Neetel Inside 文芸新都
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暇つぶし
昨日

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 その日、彼は会社での大失敗を思い出し、ため息をつきながら電車に揺られていた。
 上司から大目玉、周りの社員から笑われ、一人残業を課せられた。
 なんとか終電に間に合ったのはいいが、彼はひどく精神的に疲労していた。だが今日はまだ月曜日。また明日から金曜日まで仕事をこなさなければならない。
 電車から降りて駅を出ると、暗い夜道をとぼとぼと歩いていく。
「嫌になるよまったく……」
 落ちている石ころや空き缶などを蹴り飛ばしていく。たいしてストレスは解消されないが、彼はひたすら蹴り飛ばし続けた。
 また前方に何かが落ちている。蹴り飛ばしてやろうと彼はそれに近づいた。
 電灯に照らされたそれは、ゴミというには綺麗すぎる箱だった。
 彼は思わず箱を拾い上げた。『タイムマシン』とそれには書かれている。その横にはさらに小さい文字で『お手軽タイプ』と書かれていた。下にはダイヤルの着いた銀色の機器の写真。これがタイムマシンなのだろう。
「胡散臭いなあ」
 と、言いつつも彼はタイムマシンに少し惹かれつつあった。
 箱を鞄の中に入れると、彼は自宅へと急いだ。
 到着、スーツを脱いで楽な格好になりベッドに寝転がる。やはり自分の部屋というものはリラックスできるものだ。
「でも、やっぱ臭いな……」
 最近掃除を怠っていたからか、彼は少し部屋の臭いが気になった。仕事のストレスも相まって少しいらつくが、掃除を面倒くさがっている自分が悪いのだと言い聞かせた。
 しばらく寝転がって身体を休める。そしてゆっくりと上体を起こした。
 鞄からタイムマシンの箱を取り出し、それを改めてまじまじと見た。
 もう寝ないと明日の仕事が辛くなる。連日失敗を繰り返すわけにはいかない。そう思っていたはずなのに彼は箱を開けていた。
 中には写真と同じダイヤルのついた銀色の機器と説明書が入っていた。彼は説明書を読み始めた。
 このタイムマシンは過去に逆行することしかできないそうだ。ダイヤルで時間を合わせて使用者を過去にタイムスリップさせるという。しかし戻れる時間は最大でも一週間前まで。お手軽タイプだからか色々と制限があるようだった。
「本当に過去へ戻れるなら、昨日に戻って今日をやり直せるなあ。そうすれば、会社で失敗することもないだろう」
 彼はタイムマシンのダイヤルを回し始めた。メモリを昨日にセットする。
「あとはこのスイッチを押せばいいんだな」
 タイムマシンの上部にある黒いスイッチに指をかける。半信半疑だったはずなのに、今の彼は戻ってくれと心の中で願っていた。
 指に力を入れる。カチリ、と音が鳴る。全身がねじれるような不快感と共に、彼の視界は真っ白になった。
 しばらくすると不快感が引いていく。視界を染めていた白が薄れていく。
「な、なんなんだ!」
 誰かの怯えた声が彼の耳に突き刺さる。その衝撃で彼の意識が急速にはっきりしていく。
「お前どこから現れたんだ!?」
 彼は声の主を見る。そこにはトランクスだけを履いた若い男が立っていた。どこかで見覚えがあるな、と思いながらぼうっと男を見つめていたが、少ししてそれが自分自身であることに気づく。
「わあっ。なんで俺が!」
「それはこっちのセリフだ!」
 彼は困惑した。タイムマシンのスイッチを押したらもう一人の自分が目の前に現れたのだから。
 冷静になれと自分に言い聞かせ、彼は周りを見回す。まぎれもなく自分の部屋だった。ただ、少しだけ違和感を感じる部分がある。
 時計に目が行く。時刻は時刻は二十時ちょうど。彼が帰宅した時は日付が変わるくらいに遅い時間だったはずだ。
 彼はベッドの上に置いてあった携帯電話を手に取る。
「おい、俺の携帯を――」
「うるさい、これは俺の携帯だ」
 彼は携帯電話のディスプレイを見る。
「日曜日……」
 日付は彼がタイムマシンを使ったときよりも前を示していた。曜日を確認すると(日)という表示が。会社で大失敗をしたのは月曜日だ。
「タイムスリップが……成功した」
 彼はビデオの巻き戻しのような時間の逆行をイメージしていたが、実際は彼単体が過去に移動するような逆行だったようだ。彼単体の逆行だったため、タイムスリップ先にその時間軸の彼がいて鉢合わせするような形になってしまったのだろう。
「おい、携帯返せって」
 もう一人の彼が携帯を無理やり取り返す。
「じゃあお前は昨日の俺か?」
 彼は目の前にいるもう一人の自分を見て言った。
「何言ってるんだお前。つーか、どこから出てきたんだよ」
 もう一人の彼は今だに状況がつかめず――何の説明もないのだから当たり前だが――混乱したままだった。
「いいか、俺は未来からやってきた。お前から見て明日からだ。つまり俺は明日のお前だ」
「は?」
「だから、俺はタイムスリップしてきたんだよ」
「いや、意味が分からない」
「分からなくていい。お前に忠告をするぞ。お前は明日会社で――」
 彼は昨日の彼に自分の大失敗を伝えた。これで昨日の彼が大失敗を回避すれば未来が変わり彼自身が大失敗をしたという過去は消える。
「まあ……気をつけるよ」
「頼むぞ、俺はもう明日に帰るから」
 彼はそう言ってタイムマシンのダイヤルをいじろうとする。が、今になって自分の手元からタイムマシンが無くなっていることに気付いた。
「おい、俺のタイムマシンはどこだ!?」
 彼は慌てて部屋を見回す。しかしタイムマシンはない。
「俺は知らないぞ。そもそもどんなものなのかも分からない」
「銀色でダイヤルがついた小型の機械だよ。ほら、お前も探してくれ」
 二人は小さな部屋の中を探しまわる。一時間経ったがタイムマシンは見つからない。
「まさか……」
 お手軽タイプ……過去にしか逆行できない……最悪の考えが彼の頭に浮かぶ。
「過去にしか行けないってことは……未来に行くこと、戻ることができないってことなのか……」
 一方通行。行ったきり戻ることは叶わない。
「おい、じゃあお前はどうするんだよ」
 昨日の彼が言う。
「分からないから困ってるんだろ。俺はこのまま過去の世界で生きなきゃいけないんだぞ」
「とにかく、このままここで生きていくなら俺の部屋からは出て行けよ。いくら自分とはいえ迷惑だ」
「なんだと!? じゃあ俺は路頭に迷ってろってことか? ここには俺が二人いる。実家や友達の家に行くわけにもいかないだろう」
「知ったことか! お前が勝手にこっちに来て、勝手に困ってるだけじゃないか!」
「自分自身すら助けられないほどお前は心が狭いのか? それでも俺か?」
「うるさい! そもそもお前は何なんだよ。タイムスリップしてきたって言ってるけど証拠も何もない。タイムマシンすらない! お前みたいな身勝手なやつが俺だって? 信じられないね」
「この野郎!」
 彼は思わず昨日の彼に殴りかかる。拳が顔面に叩きつけられ、昨日の彼は床に倒れる。口から僅かに血が流れ出す。
「そうか……」
 彼は倒れて痛みに呻く昨日の彼を見て気付いた。
「同じ時間軸に俺が二人いるのなら、どちらか片方がいなくなっても問題ないよな……」
 その言葉で昨日の彼は彼が何を考え付いたのか察する。
「おい、馬鹿……やめろ……」
 彼はにやりと笑うと、昨日の彼の顔を蹴り飛ばす。そして片っ端から部屋に転がっている物を掴んで昨日の彼を何度も殴打した。
 しばらくして、昨日の彼は動かなくなった。血の臭いと垂れ流された糞尿の臭いが混ざり合って部屋の中に充満する。
 彼は昨日の彼の死体をゴミ袋に詰める。元々大柄ではないため、身体の半分以上はゴミ袋に収まった。入りきらなかった部分にまたゴミ袋をかぶせる。再びゴミ袋に詰めて入りきらなかった部分にゴミ袋をかぶせる。
 そうやって無理やり死体を包み込と、押入れの中の奥深くにしまい込んだ。
 血と糞尿で汚れた床を拭き、部屋を綺麗にするとベッドに腰を下ろす。片づけで流れた汗をぬぐう。
「疲れたが、これで問題ない」
 彼は勝ち誇ったように笑った。
「これで今から俺が昨日の俺だ! はっはっはっは」
 身体を倒し、寝転がる。
「はぁー……疲れた…………あれ」
 彼はぼうっとしながらつぶやく。
「俺、何してたんだっけ」
 再び流れる汗をぬぐう。起き上がって時計を見る。時刻は二三時を回っていた。
「二十時だと思ってたらもうこんな時間か。時間経つの早すぎだろ……なんもしてないような気がする。風呂も入らなきゃ」
 汗まみれのシャツを脱ぎ始める。
「あーあ。明日からまた仕事か。嫌になっちゃうな」
 彼は先ほどの出来事の記憶が消えた。それはおろか、月曜日の記憶もまるまる消えていた。彼は昨日の彼に、日曜日の彼になったのだから。


 その日、彼は会社での大失敗を思い出し、ため息をつきながら電車に揺られていた。

       

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