それは、気ままな彼女らしい無軌道な発端だった。
五月の半ば、春が終わって夏の匂いがし始めた頃。
彼女――嶋あやめの目的地の中で、狗藤がオーナーを勤める地下カジノ『ダークメサイア』の優先順位は低かったはずだった。
ちょうど行き先を決めるため、愛車のホンダCBR1000RRを停めて考えた時、熱く盛っている場は二つほどあったのだ。
ひとつは関西方面の競馬場をウロついているという常勝無敗の少女。
野球帽を被っていて、売り子かと思っていると穴場の売り場にトコトコ歩いていって、いくらか増えた札束を持って戻ってくるという。
これは以前から噂を聞いていて、狙いをつけていたのだけれど、なかなか行方が掴めなかった。
その位置情報がようやっとシマまで流れてきたのだ。
もうひとつは、北の方で打ち歩いているという片腕の男。
右腕一本で、牌をあっという間にすり換えるという。その技も一目見てみたい。
そうして、行き先を北に定めようと顔を上げた時、ポケットで携帯が振動したのだった。
シマは二つ携帯を所持している。事務連絡のためのものと、知り合った一般人に見せても構わないデコイのもの。
着信したのは、無骨なシルバーの事務用のものだった。
画面に表示される、カジノの名前や規模、種目。
喰えそうな獲物のあれこれ。
しかし、なによりもシマの目に引いたのはそのカジノの住所だった。
見覚えのある地名。
けれど、このカジノはいつでも喰える。
優先するべきはいつ行方知れずともなりかねない二人のはぐれ者の方。
そんなことは、わかっていたのに。
ここからは山を挟んだ向こう側にある、自分がやってきた方角を振り返って。
メットをつけて膝がこすれるほどバイクを傾げ、弧を描いて反転疾走。
そう、今思えば、それはきっと。
心の隅に、こっそり隠れていたもの。
ほんの少しだけ生まれてしまった、同胞意識――。
【イブキ】
東を引いた鴉羽が右往左往した挙句に入り口側の席に着いた。
反時計回りに、南家シマ、西家狗藤、北家私(イブキ)と腰掛けていく。
先刻の河を卓へ流し込み、ガラガラとかき混ぜられる音に耳を傾けながら、私は対面の顔を窺った。敵情視察だ。
湯上りの頬は少し赤みを帯びていて、彼女の容姿を一層幼く見せていた。
鏡がないのでわからないが私も同じようなものだろう。
シマの謀略によってのぼせてしまったが、私とて博打でご飯を食べる身だ。
配牌を開ける頃にはいつものフォームを取り戻していた。
神経を集中させ、針のように研ぎ澄まされた感覚で彼らの理牌する音を捉える。
この時はまだ薄い靄がかかったように漠然としたイメージしか届いて来ない。
タン! と親の鴉羽が第一打を強く打つ。
その衝撃はほんのささやかなものだが、卓を渡ってヤマの牌へぶつかり跳ね返る。
それを繰り返してほぼ八、九順で私はすべての牌の正体を看破する。
しからば決して放銃しないし、ツモ和了は常にリーチ一発。
稀役、嶺上開花とてお手の物。
我ながら無敵の才能だ。
ツモった牌を手に入れ、不要牌を強く打ち出し、響かせる。
岩盤の中に埋もれる化石を発掘するように、私は一枚一枚の牌にかかった不明の土をどけていく。
東一局、鴉羽が四千オールを当然のようにツモあがり。
「鴉羽さん、四千オールじゃない時の方が珍しいね」と何が楽しいのかシマはヘラヘラ笑っている。
鴉羽も、ほっとしたように笑みを零して綺麗に揃えた点棒を大切そうに仕舞いこんだ。
「俺はいつも、いいところまではいくんだがね。それきりなんだ」
その鴉羽の呟きを聞いて、私と狗藤は肩をすくめ合った。
一本場はシマが喰いタンドラドラをツモあがって鴉羽の親を流した。
メンゼンで進めればいくらでも高くなりそうな手だったが、今の自分では後手を踏むという判断だろう。
私も彼女の立場だったらそうしていたはずだ。
こうして打ち始めてから私は、シマに対してずっと奇妙な親近感を覚えていた。
それは彼女の方からも同様であったのだろう。
時折、お互い敵同士でありながらふっと柔らかい視線を当てあうことがある。
その度に私は緩みかける自身の気を叱咤し、こっそり二の腕をつねって緊張感を取り戻していた。
どうも彼女は私のペースを狂わせる。
また、彼女もそれを自覚し楽しんでいる節があった。先の襲撃などはその典型だ。
なにを考えているのか分からないが、油断はできない。
シマは私の聴覚に感づいている。
彼女を確実にこの場で始末しなければならない。
秘密を知られるということは、そういうことだ。
東二局、狗藤がメンピンツモドラの一三、二六。
不調シマの親番は続かない。
東三局、私はこんな手だった。