Neetel Inside ニートノベル
表紙

賭博天空録バカラス
5.不幸×不幸=?

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 もういい、と鴉羽風彦は思っていた。もう不幸はたくさんだ。
 運の流れは常にたゆたっていて、一所に留まっているのはおかしい。
 だからお願いだ、ツイてくれ。そう願わざるを得ない。
 けれど彼は気づいていない。
 その偏りこそがギャンブルの真髄であり、平均台の上でバランスを取るつもりなら、最初からこんな世界に飛び込まなければいい。
 だが彼は認めることも諦めることもできないまま、ずるずると引きずられている。
 いつかツク。
 自分がそれを否定してしまったら、もう誰も守ってくれない気がして。
「ツモ、三千六千」
 七順だった。速い。でっぷり太った作業服姿の男に、鴉羽は六千点渡した。どうすることもできない親かぶり。
 こんなことが、もう何年も続いている。
 自分は不幸の金メダリストだ、と鴉羽は次なる配牌を起こしながら心の隙間で考えた。ツキ続けるやつはいないが、落ち目から決して上がれないやつは確かにこの世に存在するのだ。
 人の運勢は上下すれども均せば同じ、とはよく言うが、きっとそれは違う。
 性質や環境によって、自分たちは決定的に区別されている。まったく『同じ』ものなどこの世にはなく、誰もが『同じ』という概念を追い求める亡者だ。
 自分は違う。理解している。
 自分がこの世で、もっともギャンブルに向いていないことに。
 対面の爺さんが、しわとたるみが痛ましい頬をぽりぽりとかいていた。
 鴉羽は卓の中央を見据えながら、アンカンであってくれと祈った。引くな、と。
 バシッとツモ牌が卓に叩きつけられ、びりびりと振動した。
「やあ、理牌してねえから迷っちゃったよ。でも間違いねえや」
 一一一二三四五六七八九九九九。
 九連宝灯をアガったものは牌を焼かねば死ぬというが、きっと自分の方が先に死ぬに違いない。
 腹を抱えて笑い転げ、周囲に睨まれている老人を乾き切った目で見つめながら、鴉羽は思った。
 誰がなんと言おうと、この世で一番不幸なのは、自分だ。




 ないよ、と鴉羽は言った。見せ付けるように空の財布を卓の上に放った。タバコのレシートくらいしか入ってないそれを、老人は払いのけた。
「おい若いの」
 もう四十三なのだが、鴉羽はいまだに三十台前半と見間違われることが多い。こんな見当違いのクソジジイに九連を授けるなんて、神様の好みは謎だらけだ。
「俺も鬼じゃねえ、役満アガったんだ、多少の払いの滞りは祝儀代わりに見逃してやってもやらァ。
 でも一銭もございませんってのはどういうことだ。今時、無銭で博打なんて流行らんぜ」
「俺とお前を一緒にするな」
「なんだと? もうイッペン歌ってみろよ、オイ!」
 殴るなら殴ればいい。どうせ自分には身分証もないし、返すアテもない。
 あるのはせいぜい命ぐらいなものだ。ハハ、面白い。負けた俺が平然としてるのがたまらない。世の中、奇妙なものだ。
 店員が騒ぎを聞きつけてこちらに近寄ってくる。
 ガタイがいい。ひょっとしたら本当に裏で殴られるかもしれない。話は聞こえていたのだろう、短く刈り上げた髪が体育会系を想起させる青年の形相は鬼気迫るものがあった。
(チェッ……ゴミ銭くらい見逃せってんだ。この程度のレートなんざ、金じゃねえんだ……)
 そのゴミ銭が払えなくって窮地に陥っていることも、鴉羽に言わせれば不運の賜物である。自分に人並みの平運でもあれば、もっとマシな終わり方だったろう。
 それでも博打をやめられなかった。
「おい」
 卓の側に、体育会系ではない青年が立っていた。
「なにやってんだ、親父。また財布持ってこなかったのか。いい加減にしろよ! オレまで出禁になったらどうしてくれる」
 青年は財布から何枚かの紙幣と祝儀のチップを卓に乗せると
「父が失礼しました、よく言って聞かせますんで、また遊んでやってください。ホラ、帰るぜ親父」
 と鴉羽の腕を引っ張って立ち上がらせた。ひょろっとした外見からはちょっと想像できないほど力強い腕だった。
 刺々しい視線を背中に受けつつ、ようやく少しはツキの風が吹いてきたカナ、と鴉羽は思った。






 余計なことをするな、と冷たく言い放ってやると、青年は朗らかに笑った。
 せっかく与えた好意を蒸発させられたことなどちっとも気にしていない様子で、鴉羽にアイスコーヒーをぽいっと投げ渡した。
 鴉羽はベンチに座りながら、胡散臭そうにラベルを眺めた。
「なんだ、これは」
 お近づきの印さ、と青年は眼鏡のつるを中指で押し上げた。気障な男だ、と思った。
「俺はブラックじゃねえと飲まないんだ」
「そうかい。なら僕が飲むよ」
 ぷしゅっとプルタブを引き、青年は実に美味そうに飲み干した。
 自分はこんな風になにかに素直に接することができない、と鴉羽は陰鬱な気持ちになった。青年からは若い気力が溢れんばかりで、否応にもスレて傷ついた自分と比べてしまう。もう戻ってこない時間のことを考えてしまう。
「どういうつもりだ」
「なにが?」
「おまえ、ホモか?」
 青年はぶぼっとコーヒーを噴き出した。泥埃にまみれたジーパンに新しい模様が染みこんだ。
「いきなり挨拶だなァ。そういうつもりでやったわけじゃないよ」
「ならどういうつもりだったんだ。学生のくせに、ずいぶん気安く金をドブに捨てるじゃないか」
 青年はうーんと腕を組んで、空を仰いだ。胸糞悪くなるような曇り空だ。
 今晩から一雨くるらしい。
「おじさん、名前は?」
「名前に意味なんかない。好きに呼べ」
「そんな中学生じゃあるまいし」と苦笑する青年をキッと睨みつける。
「小僧、おまえは本物の賭場にいったことがないから分からんだろうが、本場じゃ本名なんかで呼ばれるのはカモか二流なんだぜ」
「へえ、一流が不渡り出して殴られかけるのかい?」
「小賢しいことを言うな。おまえが来なければ、黙って殴られてそれっきりさ」
「ごめん、悪かったよ。べつにからかうつもりじゃなかったんだ。
 僕はただ、買おうと思っただけだよ」
「買う?」
「勇者になる権利を」
 ハァ、と鴉羽はため息をついた。
「勇者、ね。どっちが中学生だ。要するにいい格好がしたかったんだろう。よかったな、おめでとう。みんなおまえのことを見ていたよ。アホだってな」
「アホでいいさ。自分の思うとおりに生きようとしたら、この世のすべてからアホ扱いされる覚悟が必要だもの」
「……。おまえ、名前は?」
「一流は名乗らないんだろう」
「おまえなんぞ、雛鳥もいいところだ」
「あ、なんか腹立ってきたぞ。絶対に名乗らない」
「フン、じゃあ勝手に名づけてやる。おまえは地賀だ」
「チガ? どういう字?」
「天地の地に、賀正の賀さ」
「ふうん、ま、いいけど。でもなんでわざわざチガなの?」
 首を捻るチガに、鴉羽は実に愉快そうに笑いかけた。
「死んだ友達の名前さ――」






「今日、幼馴染の墓に参ろうと思ったんだ」
「へぇ、またどうして。何回忌だ」
「さあ。零じゃないかな。一年経ってないし。どうせヒマなら、見にいってみようかと思っていったら」
「いったら?」
「そいつがいた」
「はあ? 幽霊か?」
 おじさんって案外ロマンチストなんだね、と笑われたのが気に障って鴉羽はむっつりと黙り込んだ。
 出会いの翌日。例の雀荘に再び行った帰りだった。幸いなことに今日は不渡りも出さず、チガが愛想よく振舞ってくれたおかげでやや浮いて上がることができた。
 けれど決して恩義など感じない。会ってまだ一日、このチガという青年の背後にどんな思惑があるのか計り知れないのだから。
「おじさんって、カジノとかいくの?」
「カジノはいかない。金持ちが集まってる裏賭場が主戦場だな」
「へえ。やっぱり麻雀?」
「そうだな、それもあるが、サイコロも振るしトランプなんかもやるよ」
「大富豪?」
「馬鹿。ポーカーとブラックジャックだよ。あとバカラだな」
「楽しそうだね」
「いや、苦しいよ。勝負はなんだって苦しい」
「それは負けてるから?」
「うん、それもあるな。だが勝ったからといって楽になるわけじゃない。次の勝負では負けるかもしれないし、相手を沈めてしまった罪悪感もある。いつも『ここまでなんじゃないか?』と思ってるよ。だからいっそ負けた方が清々しかったりするんだ。もう頑張らなくていいってな」
「でも、負けちゃいけないところで負けたら、そんなのんきじゃいられないだろう」
「ああ……もちろん。だが」
「それでも博打、やめられないんだろ?」
「……勝つまではな。楽しみだよ、何もかもひっくり返す日が」
 鴉羽はチガの目をまっすぐに見据えることができず、砂利の上に刻まれた子どもの足跡を見下ろしていた。
 青年が次になにを口にするのか、考えたくない。







「昨日、幼馴染の幽霊に会ったって言ったでしょ」
 ぼーっとハトを眺めていた鴉羽は一瞬聞き逃してから顔を振り仰いだ。
「なんだって?」
「ホラ、亡霊の話さ」
「ああ……で、三途の川はどんな具合だと言っていた」
「いやいや、ホントに死人なわけないだろ。同級生だったんだよ。瓜二つでさ、あれは間違えても仕方ないな」
「そんなに似ていたのに、今まで気づかなかったのか」
「そいつ、前髪が長くてちゃんと顔を見たことがなかったんだ。地味だし。
 原っぱでぼーっとしてやがったから、ホントに初めて見た時は幽霊だと思ったよ」
「臆病者め。そんなだから負けるんだ」
 今日の麻雀はチガが憂き目を見た。といって鴉羽も浮いたわけではない。成績上ではプラスマイナスゼロだが、場代の分だけ沈んでしまった。ちょっとシャクに触る負け方だ。
「あんなの分かるわけないよ。ピンフを目指して字風を落としたらロン、チートイドラドラです、なんてさ。ツイてなかった」
「負け犬の常套句だな」
「おじさんに言われたく……あ、いや、なんでもないです。ハイ。エヘヘ」
「ヘッ……まあいい、お前との腐れ縁も今日までだ」
「腐れるほど日にち経ってないけど。どっか行くの?」
「裏賭場にまた顔を出してみる。借金だらけだから、張らせてもらえねえかもしれねえし、最悪身柄を押さえられるかもしれねえが、まあいいさ。あんな雀荘でくすぶってるよかいい」
「やめときなよ――」
 珍しく顔を曇らせたチガの頭を、ぐしゃぐしゃっと鴉羽はかき回した。
「心配するな。勝ったらなんか奢ってやるからよ」
 そうじゃなくてさ、と俯きながら呟いたチガを見下ろして、鴉羽はおや、と思った。
 なにかが普段と違う。けれどそれをうまく言葉にできない。
「借金のことなんて気にしながら低いレートで打ったって、勝てっこないよ」
「低いって、おまえな」
「おじさんが言ってる裏賭場って、高校のPTAで開いてるやつでしょ?」
 鴉羽は目を見開いた。
「おまえ、どうしてそれを」
「有名な話じゃないか。金持ちの私立高校のPTA主催で、懇談会って名目で賭けてるって噂。それに加わって、借金作っちゃったんだろう。懇談会が聞いて呆れる」
「……上ガモばかりなんだ。打ち方も張り方もなっちゃいねえ。長期的に続ければ、俺が負けるはずないんだ」
「たらればを言い出すようになるなら、博打なんてやめればいいんだ」
「おまえになにが――!」
「分かってないのはおじさんの方だ。
 娘さんが、いったいどんな苦労して金を作ってると思うの?」
 鴉羽は息を呑んだ。探るような目つきでチガの横顔を窺う。
「……おまえ、何者だ。どうやって調べた」
「調べた、じゃないよ。言ったろ? おじさんはPTA主催の賭場に参加してる。ってことは学校関係者さ。
 そして鴉羽なんて苗字は、滅多にいない。探すのは楽勝だったよ」
「おまえはなにが目的なんだ。なにがしたい? なにが言いたい?」
「僕はね……おじさんの味方さ。それだけは信じてもらっていい」
「俺は誰も信じない」言い聞かせるように鴉羽は繰り返した。「誰も、何も」
「なにも信じないのは、答えを出さないってことと同じだ。それじゃ何も始まらない。
 おじさん、僕はあんたのことがよくわかる。だから、僕ならあんたに最高の道を用意してあげられる。
 たった一度だけ、信じてみてくれないか。僕のことを。自分のことを」
 チガの熱い言葉が、鴉羽の心臓に染み入っていく。
 どくどくと血潮が唸っている。


 これで最後、浮かんだらやめる。
 ただこれまでの負けを取り返したい。
 なかったことにしたい。
 みんなそう言って消えていく。

       

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