Neetel Inside ニートノベル
表紙

この世の果てまで
第五部

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  1 開戦


 1

 その日の昼。食事を終えたキョウジは屋上で横になっていた。雲1つない晴天を眺めな
がら午睡を楽しもうと。
 キョウジははじまりの日のことを思い出す。空気の暖かい感じや、のほほんと平和ボケ
した町の様子。アスファルトに落ちる陽光、毛づくろいをしている猫。授業をサボっての
散歩。やけっぱちに天気の良かったあの日。
 逃げ続けたせいなのか、ずいぶん遠くへ来てしまった、とキョウジは思う。追憶の日々
から遥か遠くの現在……
 
 なぁ、ヒロ先輩。羨ましいだろう?俺はまだ生きてる。逃げ続けてる。

 心の中で呟いて、キョウジはにやにや笑い。

 そして爆発音。飛び起きたキョウジは手摺に駆け寄り、白煙の上がる方を見る。草原と
村の中間地点。戦争の始まり。短い休憩の終わり。
「おお、おお、怖い怖い。さて、そろそろ逃げるか」
 キョウジはそう呟いて、欠伸をする。

 2

 先に攻撃を仕掛けたのはCG側。しかし、当のCG兵たちは始まりを知らされていなか
った。戦いの準備を終えたCGたちには、指示があるまで待機、との命令が出されていた。
並べられた砲台から弾が発射された時は、周りにいたCGたちが誤射を疑った。部隊長が
砲手に確認をとると、男は泣きべそをかきながら「司令官の指示です」と答えた。その直
後に全部隊に攻撃命令が出た。
 自らの軍が大慌てで進軍を開始するのをモニタしながら、シミズは大笑い。機関部のオ
ペレータたちは気まずそうに目配せをしあう。砲手へ直接指示を出したのはシミズ。指令
を受けた砲手が戸惑う声を聞きながら、シミズは気分良く脅した。
「さっさとしろよ、愚図。早く撃たないとてめーを殺すぞ」
 砲弾は新生教徒たちが築いた土嚢の壁に直撃。白煙が上がる。

 シミズは開戦の時期を窺っていた。兵力はCGが上。だが相手はアリサワ。どんな策を
用意しているかわからない。過去に牽制される形で、時間が過ぎる。相手の出方を見てか
ら、というのがシミズの思うところ。しかし、新生教は動かない。時間だけが過ぎる。
 夜が明けて、シミズは考えるのを止める。気分で戦うことを決める。そして昼過ぎに―
―なんとなく、というのが理由――砲手に指示を出した。

 シミズは進軍するCG兵たちをモニタ越しに眺めながら、こめかみをさする。心地良い
痺れを感じている。シミズはアリサワがどういう手を打ってくるか楽しみに待っている。
過度な期待。そしてそれに応えるであろうアリサワ。シミズは戦って勝つことよりも、ア
リサワの力を――あれほどまでに心酔した――見ることの方が楽しみになっている。シミ
ズの思考はすでに、狂気をその源泉としており、物理的な勝利や精神的充足といったもの
を度外視にしていた。彼の狂気は300年という時を経て限りなく無垢で純粋なものに近
づいていた。
 新生教の反撃が始まるとシミズは手を叩いて喜んだ。まるで期待していた劇が始まった
かのように。

 3

 シミズの期待とは裏腹に、新生教のリーダーは何の策も用意していなかった。その男に
とってこの戦争は時間稼ぎでしかなかった。先制攻撃の報を受けても男はただ一言「突撃」
とだけしか指示を出さなかった。男の指令がくだると、新生教徒たちは盲滅法にバンザイ
アタックよろしくの特攻。何も考えずにとにかく銃弾を吐き出すことに終始する歩兵部隊、
敵味方関係なく、密集しているところに砲弾を降らす砲手たち、村に詰めてる信徒たちは
自爆用の爆弾作りに精を出している。みな穏やかな表情。
 しかし効果は覿面。死をも恐れぬ激しい攻撃にCGはじりじりと後退。味方もろとも吹
き飛ばす砲弾の雨を、CG兵たちは恐れた。穏やかな顔で――それこそ散歩に出るような
表情――で蜂の巣になる信徒たちは異様。腕がとれても、足がとれても迫ってくる姿には
圧力がある。

 意外な戦果をその男は笑う。見下した笑み。一大喜劇を見ている感覚。男に危機感はな
い。時機を待っているだけ。

 CG兵たちが下がっていくのを見て、男は後退指示を出す。双方、無闇に兵力を減らし
て最初の衝突は幕を閉じる。草原には夥しい数の死体。砲弾によって地面が露出している。
遠目で血の色がわかる。
 村に引き上げた信徒たちは傷だらけ。初戦で信徒の3割が死亡。相手は1割程度との報
告。兵力に差がある上にこれでは長く保たない。本来ならば――本当に勝つ気でいるなら
ば――短期決戦にもっていくのが定石。気持ちの上で圧倒している今ならばそれが可能で
あると、その男は知っている。知っていながらの後退指令。それでも信徒たちは何の疑問
も持たずに、次の戦いのために黙々と準備をする。

 4

 シミズはモニターの前で首を傾げる。アリサワの匂いを感じないことへの違和感。まる
で行き当たりばったりの策。ただの特攻。相手指揮官の真意が読めない。しばらく首を傾
げたまま体を硬直させ、そしてべろ~んと下を垂らす。

 ああ、そうかぁ。何かの罠かぁ。アリサワさん姑息だもんなぁ、そういうとこ。村に誘
いこもうってんだろう?それとも陽動かなにかかな?アリサワさん陽動好きだもんなぁ。
先に獲物を手に入れようってのか?

 シミズはモニターに手の平を押し付ける。
「アリサワさん、俺だって『神話篇』は読んでんだ。あんたの考えてることなんてお見通
しだよ。壊してやる。壊すからね。全部」
 傍でシミズの言葉を聞いたオペレーターが体をびくっと揺らす。オペレーターはシミズ
に怯えている。壊すからね。全部――その「全部」に自らが入っていることを、なんとな
くではあるが、理解する。シミズの声は自分以外の全てのものを呪っているよう。理由を
失った悪意。ただ純粋な悪意だけがそこにはある。多分、私は死ぬのだろう、とオペレー
ターは思う。オペレーターは、全ての人が死に絶えた後の荒野を想像して、そして先のこ
とを考えるのを止めた。

 5

 戦争が始まってすぐに、町ではある噂が熱病のように広まっていった。噂の発信源はイ
ンターネット。

 町の住人たちは外の状況を知らされていない。いつもの日常があるだけ。CGたちの姿
が減ったな、と思うものはいても、その理由を考えるものはいなかった。飼い慣らされた
大衆。そこへ、噂は放たれた。

 ある者は笑い、ある者は憤り、ある者は無視した。しかし、それも一時だけ。すぐに圧
倒的な情報量に常識を打ち砕かれ、そして、混乱した。
 最初、掲示板に書かれた情報はごく僅かだった。しかし、それは数時間ごとに更新され
量が増えていった。

 最後の情報が提示された時、人々は地下遺跡への入口に立っていた。

 外へ、と誰かが呟いた。




 続く




     


  2 作戦


 1

 キョウジが作戦をたてるにあたって、目をつけたのがハコブネの中の住人たち。
「普通なら、考えられねえな」
 キョウジは双眼鏡で戦場を眺めている。双方がむしゃらに突撃をしている様は滑稽。そ
れを聞きながらアリサワはタバコに火をつける。煙を吐くと同時に戦場から爆発音。
「まぁ、お前の言いたいことはわかるよ」
「ですよね。人質にされる可能性もある――まぁ、シミズさんなら気にしないでしょうけ
ど――それにどう動くか分からない不確定要素にもなる。暴動なんて起こった日には大変
ですよ」
「シミズの酔狂かな」
「どうでしょうか」
 キョウジは双眼鏡を下ろし、アリサワに渡す。アリサワは戦場を見る。人が死んでいく
のが見える。
「とにかく、これは使えますね。住人をうまく動かせればかなりやりやすくなる」
 キョウジはそう言ってうんうんと1人納得している。
「なぁ、キョウジ」
「はい?」
 アリサワは双眼鏡を覗き込んだまま、タバコをふかしている。
「逃げるったってさ、どこにも逃げ場なんてないことくらい、お前も知ってるだろう?こ
の世界はすべて荒野だ。どこまで逃げたって同じ」
「知ってますよ。みんなから聞いてます。でも、やりようはある」
「どんな?」
「宇宙にでも行きましょう」
 それを聞いてアリサワは大笑い。双眼鏡をキョウジに投げ返す。
「それもいいな」

 2

 戦いの進み具合を見ながら、キョウジは違和感を覚える。互いの戦略、動き、指示、目
的、それらを考慮しても、なお、腑に落ちない。

 こいつら、勝とうと考えていない。

 それがキョウジの結論。CGも新生教も、テキトーに戦っているだけ。時間稼ぎか、そ
れとも、何かの策があるのか?

 シミズさんの目的が俺たちを殺すことだとして、新生教は?世界の再生?神の超越?

 目的はわからないが、どちらも手段としてキョウジたちを狙っている。だが戦い自体は
勝とうという意識なく行われている。一貫性のない動き……付け入る隙は多分にある。た
だし、支離滅裂な相手は動きを予測しづらい。シミズが考えを変えて、いきなりミサイル
を撃ち込んでくる可能性を否定できない。そしてそれは新生教とて同じ。戦争が一息つく
までは安心、という考えは持たないほうがいい。

 3

 キョウジはみんなを教室に集めた。
「やぁやぁみなさん、作戦を発表します」
 みんなが緊張しているのが、キョウジにはわかる。
 さて、またまた得意のはったりをかますこととしよう。いっちょやってみようじゃない
か、逃げる、ってやつを……
「まずは、ハコブネ内の住人たちをこの戦いに巻き込む。それが最初にやること。手段は
ネットでの情報工作。ありがたいことに、ここからハコブネのネットに忍び込むことは可
能。キリコさんたちにそれは任そうと思う。情報を与えて欲しい。段階的に。少しずつ情
報を与えていって、そして最後にすべてをぶちまける。寝ぼけた連中をたたき起こしてや
ろうじゃないの」
 キョウジの言葉にユキが手を挙げる。
「ちょっと待って。それって、危険じゃない?町の人たちが死ぬかもしれないってことで
しょ?」
 キョウジはそれを聞いて鼻の頭を掻く。
「まぁ、その可能性はあるね」
「そんなこと認められない。私たちが逃げるために誰かを犠牲にするだなんて!」
 ユキの正義感の強さ。キョウジは困り顔。大きく息を吸って、そしてキョウジの口は動
き始める。
「可能性はある、けど、限りなく低い。シミズさんが何を考えてるかわからないけど、腹
の中に不確定要素を大量に抱えてるって状況は異常。住人たちが暴動なんて起こしたらう
ざいことこの上ない。普通ならどこかに下ろして隔離しとくとか、兵士として利用すると
か方法は幾つかある。でも、相手はそれをしなかった。それは何を意味しているか?圧倒
的に勝つ自信がある、それか、住人を手放したくはない、あるいは手放してはいけない、
このどちらか。この場合、おそらく後者。後者である理由はわからないけど、前者ではな
い理由なら想像がつく。新生教ってのは得体の知れない組織。どういう成り立ちなのかも、
どれほどの規模の組織なのかもわかっていない。そんな相手に圧倒的に勝つ自信があるな
んて思うのはよほどの楽天家か無能か……
 そこで、住人が外へ出るように仕向ける。戦力の大部分は外界に出ているだろうし、住
人たちが外に出るのは容易だろう。ハコブネから戦場までは距離がある。CGたち自身が
手をかけない限り死人はでないと思う。怪我くらいはするかもしれないけどね。住人を手
放せない理由がある以上、シミズさんは殺しはしないだろうさ。もちろん戦場に突っ込む
ほど、住人たちも馬鹿じゃないだろうし」
 キョウジの言葉に半信半疑で肯くユキ。表情は晴れない。
「でも……」
 ユキは不満そう。何か言いかけて止める。キョウジはふう、とため息をつく。
「俺だって人は殺したくない。だから、大丈夫、うまくいく。俺は運がいいんだ」
 キョウジはそう言って、笑った。

 4

 作戦をみんなに伝えたキョウジは、便所で顔を洗っていた。高揚感と罪悪感……鏡に映
る濡れた顔。

「お疲れ」

 振り返るとカミカワがいた。いつもの調子でにやにや笑っている。
「疲れてないさ」
「いや、疲れてるだろ」
 キョウジは洗面台にもたれる。カミカワは向かいの壁にもたれる。互いに沈黙。視線だ
けが交わっている。
「住人が死ぬ可能性が低いって、あれ、嘘だろ」
 カミカワの言葉にキョウジは、やれやれ、と思う。だからこいつはムカつくんだ。意外
と良く見てるし、考えてる。
「嘘、じゃない。こういうのは希望的観測って言うんだ」
「うまいこと言うね、キョウジ」
 カミカワは笑う。そして笑いを止めて、真剣な顔でキョウジを見る。
「キョウジ、お前の狙いはなんだ?お前は何を知っていて、何をしようとしてるんだ?そ
れが聞きたい」
 場の空気が重くなる。沈黙。キョウジは口を開かない。

 ……

「まぁ、いいさ。俺は自由にやらせてもらう。もちろんお前にも協力する。キョウジ……
お前とサヨリだけが全部引っ被るってのだけは止めろよな」
 カミカワは便所を出て行った。キョウジは自嘲気味に笑い、タオルで濡れた顔を拭いた。

 5

 キリコたちがネット工作を始めた。視聴覚室にあったパソコンを教室に持ち込んでの作
業。300年前の機械が動くことを誰も不思議に思わない。もうここまできたらどんなこ
とが起こっても不思議ではないということを知っているから。
「シベリア鉄道が動いたんだ、こんなこと不思議でもなんでもないな」
 ヨウジが言う。
「手を動かせ」
 ユウが釘を刺す。ユウは携帯で撮った写真をアップロードしようとしている。視覚的な
情報も必要、とキョウジに言われたからだ。
「とにかく、小出し小出しよ」
 キリコの指示。ユキは掲示板の動向を注視している。
「キリコさん、食いつきは上々です」

 日暮れの屋上。キョウジとサヨリは、並んで海を眺めている。背中の先で行われている
戦争を、2人は、忘れている。
 キョウジはサヨリに作戦を伝える。2人だけの作戦。キョウジが練りに練った作戦。シ
ステムの刷新。世界の存続。神の死角……
 サヨリは海を見ている。かすかに白い波が見える。サヨリはキョウジの言葉に相槌を打
ちながら、涙を流す。









 続く




     


  3 役割


 1

 キョウジのたてた作戦は半ば運頼みのところがあった。持ち前の弁舌を駆使しても、隠
し通せない。事実、追い詰められている。だが、誰も反論しなかった。キョウジに合わせ
たわけではない。それぞれが、現実を受け入れていた。その上で、足掻こうとを決めてい
たのだ。
「時間がない。住人たちの決起はすぐそこまで迫ってる。それに合わせて動かなきゃなら
ないからね。ハコブネに潜入して機関部を破壊する部隊、新生教団基地へもぐりこんで逃
げる手段を確保する部隊、そして、ここに留まって囮になる部隊、三つだ」
 キョウジが言うとカミカワが手を挙げる。
「はいは~い、ハコブネには俺とシンジが行く」
 シンジも肯いている。
「だけど2人だけじゃ心配だな」
「あの、俺、行くよ」
 そう言って手を挙げたのはヨウジ。
「ハコブネに詳しい奴、必要でしょ」
「あたしも行く」
 みんなの目がキリコに集まる。
「数は多いほうがいい。それに、機関部の爆破なんて作戦、あたしにぴったりじゃない」
 キリコはそう言って高笑い。
「それじゃ、ハコブネに潜入するのはカミカワ、シンジ、キリコさん、ヨウジの4人で決
まりだな。新生教団に行くのは残ったメンバーか」
「俺とユキは行くよ。ハツを助けなきゃ」
 ユウが手を挙げる。
「絶対に行くわ」
 そう言ってユキも手を挙げる。
「それじゃ俺がお守りかな」
 それまで黙っていたアリサワが手を挙げる。
「少しは戦える奴も必要だろう」
 アリサワはベレッタを抜いて、顔の前で左右に振る。
「うん、アリサワさん任せた。ユウ、ユキ、アリサワさん、そして、え~とノアも一緒に
行った方がいいかな」
 キョウジがノアの方を見ると、彼女は肯いた。
「かまわない」
 キョウジはみんなの顔を見回すと、にっこりと笑う。
「さて、逃げようか」

 2

 囮組みはキョウジとサヨリ。

「景品は大人しくしてろ」
 カミカワはそう言って、夜の闇に消えていった。後に続くシンジ、ヨウジ、キリコ。最
後に掲示板をチェックしたところ、すでに決起は始まっているとのこと。予定よりずいぶ
ん早い出発。

「こっちも出る。必要なものは現地調達するさ」
 アリサワたちが森に入っていく。村まで一直線の道。

 残されたキョウジとサヨリ。人の気配が消え、2人きりになる。
 下駄箱で立ちんぼ。気まずい雰囲気。照れくさい空気。
「いや~2人きりですね、サヨリさん」
 キョウジは頭を掻きながらわざとの大声。
「そうですね、キョウジさん」
 サヨリはそんなキョウジを見て笑う。

 見詰め合う2人。

「さて、屋上に行くか。こっちも準備しなきゃ」
 赤くなったキョウジの顔。肩透かしをくらって不満そうなサヨリの不機嫌な顔。

 3

 異変に気付いたのは1人地下遺跡の見張りを任されたCG兵。今年入隊したばかりのル
ーキー。外では戦争が起こっているのに、自分はこんなとこでお留守番……彼は除け者に
されたように思っていて不満。
 エレベーターの動く音。
 こんな夜に?
 急ぎエレベーターへ走る。エレベーターの通過階を示すランプが最下層であるここに迫
ってくる。
 兵は持っている銃を構え、到着を待つ。顔面蒼白。心臓が飛び出してきそうなほど高鳴
っている。本部への報告を忘れるほど、集中している。
 チン、という音がして、エレベーターが到着。扉が開く。

「外へ!」

 掛け声とともに、人の波。兵は発砲もできず、押され、尻餅を着く。人の波がなくなっ
て呆気にとられて、宙を凝視していると、いつの間にかエレベーターが2度目の到着。そ
して2度目の人の波。兵は恐怖にかられて頭を抱える。
 エレベーターは何往復もして人を運び続けた。男は10度目のエレベーターの到着で我
に返り、本部へ連絡をする。
「こちら地下遺跡下層。正体不明の団体が外を目指して進行中。繰り返す、正体不明の団
体が外を目指して進行中」
 兵はそれだけ伝えて、トランシーバーを下ろす。
 やってしまった。ヘマだ。これで昇進の道はなくなる。あ~あ、どやされるだろうなぁ。
 兵は意気消沈して人の波をやり過ごす。エレベーターはひっきりなしに人を運んでくる。

 最初にエレベーターを降りた組が船着場を通って、外界に出る。初めて吸う外気は鼻に
ツンときた。

「外だ!」

 叫び声は夜空に響いた。

 4

 連絡を受けた機関部は大慌て。新生教の勢力かと怯える。送球にハコブネ周囲の警備を
船着場にまわす。現場へ到着した兵から連絡がくる。
「新生教ではなく住人です。ずいぶん興奮してます。ネットがどうとか、掲示板がどうと
か叫んでます」
 シミズの目の前のモニターは船着場を映している。膨れ上がった群集のうねり。それを
抑えようと空に向けて発砲しているCG兵。まるでコントを見ているようで、シミズは笑
った。
 オペレーターはネットを検索し、事態を知る。誰かが情報を掲示板上にリークしたのだ。
それを報告すると、シミズは、笑いながら叫ぶ。
「あのガキどもだな、やるじゃないか。何が狙いだ?ガキどもめ!」
 はしゃぐシミズにオペレーターが声をかける。
「司令、指示をお願いします」
 笑うのを止めたシミズは、マイクに向かって叫ぶ。
「船着場に押し込め、少々手荒でもかまわん。極力殺すな!」
 そう言って、シミズはすぐに戦場へ指示を出す。
「注意しろ!妙なことを考えてる連中がいやがる。警戒を怠るな」
 叫んだ直後に戦場から連絡。学校の方に不穏な様子とのこと。シミズは学校の方角を映
すように指示を出す。学校がモニターに映し出される。
 屋上から立ち上る白い煙。
 シミズはにやにや笑いながらも、歯軋り。
 あのガキども何のつもりだ。降参のつもりか?どっちに?どっちに降参するんだ。一体
何をするつもりだ。キョウジ!てめー悪だくみもいい加減にしやがれ!こっちはアリサワ
さんと遊んでんだ!

 5

 船着場はカオスと化していた。暴徒と化した住人相手に手間取るCG兵。殺さないよう
にという指示が出ている以上、銃を向けるわけにはいかない。催涙弾を打ち込んだり、消
火器や放水で対処しようとするが人の数が多すぎてその圧力を抑えきるまでには至らない。
外に出てくる人々。それを止めようとするCG兵。現場は混乱の極み。夜ということもあ
って視界は悪い。

 エレベーターの前では新人兵が地べたに座って独り言。
「くそう、役立たずじゃないんだよ。こんなのどうしようもないじゃないか。誰だって無
理だよ。ベテランだって対処できないさ。そうだよ。俺は悪くない……」
 その新人兵の背後から、4本の手が伸びる。2本の手が口を押さえ、もう2本が首を絞
める。顔を真っ赤にしながら抵抗しようとするも、新人兵はすぐに失神した。兵の肩にか
かっている銃を、首を絞めた手が拾い上げる。

「さて、武器が手に入ったな」
 カミカワはそう言って笑う。シンジは兵の腰にささっていたグロックを抜く。
「ここまでは順調だね」
「だな。外に出る連中にばかり気をとられるなんて、シミズさんの側も間抜け揃いだな」
 カミカワはそう言ってエレベーターのボタンを押す。
「このまま議事塔へ行くのね」
 そう言ったキリコは新人兵の両手足を縛り、トランシーバーの電源を切る。
「掲示板てすごいな。こっちの情報をリークするだけじゃなくて、逆に情報を拾えるなん
て」
 ヨウジは落ち着かない様子で、きょろきょろ辺りを気にしながら言う。

 掲示板で情報をリークしながら、キリコたちは同時にハコブネ内部のCG兵の情報を集
めていた。地下遺跡が出口であることを示し、その上、CG兵の警備がある可能性がある
ことを示唆し、CG兵の動向を探る必要性を説いた。
『外に出るには、CG兵たちに見つからないようにしなければならない。出たらこっちの
もの。そのためには町のCG兵の警備状況を知る必要がある』とこんな具合の書き込みを
して、情報を募った。
 書き込みよると、町にCG兵の姿はないとのこと。どうやら外界と議事塔に兵力を集中
させているらしい、とのこと。この情報によってハコブネに進入し、議事塔へ行くまでに
障害はないということがわかった。

「問題はここからだけどな」
 チン、という音がして扉が開く。4人はエレベーターに乗り込む。
「さて、行こうか」
 カミカワがそう言うと、扉が閉まり、エレベーターは上昇を始める。








 続く




     


  4 議事塔


 1

 シミズはモニターを見ながら、兵たちの手際の悪さに苛々している。群集は兵たちに激
しく抵抗している。暴動の鎮圧は当分かかりそう。
 シミズは我慢できずに席を立つ。
「ちょっと下へ行ってくる」
 オペレーターは何も言わずに肯く。
 
 馬鹿どもが、手間かけさせやがって。仕方ないな。地下遺跡なのは都合がいいが。

 シミズは機関部を出る。向かう先は地下遺跡。中央エレベーターを降りる。

 久しぶりに来たなぁ。

 シミズは廊下の壁を撫でる。そして、ゆっくりと壁の中に入り、移動を開始する。

 2

 カミカワたちが用心しながら議事塔入口に近寄る。中を覗くと、受け付けに兵が2人い
るだけ。予想よりもずっと手薄。それだけ外にかかりっきりってことか、とカミカワは思
う。
「一気に行ったほうがいいわね」
 キリコが言う。3人は肯き、突入する。
 兵2人が銃を構える前にカミカワとシンジが発砲し先手を取る。2人の撃った銃弾が兵
に当たる。1人は肩口、1人は銃を持った腕。受け付けの中で倒れこんだ2人の額に銃口
を突きつけるカミカワとシンジ。
 手馴れてるわね、とキリコは思う。なんだか可哀想。
 キリコ自身なぜ2人を哀れんだのかわからない。ただ、そう思ったのだった。
 兵2人を縛り上げ、武器を取り上げる。グロックが2挺。ヨウジとキリコがそれを持つ。
「さて、機関部はどこだ」
 縛り上げた兵に銃を突きつけてカミカワが尋ねる。
「新生教か?」
 答えようとしない兵士の横っ面をカミカワが殴る。
「違うよ。お前らを救いにきたんだよ」
 兵士とカミカワが睨み合う。
「……中央エレベーターから最上階まで上がって、階段を降りればわかる」
「賢い選択だ。素直が1番だな」
 カミカワは銃を下ろす。

 3

 エレベーターは最下層にいた。エレベーターが昇ってくるあいだ、シンジは鼻歌を歌う。
「それ何の歌だ?」
「覚えてないの?『GOD ONLY KNOWS』だよ。ビーチボーイズの」
「覚えてないよ」
「歌詞がカミカワくんにぴったりなんだ」
「どんなんだ?」
「君をいつもいつも愛せないかもしれない。 I may not always love you~♪ 軽いカミ
カワくんにお似合いだね」
 エレベーターが到着し扉が開く。カミカワが先に中に入る。
「いや、俺はけっこう一途だよ」
「まさか」
 2人の会話を聞きながら、ヨウジとキリコは目を見合わせて笑う。

 エレベーターが階を上がっていく。
「2人ともずいぶん余裕があるね」
 ヨウジが言うとカミカワとシンジは笑う。
「お互いに1度死んでるからな。ゾンビみてーなもんだ」
「そうそう、普通ならここにいちゃいけないんだけどね」
「それに……もう、俺たちには何にもないからな。好きだった女も、叶えたかった夢も」
「それに大好きなバンドもね」
 キリコはそれを聞いて、気付く。
 彼らを憐れんだのは、この時代が彼らの時ではないからだ。たぶん、彼らは自分が間違
った場所にいるとわかっているのだろう。彼らの人生はすでに前の時代で終わっているん
だ……

 扉が開く。最上階。ヨウジは寒気を感じる。トラウマ。失禁するほど恐怖感じた場所。
4人は外へ出る。

 4

 シミズは船着場に到着し体を壁から出す。兵と住人の小競り合いは続いている。

 なんともはや。せっかくの人生を与えてやったのに……箱庭を出ようとするなんて。俺
に逆らうなんて。愚かだな。邪魔だな。仕方ない、眠ってもらおう。

 シミズはまた箱舟に潜り込み、そして船着場にいる連中を中に引きずり込む。

 住人を抑えていた兵たちが見たのは、異様。床や壁に引きずり込まれていく、住人たち
の姿。巻き添えをくったCG兵がもがいている。
「誰か、助けてくれ。引きずり込まれる。助けて……」
 誰も動けない。白昼夢を見ているよう。そしてやってきたのは、静寂。住人や幾人かの
CG兵は遺跡に引きずり込まれてしまった。

「片付いたな」
 何食わぬ顔で司令であるシミズが姿を現す。
「あ、司令。あの、これは一体……」
 1人の兵が尋ねると、シミズは無表情で答える。
「母親の胎の中に返ったんだよ。ただそれだけだ。おい、それより他におかしなことは起
こってないか?」
「いえ、何も」
「警戒を怠るな。何か起きるぞ」
 その時、ハコブネが身を揺すり、鳴動した。シミズは上層を見上げ、憤怒の形相。
「ガキどもぉぉぉぉ」
 兵たちは何が起きたのかわからず、ただ立ち尽くしている。すべてが悪夢のよう。住人
や同僚たちが遺跡に吸い込まれていったのも、今、ハコブネが不気味な悲鳴を上げている
ことも……

 兵たちがぼんやりと上層を見上げている傍で、シミズは遺跡に潜り移動を開始する。

 邪魔邪魔邪魔。全部邪魔。うぜえうぜえ。アリサワさんもガキどもも、箱庭も、このだ
せえ世界も。うぜえ。死んじまえ。消えちまえ。
 
 全部、無くなってしまえ! 

 5

 カミカワたちが機関部へ突入。ある程度の抵抗を予想していたものの、中にいたオペレ
ーターや警備兵はモニターを凝視したまま立ち尽くしている。
「手を挙げろ。変な真似したらぶっ殺す」
 カミカワの半ば本気の脅し文句も機関部内に空疎に響く。人形みたいな目が入口に立っ
て銃を構えている4人に注がれる。
「何だ、こいつら」
 ヨウジはグロックを構えたまま兵たちの様子を訝る。

 武器を没収して兵やオペレーターたちを一箇所に集める。兵たちに歯向かう素振りはな
い。
「キリコさん、ヨウジ、さっさと機関部を破壊しちまえ」
 カミカワが兵たちに銃を向けながら声をかける。キリコとヨウジがそれを受けて、機器
類にはちゃめちゃに銃を撃ちまくる。
「なぁ、お前ら何ぼんやりしてんだよ。お前らの大将はどこだ?」
 カミカワが1人のオペレーターに声をかける。
「吸い込まれたの……」
「なんだぁ?」
「1人残らず、遺跡に吸われて……司令が壁から出てきて、壁に潜って……吸い込んだの
よ……」
 シンジとカミカワがそれを聞いて顔を見合わせる。
「シミズさんだな」
「だね」
「入れ違いか」
「たぶん下の暴動を抑えにいったんだね」
「ねえオペレーターさん、モニターでそれを見たの?」
 シンジが優しい声で話しかけると、オペレーターを含め全員が肯いた。
「そう、ありがとう」
 シンジは微笑む。そして兵から没収した小銃で機器類を破壊し始める。
「カミカワくん、さっさとここを終わらせよう」
「だな」
 カミカワも一緒になってはちゃめちゃに銃を撃ち始める。兵たちは壊れていく機関部を
ぼんやりと眺めている。

 警告音が鳴り始める。機関部内は火の海。シンジが兵たちに避難するように告げると、
彼らはのろのろと機関部を出て行った。
 ハコブネが揺れ始める。浮いていたその身が、地面に向けて落下を開始したのだ。
「成功ね。あとは落ち合う場所へ行くだけね」
 キリコは息を弾ませて言う。
「キリコさんとヨウジはそのまま向かってくれ。俺とシンジはちょいと用事を終わらせて
から合流する」
 カミカワがそう言うと、シンジに顎で、行くぞ、と合図を出す。シンジはうんうん、と
肯いて部屋を出て行こうとする。
「作戦と違うじゃない!」
 キリコが叫ぶ。
 カミカワはにやりと悪そうに笑みをつくって、そして向きを変えて機関部を出て行こう
とする。
「待ちなさいよ!あんたたち、逃げるんでしょう?」
 カミカワはドアに手をかけて足を止める。シンジはすでに部屋の外に出ている。
「当たり前だろう、死んでも逃げるんだよん」
 そして2人は外へ出た。残されたキリコとヨウジは警告音と聞きながら、動けないでい
る。

「格好つけちゃってまぁ」
 2人は階段を下りている。エレベーターは緊急停止をしていて使い物にならないからだ。
「そんなタイプじゃないくせに」
 シンジがカミカワを茶化す。
「うるせぇな。俺にだって格好つけさせろい」
 カミカワは口を尖らせる。
「さてと、いっちょやりますか」
 シンジはグロックの弾層を確認する。
「またお前とか、色気ねえなぁ」
 カミカワは小銃の銃身を左手でぽんぽんと叩く。
「そう言わないでさ」
 シンジが笑う。カミカワも苦笑い。2人の笑い声が階段に響く。






 続く




     


  5 因縁


 1

 ハコブネの落下を前に、CG兵たちは目を疑い、新生教徒は神の思し召しだと歓喜した。
巨大な岩塊がゆっくりと草原に降りる。痺れるような地響きが鳴り、ハコブネは活動を停
止した。

 キリコとヨウジはカミカワたちに遅れて機関部を脱出。ハコブネ壁面に埋め込まれてい
る給水パイプをとおって地下水路を目指す。機能が停止した影響で、塔上部まで水をまわ
していたシステムは停まっている。おかげですんなりと降下が可能。機関部すぐ傍にある
上下水道の管理室から侵入。まるでウォータースライダーのよう。滑る速度を両手足で踏
ん張って調整。地下の貯水池まではあっという間。相変わらずの不気味な色の水が2人を
歓迎する。
「キリコさん、あの2人大丈夫なんでしょうか?」
 貯水池を出て、地下水路を辿る。ハコブネ全体の機能に影響が出ているのは明白。水の
流れは止まっている。
「任せるしかないわね」
「シミズって男、普通じゃなかったですけど……」
「そうか、ヨウジは会ったことあるのよね」
「ええ」
 ヨウジの頭の中に苦い思い出がよみがえる。悪意そのものの男……
「原初の悪意」
「え?」
「シミズという男はそれなのよ」
 キリコには1つの予感がある。おそらく、あの男は殺せない、という予感。
 
 それとも、あの2人には何か策があるのかしら……

 キリコはカミカワとシンジの間抜け面を想像して、ため息をつく。

 行き当たりばったりね、きっと……

 2

「ところでさ、シンジ。このまま降りていけば奴に会えるのか?」
 長い階段を降りながら、カミカワが尋ねる。
「知らないよ。でも地下遺跡には繋がってるんでしょ?ヨウジくんに確認済みだよ」
「でも奴がいつまでの遺跡にいるなんて確証はないだろ?」
「そりゃそうだけど……たぶん、今回の件は僕たちの仕業だって気付いてるだろうから向
こうからやってくるかも」
「楽天的というかなんというか……」
 カミカワのため息。シンジは鼻歌。
「それより、この階段いつまで続くんだよ」

 2人は最初のうちは元気良く降りた階数を数えていたが、40を越えたあたりで止めた。
理由は気が滅入るから。カミカワくんらしいや、とシンジは笑った。

「ちょっと休憩!」
 カミカワはその場で尻餅をつく。シンジは困り顔。
「どうせあいつの方が俺たちを殺そうってんで探し回ってんだ。このままど~んと構えて
ていいんじゃねえの?」
「楽天的というかなんというか」
「人の台詞をとるな」
 シンジは何気なく、階層を表示しているプレートを見る。
 『議事堂』
「カミカワくん、なんか面白そうだよ、ちょっと見てみようよ」
 シンジがプレートを指差す。カミカワは面倒臭そうに手を振る。
「パスパス。どうせ国会みてーなつまんねんとこだろ?見る価値ねえよ」
「いいじゃん、休憩がてら見学しようよ」
 シンジはそう言ってカミカワの体を揺する。
「わかった!わかったよ、ちょっとだけだぞ」
「やったね」
「まったく、余裕こきすぎだっつーの」
 ぶつくさ文句を言いながら立ち上がるカミカワ。シンジはすでにドアに手を掛けている。
「さ、行こう」
 シンジはドアを開ける。

 3

 シミズはハコブネの中に身を置き、意識を集中させている。目標は機関部を破壊した連
中。無数の意識の海の中で、シミズの悪意はどす黒く目立つ。

 ……議事堂か。

 シミズは2つの気配を感じ取る。懐かしく憎らしい2人。カミカワとシンジ……シミズ
は意識の海から這い出て、遺跡の出口に立つ。地下遺跡より上部の町は組成が違うため、
中に入ることはできない。
 一歩一歩階段を登っていくシミズ。議事堂は塔のちょうど中央に位置している。ゆっく
りとした足取りが早歩きになり、駆け足になり、そして猛烈な勢いで階段を登り始める。
シミズの顔は笑みと憤怒でこの世のものとは思えぬ表情。口を大きく開けて、手足を大き
く振って、シミズは行く。目は血走って、瞳孔は開いている。

 あいつら殺したら、アリサワさんどんな顔するかなぁ。悔しそうな顔するかなぁ。あい
つら1人ずつ殺して、最後にサヨリを陵辱して八つ裂きにしたら、アリサワさんどんな顔
するかなぁ。泣くかなぁ。喚くかなぁ。怒るかなぁ……悔しがるだろうなぁ。怒るだろう
なぁ。そしてアリサワさん1人残して、世界全部をぶち壊したら気持ち良いだろうなぁ。
アリサワさんは、そうだなぁ、でっかいフラスコにでもぶち込んで、蓋をして、閉じ込め
ておこう。たった1人で、何もない世界で、生き続けるんだ。そういう風に体を作り変え
てやれたら、素敵だろうなぁ。アリサワさんはずっと生き続けるんだ。俺はたまに覗きに
いって――もちろんアリサワさんに見つからないように――くすくす笑ってやるんだ。く
すくす笑ってやるんだ。くすくすくすくすくす…………

 4

 座席が円形状に並んでいる。後ろにいくほど高くなっているのはお約束。議長の座る席
が正面にあり、その下に答弁台がある。議長席の正面奥に入口があり、そこから答弁台ま
で赤絨毯の階段。
 シンジは珍しそうに座席を見たり、答弁台のマイクをいじったりしている。カミカワは
その様子を議長席に座って見ている。
「ガキみてーに騒いでんじゃねえよ」
 カミカワの呟きはシンジには聞こえない。

 まったく、油売ってる暇なんてないのに……

 カミカワは机に肘をついて、顎を手の甲にのせて、欠伸。足を組むと膝先が何かに触れ
た。机の下を覗き込むと、スイッチがある。カミカワは何も考えずにスイッチを押す。
「うわぁ」
 シンジの叫び声。机の下からカミカワが顔を出すと、目の前には異様な光景。さっきま
で無人だった議事堂に人が溢れている。そのすべてが席に着いている。立体映像か?と思
ったがシンジが答弁台に近い席の男――30代半ばの男。濃緑のスーツに下品な幾何学模
様のネクタイ――の頬を触っている。
「これ本物だよ。人形じゃない。脈もあるし、息もしてる。意識はないみたいだけど、僕
の手に反応して視線はこっちを向いてる」
「なんだよ、これ。ずいぶん悪趣味な蝋人形館だな。ここは東京タワーかっつーの」
 カミカワは議長席から降りて答弁台の傍による。
「シンジあんまいたずらすんなよ。それにしてもホラー映画みてーだな。今にも動き出し
て襲ってきたりして」
 そう言ってカミカワはシンジが触っている男の鼻をつまむ。

「良い趣味だろう」

 議事堂内に、静かな声が――それでいて良く通る声――が響く。2人は声の方を見る。
議事堂入口の階段最上段に腰掛けている男。シミズ。

 5

「こいつら模造人間なんだ。精巧に作られてるだろ?まぁ脳みそ空っぽだけどな」
 シミズは笑う。2人はその笑い声に反応して、議席を盾に身を屈める。

「こういうシステムってのは便利だよな。民主主義っていうの?説得力がある」
「ずっとこういうの操ってみたくてさぁ」
「世界を牛耳ってるって感覚だよなぁ」
「たぶんさぁ、1番まともなのはさ……って、いや、これ前の時代の話ね。お前らも覚え
てるだろうけどさ。アリサワさんが世界のリーダーになってさ、そのままいっちゃえばよ
かったんだよね。たぶんそれが1番正しい、世界の在るべき姿」
「いや、まぁ、今さらって話しだけどな」
「それなのに、あの人、俺を撃ったんだぜ」
「つまんねえよな」
「お前らに感化されたんだよ、きっと」
「ほら、前はさもっとクールな人だっただろ?」
「サヨリとかのさ……きっとそうなんだよ。お前らのせいなんだよ」

 シミズは気持ち良さそうに語る。カミカワとシンジは身を屈めながら、話を聞いている。

「まったく、俺とアリサワさんが楽しく戦争してるってのに、邪魔しやがって。とんだ水
入りだよ」

 カミカワとシンジはその言葉に顔を見合わせる。シミズは新生教のリーダーをアリサワ
だと誤認している……2人は顔を見合わせたまま笑う。
 カミカワは立ち上がり、階段の終わりに片足を載せる。
「いや~残念、お前の戦ってるのはアリサワさんじゃないよ。アリサワさんの姿と名前を
騙ってるだけ」
 カミカワはウインクする。シミズはゆっくりと首を傾げる。続いてシンジが顔を出す。
「残念でした。1人相撲ってやつだね」
 シンジも同じくウインク。シミズは首を傾げたまま硬直。口は半開き。口の端からつつ
ーっと涎が赤い絨毯に落ちる。
 ガクンと体を揺らして、シミズは体を揺らす。目の焦点は合っておらず、口の端に泡を
ふいてる。そして、ぴたっと震えが止み、笑い出す。
「ああ、ああ、そうなんだ。またコケにされちゃってたんだ。でもいいんだ。ああ、わか
ってんだ。でも、お前らを血祭りに上げれば、アリサワさん出てくるんでしょ?簡単なこ
とだよね。お前ら全員殺していって、サヨリまで殺せば、あの人、きっと出てくるよね」

「黙れ、狂人」

 シンジがシミズの額を狙ってグロックの引き金を引く。銃弾はシミズの額を外れて頬に
ぶち当たる。しかし、シミズは微動だにしない。その様子を当然のように見つめる2人。

「シミズさん。このうざってえ因縁ここで終わらしてやりますよ」

 カミカワはそう言って小銃を構える。シミズは立ち上がり、にやりと笑う。

「ガキの癖に、生意気だ。馬鹿」

 シミズは腰に提げていたウージーを抜き、カミカワに向ける。

「死ね」

 シミズが発砲すると同時に、2人は横っ飛びで議席に身を隠す。最前列の模造人間の頭
が吹っ飛び、血の雨が降る。
「さて、どうしよう」
 カミカワがシンジを肘で突く。
「わかんない。カミカワくん、何か策は?」
 シンジがそう言うと、カミカワは、何も、という感じで顔をしかめて両手を上げる。
「だよね」
「だな」
「ま、やってみようか」
「いこうや」
 2人は肯いて、それぞれ反対方向に飛び出していく。







 続く




     


  6 予感


 1

 学校を出たアリサワたちは森の中を進んでいる。辺りは暗闇。灯りをともすわけにもい
かないので、アリサワを先頭にして、手探りで進んでいく。森の中は静か。膝上ほどに伸
びた雑草を踏み倒し、落ちた枝を踏み割って進む――枝が折れた音がするたびに、ユウや
ユキの心臓はドクンと鳴る――
「ヨウジたちうまくやったかな」
 ユウが前をいくユキに声をかける。小声で話したつもりが、やけに大きく聞こえたので
ユウは思わず口を塞ぐ。ユキは後ろを振り返り、口元に両手を添えて言う。
「キリコさんがいるのよ。大丈夫でしょ」
 それもそうか、とユウは思う。
「他人の心配より、まずは自分のことを考えるんだな」
 アリサワの声。低く抑えられて、よく通る声。ユウはアリサワの言葉に、ため息をつく。
そりゃそうだ。他人の心配できるほど、こっちも余裕はねえ。

 出掛けにアリサワが提案した作戦は、シンプルなものだった。
「俺が敵になってるなんて教団内では知られてないはず。リーダーにさえあわなければ、
ほとんどの奴は騙されるはずだ。もともと幹部だったんだからな」
 大手を振って入っていけば良い。それがアリサワの策。

 進む先に光が見える。アリサワが立ち止まり、身を屈める。
「見えたぞ、村だ」
 森がきれ、草原地帯に入る。村を囲う大仰な柵。
「さて。覚悟は良いか」
 アリサワはユウとユキの顔を見る。2人は真っ青な顔で肯く。

 不安……か……あれ?

「ノアはどうした?」
 アリサワが尋ねるとユウとユキはハッとして周りを見回す。
「ノアちゃん?」
 ユキが暗闇に向けて呼びかけるも返事はない。

 2

「探してる暇はないぞ」
 アリサワはそう言って村へ向かおうとする。
「でも……」
 ユキは森とアリサワを交互に見やる。
 ユウはしかめっ面で考え事。そういえば、どこまでノアは一緒にいただろう?学校を出
てすぐはいたはず。俺の後ろを歩いていた……
「大丈夫だ。ノアなら大丈夫。しっかりした奴だよ」
 アリサワはそう言って2人についてくるように言う。
 
 あいつは大丈夫。俺の勘はこう言ってる。ノアは普通じゃない。サヨリたちを付き合っ
てきたんだ。それくらいはわかる……
 
「ユキ、進もう」
 ユウが立ち止まって森を見ているユキの手を引っ張る。
「ユウ、でも……」
「それでも!」とユウはユキの言葉を遮る。「俺たちは進まなくちゃいけない」
 だが、何のために?ユウは自問自答する。ハツを救うためか?逃げ切るためか?それと
もこの世界のためか?それとも……他のみんなはわからないけど、たぶん、俺はサヨリの
ためなんだろう……
 ユウに引っ張られながら進むユキ。村の入口が見えてくる。見張りが2人立っている。
「いいか、堂々としてろよ」
 アリサワはそう言って、早足で進む。

 3

「ご苦労」
 見張りの前に立ち、アリサワはそう言った。見張りは若い男と女。男の方が声を上げる。
「コウイチロウさん!」
 若い男にはユウもユキも見覚えがあった。酒場をCGに囲まれた時に店内にいた男だ。
「今までどうしてたんです?」
「いや、アリサワさんから密命を受けてな」
「そうだったんですか。俺たち、外界に出てからずっとコウイチロウさんを探してたん
ですけど、姿が見えないもんだから……とにかく元気そうで良かったです」
 若い男はそう言って笑う。アリサワは複雑な心境。アリサワである自分とコウイチロウ
であった自分。この若い男は後者である自分を慕っていた……騙すわけじゃない……殺す
わけじゃない……
「アリサワさんに報告があるんだ。どこにいるのかな?」
 アリサワが尋ねると若い男は困った顔をした。
「それが、先ほどから姿が見えないんです。みんな探してるんですけど……」
 その時、アリサワたちの後方で地響きが聞こえた。空気が震動している。誰かが叫ぶ。
「ハコブネが落ちたぞ!」
 アリサワたちはハコブネの方を見る。夜の闇の中、ライトに照らされた岩塊が――それ
まで優雅に宙に浮いていたそれ――無様に地面にその身をくっつけている。

 カミカワたち、うまくやったみたいだな……

「どうしたんだろう、CGのやつら」
 若い男はぼんやりとハコブネを眺めている。
「中で待たせてもらう。後ろの2人はお前もよく知ってるだろう?」
 ぼんやりとしていた男は水をかけられたように、わぁ、と驚く。
「え、ええ。あの時の高校生ですね。威勢の良いあの女性は一緒じゃないんですか?」
「まぁな」
 アリサワ、ユウ、ユキの3人は怪しまれることなく、村への侵入に成功する。

 4

 新生教徒たちは村の中を右往左往。目の前にこの戦いの勝機が転がっているのに、指示
を出すものは不在。それでは代わりに誰かが指示を出せばいいのだが、その役割を持つ者
はいない。良くも悪くもリーダーの独裁組織。教徒たちは幹部を除いてすべて平等。だが、
幹部とは名ばかりで、実のところはただのまとめ役。リーダーシップなど微塵もない。ヒ
ラの教徒と一緒になって右往左往している。

 俺なら、一気にたたみかけるな。

 アリサワは教徒たちの慌てようを見ながらそう思う。だからこそ、あの男が不在なのが
気になった。勝機を捨てる気なのだろうか?たとえ村にいなくとも、あの馬鹿でかい図体
が落っこちればどこからだって見えるはず……

 3人はリーダーが使っているという民家の縁側に腰掛けている。
「ニセモノさんがいないってのは助かりましたね」
 ユウは背伸びをしながら言う。
「でも、ハツもいないわ」
 ユキの呟き。教徒たちに聞いてまわったが、夕方以降見ていないという。散々探し回っ
たが、ハツを見つけることはできなかった。
 ハツが見つからないというのに、ユキに落ち込んだ様子はない。ユキには予感があった。
これまでとは違う予感。離れ離れになってから止まなかった不安が、この村にやってきて、
消えた。どうしてだか、ユキは、ハツと一緒にいるような気持ちになる。

 たぶん、そう遠くない。ハツとの再会。神話学部勢ぞろい……そして、それからわたし
たちは何かを成すのだろう……

 5

 村の騒ぎはアリサワたちには好都合。タイミングを見計らって行動開始。アリサワが武
器庫に忍び込み、銃火器と爆薬を調達。その後、散歩と称して村の中にある――トラック
1台だけを残して――すべての車に爆薬を仕掛ける。
 仕事を終えて、縁側に戻る3人。素知らぬ顔で談笑。後はタイミングを待つだけ。
「アリサワさん、1つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
 アリサワはタバコに火をつける。ユウは寝転んでいた体を起こす。
「サヨリって、前の戦争でどんなんだったんです?」
 アリサワは頭を掻いて、煙を吐き出す。
「死神、と呼ばれていたよ。味方内で最も敵を殺した女」
「そうっすか」
「仕方なかったんだな、きっと。戦って敵を殺す……サヨリだって、いくら旅人ってモン
だったとしても、普通の女の子だよ。ロボットみて~になってた。敵を殺して、心を殺し
て……でも、今は違うな。憑き物が落ちたって顔だ。最後に箱舟で見た時より良い顔して
る」
 アリサワはタバコを地面に落とし、靴先で踏み消す。
「あの子のあんな顔は2度と見たくないな、って俺は思うな。10代の女の子の顔じゃね
えよな」
 アリサワはそう言って笑う。ユウはマルセイユで見たサヨリの顔を思い出す。今にも死
んでしまいそうな、青白い肌、薄い唇……

 いや……俺はそのために、ここまで来たんだ……

 村の入口の方が騒がしい。笛の音が鳴る。一部の教徒が指示を待たずにハコブネに突撃
を始めたよう。村中がさらに浮き足立つ。先行した教徒たちに続いて特攻を開始する者、
どうしていいかわからずおどおどする者、特攻を止めるように説得する者……村は混乱の
極み。
 さてと、とアリサワは縁側から庭に降りる。
「行くぞ。今がチャンスだ」
 アリサワたちは家を出て、爆薬を仕掛けていないトラックへ向かう。
 トラックへ乗り込み、アリサワは手に持った発火装置のスイッチを押す。直後村中から
爆発音。アリサワはアクセルを踏み込む。タイヤは数秒地を噛まずに空回りをして、急発
進した。
 村中の教徒たちはまとまりがなく、特攻する者、爆発したトラックの消火をする者、呆
然と立ち尽くす者等々……アリサワたちの乗ったトラックが傍を通っても気にすることも
ない。
 村を飛び出るトラック。アリサワは、学校の方を見る。相変わらず屋上からは煙が立ち
上っている。そして嫌な予感が、アリサワに天上から降ってくる。

 キョウジとサヨリ……あいつら、もしかして……

 アリサワの頭の中で、三つに組を分けたこと、キョウジとサヨリだけが居残ったこと、
村に教祖がいなかったこと……色んな事柄が絡み合い、1つの答えを出す。

 囮か!







 続く




     


  7 判断


 1

 車内は静か。エンジン音だけが響く。ユウとユキは後部座席でフロントガラスの先の暗
闇を見つめている。後方、村からは赤い火の色が差している。アリサワは火のついたタバ
コをくわえたまま、ハンドルを握っている。
 アリサワは迷っていた。自らが導き出した答え――もちろん確証はないが――に引きず
られていた。

 あの2人が決めたこと……だが、それが自己犠牲から導かれたものだったとしたら……
あの男が2人に会いに行っているって確証はない……狙いはなんだ?キョウジの、そして
あの男の……

 車はキリコたちと落ち合う場所へ向かっていた。草原の入口。戦場から離れた場所。仲
間たちと落ち合い、それから一気にシベリア鉄道を目指す。戦場が遠くなり、堕ちたハコ
ブネが歪な卵に見えてきた。草原入口を目前に、車は急停車。不意をつかれたユウとユキ
がバランスを崩す。
「一体どうしたってんです?」
 ユウが助手席の背中にぶつけたおでこをさすりながら怒鳴る。
「ちょっと考えさせてくれ」
 アリサワは車を降りる。残されたユウとユキの頭の中には無数のハテナマーク。

 2

 アリサワはそれまで吸っていたタバコを地面に落とし、もう一本タバコをくわえ、火を
つける。深呼吸の要領で煙をいっぱいに吸い、ゆっくりと吐く。

 落ち着け、落ち着け……

 シミズ、〈大きな音の神〉に挟み撃ちをされた最悪の状況。それぞれの足を止めて、学
校で火を炊いて相手を揺さぶる。予定ではこの後、混乱した戦場をキョウジとサヨリが駆
け抜けてくる。旅人だからこそ成せる力業。サヨリの力を信用していないとたてられない
作戦。
 キョウジの策は無茶のようで、意外に痒いところに手が届いている。留守番、ハコブネ、
村。この三つの中で1番安全な――それほどの差はないが――村へはユウとユキ、そして
俺。人死にを嫌う無垢な若手の引率。キョウジの読みは大当たり。あの男の眼中に俺はい
ない。俺への警戒は皆無。だからこそ、抜ける。幹部であるコウイチロウの地位をフルに
使った策。
 次はハコブネ。一見1番危なそうに思えるが、村と同等。情報によりCG兵の9割以上
は外界へ出ているのがわかっていたし、侵入のための前準備を抜かりない。キョウジが信
頼する――多分――カミカワ、シンジという2人に大人であるキリコ、そして議事塔に入
ったことのあるヨウジ。不安要素と言えばシミズの気紛れぐらい。たとえシミズが出てき
てもカミカワとシンジが抑えてくれるはず、との考えもあったのかもしれない。
 それぞれ自主的に志願したように思えるが、それぞれの過去の経緯を考えれば、自ずと
人選は固まる。
 そして、1番危険なのは学校。他の連中はシミズや新生教どもが時間を与えてくれてい
ると考えて、学校に留まるのはひとまずは安全、と考えていたはず。だが、実際のところ
は違う。キョウジのはったりに誤魔化されただけ。戦争が落ち着くまでは安全という保証
は、実はどこにもない。CGと新生教が我先に学校に突撃してくる可能性のほうが高い。
 キョウジはうまく、俺たちを誘導して、逃がしてくれた……これが本当のところ。
 そして、1番怖いのはあの化け物が直接仕掛けてくる可能性。キョウジたちは自らを本
当の意味での囮に仕立て上げたのだ。

 アリサワは悪い方悪い方へと思考を進める。その理由は、この状況があの時と似ている
から。前の時代、キョウジが帰ってこなかったあの日。二手に分かれ、さらにキョウジが
単独で行動。都合、三つに分かれた形。違うのは、キョウジが自分の意志でそれを望んだ
ということ。
 思考が泥沼へ嵌ったところで、風に吹かれて灰が舞う。そして、突き抜けた考えがアリ
サワに降ってくる。

 だが、もしも……もしも、キョウジがあえて〈大きな音の神〉を呼び込むためのこの作
戦をたてたとしたら?……それを狙ったとしたなら、キョウジの作戦通りということにな
る……決着をつけるつもりか……狙いが見えない……

 アリサワは根元まで燃え尽きたタバコを放り投げる。吸殻は風に揺らされて、闇に消え
る。

 3

 車内に残されたユウとユキ。外のアリサワを気にしながら、落ち着かない。
「アリサワさんどうしたのかな」
 ユキが窓ガラスに鼻先をつけてアリサワを見る。ユキの息でガラスが曇る。窓から顔を
話して、曇りに指先をあて、何気なく丸を描くユキ。湿った指先を見つめてから、曇りを
袖で拭き取る。
「わかんねえけど、迷ってるみたいだ」
「どうして?」
「わかんねえって」
 ユウは欠伸をする。
「ところでさ、あんた出掛けにサヨリさんに話しかけてたけど、何て言ってたの?」
「あ、ああ、あれね」
 ユウは照れくさそうに鼻の頭を掻く。

「サヨリ、銃を俺に貸してくれ。お前にはもう、必要ないだろう?」
 靴箱へ向かう途中、ユウはサヨリにそう切り出した。サヨリは訝しげな表情。
「やだ」
「もうお前、人を殺したくないだろう?」
「やだ」
「なんで?」
「これはお守りみたいなものだから。あなたには渡せない」
 だけど、と言いかけたユウは口をつぐむ。サヨリは絶対に譲れないといった顔。これじ
ゃ無理だな、とユウは思う。
 サヨリから銃を取り上げることで、戦うことから守ろうというユウの考えも、サヨリの
強情なまでのハチキュウへの入れ込みにはかなわない。
 別にいいさ、他にもやりようはある……

「ちょっとね」
「教えなさいよ」
「まぁ、その内な」
「サヨリさんに惚れたの?」
「なんだよ、いきなり」
「女の勘よ」
「そんなんじゃねえよ」
 ユウは不貞腐れて、窓の外を見る。ユキはそれを見て笑う。
「あんまり話してないけど、可愛い感じの人よね。死神だなんて嘘みたい」
 知らねえよ、とユウは1人ごちる。
「キョウジくんは世界を救わないって言ってたけど、あの人たち、気付かずに世界を救っ
ちゃいそうな感じよね。そう思わない?ね、ユウ」
 ユウは答えない。
「すねないでよ……でさ、だからこそ、さ。その手伝いができたらいいよね。あの2人が
逃げることが世界を救うことになるなら……私、頑張りたいと思う」
 けっ、俺より先に言うんじゃねえよ、とユウはにやにや笑いながら思う。

 4

 ……狙いが見えないなら、わからないなら、考えなければ良い。

 それがアリサワが下した判断。その根っこにはキョウジと、何よりサヨリへの信頼があ
った。

 あいつらは簡単には諦めたりしないし、自己犠牲がどれだけ嘘臭いかってこともわかっ
てるはず。だから信じてみよう。だから俺は、作戦通り集合場所は向かう。今更引き返し
て助けにいったとしても、意味はない。それどころか――悲しいかな――足手まといだろ
う。俺は俺にできることをやっていこう。せめて、ユウとユキだけは守らなければ……俺
だって死ぬ気はない。前の時代で最後に願った、サヨリの結末を見届けるまでは……

 アリサワは勢い良くドアを開ける。後部座席の2人が飛び上がって驚く。
「アリサワさん、驚かせないでよ」
 ユウが泣きそうな声を出す。
「行くぞ、集合場所へ向かおう」
 アリサワは思い切りアクセルを踏む。車は急発進。準備していなかった後部座席の2人
はまたしてもバランスを崩す。

 5

 草原の入口が見えてくる。その先は森。ここまで来ると戦場の気配はない。アリサワは
トラックを止める。キリコたちの姿はない。
「まだ来てないみたいだな」
 アリサワはエンジンを切る。ユウとユキは外へ出る。夜が終わりそうな匂いがする。夜
空の黒が心なしか薄くなってきたように見える。
「来るよきっと」
 ユキは誰にともなく呟く。
「当たり前だろ。キリコさんだぜ」
 ユウはそれに答えるように大声で言う。ユウの声は森の中に吸い込まれていく。
「まぁ、ゆっくり待とうや」
 タバコをくわえたアリサワが車を降りてくる。
 3人は空の色がゆっくりと変わっていくのを、草原に寝転がって眺めている。

 空の色は透明に近い青になっている。朝の冷気が、うとうとしかけたユウの頬に降りる。

「お待たせ」

 ユウとユキは飛び起きて声の方を見る。そこには自信満々の顔のキリコとにやにや笑い
のヨウジが立っていた。アリサワはゆっくりと体を起こし、4人を見守っている。

「さぁ、これからだね」

 キリコはそう言って、笑った。







 続く




     


  8 このセカイ


 1

「ホントにこっちであってんすか?」
 ヨウジの不安げな声が地下水路に響く。キリコはじゃぶじゃぶと水を蹴りながら進んで
いる。
「うっさい。とにかく進めばどっかには出るわよ」
「キリコさんのアバウトなとこ好きだけど……これ、なんか戻ってる気がするんですけど」
 キリコとヨウジは地下水路で迷っていた。ハコブネの地下に縦横無尽に張り巡らされて
いるだけあって、ちょっとした迷路。標識もなければ矢印もない。2人は、自分たちの現
在位置を見失っていた。
 地下水路に入ればあとは楽、との考えは甘かったと2人は反省する。落ち着いて進もう
と言うヨウジを無視してキリコはどんどん進んでいく。なんとかなる、なんとかなる……
キリコの楽天的な言葉にヨウジはため息。

 戻ってる気がするんだよなぁ~

 はぁぁぁぁ、とヨウジの大きなため息は地下水路に木霊した。

 2

 2人の目に出口を思しき扉が飛び込んでくる。勝ち誇ったように、ふふん、とキリコは
腕を組んで扉の前に仁王立ち。
「だから言ったでしょ!」
 キリコは豪快に扉を開ける。しかし、そこは期待した光景ではなく、どこか狭苦しい研
究室のような場所。キリコは大きく舌打ち。
「ま、いいわ。とにかく地下水路は出れたし、でもここどこ?」
 扉をくぐると、警報が鳴る。

『新生教徒がこちらに向かってくる、各自迎撃用意』

 その放送で気付く。ここは議事塔。2人は戻ってきたことに落胆。このまま地下水路を
引き返すのも面白くないとキリコは言って、室内を進んでいく。
「それに、なんか面白いものが見つかるかも」
 ヨウジは一刻も早く議事塔から離れたかった。不吉な予感。いつCG兵が飛び出してき
て蜂の巣にされるかわからない恐怖……
「キリコさん、とにかく出ることを考えましょう。CG兵に出くわさないように用心して
……」
 とヨウジが言いかけたところで、キリコが立ち止まる。そして大きく叫ぶ。怒りという
より、悔しさを誤魔化すような声。
「そんな声出して、誰かきたらどうするんですか……」
 そして、ヨウジはキリコが見ているものを見る。
 水槽の中に浮かぶ、胎児。ヨウジには悪趣味なオブジェにしか見えなかったが、キリコ
には、世界の真実に見えた。

 3

 研究所内にある書類を荒らし回って、詳細を調べる。そして辿りつく。予想通りの結末。
あまりにありそうな話で、キリコは思わず笑ってしまいそうになって、ついでに泣きそう
になる。
 暴れまわるキリコを見守るヨウジ。もはや何を言っても無駄だろうという諦めている。

 それに、この形相ならCG兵が何人きても張り倒しちゃいそうだな……

「行きましょう、ヨウジ」
 ひとしきり研究所内を荒らしまわったキリコは手に持った書類を宙に放り投げる。宙に
舞う書類の中をキリコは進む。
「あ、待ってくださいよ」
 キリコの後を追おうとして、ヨウジが何かにつまずきこける。その拍子に近くにあった
装置のスイッチが入る。流れてくる音。波の音。
「痛てて」
 つまずいた足をさするヨウジ。キリコは足を止めて、波の音を聞く。
「そういや、波の音って胎教にいいんですよね。なんかで読んだな」
 ヨウジの何気ない一言。キリコは目を閉じる。
 
 嗚呼、神様、あたしたちが何をしたというの!

「つかどうしたんすか、キリコさん」
 立ち上がりキリコの肩に手を置くヨウジ。キリコはその手に上から自らの手を重ねる。
心臓ばくばくのヨウジ。顔は赤い。キリコは目を開ける。ヨウジの方を見て、作り笑い。
「なんでもない、行くわよ」
 握ったヨウジの手を払いのけるキリコ。ヨウジは肩透かしをくらう。

 なんでえ、つまんねえ。

 4

 研究所の外に出て、ここが議事塔と地下遺跡の中間にあたる場所であることに気付く。
階段の表示がその目印。悩んだ挙句、2人は地下へ向かう。上へ行くよりは下へ。逃げ
ている者の思考そのもの。
「でも、地下遺跡の出口って船着場だけですよね。CG兵がうじゃうじゃいるんじゃな
いんですかね」
 ヨウジが不安そうに言う。
「行って駄目なら……ま、なんとかなるんじゃない?」
「そんなテキトーな。ま、いっか。これまでもなんとかなってきましたもんね」
 ヨウジは半ばやけくそ。でたとこ勝負と意気込む。

 アリサワたちから聞いた話……さっき見た水槽の胎児……

 キリコは考えている。考え続けている。

 地下遺跡は静か。黙らせて縛り上げた間抜けたCG兵の姿もない。船着場にも人気は
ない。落下の衝撃で床がガタガタになっている。用心して進む2人。外へ出ると、草原
は怒号に包まれいた。殺し合いが再開。2人はハコブネの裏手に回り、落ち合う場所へ
向かう。

 5

 あたしたちは人工的に創造されたモノ。両親を知らないのも、幼い頃の記憶が曖昧な
のも、寿命が短いのも、そのため……あたしたちは人間――ヒト――じゃない。この世
界にヒトはいなかったのだ!みんながみんな、出来損ないの作り物。先生も作り物。試
験管ベイビー……誰かによって――たぶん、シミズという男――生み出されたのだ。命
も、運命も……

 意味はなかった、とキリコは考える。あたしの人生には何の意味もなかった。

 だけど……全然諦めてないのはどうしてだろう?こんなにも懸命に落ち合う場所に向
けて走っているのは何でなんだろう?生きたい生きたいと願うのはどうして?それでも
どうにか、なんとかこの先やっていって、世界を変えられると思うのは何で?これまで
とは違うところへ向かおうという意志が萎えないのはどうして?

 キリコは自問自答を繰り返す。

「キリコさん、みんな無事かな?」
 息を切らしながらヨウジは言う。
「大丈夫よ、あいつらみんな頑丈だから」
「カミカワとシンジも?」
「あの2人は特に頑丈そうよ」
 キリコは前の時代からの因縁について思う。どうして彼らは自分の人生を呪おうとし
ないのだろう、と。

 望んでもいないのに、300年後に起こされるこの世界唯一のヒト。目をつぶること
を禁じられた観察者。旅し続けることを運命付けられた男女。他人の体に転生した男。
前の時代ではそれぞれに、それぞれの人生があっただろう。けれど、今ではもうぐちゃ
ぐちゃだ。良いことなど1つもない。だが、彼らはたくましい。諦めない。生きていこ
うとする。抗おうとする。自分の意志を貫く。誰にも従わない。嘆かない。振り返らな
い……前に進み、今のつまらない現状から逃げ出そうとする。逃げようと必死に生きる。
どこかへ行こうとする。このつまらないここではないうどこかへ!

 ここまで考えて、真剣に思い悩む自分が馬鹿らしく思えてくる。自分の悩みなど、こ
の人工的な世界においては、ゴミ同然だと気付く。そしてこの世界はそのゴミによって
成り立っているのだ、と考える。そこにはゴミ同然である自分達の意志があるのだと理
解する。

 先生は自分が紛い物だと知っても、ああいう風に生きて死んだだろう。たとえ自分た
ちが紛い物であっても、自分で道を選ぶことはできる。あたしは、そのためにここまで
来たのだ。そして、これからもそのために進んでいくだろう。あたしはこの子たちと―
―後ろを走るヨウジをチラッと見る――あいつらと進んでいくのだ。望んだ結末へ!

 2人は遠めに停車しているトラックを見つける。地面に寝そべっている三つの影。キ
リコとヨウジは駆け足を止め、早足でトラックへ近づく。その頭上で、空は色を変え始
め夜は終わりを迎える。









 続く




     


  9 異変


 1

 カミカワの目の前で模造人間の頭が吹っ飛ぶ。血と肉片の飛沫の中、カミカワはシミズ
に向けて発砲する。肩口に銃弾がめり込む……が、シミズは涼しい顔。一滴の血も流れな
い。

 やれやれ、こりゃ、本格的にやばくなってきたな。

 そう呟いて、カミカワは机の下に身を隠し、シミズの攻撃をしのぐ。

 カミカワ、シンジの懸命の攻撃はシミズにはまったくもって効いていない様子。シミズ
は2人をいたぶっているようで、笑みを浮かべている。カミカワは体力と銃弾だけを消耗
していっていることに苛立つ。このままではジリ貧。確実に死ぬ。
 
 カミカワがいる机にシンジが滑り込んでくる。
「かなり、やばいね」
 シンジは弾倉の中を確認しため息。
「こんなにやばくなってるとはな。前の時代とは大違いだ。もっと化け物じみてやがる」
 カミカワが机から頭だけ出す。視界にはゆっくりと近づいてくるシミズの姿。すぐに頭
を引っ込める。
「シンジ、あいつを倒す方法とかわからないのかよ」
「ごめん、それだけはわからないんだ」
「手詰まりか」
「どうしよう」

 シミズの足音が近づいてくる。これからの策を考える間もなく、2人は議事堂内を逃げ
回る。

 2

 シミズは上機嫌でウージーを乱射している。どうやって殺そうか、いたぶろうか、それ
を考えながらシミズは笑う。
「カミカワ、シンジ、今度こそ殺してやるよ」
 叫び声が議事堂に響く。カミカワが姿を現し、発砲。シミズは笑いながら銃弾を受ける。

 効かない。効かない。俺はもうヒトを超越してる。

 銃弾はシミズのこめかみに当たる。やっぱり駄目か、とカミカワは思った、がそこでシ
ミズに異変。こめかみに手を当てて苦しんでいる。

 痛い、痛いよう。アリサワさんに撃たれたところが痛いよう。

 シミズは苦しさのあまり膝を折る。くそ、くそ、くそ、と呪文のように唱えるシミズ。
涙が一滴赤絨毯に落ちる。

 3

「どういうこった?」
 カミカワは苦しむシミズを見て不思議に思う。
「こめかみ?」
「あ!」
 シンジが声を上げる。
「そうだよ、アリサワさんに撃たれた場所がたしかあの位置。こめかみだ。もしかしたら
シミズさんにとっては『痛い』ところなのかもしれない」
「そうすると……」
「あそこが弱点なのかもしれない!」
 2人は顔を見合わせて肯き、そしてシミズに駆け寄る。

 シミズは2人が駆け寄ってくるのを見る。こめかみの痛みは少しひいている。走りなが
らシンジが発砲する。弾はシミズのこめかみのすぐ傍を通り、絨毯に当たる。

 狙ってんのか?こめかみを……

 シミズの体に悪寒が走る。それまでの笑顔が崩れ、一瞬、恐怖の表情をつくる。

 アリサワさん、俺は……

 シミズは立ち上がり、議事堂出口へ走る。

 4

「逃げやがった。やっぱりこめかみが弱点なんだ。追うぞシンジ」
「うん」
 2人はシミズを追う。議事堂を出て、階段へ入るシミズ。
「遺跡へ行く気か?」
「たぶんね」
 シミズを追って階段へ入る2人。

 シミズは混乱している。こめかみがこれほどまでに『痛い』ということに。いまだにあ
の時のコトが自分を縛っているということに。
 シミズは嫌になる。自分に、自分を裏切ったアリサワに、この世界に、追ってくるカミ
カワやシンジ、キョウジ、サヨリに……すべてから逃げたくなる。忘れたくなる。何も考
えたくなくなる。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ……

 シミズの精神はすでに幼児から赤子へと落ち始めていた。ヒステリックで、気ままで、
保護してくれる者を純粋に求める……
 地下遺跡に到着する頃には、シミズの精神は赤子よりもさらに純粋になりつつあった。
精神は胎児にまで戻り、彼の心の中は白紙になっていた。

 5

「追い詰めたぞ、シミズ」
 カミカワが地下遺跡奥、かつての機関部の床に体を丸め震えているシミズに銃を向ける。
「カミカワくん待って。様子がおかしい」
 シンジがカミカワの手を制する。
 シミズは体を震わせて、そして泣き始めた。

「イヤだ、イヤだ。みんな嫌いだ。みんな、みんな、なんで俺を虐めるんだ。怖いよう。
イヤだよう。アリサワさん、アリサワさん。どうして、俺、俺、俺……」

 シミズの体がゆっくりと床に沈んでいく。
「こいつ、逃げるつもりか!」
 カミカワがシミズを押しのけて発砲する。弾はそれまでシミズがいた床に当たる。シミ
ズはすでに姿を消している。
「くそ、逃がすか」
 カミカワが床の潜ろうとすると、シンジが止める。そして、遺跡が小刻みに震え始める。
ぐずる赤ん坊のように。心臓の鼓動のような音が鳴り始める。床や壁が蠕動運動を始める。
「なんか、やばそうだ。カミカワくん、外に出よう。とてつもなく嫌な予感がする」
 カミカワも遺跡の異変に気圧されて、シンジの言葉に従う。
 2人は船着場から外に出る。見上げるハコブネは変化を始めていた。下層の遺跡部分が
まるで生き物のように上層の町を侵食し始め、そのまま飲み込んだ。球形に姿を変え、宙
に浮く。
「何が起こってんだ」
 カミカワは目の前の事態を把握できずに眉をしかめる。
「……ハコブネはヒトの体と精神で作られてる。シミズさんはそれを全部飲み込んで、町
の部分も食ったんだ。あれはシミズさんの悪意そのもの……」
 シンジは球形になったハコブネを見上げて言う。

 数分後、球形のハコブネがぐにゅぐにゅと身をよじらせ始め、そして耳をつんざくよう
声が上がる。

――アリサワさん、アリサワさん、ドコ?

 球形だったハコブネが姿を変える。その姿はまるで胎内で目を閉じる胎児の様……

――ドコ?ドコ?サヨリはドコ?みんなどこ?どうして?どうして?アリサワさん。みん
な。ドコ?

 それはシミズだった。すでに生き物を超越し、純粋な精神だけを持った存在になってい
た。自分がシミズであったことも忘れ、ただひたすらにアリサワやサヨリを求めるように
なっている。

「かなり、やばいな」
 カミカワは移動を始めるでかい胎児を見つめる。
「うん。早くみんなに知らせなきゃ。行こう、カミカワくん」
「どこへ?集合場所か?」
「いや、学校。たぶん、キョウジくんとサヨリさんはまだそこにいる……はず」
 シンジは学校へ向けて走り出す。遅れて走り始めるカミカワ。胎児――シミズ――は草
原上をふらふらと漂っている。

 原初の悪意、か。たぶん〈大きな声の神〉ですらこの展開は読めてない……キョウジく
ん、サヨリさん、どうか軽率なことはしないで……

 シンジは祈る。望み得る結末がやってくることを。







 続く




     


  10 混乱


 1

 サヨリとキョウジは教室で留守番。ハコブネが地に堕ちようと、2人は動かない。待っ
ている。時が来るのを。
 2人は机を並べて、その上に座り、窓の外を眺めている。呑気な晴天。間抜けな雲の形。
遠くの喧騒。戦争の空気。
「みんな、大丈夫よね」
 サヨリは人差し指に髪の毛を絡ませながら言う。
「大丈夫。みんなしぶといからさ」
 キョウジはそう言って笑う。
「来るかしら」
「来るね。確実に」

 風が教室の中を通り抜ける。ドアがかたかたと揺れる。空気が変わる。

「お見通しかな」
 声の方を、2人は見る。そこにはアリサワの姿をした別の何かが立っていた。入口のド
アにもたれている。

「ほら、来ただろう」
「そうね」

 2人は机から降り、その男と対峙する。

 2

「この姿も、君たちの前では滑稽だな」
 男はそう言って笑う。キョウジとサヨリは黙って見つめている。男は近くの机に腰を下
ろし2人に笑顔を向ける。
「サヨリさんとは前も会ったけれど、君とははじめましてだな、キョウジくん」
「イヴァン……だな」
 キョウジの言葉に眉をしかめる男。
「我は〈大きな音の神〉だ。旅人よ、我とともに行こう。神の傲慢を打ち砕くんだ」
 男は手を伸ばす。
「断ったら?」
「どうとでもなるさ。我が欲しいのは旅人の機能。人格は必要ない。そしてそれを取り出
す方法も、こちらにはある。君たちが不死であろうと、ね。新たなる〈神〉の前では無意
味だ」
 さてと、とキョウジは思う。これからが気合の入れどころ。正念場。
「まぁ、焦るなよ。せっかくだし色々聞いときたいんだ。ほら、なんでアリサワさんの体
なのか、とか、さ」
 キョウジは余裕の笑みで威圧するイヴァンに応える。
「利用価値のある容姿だ。それに他に選べなかったというのもある。ハコブネの連中はす
べてシミズが掌握してたからな。この男しかいなかったのだよ。あとは、まぁあの2人。
君らの親友の。ケンジとアミといったか……あの2人でも良かったのだが。まぁ手近な体
で済ませたってところだな」
「アミ?あの子も生きてるの?」
 サヨリがアミという名前に反応する。
「いや、もう、いない。彼らはずいぶん昔に死んでしまった。ただし、厄介な仕事をして
からね……この場所。福神が残っているのも彼らの仕事。洪水の中ここにたどり着いた2
人は福神を保存しようとした……のだろう、おそらく。バリアを張ったのも彼ら、という
ことだ。実際のところ、我は見ていない。その頃はまだ体を捜していたからね。聞いた話
なんだがね、観察者から……」

 3

 アミは死んだんだ……とサヨリは呆然とする。当たり前のこととは言え――もっと早く
福神に来ていれば会えたかもしれない、と思いながら――ショックだった。
「観察者……シンジだな……」
「そう、あの覗き趣味の〈大きな声の神〉の犬のことさ。『神話篇』を残し、裏でこそこ
そ立ち回ってる小物。まぁ、奴との約束も今では懐かしい。そうなんだよ。奴と我でこの
物語はここまで進んだのだよ。三つ巴を作るところまでは約束どおり。そこからは自由っ
てヤツさ。さて、お喋りも飽きただろう?一緒来るがいい。神の元へ行こう」
「神サマはどこにいるんだ?」
「キョウジよ、わかっているだろう」
「ま、ね。予想はつく。宇宙だろう?多分、月かな」
「当たりだ。舟はある。シベリア鉄道の終着点まで運んである。あとは、我と君らが揃え
ばいつでも出発できる。さぁ。さぁ。神の沈黙を終わらせるのだ」
 イヴァンは2人に手を差し出す。
「そのために、我を待っていたのだろう?」
 キョウジは頭を掻く。
「ま、その通りだな。この世界の問題点は不完全であること。それを直すにはその神サマ
とやらの力を使うしかない。あんたのことは好きでもないし、もちろん信用もしてない。
けど、目的は近い。協力できるだろう、と思ってたんだ。みなを救うために、世界を刷新
しよう。あんたと俺らで」
 キョウジは手を差し出す。イヴァンは2人に歩み寄り、キョウジと握手をする。
 そして、うまくノッてくれた、と思うキョウジにとって予想外の出来事が起こる。

「イヴァン、見つけた」

 4

 現れたのはノア。一瞬のこと。背後から迫り、イヴァンの喉元を手に持ったナイフで切
り裂いた。キョウジと握手をしながらのイヴァンの喉から血しぶきが舞う。何も喋れずに
悶え苦しみ、そして塩の柱になった。
 目を白黒させるキョウジをよそに、ノアは辺りを見回し叫ぶ。
「イヴァン。聞いてるんでしょ?これで、あなたは本来の体しか持っていない。こそこそ
他人の体を借りるなんてことはできないわ」
 ジジ、ジジ、と教室のスピーカーからノイズが出る。そしてスピーカーから声が流れ始
める。
『貴様はノア。何をするのだ』
「気付かないの?私はアリア。この世界で唯一のあなたの味方」
『その女がこの仕打ちか』
「ねえ、イヴァン。もう止めましょう。無意味よ。私と一緒に行きましょう」
『アリア。君は変わってしまった。神に洗脳されたのだ。だってそうだろう?我のことを
愛していた女が、こんなことをするはずがない!
 さぁ、旅人よ。シベリア鉄道で待っているぞ。ともに神を打倒しよう!』

 そこで大きな叫び声が外から聞こえてきた。教室の窓ガラスすべてをふるわすような声。
その影響か、スピーカーが黙る。教室内の3人は外を見る。そして空中に浮く巨大な胎児
の姿を見る。

――アリサワさん、アリサワさん、ドコ?

「何だありゃ」
 開けた口が塞がらないキョウジとサヨリ。ノアは血のついたナイフをじっと見つめてい
る。その様子に気付いたキョウジが声をかける。
「ノア……じゃなかったアリアか。う~ん、あそこまであっさりアリサワさんの体を切ら
れると、ショックもクソもないなぁ。おかげで作戦に影響が出そうだ」
 そう言って笑うキョウジ。無理しているのがサヨリにはわかる。
「アリアさん。イヴァンさんを殺すために?」
「ええ。この不完全な世界になってからずっと。機会を窺っていたの。所詮、あの人もた
だのヒトね。この姿ではわからなかったみたい」
 窓の外の胎児が動き始める。何かを探しているようだ。
 そこへ、2人目の来客。

 5

「あの、キョウジさん、サヨリさんですか?」
 入口にたつ少女は恐る恐るといった様子。何かに怯えているよう。
 また、珍客か、とキョウジは思わず苦笑い。見込みが甘かったな。
「そうだけど。あんたは?」
「あの、ハツって言います。ユウやユキの同級生の。あの、みんなは?」
「ここにはいないよ。草原を出ている頃だと思う。その後はシベリア鉄道に……て、やべ!
さっきイヴァンのヤツシベリア鉄道で待つって言ってたよな。これじゃ敵地に突っ込むよ
うなものだ。早くみんなに知らせなきゃ!」
 焦るキョウジ。対照的にサヨリは落ち着いている。
「まぁまぁキョウジくん。もう、なるようにしかならないよ。とにかく落ち着いて行動し
よ。まずは、みんなに追いつくこと、でしょ?」
「だな」
 サヨリに諭されて落ち着きを取り戻すキョウジ。2人のやり取りをアリアは黙って見て
いる。

 ……私たちもこういう2人のままでいたかった……

 これから行動開始、という段になってさらなるお客さん。教室に飛び込んできたのは傷
だらけのカミカワとシンジ。
「キョウジ、サヨリ、無事か?」
「カミカワ、シンジ。集合場所に行かなかったのか?」
 キョウジが尋ねるのも聞かず、カミカワはまくしたてる。
「いいか、あの胎児はシミズだ。とてつもなくやばい。早く逃げるぞ」
 焦るカミカワの後ろから、シンジが口を挟む。
「キョウジくん、サヨリさん。良かった、まだここにいてくれて」
 シンジとキョウジが意味深な視線を交わす。そして互いににやりと笑う。
 外から胎児の鳴き声が聞こえて来る。教室にいるみんなの視線が外へ向く。
「とにかく、みんなの後を追おう」
 キョウジの言葉にみなが肯く。

 どたどたとみなが外へ出て行く中、ハツがサヨリの腕を掴んで引き止める。
「どうしたの?」
 サヨリが尋ねると、ハツは携帯を差し出す。
「これを。あなたとキョウジさんへのメッセージが入ってる」
 ハツはそう言って携帯をサヨリに渡すと、キョウジたちを追って外へ出て行った。
 サヨリは携帯を見つめ、少し迷ってからポケットに入れた。






 続く




       

表紙

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Neetsha