます。でも、納得はできないです」
「どっかで聞いた台詞だな。お前もあれか、メディアに毒された世代か。オリジナリティの欠
如が問題になってたな、どっかで」
「茶化さないでください」
「俺たちゃ一応、自衛官だ。民間人を守るのが義務だ」
「こんな時でもですか。日本がなくなってるのにですか?」
「俺はこの国が日本だと思ってるよ。たとえ人がいなくなってもね」
「おかしいですよ。そんなこと思っちゃいないのに。俺に綺麗事を言わないでください。泣け
てきます。あなたなら、もっと色んなことができるんだ。立場とかそんなもの無視すれば。冷
や飯なんて食う必要ないです。もっと自由にあるべきです」
「頭がかたいなシミズ」
「枠にはまってるのはアリサワさんです」
「俺はそんなものにはまっちゃいないよ。使えるものは使う。やることはやる。それだけだ。
大丈夫、あいつらのこともちゃんと考えてある」
「ねえ、教えてください。アリサワさんは今回の事件、どう考えてるんですか?ある程度予想
くらいはついてるんじゃないんですか?」
「聞きたいか」
「聞かせてもらいましょう」
 アリサワが短くなったタバコを口から離す。

 4

 キョウジのもとにみんなが集まっている。
「これから話すことはあくまで予想だからそのつもりで聞いて欲しい。まぁ、いつものことだ
ってくらいに思っててくれればいい」
 キョウジがみんなを集めたのは、これからのことこれまでのことについて、考えを伝えるた
め。あくまで予想。情報は相変わらず少ない。それでも気づくことは多い。まず一つ、幾らか
の――正確な数は不明。殺された者と連れて行かれた者、どれくらいの割合なのか想像もでき
ない――人々は連れて行かれ残りは殺された。敵もほとんど残っておらず、その残存部隊は積
極的に動いていない。そして集められた死体。神を見たという自衛官。多国籍な敵軍。不可解
な静けさ。これが日本だけでないとしたら……
「嘘みたいな話だからさ、俺もどういっていいかわからないけど。敵は、人を集めている。こ
れはわかるよね。連れて行ってるんだから、当然。ここで気になるのは、拉致した人々を護送
してるのか別の作戦にいったかはわからないけど、敵兵も同時に出て行ってるってこと。これ
日本を征服しようとか、世界を征服しようとかって選択肢は消える。征服する気ならば、ここ
にもっと人を置くはず。相手だって、少なからず取りこぼしがあるってことは当然気づいてい
るはず。それなのに、敵は出て行っている。ここで可能性が一つ生まれる、それは、人を連れ
ていくことが目的だったってこと。護送の方が重要だってこと。うん、多分そうなんだ。そし
てそれは定員が限られているってこと。だって、全員を連れて行こうって思うなら、殺す必要
はない。それでも、間引くみたいに、人を殺してる。格納庫でもそうだ。まず一箇所に集める。
その後に選別して、選に漏れた連中を殺す。後は連れて行く。なんていうか、選民思想みたい
なもんがあるような気がする。もしかしたら何らかの基準があるのかもしれない。基準はちょ
っとわからないけどね。そして世界中でそれが行われているとする。そんな大規模なことが可
能なのかどうかはわからないけど。どこかに、大量の人間が集められている。
 規模がでかい話だ。そして、規模がでかいからなのか、わざとなのか、作戦が変に抜けてる
ところがある。ラジオのダミー放送なんて、俺たちは引っかかってもアリサワさんみたいな人
たちは引っかからない。それに単独行動してる兵もいる。だから俺たちは生き延びれたんだけ
どね。それに死体が無差別。老若男女。こういう場合って、例えば労働力が必要なら若い人間
を選べば良い。でも俺が見た死体は若い人間もたくさんいた。子供も、女も男も差別なく。こ
こでさらに予想。相手には時間がない。この作戦はメディアを抑えたことによるところが大き
い。それ以外は大雑把なんだ。寄ってきた連中を片っ端から連れて行く。基準を定めて選別す
る暇がなかったのかも。定員オーバーしたら、はい、死亡、ってな具合にしてたのかもしれな
い。そして選ばれなかった連中、網にかからなかった連中は、ほぼ、放置。相手にしてる暇な
んてないんだろう。出てきたら殺せば良いってくらいのもんさ。ここで先にあげた選民思想っ
て線は薄くなる。もし敵の親玉がヒトラーみてーな野郎で、ある一定の人種のみを生かそうと
考えてるなら、綺麗に掃除するはず。アウシュヴィッツしかりさ。それでも、放っている。掃
除する必要がないからだろう、たぶん」
 キョウジ以外は半笑いを浮かべている。そりゃそうだろうな、とキョウジは思う。俺だって
こんなのは与太話だと思うよ。でも、現状ではこの程度の予測しかできない。そして、この予
測はそれほど的外れではない。
「ねえ、神を見た話は?自衛官の。あれはどういう関係があると思うの?」
 サヨリの言葉にキョウジは首を捻る。
「そこだけが不明なんだ。それと人を集める目的。はっきりとしないんだ。予想できない」
「ただの予測だろ。さすがにこれはねえよ、キョウジ。これまでよりずっと?臭い」
 カミカワが鼻で笑う。これまでよりずっと……キョウジは力なく笑う。さすがカミカワ、人
をむかつかせるのがうまい。
「ああ、嘘臭いな。俺もそー思う。だから予想って言ったろ」
「僕はキョウジくんを信じるけど」
 シンジがニコニコ笑いながら言う。
「根拠は?」
 サクラが詰め寄る。シンジは笑顔を崩さない。
「だってキョウジくんが言うんだもん」
 みんな呆れ顔。やれやれといった様子。サクラは苦笑。
 だってキョウジくんが言うんだ。カリスマが言うんだ。間違いないよ。そうなんだ、そうい
う世界なんだ。時代なんだ。カリスマの言葉は常に予言的なんだ。
 シンジは音楽のボリュームを上げる。

 5

「ちょっと信じられないですね。でも、目的がわからない。そんなことをする理由は?」
 シミズがアリサワに尋ねる。あたりはすっかり夜。アリサワの持つタバコの火種が赤く宙に
浮かんでいるように見える。
「自衛官は神を見たと言ったんだ。だったら親玉が神だとして推測するしかない。まあ、本当
に神様なわけないからこの推測は意味をなさないかもしれないけどな。箱舟だよ」
「箱舟?」
「あれだよ、洪水のやつだ。ノアの箱舟。俺はそれが頭に浮かんだ。あいつらが急いでいるの
もそこらへんに関係してるんじゃねえの?洪水がすぐに来るから人を集めなきゃってね」
「冗談でしょ」
「だよな。たぶん、そんなことを真剣に考える奴は、頭のネジが吹っ飛んでる。狂ってる。カ
ルト教団の教祖でももっとまともなことを言うさ。問題は洪水が本当にくるかどうかじゃない。
そいつが言った言葉が世界中で実行されているという事実。これがカリスマの怖いところ」
「騙されるやつが悪いんです」
「じゃあ騙すやつは?」
「そいつが狂ってるなら、それが真実なんでしょ。そいつにとっての」
「まあ、冗談だよな」
「そうですよ。まあ、富士に行けばそれなりの情報が手に入るでしょ」
「だといいんだが」
 アリサワはノアの箱舟を想像する。ありとあらゆる生物のつがいとノア一家。馬鹿らしい、
とアリサワは思う。そういや、ノアの箱舟の中で悪が広まっていく小説があったな。ウォーカ
ーだったっけ?そういや、最近、本を読んでないな。
「なぁ、シミズ。この辺に本屋ってあるか?」
「ええ、あったと思いますけど」
「案内しろ」
「今からですか?」
 嫌がるシミズを引っ張って、アリサワは本屋へ向かう。


 続く




     



  五 夜見る夢


 1

 それぞれ好きな場所で就寝。市役所の夜は薄気味悪い。外からの雲がまだらに影を落とし
た月光が、時折彼らの顔に模様をつける。キョウジはケンジとロビーの隅っこ寝転がってい
る。キョウジは頭の中でひっきりなしに引き金を引き続けているため眠れず、ケンジはアミ
と話した興奮から寝付けないでいた。目を閉じたら良からぬ妄想をして、アミを汚してしま
いそうだからだ。
「寝たか?」
 ケンジがキョウジに声をかける。ロビーの隅がケンジの声で震え、そして拡散していく。
「いや」
 キョウジがケンジの方へ体を向ける。その目はどんよりと曇っていて、まるで幻覚に魅せ
られているよう。暗闇の中で、ケンジはそれに気がつかない。
「どうなるのかな、俺たち」
「わからないけど、生き延びるさ」
 キョウジは子供の死体に引き金を引く。カチリ。
「そうなるといいな。そんで、まぁ幸せになると。そんな感じか」
「お前、足どうなんだ?」
「足?」
 ケンジは咄嗟に銃弾が掠めた足を触る。
「大丈夫さ」
「嘘つけ。実は、傷口が治りきってないんだろ?わかってるよ。お前は優しいからな。そん
なに見えて。ただの性欲馬鹿じゃあない」
「まぁ、痛いな。たぶん傷口がじゅくじゅくのまんまさ。ガーゼに血がついてんだ。でも大
丈夫。俺はやれるよ。今は車移動がほとんどだろ?楽だよ。後は乗ってたら目的地まで到着
するしね」
「すまない」
「いいんだ。俺が怪我が治ってないっていうと、お前、進まないだろ。お前は俺を置いてい
けないと思う。たぶんだけど」
「ま、腐れ縁だしな」
 キョウジは笑う。顔は笑っていない。彼は暗闇の中にイトウの死体を見ている。引き金。
 ケンジだけが、心の底から俺に友情を感じていて、ついてきてくれる。他の連中じゃこう
はいかない。他の連中は結局、自分の都合のためについてきてるだけ。腹の底から信じられ
るのはこいつ。他の連中は見捨てても、こいつだけは見捨てられない。こいつと話すとホッ
とする。底抜けの馬鹿だからか、純粋な男だからか……俺もこいつみたいな人間になりたか
った。でも駄目だ。俺はこのままで生きていくしかない。そうですよね、ヒロ先輩。俺たち
みたいな人間は、こうやって、生きて死ぬんですよね。
「あー駄目だ。ちょっと抜いてくる。もう二日もしてないからな。ちょっと行ってくる」
 ケンジはそう言ってもぞもぞと荷物の中からコンビニから持ってきた雑誌を抱えて、どこ
かへ行ってしまう。キョウジはこそこそと間抜けな泥棒みたいに歩いていくケンジの影を見
て苦笑する。いつの間にか、キョウジの顔についていた影が落ちていて、彼は目を閉じる。

 2

 ケンジは市役所の裏手に回っていた。駐車場の反対側。誰もいないだろうと思って一息つ
こうと腹に入れた雑誌を取り出すと、すぐ傍で人の声がした。心臓が止まるかと思うほど驚
いた彼は、伏せて、周りを見渡す。でかいファン――室外機か?――の影に寄り添う男女。
よく見るとシミズとサクラ。キスをしている。角度を変え位置を変えながら二人の顔は淫ら
に混じり合っている。シミズの手がサクラの胸を触る。シミズはそのままサクラの首筋を甘
噛みする。サクラは上を向いて、右手をシミズの背中に、左手をシミズの下腹部に這わせる。
 ケンジは勃起している。
 サクラは自ら上着を脱ぎブラウスのボタンを外し、パンツを脱ぐ。シミズはベルトを外し、
上着を脱ぎ捨てる。サクラが身を屈め、シミズの下腹部に顔を埋める。
 ケンジはそこで、自分の性器をこすり始める。目は一点を見つめている。

 フェラチオをしている若い女――たしかサクラって言ったっけ――の上下する頭を、何の
感慨もなく見下ろしているシミズ。アリサワさんは笑うだろうけど、これが俺のやり方だ。
どうやってでも生き延びろって言ったのはアリサワさんです。性器から口を離して見上げる
サクラ。唇の周りが唾液で濡れていて、赤く上気した頬に数本の髪の毛がくっついている。
シミズはサクラを立たせ、室外機に手をつかせる。スカートをめくり上げて、彼女の性器に
触れる。柔らかい液で濡れている。シミズはそこにゆっくりと挿入する。くぐもった声をあ
げるサクラ。シミズが腰を振ると、細かく息が漏れる。つい腰を掴んでいる手に力が入り、
両手の人差し指が若い脂肪に食い込む。「痛い」とサクラは言う。シミズは力を抜いて、腰
を振る。シミズは振る腰に合わせて揺れる女の後頭部を見ている。
「完璧に殺してやりたいなら、口の中に銃を突っ込んで撃て」
 アリサワさんはそう言った。人間の頭蓋骨はなかなか丈夫で、ヘッドショットを狙っても
頭蓋骨で弾が滑ることがあり、生き残る場合があるそうだ――生き残っても地獄だが――だ
から口の中に突っ込むのだと言う。シミズはその言葉を思い出しながら、腰を振っている。

 背後で静かに腰を振る男の性器が、自分の性器に包まれている。快感は背中を通って、び
りびりと脳に届く。これで大丈夫だ、とサクラは思う。つまらないこの逃避行も少しは楽し
くなる。どこでも、私を愛してくれる男が必要だ。私はそのために常に可愛くしているのだ。
 男が性器を抜く。あっ、とサクラは声を漏らす。男はサクラを屈ませ、性器をくわえさせ
る。そのまま男は腰を振る。愛液がついたペニスはぬるぬると口内をうごめく。動きが激し
くなり、一瞬動きが止まり、その次に大量の精子がサクラの口の中に飛散する。

 ケンジは動きの止まった男女を見て、射精する。女が口元を押さえて、地面に唾のような
ものを吐き出している。
 あ~あ、とケンジは思う。情けない、つまらない、格好悪い。覗いたという後ろめたさよ
り、情事を見せられたことに対する憤り。アミとなら、もっとまともな画になるのにな。そ
れでもあの二人なら、安っぽいAVだ。援交女子高生ってタイトルにつきそう。
 もう一度大きなため息をついて、ケンジは、二人に見つからないように、その場を離れる。

 3

 カミカワは携帯の画面を見ている。暗闇の中で光る画面は彼の顔を青く染める。気になっ
ている。どうしてもあのメールの後が知りたい。カミカワはメールセンターに問い合わせて
みる。電波が悪い、と出る。じゃあ電波があればいいのか?とカミカワは思う。でも、もう
そんなもんありゃしない。全部敵にやられたんだ。あの子からのメールのデータはどっかへ
消えてしまった……携帯を閉じる。見るとシンジがベンチに寝そべっている。耳にはイヤホ
ン。
「おい、シンジ起きてるか?」
 返事はない。カミカワは机から降りて、シンジの体を揺さぶる。
「なに?」
 シンジがカミカワの方を向く。寝ぼけた目ではない。起きている者の目。
「何聴いてんだ、今」
「聴いてみる?」
 シンジはイヤホンを外しカミカワに渡す。カミカワがイヤホンをつけると、英語の歌詞。
消え入りそうなそれでも耳に残るメロディー。
「これなんていう曲?」
「The Beach Boysの『God only knows』。良い曲でしょ」
「ああ。どんな歌なんだ?」
「知らない」
「そうか」
 カミカワはイヤホンから流れる曲にしばし聞き入る。どこか不安になる歌だ、とカミカ
ワは思う。イヤホンを外し、シンジへ渡す。
「何か不安になるな」
「そうだね。でもカミカワくんに似合ってる気がするけど」
「どんなところが?」
 カミカワは苦笑。
「出だしのところ」
「どんなの?」
「I may not always love you~」
「どんな意味?」
「知らない」
 シンジはにっこりと笑う。カミカワは首を傾げる。相変わらず変な奴だ、と思う。
 カミカワはシンジに礼を言って、机に戻る。

 シンジはイヤホンをはめなおす。歌は終わっていた。そして、カミカワとのやり取りを
思い返して、苦笑する。

 4

 アリサワは月明かりが入ってくるロビーの入口側で本を読んでいる。電気がなくても、
月があれば本は読めるもんだな、と思う。そこへサヨリが寄ってくる。
「何を読んでるんですか?」
 アリサワは本を閉じて、サヨリを見る。肩にかかる黒髪。白い肌。切れ長の目。唇は薄
い。そういや昔こんな女に惚れたことがある気がする、とアリサワは思う。
「シリトーの『漁船の絵』」
「ああ、あの話。わたしも好きです。最後のページだけ何度も読み返したりしました」
 サヨリは笑う。
「読書好きなのか?」
 アリサワはタバコに火をつける。サヨリは顔をしかめる。
「ロビーは禁煙ですよ?」
「固いこと言うな」
 サヨリはじっとアリサワを見つめる。すこしどぎまぎするアリサワ。
「アリサワさんて、キョウジくんに似てますよね」
「はぁ?」
 アリサワはタバコを落としそうになる。何言ってんだこいつ?
「どんなところが?」
「雰囲気」
「なんだそりゃ」
「雰囲気です」
「そうかい。サヨリちゃん……だっけ?まだ寝ないのか。明日は早いぞ」
「はい、もう寝ます。ただ確かめたかっただけですから」
「俺があいつに似てるかどうかを?」
「はい」

 …………

「『漁船の絵』ってアリサワさんにとってはどんな話ですか?」
「間抜けな男と女の話だ」
「わたしは、最高の恋愛小説だと思っています。おやすみなさい」
 サヨリは頭を下げて寝床へ帰る。アリサワはサヨリの言葉を反芻する。最高の恋愛小説
か……俺がそう思ってたのはいつの頃だったっけ?
 アリサワは少し昔へ遡ってみて、遡れなくなったところで、考えるのを止め、タバコを
文庫の表紙に押し付けた。

 5

 キョウジは夢を見ている。ヒロ先輩の夢。ヒロ先輩は漫画を読みながら言う。
「いいか、キョウジ。俺たちみたいな奴らは高校で楽しむんだ。上手に立ち回るんだ。今
は充電期間、修行期間。この経験を生かすんだよ」
「俺は友達もいるし、部活だってやってます」
「違う。お前はこっちの人間。わかるだろ?お前だってそう思ってるだろ?お前はぎりぎ
りのところにいるんだ。俺はぎりぎりのところで、絶対に踏みとどまる自信がある。お前
はどうだ?」

 俺ですか?

 キョウジがヒロ先輩と会ったのは中学二年の夏。近所のゲーセンで、古いアーケードゲ
ーム――1回50円でできるやつ――にキョウジが興じていた時。後ろから声をかけてき
たのがヒロ先輩。馴れ馴れしくて、正直、キョウジのヒロ先輩に対する第一印象はウザい
奴、だった。それでも何度かゲーセンで顔を合わせるたびに少しずつ仲良くなっていった。
その頃キョウジはいわゆる思春期真っ只中で、それでも反抗する相手を見つけられず、苛
立ちは内に向かい、世界を諦めていた。どうにもならない上、どうしようもない。
「先に期待しろって。高校にいったらさ、絶対楽しいって。俺たまらない。早く行きたい」
 ヒロ先輩は校内でいつも1人。いじめられているのでもなく、ただ1人だった。空気み
たいなもんさ、とヒロ先輩は言っていた。
「微塵も他へ影響のない存在。それが俺。いいんだ。乗り遅れた俺が悪いんだ」
 キョウジはそういったヒロ先輩の話を聞くたびに、呆れた。間抜けだ、と。それでもキ
ョウジがヒロ先輩を嫌いになれなかったのは、似ていたからだ。自分に。
 ヒロ先輩、あんたの言うとおりだよ。俺たちは似てる。でも、俺はあんたよりずっと頭
が良い、それがヒロ先輩に対する評価。

 夢の中のヒロ先輩は図書室の窓枠に腰掛けている。
「なぁ、キョウジ。お前さ、神様って信じるか?」
「いるわけないでしょ。そんなもん」
「だよな。でもなんかさ、たまにそんな奴の存在を感じることがあるんだよ」
「相変わらずの現実逃避っぷりですね」
 はは、とヒロ先輩は笑う。
「お前は変わらないな」
 俺は変わらない。
「一生そのままだな」
 そうですね。
「お前は俺とは違うって思ってるだろう」
 当たり前じゃないですか。あんたとは違います。
「違わねえよ。キョウジ。お前は俺と違わねえ」
 違います。
「お前だって、みっともなく死ぬんだぜ。いつか」
 いつのまにか、ヒロ先輩は首を吊っている。図書室の奥。誰も来ないような、古びた海
外小説の棚の前。ズボンの裾から糞尿を垂れ流している。
「お前だって醜く死ぬんだ」
 俺は死にませんよ。逃げ切りますよ。
「死こそが最高の逃避だろう?」
 違います。
「違わない」
 死は逃げじゃない。
「じゃあなんだ?」
 
 負けです。

 ヒロ先輩の笑い声。それでも、お前はいつか死ぬだろう。いつの日か。それまで生き延
びろよ。
 消えていくヒロ先輩。キョウジは思う。誰が死ぬかよ、間抜け。

 夢は黒く染まり、深い眠りが、キョウジをさらう。


 続く




     



  六 遭遇


 1

 岩国を出発してすでに5時間が経過。ジープは名城を目前にストップしている。高速道路
が寸断されている。ここで何があったのかは誰も知らない。おそらく敵がこの一帯の人間を
集める過程で行われたことのだろうが。
 高速を降りて回り道をすることになった。名城西ICで降り、本中ICで再度高速にあが
る予定。
 今日の運転は珍しくアリサワ。シミズは助手席に乗っている。
「でかい町を通るな」
「名城ですか。初めての町です、俺」
「でかい基地もある。まぁ俺も初めだが」
 高速を回れ右。名城西ICで高速を降りる。

 町の中心地、本名駅で休憩。静まり返った巨大な箱という感じ。電車の音も、せわしなく
歩く人もない。駅前の通りも静か。いつもなら糞詰まりみたいに車が並んでいるんだろうな、
とキョウジは思う。この国はとても静かになったな。無人島に近いものがある。一生隠れて
れば普通に暮らせそうだ。畑を耕して、家畜を育てて……それは選ばない。いや、もしかし
たら、逃げるのをやめた時、その道を選ぶかもしれないが……
 みなでだだっぴろい駅の構内で昼食。食事の質が落ちてきている。それもそのはず。この
状況が始まってだいぶたっている。コンビニに押し入っても期限切れの食品ばかり。無理に
食べるてもいいだろうとは思うが、そこは現代っ子が多いだけあって、躊躇し、結局は缶詰
などの保存食に落ち着く。アリサワやシミズは別の理由で缶詰類。体調を崩したら死ぬとい
う職業意識。
「なあ、シミズ」
 食事を終えたアリサワはタバコを吸っている。高校生たちはまだ輪になっておしゃべりに
興じている。
「なんですか?」
「お前さ、サクラとかいう女とヤッたろ」
「はい」
「何考えてんだ?」
「別に。あっちがしたがったからですよ」
「あの子、女友達に自慢してたぞ」
「そうですか」
「だから、お前何を考えてんだ?」
「生き残ることですよ。俺とアリサワさんが」
 ふぅ。アリサワはタバコをふかす。シミズは従順だ。俺のことを、俺以上に考えてくれる。
だからこそ、頭がおかしい。狂ってる。たぶん。何を考えているかわからないところがある。
ここ数日、それを特に感じる。事件が起こって以後、解放された気分になっているのかもし
れない。まぁ、確かに俺も自由になった気分だが……

 2

 彼らがそれをエンジンの音だと気がつくのに少し時間が必要だった。生活の音とか臭い、
そんなものを忘れかけていたためだ。シンジが最初に気づいた。
「車の音がする」
 寝転がってタバコを吸っていたアリサワが体を起こす。
「……数台。1台じゃないな。状況から言って、敵か」
 みんなに緊張が走る。キョウジは肩から銃を下ろす。ケンジとサヨリもそれを見てならう。
「待て、とにかく奥へ入ろう。地下鉄の方だ」
「上じゃないんですか?」
「ビルの方は逃げ場がなくなる。地下鉄の方ならどうとでも逃げられるだろ!」
 カミカワを一喝するアリサワ。それぞれ足音をたてないように急ぎ足で地下へ向かう。

 ここまでくれば安心だ、とアリサワは言わない。敵の出方がわからない以上どうしようも
ない。
「敵はこっちに気づいてますかね?」
 シミズが言う。アリサワが返事をする前にキョウジが口を開いた。
「外のジープに気づいてるでしょうから、少なくとも中に誰かがいることはわかっているで
しょうね」
 その通り、とアリサワは思う。俺の言葉を取るな。
「それにしても、奴らどこからきたんでしょう。ここらの基地かな」
 キョウジがアリサワに尋ねる。聡いガキだ、とアリサワは思う。お前いつも地図を見てる
から予想くらいはついてんだろう?それとも俺に少しは花をもたせて機嫌をとろうって腹か?
「ああ、町の北に大きめの航空基地がある。きっとそこだろう。ただ、問題はなぜ動いてる
かってことなんだが……大掃除でも始めたかな。残り滓の……」
 アリサワはそこまで言って口をつぐんだ。これは予想。悪い予想なら別に口に出す必要も
ないだろう。悪い予想は怯えを生み出す。
「ただの偶然かもしれないですね」
 キョウジが言う。そうだな、とアリサワは思う。
 
 そんなことないんだよ、とシンジは思っている。キョウジくんのため奴らは来たんだ。キ
ョウジくんの伝説のために……

「ただ、可能性としては掃除してるってのはあり得ますね。高速が壊されていた……これま
で幾つかの都市を見てきて、これほど大規模に攻撃されている都市はなかった。奴らの目的
はあくまで拉致。そんで輸送。奴らには時間がない――その通りだ、とアリサワは肯く――
ところどころ抜けたところがある。そうなるとある一つの大きな目的はあるけれど、それ以
外の細かい部分はそれぞれの部隊に任されているんじゃないですかね。それに相手は各国の
自衛隊だか軍隊だかが集まってできたもの。意思統一が困難なんじゃないかな。だから名城
ではこんなことになってる、と。もしかしたら俺たちは一番過激な部隊が占拠する町にいる
のかもしれませんね」
 そう言って、キョウジは笑った。シンジだけがそれに応えて笑った。
 アリサワはキョウジを見て、こう思う。論理とはったりと……器用な奴だ。

 3

 アリサワの意見で二手に分かれることになった。アリサワ、シミズ、ケンジ、サクラ、カ
ミカワは偵察に出る班。状況を見て脱出経路含め敵の情報を得るのが目的。キョウジ、サヨ
リ、シンジ、アミは居残り班。ただの留守番。
「どうしてキョウジくんが留守番なんですか!」
 食って掛かったのはシンジ。その様子にみんな驚く。キョウジ自身もどうしてシンジが怒
っているのかわからない。アリサワはそんなシンジに、まぁまぁ適当だよ、と答える。火に
油を注ぐような発言。キョウジがなだめてシンジの怒りは収まった。
 アリサワ自身テキトーに選んだつもりはなかった。適当に選んだつもりだった。状況がよ
くわかっていない以上、偵察は必要。身軽な男たちだけで行きたかったがサクラがどうして
もと懇願するのでしかたなく班に入れた。銃も撃てそうにないこの女は足手まといだとはわ
かっていたが、シミズが別にかまわないでしょうと言ったので認める形になった。シミズが?
とアリサワは不思議に思う。何を考えてやがる……キョウジを班に入れなかったのは単純に
戦略上の問題。留守番班にも頭が必要だ。それも信頼のおける……そうなると必然的にキョ
ウジになる。それ以外に適任はいない。留守番は危険ではない……と誰が言える?この巨大
な駅ビルの中にすでに敵が入り込んでいるかもしれないないのに。
 キョウジの考えもおおよそアリサワと同じ――アリサワがケンジの怪我を知っていればキ
ョウジとケンジの場所が入れ替わっていたかもしれないが――。俺がアリサワさんでも同じ
ことをしたな、とキョウジは思う。シンジの憤慨は予想外だったが……ただ、サクラを連れ
て行くことに違和感がある。役立たずを連れて行ってどうするんだ?シミズがサクラの我儘
を許可したことも不可解。嫌な予感がする……

 ケンジははりきっていた。初めてキョウジの役に立てそうな気がするからだ。足はまだ痛
い。それでも走れないほどではないし、銃もある。
「キョウジ、俺に任せてゆっくりしてなって。バッグの中にエロ本あるから、暇だったら使
え」
 そう言ってケンジがバッグを渡すとキョウジは苦笑い。
「死ぬなよ」
「当たり前だ」
「本当なら俺が行くべきなんだろうけど」
「怪我のことなら心配するな。俺だってやるさ」
 ケンジはそう言って胸を叩く。

 4

 地下鉄のホーム。ベンチに彼らは座っている。シンジは珍しく音楽を聴いていない。何や
らぶつぶつ呟いている。キョウジ、サヨリ、アミは並んで座っている。シンジのことを気に
かけてはいるが、誰も声をかけようとしない。
「どうしたんだろうね、シンジくん」
 サヨリが言う。
「変な奴だからね。何か気に障ったんじゃない?」
 アミは欠伸をする。ふぁあ、という声が構内に響く。

 欠伸なんてしやがって、とシンジは思う。こっちは真剣なんだ。キョウジくんは戦場へど
んどん出て行ってもらわないと困るんだ。留守番してました、じゃすまないんだ。彼の伝記
には名城で多くの敵兵を殺傷し仲間を守りました、と書かれなければならない。なんでそれ
がわからないんだ、みんな。おかしいおかしいおかしい。ロックのカリスマがどうしてベン
チに女と並んで座っているんだ。おかしいよ。銃を持って、みんなを先導して、行き着くと
ころまで行って、そして壮絶な死を迎えなけりゃならないのに。
 シンジは親指の爪を噛む。

「ねえ、キョウジくん。アリサワさんてキョウジくんに似てるよね」
 サヨリの言葉にアミもキョウジも笑う。
「えーそうかなぁ。私はそうは思わないけれど」
「そうだよ。どうして似てるなんて思うんだ?」
「雰囲気とか、考え方とかかな」
 そう言ってサヨリはじっとキョウジの目を見つめる。キョウジは顔を赤くする。この目に
は弱い、とキョウジは思う。この女には勝てない。真面目で、生きることに真剣で……俺と
は正反対……
「キョウジくん大人になったらアリサワさんみたいになるのかしら?」
 サヨリは首をかしげながらキョウジを見つめる。
「知らん」
 キョウジは目を逸らす。知らん、そんな先のことなんて……

 じゃあ、お前はどんな女になってんだよ?

 5

 アリサワの指示の元、5人はジープを確認しに上へ出る。遮蔽物は多いので隠れるのは楽。
南口の目の前に止めたジープを構内から覗く。ガラス張りの先には乗ってきたジープ。その
周りに銃を持った兵隊たち数人がいる。ジープを調べている。
「やばいな」
 アリサワが言う。5人は土産物屋のカウンターから覗いている。サクラだけは頭を出さず
にシミズのズボンの裾を掴んで、膝を抱えている。
 それを見て、怖いなら来たがるなよ、とカミカワは思う。俺なんて来たくもないのに来て
るってのに……
「どうします?」
 カウンターの中で作戦会議。シミズがアリサワの意見を求める。
「正面からやりあうのは論外。かといって隙をついてジープで逃げるってのも無理か」
 八方手詰まり。徒歩での脱出を考える必要がある。そうなると、地下鉄を抜けてというこ
とになるが……
 
 足音。

 緊張が高まる。
 アリサワがこっそりと覗くと、4人の兵士が構内を歩いている。そのまま進むと地下鉄と
新幹線の分かれ道。新幹線の方へ向かってくれ、というアリサワの願いも虚しく、地下鉄の
方へと足を向ける兵たち。いよいよやばい、とアリサワは思う。下の連中を見捨てて逃走っ
てのが一番現実的か……ジープの監視が3人に減った。この人数なら不意打ちすればどうに
かなるな。

 ……あー怖い。怖いよ。シミズさん。こっちを選んで正解だよね、私。大人がいる方が安
全だよね。アリサワさんもいるし。キョウジくんだけじゃ頼りない。それに地下って息が詰
まる。逃げられない感じ。早く逃げよう。兵隊たちどこか行って!
 サクラはシミズのズボンを引っ張る。シミズがサクラの方を見る。冷たい目。サクラは何
も言えずに俯く。

 お願い、助けて。死ぬのは嫌。怖いし、痛いから。

 



 続く



     



  七 思惑


 1

 アリサワたちは土産物屋のカウンターの下で待機中。地下へ向かった兵たちが気になると
ころ。アリサワはこの状況において二つの選択肢があると考える。一つは下の連中を見捨て
て多少無茶であろうとジープを見張ってる連中に奇襲をかける。成功すればジープに乗って
とんずら。シミズ以外の高校生には、合流地点をキョウジに伝えてあると嘘を吐く。もちろ
ん騙されはしないだろう。しかし、騙されていることに知らん振りをして、仲間を見捨てる
ことを、奴らは選んでくれるはず。問題はケンジとかいうガキ。少々強情そうだが……もう
一つの選択肢。このまま地下鉄へ向かえば形としては5人の兵を挟み撃ちすることになる。
ただし挟撃とはまずもって相互の連携がとれていることが重要であり、挟撃できるような狭
い、逃げ場のないところに追い込むことが成功の鍵だが、地下鉄の形状からしてそれは難し
い。それに連携をとろうにも連絡がとれない。下の連中は上から兵士たちが降りてくること
を知らない。絶望的。前者より成功の可能性が低い。となると……
「アリサワさん、キョウジたちにどうにかして知らせられないかな?このままじゃあいつら
……」
 ケンジの顔に焦りが浮かんでいる。
「何か通信手段があれば別だが……」
 重苦しい雰囲気。シミズは何とも思っていない顔。少しは演技しろ、とアリサワは思う。
カミカワは携帯をいじっている。何なんだこいつは、とアリサワは不思議に思う。度胸が据
わってんのか、それともただの馬鹿か?
 ケンジは最悪のケースを思い浮かべる。キョウジたちが死ぬところ。握った手はじっとり
と汗をかいている。なんとかしなきゃ……
 仕方ない、とアリサワが口を開く寸前、それまで無関心を決め込んでいたカミカワが口を
開く。
「シンジのやつ、トランシーバー持ってたろ。ほら敵の兵隊からとってきたやつ。あれ、使
えないかな。使いはしてないけど、あいつずっと電源だけは入れてたよ」
「トランシーバー?どんなやつだ?」
「たしか村で殺した兵士からとってきた奴だよな。フツーのだったよ」
「自衛隊のか、それともどっかの軍のか……使えそうだな。ただ、こっちから呼びかける術
がない」
「え、おっさんたち持ってないの?自衛隊なのに?」
「持ってるわけないだろう」
「えー、幻滅。せっかくの案だったのに」
 カミカワが口をへの字曲げる。このクソガキとシミズは思う。アリサワさんになんて口を
ききやがる。アリサワさん、下の連中なんてほっとけばいいんですよ。善人になんてならな
くていい。あんたは、偉人になればいいんだ。
「ジープまでいければ、あそこに無線がある。とにかく連絡は可能だ。ただし、あそこまで
どうやって行くか、だ」
 アリサワは腕組みをして考える。方法はあるにはあるんだが、いかんせん、ベタすぎるか?
「俺が囮になって敵をひきつけますよ」
 シミズが手を挙げる。
「銃を乱射して逃げ回ればいいでしょ。駅広いし」
「逃げ切れなかったら?」
「大丈夫です。確実に1人は殺しますから。あとは逃げてください」
 シミズはへらへらと笑いながら言う。アリサワにシミズの真意は測れない。何を考えてい
るのか……
「そ、それなら、私も」
 サクラが手を挙げる。みな、耳を疑う。
「シ、シミズさんとなら、大丈夫、だと思う」
 サクラは無理に笑顔をつくる。唇が震えている。
「よし、わかった。やってみよう。ただし、わかってくれ。無理だと判断したら下の連中は
見捨てる。いいな」
 カミカワは、はーい、と返事。ケンジはアリサワを睨みつける。そんな目で見るなよ、と
アリサワは思う。人生にはこういうこともあるんだよ、と。

 2

 作戦はいたってシンプル。シミズとサクラが敵の前に――ガラスを挟んで――出て、発砲。
そのままとんずら。相手が追ってきたら大成功。まぐれ当たりで3人の兵の数が減ればもう
けもの。2人が追って、1人が見張りに残っても成功。1人ぐらいならアリサワ、ケンジ、
カミカワでじゅうぶん対処可能。
「それじゃ行ってきますね」
 まるで遠足でも行くような雰囲気。サクラはシミズの裾から手を離さない。シミズはそん
なサクラに微笑みかける。
「大丈夫」
「うん」
 サクラの表情が少し明るくなる。シミズが銃を構えて走りだし。サクラもそれに続く。

 楽勝、楽勝、とシミズは思う。これで片付いた。
 ジープが見える玄関ガラスの前に立つ。兵士たちはまだ気づいていない。距離は50メー
トルもない。兵に向けて、シミズはハチキュウをぶっ放す。ガラスが飛び散る。シミズの背
中でサクラがきゃーきゃー騒いでいる。弾はジープの側面全体に当たる。助手席のドアを背
もたれにして腰掛けてた兵士の肩口に銃弾がめりこむ。車体の後部にいた兵はとっさに伏せ
る。前方でタバコを吸っていた兵は銃を構える。
「逃げるぞ」
 シミズはサクラをひっぱり走り始める。二階への階段を登りはじめる。

 銃声。アリサワはカウンターからジープの方を見る。2人の兵がシミズたちを追って階段
を登っていくのが見える。1人は残ったか、とアリサワは思う。チャンスだ。こんな見え透
いた陽動にひっかかるなんて、奴らも大したことない。それとも油断してんのか?
「行くぞ」
 アリサワがカウンターを飛び出す。それについていくケンジ。カミカワはだらだらとその
後方をついていく。だって、俺、銃持ってねえし。シンジからもらったこんな短銃じゃ人な
んて殺せないっつーの。

 飛び出していったアリサワは肩をおさえてうずくまる兵を発見する。
 どうする?尋問か?それとも……
 考えはまとまらない。兵が足音に気づいて顔を上げる。

 アリサワは何も考えずにハチキュウの引き金を引く。3発の弾がそれぞれ頬、首、鎖骨に
当たる。兵は口から血を流し絶命する。初めて殺人に動揺するほど、アリサワは善人ではな
い。すぐさまジープに乗り込み、無線に手をかける。
 ケンジとカミカワは死んだ兵士の前に立っている。
「こいつ日本人かな?」
 そうカミカワが言うが、ケンジは青ざめた顔をして兵を見下ろしている。
「中国人かもしれねえし韓国人かもしれないな。ベトナム人かも。やっぱ似てるよなここら
のアジア系って」
 ケンジは無言。
 あ~あ、とカミカワは思う。いまさら人死にびびってどうすんだよ。イトウなんてすぐに
死んじまったじゃないか。自分がこうならなかったことに感謝するだけでじゅうぶんだ。

 3

 シミズとサクラは走っている。後ろからは怒鳴り声。日本語ではないことだけはわかる。
シミズは笑っている。サクラは泣き笑いを通り過ぎて表情が固まっている。さて、どこで仕
掛けるかだな、とシミズは考えている。等間隔に大きな丸い柱。看板やら時刻表やら。銃声。
追ってくる連中が撃ってきたようだ。シミズとサクラはできるだけ柱の陰になるようにジグ
ザグに走る。柱に銃弾が当たっているのか、チュンとかガッとか鈍い音が広いロビーに反響
する。
 ロビーを抜ける。ここらかな、とシミズは走ってるサクラに足をかける。勢いがついてい
たサクラは下顎を地面に擦り付けるようにこける。シミズはすぐに近くの便所に入る。サク
ラは何が起こったかわかっていない。ただ全身が痛いことと、顎から血が出ていること。
 肌に傷がついた、とまずはじめに思う。次にシミズに姿を探す。そして、追ってきた兵の
姿を認める。銃を突きつけられるサクラ。ジェスチャーで立てと指示される。よろよろと立
ち上がるサクラ。2人の兵は怒鳴りつける。言葉の意味がわからないサクラはただただ両手
を挙げて涙を流す。業を煮やした1人の兵がサクラの胸に銃を押し付ける。サクラは震えだ
し、あぁぁぁ、と声を上げ、失禁する。なおも兵は銃を押し付けてサクラに怒鳴る。意味の
わからないサクラは、何も答えられない。

 シミズさん、シミズさん、とサクラはそれだけを考えている。助けて、助けて。

 銃声。銃を押し付けていた男の頭が吹き飛ぶ。隣の兵はとっさにサクラを後ろに回り、首
を押さえつけて弾の飛んできた方を探す。便所の中から銃口が2人に向いている。ゆっくり
と現れるシミズ。その姿を見てホッとしたのか、サクラは泣き喚き、さらに失禁する。
 助けて助けて、死にたくない死にたくない、シミズさんシミズさん、何でもするから。
 シミズは笑って2人に近づく。兵はサクラを人質にしているつもり。何かを大声で叫び、
シミズへ銃を向ける。

 フリーズ、ってか。それだけはわかった。もっとわかりやすい言葉で話せよ。英語圏の人
間か?まぁ極東に住んでる俺はわかるぐらいだから、どこの奴でも知ってるか。

 シミズは足を止める。兵はサクラを盾にしている。銃を置け、と言っているようだ。シミ
ズはにやりと笑い。引き金を引く。兵の、銃を持っている方の肩に銃弾は当たる。サクラご
と倒れる兵。サクラは何が起こったのかわからず、ただ唇を震わせている。シミズはゆっく
りと近寄り、兵の頭に銃弾を撃ち込む。頭がはじけ、脳みそが飛び散り、サクラの顔面を赤
く染める。サクラはシミズを怯えた目で見上げている。シミズは微笑む。
「大丈夫」
 サクラは大声で泣く。
「シミズさぁん。大好き。ありがとう」
 兵から離れ膝に抱きつくサクラ。シミズは笑顔でこう言う。
「フェラしてくれよ」
 そう言ってズボンのチャックを開け、勃起したペニスをサクラに握らせる。サクラは何も
言わず泣きながらペニスにしゃぶりつく。

 そうでしたよね、アリサワさん……

 サクラの口からペニスを引き抜くと、今度はまだ暖かい銃口をサクラの口に突っ込む。
「こいつもフェラしてくれ」
 サクラはわけもわからず、うんうん、唸りながら兵の返り血のついて銃口を舐めている。
 シミズは笑顔で引き金を引く。

 4

 無線で呼びかけ。聞こえているかどうかは関係なく、ただ敵がそっちへ行ったぞ、と言い
続ける。アリサワは周波数を変えたりしながらとにかく声を張る。これが敵に聞かれている
可能性があることを知りながらも、こんなことに必死になっている自分に、少し呆れる。
 こんな演技もたまには必要だな。
 時折反応のようなものがあるものの、返事はない。時すでに遅し……か?
「あいつら、逃げてるさ。キョウジのことだ。あいつがいれば大丈夫」
 ケンジは自分に言い聞かせるように言う。アリサワとカミカワは返事をしない。ケンジへ
の気遣い。
 無線を諦めるアリサワ。これからの身の振りようを考える。シミズたちはどうなった?下
はどうなってるんだ?これから、さあ、どうする。
「シミズとの合流地点へ向かおう。ここの反対側の大通り口へ」
 ケンジはそれを認めない。
「もう少し待ってくださいよ。もう少し呼びかけてみましょうよ。価値はありますよ!」
「いや、これ以上は危険だ。この周波数は敵にきかれている可能性が大きい。ここに長く留
まるのは危ない」
「でも……」
「俺は、お前たちだけでも守る。それが役目だ」
 我ながらなんとまあ破廉恥な、とアリサワは思う。抜群の演技なのは自分で認めるところ。
その上、この臭い台詞。シミズが聞いてたらきっと大笑いだろう。
 言い返せないケンジの肩に手を置くアリサワ。
「あいつは賢い男だ。きっと生き延びてるさ」
 ケンジは、大きく肯く。 
「それに、運転しながらでも呼びかけはできる。可能な限り交信は続ける。いいな」
「はい」
 ケンジは涙を溜めた目でアリサワを見つめる。
 キョウジ、死ぬなよ。

 カミカワは空を見上げる。高いビルや電信柱が視界に入る。空が狭い。さっさとここを出
い、と思う。そしてあの子のところへ……

 5

 アリサワさんうまくいったかな。シミズは 便所の洗面所で血のついた性器や顔、腕を洗
っている。ハンカチで水を拭き取り、そのまま銃身を拭く。ハンカチが赤く染まる。

 馬鹿な女は嫌いだけど、役に立つなら話は別。役に立ったら、さようなら。

 便所を出たアリサワは鼻歌を歌う。ふふん、ふん、ふん……これなんの歌だっけ……あぁ
そうだ、『フルメタル・ジャケット』の奴だ。ミッキーマウスクラブマーチ。そうそう、エ
ムアイシーケイイーワイ、エムオーユーエスイー……口ずさんで、シミズは吹き出してしま
う。さて、アリサワさんとの合流地点へ向かうか。シミズはハンカチを便所の入口の横にあ
るゴミ箱へ捨てる。




 続く




     



  八 選択


 1

 シンジだけは、もちろん気づいていた。リュックから微かに聞こえる異音。シンジはキョ
ウジたちに見つからないように、何気なく、リュックからトランシーバーを取り出す。音を
最低限にまで絞り、ipodを聞くフリをして、通信を聞く。
『敵が向かってる。5人だ』
 その繰り返し。アリサワの声。応答はしない。シンジはトランシーバーの電源を落とし、
リュックにしまう。隣りのベンチではアミとサヨリがおしゃべりに興じている。キョウジは
線路の先にある看板――地下鉄によくあるやつ――を眺めている。その目に力はない。
 敵は5人か。もうそろそろここらに着く頃なのかな?
 シンジは耳を澄ます。足音は聞こえない。今はまだ、といったところか。シンジはこの後、
に起きる出来事への期待で胸がいっぱい。キョウジくんはカリスマなんだ。ロックスターな
んだ。さぁ、キョウジくんはどう動くだろう。

 キョウジは神様のことを考えている。キョウジの興味は神そのものより、神の機能に向け
られる。人間が生まれたことへの明快な回答としての神。苦難と幸福を感じている人間の誤
解。独り善がりな願い事を頼む最後の砦。戦争の理由。死からの逃避。教訓としての神。信
仰を支える文句の捌け口……言い訳、とキョウジは思う。神とは言い訳である。日本のくそ
ったれキョウジの言葉。この言葉が何かの本に載ればいいな、とキョウジは考えて笑う。神
様なんて良い訳だ。どうしようもなくひねくれた連中のゴミ捨て場。あの時、俺にここで死
んではいけない、と言ったのも言い訳だ。突然降ってきた言葉も、何もかも、俺の言い訳。
早々に死んだイトウの言い訳。俺が殺した兵士たちの言い訳。これから死ぬかもしれないみ
んなの言い訳。
 それでもいいさ。言い訳でもいい。死にたくないだけなんだ、俺、と俺たち。それだけな
んだ。敵の連中の親玉が本当に神様だったとしても、こんな俺たちの可愛いお願いを聞き入
れてくれたっていいはず。

 だから、俺は死なない。ほかのみんなが死んでも、俺は死なない。死ねない。なぁ、ヒロ
先輩。

 


 上階で物音。それまで話をしていたサヨリとアミが凍りつく。ベンチに寝そべっていたシ
ンジは体を起こし、耳を澄ませる。キョウジは物音の正体よりも、これからの行動について、
すでに考え始めていた。
 物音の正体が何であるか推測してもあまり意味はない。とにかく最悪な事態を想定すれば
いい。この物音は敵であると考えるべき。それならばまず身を隠すのが先決。
 キョウジはサヨリ、アミ、シンジを立たせ、全員で線路に下りた。とにかくホームから離
れることができたら、ひとまずは安心。音を立てないように、こっそりと暗い地下鉄のトン
ネルを歩く。
 風の流れ。油と鉄の臭い。二股に線路が分かれているところで止まる。おそらく複数の線
が通っているのだろう。これ以上は進まない。アリサワたちのことも考え、土地勘がないこ
とも合わせて。間違って妙なところへ出てしまいどこかで敵とばったりなんてこともあり得
る。
 線路の上に腰を下ろす4人。珍しくシンジが話し始める。
「僕の好きな話で、ナルニア国物語っていうのがあるんだけど。7つの話があるんだけど、
最後の話はね、電車に轢かれるところから始まる。そのおかげでナルニア国へワープするん
だ。何か思い出しちゃうな。子供の頃は電車を見るたびにナルニアのことを考えたよ」
「知ってる。面白いよね」サヨリが言う。「わたしはリーピチープが好き」
「格好いいよね」
 シンジは笑う。何だか汚い笑いをしそうになって、必死で緩む口元を押さえる。ナルニア
!とシンジは思う。ここからが僕たちの『最後の戦い』!キョウジくん、石舞台はすぐそこ
までやってきているよ!

 どれくらい経っただろうか。温い風の流れの隙間に、異音。遠くのことなのに、トンネル
は音を伝える。人が線路に降りた音。4人は緊張する。選択を迫られる。逃げることは確定。
ただし、道は2つ。どちらもうまくいきそうにないと思えるのは、恐怖からか。キョウジは
怯える自分に気づき、呆れる。今さらかよ……右か左、右か左……右へ行こう。直感。ここ
まできたらどちらを選んでも同じに思える。
「右だ」
 歩き始めるキョウジ。
「もしかしたらみんなが探しにきてるのかもよ。ねえ、相手を確認してもいいんじゃない?
アリサワさんたちかも」
 アミの言葉に、キョウジは同意できない。幾つかの可能性。アリサワたちが全滅している
こと。アリサワたちがキョウジたちを置いて逃げたこと。キョウジたちを助けようと、今も
努力をしていること……ケンジに賭けよう、とキョウジは思う。あいつは俺を見捨てやしな
い。
「行こう、アミ。これから来るのは敵だよ。わかるんだ」
「どうして?」
「あいつらなら大声で声をかけるはず。だって、敵の偵察が済んで、危険がないのであれば
大声で叫んだって問題ないだろう。仮にこの足音がアリサワさんたちであっても、声を出せ
ない状況にあるとしたら、それは敵が近くにいる証拠だ。逃げるなら別に一緒に逃げなくて
もいい」
 アミは黙る。キョウジにはアミの気持ちがわかる。気づかぬうちにアリサワたち大人に甘
えることを、アミは思い出したのだ。だから、甘い考えを持ってしまう。
「行こう」
 4人は右の道を選ぶ。

 3

「ねえキョウジくん。アリサワさんと打ち合わせしてる?合流地点を決めてるとか」
 キョウジの横に並んで歩くサヨリが言う。
「決めてない」
 当然決めておくべきことをしていない自分の迂闊さに笑う。ただ、アリサワはどうか。抜
け目のないあの男のことだから当然こういった事態は予想できたはず。それなのに合流地点
を決めていない。もしかしたら、アリサワは俺たちを見捨てるつもりだったのかもしれない。
そう考えて、焦っている自分に気づき、キョウジは驚く。今更何を言ってるんだ、俺は。別
にアリサワさんたちを行動をともにする必要はない。ただ生き延びればよいだけ。それだけ。
問題はシンプル。
「大丈夫さ。きっと高速の入口で待っててくれるよ。本中ICを目指せばいい」
「……うん」
 サヨリの考えていることが手に取るようにわかる。善人で正直なだけに、感情を読み取り
やすい、とキョウジは思う。きっと見捨てられていると思っているだろう。そして、それで
も全ては終わったわけではない、と彼女は考えているはず。この女は強い。キョウジは隣り
を歩くサヨリを見る。真っ直ぐ前を見ている。この女は生き残る。

 次の駅へ着く前に、4人は地上への梯子を見つける。作業用のものなのだろうか。足音は
一定の間隔で響いている。こちらに近づいているのは確か。キョウジは梯子を登ることを提
案。誰も反対しない。キョウジ、シンジが先に登る。ここにきてスカートである女子2人に
気をまわす余裕のある自分に、キョウジは感心する。まだまだ死にそうにないな、俺。
 梯子の先には鍵つきの扉。
「みんな、耳を塞げ」
 キョウジは躊躇することなく、銃で鍵を壊す。腕で扉を押し開ける。着いた先はどこかの
建物の中。小屋程度の大きさ。窓はない。作業をする人間以外は入れないようにしているの
だろう。ドアが一つだけ。ドアの傍に「工事中立ち入り禁止」と書かれた看板が数枚立てか
けられている。
 さっきの銃声で気づかれただろうか?
 とにかくあとは繁華街なり住宅街へ逃げ込めばいいだけ、とタカをくくる。
「さあ、行こう。地図はあるんだ。隠れながら高速の入口を目指そう」

 建物は新幹線のレールの真下にあった。フェンスで囲まれているだけ。キョウジたちはフ
ェンスを乗り越える。シンジはキョウジの一挙手一投足を見逃さないようにしている。これ
から訪れる最大の見世物への期待の眼差し。

 4

 近くに繁華街はなく、まばらな住宅のみ。一本路地を中に入るとまるで迷路。路地は入り
組んでおりどの十字路も同じように見える。適当なところで家に忍び込む。まずは現在地の
確認。キョウジは家捜しをして、この家の住所が書いてあるものを探す。固定電話のすぐ横
にアドレス帳を見つける。家主の友人知人の住所があり、一番最後に自分の住所と電話番号
が書いてあった。住所と地図を照らし合わせる。本中ICまでは絶望的なほど遠い。しかし、
高速に接続する都市高速の入口は近い。そこを目指すべきだとキョウジは考える。夕暮れは
近い。高速を闇に紛れて抜ければ本中ICまで一本道。ただし、アリサワたちがそこで待っ
ていれば、だが。だが、仮に待っていなくとも、高速を伝って歩いていくのは悪くない。現
在地を見失うこともないし、目的地へも一本道……目的地?あれ、俺はどこへ向かってるん
だ?富士の演習場?そこはアリサワたちの目的地だろう?そこが最後の避難場所の可能性だ
から俺たちは行くのか?行き場所が、もう、どこにもないから?でも、俺たちは逃げている
だけ。逃げている者に目的地はあるのか?
 キョウジの頭の中が急に乱れ始める。足元が不安定になる。

 俺は逃げているのに目的地を、安全で落ち着ける場所を求めているのか?

 それっておかしくないか?

 だって、生き延びることは、逃げることは、歩みを止めないことじゃないのか?

 誰にも捕まらず、誰も捉えない。

 漂って、一つところに留まらず……

 キョウジは不安になって、誰かを探す。アミはソファに足を投げ出してくつろいでいる。
シンジはipodに夢中。サヨリは?サヨリは?
 サヨリはキョウジのすぐ後ろから地図を覗き込んでいた。
「高速まで遠いね。まぁいいか。アリサワさんたちと離れても、とりあえず富士を目指せば
いいんだよね」
 とりあえず……キョウジはサヨリの全身を目の中にいれる。少し痩せたみたいだ。髪もボ
サボサ。薄い唇は栄養不足のせいか、青白い……とりあえず、か。そうだな、とりあえずな
んだ。俺たちはとにかく瞬間瞬間を「とりあえず」でやっていけばいいんだ。結果は見ての
お楽しみ。
「都市高速に上がろう」
 サヨリは笑って、肯く。

 5

 サヨリとキョウジが地図を前に必死に案を出し合っているところを、見ながら、アミはケ
ンジのことを考えている。どうして今ケンジなのか、アミはそれが許せない。
 デリカシーはないし、スケベ。頭は悪いし、その上坊主。まったく魅力なんてないじゃな
い。アミはそう思い直して、もっとマシなことを考えようとする。考えようとするけれど、
村でケンジと話したことを思い出してみたり、岩国市役所でのくだらない会話のことを思い
返す。足は大丈夫なのかしら?あいつ、強がりだから痛いなんて言わないから……
「ねえ、アリサワさんたと大丈夫かな?」
 アミは、地図に見入る2人に声をかける。
「大丈夫さ」
 キョウジは地図から目を離さずに返事をする。人差し指で地図上をなぞっている。
「どうしてわかるの?」
「ケンジだもん。死にはしないよ」
 ケンジだもん、か。……男の子だな。友情ってやつかな。
「大丈夫よ、アミ。きっとケンジくんたちは無事よ」
 サヨリの、ケンジくん、という言葉に反応し、アミは顔を赤らめる。そうね、と言って誤魔
化してソファに頭を埋める。あ~あ、とアミは思う。この私があんな馬鹿のことをこんなに心
配してるなんて……
 シンジは3人のやり取りを見ながらニコニコと笑っている。

 あ~あ、とシンジは思う。そんなことどうでもいいから、早く、敵と戦ってよ、キョウジく
ん。そして……



 続く




     



  九 月光


 1

 シンジはキョウジのことをカリスマだと考えているが、少し頭が回りすぎて勘が良すぎる
ところが好きではない。馬鹿なくらいがちょうど良いのに……ケンジくんくらいだったら困
るけど……
 キョウジはシンジがトランシーバーを持っていたことを思い出す。そこから一つの可能性
を引き出す。アリサワたちは呼びかけているのではないか?早速電源を入れあらゆるチャン
ネルにアリサワたちの声を探した。ノイズノイズノイズ、無音無音無音……それでも、キョ
ウジはケンジを信じていた。あいつはずっと呼びかけているはず!
『高速だ…………本中IC……待ってる……』
 ケンジの声が見つかった時、キョウジは危うく大声を上げそうになった。ケンジの友情の
篤さと自分の運がまだつきていないことへの喜び。神様は俺に逃げろと言ったんだ。俺は逃
げることを運命付けられている……
 ケンジの声は途切れ途切れ。通信をしようとキョウジも呼びかける。これからそっちへ向
かう。その言葉を繰り返す。ケンジたちからの通信はさきほどと同じ内容。こちらの呼びか
けは聞こえていないのかもしれない。何度もそれを繰り返していると、不意にケンジの声は
消えた。まるで通信圏外へ出てしまったかのよう。
「近くにいたんだ」
 キョウジが言う。
「車で走りながら呼びかけてたんだ。そんで、離れていった。もしかしたら都市高速にのっ
てるのかもしれない」
 キョウジの言葉にアミとサヨリは笑みをこぼす。安堵と希望。彼らの無事を喜ぶ。
 やることは決まった。本中ICを目指す。
「いつまで待っててくれるのかな?」
 アミは不安げ。サヨリが励ます。
「少なくともわたしたちが行くまでは!」
「そうよね」
 アミはサヨリの肘を掴む。サヨリはその手を握る。
「行こう」
 サヨリはキョウジの方を向く。

 擦りガラスからオレンジの夕日が入ってくる。そして車の走る音が聞こえる。キョウジは
厄介だな、と思う。

 2

 3台、とキョウジは思う。結構な数だな。
 夕暮れの室内に入り込んできた騒音は、4人の身を脅かすもの。走り去っていったあとの
残響が4人に重くのしかかる。
「とにかく、日が沈むのを待とう」
 それだけ言うのがキョウジには精一杯。なにが、とにかく、なんだ?と自ら思う。
 シンジだけは怯えもせずに、残響を歓迎していた。この音は開幕のベル、とシンジは思う。
キョウジくんのためだけのウッド・ストック。

 完全に日が沈むまで、数度、車の走る音が聞こえた。それはとても近かったり、少し離れ
たところからだったりした。ここいらをぐるぐる回っているよう。
 すぐにでも出発したいところだ。だが、奴らが周辺を見回っていることを考えると……駄
目だ。最善の策は奴らがどこか行くまでここで待機していること。けれど、アミやサヨリは
――いやサヨリはそうでもないかな――アリサワたちと合流することを望んでいる。それで
も……
 キョウジは選択を迫られる。リスクをおかしてアミたちの望みを叶えるか、身の安全を確
保してここに残るか……
「ここ、見つからないかしら?」
 サヨリの何気ない一言。キョウジの選択。後者は実は確かでもなんでもなかった。ここに
残ることもリスクがあるのだ。ただどちらのリスクが高いか……キョウジは自分の頭がどん
どん鈍くなっていっていることに気がつく。運がまだ残っていると考えたのは、浅はかだっ
たのか?とキョウジは考える。奴らがしらみつぶしに家をあたり始めたら逃げ場のないここ
は棺桶……

 さあ、どうする?

「とにかく、動きましょう。ここにいてもジリ貧。ねえキョウジくん、都市高速は近いのよ
ね」
「ああ」
「でも、敵が車で見回っていること考えると危険ね。都市高速を見回られたら、終わり。逃
げ場がないわ。遠くても、本中ICまで歩いていった方が安全じゃないかしら?車はこの辺
りをぐるぐる回ってるみたいだし、ここから離れたら少しはマシなんじゃない?」
 サヨリの言葉に反論できないキョウジ。それは俺が言うべきことなんだ、思う。キョウジ
は頭の中でにやにや笑っているイトウの死体に引き金を引く。死人に笑われたくねえよ……

「10キロってところよね、本中ICまで」
 地図を見ながらサヨリが言う。キョウジは黙って肯く。
「隠れながら行っても、夜明けまでにはつくんじゃない?」
 キョウジたちはサヨリの意見に賛成する。シンジはそれが面白くない。サヨリさん、出し
ゃばり過ぎ。それはキョウジくんのすることだ。あんたはカリスマじゃない。あんたはキョ
ウジくんに添えられた花であれば良い。それなのに……シンジはキョウジの力がなくなって
いくのがわかる。役割を取り上げられた人間の好例。あとは老いぼれていくだけなのが定石。
シンジはそれを認めない。絶対に。

 3

 家々をつたい、隠れながら進む4人。時折近くの走る車の音に怯えながら、高速を目指す。
元居た場所から離れていっているはずなのに、車の音はどこへもいかない。4人をあざ笑う
ようについてくる。
 しばらく進んで、雑居ビルで休憩。思った以上に消耗が激しく、4人の息はなかなか落ち
着かない。
「どうして、車の音は消えないのかしら?まるでついてきているみたい」
 サヨリが言う。
「まるでこっちが進んでいるのがわかっているみたい。正確な場所はわかってないみたいだ
けど」
 
 あーあ。運も尽きて、はったりも消えて……それでも逃げたい逃げたいと思うのはどうし
てだろう?ヒロ先輩なら首を吊るところ。生き延びたい生き延びたいと願うのはなぜなんだ
ろう?人間のサガ。そう言えば簡単だ。それでも、それだけでは片付けられない何かがある。
もしかして、俺は未来に何かを期待しているのだろうか。生き延びたあとに待っている人生。
そんなものに価値があるとはこれっぽっちも思っちゃいないのに。俺には「今」が全てなの
に……

 ああ、神様。

 閃き。おそらくキョウジの最後の輝き。

「そうか、トランシーバーだ。シンジ、電源入りっぱなしだよな。チャンネル回してるよな」
「うん。ケンジくんたちの声が入るかもしれないからね」
 そうだよ、キョウジくん。君はそうでなくてはならない。キョウジに力が戻っていくのが
シンジにはわかる。キョウジにはシンジの期待が伝わる。
「可能性としてはじゅうぶんあり得る話だ。このトランシーバーが発信機みたいなもんなん
だ、きっと。電波を出すものだからね。もともと敵から奪ったものだから可能性は否定でき
ない。偶然にしちゃおかしい。車が追ってくるなんてね。原因と言えばこいつしかない。仮
にそれ以外が原因だったとしても、やはりリスクがあるものは排除すべきだ」
 キョウジはシンジからトランシーバーを受け取り、床に叩きつける。
「それでも正確にこちらの位置を掴んでない。これは幸運と言うべきだ。市街地で良かった。
まだ俺たちはツイテル。行こう。ケンジたちが待ってる」
「うん」
 サヨリが笑う。キョウジはサヨリに何かを感じる。

 惚れたのかな?

 いやいや、あり得ない、と思い直しすキョウジ。そういうもんじゃない。もっと別の何か
だとキョウジは思う。もっと親密なもの……

 4

 車の音は消えた。予想が当たったのかただの偶然かどちらにしろ運気が上向いていること
はたしかだ、とキョウジは思う。
 市街地を抜けて、大きな公園を隠れながら抜けて、住宅地へ入る。本中ICまで2キロと
いうところ。このまま行けば夜明け前までには確実に高速に入れる。疲労の蓄積はあるが、
足取りは軽い。車の音が消えたこと、追われているという感覚がなくなるだけでも、4人に
とってはずいぶん楽。

 ケンジの馬鹿面を思い出してキョウジは笑う。あいつに感謝しないとな。今度エロ本でも
奢ってやろう……

 そして、車の音。

 手近な家に逃げ込んだ4人。息を潜める。車の音が離れていく。
「追ってきたのかしら?」
 いや、違う。追ってきたわけじゃない。相手は予測しているんだ。発信機が消えるまでの
動きで経路を予測している。相手も馬鹿じゃない。俺たちが高速へ向かうことを知ってるん
だ。
 キョウジは考え始める。最善の方法を。集中する。感覚を細くする。

「本中ICは都市高速と合流するポイントだ。相手は俺たちがそこへ向かうと読んでいる。
まぁ敵さんも馬鹿じゃないってことだ。そうなると方法は限られてくる。相手が網を張って
いるところに突っ込んでいくのは自殺志願者のやることだ。それなら別のところへ行けばい
い。本中ICの先に名城ICがある。そこでケンジたちと落ち合うんだ。ケンジたちの先で
待っていればいい。あいつらだってずっと本中ICで待っているわけじゃない。アリサワさ
んがいるんだ。ある程度待って先に進むと考えるはず。高速は一本なんだ。必ずそこで会え
る、名城ICはここから4キロってところだ。そう遠くはない。」
「ねえ、敵が本中ICで待ち伏せしてるんだったら、アリサワさんたちは危なくないかな?」
 シンジが口を開いた。シンジは自分が心にもないことを言っていることを歯がゆく思って
いる。下品だ、と。
「敵と交戦することになるかもってこと?」
 アミがそう言いながら、銃を向けられたケンジの姿を想像している。
「それなら、俺が様子を見に行く。みんなは先へ行ってくれ。本中ICに近づいて様子を伺
う。交戦中なら手助けするまでだ」
 キョウジは銃を持ち上げる。 
 シンジは、残念だな、と思う。キョウジの思考が鈍っていることを。先ほどの輝きはなん
だったんだろう?どうして、キョウジくんは駄目になっちゃったのかな……いや、待てよ。
ロックスターたちってだいたい最後は駄目になって死んでいった。これは兆候なのかな?そ
うだとしたら……期待はできる……キョウジくんは、今、舞い上がっている。だから良い線
まではいっても、大切なことを見逃す。アリサワの思考をトレースできていない。あの人は、
キョウジくんと同じことを考えたはず。本中ICではなく名城ICで待っていよう、と。そ
う考えた理由はキョウジくんと同じ。合流地点は決めていないけど、利用する道は一つだか
ら。先で待っていれば合流できる、と。都市高速と高速が接続する地点に敵が現れることく
らい予想できているはず。あの人はそういう人だ。ああ、キョウジくん、残念だったね。格
好良いまま死んだ――カート・コバーンとかジミ・ヘンドリクスとかブライアン・ジョーン
ズ……――連中とはちょっと違うね。どちらかっていうと格好悪くなって死んでいった連中
と一緒だ。でも、それでも、カリスマの最後というのは、感動的なんだよ。そして死んでこ
そカリスマなんだ。きっと僕は、僕らは後々こう言うと思う。キョウジくんのおかげで生き
延びられた。彼は英雄だ、ってね。
 キョウジがはりきっているのを見ながら、シンジはクスリと笑う。

 5

 キョウジは1人、本中ICへ向かっている。いつの間にか銃の重さに慣れていることにキ
ョウジは今頃気がつく。もうずいぶん担いできたからな……人も殺したし……
 不思議と気分は高揚していた。なんでもできそうな気がしていた。敵がいつ出てくるかも
わからないのに、妙に楽観的だった。
 だから、角を曲がって、車のライトを当てられた時も、キョウジはひるまなかった。体は
すぐさま反応し来た道を戻り、民家へ逃げ込んだ。車の音。エンジンが止まり、ドアが閉ま
る音。それを聞いたキョウジはこう思った。相手が何人いるかわからないけど1人ずつバラ
バラになれば、何とか切り抜けられる。高速に上がればアリサワさんたちと合流して奴らと
戦うこともできるだろう、と。

 留まることは危険だと判断したキョウジは、周囲を警戒しながら民家を出る。これまでの
キョウジなら逃げることを、明確に逃げ切ることをイメージして、行動することができたの
だろうが、今のキョウジは違っていた。少なからず戦って敵を殺す可能性を考えている。自
ら選択肢の幅を狭めて――本中ICという餌につられて――自由な発想が思考抜け落ちてい
る。高揚した気分に引きずられるように、キョウジは行動している。
 家々を移動しながら、本中ICへ接近する。
 そして、とうとう、敵と遭遇する。
 銃を構えた長身の兵士。距離は50メートルというところ。区画の反対側の角から現れた。
互いに数秒見合って、同時に発砲。どちらも弾は当たらない。キョウジは電信柱に身を隠し
時折牽制のための発砲する。銃声が住宅街に響く。
 まずいな、この音で他の奴らが寄ってくる。
 キョウジは地面や背にしている電信柱に当たる銃弾の数を数える。1,2,3,4,5……
思い切って身をさらけ出し、敵へ発砲する。兵士がひるんだ隙に道の反対側の路地へ駆け込
む。路地へ入ってからもひたすら走る。走り続ける。本中ICを目指して。
 背後で大きな声。
 銃声。
 キョウジは闇がまとわりついてくるのを感じる。体が重くなるのがわかる。それでも走る。
さらに奥へ奥へと進む。何本も路地を曲がり、家々を通る。闇が濃さをまし、からめとろう
とキョウジのわき腹のあたりを掴む。キョウジはそれでも走る。そして、もう走れない、と
いうところで、こじんまりとした庭付きの民家に飛び込む。
 居間は真っ暗で、カーテンのない窓から高速道路とその先にある満月が見える。キョウジ
は床に座っている。背と頭はベニヤの壁にくっついて離れない。顎が上がり両手は床にだら
と垂れている。キョウジは窓の先にある満ちた月を見ている。月光が投げ出された脚と脚の
間に落ちている。

 くそったれ

 と、キョウジは思う。強く、思う。



 続く






     



  十 サヨリ―0


 1

 ずいぶん遠くへ来てしまった。現実から、住んでいた土地から。それでも、わたしが考え
ていたよりは遠くない。ここはまだ日本。
 
 わたしは幼い頃から遠くへ行きたいという願望が強かった。休みがくるごとに両親へ旅行
やドライブをせがんだ。父は銀行員、母は看護士。どちらも仕事で忙しくてなかなか遠くに
いくことは出来なかったけれど……小学生の高学年くらいになると休みの日、お小遣いの範
囲で、1人電車に乗って出かけることが多くなった。小さい頃は大人と一緒じゃないと何も
できなかったけれど、大きくなるにつれて1人で出歩ける場所が増えた。遠くには新鮮な発
見があったし、何より自分の願望が充ち足りていくのがわかった。それでも、それに慣れる
と心は、体は、さらに遠くを求めるようになっていった。まるで遠くへ行くためにわたしは
生まれたみたいだ。

 この逃避行を始めたときから、わたしは興奮していた。もちろんいつ死ぬかわからないと
いう恐怖がなかったわけじゃない。それでも、遠くへ行けるということが、わたしにとって
はとても魅力的だった。それに、キョウジくんがいた。キョウジくんはわたしと同じで、遠
くへ行きたい人なのだ。きっとそうだ。マンホールから学校の外へ出た時、キョウジくんの
目はずっと遠くの地を見ていた。あの時空にかかっていた欠けた月よりも遠くを……逃げる
ことは遠くへ行くこと。生き延びることは遠くを目指し進み続けること。わたしにはそれが
わかる。わたしとキョウジくんには同じ魂が宿っている。遠くへ行くことを運命付けられた
魂。わたしがキョウジくんに惹かれたのは、その魂がともに遠くへ進んでいきたいと願った
から。キョウジくんもきっと同じ気持ち。
 わたしの魂はキョウジくんを強く求めている。二つの魂は引かれ合う。より強く遠くへ行
けるように、寄り添い、助け合い、支え合う。
 わたしはまだまだ遠くへ行くだろう。キョウジくんと一緒に。

 2

 わたしたちはキョウジくんの指示に従って名城ICを目指している。アミはケンジくんた
ちのことが気になって仕方ない様子。シンジくんはというと、そわそわと落ち着かない。目
の焦点が定まらず、ぶつぶつと何かを呟いてる。出掛けに2人が何かを話し合っているのを
見た。玄関から出て行くキョウジくんを見送った時だ。それからシンジくんは落ち着きがな
い。いつもつけているイヤホンも外して、虚ろな顔で、よたよたとわたしとアミの後ろを走
ってる。
 何があったの?って聞けたらいいのだけれど……なかな聞けるような雰囲気じゃない。そ
れに聞いたとしても、きっと、シンジくんは教えてくれない。
「ねえ、サヨリ。あとどのくらいで着くの?」
「たぶん、このペースで行けば10分もかからないはず」
 わたしたちは、もう、ずっと走ってる。民家を出てから足は止まらない。思えばこれまで、
歩いたり、走ったり、ジープに乗ったり……色々なやり方で遠くへやってきた。そしてこれ
からもずっとそうやっていくのだろう。それこそがわたしの生きる意味なのだ。

 名城ICに到着する。わたしたちは恐る恐る高速にあがる。もしかして敵がいたら、と思
うと、とても怖かったけれど、わたしはキョウジくんの予想を信じた。
 そして見慣れた一台のジープを、料金所の先で見つける。車の外に4つの人影。
「キョウジ?」
 ケンジくんの声。アミは駆け出す。ジープの傍によって、ケンジくんに言う。
「生きてたのね」
「おう」
 2人は笑ってる。わたしとシンジくんもアミの後に続いてジープの傍に来る。アリサワさ
んはタバコを吸っている。シミズさんは欠伸をしながら、夜空を眺めている。カミカワくん
は携帯をいじってる。いつもの光景……でもサクラがいない、キョウジくんも。
「サクラは死んだよ」
 ケンジが言った。わたしはもちろん悲しかった。でも、やっぱり、わたしはキョウジくん
のことを、強く想っていた。

 3

 サクラの死をシミズさんは淡々と語った。敵から逃げる最中に流れ弾に当たったのだそう
だ。そんな危ない役目に立候補したサクラの気持ちをわかってか、アミは泣いてる。
「シミズさんと一緒にいられたなら、良かった」
 泣くアミ。シミズさんは困った顔をしてる。
「そうかな」
「そうですよ」
 アミの言葉に、シミズさんは一瞬だけ唇の端を持ち上げる。

「とにかくあいつを待ってみるか」
 アリサワさんがそう言った。ケンジくんはもとよりそのつもりといった顔。わたしだって
そのつもりだ。キョウジくんが来ないなら、進みたくない。
 アミは泣き付かれて、荷台で眠ってしまった。シンジくんも、疲れたから、と荷台に入り
イヤホンもつけずに、寝転がってしまった。
 ケンジくんはキョウジくんの姿を一番先に見つけようと、ずっと、道の先を見ている。
「まったく、相変わらず世話の焼けるやつだ」
 ケンジくんはそう言って笑ってた。
「キョウジくんだもんね」
 わたしがそう言うとケンジくんは、頭をぼりぼりと掻いて、マイペースなとこあるからな、
と言った。

 わたしがジープの後輪を背もたれに体育座りしてると、アリサワさんが隣りに座った。タ
バコを口にくわえて、鼻をすすって、わたしに一冊の本をくれた。シリトーかしら、と思っ
て表紙を見ると、それはケルアックの『路上』だった。わたしが世界で一番好きな小説。
「待ち長いだろうからさ」
「ありがとうございます。大好きなんです」
「なんだ読んだことあるのか」
「わたしは自分のことをディーン・モリアーティの直系だと信じてます」
「そいつはいいや」とアリサワさんは笑った。「そいじゃキョウジの野郎はパラダイスの生
まれ変わりかな?」
 それを聞いてわたしは笑う。どうなんですかね、と。

 4

 『路上』のページをめくりながら、文章だけを目で追って、頭の中は別のことを考えてる。
これからどうなるのか、とか。富士に行ってどうなるのか、とか。世界はこれからどう変わ
っていくのか、とか……サル・パラダイスとディーン・モリアーティは元気にアメリカのあ
ちこちを動き回ってる。
「そっちはさ、どんなだったんだ?」
 ケンジくんがわたしの隣りに座る。立ってるのに疲れたみたいだ。わたしは本を閉じて地
下鉄から脱出したこと、トランシーバーでケンジくんの声を聞いたことを話す。ケンジくん
も自分たちがどうやってここまで逃げてきたか話してくれた。
「結局、その後シミズさんを駅の反対側で拾って、都市高速にのってここまできた。アリサ
ワさんが名城ICでキョウジたちを待つと言った時はちょっ許せなかったけど、正解だった
んだな」
「うん。キョウジくんの予想どおり」
「あいつ、遅いな」
 ケンジくんは白んできた空を見上げる。満月は薄く透き通っていて、月がいつも隠してい
る、星空まで透けて見えそう。わたしとキョウジくんはその先まで行くんだ、とわたしは思
う。

 5

 いつの間にかケンジくんはアスファルトの上で鼾をかいてる。見るとアリサワさんとシミ
ズさんもそれぞれ助手席、運転席で眠ってるみたいだ。起きているのはわたしだけ。『路上』
のページをめくる。
 いつの間にかわたしは泣いている。涙が紙面に落ちて、紙がささくれる。文字を円形に濡ら
し、なおも、涙は流れ続ける。

 全ては、もう、終わってしまったのだろうか。旅も夢も道も希望も、アスファルトに落ちた
夏の夕立のように、蒸発してしまったのだろうか。遠くへ、遠くへ。それでもまだ、わたしは
求めている。心は一歩も進みたくないのに、それでも、体は、芯の部分が遠くへ行こうと心を
引っ張り続けている。血が少しでも遠くへと満ち干きを繰り返し、皮膚が、髪の毛が、爪が踵
が、親指が鼻先が、わたしを、影ごと遠くへ引っ張っていこうとする。
 満月が消えて、暴力的な朝日がアスファルトにジープの影を長く伸ばす。

 半身を失った、不十分な魂のわたしは、それでも、遠くへ行こうという願いだけ、捨てられ
ないでいる。


 続く



       

表紙

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