Neetel Inside ニートノベル
表紙

賭博天空録バカラス
30.スクール・ギャンブル

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 先輩、先輩、と呼びなれぬ敬称を使われたものだから、天馬はだいぶ長いことその声を無視して朦朧と意識を混濁させていた。
 じーん、と頭の奥でまだ何か響いているような気がする。
 猛烈に誰かに怒りたいのだが、その誰かが思い出せない。
 チカッ、チカッ、と見知った人たちの顔が暗闇に明滅していった。
 こうして知っている限りの人間を思い出していると、思い出したくない過去まで引きずられるように蘇ってくる。
 なにも怒っているのは今だけの話ではない。
 自分はいつも、なにかに怒り狂っていたのだ。
 世の中も、敵も、自分も、なにもかも腹立たしい。
 暗闇に懐かしい顔が浮かんできた。
 楽しげに笑っているそいつに手を伸ばそうとして――
「おい、大丈夫だろうか!」
 一気に光が射し込み、思わず目をぎゅっと瞑った。
 しばらくしてうっすらと開けると、そこに彼女はいた。
「シ……」
「先輩。なにをやっているんだ」
 紺野逸喜の怪訝そうな顔に出くわして、天馬は口走りそうになった名前を呑み込んだ。
「……なんだ、おまえか。おい、ここはどこでオレは誰だ」
「とりあえず、ロッカーから出ればいいと思うぞ」
 遅ればせながら、自分が横倒しになった掃除用具入れのロッカーに挟まっていることに天馬は気づき、額に乗っかっていた牛乳臭い雑巾を遙か彼方へとぶん投げた。
 そうして辺りを見渡す。あまり馴染みのない部室棟の一角に二人はいた。人気はない。
「状況がよくわからん。説明してくれ」
「それはこっちのセリフだ。帰りが遅いから何をしてるのかと思ったら、おまえ、ボロボロの弱そうな男子に抱えられて、ここまで運ばれたんだ。
 私はそれを見て、仕方なく救助に駆けつけたというわけだ」
「なんでその時にそいつをとっちめなかったんだよ」
「バカ言うな。私は可憐な女生徒だ、そんな野蛮な真似はしない」
「可憐だと? ヘッ――」と天馬は唇をひん曲げた。
「可憐な女はもっと先輩には敬意を払うもんだぜ」
「だから払ってるだろ、先輩。文句を言うな、ずうずうしい」
「…………。うん、まァいいや。だいたいわかった。
 ところで今、何時だ?」
 逸喜は携帯を取り出して確認してくれた。たったひとつだけストラップがついている。
 目玉がひとつついた傘のお化けで、可憐な女の子には似つかわしくない。
 誰にもらったのだろうか、と天馬は思った。
「二時すぎだぞ」
「…………。さてはおまえ、オレが運ばれてからすぐに助けに来なかったな?」
「えっ?」と逸喜は斜め上が急に気になり始めたらしく視線を合わせようとしない。
「いや、私も競技に出ねばならなかったし。動いたらおなかが空くのは道理であろう?」
「おまえがもぐもぐ昼飯食ってたおかげで、オレは血が足りねえよ。
 くそ、ちィと差が縮まっちまったかな――」
「なんの話だ」
「ああ、なんでもない、こっちの話。
 さて、じゃあとっととこんな薄暗い場所からはオサラバ……」
 と言いかけ、誰かが捨て置いたテニスラケットにつまづいて、天馬は盛大にこけた。
 深いため息をひとつついた逸喜が慌てて駆け寄る。
「おい、しっかりしろよせんぱ……」
 逸喜が息を呑んだ。天馬が後頭部に手をやってみると、血がべっとりと張り付いていた。
「あちゃー。こいつァ将来ハゲそうだな」
「な、な……」
「ん。どうした、血が怖いのか」
「ば、バカ! 保健室にいかなきゃダメだろ! なにやってんだ!」
 腕を取って今にも駆け出さんばかりの逸喜の手をやんわりと天馬は払いのけた。
「見捨てたくせに。いいよ、吐き気とかしねえし」
「だが……」
「らしくないぜ、逸喜。人の心配するタマかよ。
 ホント、なんでもねえんだ。このぐらいの痛みなんか、慣れてら」
 逸喜がしおらしくなってしまったので、天馬はその場に座り込んだ。
 遠い喧騒のざわめきの様子と時刻から、ちょうど大縄跳びが始まっているころだろう、とここからは見えない校庭の方にチラリと目をやる。
「逸喜、おまえ友達に殴られたことあっか」
「……私は友達いない」
「そっか。まァ気にするなよ。オレがなってやる」
「いい」
「よーしそろそろ泣くぞオレは。覚悟しろよ」
「いいよ、って意味だバカ。察せよ」
「サーセン。知ってました。……睨むなって。
 まァ、それでさ、オレは今、頭に怪我を作ったわけで、血も出たしめっちゃジンジンするけどな、でも平気なんだ。
 友達に裏切られる方が、辛かったからな」
「それって……」
「ガキの頃は、なにもかも信じていられた。友達も、家族も、将来もな。
 それができなくなって、一度はなにもかも嫌になった。
 オレのこと、不幸だと思うかい」
「不幸だろ、どう見ても」
「そうだろうな。けど、オレは、その昔の辛い思い出があるから、今を頑張れるよ」
「――――」
「雨宮との思い出は、辛くて重たいことばかりだった。
 けどオレは忘れないよ。みんな、いなくなっちまったやつのことなんてすぐ忘れちゃうけど。
 誰が忘れたって、オレだけはあいつを覚えてる。
 で、オレはおまえを気に入ったから、もっと色々話してやってもいい。
 ただこれからちと忙しくなるから、もうあんまり話せない。
 だから、オレの話、雨宮の話、黙って聞いてくれるか?」
「どうして……私に? 気に入ったって、嘘だろう」
「オレがひとりで背負ってるよりも、おまえに抱えられてた方が、記憶も嬉しいんじゃねえか、って思っただけだ」
「……くさいセリフ。くさいくさい」
「そうかよ。で、あまりにもくさくて涙が出そうなのか?」
「う、うるさい。いいから話せよ!」
「そう。そうだな、雨宮の好物の話はした? してないか。
 おまえ、カントリーマアム食ったことあるか。
 オレはなァ、あれが原因で虫歯に――――」



【ラッキー】

 彼女はポツン、とひとりで校舎の壁に寄りかかっていた。
「こんなところで、どうしたのさ、ミハネ」
 僕が近寄っていくと、彼女は目に見えて顔をしかめた。
 馬場天馬に殴られた顔がまだ脹れているので、見苦しかったのかもしれない。
「ラッキー。あんた、まだあたしに構うの」
「当然だろ。僕、諦めは悪い方なんだ」
 だろうね、とミハネはくしゃっと前髪を気だるそうにかき上げた。その様が実によく似合っていて、自然と僕はにやけてしまう。
「その怪我、どうしたの。誰かと殴りあったみたいだけど」
 僕は事の経緯を包み隠さずミハネに打ち明けた。
 話題が賭けのくだりに移ると、ミハネは面食らったようだった。
「あんた、探偵になればいいんじゃないの」
「いや、たまたまだよ。それに何かがおかしいって思ったキッカケは単純にミハネの顔色だし」
「そっか。あたし、そんな弱く見えたんだ」
「え? 違う違う、弱くじゃなくて具合悪そうっていうか」
「同じことでしょ。……話はわかった。あんたが馬場をボコしてくれたおかげで、助かったわ」
「賭けかい。やめなよ、こんなこと。君らは二人で話を閉じ込めすぎだ」
「もう止められない、って馬場、言ってなかった?」
「あ、ごめん。あいつを思い出そうとすると頭に血が上るから無理」
「……。あんた、やっぱ危ないやつ?」
「トロくて危ないやつなんているのかなァ」
「なんでもいいわ、とにかくね、もうこの賭けはもうオリられないの。見てみ」
 そう言って彼女は携帯を差し出してきた。僕は画面を覗き込む。
「GG……S……NET? なんだいこれ」
「頼むと賭けがドロンゲームにならないように、監督してくれるサイト。
 負けはきっちり持っていかれる仕組みになってるから逃げられない」
「あ、この四組って赤くなってるのはもしかして」
「今、あたしが賭けてるクラス」と言ってミハネは顎で校庭をクイッと示した。
 なんだかんだでわーきゃー言いながら生徒たちがぴょんぴょん大縄跳びに勤しんでいる。
「携帯を使って、どこに賭けるか向こうに伝えるわけ。
 本当は馬場が賭けてるのが青い文字で表示されるはずなんだけど――あ、ちなみにどれに賭けるかは早い者勝ちね――ここしばらく、あいつは賭けてない。
 見(ケン)は認められてるけど、すっかりあたしに追い詰められたってわけ。
 あんたのおかげよ、ラッキー。ありがと」
 しおらしく頭を下げるミハネを目の当たりにした僕の衝撃は筆舌に尽くしがたい。
「どうしたのミハネ。頭打ったの?」
「……かもね。疲れてるのよ、実際。もうやめたい」
「やめればいいよ、こんなこと。賭けないだけでもいい。あと少し、当てて馬場を上回ったら、それでやめれば」
「ラッキー。そうはいかないのよ。それにどうせ……」
 大縄跳びが終わり、次の棒引きの準備が始まった。
 それと同時に、ミハネは携帯を見て、すっとそれを僕に見せつけた。
「ほらね。あいつ、白垣のプロフィールノートのおかげで、めっちゃ読みが鋭くなってんの。
 こっちが見する余裕なんて、ないのよ」
 青く光る文字を見て、それが僕をあざ笑っているようで。
 コメカミに青筋が浮かぶのが自分でも分かった。


【ラッキー/】

       

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