Neetel Inside 文芸新都
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暇つぶし
ジャンキーハウス

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 ジャンキーハウス。ここは中毒者たちの隔離所。
 この施設には様々な中毒者が集まり、生活している。
 しかしここに住んでいる中毒者は麻薬中毒などとはまるで違う。薬物やアルコールではなく、ごく普通に行われる日常的な行為に依存してしまった人たちばかり。
 実際には異常な精神的依存症を患った人たちの隔離所と言ったほうが正しい。
 この施設はとにかく自由である。一日三食の食事と入浴、睡眠の時間を除けばあとは全て自由時間なのだ。
 自由時間を余すことなく使い、住人はそれぞれが依存している行為にはげむ。

 今僕の目の前でひたすらそろばんを弾いているのは亀山拓斗さん二十八歳。埼玉県さいたま市出身、右利きで家族構成は父母妹の四人。ジャンキーハウス創設時からいる古株の住人。性格は温厚で他の中毒者との仲は良好。嫌いな物は電卓。珠算中毒者。禁断症状は精神年齢の退行。ひどいときは赤ん坊レベルまで退行してまともに喋られなくなり、糞尿を垂れ流して所員を困らせたりもした。
 机の上に大量の問題集を重ね、ひたすら珠算に励んでいる。指の動きの早さに脱帽。これはもう超人と言ってもいいくらいのレベルに思える。
 額から流れてきた汗をぺロリと舌で舐める。これは彼の癖だ。常人よりも若干長い舌が広範囲の汗を口へと運んでいる。
 うん、今日も彼はいつも通りだ。

 気晴らしに中庭へ出た。外はいい天気で雲ひとつない青空だ。すぐそばの運動場では神奈川県横浜市出身で二十一歳、右利きで家族構成は母だけの母子家庭で育ち、元有名高校のサッカー部でエースを務めていたリフティング中毒の勝川雅人さんが一心不乱にボールを蹴っていた。
 嫌いなものはハンドボール、禁断症状は異常な喉の渇きだったかな。いつだったかずっと水道の水を飲み続けていたのを見たことがある。
 リフティング中毒でなければ彼は今頃Jリーガーとして活躍していたのかもしれないと考えるともったいない気持ちになる。
 ふと、彼は今ボールが友達状態なんだろうなと思った。我ながらつまらないことを考えてしまった。

 スリッパを履き、中庭を歩く。すると何か布のようなものを踏んだ。
 目を落とすとどうやら誰かの衣服を踏んでしまっていたようだ。周りには大量の衣服が山積みになっている。全て住居者たちの物だろう。
 衣服の山の向こうで何かを擦る音が聞こえる。山を迂回して見てみると一人の女性が洗濯板を使ってせっせと洗濯に励んでいた。
 静岡県浜松市出身で三十八歳、左利きで家族構成は母と夫の三人、亀山さんと同じジャンキーハウスの古株である臼井京子さんだ。
 嫌いなものは料理、禁断症状は脱毛らしいが僕はまだ見たことがない。
 彼女は洗濯中毒で一日かけて所員含む住居者全員の衣服を洗濯している。所員が洗濯を担当する必要がないのと、人当たりのよさから所員たちの中でおそらく一番評判がいい。
 いつも着ている白い割烹着がよく似合う母という言葉にふさわしい女性だ。僕たち住居者から見れば。

 中庭を散歩しながらいろいろな人を見ていると、建物の方がなにやら騒がしい。
 面白そうな出来事を期待して僕は野次馬気分で様子を伺うことにする。
「お前、ジャンキーじゃないな!」
 所員三名が一人の金髪男性を取り押さえていた。あれは茨城県つくば市出身で二十二歳、右利きで家族構成は父母弟の四人、一ヶ月ほど前に入ってきた新入りのギター中毒者、名前は確か本城秋彦だ。
 どうやらジャンキーのふりをしてこの施設で暮らしていたのがなんらかの拍子にばれてしまったらしい。
「ちくしょう、ギターに触らせろ!」
「いまさらジャンキーぶったところで遅いぞ。おとなしくしろ!」
 三対一でかなうわけがなく、本城さんは瞬く間に身動きが取れなくなった。その様子を僕はじっと見ている。
 すると、本城さんと目があった。
「おい! じゃああいつはどうなんだ!」
 本城さんは僕を睨みつけながら叫ぶ。どうやら僕に対して思うことがあるらしい。言いたいことはある程度予想がつくけれど。
「あいつは毎日ぼーっとしてるだけじゃねーか。たまに散歩したりしてるだけで、後は人のことをじっと見たりしてるだけじゃねーか。あいつの方がよっぽどジャンキーっぽくねーぞ!」
 本城さんは僕まで巻き込もうとしている。そういえば彼は僕が何の中毒者か知らなかったっけ。何せ入ってきたばかりであまり交流を持つこともなかった。
「馬鹿言うんじゃない! あいつは立派なジャンキーだ。お前と違って何年もここで暮らしているんだ」
 所員の言うとおり、僕は亀山さんほどではないがここで長い間暮らしているのだ。偽者だったらそんなに長く居られるわけがない。
「さぁ行くぞ」
 本城さんはまだ色々とわめき散らしていたが、所員三人に連行され、地下室へと連れて行かれた。
 ジャンキーのふりをした住人というのはそれほど珍しいことでもない。ジャンキーはこの施設で働くことなく一生を過ごすことができるのだ。それに憧れた常人が入り込むという事件は昔からよくあった。
 大抵はすぐにバレて追い出される。今回の本城さんは一ヶ月も居たようだが、それでも長いほうだ。
 しかしジャンキー側からしたら不愉快極まりないことなのである。連行された本城さんは気づいていなかったかもしれないが、その場にいたジャンキー全員が、依存している行為を一時的にやめて、連行されていく本城さんを睨んでいた。

 本城さんが起こした騒ぎもあっという間に沈静し、周りのジャンキーたちは皆、いつも通りに依存している行為に励み始めた。
 自由時間はまだまだ長い。彼らはその一分一秒を無駄にしないため、ひたすら行為に夢中になっている。普通の人なら異常に思う光景だが、僕にとっては見慣れたものだ。
 ああ、うずうずしてきた。ゆっくりとだが禁断症状の兆しを感じる。僕も時間を無駄にはできない。
 今度はどこでしようか。体育館なんかいいな、今日もバスケットボール中毒の人たちが試合をしているはずだ。人がたくさんいるなら都合がいい。
 僕は渡り廊下を歩き、体育館へと向かう。残りの自由時間、余すことなく楽しもうじゃないか!

       

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