Neetel Inside ニートノベル
表紙

賭博天空録バカラス
11.ラッキーバニー(後編)

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「いや、ホントにいいんだよ。さっきのは冗談っていうか、その……」
「でも借金あるのはホントでしょ」
「うん、まあ、そりゃあね。でもそれはまじめに働いて返そうと思ってて……」
「自分のせいで作った借金じゃないんだから、わたしに任せちゃいなよ」
「え、なんでそれを知ってるの!」
「キミ、顔が口でできてるからなぁ」
 なんてことだ。僕はそんなに口が大きかったのか。
 そんな風に見られているのが悲しくてしょんぼりしていると、少女の足取りは案外速くてうっかり置いていかれそうになり慌てて追いかける。
 表面上はどう取り繕っていても、この状況を楽しんでしまっている自分がいるのは否定できなかった。
 彼女の後ろ姿を見ていると安心する。
 子どもの頃、母に連れ歩いていた時のことを思い出していると、前を見忘れて彼女にぶつかってしまった。
「あいたっ!」
「あ、ごめん」
 拗ねたように口をすぼめていた彼女が、お、と何かを見つけたようだった。
「そうだ、あれにしよう。あれがいいな」
 そう言って指差した先には、カジノにはおおよそ似つかわしくない畳。
 その上に幾人かの人が座り、なにかを一心に覗き込んでいる。
 チンチロリンだった。



「ねえ、君もバニーガールだろ。自分のカジノでギャンブルしちゃっていいの?」
「いいのいいの。文句言ってきたらぶつから」
「ら、乱暴はよくないよ」
「うーん、幻覚かなぁ、さっき乱暴してた人を見かけた気が……」
 そう言われるとグウの音も出ない。
 確かに自分でもいいアッパーを出せたな、と自惚れていた。拳も痛めていないし。
 少女はしてやったりとばかりに得意げな顔をすると、ケースから一枚コインを拾い上げて僕に弾いてよこした。
 慌てて掴みとる。
「そのまま!」と静止命令を受ける。言うとおりにした。
「ぼ、僕はどうすれば?」
 少女にびしっと指を指された。後ろになにかあるのかと思って振り返ったらはたかれた。
「表か裏、どっちだと思う?」
「え? いやぁ、見えないからな……どっちかな……うーん」
 少女が嘆くように天を仰いだ。
「せんせーこのひとギャンブル向いてないでーす」
「うるさいな、そんなの言われなくても分かってるよ。それに、そっちの方がいいよ」
「へぇ。それは、人を傷つけなくて済むから、とか?」
 図星だった。言葉にされると面映い。
「君、ホントに面白いけど、ハングリー精神にかけるなぁ」
「いや、いつもおなか空いてるけど」
 少女の目が潤んでいるのは哀れみと受け取っていいのだろうか。
 回りくどい方法で馬鹿にされている気がする。
「ま、そこが君のいいとこなのかな」
 吐息まじりにそう言って少女はとことこ畳の上に登ってしまった。
「ちょ、ちょっと、このコイン」
 どうすればいいのか、という質問をしようとして、
「ああ、それ? 裏」
 別の答えが返ってきた。
 拳を開いてみると、つるつるとした表面に僕の間抜け面が広がっていた。




 皆に習って靴を脱ぐと、僕は恐る恐るバニーの少女の背中に回って張り取りを眺めていた。
 彼女は僕のケースからコインを掴んでは放ったり、受け取ったりしている。
 賭ける時はあまり悩まない。
 ほんの一瞬動きが止まったかと思うと、すっと淀みなく身体が動いている。
 僕はその姿を見て、綺麗だと思った。
 それは女性としての美しさというよりも、機能美に近かった。
 彼女の真剣な眼差しや、胡坐をかいてやや前傾になった姿勢や、人のものとはいえ価値を含む何かを惜しげもなく押し出すその気配が、余計なもの一切合財を切り捨て洗練された結晶のようだ。
 戦闘生物や攻撃兵器と同じ存在。
 羨ましい、と思った。そしてちょっぴり妬ましい、とも。
 会ったばかりの少女に、僕は言い知れぬ尊敬と敗北感を抱いていた。
 そんな僕の感傷とは裏腹に、コインの嵩は少しずつ沈んでいった。
 元々もらいものだし、仮にすべてスッてしまっても彼女を責める気はなかった。
 それよりも、もしかしたら自分が気づかぬ内に残念そうな気配を出してしまうのでは、と僕はそれだけが恐ろしかった。
 彼女に余分な負担を与えたくない。悲しませたくないのだ。
 そんな僕の心配を知ってか知らずか、少女は大張りで取られてもびくとも揺れない。
 ただじっとお椀の中のサイコロを捉えている。
 何十回目の張りだったか、僕は少女に少し休んではどうか、と話しかけた。
 べつのバニーちゃんからもらったコーラも差し出してみた。
 けれど少女の口は固く閉ざされたまま。無視しているのではない。
 今、彼女の世界には、彼女自身と賽の目、それしかないのが、見ているだけの僕にも分かった。




 カジノ全体がどよめいていた。
 原因は僕の横に積みあがっている。
 コインを孕んだケースがうず高く積みあがり、僕はいまやそれが倒壊するのを防ぐ番人だった。
 なかなか優秀な才能を有しているらしく、何度か揺れたケースタワーは間一髪のところでバランスを保ち続けている。将来は積み木職人になろう。
 いつまで続くのかと思われた連勝だったが、ある時スッと少女が立ち上がった。
 最後の張りも見事に当て、配当係がケースごとコインをよこしてきたが、彼女の決定は覆らないらしい。
「もうやめるの?」
「ん?」
 少女は、まるで今僕と出会ったかのように目を丸くしていた。忘れ去られていたのかもしれない。
「うん。借金分くらいは稼げたと思うし。それになんかヘン」
「ヘン?」
「勝ちすぎてる。ていうか、なんでか知らないけど負けない。なんでだろ?」
 普通の人だったら喜ぶところなのだろうが、彼女は自分の考えと食い違う結果に不満を抱いているようだった。
「たぶん僕がいたからだよ」
「へ? キミ?」
「僕が後ろで見てると、その人はなぜかツキ始めるんだ」
 ある日、クラスメイトたちが麻雀打ってるのを何気なく眺めていると、大騒ぎになった。
 僕が見ていた人が四暗刻を二度アガったのだ。しかも単騎で。
「おまえが来てから一気に手がよくなったよ! ありがとう!!」
 一人から感謝され、三人から睨まれて非常に居心地が悪かったのを覚えている。
 それから僕は『ラッキー』というあだ名で呼ばれるようになったのだ。
 その話をすると少女はいたく感心したようで、
「じゃあ、今日の勝ちはやっぱり君のおかげだ」
「いや、そんな、迷信みたいなもんだよ。雨男とかそんなもん」
「でも、ちょっとは信じてるでしょ、自分でも」
「……まァ、ちょっとだけ。でも自分には効果ないんだから、損な気分だ」
「君らしくていいと思うよ、わたしは」
 まァ確かに、ギャンブルをしない僕がツイても意味がないから、これはこれで正しいのかもしれない。




 僕がいくら言っても換金してくれなかったバニーちゃんたちは、少女にはあっさりと金を渡してくれた。
 あんなにたくさんあったコインは、いくつかの札束に変わって少女の腕の中に納まっている。だが、相変わらず僕の心は高揚することなく沈殿している。
 短時間でこんなに増えてしまったから、少女の闘いが終わってしまった。
 もっとあの後ろ姿を見ていたかったのに。
 そう思うとなんだか金が疎ましく思えてくる。
「それじゃ帰ろっか」
「仕事の途中じゃなかったの?」
「もう飽きちゃった」
 飽きたらやめるなんて随分勝手だと思ったが、少女は本気らしい。
 僕は腕を取られて歩き出した。
「それに、君、一人じゃここから出られないでしょ?」
 まったくもって彼女の言うとおりで、僕の減らず口もそこまでだった。






 裏口らしき扉から脱出し、少女に連れられて歩き回った。
 彼女はどうやら付近の地理を完璧に把握しているらしい。ほとんど彼女の足は止まることがなかった。
 それゆえ僕は彼女に任せきりになってしまい、眠気を催してきた。
 そもそも真夜中に叩き起こされたのだから当然だ。
 先輩はもう仕事を終えただろうか。文句を言われることはないだろうが、一人きりで死体を処理している彼の姿を思い描くと申し訳ない気持ちになってくる。
 彼だって好きであんな仕事をしているんじゃなかろうに。
 僕だって……。
 そこまで考えてからようやく気づいた。
 僕のバイトはもう、終わったのだ。
 思っていた以上に、ホッとしている自分がいた。




 ぐるぐると階段を上り、下り、僕らは彷徨っていた。
 どこか現実感を喪失したまま彼女にひたすらついていく。
 彼女が何者なのか、頭の隅では考えねばならないと思っていたけれど、それは森の中の木の葉のようにちっぽけな疑問で、僕の意識の表層には迫ってこない。
 半ば本気で自分は夢を見ているのではないかと疑った。
 頬をつねってみると痛いが、それは確かな現実の証明にはならない。
 なぜなら僕は夢の中で痛みを覚えるからだ。
 通常は夢を見ている時は肉体は横たわっているので痛みは受けないはずだが、夢の中の僕は頬をつねられると『痛い』と錯覚する。
 頬をつねられて痛くなかったことがないから、そうあるべきと脳が判断している……と自分では考えていたけれど、僕はお医者さんではないので正しいかどうかは知らない。
 ただ自分というものを知る上で、自分はこういう存在だ、と区切ってみただけのこと。
 相変わらず景色は変わらない。薄黄色い蛍光灯も、赤錆びたパイプも、二人分の足音も、彼女の横顔も、頭の上で揺れるウサ耳も、流れはすれど変わりはしない。
 僕と同じだ。
 変化することなく、堂々巡りを繰り返している。
 このままではいけない、そんなのは建前で、僕はこのぬるま湯が好きで好きで仕方ないのだ。
 だから『彼女』のことも放置した。
 まァ、拒否されたんだけれど……。
 チラっと先をいく少女を見やる。
 旅は道連れというし、いっそ彼女にすべてを相談してみようか。きっと僕以上に的確な進路を選び取ってくれるだろう。
「あのさ……」
「待って」
 少女は僕を手で制すと、薄暗い通路の向こう側を目を細めて透かし見た。
 僕には何も感じられない。周囲に気配など皆無で、僕と彼女の呼吸音と、空調の稼動音しか聞こえない。
 だが、彼女はそうではないらしい。
 じり、と一歩後退し、
「こっちはやめとこ」と言った。
「何か……いるの?」
 返事は無かった。






 日が昇りつつある藍色の空が真円に切り取られていた。
 僕らのことなどお構いなしに、薄雲がゆるりと気ままに流れている。
 少女の後に続いてマンホールから出た。数時間ぶりに吸う外気が肺の隅々まで染み渡る。
 結局、夜が明けてしまったらしい。これから学校かと思うと気が重くなる。
 どの授業を眠って過ごそうかあれこれと悩む僕の傍らで、バニーちゃんはうーんと背筋を伸ばしていた。
 猫のようにしなやかに動く肢体を自然と目が追う。
 これからどうするの、と聞くと少女は不思議そうに首を傾げた。
「朝っぱらとはいえ女の子一人じゃ物騒だから、家まで送るよ。
 原チャ二人乗りはホントはいけないんだけど……この辺は白バイもあんま見回ってないし、最低でも最寄駅までなら」
「この格好で?」
 少女はどこか面白がっている様子でうさ耳を指ではじいた。
 ぴょこん、と耳がかわいく跳ねる。
 言われてみれば、たとえ駅まで無事に送り届けて電車に乗せたとしても職務質問を受けてしまいそうなコスチュームだ。
「うーん、僕は女の子が着れそうな服はもってないしな……お店はまだ開いて無いし」
「ジャージかなんかでいいよ」
「学校用のしかないよ」
「いいよー」
「軽っ。ていうかそれ持ってかれると体育出れないから困るんだけど」
「いいよー」
「無視ですねわかります」
 そういうわけで、僕はニコニコしたバニーちゃんを引き連れて帰宅することになった。
 そういえば、まだ彼女の名前を聞いていない。
 答えてくれないかと思ったらあっさりと教えてくれた。
 嶋あやめ、と言うそうだ。




 一人暮らしを始めてから、人を部屋に呼ぶことはほとんどなかった。
 女性ともなればいわんや、だ。
 見られて困るものは置いてないはずだが、自分が普段正常だと思っている事柄が他人から見れば吐き気を催すほどの異常であることも珍しくないため、なかば僕は嫌われることを覚悟でシマを部屋に入れた。
 ダッシュで部屋を横切り窓を全開にし、友人からもらったお香を焚いてみた。
 ゆらめく煙とどこか懐かしい匂いが漂い、神妙な気持ちになった。
 シマを見ると座禅を組んで瞑想していた。実にノリがいい。彼女とはやはり気が合いそうだ。
 だがモロにツッコミ待ちをしている様子だったので、目を瞑って笑いをこらえている彼女に気づかれぬよう、僕はこっそりと部屋を出てコンビニに買出しに行った。
 彼女の反応を楽しみにしながら、朝食とスウェットの上下を手にして部屋に戻ると彼女の姿は無かった。
 あれ、本気で怒らせちゃったかな――と急に心細くなりながらちゃぶ台の下を見て僕は愕然とした。
 隠してあったはずのエロ本がなぜか置いてあった。
 ポン、と肩を叩かれ慄きながら振り返ると、満面の笑顔が咲いていた。
 完敗だった。





 金の使い道について尋ねられ、僕は借金返済分以外はいらないと答えた。
 タネ銭は人から譲り受けたものだし、増やしたのはシマだ。
 僕がその大半を持っていくことさえおこがましい。
 もう袖に血をつけることが無くなるだけでも儲け物だ。
 僕が畏まってちゃぶ台の上のお金を押し戻すと、シマはそれを受け取ってくれた。
「本当にありがとう」
「ん。まァ人が決めたことにゴチャゴチャ口を出すのは嫌いだし。くれるっていうんならもらっちゃうからね」
 そう言う割に札束を無造作に部屋の隅に放り投げると、彼女はその場に寝転がった。
 今はバニーの衣装を脱ぎ、僕が買ってきた白色のスウェットを着ている。よくコンビニで見かける面倒くさがり屋な女性のスタイルだ。
「あのさ」僕が呼びかけるとシマはごろんと寝返りを打った。
「これからどうする? とりあえず、僕はこれから学校だから行くけど、帰りにちゃんとした服買ってこようか。それ着て家に帰りなよ」
 ちょっと冷たい言い方だったかな。けれどそういう他にない。
 まさかこのまま同棲するわけではあるまい。
 お金は部屋の隅に転がっているから困らないが、この世には紳士のルールってものがあるのだ。
「うーん、まァ、そのうち、テキトーに。お勉強がんばってねー」
「ったく……」
 札束をコンビニ袋で入念に封印し、カバンに詰め込む。
 爪先で床に転がったうさ耳を押しのけながら玄関を出、ようやく僕は現実感ある日常に戻れたのだった。





 いつよもより早い時間に出てしまったことに、僕はすぐ気づいた。
 二つ隣の部屋に住んでいる彼女は時間に正しく、遅刻ギリギリをモットーとしている僕と登校時刻が被ったことは一度としてなかったから。
 そういう事情もあってお互いに免疫がなく、バッチリ目が合って二人揃って戸惑ってしまった。
 彼女は時が止まってしまったかのように、ドアノブを握り締めたまま固まっている。きっと僕も同じ格好をしていたのだろう。
 無視しようか、と思ったが、クラスこそ違えど同級生に変わりはない。
 挨拶くらいはするのが紳士だ。
「お、おはよぅ……」
「…………。おはよう」
 彼女も消え入りそうな声で返してくれ、僕はほっと安心した。
 そしてふと感動を覚えた。
 噂の転校生、加賀見空奈と初めて喋ったということに。

       

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