Neetel Inside ニートノベル
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賭博天空録バカラス
6.仮面カジノ

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 屋上からの帰り、階段の踊り場でミハネが振り返った。
「校内カジノの噂、聞いたことある?」と問われて首を振ると切なそうな表情をされ、天馬はむっと顔をしかめた。知らないものは知らないのだ。
 校内多数の一人ぼっちたちのためにもっと細かなニュースをうちの新聞部は掲載するべきなのに何をしているんだ、と憤りながら天馬は廊下の掲示板を睨みつけた。
 日刊で更新される高回転率を誇っているが、内容は部員の座談会が八割を占めている。まるでチャットログだ。
「うちの高校ってさ、結構金持ち多いじゃん」とミハネが言った。壁新聞を見ながら話しているが、読み上げているわけではない。
「まあ、歴史長いし就職とかのコネもいいらしいしな」
「うん。だから金を持て余した馬鹿がさ、こっそり賭けてるらしいんだよ」
「なるほどね」天馬は笑った。「そいつらからムシってやろうってわけか。でもさ、そう簡単にいくのかよ」
 ミハネは躊躇わずに頷いた。
「いくよ。自信がある」
「なぜ一人でやらない」と聞かれると
「コンビじゃないとできないんだ。それに、信用できる人間なんて、馬場の他にいないし」
「ふうん……」天馬は奥歯にモノが挟まったような表情。「コンビで効果があるってことは麻雀か?」
「麻雀は教師に見つかった時、言い訳ができないからやってないんだよ」
「ジャラジャラうるせえしな。で? 何をやるんだ。なんでもやるぜ、オレは」
 ミハネはカバンの中から一冊の本を取り出すと、天馬に差し出した。薄茶色の文庫本で、ところどころ擦り切れている。
 何度も手に取られて残った手垢の汚れが、原爆で地面に焼きついた人影のように見えた。
「ルールもセオリーもこの中に書いてあるから、覚えて。
 五人のうち、たったひとつの繋がりであってもゲームを根底から破壊してしまう……
 それがこの【ナポレオン】」
 本を受け取ると天馬は軽くホコリを払い、パラパラとめくった。そして
「なるほどね」と言った。
「え、もうわかったの?」
「いや、全然」
 どつかれた。



 *******



 急場はなんとか乗り切った、とミハネは言った。なんでもないことのように早口で告げた彼女に、どうやってと聞く勇気はなかった。
 借金はおよそ三千万近くあるそうだ。
「三千万なんて、一般人が十年は暮らせる額だぜ。どんな博打をしたらそうなるんだ。べつに親父さん、大企業の重役ってわけでもないんだろう」
「べつにお金がなくたって博打はできるよ。廻銭を使えばいいんだから」
「廻銭?」
「テラ取りが回してくるお金のことだよ。借金」
「ずいぶん詳しいんだな」
「聞いてないのに教えてくるからね。
 雀荘とかパチンコとか、公営ギャンブルでもタチが悪いのにアングラにまで行っちゃうんだから救えない。あんたの言葉じゃないけど、死んだ方がいいってのは間違ってないよ」
「いや……」と言葉を濁す。どっちだよ、とちょっと思ったけれど、所詮は他人の自分が彼女の人格にまで根付く問題に口を挟めるわけがない。
「お金持ちの人からしたらさ」ミハネが廊下の向こうに沈んでいく夕日を眺めながら言った。「三千万は安い買い物なのかもね」
 天馬は品物を振り返った。夕日の作り出す角々しい影に輪切にされているミハネの表情がちょうど指名手配犯のように隠れている。
「オレが買い戻してやる」
「……ありがとう」
 言葉が悪かったせいか、ミハネは喜んでいいのか分からなかったらしく微妙な半笑いを浮かべた。
「緊張してるのか?」
「うん……まあ、そりゃあ、ね。馬場だって顔怖くなってるよ?」
「おまえなんて一重になってるぜ」
「嘘っ!?」
「嘘だよ」
 背骨がみしっと軋んだ。なんて鋭い蹴りなんだろう。
 こんな風に笑ってられるのも、最後なんだろうな。
 重々しく、やや熱い息を吐きながら、天馬はミハネに連れられて階段を下りていった。





 ゲーム理論研究同好会と掠れた文字で書かれた札が下がっていた。
「場所を確保するには部活動が都合がいいからね、テキトーな幽霊同好会を申請して部室を使ってるの」
「よく許可下りたな、こんな怪しいの」
「文化祭ん時とかに、冊子をひとつかふたつでっち上げたら楽勝で見逃してくれるよ」
「雑な管理だなァ」
「がんじがらめよりマシじゃん。で、心の準備はオッケー? あたしが先に入るから、五分くらいしたら入ってきてね」
 答える前に、ミハネは扉を開けてしまっていた。
 廊下の薄闇に光が差し込み、その中にミハネは消えていって、後には天馬だけがぽっかりと取り残された。





 時計の進みがやけに遅く感じられる。
 天馬はたんたん、と爪先でリズムを刻みながら、床の一点を透かすように見つめていた。
 一定のスポーツに入れ込んだことはないけれど、きっと試合の前はこんな気持ちがするのだろうな、と思った。
 そうして自分も何か熱くなれるものをもっと早くに見つけておけば、退屈に焦れてこんな所に来たりはしなかったろう、と悔いのような呆れのような感情を起こした。
 もう何もかも遅いのに、決定してしまってからくよくよと考え始めるのは自分だけだろうか。
 仕方ない、という気持ちの下で責任を廃棄してからでしか自分は冷静な思考ができないのかもしれない、と不安になる。
(何を考えているんだ、オレは)
 やはりこれは後悔だ。背中にびっしりと脂汗が浮かんでいるのが偽りなき証拠だろう。
(やめたければ、やめればいい。ここがきっと最後の分かれ目――分水嶺だ)
 気持ちに反して足は動かない。いや、きっと足の方が今の自分よりも『馬場天馬』という人間の素直な本音に従っているのだろう。
 自分はまったくもって退く気がないのだ。
 時針が時を削るたびに、心臓までも磨り減っていくような気がした……。





 キャスターつきのカーテンが三方を封鎖していた。保健室にあるべきはずのものが当然のように置いてあるのが、なんだか手作り感を漂わせている。
 幕の向こうからガヤガヤと人のいる気配がした。
 ぼーっと突っ立っていると、向こう側から
「どうぞ」と言ってにゅっと白い手が伸びてきた。
 なにも考えずに差し出されたものを受け取ると、それは縁日の屋台で売っていそうなお面だった。
 どうやらプライバシーを守るために付けろということらしい。
 馬怪人のお面を被った天馬はすっとカーテンからすべり出た。
 お面を渡してきたらしき受付嬢がぺこりとお辞儀をしてきたのを横目に、校内カジノへと一歩踏み出した。
 地下ということもあり窓はない。部室というにはやや広く、元は更衣室として作られたのではなかろうか、と天馬は思った。
 一定の距離を置いて机をくっつけた卓が並べられている。去年の文化祭でどこかのクラスがやっていた喫茶店のようにテーブルクロスを引いてある。違うのは卓上にあるのがカップではなくカードとコインという点だ。
 どこからも笑い声こそしないが、ぴりぴりした緊張が伝わってくるわけでもない。
 海の中にいるように、カジノにいる人間の気配も音も遠かった。
 現実感が希薄なのは、もう自分が深海の圧力に一度耐えてしまったからだろうか。
 ポーカー、ブラックジャックなどのなじみ深いゲームを遊んでいる連中を通り越し、一番奥にあるテーブルに向かう。
 すっかり見慣れた結い上げられた髪の女生徒の隣に腰掛けると、彼女はちらりと天馬を見上げてきた。
 ミハネは被っている鴉のお面は子ども向けとは思えないほどスマートなフォルムと鋭い目つきが男心をくすぐり、自分のものと比べて天馬は少し羨ましい。
 その卓だけ、どこから拝借してきたのか丸テーブルを使っていた。
 なぜここだけ特別扱いを受けているのか。
 レートの桁が違うからだ。
 真っ白なクロスの向こうに座っている狗のお面を被った男子生徒が
「ようこそ、お馬くん」と言った。「歓迎するよ」
「では、メンツも揃ったことだし始めようか」
「おまえ、この学校の生徒じゃないな」
 卓にいるすべての人間が、間抜けな馬のお面を見上げた。






「驚いたな、どうしてわかったんだい?」
 隠そうとしないのは、新参の天馬以外は皆周知だからかもしれない。
 天馬は鼻を鳴らすと
「おまえだけ上履きがやけに古いだろう。それ、校内リサイクルとかに出されてるやつだろ。あるいは知り合いからもらったやつだ。
 仮に自分のを無くして代用してたとしても、こんなカジノで遊ぶやつが、いつまでも汚い上履き突っかけてるわけねえだろ」
 狗は愉快そうに笑った。といっても表情は隠されているから、実際は無表情なのかもしれない。それはそれで不気味な想像だった。
「よく見てるね」
「わざわざお面つけて顔隠すのに、名前書かれた上履き履きっぱなんておかしいって思っただけだ」
「うん、君の言うとおりだ。まあプライバシーの保護なんて名ばかりでね。声で誰か見当がつく場合もあるし、本当に素性を隠したい人間はこんなところに来ない。ま、ムード作りとでも思ってくれ」
「で、いったいおまえは誰なんだよ。OBか」
「ご明察。一応、成人してるよ。このカジノを取り仕切ってる。生徒だけだと何か問題があるかもしれないから、僕が一応まとめてる。店長みたいなもんだな」
 質問はそれだけかい、と問われて天馬は頷いた。べつに弾劾しようとしたわけではない。
 気弱そうな顔をした狗の怪人は四人を見回して
「それじゃあルールの確認をしてから、始めようか」
「いいよ、めんどくさい」天馬は手を振って拒否した。
「特に変わったルールなんてないんだろう。シベリアルールとか」
「ああ、それは採用していない。よかった、割と分かってる人みたいだね。楽しめそうだ」
 狗が卓上のトランプに手を伸ばした。封を切られていないバイシクル。
 物語の車輪が、ゆっくりと誰にも止められない速度に高まっていく。

       

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