Neetel Inside 文芸新都
表紙

黄昏スーサイド
恋愛ノンフィクション

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「お前、怜の事が好きなんだって? やめとけって、あいつヤリマンだぜ」
「あー、あの子ね、援交とかやってるらしいよ」
「笑ってる顔は可愛いけどなぁ。あれ見てたら俺も……いや、やっぱいいや、ゆるそうだし、色々」


 携帯電話の着信音が鳴り出して此花怜は携帯のディスプレイを見つめた。
『今日会いたいんだけどどうかな?』
 そのメールの内容を見てから、彼女はもう一度送り主の名前を見返した。そこにはハマダコウジと書かれており、確かに聞いた事がある気はするのだが、どうしてもその顔を思い出すことが出来なかった。
(誰だっけ?)
 教室の机で彼女はそう思ったが、どうせ考えたところで思い出すのは自分には無理だと彼女は判断した。彼女は携帯が鳴るまで机に突っ伏して寝ていたため、大きく背伸びをすると乱れていた制服を整えながら『いいよ』と返事を返した。
 彼女にとって相手が誰だったかと言う事は大した問題ではないようで、大事なのは自分と過ごしてくれるらしい誰かが見つかったと言う事だけのようだった。相手から喜んでいるらしいメールが再び届くと、彼女はもう一度だけ返事をしたが、その次のメールは見る事もせず再び眠りへと落ちようと机にその頬をピタリとくっつけた。
(……あいつなにしに学校来てんだろ)
 その様子をやや離れた席から見ていた須藤清春はぼんやりと見つめていた。
 彼女とは高校三年生になって初めてクラスメイトになったが、それまでにも噂は何度か聞いた事があったがそのどれもが芳しいとは言えないものだ。いやむしろ芳しくないからこそよく耳にしたのかもしれない。
 股の緩い尻軽女。
 統括すればそうなる。清春は今まで彼女とろくに接する機会がなかったのでそういった噂も眉唾ものだと思っていたのだが、今の彼女を見るとそれも本当かもしれないと思えてくる。彼女が勉強に真面目に取り組んでいる姿など見た事がないし、部活動などもしていないようだった。
 こうやって学校に来るのもたまになので、友人の数もそんなに多くない。その割に携帯のメモリはこの学校の誰よりも多いと言われている。
「須藤!」
「あ、すんません」
 教師に名前を呼ばれ、清春は返事よりも反射的に謝ってしまっていた。そんな彼に教師は呆れたのか、黒板の問題を解かそうとしていたのだが「もういい」とだけ言い残すと彼の後ろに座っている生徒の名前を呼んだ。
「麻生、この問題解いてみろ」
「はい」
 そう呼ばれ、麻生茜は立ち上がるとスラスラと正解を口にした。教師が満足そうに頷き、茜は再び静かに座り直すと、黙々とノートを取る作業へと戻った。
 清春は前を見たまま軽く「ちぇ」と舌打ちをし、つまんない女ってなんでか勉強はそれなりに出来るんだよな、とごちた。
 そんな彼の考えなど知る由もない彼女は、いつものようにノートと黒板の間だけ視線を往復させながら、早く家に帰りたいとそんな事ばかりを考えていた。
「ううん」と呟きながら、机の上でもぞもぞと怜が動いている。教師はそんな彼女に注意をするのはもう諦めているようだった。茜はそんな彼女を見ながら思う。
(……生きる価値がないのは、彼女のような人だろうか。私のような人だろうか)
 友人がいない。その一点に関しては、此花怜と麻生茜は共通している。それ以外の事に対しては正反対だった。


 ――どうしてあんなふうになにも考えず生きていられるのかな。私には分からないな。
 ――そうだね、でもそれってその子が間違った人生を送ってるんじゃないかなぁ。茜ちゃんが分からなくて当然だと思うよ。
 ――そっか。そうだよね。
 茜はパソコンのモニターに表示されたその内容を見て満足げな表情になった。
 彼女がやっているのはパソコンのチャットだ。学校から帰ってきてからすぐに立ち上げて入り浸ると言う生活は彼女にとってほぼ毎日の習慣だった。
 ――茜ちゃんはいい子で曲がった事が嫌いだもんね。
 ――うーん、そんなに真面目じゃないけどね。
 ――いやいや、こうやって話してるだけでも人柄出てるよ。
 今彼女が話しているのは、恵子と言う三十代の主婦だった。小学生の子供が一人いるらしいが以前ほど手がかからなくなったのと、旦那が遅くまで帰ってこないと言う事で暇を持て余していた。ふとやってみたネットでチャットと言うものがある事を知り、それ以来こうやって画面越しの相手と会話を楽しんでいる。
 少なくとも茜はそう聞いている。実際のところはどうかは分からない。もしかすると四十代かもしれないし、結婚なんてしていないかもしれないし、もしかすると女と言う事も嘘なのかもしれない。茜にとってそれはあまり問題ではなかった。恵子とは良く話す。それは顔も見た事もなく、声も聞いたことがない彼女が、自分にとって心地よい時間を提供してくれる事は確かだったからで、それを思えば、この画面の向こうの相手が実際はどんな人物なのかと言う事はどうでもいい事のように思えた。
 ――でもいいなぁ、恵子さん
 ――え? なにが?
 ――だって結婚して子供がいて幸せそう
 ――うーん、でも微妙。。。旦那は仕事で帰ってくるのいつも遅いし。家に一人でいるのは暇だしねー。
 ――えー、それは私にとっては羨ましい
 ――よくない、よくない! 旦那が言うから家にいるけど出来るなら働きたいくらいだもん。
 ――そうなの? でもそのおかげでこうやって話せてるから旦那さんに私は感謝しなきゃ
 ――感謝するような人じゃないよ、うちの旦那は
 茜は小さく笑みを零した。そうやって微笑む事は学校では殆どなかった。
 こうやってネットにはまるようになってから、彼女の生活基準は学校ではなくこの小さな箱を中心にして送られるようになっていた。本来なら学校生活で得るべき喜びや楽しみを得る事をいつからか諦めていた。学校で覚えるのは悲しみですらなくただなにもない空虚だけで、彼女の心はずっと空洞のようだったが、今はこうやってこのパソコンが感情を吐き出すための一番の場所になっている。たとえこの代用品が真実がどこにあるのか分からない空洞のような物だとしても。
 例え仮初めでも、自分自身の中に様々な感情を生み出す事が出来るなら。
「茜、いる?」
「……うん」
 部屋のドアがノックされ、母親の遠慮がちな声に彼女は小さく返事をした。
「ご飯出来たから」
「……うん」
 ゆっくりと離れていく母親の気配を感じながら、彼女は手馴れた動作でキーボードを叩く。
 ――茜ちゃん、時間大丈夫?
 ――うん、全然。今もする事なくて暇だもん。
 ――そうなんだ。あ、そういえばさ、私も最近知ったんだけど、ネットの話なんだけどさ。
 ――なになに?
 茜は一体彼女がなにを言うのだろうとワクワクしながらキーボードを叩き続ける。
 ――あのね、一万円でね……。

     

『ニート? なんだ、俺と一緒じゃん』
「へぇ、フォックス君もそうなんだ」
『うん、もう一年くらい。だからゲームしてる場合じゃないんだけどね、本当は』
「確かに」
『あ! ちょっと待って!』
 フォックスというIDの彼は悲鳴のような声を上げたが、既に手遅れでテレビでは壁に激突した車が派手にクラッシュして宙を舞っていた。それを尻目に春日の車がその傍で爆音を建てて通過していく。彼らが今興じているのはXBOX360のレースゲームだった。
 アパートに引っ越してきてから一週間ほど経つ。その間なにをするでもなくぼんやりと過ごしていたのだが、暇つぶしにでもと思い買ってみる事にした。元々あまりゲームをしない春日にとってゲーム機でこうやって世界中の人間と一緒にプレイしながら会話まで出来るというのはちょっとした驚きで、買ったばかりと言う事と、ゲームをしながら話していると時間を忘れてしまうようで、今日は一日中ゲームをし続けていた。
『けどハル君って無口だよね、まぁ、珍しくないけど』
 ハル、と言われてそれが自分の事なのだというのは分かるのだがいまいちまだ慣れなかった。名前から取ったのだが、どうせなら本名にしてもよかったとすら思う。フォックス、なんて名前をどうすれば違和感なく受け入れられるのだろうか、と彼は首を傾げる。
「いや、よく喋ってる方だよ、これでも」
『そうなの?』
「まぁ、それなりにね」
『そっかぁ、俺こうやってゲームしてる時はよく喋るんだけどなぁ、リアルだとあんま喋らないんだよな』
「リアル?」
『現実でって事』
「あぁ、なるほど」
 そうやって話をしているとピンポーンと呼び鈴が鳴らされた。誰かが尋ねてきたのだと言う事はすぐに分かったのだが、一体誰がここにやってくるのだろうと春日は内心で首を傾げた。レースは続いており、面倒くさいから居留守を使おうかとも思ったが、あまり間をおかず再び鳴らされるので諦めて出る事にした。
「はい」
 そう言いながらドアを開ける。するとそこにいたのは顔を真っ赤にしてベロベロに酔っ払っているらしい黒崎奈菜の姿があった。
「やー」
「やぁ、どうしたの?」
「あのね、家の鍵落としちゃったの、大変でしょ」
「そうだね、大変だ」
「でね、私とね、杏里をね、ちょっと今日泊めてくれないかなぁ、なんて思ったのね」
「杏里?」
 そう言われ首を傾げると、彼女が外に向かって指を向けた。サンダルを履き表へと出ると、そこには確かにもう一人女の子が壁にもたれぐったりとしていた。春日が「君、大丈夫?」と声をかけると「あははー、だいじょぶ、だいじょぶ」となにが面白いのか分からないが、意識はあるようだった。
 改めて二人の姿を見直して春日は一体どれだけ飲んでいたのだろうかと考える。
 奈菜はここ最近すれ違うたびに思っていたのだが、肌を露出するような服を着るのを好むようだった。杏里と言う彼女はそれに比べると若干大人しいようだが、今はどちらも乱れていてブラジャーの紐が丸見えになっている。
「別に泊めるのはいいけれど」
「やったー、ありがとー」
「ありがとーごじまーす!」
 家の前で騒がれても近所迷惑になってしまうので、それ以上ここで話す事はやめにして二人を上げる事にした。
 奈菜はxbox360を見ると物珍しいのか手にとって、断りもなくマイクをつけては「こんにちはー」などと話し出してしまい、取り上げてフォックスに謝ると『俺落ちた方がいい?』と言われてしまった。
 春日は自分が落ちてゲームの電源を切ると、二人のために水を汲んでやった。
 二人は部屋でも好き勝手に騒いでいたが、やがて眠気がやってきたのか幾分静かになってきた。春日はベッドを譲る事にし、ロフトへと昇って寝転がった。
 酔っ払った無防備な女性が二人部屋にいるという事実が、なんだか夢のようではあったが、だからといってなにかをしようと言う気にもなれなかった。それよりも、そうか、酔っ払っているとは言え僕の家に泊めさせて貰おうと思ってもらえるような人間なのか、僕は、とそんな事を思った。
「奈菜先輩、愛してますー」
「うん、私も愛してるよ」
 下でそんな会話が行われ、春日はまさかなぁ、と思ったのだが、やがて二人は春日がいる事を忘れてしまっているのか、キスをし始め次第にその唇から零れる音と触れている場所がお互いのそこだけではないようだ、と言う事を理解する頃、春日は二人にばれないようにゆっくりとロフトから降り、部屋からも出る事にした。気付かれていないだろうか、と思い一度横目で確認すると二人は布団の中に潜っているようで、それに安心すると部屋に鍵をかける。
「……参ったなぁ」
 本当にそう思っているとは思えない口調でそう呟き、玄関の前に腰を下ろし、マルボロを一本取り出し火をつけた。耳を澄ませばエスカレートしていく二人の扇情的な声が聞こえてきそうなほど静かな夜の中で、ゆっくりと煙を吐き出す。

     

 結局朝までファミレスで過ごし、そろそろ大丈夫だろうと家まで帰ってくるとシャワーを浴びたらしくこざっぱりとしていたが格好は昨日と変わらないままの奈菜が玄関前に腰を下ろしていた。彼女は春日の姿を認めるといつもの安穏とした調子で「や」と片手を挙げた。
「お酒はもう抜けた?」
「うん、大丈夫。ごめんね、昨日部屋泊めてくれたんだね」
「覚えてないの?」
「あんまり……私、変な事しなかった?」
 僕はされてないけれど、変な事はしてたね。
 そう思ったものの「いや、特には」と言いながら彼女の隣に腰を下ろす。
「鍵、なくしたんだろう? 大丈夫?」
「あ、うん、管理人さんに連絡してもう開けてもらった。合鍵も持ってるから大丈夫」
「杏里って子は?」
「さっき帰ったよ。ありがとうって伝えてくださいって。シャワー借りたよ」
 自分の部屋のを使えばいいのに、と春日は思うが奈菜からすればそれはごくごく自然な事だった。道理で服もそのままな訳だと納得する。彼女はベロベロに酔っ払って、急に泊めて貰った事に罪悪感を感じている様子はなかったが、彼も自分と同じように不満を感じている様子がさらさらない事は多少気になった。
「怒ってない?」
「なにに?」
「部屋、急に来て、追い出しちゃったみたいだし。もしかしたら迷惑だったかなって」
「そんな事は別に気にしてないよ。困った時はお互い様って言うしね」
「ふーん。春日君っていい人なんだね」
「そういう訳じゃないけど」
 そう言って春日は煙草を吸おうとポケットに手を伸ばした。するとそれよりも先に奈菜がハイライトの箱を目の前に突き出してきたので「ありがとう」と言い一本抜き取り火をつける。彼女も同じように吸い始め、しばらく二人で立ち上る煙を見上げた。
「なにかしようとか思わなかったの?」
「なにかって?」
「酔っ払って眠ってる女の子に男の子がしようとする事なんて限られてない?」
「その後の事を考えると更に限られるね」
「嘘」
「なにが?」
「春日君はその後の事なんて考えてないし、考えてないけどなにかしようなんて思わなかったんでしょ?」
 そう言われ、改めて彼女の方を振り向いた。
 まぁ、美人だ、と簡単な評価を下す。特徴を挙げようと思えば幾らでも挙げられる気はした。例えば柔らかそうな栗色の髪や、見詰め合っていると吸い込まれそうな大きな瞳や、ぷくりと突き出た瑞々しい唇や、細い顎のラインなど彼女を表す事は出来たが、それでも春日が思ったのは漠然とした感想だけだった。
 しばらくそうやって見つめられ、奈菜は軽く首を傾げながら、図星でしょうと言うふうに微笑む。
「私に魅力がなかったかな?」
「そうではないと思うけど」
「曖昧な言い方するね」
「まぁ、リアリティはなかったね」
「リアリティ?」
「引っ越してきたばかりで、ある日隣人が酔っ払ったからと言って泊めてくれと言う。そこまではまだリアリティを感じる事は出来た。けどそこから僕と君が性的な関係に発展すると言う事は、例え妄想の類だとしても、リアリティを感じる事がまるで出来なかった。君の言葉を借りて逆の言い方をするなら、君の魅力に対して、僕が魅力的じゃないから釣り合わないと思ったのかもしれないし、単純に話が上手すぎると思ったのかもしれない」
 そしてレズビアンの二人が愛し合っているところに割って入ろうとするほど、無粋でも下賎でもない、と言う一番大きな理由は黙っておいた。
 奈菜はよく分からないと言った様子で「ふーん」とだけ口にした。
 彼女は難しい話や理屈っぽい言い方は苦手だった。聞いている内に残るのは部分部分の単語だけになっていき、それらが一体どういうふうに繋がっていたのか、なにを言おうとしているのか、さっぱり分からなくなってしまう。そのくせ、そう言う話し方をする人自体の事はどちらかと言えば好きだったりする。
「要するに、お互いセックスするには早すぎると」
「簡単に言うとそう」
「なるほど」と彼女は嬉しそうに頷きながら「けどそのリアリティのなさに春日君と私が釣り合わないからって言うのはないと思うよ」と言う。
 ふと、春日は今口説かれているのだろうか、と思ったが、きっとそうではなく、彼女はきっと正直過ぎるのだろうと判断した。彼女はあらゆる可能性を否定せずに生きている。その中には恐らく自分と彼女がセックスをするという可能性も多かれ少なかれ含まれていて、彼女が口にしたのはただそれだけの事のような気がした。
 彼女はなにもかもを肯定して生きている。
 そこには理屈や整然とした計算めいたものは一切ないようだった。彼女はその場、その時の感情でのみ動く。一言で言えばバカ正直でとも言える。
「君は」
「ん?」
「生きる事を楽しんでいる気がするし、楽しもうと思っているし、そうやって楽しむために、なにかと苦労しそうだ」
 ぽつりとそう口にした。
 奈菜は、その台詞は彼の正直な気持ちなのだろうと思い、同時にまぁまぁ、正解と答えた。
「いつでも楽しくとはいかないしね」
「そういう時どう思うの?」
 彼女は、少し考えて、言った。
「死んじゃおうかな、とか」

     

 怜が出会い系カフェと言うものを利用するようになったのは単純に楽だからと言う理由だった。以前街をブラブラとしている時に声をかけられ、ポケットティッシュを渡されながらその軽薄そうな男は出会い系カフェがどんなものかと言う事を説明してくれた。
「気楽なもんだよ。相手が来るまでは部屋でマンガとか読んでていいし、お菓子とかジュースとかも好きに食べたりしていいしさ。周りには他の女の子もいるからだべってたっていいし。仕事じゃないからさ。やってくる相手全員を絶対相手にしなくてもいいよ、嫌だったら断ってくれても構わない。要するに部屋でくつろぎながら、自分が遊んでもいいって思った人とだけ遊べばいいってだけだからさ、どう? よかったら来てみてよ」
 そうやって彼は笑顔を浮かべたが、実際出会いカフェがどんなものなのか全く知らない訳ではなかった。自分達は店に金を落としてくれる男にとっての餌で、彼にとってはその金さえ手に入れば餌である自分がどうなっても構わないのだろうと思っている事は間違いないだろう。
「えー、どうしよう、怜ちゃん」
 その時一緒にいたのが誰かがそう言ったが、誰だったかと言う事は今ではもう覚えていない。だが、そう言いながらまんざらでもなかったと言う事は覚えている。怜は別にどうでもよかったが、確かにただでくつろげる場所にいられると言うのは美味しい話ではあると思った。もっともそう思わせる事が彼らの仕事なのだが。
「じゃあ、行ってみようか」
 そう言ってから、週に数回今では顔を出すようになった。何人かで来る時もあれば、一人でやってくる時もある。もはや顔馴染みになった店員は彼女を見かけると「いらっしゃい」と声をかけてくるが、怜はいつも「うん」と短い返事だけを返す。店員はそんな彼女をやる気のない女と認識している。
 出会いカフェはキャバクラやヘルスの風俗店とは違い、男と女が出会う場所として運営されている。男性が店に払うのは入場料であり――二人きりで話すためにはやはり別料金が必要とはなるが――、女性もいるだけで給料が貰えるという訳ではない。彼らがやっているのはあくまでそこで出会い、交友を広げていくのが目的だ。もっとも、それはあくまで名文であって、実際はデートや交通費以上にお金を払う事によって体の関係を求めたりと言う事が当然のように行われている。男はどうにかして性交を行おうと息を荒くし、女はどうやって服を脱ぐ事無く多くの金を引っ張れるか、と言う事を考えている。それは怜にとって多少驚きを感じさせた。
「怜ちゃんってさ、本当に十九歳? もっと若く見えるけど」
「そうだよ、童顔ってよく言われるけど」
 そう平然と嘘を吐いた。店から十七歳だとは言わないでくれと言われているからだが、何回もそうやり取りしているうちに、その内自分は本当に十九歳なのかもしれないと錯覚しそうになる。
「へぇ、でも可愛いからいいや。ねぇ、よかったらここ出て飯食べに行かない?」
「うーん、今日は友達と来てるから無理かも」
「えぇ、なんだよそれ」
「ごめんね。今日は暇つぶしに来ただけだから」
 あからさまに不満そうな表情を浮かべる男だが、怜は平然と言ってのけた。一緒に来ている友達など今日はいなかったし、出かけてもよかったのだが、男が自分のタイプでは全くなかった。
 男は無理だと言う事が分かると途端さっきまでの優しい様子はなくなり、悪態を突き出した。だが、こう言う事に慣れているらしく残りの数分自分に向けて延々文句を言われる事がなかったのは幸運だった。時間となり、個室から広めの部屋へと戻ると彼女はソファに座り読みかけだったマンガを再び手に取り、テーブルにそのままになっているジュースを含んだ。
「あーあ、怜の奴まーたさぼってる」
 その様子を店員は溜め息交じりに見ていた。厳密に言うと仕事ではないのでさぼりでもなんでもないのだが、彼らにとっては、彼女らはあくまで商品で男が望むとおり外出をもっと行ってもらいたかった。そうでなければ彼女は店にとってただの金食い虫でしかない。
 だが怜にとって出会いカフェは単なる暇潰しでしかなかった。他の女のように頻繁に外出をし、男に気に入られてはブランド品を買ってもらったり、交通費を大目に貰っては自分の財布にしまうと言うような事に興味はなかったし、ただ、こうやって次々と現れる男達の中に、自分が気に入るような人がいればいいけど、などとある意味では甘っちょろい考えを抱いて時間を消費していった。
「怜ちゃん、指名だよ」
「また?」
「いいじゃん、可愛いから皆話したいんだよ」
 そう呼ばれ、怜は面倒くさいと思いながら立ち上がった。
 個室へと入り相手がやってくるのを待つ間、早く終わらせたいから嫌な態度を取ってみようか、なんて事を考えてみる。
「こんばんは」
「あ、こんばんはぁ」
 返事をしながら、その声の持ち主の方へと視線を動かす。
 そこにいたのは先程の中年で、なにもしなくても額に汗が浮かぶような小太りの男ではなく、若く、眉目の整った若い男だった。
「はじめまして」
 彼はそう言いながら対面するように椅子に座る。その様子からはこういったお店に慣れているようではないようだった。
「どうすればいいのかな、これから」
「どうすればって?」
「君をとりあえず指名したんだけど、ただ話してればいいのかな。デートに誘うんだっけ」
「あぁ、うん、そう。話してみて、気が合ったら出かけたりしたりするの」
「そう。まぁ、嫌だったら言ってくれていいよ」
 出会いカフェにやってきたくせに、やけに余所余所しい男だった。普通は少しでも気に入られようとして、お世辞の一つでも言っておだてようとするものだ。とりあえず指名した、なんて言われたのは彼女は初めてで、なぜか笑いがこみ上げた。
「なにかおかしかった?」
「ううん、そうじゃないんだけど」
「そう。あ、お兄さん、名前なんて言うの? 私怜って言うんだけど」
「瀬名」
 それを聞いて今度こそ本当に声に出して笑ってしまった。
「苗字言う人初めて見た。下、下の名前」
 そう言うと彼は「あぁ」となんだか別の事をふと思い出したようで、若干どこか遠くを見るようにしながら答えた。
「春日」


「お前、今なにやってるんだ?」
『今ゲームしてるところです』
「バカ野郎。そういう事じゃねえよ。最近どうだ? って聞いてるんだ」
『あぁ、まぁ、のんびりとしてます』
 その春日のあやふやな受け答えにいつでもはっきりしたがる癖を持つ太陽は、苛立たしげにガリガリと右のこめかみ辺りを掻き毟った。
 社宅を出て引っ越したとは聞いていたが、それからの事はとんと途絶えていた。生来お節介気質である彼は一緒に働いていた後輩が今なにをしているのだろうと気になり、こうやって連絡をしてみたのだが、電話の向こう側の淡々とした声を聞くと心配するのがバカバカしい事だとすら思えた。
「元気でやってるのか? お前は昔から人が呼び出さないとずっと家に引きこもってるような奴だったからな。飯とかちゃんと食ってるのか?」
『そうですね。大丈夫です』
「新しい仕事は探してるか? それとももう見つかったか?」
『いや、まだです。そろそろ探そうかとは思っていますけど』
「そうか。じゃあ今はまだ暇を持て余してる感じか?」
『そうですね』
「おい、本当に元気なのか?」
『元気ですよ。羽田さんも僕の事そんなに心配してくれなくてもいいですから』
 それは彼なりの心遣いだと言う事が、太陽には分かったが、酷く突き放すような言い方だとも感じた。確かに会社の先輩後輩と言うだけの間柄だっただけかもしれないが、辞めたとしても、まだ彼の中で、春日は列記とした自分の後輩であり、そして彼の中で後輩と言うものは面倒を見てやらなければならない存在だった。
「お前な、どうせ、そのゲームとかばっかりしてるんだろ」
『そうですね、最近は』
「しゃらくせえ。そんなのばっかりしてたらますます家に閉じこもっちまうぞ! お前今時間大丈夫か? いや、大丈夫だろう」
『大丈夫ですけど、どうかしましたか?』
 太陽は車に乗り込みながら、ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外した。
「今からちょっと出て来い。どっか二人で出かけるぞ」


「瀬名」と言い「名前は?」と尋ねられ、奈菜の事をふと思い出し、最近の若者は下の名前を呼ぶことでなにかを得られるのだろうか、と自分も若者でありながらそんな事を思っていた。
「春日」
「あー、なんか春日って感じするする」
 自分はどうしてこんなところにいるのだろう、と春日は内心溜め息交じりに考える。
 ふと太陽が「お前もたまには女遊びでもしろよ」と言い出しこんな所に連れてこられたが、こうやって女の子を目の前にしても彼は以前気が進まなかった。彼女を選んだのも太陽で、ただ単に見た目がよかったから選んだのだろうと春日には思えなかった。
「今日は友達と来たの?」
「前の会社の先輩と。今は先輩も他の女の子と話してるんじゃないかな。君は?」
「私は一人。暇だったからなんとなく」
「そう」
 怜はなんだか面倒くさがりやな人だ、と思った。その割に自分が面倒だと思わないのが不思議で自分はもしかすると面倒を見られるよりも見るほうが好きだったのかもしれないと的外れな事を思いもした。
「そろそろ時間だね」
「そう」
 彼の素っ気ない返事を聞いて、このままだと彼はさっさと戻っていってしまいそうだと判断する。それはそれで彼女にとってなんの問題もないが、ふと、ここにいるよりは彼と話しているほうがいい気がした。それは退屈を誤魔化す、暇を潰すと言う事よりもう少し上の、彼といると少しは楽しめるかもしれないと言う思いではあるが、彼女にとっての楽しいとはとても陳腐なもので、特別彼に魅力を感じたわけではなかった。
「ねぇ、よかったら外出しない?」
「僕と?」
「うん。ここにいるより楽しいよ、きっと」
「君が?」
「うん。春日君も遊びたいから来たんでしょ?」
 そう言われ、彼は否定してしまおうかと思いもしたが、そうして否定したところで太陽が納得しないだろうと言う結論に思い至った。怜に「ちょっと待って」と言い、携帯電話で彼に連絡をすると「いいじゃないか、行ってこいよ。どうせ車別で来てるし、俺は勝手に帰るからお前も好きに楽しんでこい、また連絡する」と一方的に言われ切られてしまう。
「どうだった?」
「行って来いって。じゃあ、行こうか」
「うん。お腹空いたからご飯食べたいな」
 彼女は満足そうにそう言いながら立ち上がると、スタッフに「ちょっと出かけてくる」と声をかけた。

     

「今日も暇っすね」
 清春は店長にそう声をかけると、彼は欠伸をしながら「そうだねぇ」と呑気そうに答えた。その様子を見ながらこれじゃあ、客が増える訳ないと彼は思うが、バイトである彼にとって暇なのは好都合なので黙っておく事にした。このコンビニでバイトを始めて一年ほどになる。今ではすっかり仕事にも慣れているが今は人不足で悩まされていた。
「求人、来ました?」
「いや、まだ」
 二人で雑誌を並べながらそんなやり取りをする。店にいるのは二人と、清春と同じ学校の生徒が数人と言ったところで、それらも果たしてレジに商品を持ってきてくれるかどうかは微妙なところだった。
「いいよなぁ、高校生って」
「なんすか、いきなり」
「清春君は彼女いないの?」
「いないっすね」
「勿体無いな。高校生と付き合えるのなんて今だけだよ」
「なんかその台詞危ないっすよ」
 三十半ばになる店長に半眼を向けると、彼はやらしさと憧れを同居させたような奇妙な笑いを浮かべた。
「制服ってやっぱ着てるだけでなんか可愛く見えるし、なんて言ってもあの若い肌に触りたいじゃないか」
「そんないいもんじゃないっすよ」
「それは清治君が気付いてないだけだよ、あ、いらっしゃいませー」
 自動ドアが開かれ、店長のくだらない話が中断されたことにほっとしながら彼も「いらっしゃいませ」と言いそこにやってきた二人を見た。どうやらカップルのようで、自分よりも年上だろうと推察する。女のほうは水商売でもしているのか派手な格好と化粧だったが、清春はそんな彼女を見て、高校生なんかよりもああいう女の人のほうがよほど魅力的だと店長に言おうとしたが、また話が長くなりそうなのでやめておく事にした。
「ねぇ、なに食べたい?」
「なんでもいいよ」
「もう、いつもそうなんだから」
 そう言いながら彼女は彼の肩を軽く叩いた。
 二人は弁当が並んでいるコーナーに並んで立ち、男はしばらくぼんやりと見つめ「じゃあ」と適当に一つ取り、その間に彼女がお茶を取ってくるとレジへとやってきた。弁当もお茶も一つずつで、男だけのもののようだ。
「ありがとうございます。弁当温めますか?」
 そう言いながらレジへと戻り、商品を受け取りながら一体こういう女と付き合う男とはどんな奴なんだろう、とその男の方に視線を向けた。彼は「はい」と騒がしい場所なら聞き逃してしまいそうな小さな声のくせに、なぜか聞き逃す事はどうしても出来ないような気にさせる妙な声質の持ち主だった。
「ねぇ、ヒッチコック? 私がいない間に浮気したらダメだよ?」
「分かってる」
「だって心配なんだもん」
(ヒッチコック? なんだそりゃ? 名前か?)
 清春はそのやり取りに内心突っ込んでいた。恋人同士であだ名を付け合う事は珍しくない事かもしれないが、そんな妙なあだ名を聞くのは初めてだった。確かに彼の容姿は整った美しい顔立ちで、ハーフと言えば信じてしまいそうではあったが、それでも妙なあだ名だと感じた。
「八百六十円になります」
「はーい」
 女がそう返事し、財布を取り出す。その間にヒッチコックは袋をその手に取った。清春はこいつ、ヒモって奴か? と若干見下したような気分になったが、彼は彼女がお釣りを受け取っている間、それを当然の事だと言わんばかりに無表情だった。
「じゃ、私仕事行くからね。ちゃんとお留守番しててね」
「分かってるよ」
 どうやら先に呼んでいたらしく、彼女は駐車場に既に止まっていたタクシーに乗り込むと、窓を開けて彼へと手を振った。ヒッチコックは軽くだけ頷き返しタクシーが走り出して見えなくなると、彼女が借りているアパートへと徒歩で戻る事にする。
 清春はそんな二人を見て、ああいう恋愛は本当に楽しいんだろうか? と自問したが、上手い答えは見つけられそうにもなかった。
「いいよなぁ、ああいう女」
「店長、可愛かったら誰でもいいんでしょ」
「いいよ、可愛かったらそりゃ」
「あー、はいはい、そうですね」
 清春は呆れた様子で溜め息を吐く。
 恋愛とは一体なんだったろうか? もしかするともうそんなものを本当にしているのはこの世界の中で一握りだけなのかもしれない。そこにあるのは表面上の上辺だけで、実際は互いの欲望をただ満たすためだけに行われている二人でいるのにやっているのは自慰行為とさして変わらないものではないだろうか。なら、なにをすればこれは恋愛だ、純愛だ、と言えるのだろう、と考える頃、ようやく下らない事を考えている、俺は、と思うに至った。


「春日君って優しいエッチするんだね」
「そうかな」
「うん、気持ちよかった」
「そう」
 怜が取ってくれたマルボロを口にくわえながら、ラブホテルのベッドに寝転がり天井を見上げていた。
 一体誰と比較されて優しいと判断されたのか、などと言う事は考えもせず、終わってから「私十七歳なんだ」と言う彼女の台詞に近頃の女子校生は酷く進んでいる、と曖昧な感想を抱いていた。
 あれから近くで夕飯を済まし、ドライブしようと言う彼女の提案にしたがいあてもなく走っていた。その間喋っていたのはほとんど怜で、春日はそれに相槌を打つと言う事を繰り返していた。
「春日君って本当に彼女いないの?」
「いないよ」
「もてそうなのにね」
「初対面の人にはたまに言われる、それ。けど実際そう言われて付き合ったりしたことはあまりないね」
「なんで?」
「さぁ、そんなに話してみて楽しい男じゃないんだろう。実際自分でもつまらないと思うしね」
「そうかなぁ、春日君がその人と付き合おうと思わないからそうなるんじゃない?」
「そうかもしれないね。でもそんな男と付き合わないほうがいいと思う。実際皆違う恋人を見つけて幸せそうだったり、それでいいんじゃないかな」
「ほら、そういうところ。そういうのって酷く突き放してる感じする」
 怜は車の窓を開けてそこから少し顔を出して、すっかり暗くなった空を見上げた。道路に浮かぶヘッドライトの光を見ながらずっと同じ物が照らし出されている様を見ていると、まるで時間が止まっていてこの車はさっきから一ミリも動いていないような気すらした。
「春日君って変」
 そこから逃れるようにストンとシートに座りなおし、改めて彼の横顔を見つめた。
「どういうところが?」
「なんか凄い大人って気もするし、逆に超頼りない感じもする」
 人形のようだ、と彼女は思った。表情に乏しくまるで蝋に固められたようなその横顔は出来が悪い気もしたし、その逆にとても精巧でいい出来のようにも見える。
「でもそういうのってありかなって思う」
「どうして?」
「正直な気がするから。大体男の人って、いい所ばかり見せようとするでしょ? 春日君みたいに自分のダメなところを隠さない人って珍しい。本当は他の皆も正直になったら頼りないんだと思うな。実際ちょっと仲良くなったら我が侭になる奴とか一杯いるし、幻滅したりするし」
「でも嘘のおかげで生活がスムーズになるのは確かだ」
「でも、スムーズに生きたいなんて私頼んだ覚えない。ねぇ、春日君、私眠たくなってきちゃった」
 その言葉はきっと嘘だろうと彼は思う。
 彼女は甘えるように「ねぇ、休めるとこ行きたい」と言い、春日は「いいよ」と言うとウインカーを点け右折した。
 嘘を吐く事に善悪の名前をつける事はナンセンスだ。それは物事をスムーズに進めるための表現の一つでしかない。それはスムーズに生きようとは思わない彼女の中にもある。それを否定するからと言って、正直に生きようとする事など、自分で自分に重りをつけるような哀れな事だから。


「ねぇ、春日君」
「なに?」
「どうして私達はセックスをするのでしょう」
「面白い事を聞くね」
「春日君はどうして私とセックスしたの?」
 君が僕とセックスしようとしたから。
「君は可愛いし、そういう子を抱けるのは男としては幸運な事だと思う」
「私の事好きになったからじゃないんだ」
 彼女は全裸のまま半身だけをベッドから起こした。リモコンを手探りで探し見つけるとテレビを付ける。チャンネルを適当に回しているうちにAVが流れ始め、なにを思ったのか彼女はそこで止めると明らかにやらせくさい喘ぎ声が部屋に響く中で彼へと振り向いた。
「私ね、ヤリマンなんだって。うん、実際結構誰とでも寝るし、別にいいって思ってる。だってね、寝たいのはお互い様でしょ? 人によっては私より、私とエッチしたいって思ってるし、お金をくれたりする人もいて私はそれで好きなものが買えるしなにが悪いのか分からない」
「でも君はヤリマンと言われるのが嫌なの?」
 怜はそう言われ、はたと考えた。
 そうしてしばらくして、首を横に振った。
「よく分かんない。そうやって言う奴らは私の事好きじゃないだろうから、私は結局そいつらの事なんてどうでもいいのかもしれない。私に優しくしてくれたり遊んでくれる人はそんな事言わないし。ただ」
「ただ?」
「私、寂しがりやなんだって思う。いつも誰かがいてくれないと寂しくて嫌になるの。だから一緒にいてくれる誰かがいてほしいんだけど、たまにずっといてくれる人がいればいいのにって思う。ナンパとか出会いカフェとかの出会いでもいいけど、やりたくなった時とかだけじゃなくて、なにもなくても一緒にいてくれる人がいてくれたらいいのにって。ねぇ、セックスっていつからそんなに大事なものになったんだろ? 愛を確かめ合うためにするって、あれ嘘だよ。子供を産むためにするのがセックスでしょ? ただしたいからするのも間違ってるかもしれないけど、愛し合ってるからするって言うのも嘘だよ。だってどんなに仲良くてもおじいちゃんとおばあちゃんはそんな事しないでしょ? 単なる性欲処理じゃん。なのに皆そこばっかり見て私に近付いたり、指差して文句を言ったりしてる。そりゃね、私も分かってるよ、私と一緒にいてくれる人の何人かは私の事なんてどうでもよくて、ただ私とやれるから一緒にいてくれるだけって言うのは。でも、それでもいいじゃない? だって私とやりたいって思ってもらえるなら、私は必要とされてるって事じゃない? だったら、エッチばっかりしてたって、いいじゃない、それで私はいいと思ってるんだから」
「僕は、いいと思う」
 彼も起き上がり、目の前の痴態をぼんやりと見つめながら短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「春日君ならそう言うと思った」
「君がいいなら、それでいい。辛い事があっても、それを癒す方法を君がもっているなら、そのやり方なんてどうでもいいし、大事なのは、君が誰から見てではなく、君自身が自分は幸せだと思う事が大切なんだろう。その中に僕や他の誰かが君の中でどんな役割を持とうが、それはどうでもいい事だ」
「役割?」
「今日君と会った僕が、例え一日だけの関係で、なんとなくセックスをしただけの関係で、それで終わりだとしても、君が勝手にそこに意味を付け加え、それに納得する事が出来るなら、それをいい事として捉えるのは悪い事じゃない」
 そう言うと彼女は「あはは」と笑い、彼に抱きついたまま二人揃ってベッドへと倒れこんだ。彼女はしばらく彼に強く抱きつき何度か唇にキスをすると、彼の胸にその体を預けた。
「彼氏作ればいいじゃないって前言われたの」
「それで?」
「作ってもさ、作らなくてもさ、あんまりやってる事に変わりないかなって」
「愛し合う事くらいは出来る」
「私、それなりに愛してるよ、今も。私これでも相手はちゃんと選ぶから。エッチしてもいいなって思う人以外とはしないもん」
「そう」
「これは恋愛なのかな」
「それは、分からないな」
「多分さ、今まで私と寝た相手さ、これは嘘だってどこかで思ってるんだと思う。これは本当の自分とは違って単なる遊びで、明日になったら消えてしまう事なんだって」
「うん」
「でもね、やっぱり消えないよね。だって今ここにあるんだもん。フィクションには出来ないよね。全部本当なんだよね。私がやってる事や、そんな私を見て周りがどう思ってたりするかって、全部現実なんだよね」
 怜はふぅ、と溜め息を吐き手をゴソゴソと動かすと、彼の下半身へと伸ばした。彼がそうやって触れられた事で彼女の方を見つめてきたので、怜は悪戯っぽく笑い「もう一回やろう」とその手に力を込めた。
「ねぇ、春日君」
「なに?」
「私、春日君の事いいと思うな」
「僕も君の事をいいと思うよ」
 でも、番号聞いたり、また今度会おうとか言ってくれないんだ。
 彼女は少しその事実に寂しくなったがしょうがないかと思う事にした。
 彼はきっと寂しくもないし、たとえ番号を交換しても、約束をしても必要とされる事はないような気がして、もしそうなら、余計寂しくなるのは分かりきった事だった。
 なので、今一緒にいるこの時くらいは彼の言うとおり幸せになりたい、そう思った。

       

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Neetsha