Neetel Inside ニートノベル
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賭博天空録バカラス
27.戦争

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「よし、ここにしよう。いい眺めだしな」
 馬場天馬は教室の窓枠から腕だけ放り出して、これから始まる女子のチアダンスを見物するつもりのようだったが、生憎と僕にそんな余裕はない。
 彼を逃がすわけにはいかない。
 いつでも動けるよう、足に力をこめる。
「まず、聞きたいことがある。この間、生徒会室に泥棒が入ったのは知ってるだろ」
「白垣に言っとけ、鍵をかけてないからだってな」
「無くなっていたのは生徒のプロフィールと障害物競走の障害リスト。
 盗ったのは、君だな」
 ギロリ、と天馬はこちらを見た。
「どうしてそう思う」
「さっきの障害物競走、あれは落とし穴の配置を知っていたとしか思えない」
 くっ、と天馬は嘲るように笑った。それがまた僕の癇に触ったが、腹に力をこめて堪える。
「そんなことをしてどんなメリットがオレにあるんだ。ガキみてえに一等賞じゃなきゃ気が済まないってか」
「賭けてるだろ、君ら」
 笑みが消えた。
「賭け。誰と、何で」
「ミハネと、この体育祭で。たぶん、競馬みたいに」
「なぜミハネが出てくる」
「あんな風に、ひとつの競技が終わる度に顔を赤くしたり青くしたりしてたら、誰にでもわかるよ。
 君が追い込んだんだな、彼女を」
「おい、おまえもミハネと付き合ってたなら分かるだろ。追い込まれたのはオレの方さ」
「僕もだ。でも、自業自得だったと思ってる。彼女の真意に気づけなかった僕だって悪いんだ」
「この体育祭は最初から変だった――」と僕は続けた。
「最初の百メートル走で、銃声が変だったって陸上部の訴えがあってね。
 で、ちょっと発砲係の生徒に問いただしてみたら、ある人に頼まれて撃たなかったそうだ」
「じゃあ銃声はどこから聞こえてきたのか、って話だな」
「ああ。答えは放送スピーカー。観客席は騒々しいから、ほとんどの人は違いに気づかない。
 銃声に慣れてる陸上部員だけ、違和感を覚えて一瞬、走り出しが遅くなったというわけだ」
「ふふふ、それで一着になった奴に賭けてた犯人はぼろ儲け、か」
「綱引きもそうだ。綱を握りづらくするために傷つけてあったり、生徒を雇って応援に回したり」
「そんなことをしたら気づかれそうだがな」
「誰も真剣に見ちゃいないし、気づいたって打診してきたりしない。それこそメリットがないから。
 あれは、君とミハネがお互いに仕掛けた策がぶつかったってわけだ。
 たぶん人を雇って水増ししたのがミハネで、綱を傷つけたのが君だろう」
「オレに人を雇う力はないからな」
 反省の色がまるでない罪人候補に冷たい言葉を僕はぶつけた。
「白状して、盗ったものを返せ。そして、こんな馬鹿げた賭けは今すぐやめるんだ。
 なにを賭けてるか知らないけど、こんなことは子どもがすることじゃない。背伸びをするのはよせ」
「大人だったらやっていいのか」
「そんなことをする大人は、大人じゃない」
 しばらく、僕たちは睨み合った。
 遠くから喧騒と嬌声が聞こえてくるのが、別世界の出来事のようだ。
 僕らだけ、隔離されている。
 やがて天馬は、ジャージのポケットから一枚の紙片を取り出した。
 何度も読み返されたのか、それはくしゃくしゃになっていた。
「すっとぼけるのは簡単だ。おまえの言い分には証拠がない」
 天馬はそれをビリビリに破いて、窓から散らした。
 風に乗って紙片は四方八方へと飛んでいく。
「だけど、教えてやる。
 おまえの言うとおりだ、ラッキー。オレとミハネは賭けてるよ」
「……じゃあ、やめるんだな」
「やめない。それに、オレの意志じゃ止められない」
「なんで!」
「外部に協力を頼んじまってる。
 このままオレだけが勝負を放棄すれば、オレんちは破滅だな。
 家も人も丸ごと賭けてるから。ミハネには、それぐらいの金がすぐ必要だったし。
 それでもオレにやめろと言うのか」
「…………。なんとか、ならないのか」
「ならないね。なったとしても、意味ないだろ。
 なぜあいつがあんなに守銭奴になったか知ってるか。
 親父が博打中毒だからさ。今も高レート麻雀を打ってる。
 その軍資金が、やつには必要なのさ」
「それで彼女は、こんなことを……」
「なァ、ラッキー。死んだ方がいい人間ってのはいると思うか」
「どうして、そんなことを聞くんだ」
「オレはあいつの親父を知ってるんだがね、娘がどんな方法で金を作ってるのか教えてやっても、博打をやめる気は無いんだとよ。
 そんな親父は死ねばいい。そうだろ。
 今、ミハネはオレに負けるべきなのさ。
 オレに勝って親父を救っても、なんの解決にもならんからな。
 なァこれは彼女のためでもあるんだ。わかるだろ」
「わかる」
「そうか、よかった。じゃあひとつ提案だ。
 オレと手を組もうよ。一緒にミハネを倒そうぜ。やつにはキツイお灸が必要さ」
 僕は深く息を吸った。そうしなければ、淀んだ空気が体内で爆発しそうだった。
「さっきの質問に答えるよ。
 死んだ方がいい人間ってのは、いるね」
「そうだろ」
「君は、死んだ方がいいな」
「ふふふ。言うと思ったよ。
 で、どうするラッキー。オレを倒すってことは、オレの家族も巻き込むってことなんだが」
「誰も巻き込まない。君を倒して、誰も傷つかなくて済む方法を考える」
「どうやって?」
「知らない」
「もし、できなかったらどうする。恨むぜェ、オレはともかくオレの妹なんか狂乱するだろうな」
「なんとかする」
「……ふふふ」
「君みたいなやつがいるから……誰かが苦しむ羽目になるんだ」
「おいラッキー、さっきからオレの想像通りのセリフを返してくれてありがとうよ。
 おかげで頭に血が上ってきたぜ。
 オレは事情をおまえに説明した。手を組もうとも言った。
 それでもおまえはオレと敵対するって言うんだな」
「そうだ。僕は君を止める」
「誰のためにだ」
「みんなのためにだ。
 ミハネを助けて、彼女のお父さんを助けて、君を止める」
 笑っていると思っていたが、天馬の口元が痙攣していることに僕はその時初めて気づいた。
「まだ勘違いしてやがるな、このバカ――いいか、ミハネの父親はもう手遅れだ。死ぬしかないんだ」
「そんなことはない」
「いや、そんなことあるんだ。奴はオレにこう言った。
 自分が死んで消えてなくなることが、娘に残せる最後の贈り物だってな」
「……バカだ。父親に死なれて悲しまない娘なんていない」
「バカはおまえだ。いるだけで害悪になる存在なんていない方がいいんだ」
「家族だろ!」
「家族だからだ!」天馬は激昂した。
「娘の幸せに自分が必ず障害になる。それだけは間違いない。なら消える。
 確かにおっさんはバカだ。けどな、それを誰が笑えるっていうんだ。
 娘のために死ぬ、そんな間違った決断を下した覚悟を、てめえは否定するっていうのか!」
「否定する。間違ってる。必ず助ける」
「ダメだ。させない。奴は死なせる。絶対にな」
「君は……どうして……!」
「ラッキー。おまえには、わからねえだろうよ。
 苦しまず、なにも失わない。そんな平穏が、毒になることだってあるんだぜ」
「そんなこと、ない」
「ある」
「もういい、君黙れ」
「黙らない。さァどうするっていうんだ。オレを止めるんだろ?」
 その言葉を聞き終える前に、僕は飛び掛っていた。
 視界が真っ赤に染まっている。頭の中の血管がもう何本切れたか分からない。
 刈り取るように打ったフックが、天馬を床に叩きつけた。
 倒れこんだ天馬の上にまたがり、顔面を数多と殴打する。
 床の木目に血が散って、僕は狂った。
 いつからか、彼を制圧するためでなく、その存在を抹消するために拳を振るっているような気持ちになっていた。
 許せない、こんなやつ、いちゃいけない。
 大振りになった僕の拳と入れ違いに伸びてきた天馬の腕が、僕の首を締め上げた。
 血色の弓が、天馬の顔の上で引かれた。
「てめえみてえな……奴にだけは……」
 呼吸ができない。みきみきと首が軋み、呻き声が漏れる。
「オレは……負けん……!」
 下から思い切り腹を蹴り上げられて、僕は背中から机の群れに突っ込んだ。
 綺麗に並べられていた机の秩序が乱れる。
 もたれかかって咳き込む僕に、天馬が向かってくる。
 ハッと思ったが遅かった。
 身体ごとぶつかってくるような天馬のキツイ一発が、僕の顎を打ち抜いた。
 さらに後退する僕を天馬の連打が浴びせかけられる。
 とうとう机の海を渡り終えた僕は黒板まで追い込まれた。
 絶体絶命。
 天馬の前蹴りをモロに鳩尾に喰らって、ずるずるとその場にへたり込み、僕はとうとう戻した。
 追い討ちは来なかった。
 見上げると、天馬は物凄い形相になって僕を見下ろしていた。
「どいつもこいつも死にやがれ。てめえら人形と同じじゃねえか」
 そう言って、背を向けた彼に。
 僕はすぐ側にあった机を持ち上げて、振り下ろした。

       

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