Neetel Inside ニートノベル
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「リーチ一発緑発、ドラ六、裏四。

 ――――――三万二千ッ!」

 あっと鴉羽が声をあげたが、もはや意味はない。
 私はその時、脳裏に白熱した閃光が迸り、すべてのトリックを看破した。
 あと一瞬、早く気づいていれば。
 勝負はいつも、その後先で決まるのだ。







 シマあやめも、鴉羽がテンパイした時に待ちターツを小手返しすることは気づいていたろう。
 この局、最初にテンパイした鴉羽の待ちは穴六筒。もちろん役なしでリーチをかける価値もない愚手。
 ゆえにアガる気がなかったため、この時彼は小手返しをしなかった。
 彼の形式テンパイに気づいていたのは私だけだ。
 次にシマが四枚目の緑発を引き込む直前の八筒ツモ。これで鴉羽はピンフを手に入れた。
 しかし、まだ一手変わればタンヤオがつく可能性があったためリーチは保留。
 しかし出ればアガる気だったのだろう。
 一番右端、二枚の左側から出た牌が五筒。
 ツモった牌を一番右に置いて、一度小手返し。
 待ちが六九筒であることはシマにとって火を見るよりも容易かったはずだ。
 そして緑発を引き入れリーチ。
 さて、私にバレている二五萬リーチ。
 一発ツモであることは私にしか分からないわけで、彼女は私からの直撃を欲し、そして求めた。
 私が必ず差し込みに回るであろう七八筒を。

 まず、携帯を鳴らして三人の注意を逸らす。
 次に手牌右端の三四萬をヤマへ返す。
 この時にあえて音を立て、私に幻のぶっこ抜きを警戒させる。
 現実こそシマは一発ツモのはずであり、私は即差し込みに回れる状況であったが、そうではなくたとえばシマのツモ筋にアタリ牌がないと私が知っていて、私の手がアガれる可能性があれば、私は鴉羽に差し込まない可能性もあった。
 それを避けるために、シマは私を下ろす必要があった。
 そのための幻想のぶっこ抜き。
 では次に七八筒をどこから持ってきたのか。
 考えるまでもない。鴉羽の手牌からだ。
 鴉羽の下家であるシマは、彼の右端の二牌を取る最適な位置にいる。
 シマは、右手で三四萬をヤマに返すと同時に、ヤマの左端から二牌抜いた。
 そして鴉羽の手牌にその二枚を残し、七八筒を自分の手の中に潜り込ませたのだ。
 当然、待ちを奪われた鴉羽は手を倒せない。
 シマは、あの悪魔は右手のぶっこ抜きで私の意識を盗み、同時に指先ひとつ震わせず、左手でヤマから粘りつくように二牌抜き取り、牌を沈黙させたまま、他家の待ち牌と交換した。
 これが真相だ。わずか一瞬の出来事。
 ……もし少しでも音を立てていたら、私は気づいていただろう。
 私の耳を欺くためにはほんの少したりとも牌を遊ばせてはならない。
 死よりも静かな左手芸。
 来る日も来る日も牌に溺れ続けた末、極限まで研磨された技。
 それはもはや、千の年月を重ねた武術の奥義のごとき領域。





 これが、シマあやめの魔雀。

 天外魔境の三連盗――――――!






「牌がすべてわかる、か。本当にすごいよ。
 わたしはどう頑張っても牌と牌がぶつかる音で、なんの牌が彫られているのか、生涯かけて努力してもきっとわからない。
 でも、そういった才能と、誰が勝つかはべつだ。
 君の聴き取る運命がわたしを救わないなら、この手で奇跡を造り出すまで。



 わたしの勝ちだ、イブキ――!」

 私は負けた、シマに――。



 まだオーラスを残しているが、もはやこの半荘を制する運も力も私には残されていない。
 牌を摘みながら、何かが身体から抜けていった。
 力ではない。役満の直撃を受けたからといって戦意そのものを喪失する私ではない。
 ただ、こいつと争うことは無駄だ。それが電撃的にわかってしまった。
 私はシマに勝てない。
 そして運命さえ捻じ曲げたシマはこれから嘘のような上昇の波に乗っていくだろう。
 私には、そのさざめきが聴こえてくるのだ。
 けれど決して悔しいわけではない。強いて言うなら仕事がやりづらくなっただけ。

 そう、きっと私は初めから。

 この魔物を本気で退治できるなどと、信じてはいなかったのだ。



【イブキ/】





 シマはそれから人が変わったようにトップを爆走し始め、それに続いて鴉羽、イブキ、狗藤の着順が飽きるほど続いた。
 狗藤も決してまずい打ち手ではない。ただ勝負所、と心を決めたところで踏み込んでは地雷に吹っ飛ばされていた。
 先ほどのシマの濁りをそのまま引き受けたような形だ。
 麻雀は忍耐だ。そう分かっていた彼であったが、それでも封じ込めた心から本音の水は零れてしまう。
 その半荘が終わり、久々に鴉羽が一位を取った時に暗い表情で呟いた。
「ふん、もうあんた、自分の身体で返せるくらい稼いだね、おめでとう」
 鴉羽は牌を流し込もうとしていた手を止めて、ひょいと顔を上げた。
「もう、そんなになったかね」
「ああ」
「なら、お終いだ」
「ああ。……ああ?」
 鴉羽は席を立ち、壁にかけていた上着を手に取った。
 後を追って狗藤が跳ね飛ばすように椅子から立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待てよ。なに帰り支度してやがる。まだ完済したわけじゃないぞ」
「完済だよ。あんた、前に俺に言ったじゃないか。
 いざとなれば人の命が緊急に入用なところはどこにでもあるんだ、ってな。そこに連れて行ってくれ。
 残りは、死んで払うよ」
「なに言ってんだ。正気じゃないぜ。おい、おまえらもなんとか言ってくれよ! こいつ、あと一回のトップが取れないから帰るって言ってるぜ!」
「べつにおまえは困らんだろう、狗藤。借りた金をおまえに返す、と言ってるんだからな」
「しかし……」
「いいんだ。もう、いい。疲れたよ。死ぬような努力をしてまで生きていたくない。俺はそこまで、強くないんだ」
 鴉羽は最後に卓の前に立ち、河を見下ろした。
 喰い荒らされた動物の死骸のように、牌が散乱している。
 その中から一牌つまんで、万感の思いを篭めるようにその表面を指で撫でた。
「俺は麻雀が好きだった。でも、麻雀は俺のことが大嫌いだったみたいだ。
 ただ好きだというだけで愛されようなんて、ずうずうしかったかな」
 そう言い残して、名残惜しむように卓の縁を撫でた後、彼は去った。
 背中に、これまでの人生で重く積もった疲労を背負いながら。
 狗藤はそれを釈然としない顔で見送り、イブキは一瞥しただけでなにも言わず、シマは相変わらず愉快げだった。
「不思議なものだね。一番勝っているやつが最初に死んだ」
「……理解できねえな。ここまでやって死ぬくらいなら、最初からどこかで楽に死ねばいいじゃねえか」
「これが彼なりの闘いだったんじゃないの。知らないけど。
 さ、続けようか」
 え? と狗藤が振り返ると、シマとイブキは当たり前のような顔をして新しく出てきたヤマを斜めにずらしていた。
「昔からひとり死んだらサンマア(三人麻雀)と相場は決まってるんだ。
 よし、面倒だからマンズと北は全部抜きドラにしよう。すごいよ、一点いくらにしようか。ワクワクするなぁ」
「ちょ、おまえらなにを勝手なこと言ってやがる。そんなバカなこと……」
「まさか断らないだろうな、オーナー。
 私たちは客だぞ? ああ、私ならディーラーはやめた。今やめた。
 ここは上司の面が気に喰わん」
「さ、早く席に着いて。まだまだ遊び足りないよ」
 二人の美少女が照明を浴びて紅い三日月の笑みを浮かべている。
 それを見る狗藤の顔は月光に照らされたように、蒼かった。

       

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