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賭博天空録バカラス
26.シマの魔雀 その2

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 かつて麻雀のことをこう表現した人がいる。
 いわく、勝つことは運であり、負けないことが技術である。
 その考えに則るならば、シマあやめがラスト走者に落ち込みながらも、深刻なリタイヤを鼻先寸前で捌ききっているのは、ひとえに彼女の培ってきた麻雀に対する姿勢と経験の賜物であったろう。
 この点において、同卓するイブキを除く二人の男性陣、狗藤も鴉羽も尊敬と畏怖の念をそれぞれ抱きながら彼女を眺めていた。
 ツカねば勝てない。それが真理だ。
 そうして、たとえどんな苦境に陥ろうともシマは己の打ち筋を易々と曲げようとはしなかった。
 自分の麻雀を信じられぬのなら、最初からこんな世界には手を出さぬ。
 ここでおめおめと退き下がるくらいなら、潔く朽ち果てればよろしい。
 そんな熾烈絢爛な意志が瞳から収まりきらぬとばかりに溢れている。
 狗藤はそれを厄介だと舌打ちし、鴉羽は美しく危ういと見蕩れ。
 イブキは、その冷たく乾いた瞳で、見下した。
 彼女にとって、そして博打打ちにとっては結果がすべてであり、今、敗走している者がどんな努力を払っていようといかなる価値も覚えない。
 ただ、シマが窮する打ち方に徹する。
 少しでも浮かび上がる隙など与えない。
 彼女の親番はさっと安手をアガって流してしまう。
 待ちは彼女の捨て牌にあるものになるように寄せていく。
 藁にもすがろうとする溺者を、水上から銃殺する修羅のように。
 イブキもまた、己の闘い方に徹していた。
 そうして、彼女のそういった冷徹さがシマあやめの闘志に火を点けてしまったのである。



 東三局。親はシマ。
 この半荘はまた起家の鴉羽が初っ端から八千オールをツモあがって独断専行の相。
 ドラ含みのチートイツを一発でツモり、裏も当然のように乗ってしまう。
 誰よりもその強運に驚いているかのように、鴉羽の額に玉の汗がびっしりと浮かんでいた。
 でも、とシマは思い直す。親倍はそんなに問題ではない。
 それよりもイブキと狗藤のガードに合ってなかなか前へ進み出せないこの立ち位置の方が危険だった。
 チャンスも二度三度と繰り返し潰されれば、本格的な不調の波に乗ってしまう。
 その前に地獄へのハイウェイから降りてしまうことだ。
 幸い、この半荘は先行者以外、点数的には横並びだ。
 この親を生かして、今度は自分が新しいラスト走者を作ってやろう。
 序盤、下家の狗藤が中をポンした。
 ドラの三筒がシマの手に二丁あるため、赤ドラ等を含んでも三九までの手であろう。
 よし、この局は重たく仕上げて彼から直撃を取ってやろう。
 次順、絶好の穴七索を引いてテンパイ。
「リーチ!」
 積まれたヤマが震えるほど宣言牌を強く打ち出した手は、メンタンピンドラドラ、高めイーペーコーの二五筒。
 待ちがドラ付近であるため出アガリは期待できそうもないが、親落としに躍起になっている狗藤からなら出る可能性はあるし、全員オリて一人旅になってしまっても構わない。
 ツモれば最高だし、流れても連荘で二人の妨害を跳ね除けた形になる。
 そうしたリーチ順、狗藤は舌打ちしながらも宣言牌の四索をチーして安全牌である西を打ち出してきた。
 二索、三索あたりがシマの安全牌である。ベタオリするならば鳴くまい。
 西打ちでテンパイか、雀頭を落として回り攻めといったところであろう。
 そう思っていたところに、予期せぬ通り雨のような攻撃が降ってきた。
 引いた牌を手に入れて、鴉羽は右端の二枚を一度だけ小手返し(手の中で二枚の牌を入れ替えること)して入れ替えた。
 その行為に害はなかったが、脅威だったのは捨てられた牌が横たえられていたことだ。
「り、リーチッ!」
 シマは伏せていた顔を上げて、対面の鴉羽を見た。
 スゥハァと深く息を吸う男の顔は今にも呼吸困難の発作を起こして倒れこみそうだ。
 自身の無謀な反撃に酔っていると言ってもいいかもしれない。
 上家のイブキはさほど動じることなく、誰にも通ってない四萬を捨てた。
 なんでやねん、とシマはイブキを見る。
 親、トップ目、流し役と三者が攻め込んでいるこの状況はアガろうとすれば地獄だが、オリてしまえばむしろ楽なはずである。
 にも関わらず前進するということは、それとも彼女も手がいいのだろうか。
 しかしそれは理に適わない。放っておいたって彼女以外の誰かが沈むのだ。
 なぜだろう、そう思いながらヤマへ伸ばしたシマの細く長い指を三人の視線がつ――と追いかける。
 引いてきた牌を見、シマはすうっと目を細めて、打ち出した。
 ざらりとした、ドラの三筒。
「ロン――!」
 男二人が、突き放すように同時に手を倒した。
 喰いタン赤アリのダブロンルールであったから、鴉羽のリーチ一発ドラ赤で八千、狗藤の中ドラ赤で三九。
 東二局で得たノーテン罰符の千五百点などなんの慰めにもならない、沈みだった。
 これがわずか、一巡で起こった出来事である。
 シマからすれば、覚悟を決めて進んだその一歩で地雷を踏みつけたに等しい。
 けれど彼女は静かに二人の手にわずかな視線を注いだ後、「はい」と頷いてさっと点棒を卓に置いた。
 そこには自らの不運を呪う凄惨さも落胆もない。
 誰もが腐って不平のひとつも零してしまいたくなる場面で、彼女はほんの少しの動揺も後悔も表さない。
 この麻雀はノーレートではない。
 お互いに血の出るような金が懸かっているのだ。
 虚勢を張る余裕など、誰にもない。
 だが、それでも彼女は震えない。怯えない。変わらない。
 ただ、一途に闘い続けようとする。
 成績的に大幅な水を開けられながらも、三人がシマから警戒心を解かないのは、一向に彼女にダメージを与えているという実感が得られないからであった。
 ネット麻雀世代の昨今はただひたすら打ち方のみ焦点を浴びている節があるが、このように固定の面子で長時間打ち続ける場合は相手の個性や性格をより精査する必要に迫られる。
 相手の失敗に悔いている素振りを見れば、自分の優位を確かめられようというもの。
 殴った相手が喀血すれば、内臓にダメージがあったのだと、自分の拳には威力が篭められているのだという自信に繋がりファイトも湧いてくる。
 今、シマと同卓する二人は、斬っても蹴っても立ち上がってくる怪物を眼前にしているような、そんな不安に駆られていた。
 ただ一人――イブキを除いて、だったのだけれど。



「ツモ。一発。二千、四千」
 歌うように言ったのはイブキだ。裏が乗ればハネマンコースのリーヅモチートイだったが、乗らず。
 その時、タンヤオ三色イーペーコーの穴三索をヤミで張っていたシマは、吸いつけられるようにイブキが引いたばかりの三索が自動卓に消えていくのを見送った。
 場は終盤で、イブキの河は特別に六索や下のソーズが早いうちから捨てられているわけでもない。迷彩なし。
 読まれている。それはもう確信している。では、どうやって。
 麻雀には入り目というものがある。
 イーシャン(テンパイまであと一歩の状態)で、受け入れが二箇所ある以上、最後に引いた牌がなんなのか分からなければ一点読みはできない。
 最もそれを勘や読みで埋めていくのが麻雀打ちの力でありこのゲームの醍醐味であるのだが、イブキの読みは完全に常軌を逸していた。
 こちらのテンパイが読まれているのは、まァシマの未熟さとしておこう。
 不可思議なもう一つの点は、異常な成功率を誇る一発ツモの確率だ。
 最初は、狗藤と組んで卓に仕掛けがあるのかと思っていた。
 麻雀牌は十半荘ごとの休憩の度に総入れ替えされるが、牌を用意しているのはカジノ側だ。
 細工しようと思えばいくらでもできる。
 けれど、イブキと狗藤は組んでいない。
 その証拠に、コンビ打ちなら絶対にしないはずである相棒の親番での高打点ツモあがりをイブキはやらかしている。
 これで狗藤と組んでいるのなら、今のアガリは裏切り行為に他ならない。
 歯軋りしながらイブキをねめつけている狗藤の表情も演技とは思われない。
 シマが思うに、この展開は狗藤にとっても予想外だったのではなかろうか。
 身内だと思っていたイブキにこの土壇場で裏切られていると想像すれば、高レートながら今のところ特に仕込みのないこの麻雀の不思議さも納得できる。
 恐らくイブキがこのカジノに雇われたのは、獅子身中の虫として内部から狗藤を喰い殺すためであったのだろう。
 では、イブキは平打ち(イカサマなし)で、彼女なりの勝負勘に身を委ねて一発ツモを重ねているのか。
 そう思うほどシマは能天気ではなかったし、またそれを是とすれば自分に勝機はない。
 すべて運だ、その一言で片付けられてしまえば落ち目の自分の命運もあっさり整理されてしまうことになる。
 そうはさせない。
 このまま終わってたまるものか。
 その眼が何を見ているのか、必ず暴いてみせる。
 熱い血潮が、シマの身体を駆け巡っていく。



 かちゃり、と音がした。牌と牌が響き合う。
 シマはじっと対面の鴉羽の手元を見ていた。
 難しい顔をして、河を睨んでいる。テンパイだ。
 鴉羽にはひとつの癖があり、恐らくそれは彼が今まで負け続けてきた連鎖の一端であろう。
 彼はある時を過ぎると、手牌の右端を一度だけ小手返しする。
 そしてその時というのが、テンパイした瞬間なのだ。
 麻雀はどんなに高打点が見込める手であろうとテンパイしていなければ、どんな危険牌だろうと通されてしまう。
 ゆえに麻雀打ちはテンパイかイーシャンテンか、その際を見極めることに血眼になっているのだ。
 けれど鴉羽は自ら無意識のうちにそれを三者に通報してしまっている。
 致命的な欠陥に彼ひとりが気づいていない。
 当然、他の三人は早々から悟っている。
 だが、それでも誰も彼の勢いを止めることが未だにできなかった。
 シマは自分の手を見下ろす。
 まだ三順目だが、鴉羽がテンパイでは仕方ない。リーチをかけてこないということは愚形か、高打点か。
 テンパイの印が発せられたからといって、待ち牌まで通報してくれるわけではない。
 せいぜい、アンコが絡んだ多面張は小手返しは二回、バッタ待ち、単騎待ちなら三回以上、その程度の情報しかない。
 一回だけ返された今回は両面待ち以下。
 通常、回していくところだ。鴉羽は親である。五八以上の直撃を食らってしまえばシマは飛んで(持ち点がゼロ以下になり、その場で勝負が終了すること)しまう。
 だが、またしてもイブキは危険牌を強く打って攻めていき、それで通したい牌を整理できた狗藤も手を進めているようだ。
「リーチ!」
 イブキは普段と違った高い声で、七筒を打ち出した。これも危険な筋。
 鴉羽はもしやフリテンなのではなかろうか、それとも自分からアガってハコ下終了を狙っているのか。
 シマはそんなことを考えながら断腸の思いで暗刻になっていたドラの西(鴉羽が一枚捨てていたため、国士無双以外では絶対に当たらない牌)を落としていった。
 そうして三枚落としきったところで、狗藤がこれも恐らく純チャン三色、ないしは赤入りチートイツあたりであろうという手で八萬を切りリーチをかけた。
「ロン――」
 倒された手は、またしても二種。
 タンヤオ赤赤のノベタン、七千七百は鴉羽で、リーチのみのイブキは裏が乗って二千六百。
 両面とノベタンの違いはあれど同じ待ち、五八萬。
 いくつか筋が通された今でこそ、狗藤の打牌は一種暴牌であったが(シマは、狗藤は小手返しによるテンパイサインは把握していても回数による待ちの種類通報に気づいていなかったのだろう、と思っていた)、テンパイサインが出た時、通っている筋はゼロだった。
 なにせ三順までに捨てられた牌が南、西、九筒といった有様だったのだ。
 イブキの河は、なんの躊躇いもなくストレートにテンパイを目指していた。
 特徴があるとすれば、面子オーバーした時点でのターツ選択で五八萬の受けを残し七八筒を落としていったあたり。
 本来なら、テンパイした時に親の安全牌である九筒で待てる方を選択するのではないか。
 シマは考える。イブキの顔を食い入るように眺める。
 そうして、たったひとつの結論を認めざるを得なかった。

 イブキには、すべての牌が見えている。

 (でも、それがどうしたっていうんだ)
 ぎゅっと唇を引き結ぶ。
 澄ましたイブキはきっと、絶対に負けないと思っている。
 けれど勝負の綾は、まだ目を決めていない。
 どんなに不幸に見舞われようと、敵がどれほどの力を有していても。
 シマの瞳は、絶望の森から逆転の木葉を求め続けるだろう。
 それが彼女の、たったひとつの流儀だった。



 南一局一本場。親は引き続き鴉羽である。
 下家の狗藤のヤマから自分のヤマにかけて、配牌を音もなく滑るように取ったシマはそこで、一瞬のひらめきを得た。
 配牌の左端二枚をこっそりと握りこむ。
 親の鴉羽が長考した挙句に一枚そろそろと切り出し、イブキがそれに苛立ったように強打する。
 ひらめきは、確信に変わりつつあった。
 引いたツモ牌を見もしない。
 シマはそれを静かに曲げた。
「うん、ツキが戻ってきたな。うりゃ、ダブルリーチッ!」
 その時、シマの点数は四千五百点。
 チョンボが発覚すれば当然罰符は払いきれない。
 そんなことは先刻ご承知の、ノーテンダブルリーチだった。

       

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Neetsha