Neetel Inside 文芸新都
表紙

泥辺五郎短編集
「彼女は重たい」(第二回お題くじ企画参加作 世界の終わりは君と二人で+記憶+花びら)

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 寿司を配達していたバイクが事故を起こし、路上に転がったドライバーを後続のトラックが撥ね飛ばした。血や肉や寿司が散らばる中で、幸い地面に落ちず、お盆の上に載ったままだったイクラの軍艦巻を彼女は拾って美味しそうに食べた。その瞬間に僕は恋に落ちたのだと思う。悲惨な光景を目の当たりにして鼓動が早くなっていたのを抜きにしても、彼女の歯でプチプチと潰されていくイクラの一粒になりたいと願う気持ちは嘘じゃなかった。

 それから一年が経ち、僕らは二人並んで思い出の道を歩いている。あの時亡くなったドライバーを悼むために置かれた花束から、赤い花びらがぽとりと舞い落ちる。以前なら、食べられる野草があれば引っこ抜いて食べ、食べられない、もしくは食べてはいけない花でも引きちぎって食べていた彼女が、手を伸ばそうとはしない。代わりに僕の指をしゃぶってもらう。舐められてふやけてしまう僕の指を、彼女は以前のように少し血が出るまで噛んだりしてくれない。
 食欲を失った彼女はゆっくりとだけど確実に死へ向かっている。

 大幅な前略と中略がある。後略をすれば話が終わってしまうので簡単に要約すると、世界が終わろうとしている。
 謎のウィルスが発生して。
 核ミサイルがいろんなところに落ちて。
 それから宇宙人がやってきて。
 それらはどれも関連していることかもしれない。たとえば、地球を狙っていた宇宙人がウィルスをばらまいたとか、核ミサイルの爆発の光を確認した宇宙人が地球を掃除しに来たとか。テレビもラジオもネットも機能していない今となっては、正確なところを知る術はない。宇宙人達は大陸に巨大な建造物を建てたり、核で荒廃した土地を改めて焼却したりしているらしいけれど、それがどんな意味を持つのか、懇切丁寧に地球語に翻訳して説明してくれたりはしない。どこかで聞きかじった彼らの外見についても、宇宙服のようなものを着ていたために、どんな姿なのかは分からないのだとか。

 漫画や映画なら多数の視点から世界の終わりが描写されるけれど、現実は小説よりずっと不親切だ。
「死んでいく肉体の髪の毛一本一本が、『今僕の生えている肉体は死のうとしている。具体的には食欲を失い、衰弱する一方だ。無理に食べ物を口に入れたり点滴を打ったりしても、吐き出してしまうか全く栄養が吸収されずに尿になるだけだ。謎のウィルスが原因というところまでは分かっているが、治療方法も薬も見つかってはいない。人類全体の、いや、宇宙人の存在が確認された今となっては、地球人の、と言った方がいいか。地球人全体のおよそ半数がこの病にやられ、残り半数も核戦争によってほとんど死滅している。もう助かる術はない。この私も、この私が生えている肉体も、地球人も』とか思ってるわけじゃないよね。何が何だか分からないまま、抜け落ちていくんだと思うよ。不親切とかいう問題じゃなくて、ただこれが『現実』ただそれだけのことなんだと思う」
 彼女はこの長い台詞を一時間かけて喘ぎながら語った。小説にする際には喘ぎ声も長い「間」も省略して書けてしまう。小説は現実よりも残酷なくらいに扱いやすい。いくらでも脚色出来てしまう。

 僕らはこの一年で二百七十回交わった。正確には半年で二百五十回交わり、後の二十回は世界崩壊のゴタゴタのうちに何とか成し遂げた。彼女は食欲だけでなく性欲も旺盛であり、上に乗った彼女に時折僕は押し潰されそうになった。僕が上になっても、彼女があまりに強く抱き締めてくれるので背骨が折れそうになった。潰れても折れても僕は構わなかったのだけれど、彼女は僕を壊してはくれず、代わりのように彼女だけがウィルスに犯された。
 僕だって放射線やら死の灰やら宇宙線やらの影響で長くはないけれど。

 人の血肉も寿司も散らばっていない、車も人も通らない道路上に座り込んで僕らは長い話をする。付き合い始めてからのこと、付き合い始めるまでのこと。僕らは忘れてしまったこと以外は全て思い出せた。どの思い出の中でも彼女は何かしら食べていた。それから、これからの二人のこと、これからこうなっていきたかった二人のこと。二人の間だけでしか意味を持たないこれらの会話をここに記す必要はない。
 僕らは時々笑って、時々泣いた。

 やがて終わりが訪れた。地球でも人類でもなく、彼女の終わりが。それはつまり僕にとっての世界の終わりということだったのだけれど。
 僕らを出会わせてくれたドライバーに捧げられた花束から、血に似た色の花びら一枚をちぎり、彼女の舌の上に乗せる。もう吐き出してくれないから、花びらは彼女の中に残り続ける。
 動かなくなった彼女を背負う。命をなくした彼女はいつもの倍も重く感じる。ただでさえ体重が僕の倍あるというのに。彼女ほどではなかったにしろ僕の命だってもう大した時間は残されていない。どこへ運ぶあてもないので彼女を背負うことを諦める。うまく地面に下ろせず、僕は彼女の下敷きになってしまう。彼女を横へ転がす体力はもう僕には残されてはいなかった。
 これもいいかな、と僕は思う。内から支えるものをなくした彼女の肉が、ゆっくりと僕を包み始める。

(了)

       

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