Neetel Inside 文芸新都
表紙

冬の旋風
冬の旋風  「承」

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一、半蔵の指示と彦の決断


 天正十六年八月、この物語の半年前の事であるが、徳川家康(武蔵大納言とも呼ばれていた)は、太閤秀吉の命により関東へと領土を移された。
 当時の江戸の様子は酷い有様であったと伝えられている。
 足場の悪い沼地に、至る所に流れる川、開墾されていない荒野原、更に城に至っては老朽化した非常に粗末なものであった。
 徳川家康はすぐさま大規模な開拓と、城下の整備を整え始める。
 自分の居城は最低限に止め、城下の開拓を優先し、人が済める町並みを作るために日夜働いた。
 
 時は天正十七年一月に戻る。
 場所は、話にあった江戸の寂れた寺院。
 かつては盗賊でも住んでいたのだろう、金属と言う金属、紙から何まで奪われ、もはや廃墟と言う状態であった。

 まだ昼間の埃が江戸の空を舞散り、障子に掛けた埃避けの麻布は、外側半分の色が違っていた。
 これは今日が異常なのでなく、急な埋め立てで地面が固まっておらず、江戸の町は日夜埃に包まれていたのだ。

 柊老人より遣わされた彦と言う名の忍は、休むことなく僅か六日で江戸の町まで着いた。
 行灯の光は弱々しく、隙間風によって運ばれた埃が入り口に溢れている。
 彦は事前に用意された膳の前で、額を床に擦り付け、彼らの棟梁が来るのを待った。

「彦よ、良く来てくれた。じゃが今は大したもてなしは出来んぞ」
 細身だが、針金が何本も重ねて出来たような逞しい体を持つ三十代の男が、彦と呼ばれた男の前に立つ。
 顔は浅黒く、髪は長く片目が隠れている。
 墨のような色をした忍装束の上半身を脱ぎ、半裸の状態で今彦の前に居る男、この男が服部半蔵である。

「御頭様も御健在で、何よりで御座います」
 彦は頭をべったりと床に付け、決して頭を上げようとしなかった。
 彼の怖さは、柊老人以上なのである。
 何より、誰も居なかったこの部屋の中に、入り口からでは無く
(闇の中より、突如現れた)
 これだけの術者を前にすれば、いかに肝の太い豪傑であっても言葉は出ないはずだ。
「まぁ、そう脅えるな。酒をやる、呑め」彼は杯に並々と酒を注ぎ、彦の前に出す。
 これも試験の一つ、肝を試されているのだ。
 少しの動揺で酒はこぼれる、こぼれれば・・・彼の忍としての将来は無いであろう。
「頂きます」

 覚悟を決めた者は強い、彦は覚悟を決めると手の震えも無く一気に飲み干した。
「流石である、彦よ。お前の覚悟、しかと見せてもらったぞ」
 報告の度にこの様な事をされては、部下はたまった物ではないが、彼は部下にこの儀式を与える事で覚悟と伊賀忍の誇りを植付けていった。

 また、多くの棟梁は姿を見せること自体稀で、中には決してその姿を見せない棟梁も居るが、半蔵と言う男は必ず自分への報告は自分が本人が直接出向いていた。

「近頃は風魔の愚か共が良く江戸へ悪さをするので困っていたよ、お前のような素晴らしい肝を持つ男がもっと居れば良いのだがな」
「私には勿体無い御言葉で御座います」
 彦は再度ひれ伏す。
「素晴らしい男は、臆病さと覚悟と信念、そして肝を持つ。お前は十分兼ね備えてる、誇ってよいぞ」
 彼の言葉は、彦の心の恐怖を取り除き自信を与えるに十分すぎるほどであった。

 彼らは一言二言話した後、彦は本題に入った。
 
 にこやかに笑い、半蔵は口を開く、
「あの老人らしい。わざわざ彦を使いに出してまで確認を取らせるとはな」
 麦の飯と佃煮、沢庵に、薄く刻んだ大根の味噌汁のみと、非常に質素な食事を酒を啜りながら旨そうに食べている。
 少しして、彼は目を閉じ、思慮にふけったが直ぐに目を開き、
「彦よ、お前は直ぐに越後へ行け。多分その二人は未だ越後を越えてはいないだろう。それと我が配下の者を十人連れて行け、風魔との戦い方は心得ている」
「ではあの者らは風魔の手の者でございますか」
 彦はつい興奮し、半蔵へ質問を投げた。その後すぐに、我に返り頭を伏せた。
「女の方は分からぬが、男は風魔の元戦忍であることは間違いない。小田原攻めの際に手下数十名が仏となった」
 辺りは、風の音しかしない。稀に砂利が木の柱を叩く音がする程度の静けさであった。

「風魔の戦いに長けた者が居ればやり方は随分と変わるであろう」
「恐縮でございますが、柊様への御連絡はどのように」
 半蔵はニヤリと笑い、
「気にするな、あの老人はすでに動いている。いつもの事だ心配するな。念の為に代わりの者を使いに出しておく。心置きなく行くが良い」
「何から何まで、誠に有難うございます。では失礼致します」
 彦の体は闇に溶けるように半蔵の前より消え去る。

 一人残された半蔵は満足げに酒を飲み、座ったままの状態で闇へと溶け込んだ。
 室内にはまだ行灯の火が灯っていたが、それも間も無く消えた。


 外へ出た彦は、すでに準備されていた忍び十名を率いて、すぐさま北へと走っていた。
 その速さは並ではなく、10日もあれば越後、江戸間を往復出来た。
 
「俺は、伊賀の為に死ぬ・・・」
 彦は半蔵に会い、話し合った事で自信を得ていた。
 幾つかの試験を問題なく超え、並みの忍び以上である己の実力を興奮へと奮い立たせていた。
 半蔵はこう言う人心掌握術に優れ、配下を死を恐れぬ兵(つわもの)へと変えている。
 
 彼ら十数名の決死隊は、風の如く夜の山中を突き進んだ。


 その頃、柊老人はと言うと、
「では行って来ます」
 そう言うと近所の農夫達に別れを告げ、越後にある秘湯へと旅立った。
 農夫達にとっては、金回りが良く、無償で茶碗や土鍋を作ってくれる気のいい爺さんであった。
 だが当然、彼の言う秘湯巡りは嘘であり、竹林に入るやいな、服を素早く着替え行商人に成りすました。
 忍には表の仕事が必要である。
 現代社会と同じく身分を証明出来る物がある方が好ましい。
 彼等の表の顔は都合が良い隠れ蓑であり、仲間達の隠れ家にも役に立つ。
 多くの潜入工作員は傍目で見ればただの住人なのだ。

 事、柊老人でも同じである。
 任務終了後は元の通り、陶芸を生業とする、気の良い爺様へと戻らねばならない。
 美濃は、上方と関東を結ぶ重要拠点であり、仲間達の情報が行き交う場所として、これからも在り続けるのが好ましいのだ。
 ましては、お得意様に太閤秀吉が居るのだから、表の仕事を辞める訳には行かない。
 彼は人目が無いと分かると、すぐさま走り出し、慎重に一里眼で確認しながら飛ぶ様に越後を目指した。


 
 時は天正一月下旬、薬を求め、薬学者を捜し求める二人
 それを阻止せんと忍び寄る伊賀の凶刃は
 雪深く積もる、この越後で初めて相まみえる事になる。
 





     

 二、血の後には甘い落雁を


 れいと、ひとつは、雪深く積もる越後長岡の町に居た。
 日本海から吹き付ける風は冷たく、昼間であると言うのにあまり人の気配すら感じられなかった。
 海から町を越え、山のてっぺんまで、厚い雲に覆われ、
「大雪が近い」
 と漁師も旅籠も、果ては商屋ですら疎らに店が開いているに過ぎなかった。


「今夜は一段と冷えるようだったぞ」ひとつは、手を擦りながら部屋へ入ってきた。
 ここは越後長岡でも名のある旅籠の一つ、山岡屋の二階。
 二人はここに二日ばかり泊まっていた。
 名目上は薬屋の番頭夫婦で、新しい買い付け先と、東北の市場調査と言う触れ込みだ。
「こうも話が進まぬとは、予想以上だ」れいは、少し不機嫌な顔と口調だ。
 予測や楽観視した希望など宛てにはならない。
 石田三成や島左近の話では、「高名な」、「東北に住む者にとって神様のような存在」と、探すのに苦労する相手ではないと彼らは伝えた。
 つまり今回の旅は、その薬学士を探すことから始めねばならないのだった。
 れいは、ある程度こうなるであろう事は予見出来たが、悪天候も加わり中々情報は得られぬままであった。
「で、ひとつ。お前は何処へ行っておったのだ」ムスッとした顔で、れいはひとつの顔を見た。
「ん、ああ。色町にちょっとな」
「不潔な奴め」今日のれいは若干トゲがある。
「城の小侍従してて忍働きのやり方も知らんのか。何か情報を得ようと思ったらまず色町で女を抱いて聞き出す物ものだぞ」
 相変らず彼女の顔色は良くない。まぁ、情報収集の成果を挙げられなかったのだから、まぁ仕方ない。
 少しして、ますます顔色の悪くなったれいは、
「厠だ。付いて来ないでよ」
 そう言いふらふらと部屋を出た。
 下の階へ行き、酒を頼んで部屋に戻る。ふと、れいが座っていた場所を見ればまだ新しい血痕があった。
 廊下へ出て、行灯で辺りを灯すと同じように血痕が厠へ続いていた。
 ひとつは、懐から手拭いを出すと、再び下の階へ行き。湯で濡らし、その手拭いで廊下と部屋の血の染みを消していった。


 半刻ほどして、れいが部屋に戻ったとき彼女は風呂から出たばかりのようであった。
「具合はどうだ」ひとつが酒を飲み雪を眺めながら彼女に聞いた。
「女に聞く質問じゃないぞ」れいは顔を赤めて部屋の戸を閉める。
 先ほどまで座っていた場所には座布団が敷いてあり完全に消し切れなかった血の染みを隠している。
「・・・ひとつ、ありがとうな」
 照れ臭そうに、顔を背けながら彼女は言った。
「健康な証拠だて、気にするな」ひとつは、気持ちよさそうに酒を飲み干し、大根の葉の漬物を口に入れる。
「汚い血故に、ほって置いても良かったのに」
「ケツの穴から出たわけでもあるまい、頭から浴びても問題ないわ」
 笑いながられいに笑みを投げかける。
「変態め・・・」
 これには流石に引いたようだ。

 笑いが収まった頃、ひとつは懐から小さな箱をれいに投げて渡した。
「これでも食って機嫌を直せ」
 包みを開けると中から花の形を模した落雁(らくがん)が出てきた。
「ひとつ、これは」
「ああ、色町の帰りに開いていた菓子屋から買ってきた。加賀の銘菓らしいぞ。食えるか」
 れいの目は輝く
「あぁ、夢のようだ。一度でいいから好きなだけ落雁を食べてみたかったんだから」
 ”大阪には菓子は無いのかと聞く”と、ひとつが聞くと、れいは小侍従の時代の話を始めた。

「落雁は太閤様もお好きな菓子でな、加賀の前田殿も良く持って来ておったが、なにぶん数に限りがあるだろう。太閤様、淀様、その他多くの老女様が食べられると私の口には、落雁の粉しか入ってこなかったのだから」
 あれだけ大きい城、有り余る金を持って居ながら下の者には落雁の粉しか口に入らぬとは。
 ひとつは、れいの小侍従時代の素直な話しを聞き、含みを笑いを見せた。
 彼女は無心で落雁を旨そうにほおばった。



 やがて夜も更け、深々とした無音の刻が過ぎる。
 山岡屋からも光が消え、誰もが寝静まった雪降る夜。
 墨のような色の服を着て、音も無く走る十一の影が山岡屋を包む。
 彼らの目は夜の闇の中でも良く見え、梟の様に研ぎ澄まされた夜の狩人そのものであった。
「彦様、ここが彼らの隠れ家との話です」
 闇の中より囁き声が聞こえた、それの声に対し彦と呼ばれた男は無言の了解を示し、全体を旅籠の周りへ散らばらせた。
 五人は突入組、三人は山岡屋二階の屋根での待機、残り三人は少し離れた所からの見張りを行う。
 突入組の五人は静かに様子を見守った。


 その頃、山岡屋二階の、れいとひとつが泊まっている部屋では、忍特有の嗅覚で敵の接近に気付いた。
 二人は音も無く同時に布団から起き上がると、服を着替え、準備が整うまでお互いに敵の音を確認しあった。
 
「敵の数は約十人。近くに六人、少し離れた所に二人、山岡屋を見張っているのが二人」
 微かな音と気配だけで大まかな人数と場所を当てるだけでも流石としか言いようが無い。
「れいよ、具合はまだ悪いか」ひとつは鋭い眼差しを向けた。
「風呂に入ったのが良かったと見える。あと落雁のおかげでかな」まだ腹が痛むのか少し冷や汗をかいている。
「無理をするな、とは言えないが生き延びるには血だの何だの言えないから気を張って行けよ」
 すでにひとつの目には生来の戦忍の顔になっている。
 判ってはいたが、やはりこの男は別格の強さがある。数刻前の冗談を言う男ではない。

 その時
 窓は破られ、激しい音と主に刀を振りかざす夜の化生達が室内に入る。数は四名
 その男達は最初の不意を狙う一撃が外れると、すぐさま懐に手をやり新たな殺しの道具を掴んだ。
 
「忍法 風閂」

 れいとひとつは、同時に右手を左肩まで引くと
 彼らの体は音も無くバラバラに切断された。
 返り血が部屋に溢れ、異様な鉄と汚物が混じったような匂いが立ち込める。
 ひとつは瞬時に部屋の四方に張った風閂を剥がすと、バッと窓から飛び出しその際に、れいの仕掛け針を数本投げ更に二名の体の自由を奪う。

「追え、奴は一人だ」
 追っ手の忍の音は三名、中には彦の姿もあった。

 その頃、れいはすぐさま風閂の回収を終わらせ、店の裏門を出ていた。
 忍道具を置き去りにしてしまうと後々面倒になる。
 ここ数日の越後滞在の中、ひとつはれいに何度も扱い方と緊急時の簡単な回収方法を伝えていた。
 こういった日々の練習がここ一番で役に立つ。

 店から出て、一つが走った方向と真逆の裏道に入った瞬間、超低音の振動波がれいの耳に伝わる。
「(まずい、見つかった)」
 その笛は犬笛と呼ばれるもので、特殊な音波を出す。しかし人間の耳の聞き取れる範囲ではない為、普通の人間であれば何も感じることは無い。
 しかし、忍の中では特別な耳栓をする事でこれを聞き取れるようになっている。
 れいは天然で、この音を聞き取れた。

 彼女は足跡の事など気にせず、全力でこの危険な場所から抜ける事にすべての力を使った。
 猿飛びの術に長けた彼女も街中や平地では、特別速い訳ではない。
 少しでも早く山か林に入ることが出来れば彼女の独断場だ、しかし敵も然る者
 次々と走りながら投げてくる十字手裏剣に彼女は間一髪で、かわしながらも背中に一つ、右足の腿に二つの深い傷をおう。
 所々で仕掛け針を投げ追跡者の二名の内一名に目と鼻の下の急所に当て殺し、残りの一人には両腿へ深く当てる事で出来間一髪で山の中に入る。
 ここまでくれば多少大きな傷があろうと、猿飛びの術に長けた彼女を追跡することはかなわない。
 いくら血の跡、足跡があろうと翌日には雪が綺麗に消してくれる。
 彼女はそれでも一刻の間は飛び回り、朝の日が出始めた頃に、ひとつと落ち合う場所とした山寺の麓に付いた。
  
 彼女は石段を登ろうとしたが大量の血が抜け、(生理も重なり)貧血を起こしその場に倒れてしまった。




 雪はまだ降り続けている。
 真っ白な静寂の中、れいはひとつの顔を思い出し
 そして気を失った。





 
 

     

三、忍法 影はたき

 もし、何らかの運命の働きが別の方向を向いていたら、この物語はここまでで結末を迎えていた。
 
 日の出から四半刻程であった、寺の小坊主が寒い手を擦りながら雪掻きを始めようとした時
 石段に倒れている少女を見つけた。時既に彼女の体は雪が積もり、体は冷たくなり始めていた。
 小坊主は驚き、兄弟子を呼び、二人がかりで寺の中まで連れてゆく。

 彼らは当時の僧侶としては大変生真面目であった。
 小坊主と住職は血止めを行い、手足を湯で洗って必死に彼女を看護した。
 その成果もあり、昼ごろには顔色は良くなり夕方には目を覚ますことが出来た。

「良かったなお嬢さん。貴方は今朝方、石段の上で死掛けて追ったのですぞ」
 まだ、状況が飲み込めないれいは、黙って周りを見渡した。
 多くの寺は、この戦国の中で焼き払われたり、野武士が金品を奪い廃墟となっているのだが、この寺にはそう言う廃れた感じはしなかった。
 まるで”国が守っている”と言うような感じである。
「まだ具合が悪いのですか」小坊主は、れいを気遣い言葉をかける。
 ふと、昨夜のひとつとの冗談話を思い出した。

「(奴の事だ、時期の駆け込んでくるであろう)」
 彼の腕を信頼はしているが、やはり心配ではある。
 ひとつを思い出すと、ふと自分が生理中である事を思い出し、体を調べた。

(ああ・・・やはりな)
 まだ股間の出血は止まっては居ないようだ。
 こればかりは”仕方が無い”と諦めるよりなかった。
 知識の無い小坊主は住職に
「この人、股からも血が出てます」
 と言って住職が苦笑した事は彼女には秘密だ。
 
 
「だいぶ好いです。助かりました」
 厚く感謝を住職と小坊主に伝える。住職は笑みを浮かべ小坊主を部屋から下げる。
 住職は相変らずニコニコと笑みを浮かべ、夕餉の膳を彼女の前に据えた。

 夕餉の膳は、菜の漬物と麦と粟を長い時間に込んで作った味の薄い粥、そして具の無い味噌汁のみであったが、彼女は腹の中にかき込み、失われた血を補給した。

 食事を終え、礼を述べると住職はこう言った。
「気になさることは無い、仏の御加護である。しかし、そなたの体は小坊主には毒ゆえに今夜中に出て貰いたいがよろしいかな」
 相変らず笑みを絶やさない。
「それは申し訳ない」
「はは、言い方が悪かったようですね。貴方にはこの様な女人禁制の禅寺でなく尼寺へ移って欲しいのです。すでに相手方の了解を得ています」

 彼の言い分は、この山の更に高地に尼寺があり、そこの温泉は大変傷に良いとの話。
 れいは少し考えたが、自分がここに居ることでの寺への迷惑を考えると素直に移ったほうが良さそうだと考えた。
 何より、傷の介抱してもらった中で、自分が”ただの女”ではないことを既に知っているのだろう。
 その上での誘いなので、受けておくべきと判断した。

「何から何まで忝く、いずれこの御恩はお返しさせて頂きます」
「気になさらずとも結構、他には何かありますか」
 彼女は住職に自らの名を伝え、”ひとつと言う男が来たら御連絡をお願いします”とだけ伝え、瞬時に部屋から飛び出し、山を登り始めた。
 急ぎの旅ではある、しかし彼女はひとつが来るのを待たねばならない、少なくとも数日の間は待つべきであろう。
 任務と同行の仲間との間に心揺れながらも、忍の術は見事な程回復していた。
 それは、寺の周りを歩く小坊主達に全く気取られる事のない見事なものであった。

 この日も雪は降っていたが、昨日ほど酷くはなかった。だが石段は凍って滑りやすくなっている。
 当然、忍である彼女は石段など使わず木々を利用し石段の続く先にある尼寺へ向かう。

 

 話は昨夜、ひとつの逃走劇の方へと移る。

 ひとつは腰に差す二本の脇差で左右からの剣戟を避ける。
 敵は三人、姿は同じだが技術が違う者が一人、恐らくこの一団の頭が奴だ。
 その男は仲間の二人から少し離れ、二人の攻撃の合間に攻撃を加える。
 シュッ と風を切る音と共に細長い棒手裏剣がひとつの頭上をかすめる。
 瞬時に体を反らせなければ即死だっただろう
「ちい、邪魔な奴らよ」
 ここ四半刻、休み無く三人の攻撃を受け続けさすがに、ひとつも苦しい顔を見せる。
 ふと、れいの顔が頭に浮かぶ
「(しっかり逃げ切っただろうか・・・)」
 頭から戦いが一瞬だけ抜けてしまう。
 その瞬間、足を軽く滑らす。
 (まずい)
 ほんの少しバランスを崩しただけであったが、そのホンの一瞬を察知し、三人の忍は三方向から同時にひとつに攻撃を仕掛ける。
 逃げ場は無い。

 時間にすれば火打ち石が火花を散らす程度の一瞬、言葉を発する際であれば口が開く前
 そのくらいの短い時間、ひとつは高速で思考を凝らす。

(どこを斬られるべきか・・・)
 無傷での生還は無い、ならばどこを斬られればこの死地より抜け出せるか。
 この考えは広く、忍だけでなく当時の侍にも在った。
 しかし、当然実践で行えるものは少ない、痛みを伴うのは誰でも断りたい。
 また、今後の生活を考えれば不便でもある。

 しかし、本格的な戦士は躊躇無くこの考えを実行に移す。
 真の死人で無ければ行えない、究極の思考。

(足はまずい、腹もダメだ、ならば)

 足を凪ぐような剣戟をひらりとかわす、足の指スレスレを刀は抜ける。
 次に行ったのは、手持ちの脇差で右から来る敵の頭を叩き割った。
 最後に、空いた左手を前から斬りつける忍へ向ける。
 脇差を手に持ち、可能であれば相手の刀を止めるつもりであったが、正確な位置を確認できぬまま出した左手は手首から切り飛ばされる。

(いまだ)
 鮮血が飛び交う、敵味方の血が白い雪の上へ舞い散る。
 湿った風が周りを包む
(林風の術)
 林の如く静かに、風の如き速さで思考をめぐらす。
 いわゆる無我の境地へ自分を追い込む術法である。
 ひとつの目の風景には色が無くなる、音が無くなる、寒さも消えた。
 ゆっくりと自分も敵も動いていく

 ひとつは、敵の位置と現在の動作を確認、すぐに体を回転させ標的を目の前の男に決める。
 相手はまだ刀を振り下ろした瞬間だ。
 
 ひとつの体は空中で縦の回転へ移行し、目の前の敵の頭へ踵落としを食らわせる。
 ここで林風の術は解け、蹴りつけた敵を踏み台に真正面から逃げに徹した。
 ふわりと雪の大地に足を着けた瞬間。

「忍法 影はたき」
 背後で聞こえた声、ひとつは一瞬で体中が痺れる。
 手に持つ脇差を持つだけの力も入らない、膝も崩れ、足に力が入らない。 
 ほんの数秒、それだけの体の痺れであったが勝負は決まってしまった。

 術者はやはり彦であった。
 彼は術を掛けた直後にすぐ動き出し、ひとつの体を即座に拘束した。
「(すまない、れい・・・)」
 首の裏を強く打たれ、ひとつは昏倒してしまった。


 彦は声も出さずに生き残った仲間を叩き起こし、即座にひとつを持ち上げ
 ふたりはその場から逃げ去った。


 山岡屋の主人達はようやく動き出し、奉行所へ駆け込んだ頃の出来事であった。

     

四、 毘沙門天の湯

 そこに着く前にれいは、忍道具を木の根元に隠した。
 先方は自分の正体を既に知っているかもしれない。
 しかし、危害を加えるつもりが無い事を伝える必要があると考えた。

 相手は尼だ、ただの僧ではない尼だ。力が無い者達が自分を受け入れてくれる事に感謝せねば。
 自分には、そう多くの味方は居ない。
 少しでも多くの味方と情報を入れてこの危険な任務を早く終わらせねば・・・


 門の前で彼女は千里眼を使い、ひとつを探したが見当たらなかった。
 合流するには遅れている、何か問題が起きたのであろうか・・・
 彼女は不安を胸に尼寺の門を叩いた。

 すでに日は落ち、今日の日は終わりを告げようとしている。

 
「失礼、どなたかおられますか」
 返事は無い。
 さてどうしたものか・・・
 下の寺で貰った、羽織を被っていても底冷えが体を包む。
「温泉かぁ、温泉入りたいなぁ」
 門の前で体を丸める、彼女の細い体がガクガク震えた。
 
 ギギ・・・
 門が音を立てて少しずつ開く。
 飛び上り、門の前に立つと二人の年老いた尼が手招きで彼女を呼んだ。
 れいは、頭を下げて中に入る。

「お話は聞いていますよ、体が治るまでここでゆっくりすると良いですよ」
 その尼は、れいを連れて硫黄の匂いのする庭へ連れてゆく。
 真っ黒な空から白い雪が止め処なく降ってくる。
「滑らないように気をつけてね」
 その尼はひょいひょいっと石の上を飛んで離れの小屋に行く。
 れいは、その後を出来る限りゆっくりと歩いた。

「手拭いと寝巻きをこちらに置いておきます。今着ておられる服は後ほど下の者が引き取り明日洗濯をしておきます」
「そこまでお手を掛けて頂かなくて結構です」
 慌てて遠慮をしたが、尼もニコニコと笑顔を見せ、そのまま小屋から出た。
(下の住職とといい、気味が悪いな)
 そうも思ったが、今はとにかく寒い。
 体の細いれいの足はもう余り感覚がない。
 急いで服を脱ぎ、唯一汚れている下着のみ手に持って温泉に入った。
 

 美しく湯煙を彩る雪化粧
 湯船には先客の猿と猪 
 れいの長い髪を束ねた、髪止めを
 すぅっ と外し、長い髪は重力に従い ふわりと彼女の背中に落ちてきた。
 若々しく白い彼女の肌は、立て掛けられた行灯の光で鮮明になり
 小振りな彼女の胸、細く長い足、体は小柄、顔は童顔
 普段の彼女は、どちらかと言うとまだまだ子供と言う感じではあるが
 この時の彼女の姿には乙女とは思えぬ魅力があった。


 足から湯船に浸かると、意外と高温でなく直ぐに体全部を湯船に浸からす事が出来た。
 頭まで湯の中に入れ、血と土で汚れた体を綺麗にし、彼女が普段から発する爽やかな花の香りがし始める。
「いきかえるぅ」
 心から発する幸せ声、ようやく足の指まで熱が行き届いた。
 あまり熱過ぎない為にどれだけでも長居できた。
 
 ついウトウトと湯船の上で寝入ってしまった。


 それからどれだけ時間が過ぎたのだろう。
 静かに誰か湯船の中に入ってきた、湯の波がほんの少しだけ揺れた。
 れいは、疲れているのか・・・それとも彼女が完全に気配を消していたのか。
 れいは、彼女の接近に気が付かなかった。

 その女性は肩まで湯に浸かり顔を洗うと、吸い込まれそうな闇に向かって、
「女性の入浴を除き見るのは礼儀がないことよ」
 その女性はやんわりと言い放った。
 すると、その闇より年老いた男の声で返事が返ってくる。
「なぁに、婆さんと子供には欲情もせんよ、不識院様」
 闇の中より小柄で歯並びの悪い老人が現れる。
「相変らず口が悪い男、それにその名では呼んで欲しくないものです」
 彼女は立ち上がり、柔らかい声ではあるがその声には威嚇の色があった
 彼女の背中には毘沙門天の刺青がある。
「怖い怖い、毘沙門天様を怒らせてはならんな、じゃあ内容だけを伝えましょうか」
 男は、怖がる気配もなく
 ”カカカ”と笑い闇の中へ溶けると、突然彼女の後ろから現れた。

「不識院様、まぁワシがその名で呼ぶのは許してくだされ。長い付き合いではないですか」
 不識院と呼ばれる女性は背を向けたまま再び湯の中に体を浸けた。
「敵味方であった頃からだな」
「カカカ、失礼ですが不識院様は、今おいくつですか」
 その男はれいの寝顔を微笑みながら見ている。
「家督を譲って以来数えてはいません」
「六十を越えたあたりですか、しかしまぁそれでもだいぶ若く見えますよ、まぁその体では男は寄らんでしょうが」
 彼女の体はまるで鋼の様に堅く、そして無数の刀傷が痛々しく残る。
「加藤よ、用件をはよう言え。あと助平な目でこの子を見るなや」
 恥ずかしさを紛らわす笑いを出し、石の上に腰掛けた。
「この娘に用があるんですがなぁ、中々目が覚めん。だらしないモノだ」
 加藤と呼ばれた男は小石を拾って”ひょい”と、れいの頭に当てた。

「痛い」情けない声を出し、体を湯船の中で滑らせ全身が湯の中に沈んだ。
 頭を湯から出すと見知らぬ女性と、老人が目の前に
「(あれ・・・何がどうしたの)」寝起きで頭が回らない。
「小夜よぅ、爺ちゃん情けないぞ。そんなんでよう忍働きが出来ると思うとるの」
「・・・加藤の爺様か」
 加藤段蔵、幻術の天才にして広く名を知られる大忍者。
 かつては上杉、その後は武田の忍として仕えていた。
 自由奔放にして神出鬼没、鎖を付けてでも拘束は不可能。
 その為に出来た通り名が”飛び加藤”
 すでに九十を越えた年の筈だが年を感じさせぬ逞しい肉体を持っていた。

「ようやく思い出したか、そしてお前を助けてくれたのがこちらの御方だ。御挨拶は済ませたか」
 加藤の指が動くと、れいは慌しく起立し頭を下げた。
「加藤、おやめなさい。女性に恥をかかせるのは許しません」
 加藤が両手を上げると術は解け、そのまま再びれいは湯船に落ちた。
「ははは、バカな孫程かわいいもんです。ほんの戯れですよ」
 湯の中から頭を出したれいはふてくされた顔をした。
「小夜とやら、安心しなさい。特にお前に悪さをするつもりはないし、お前が欲しい話も教えてやれるやもしれんぞ」
 突然の話にれいは言葉を呑んだ。不識院は彼女の顔を見つめると次の言葉を伝えた。
「加藤も何やらお前に用があるようだ。加藤の話が終わったら私の話を聞いて欲しい」
 不識院は加藤を見る。

「とりあえず風呂上ってからだな、その貧相な体と年寄りの体が目に悪い。夢見が悪そうだ」
 言い終わるやいな、加藤の両頬に濡れた手拭いが二つ飛んできた。




 寝巻きに着替えた二人の女と、一人の男が寺の離れの部屋に集まる。
 部屋は薄暗く、行灯はひとつのみ。
 加藤はだらしなく横になって寝そべっている。
 不識院は二人の顔を見、口を開いた。
 辺りは静まり夜の底冷えは彼女達の湯上りの温かさをすでに奪っていた。

「では加藤、用件があったのだろう。彼女に伝えなさい」
 加藤のシワだらけの顔から緩みが消える。
 目は冷たい忍の”それ”になった。
「あえて今の名で言おう。れいよ、ひとつと言う名の風魔忍が伊賀者の手に捕まっておったぞ」
 れいの顔と目も、先程までの者ではなくなる。
「昨日、別の仕事で長岡に行った時に伊賀者の”宿”を見つけてな、ついでに何か話は無いかとちょいと中を覗いてみたんじゃが」
 ここで言う宿とは、今で言う秘密基地の様な物で、同胞の秘密の隠れ家の事だ。
 ついでに覗くとは、潜入調査の事だ。
 ”ちょいと”と言えるほど楽なものではない、だが飛び加藤にすれば”ちょいと”で済む程度なのだ。
 これだけでも彼の能力の高さが窺える。

 加藤は、この底冷えの雪山の部屋の一角で、れいの体の底に眠る忍の血を呼び覚ます話を伝える事になる。











     

五、繋がり

 
 忍の命は非常に軽いものだ。
 いうなれば使い捨て。
 ただそれは、戦国の世の中では忍には限らない。
 
 
 加藤は、静寂なるこの雪夜の中、ぽつりぽつりと話を始めた。

「長岡の街中に上代屋と言う具足を売っている店がある、そこが伊賀者の宿だ。わしはいつも通り連中の仲間の一人を殺し、そいつに化けて店の中に入った。屋敷は中々の物でな、倉庫蔵が二つと店構え、更に使用人の長屋、主の館と縦横5町はある広さだ。その中の一つ、倉庫蔵の中で悪平・・・いや、ひとつを見かけた」

 ここからは、ひとつと伊賀忍の視点で話を進める。

 あの夜、彦達がひとつを担いだ際、部下の一人が上代屋に犬笛の連絡を送り仲間の死体の回収を行った。
 あの夜の生き残りは五名、彼らの予想以上の損害が出た。
 その上で最も重要な女の方は逃してしまったのだ。

 彦はすぐさま倉庫蔵の地下の秘密の通路を通り、拷問部屋へとひとつを運ぶ。
 今だに意識を戻していない風魔忍に対し、彼は切断された手首の切断面へ竹串を差し込んだ。
「ぎぃぃ・・・」
 飛び跳ね、痛みを歯を食いしばって耐えた。
「おい、お前。私が判るか。私は伊賀忍の多喜彦重郎、今は落ちぶれたが、かつては甲賀五十三家がひとつ”多喜勘八郎”の孫である。父の代に我が家は大きな失態を行い、甲賀を捨て、訳あって伊賀の忍となった。これからお前に質問をするが、全て正直に話して欲しい。私の拷問は辛いぞ」
 苦痛に歪むひとつの顔、
「あの女と同行をし始めそう長くはないと思うが、女の口を割らせることなど忍にとって訳ないのだろう。知っている話を全て話せば開放してやる」
 ひとつはニヤリと笑い、
「貴様が欲しいような情報などないぞ。どうせなら女を捕まえる方に力を入れたほうがいい。俺は、金とあの女の体を報酬に手伝っているに過ぎないぞ」
 彦は黙って袖から二股に先端が分かれた竹串を出す。それは大よそ一寸程の幅の広い物で、串と言うより杭の様に見えた。
「俺の拷問はゆっくりだ。ゆっくりと痛みを長い時間合わせる。お前が言う気が無いのならお前の体は少しずつこの竹串で埋まっていくまでだ。ヤマアラシの様になるまでな」
 彦は、ひとつの右胸に竹串を立てると、木槌で叩き付けた。
 ゴツン
 ひとつは身悶え、言葉が出ない。強い衝撃が体の心まで届く。
 竹串は今の衝撃で半分に割れ、ひとつの胸には二本の串が刺さっているように見える。
「面白いだろう、一回の打ち込みで二本の串が立つからヤマアラシにするのが楽なんだよ」
 彦は薄く笑い、ひとつに近ずきこう言った。

「答えろ、あの娘が何処に向かっているのか。そして何故 ”太閤様の若君に毒を盛ったのか” を」


 それから半刻の間、拷問部屋より悲鳴は絶えなかった
 それから少しして、耐え難い匂いと共に彦は気分悪そうに部屋から出てきた。
「頭、この匂いは」
 部下の一人が、鼻と口を袖で押さえながら聞く。
「奴め、糞も小便も漏らしやがった。流石に耐えられん、続きは後でだ。誰か部屋の掃除を頼む」
 気分が悪そうに、時折唾を飛ばしながら部屋から出る。
「頭、私が行いますよ」
 同じく鼻と口を袖で押さえながら年老いた忍びが名乗りを上げた。
「いいだろう、一刻後には再開できるように早く綺麗にしておけ」
 彦は足早に地下の拷問部屋より外へ出た。
 年老いた忍びが部屋の戸を全開に開けると回りに数人居た彦の部下は全員嫌な顔をして
「すまんがワシらも蔵から出ておく。何かあったらすぐに声を上げろ、蔵の外で待機しておく」
「仕方ないさ、もう少し若ければ忍働きで役に立ちたいがワシのような爺さんではこの程度しか出来んからな」
 
 井戸から水を汲み蔵の中に入っていく。
 蔵の戸も空いている、
(中で声を出せば直ぐに聞こえてしまうな)
 この男が加藤である。

 拷問部屋に入ると鼻が腐り落ちそうな強烈な匂いがする。
 加藤は顔に何枚も手拭いを巻き、匂い対策を行った後、じろりと男を見た。
 自分が漏らした汚物にまみれ、情けなく気絶している男・・・
 「ふむ・・・」
 加藤はいつもの癖で髭を撫でる仕草をする。
(なるほど、中々の曲者。わざと糞を漏らして気絶する事で少しでも時間を稼ごうとするとはな)
 部屋を掃除しながら男を眺める
(はて、どこかで会った事があるような・・・)
 そうして顔を見ようと近ずくと、ひとつは急に顔を上げた。
 加藤は無意識ながら音も無く後ろへ”ひょい”と飛んだ。
 男の目をじっと見ると、その男は声を出さず口だけ動かした。
(読唇術・・・)
 加藤はじっと、その男の口先を見る

(・・・か・と・う・の・じ・い・さ・ん)
 こやつ何者、ワシを見抜いたばかりか、このワシを知っているだと・・・
(お・れ・だ・・ふ・う・ま・の・あ・く・ひ・ら)
 風魔の悪平・・・悪平か。
 何と言う運命よ、俺が生きている事を知る数少ない忍ではないか。
 くそっ面倒な奴を見付けてしまったものだ。
(こ・の・な・わ・を・と・い・て・く・れ)
 加藤も掃除をする音を立てながら口だけ動かして意思を伝える。
(ば・か・い・う・な・・こ・の・く・ら・は・か・こ・ま・れ・て・い・る。わ・し・が・お・ま・え・に・そ・こ・ま・で・す・る・ぎ・り・は・な・い)
(そ・う・い・う・な・・た・の・む・よ)
 ひとつも必死だ、
(せ・め・て・な・か・ま・に・れ・ん・ら・く・し・て・く・れ)
(わ・か・った・そ・の・く・ら・い・な・ら・て・つ・だ・お・う)

 しっかりと恩を着せた後、部屋を綺麗にし、彦に掃除が終わった事を伝え、急ぎこの山寺まで来たという事だ。
 

「爺様、なんで助けなかったんだ」
 れいは興奮して叫ぶ。
「大馬鹿者が、わしは言ったはずだ自分の仕事で伊賀屋敷に入ったのだ。これからも情報を得ねばならんのに何が嬉しくて正体を教えねばならんのだ」
 手伝うのはあくまで”ついで”、それにもしあの場で助けようとしても、体力の無い者を助けながら何十といる追っ手を相手にするのば馬鹿のする事。
 元々、仲間の救出が目的でないのだから道具も不足している。自分ひとりなら十分だが二人となると助けようが無い。
「この山の寺に来ているはずの、れいと言う名の女忍と聞いていたが、まさかお前とは思わなかった」
 悪平時代のひとつと、加藤がどのような仲なのかはわからないが、敵ではないことだけが判った。

「爺様、それからどのくらい時間がたってる」
「大よそ二刻。ここから宿までは半刻。あのままいけば、死ぬか、拷問に負けお前の情報を洗いざらい話した後、殺される」
 れいは立ち上がり
「爺様すまなかった、そしてありがとう。ひとつは私を待っているのだな。ならばそれに答えねばなるまい」
 そして不識院の方に向き直り、頭を下げて
「不識院様、申し訳ありません。急ぎ出立せねばなりません。しかし仕事が終わり次第戻りますので、どうか今夜のお話は明日に延ばしてもらえませんか」
 その目には固い意志が詰まっている。
 気を失ってしまいそうな、その目を見つめる不識院は加藤の方に目を移し
「良いでしょう。貴方が来るのを待っています。そして加藤、私達が知りたい情報は恐らくこの子が握っています。この子を殺させてはなりません」
 加藤は微動だにせず、れいの方を見つめながら
「上からの御命令とあれば」
「宜しい。れいよ、お前の仕事が終わり次第直ぐに戻るように。加藤はお前を助けると同時に、監視の役もあるのだから」
 れいは、コクリと会釈をし、ゆっくりと部屋の外へ出た。

「小夜よ、こちらへ来い」
 外に出たれいは、加藤の指示に従い本堂へ入る。
「仏像の裏手に回れ」 れいが指示通りに裏手に回ると、新しい忍衣装と、預けていた仕掛け針、脇差にクナイ、風閂それらが用意されていた。
「恐らく、もはや悪平は歩くのも困難な程に痛めつけられているだろう。つまり助ける為には、敵の全滅かもしくは行動不能にせねばならない」
 れいは、包帯と傷薬を腰の巾着に詰める。


「この仕掛けは非常に危険だ。それにもしかしたらすでに無意味な戦いになっている可能性もあるかも知れん。または、悪平がすでに白状してこの場所を伝えているかもな。そうなると、ここも直ぐに危険な場所になる。逃げた方が賢い生き方だぞ」
「上からの命令故にお前の監視と手伝いをしているが、わしとしてはお前にはここから直ぐに逃げて欲しい。小夜、お前はまだ未熟すぎる。ワシにとってかわいい孫娘のようなお前を死地にやりたくないのだ」
 加藤はれいの目の前に立ち
「悪平はワシが今から助けに行く。お前は直ぐにここを出ろ」
 れいもじっと加藤の目を見て微笑んだ。
「ありがとう爺様。でもこれは私の仕事、ひとつは私の数少ない仲間だから。ここで逃げたり、爺様に任せたりしちゃあ会わせる顔が無いよ」
 微笑んではいるが、その目にはスゴ味があった。

 加藤は優しく微笑み
「お前も立派になったな。未熟と言うてすまなかった。お前は十分に戦える。」
 
 二人は身支度を負え、戦う忍者の衣装になる。
「この服は三枚重ねの服でな。寒さも防げれば、刀や手裏剣をも弾く」
「爺様、私の方は問題ない。いつでも死ねるぞ」
「上出来だ小夜。ここからはわしが指揮を取ってやる。悪平を助けたくば指示に従え」
「了解した加藤様」
 コクリと頷き、手信号をして見せた。
 加藤は驚きもしたが、すぐに手信号をして返した。



     

6、侵入者と追跡者


 犬の遠吠えすら聞こえぬ静寂の夜。
 上代屋のから少し離れた松ノ木の上に到着した二人。
 加藤は手信号で待機を告げる。
(忍法 透目蓋の術)
 透目蓋(すかしまぶた)とは、透視の術の一つである。
 閉じた目の中からでも外が見えるように、壁や地面の裏まで透視を行う。
 しかし見えるのは人の気配と動作までであり、顔の識別は不可能である。

「倉には、三人、周りに二人、遠く屋敷の中に十人。そこそこの数だな」
 目玉が飛び出そうな程に目を凝らしている加藤がそっと教える。
 れいは、忍道具の確認を行い
(用意は出来た)
 と伝えた。
 術を終え、加藤は手信号で
(見張りの二人は同時に)
(倉の中へは、お前が行け)
(残りはワシが始末する)
 と短く簡潔に指示を出し、二人は松から飛び降り、上代屋の南側へ移り(倉から近く、屋敷から遠い)静かに塀をよじ登った。

 夜の闇に溶け込むこの忍衣装に、まだ敵は感ずいていないようだ。
(おまえが右、ワシが左の見張りを始末するぞ)
 手信号を見せた加藤は、そのまま塀を音もなく飛び降りると、とても九十代とは思えぬ速さで倉へ走る。
 それに遅れず、れいも仕掛針を指に挟み倉の右側に張り付いた。
 少しの間、静寂が辺りを包む。
「おい、あれ・・・」
 見張りの侍の格好をした忍びが声を出した瞬間、何の合図も決めていないのに、二人は倉から身を晒し音も無く見張りの息の根を止めた。
 見張りの喉元には、仕掛針とクナイが刺さっている。
 ”あれ”と言い終る前には刺さっていたのだから、どれだけの反射神経と投擲の技術の高さがあるのかが分かるだろう。

 加藤は手信号で
(しくじるなよ)
 とだけ指示を送ると、風の様に屋敷に向かって走り出した。
 れいは、見張りの死体をすぐさま移動させ上から雪をかぶせ証拠を消した。

 ガラガラ
 あえて音を出して戸を開ける。
「なんだ、もう交代・・・」
 相手の喉を刀は一閃し、鮮血が飛び散る。
 そのまま表にひょいと引きずり出し、心臓に念の為に止めを刺すと同じように雪の中へ隠した。

(残り二人・・・)
 倉の中に入り、戸を開けたままにする。

「うう、寒い寒い。あの馬鹿め戸を開けたまま出る奴があるか」
 ふらふらと、少し酒に酔った男が出てきた。雇われた浪人であろうか。
 階段の中ほどにある行灯の横を通り過ぎた瞬間
”ドスッ”
 男の背中から胸元まで刀が後ろから貫通していた。
(なんだ・・・曲者か・・・)
 膝が崩れ、助けを呼ぼうと口を開けた時。
 行灯の足元からクナイが男の喉を切り裂き、男はそのまま絶命した。
 まさに灯台下暗し、れいは影になるように行灯の下で気配を消し、通り過ぎた男を暗殺したのだった。

(残り一人・・・)
 れいはそのまま、気配を消したまま階下へ下る。
 拷問部屋の木牢の中には、ハリネズミの様に背中から足、手まで竹串が刺さっており、”恐らく気絶したのだろう”ピクリピクリと体が痙攣してはいるが頭は力なく垂れ下がっていた。
 横を見ると無様にも寝入っている浪人が一人。恐らく先ほどの男と酒を飲んだのだろう、顔は赤みを帯びていた。
 念の為に気配を探るが、その浪人は熟睡しているようで気が纏まりが無く淀んでいた。
 れいは素早く近寄り風閂を
”サッ”
 っと首に巻きつけると、そのまま力の限り糸を引っ張る。
”ピィン”
 糸が張る音と共にその男の首は落ちた。


 れいは、ようやく緊張を解き、顔中を流れる脂汗を拭った。

 木牢の鍵を男から奪うと、中に入りひとつに声を掛けた。
「おい、ひとつ。生きてるか」
 ひとつは、力なく小声で
「だいぶ不味い・・・取り合えず、この縄を切って俺の体に刺さってる串を抜いてくれ」
「分かった。急ぎだからな、優しく抜いてやる時間は無いからな」
「分かっている。この際、塩を塗りこむような事さえしなければ許してやるよ」
 いつもの冗談めいた言葉に、れいの心は落ち着いた。

 ひとつの体に刺さっている竹串を乱暴にどんどん引き抜いていく。
 引き抜き度に、ひとつの口から押さえられない呻き声が上る。
 顔はうつむき、表情は見えないが、恐らくその顔は神経を引き裂かれるような酷い痛みを伴なっていたのだろう。

 救出が早かった為か、体中に刺さった串はそれ程多くは無い
 だが、刺さっている場所は体中の神経の集中している部分や腱など致命的な部分が多い。
(一人では走ることはおろか、歩く事すら困難であろうな・・・)
 見ていて痛ましいようなこの姿に、れいは涙ぐむ。

 ようやく全ての串を取り払い、手足を縛る縄を切り落とす。
 ひとつの体力は限界に近い。
 
 腰から焼酎を取り出し
「少し痛むぞ」
 そう言い、口に含みそれを、ひとつの体に吹きかけた。
 彼の体は一瞬ビクリと跳ねそのまま硬直する。
 次に薬草の塗り薬を傷口に塗りこむ。これは寺で加藤より貰った医療道具に入っていた。
 塗り終わると体中に包帯を巻き、急いで見張りの服を着せた。

「これでよし、後は外に出て、爺様に撤収の合図をすれば終わる」
 加藤の爺様は無事だろうか・・・そしてひとつを担いで逃げられるだろうか。

 れいは、ひとつを担ぎ静かに戸を開ける。

「何者だ貴様」
 大きな声で、戸を開けたれいの前に黒装束の忍が現れた。
(まずい、見つかった)
 しかし、彼女の両手は塞がっている。
 黒装束の忍は懐に手を入れ、手裏剣を手に持ち構えた。
(終わった・・・)

 その時・・・

 黒装束の男の首から大量の血が飛び出し、れいの顔にかかる。
 そして男は、膝を落とし、力なく前のめりになった。
 男の影から、スゥっと小柄の男が現れる。
「爺様・・・」
 影より出てきたのは、飛び加藤、その人だった。
「バカモノ、最後まで油断するでない」
 まだ険しい表情の加藤は辺りを見回し
「急いでここからでるぞ」
 ひとつの肩を担ぎ、れいに囁く。
「爺様、しくじったか」
「バカを言え、今の所全員始末している。ただな・・・」
「ただ?」
 加藤は首を傾け、思慮するような髭を撫でる動きをしながら
「・・・ただ、彦と言う名の首領格の男がここに居ないのが気にかかる。奴の姿が見えないのじゃ」
 少しの間沈黙が続いたが、れいはひとつの顔を見
「爺様、取り合えずここを去ろう。不識院様の所まで戻れば、ひとつの手当てが楽だ」
 加藤もひとつの顔を見
「確かにその通りじゃ。今はとにかく戻ろう」
 
 彼らは来た時と同じく塀を登り、一目散に上代屋から逃げ出した。



 彼らの姿が見えなくなってから倉の屋根の上から一人の男が立ち上がった。
「ふふふ、手痛くやられたがようやく尻尾が掴めたわい。加藤段蔵が居たのが計算違いだが、隠れ家さえ分かればこちらの物だ。加藤が出ている隙であれば動けぬ忍と未熟なクノイチなど悪阻るるに足らぬわ」
 その男は、彦であった。
 加藤の侵入に気付き、念の為に居留守を使った。
 やはり彼らの間では、飛び加藤は伝説の存在であり脅威なのだ。
 今夜、三人はようやく一心地つけるだろう。
 だが、彼らは絶妙に気配を消して着いて来る追跡者には最後まで気付かなかった。




       

表紙

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Neetsha