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ふざけて偽勇者様
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「ふざけて偽勇者(にせゆうしや)様」
        刹那主義6号改
プロローグ・「誤爆スイッチを押した日」

「僕も勇者様のようになりたい」
 山の中腹にある、とある村の、そこそこ大きい一軒家の一部屋で、年端もいかない黒髪の少年は目の前の祖父にそう宣言した。
 外では落ちる夕陽が人々の帰宅を促している。
 少年の黒い瞳が祖父の顔をしっかりと捉えていた。
 しかし、この発言は本意ではない。少年なりの祖父への対抗策である。
 少年がこの言葉を発するまで、祖父は饒舌にひとり語りを繰り返していた。大陸イリスにおける勇者の伝説を…。

 約二百年前の伝説
 大陸イリア。
 大陸を人ではなく魔物が支配していた時代。
 魔物を統べる魔王は何百年という時間を経ても死ぬ事はなく、魔物は勢力を増やしていった。
 長い長い争いの歴史。その中で人は戦う力として「魔術」を身につけるものが現れはじめた。
 そして、その日。
 後に勇者と呼ばれる青年シーザー・スキルヴィングとパートナーの賢人イリア・フリックは魔王に戦いを挑んだ。
 唯一、魔物のなかで人語を解する魔物の長・魔王は圧倒的な力を持っており、シーザーは瀕死の淵におちる。しかし、シーザーは立ち上がり、『王眼』と呼ばれる金色の瞳を得て再び挑む。戦いの中でシーザーは剣の刃が折れても、魔術の力によって剣を創り、イリアの魔術によって地の底に幽閉し、六芒星の中央に一本の剣を突き立てて魔王を討伐する。
 勇者シーザーはそこを固める様に城を築き、ヌートリア王国とした。

 と、いう何とも熱血な話を生まれた頃から、目が会うたびに繰り返し話しかけてくるのだ。うんざりどころの騒ぎではない。
 その状況を打開すべく少年は考えた。どうすれば、祖父が勇者の話をしなくなるのか、どうすれば、いい加減その話を止めてくれるのか?
 祖父は普段は気前の良い人なのだが…勇者様の話には目がない。
 一度、村の大人が家に遊びに来ていたとき、酒の勢いで饒舌に孫に話しかける祖父を止めた事があった。幸い大事には至らなかったが、次の日、割れた花瓶など本来飛ぶはずのない家財道具を片付けた思い出が鮮明に残っている。

 そんな祖父は二百年という年月が過ぎた今でも『勇者様信仰』に入り浸り、今日はといえばリビングのテレビから発せられた「王国の広場にある勇者様の像が酸性雨で溶けている」というニュースに涙し、ニュースを見る前にも語った『勇者様の偉大さ』を少年に語りかけている。
(すこしでも、すこしでもいいから話を逸らすんだ)
 少年は緊張でからからになった喉に溜まった液体を一気に飲み干すと『勇気』と書いて『無謀』とも読める気持ちを胸に、祖父に打ち付けた。
「僕も勇者様のようになりたい」
 それは、祖父がちょうどまた「勇者様の逸話」を話そうと一時停止した空間にこだまする。部屋の中にはポカーンと口を開けた祖父と無音の空間。確かに望んだようにはなった、だがそれは、少年の期待からは、ずれてしまっていた。
 少年は武術などやったことがないし、魔術も習ってはいない。その少年が「勇者様のようになりたい」などおこがましいにも程がある。いくら孫といっても勇者様への冒涜ではないのか?これは怒る必要があるな。
 予想では祖父はそう考え、憤怒するか呆れるかして少年を叱り、もう勇者の話をしないようになる。
 目的はそれで達成されるはずであった。もう一言一句記憶してしまった『勇者様の話』を聞かずにすむようになるのだ。

 だが予想とは裏腹に、祖父の口から出されたのは、叱る声でも呆れ声でもなく感嘆であった。
 祖父は少し涙ぐみながら言葉を続ける。
「お前さんの決意はよく解った」
 力強く少年の目を見てそう告げると、なにやら戸棚をあさり、一枚の広告を取り出してくる。
 よほど大切にしまってあったのか綺麗に折られており、それを広げてうなずくと、広告を卓上に置き、お気に入りのコートを羽織りどこかへ出かけていった。
 きょとんとしながらも、平和な時間に満足して自室へと戻っていく少年。
 そして、身長が届かず、目のいかなかった卓上のポスターには『国家兵養成学園・生徒募集』と書かれてあった。

 翌日、少年はいつもより早く起こされた。不満を抱えながらも身なりを整え、階段を下りる。と、玄関の外には大きめの鞄と一本の刀袋を持った祖父。その奥には馬車。
「早くせい、お前だけじゃないんじゃぞ」「えっ?」
 少年の疑問符は馬の声にかき消され、馬車の座席に乗ることを急かされた。
 座席には他にも少年より年上の少女や同年代の子供、数人が乗っている。
「むこうは冷えるらしいがのう、頑張って修行に励むんじゃぞ」
 一方的な祖父の送辞。
「それとな…」
 祖父はそう言いながら、持っていた刀袋から小太刀を見せ、少年に手渡す。
「この刀はな、わしの最高傑作で銘を…」「ひひーん」「…という」
 いろいろと状況を理解できない少年が戸惑っていると、馬車のおじさんが声を挙げる。
「出発するよー」
 それと同時にムチの音が春の空に響く。きっと、心が平静であれば心地よい音だろう。
 そして、少年は自分自身で墓穴を掘ったことさえも気付かずに王都に着くことになる。状況さえ理解できなかった…年端もいかない、ある日の浅知恵。


第一章「嵐の前の静けさ」

「嘘…だろう?」
 少年は絶句した。
「ウェーハッハッハッハッ」
 青年の癇に障る声が王宮にこだまする。この時ばかりは、響きのいい大理石製の王宮を恨むしかなかった。
 赤い甲冑に全身を覆い、背中に身の丈ほどの大剣を背負った青年と紫の魔術師衣装の青年。品位を微塵にも感じさせない声は赤い甲冑からでていた。
 少年の声に答えて甲冑から声がする。
「嘘なものか、俺達が勇者様だ」
 振り向くと、王は首を縦に振る。少年は絶句した。

―一時間前―
「求人募集」
 そう書かれたいくつものポスターを眺めながら、本来なら気持ちいいはずの朝日の下でアシュター・ガグンラーズはため息をついた。
 勇者が魔王を討伐した地、ヌートリア王国の城下町の一角。位置的には南部に分類される地域。時間が早朝であるために路地に人気はなく、静寂が王国を包んでいる。王城への大きな通りからずれた路地で彼は一歩ずつ歩を進めた。
 昔から何一つ変化のない石畳にブーツの音が響く。民家に許可なく貼られたポスターは雨水や油しみで無残な姿をさらしながらも、内容だけは読みとれた。
「なんで俺がこんなことを…」
 ぼそぼそと小言をつきながらも要点だけを抑えて、手元のメモ帳に手馴れた手つきで書き込む。ポスターは多くの民家を連ねており、裏路地にまで及んでいた。
 すると、しだいに影が光との地域抗争に打ち勝ち、民家のガラスに彼の姿が映される。
 そこには、十七歳ほどのおだやかな雰囲気の漂う少年の姿があった。必要な筋肉だけがあり、全体的にしなやかな体の曲線。短く切りそろえられた黒髪、全身には黒のロングコートを纏い、そのロングコートを止める左腰のベルトには小太刀が差してある。

 いらぬ思い付きから十余年という年月がたち、少年は『国家兵士養成所』を卒業しヌートリア王国の兵士となっていた。
 国家兵士…その中でも立場的には頂点の地位にあたる『特殊部隊』に彼は所属している。一般兵は国家に仕える立場だが、特殊部隊はいわば国王の私有兵としての扱い。任務も、一般兵が行う警備などとは違って、国王の指令により下される。
 しかし、それ故に収入が安定しない。
 有名な武闘一家や貴族の関係者であれば『家名』が『信頼』となって、多くの安全かつ効率的な仕事が依頼されるが、いかんせん一般の出となると仕事の依頼は皆無。あるとしても街中で突発的に起こった事件の処理などで、それもあまり金にはならない。
 つまり、生活苦である。
 地道に少しずつ移動しながらメモをとる彼は、あまりのポスターの多さに驚く。
「今日はいつもより多いな」
 その声は喜びに近いものだった。

 魔族と分類されるものの長・魔王を討伐してから約二百年。
 その後、文明は驚異的な勢いで進歩を見せる。
 それまでは魔物との命を争う戦いであったが、人と人の争いの中で魔術学、力学、特に技術革新はすさまじく機械工業が確立されるのにそう月日はかからなかった。
 しかし、未だヌートリア王国は何一つとして変わっていない。
 近隣国はそれぞれ、技術大国や商業国などに発展しているにもかかわらず、いまだヒビの入った石がヌートリアの足元を支えている。そして、ヌートリアが誇れるものはといえば「勇者伝説」にあやかる武術大国としての威厳のみといえた。
 故に、武術に長ける者は要人警護や治安維持、また魔術を扱える者はその利便性から要望が絶えず「求人」には用心棒やギルド員募集の字が躍っている。
 ポスターを模写し終えたアシュターは、メモ帳とペンを懐にしまうと
「転職…考えるかな…」
そう呟きながら帰路についた。


「くそ…まってろよ」
 それは、王都南部にある建物内でのぼやき。
 特殊部隊員が《ホーム》と呼ぶ木製の建造物。王都内の各要所に配置されており、非常時には《ホーム》から特殊部隊員が派遣される仕組みで、依頼が無い場合の特殊部隊の仕事は基本『治安維持』となる。そんな特殊部隊員の通常の家となるのが《ホーム》であった。名前がついてはいるが外見、内部構造等、一般家屋との違いはさほど無く、ところどころ塗料が剥がれ落ち、年季を含んでいる。そんな《ホーム》内の一室。
―カタカタカタカタ…カチカチッ
 テンポよくプラスチックの音が狭い室内に響く。暗い部屋を、横に長い長方形型の光が照していた。技術の最先端「コンピュータ(PC)」である。机上のディスプレイには小さな男を模したキャラクターが立っており、画面の右上には大きな銀色の冠マークがあった。
 ディスプレイに、窓を覆うカーテンの小さな隙間から差し込んだ光に反射して真紅の髪をもつ少年が映る。
 少年の名前はヴァイス。歳のころはアシュターと同じに見えた。身体はといえばアシュターより一回り痩せていて、対照的にすこし目が釣りあがり、どこか不機嫌な顔つき。室内着を気だるそうに着こなし、耳には大型のヘッドホンが掛けており、軽快なBGMが室内にもれ続けている。
―スーカチカチッ
 マウスがパッドを滑り、その後ダブルクリックが行われる。それと同時に画面が切り替わった。そしてランキング表が現れる。
 ヴァイスはそのランキング表の頂上、金色の王冠をかぶったキャラクターを恨めしく見ながら再び戦場に舞い戻った。バーチャルの戦場へ。
 どこかで「ただいま」という男の声が微かに聞こえた気がしたが、「ヘッドホン越しで聞こえなかった」と自分に言い聞かせると、呟いた。
「今日中に抜いてやる。」
 しかし、彼の宣言はすかさず看破されることになる。
 見事なまでの速度でPCを操るヴァイスだけを映し出していたディスプレイに、おだやかな顔のまま額に怒りマークをつけた黒髪の少年が映ると、同時に手刀がヘッドホンごと彼の脳髄を揺らした。
「痛いじゃないかアシュター」
 そう言葉を発した直後にビリビリと紙を破る音がなり、机上にメモ用紙一枚を叩きつけ、アシュターが叫ぶ。
「朝からゲームしてるんじゃない!穀潰し2号」
 穀潰し2号=ヴァイスは、あきれ顔で言い返した。
「何回もいってるだろう、ネットゲーム(以下略:ネトゲ)をそこらへんのテレビゲームと同じにするんじゃない。」
 悪びれた様子も見せず、ヴァイスは熱弁を振るう。
「他人とのコミュニケーションを深めつつ共通の目的を達成するといった、一人だけのゲームでは味わえない責任感というものを育てることのできる、ある種一般のゲームとは違った…」
 するとアシュターは人差し指でメモ用紙をさし、
「働いてからゲームしろよ、この社会不適格者」
「何を言ってるんだお前は…。俺だって特殊部隊じゃないか」
「お前が稼いだ金より電気代の方が上回ってる状況じゃ、働いてるとは言えないね」
 ヴァイスも特殊部隊という地位にはいるが、仕事の達成率が悪く、その中で信用を失い、更に仕事が来ないという悪循環に陥っていた。
 ふとアシュターは言葉を止めて、さきほどの発言を思い出し、ヴァイスに問う。
「と、いうか…責任感があるのなら仲間の為に働けよ」
「フッ、俺の責任感はネット社会の中でのみ発揮されるんだぜ」
 陽気に、自らの『ダメ人間』ぶりを示すヴァイスに呆れながら、アシュターは背を向けてコンセントの差してある壁に向かって歩いていく。
「じゃあヴァイスは二階に行ってシルフィアを起こしてきてくれよ」
「やだよ…あいつ寝相悪から。ネトゲをやらなきゃいけないし」
「いや…俺はお前らの朝食を作らなきゃならないんだが。ヴァイスが朝飯を作ってくれるのか?」
「嫌だね。アシュターが両方やればいいじゃないか」
 ヴァイスが言った時には、アシュターは壁付近に立っており、ゆっくりとコンセントを指さして、
「俺がもし、過労でつまずいたらごめんなヴァイス」
 それを聞いたヴァイスはヘッドホンを投げ捨て二階へと駆け上がっていった。

 また、ため息をつきながらアシュターは台所に移動し朝食を作り始める。
 軽めの朝食。コンロの上にフライパンを置き、火にかけ、油をさし、冷蔵庫から卵を取り出し、卵を3人分落とす。
 卵が抵抗するように油を弾きながらも、無色が白になる頃には階段から寝巻き姿の金髪少女と、その後ろにはヴァイスが下りてきていた。
 少女の風貌はといえば、身長はアシュターより低く、肩まで伸びた金色の髪、青みの入った双眸に整った顔、女性的な成長を期待させる痩せた体、外見は完璧といってよい。年はアシュターより一つ下といったところか。なぜか、その隣のヴァイスの頬には赤く小さな手の形がくっきりとついていた。
「おはよう」
 アシュターがフライパンから視線を動かさずに朝の定時挨拶をすると、少女は不機嫌そうに口を開く。
「あのサ、あのサ、私を起こすのは君の役目でしょうアシュター?」
 語尾にイントネーションを置く、独特の言い回し。少女は続ける。
「っていうかネ、朝一番で目の前にネトゲ廃人(ネットゲームばかりして人生設計のできていない駄目な人類ことヴァイス)の顔があるってものすごい不快なんですヨ」
 それを聞いたヴァイスは眼前の少女に怨みをこめて、おもいっきり中指を立てた。
「訂正してくれ」
 作業をしながらアシュターが少女に向かってそう言うと、ヴァイスは今度はアシュターに親指を向けようとする。
「ヴァイスはただの穀潰し2号だ。それ以上でも以下でもない」
 『そっちかよ』と睨むヴァイスを尻目に、アシュターは出来上がった玉子焼きを皿に分けながら、少女の方向に顔を向け
「んで、穀潰し1号のシルフィアは、朝に2号の顔を見て不快だったからひっぱたいたのか?」
 金髪の少女、兼、穀潰し1号=シルフィアはヴァイスを一瞥した。
「それもあるけド、……まァ、一番の要因は私の安眠を邪魔したことですネ」
「いやいやいや。それじゃ、おまえ永遠に眠りっぱなしじゃん。俺の平和の為には永眠された方が好都合だけどな」
 心中の発言まで口に出したヴァイスを、シルフィアはすかさず睨む。
「あァ!?何か言いましたかネ?」
 何故だか、シルフィアはヴァイスに対して口が悪い。
(同属嫌悪……か…)
 すると、その考えを見透かしたように今度はアシュターを見る。
「…ん、何か考えましたネ」
「いんや…それより飯だ」
 アシュターは、遮るように木製の小さめのテーブルに食事の乗った皿を置き、朝食をとりはじめた。

 全員が食事が済んだのを確認するとアシュターは懐から一枚の封筒を取り出す。
「何ですカ?そレ?」
 シルフィアに返答するように、封筒の表を見せる。すると端整な顔が歪んだ。
 あらかじめ開封されていた封筒から一枚の紙を取り出し伝える。
「今日は特別集会があるから…集会場所にこいってさ」
 すると、二人は『だるいですヨ』『ネトゲをせねば』等々わめき散らす。
「まぁ、時間的にそろそろ出たほうがいいんで…支度しろよ」
 さらに騒ぐ二人を急かし、三人は家を後にした。

     

 目的地に着くのに時間は数分とかからなかった。
 目的地が王都の中央から少し南部にあることとアシュター達の《ホーム》が南部にあることがその要因である。
 アシュターを先頭にシルフィア、ヴァイスと続く一列。ヴァイスはアシュターと同じ黒のロングコート。つまりは特殊部隊の正装に身を包んでいる。しかし、シルフィアはといえば、王族の赤と金を基調とする派手なコートを羽織っており、後頭部には紫の輝石の付いた髪留めでシニョンを作っていた。
 右、左、右と続いた歩みが終わりを見せると、三人の前に一軒の店が聳える。年季の入ったレンガ製の壁、黒ずんだ木製の扉が客を迎えるようにドンとある、そんな酒場。表には「定休日」のプレートが掲げられているが、アシュターは躊躇せずドアノブに手をかけ、一気に開けた。
―カランッ
 扉を押すとともに、鈴の心地よい音色が店内に響く。
 中は、年季の入った長方形の机が四隅に一つずつと、その奥にカウンターがあるだけの配置。木製の床や壁からは、隠しきれないアルコールの匂いが漂ってくる。店内にいた多くの特殊部隊員が鈴の音につられるように振り向くと、顔に希望の光を持って熱い視線をよせた。
「はぁ…」
 アシュターは、ため息をついてしまう。理由があまりにも明確だからだ。
 そう、彼らの視線の先は…
「シルフィア様!」
 全ての男共がシルフィアのほうに押し寄せる。
 この場においては全員が黒のロングコートを着ており、それだけでも異様な構図なのだが、近寄ってくる人類の十割が男だけともなると、泣きなしには語れない。アシュターとヴァイスは、男達が織りなす筋肉の荒波に逆らうようにして退散し、奥の机を目指して歩を進める。カウンターの奥では、貴族髭のマスターが目を背けるようにしてグラスを磨いていた。
 すると、あっという間に入り口に黒い塊ができる。身長差のせいだろうか、金髪が黒波に呑まれてしまった。
(こいつら…国民から何て言われてるか、分かってるのか?)
 思わず胸中で毒づく。先日、買い物帰りに街角で聞いた話だが…住民内でのコードネームは『ゴキブリ』らしい。
(これじゃあ無理もないな…)
 そんな中、
「おはようございます。皆様のお顔を拝見できて本日も頑張れそうですわ」
 シルフィアは礼儀正しい挨拶、言葉遣いで愛想を振りまいていた。王族という立場上、礼儀作法を知らない訳はないのだ。だが、本人曰く「とてつもなく疲れるので勘弁ですネ」とのことで《ホーム》では素を曝け出していた。

 アシュターが所定の席につき、ヴァイスが隣に座る。すると対面の席に座っている女性が挨拶代わりに二人に頭を下げた。つられるようにアシュターが返し、ヴァイスも小さく頭を動かす。
「相変わらず、すごい人気ね…彼女」
 呆れるような声。だが、言葉の中には隠しきれない感情が見てとれた。女性の視線の先はシルフィアではなく、そこに群がる黒衣の一人に向いている。『美しい』と総称できる女性は、自分自身の桜色の短い髪を悩ましげに触り、またぼやく。
 気まずい空気が流れた後、女性は吹っ切るように息を吐き、
「ごめんなさいね。暗くしちゃって」
 返答に困るアシュターと返答する気のないヴァイスが無言でいると、話が進む。
「そういえば見た?今日の新聞。またグラトニーが現れたんですって」
 二人の体がぴくりと動く。
「被害は!?」
 どちらともなく、いや、どちらともだろう…声が上ずる。
「ユンゲル帝国、一国ってとこかしら」

 グラトニー…その名を知らない者はこの大陸では皆無だろう。
 本名『グラトニー・スキルヴィング』
 ヌートリア王国・元七代王位継承予定者。六代王カイン・スキルヴィングの忘れ形見。
 かつて『剣聖』・『大賢者』と称され、現在でも最強の名を欲しいがままにする神出鬼没の男。中肉中背という表現が的確で、魔物の様に手が四本あったりはしないことは確かだ。長い銀髪で片眼が隠れ、戦闘になると蒼い目が金色に輝き、噂では一瞬で人を細々に切ることができるという。
 形式上は十年前の事件によりヌートリア王国から追放処分。その後、多くの国家を強襲し、軍を解散にもちこませている。
 そして、畏怖されるべきはグラトニー本人の戦い方にもある。魔術を学ぶ上で最難の魔術『転生術』を習得しており、その効果を自身の武器に付加し、斬りつけた相手を自分の思うがままの姿にしてしまうというもの。
 そしてユンゲル帝国は、軍事力が売りの国家であり、兵の数はゆうに五万を超える。それをグラトニーは一人で制圧したというのだ。

「グラトニー…か」
 そういったヴァイスの面持ちが慎重に、そして険しくなる。国家兵という職種ならば先陣をきってグラトニーと矛を交えなければならないのだ。それで死ぬならまだしも、変な生き物にでもされたら生きていく自信がない。
話題が暗くなり、気分が沈み始めたその時、扉が開けられた。
―カランッ
小気味のいい音と一緒に、全身を黒い鎧で隠した大男が入店してきた。王からの指令を伝えるだけの男クロードだ。
 ふと時計に目をやると予定の時刻を遙かにオーバーしている。店内から聞こえる罵声を無視しながら移動すると、机を思いっきり叩き
「いいかお前ら、今日は王様からの命令がある、よ~く聞けよ」
何故か仕切りだした。
「遅れてきて仕切ってんじゃねぇ!」
 ヴァイスが正論と怒りをぶつける。
「ひぃぃぃぃごめんなさいぃぃぃ」
 頭を抱えながら、何度も何度も謝るクロード。だが、その悲鳴も可哀想には思えず、店内にいる隊員はあきれ顔で静かになった。
「テメェら何でしらけてんだ」
 ヴァイスが沈黙に耐えきれず発言すると、アシュターが口を開く
「…で、その命令っていうのは?」
「よくぞ聞いてくれた」
 助け船を出されたクロードはここぞとばかりに強気になり、大きな声で返す。それが、周りの怒りを買う。
「テメェが聞けっつたんだろ!」
「ひぃぃぃぃごめんなさいぃぃぃ」
 ヴァイスのツッコミでエンドレスになる…店内の全隊員がそう認識すると、またしてもアシュターが助け船を出した。
「どうせハイペリオンの事だろ」
「そうだ」
「そうだじゃねぇよ!納得してないでさっさと本題に入りやがれ!」
 またもクロードがお決まりの「ひ(中略)ぃ」を言い出したのを、今度はヴァイスが本音で怒る。
「少しは真面目にやれ!こっちはわざわざネトゲの時間をけずって来てやってるんだぞ!」
「お前…」
 アシュターの生暖かい目。と、クロードは諦めたように咳払いをして、再び、机を叩く。やっと本気になった伝達係に、店内が緊張する。
 そして、
「俺は詳しい事は知らん。王様の所にいくぞ」

 一瞬の沈黙の後、店内には怒り爆発ヴァイスの叫び声が轟く。
「じゃあこんな所に集めるんじゃねぇよ!バカ野郎がぁ!」
 なんとも自分の気持ちに素直かつ正論なのだが、相変わらず返答は
「ひぃぃぃぃごめんなさいぃぃぃ」
であった。

     

 ヌートリア王国は、正六角の形をしている。正確に言えば、六つの頂点にレンガにより立てられた堅牢な砦が門を構えており、砦から隣接する砦に向かって壁が続く。その壁が都市を囲い、一般の住居に守られるようにして中央には王宮および関係施設が建っている。
 この六角形は、魔術の基本である二つの基礎元素と四つの自然元素を元とした六亡星の魔方陣に由来しており、北つまり上から時計回りに、『光 風 水 闇 土 火』を示す。
 光・水・土の三元素が物質の創造を司る三角。風・闇・火の三元素が物質の破壊を司る三角であり、ヌートリア王国が人類史上初の建国であったことが、この形の由縁である。

 そんな王国の中心に建つ王宮に、出来出頭・クロードを先頭として一行は着ていた。
 ただし、各班の代表者だけでよいとのことでメンバーは削られ、アシュターとシルフィア、そして先ほど群がった男と他数名。王宮の外壁はレンガ造りだが、床は大理石でできており、その上の赤いカーペットを進んでいく。古くにつくられたモノなので複雑な構造はなく、一直線に進んでいくと、そこには王が壁に据え置きされた椅子に座っていた。
 王はといえば、厳格な顔つきに蒼い瞳、白いヒゲが長く伸び、派手に装飾された王座に赤と金の王族服を着ている。しかし、シルフィアが目に入ると、距離が近づくほどに顔が緩みはじめた。
(また…か)
 歩きながらアシュターは心中でため息をつく。
 一行が王座前に整列すると、クロードは王の側近につき、王の顔は緩みきって原型をとどめているかすらも怪しい具合だった。
「よくきたなぁ~シルフィア~また綺麗になったんじゃないのか~」
 公務だとは思えない切り口。すかさずシルフィアが礼とともに返す。
「いえいえ。お父様も相変わらずお元気そうで、なによりですわ」
 普段の生活態度を知っているものからすれば歯の浮くようなセリフ。アシュターは笑いをこらえて真面目な顔をするのに必死だったが、他の男達はシルフィアのその振る舞いに心を奪われていた。

 親子の対話はまったく終わりの兆しを見せず、さきほどアシュターのため息がめでたく百回目を迎えたところである。
(しかし、ヴァイスの奴に任せて大丈夫だったのかな)
 アシュターは一つの懸案事項を抱えていた。
 アシュターは、ヴァイスが王宮に行くのに代表者だけでいいと聞き「フン、帰ってさっそくネトゲだな。」と意気込んでいるところを捕まえて、買い物を頼んでいたのだ。
(あいつ、買い物もせずに帰ってないだろうな)
 買う物のリストはメモ用紙を渡しているので心配はないが、買い物自体に行っているのか…と、いう不安。
(買っておいてくれないと困るんだよな。忘れてるかもしれないけど、今日は……アシュター!…ん、俺か?…ッ!)
―ギュウゥゥ 
 右足に強い痛みを感じ横に振り向くと、シルフィアがアシュターに顔を向けて演技で怒っているように見えた。
「王の御前ですよ、集中してください」
 イントネーションも完璧で上品なしゃべり方。
「それで…シルフィアは怪我・病気などしていないだろうね、アシュター」
 娘のこととなると真面目な顔を見せる王。「シルフィアは何かあっても私達を心配させないように無理をするから」という理由で、アシュターはシルフィアのお目付け役になっている。本来なら、王女が《ホーム》で生活すること自体が普通ではないのだが、平和が長く続くこの国ではシルフィアの無茶な願いがまかり通っていた。
(王族と市民との格差をないように見せるためもあるんだろうが…)
「はい、シルフィア様に怪我、病気等の変化は一切ありません。」
 一応、定例となった返事をする。
(傍若無人、唯我独尊が病気になるのか)
 そう胸中で毒ずくアシュターにシルフィアが近づき、耳たぶを掴んで囁く。顔は本当に怒っているようにも…
「私ネ、けっこう心眼あるんですヨ」
 真剣な目で見られ、血の気が引いていく感覚に飲み込まれるかと思った瞬間、王が声をあげる。
「いや…変わったことが一つあるな」
 突然のことに驚きながら、アシュターは小さな声でどこがでしょうかと自信なく返す。もし、シルフィアに変化などあったら職を失う恐れが…
「さらに美人になったとは思わんかね」
そこには、満面の笑み。
「…はぁ」
「おもわんのかね?」
 もはや強制である。切り返しの言葉が見つからず、しどろもどろになっていこうとしたとき、クロードが口を開いた。
「王様、そろそろ本題に…」
 一瞬、顔が鬼の形相を経由してから本来の顔にもどる。
「…空気の読めん側近だ。お前、今月から減給ね」
「ひぃぃぃぃごめんなさいぃぃぃぃ」
(あいかわらず、無駄な時間だ…)
 呆れたアシュターは、側近の一人が持つ大きな時計に目をやった。かなり重そうな壁掛け時計をわざわざ使用人に持たせている。はっきり言って人材の無駄遣いもいいところだが、この現状を正せる人間がヌートリアにはいない。いや、いなくなってしまった。
 時刻はといえば家を出てから約一時間といったところである。
 すると王が、ごほんっ、と咳払いし
「それでは本題に入ろうか」
 そういって王は指を鳴ら…そうとするがうまく鳴らず、三回目でようやく大理石の床にパチンという音が響き、側近がなにやら紙をまわしだした。

 街の中央にそびえる王宮より、少しばかり南の地点。王宮から南下する道。大通りといってもいいそれは、他国からの来訪者用にかなり大きめに作られている。
 《ホーム》を出てから少しばかり角度のました太陽の下で、ヴァイスは人混みを避けるようにひらりひらりと歩いていた。先ほどとは様子が変わり、活気ある朝の街に人間の群れができている。
(アシュターも面倒見がいいよな…)
 そう呟きそうになって言葉を飲み込む。ヴァイスは内心、アシュターにそこそこ呆れていた。
 彼自体がどうこうというわけではないのだが、受難な体質なのか、シルフィアと生活するようになってから面倒事は全て彼に被さっていく。
(あのお嬢様に気に入られてからろくな目にあってないからなぁ…)
 妬みや恨みの気持ちではないのだが、ヴァイスはシルフィアに知り合ってしまったことを後悔していた。

 脳内で数枚の場面がフラッシュバックする。
 それは王宮の北部にある屋外の闘技場での様子。雪が降り、年の終わりの到来を知らせる季節の一日。
 『最終選定試験』と名づけられた『国家兵士養成学園』の卒業試験。そして国家兵としてのランク分けを決めるための試合。王族や貴族が見守るなかでの真剣勝負。
 大槍を構える大男を前にして、小太刀一本を静かに構える黒髪の少年。普段の表情とは一変して、相手の出方をまつ獣のような眼。そうして、圧倒的な力量差で相手をねじ伏せ倒すアシュター。
 その後、感化された王宮の武術指導係の男との決闘。優勝者にのみ与えられる『特殊部隊』という称号を手にしているにも拘らず、さらに強くなることへの渇望と期待。

 試合後、夕日が差す闘技場に膝から座り込んでいる一人の男。
 刀ではなく、『レイピア』と呼ばれる突くことに主眼を置いた細身の剣を手にした男。自分自身で気づきあげた自信と誇りを壊されたような敗北感。そして、それが土下座をするように闘技場の床に正面からはいつくばる様。自身の指導係を打ち負かしたアシュターを欲する少女。背中に太陽を背負い、金色の髪と頬が赤々と照らされている。
 そして、待遇が決定する日。多くの卒業生が王都警備や要人護衛など配属が決定していく。そのなかで、幼馴染のヴァイスを見つけ微笑むアシュター。王からの『体術』・『武術』の各部門優勝者への『特殊部隊』をしめす黒いロングコートの贈呈式および配属先の通達。本来ならヴァイスとアシュターの就く《ホーム》に、もう一人の名前が…。

 ふと、思考にふけるヴァイスの頬を石畳にまかれた打ち水の心地よい風が撫でる。
 さきほどまでのフラッシュバックも消え去り、脳内がついさっき聞いた情報にきり替わった。
(グラトニーが来る…か)
 思わず握りしめた拳から力を抜き、手首を振る。
 緊張感も風が流し、ヴァイスの脳内でネットゲームのBGMが流れ出す。
(こんな所で道草くってる場合じゃないな)
 ヴァイスは焦りを感じた。
 長袖の黒衣から見える手には白い肌。なにしろ、外に出たのなど数週間ぶりのことであった。少しの時間ですら、PCの前にいないことが時間の無駄に思えてしまう。
「早く帰ってネトゲをせねば」
 口から漏れた言葉を止めようともせず歩くが、風が運んだ冷静さはそれ以上だった。
 (そういや、今日は午後からネトゲはメンテナンス時間だったな…)
 ヴァイスは急ごうとした足を止める。
 家に帰ってもネットゲームができないやるせなさ。思い出したようにヴァイスは、左ポケットから二枚のメモ用紙を取り出す。一枚は『求人』のメモ、もう一枚は『買い物リスト』と書かれたメモ。
(とりあえず『求人』のほう、いっとくか)
 理由など無いに等しい。照りつける太陽、黒い正装。重い荷物を持つのには賛成しかねた。

『東部3番区・1-7』
 その地点に向けてヴァイスはゆっくりと歩いていく。
 ヌートリア王国はとてつもなく広い。王宮を中心として、中央部、北部、東部、南部、西部、と分けられる。中央部とは王宮と国家施設の総称であり、『国家兵士養成学園』もその一つであった。
 ヌートリアは壁で囲まれているので、これ以上広くなることはないだろうが、人類がはじめてて作った国にしてはとてつもなく広く、未だにヌートリア王国を凌ぐ広さを持つ国は数えるほどしかない。そして、その多くは商業国家や工業国家のように少しずつ横に広がって『面積的』な部分でヌートリアよりも広くなっただけである。
 そのヌートリア王国の、東端付近の店の前でヴァイスの足が止まった。
「これが…か」
 そこには『ゲームセンター』という看板。ヴァイスが肩を震わせる。
「アシュターめぇ…わかってるじゃないか」
 これから、ここで働くにあたっての好都合な妄想がヴァイスの脳内を駆け巡り、いつの間にか笑顔が止まらなくなっていく。
「くそぅ、こんな魅力的な職場があったとは盲点だったぜ…流石アシュター」
 都合のいい感謝の言葉を並べながら、ヴァイスはロングコートのポケットに手を伸ばし、財布を取り、残り財産を見る。そこには銀貨が数枚。
「まずは面接の前にゲームで連勝してやるぜっ!」
 にやり、と笑い
「見てろよっ素人どもめっ」
 ヴァイスはそう言うと店にずかずかと入っていった。

「エルフッフッフッフッ」
 『ゲームセンター』の向かいの建物。その屋上に一人、格好をつけて立っている。
 正確には人ではない。半人といったところだが、特徴的な違いはといえば耳が異様に長いことだろう。森に住む民・エルフの特徴だ。
「フッフッフッ、まさかもう『特殊部隊』が討伐に来ていたとはな」
 白い肌、緑の瞳に同色の長い髪を赤いヘアバンドで整えている。
「フッフッ、まぁ骸が一つ増えるだけだな」
 ふと、腕を組み一本足で立つエルフの頭部に、少年達が投げそして打った青春の白球がスピードを上げて直撃した。そして、エルフは前のめりに落下し地面に激突する。
 人身事故のような(実際そうだが)音が辺り一体に轟く。
「す、すいませーん」
 どこか素っ頓狂な声。どうやら、近くで遊んでいた子供のようだ。エルフはなんとか起き上がり冷静を装う。
「フッフッ、まぁ俺も大人だしな」
 怒るまい。そう心に決めて、自分に言い聞かせる。
「すいませーん。できればボール、とってくれませんかー?」
「はぁ?」
 エルフは思わず振り向いた。遠くには、真面目な目で言う少年、そして自身の足元には白色の硬球。
「だからそこのボール、とってくださいよー」
「…フッフッ、まずは子供の再教育からだな」
 まだ教育すら受けていそうにない少年を眼中にそう言うと、ボールを拾い心中に六亡星を描いた。六亡星の左上部分、『火』に意識が集中し、その中の構成式を紡ぐ。ごく単純な魔術。
「フレイム4」
 周りの空気を圧縮させて火を創り、ボールに灯す。そして、それを眼中の教育相手に思い切り投げつけた。
―ヒュンッ
 雷撃のようなスピードの白球が少年に向かう。そうして、襲い来るボールを捕る体勢にも移れないままもろに攻撃をうけて、少年は気絶した。
「フフッ、さて…」
 残りの少年らを見やる。
「あと…6人」
 そんなこんなで、ヌートリア王国非公認「鉄壁の外野!」が合言葉の仲良し野球同好会「路地裏バスターズ」(総勢9名、欠席2名)は解散の危機を迎えていた。

     

―王宮―
 仕切りなおしとばかりに王がもう一度、咳払いする。
「先日、《ハイペリオン》の本拠地の場所が特定できた、よって特殊部隊にはこれの殲滅にあたってもらう」
 すると、クロードは声をあげた。
「《ハイペリオン》それは絶対王政に反対する、いわばレジスタンスの集まりである。」
 女性隊員が、ぼそり言う。
「なんでそんな分かりきったことを…」
「きっと、減給のショックで頭が回転できていないんですわ」
 何気にキツイことをさらりと言ったシルフィアに、後方で「踏んでくださ…」「強気なシルフィアさまも素敵です…」「ハァハァ…」と悶絶している。そんな黒衣の男どもを捨て置き、アシュターが問う。
「突入するメンバーはどうするんですか?」
 質問に王はきょとんとした顔をし、返す。
「どうするも何も、特殊部隊全員で殲滅するだけだ」
 と、そこで王は来ているメンバーを見渡しシルフィアに問う。
「というかメンバーが少なくないかい?」
「お父様?」
「全員が揃ってないな、どういうことだ」
 それに答えるように一同の視線がクロードへ向く。
「そこの黒鎧の方が『代表者のみでよい』と仰っていましたので…」
「・・・」
「いやっ、コレはですね…っ」
「・・・」
「ほらっ、あんまり人口密度が高いといろんな人がいて大変…と、いいますか」
「・・・」
「えっと、シルフィアお嬢様のところの…あの赤髪とか…目つきが悪いですし…」
「・・・」
「…あっはっはシルフィア様も冗談がお上手に…」
「お前減俸ね…」
「ひ(中略)ぃ、ごめ(中略)ぃ」
 すっかりずれた話の方向にアシュターはため息をつき、言う。
「王様、『グラトニー』が近づいているのでは?」
 他人事のような顔で王は返答する。
「あぁ、そうだ」
「では、特殊部隊を待機させるべきでは…」
 すると王は待ってましたとばかりに、ふふんっと笑顔を見せた。
「その為に『勇者様』についてもらっておる」
「?『勇者様』?」
「そうか、まだ紹介してなかったな」
 そういうと王は立ち上がり、叫ぶ。
「勇者様~勇者様~」
 少し間をあけて、扉を蹴破るような音が王宮に響き、同時に叫び声がした。
「ウェーッハッハッハッハ!」
 品性のかけらも感じさせない、場にふさわしくない大声。
 アシュターが、声のした方向に振り向いた時、二人の男がカーペットの上を歩いてきていた。
 二人とも背丈はアシュターと大差ない。一人は真紅の甲冑、背中に肉厚の大剣を背負っている男。もう一人は紫色の魔術師の伝統衣装を纏った男。
「おらー金よこせやー」
 赤い甲冑の男が声を荒げながら、二人して王に近づいてくる。時間の止まる感覚を覚えながらアシュターは王に振り向きもせずに質問した。
「なんです…あれ?」
「勇者様だ」
「金よこせ…とか言ってますけど」
 アシュターの発言に返すように魔術師が言う。
「俺達は国民が必死こいて納めた税金で生きてるからな」
 めまいに襲われながら言葉を紡ぐ。
「これが…勇者?」
 アシュターは魔術師にではなく、赤い甲冑の男に疑問をいだいた。
 魔術師が続ける。
「いや、あと一人いるんだが」
「嘘…だろう?」
 つい、王の方を振り向く。否定してほしい…そんな希望をもって向いた先の王は、首を大きく縦に振った。
 赤い甲冑がまた叫ぶ。
「ウェーハッハッハッハッ!嘘なものか、俺達が勇者様だ」
 アシュターは絶句した。

―ヌートリア王国郊外―
 一面の芝生に、多岐に分かれた砂利の道がある。
―キュラキュラキュラキュラ
 その道を、黒い大きな鉄の塊がヌートリアに向けて進んでいく。大きく伸びた砲身、大地を踏みしめる無限軌道…つまるところ戦車である。とは言うものの、砲身から弾が発射されるわけでもなんでもない。ただ鉄で作り上げたハリボテに過ぎない代物である。
 しかし無限軌道は好調で、馬で駆けるのとは比べ物にならないほどのスピードを保ちヌートリアに向かって直進していく。
 その車内からは男女一組の会話がキャタピラの音にかき消されながらも進んでいる。
「あっつーい」
 ふと、戦車の上部ハッチが開いたかと思うと、中から赤髪の女性が姿を現れた。短く切られた髪、目鼻整った顔立ち、うっすらと桃色に染まった口元がどこか大人の色香を漂わせている。
 それに続くようにもう一人、男が同じハッチから上半身を出した。手にはお茶が注がれた氷入りのコップ。
「はい」
「ありがと、あなた」
 笑顔でそう言うと、女性はお茶を一気に飲み干し、コップを置きに車内へと下って、また体を出した。突き抜けるような風が二人の髪を揺らす。
 男のほうはといえば、線の細い顔体つき、憂いのある表情、長い銀髪が右目を隠している。
 すると、目の前にはヌートリアの外壁と中央に聳える王宮が見えだした。
「やっぱり大きいわね、ヌートリアは…」
「あぁ」
 男は続ける。
「…でも小さくなってしまった」
「…そうね」
「覚悟はできたかい?」
 すると女性はそこ抜けた笑顔で返す。
「もちろん♪あなたについていくわ」
「ありがとう」
 すると、眼前のヌートリアの門から一台の大型の馬車が現れた。
 二匹の馬が交互に走り、戦車の方向に向かって走ってくる。馬車の積荷を雨から守る皮のシートには王族印の刺繍。
「かくれてて…あと停止させて」
 そういって銀髪の男は女性を車内に下がらせ、空中を触ったかと思うと、手に仮面を作り出して顔に装着する。と、同時に戦車のキャタピラは回転を止めて、その場に鉄の壁をつくり出す。
 向かってくる馬車だったが、馬が戦車に怯えたのか…走るのをやめて足踏みをしてしまう。それを見かねた鞭を叩いていた兵士が仮面の銀髪を睨む。
「おい!貴様!どこの人間だ」
 男はすかさず返した。
「工業連合組合の者です」
 その名を出したとたん兵士は弱腰になり、立場が逆転する。
「…そ、そうでしたか……これはこれは…すいません。王のお客様に声を張り上げてしまって…」
「こちらこそすみません、馬を怯えさせてしまって。…ところで」
「なっ、なんでございましょうか?」
「今からどちらに行かれるですか?」
 本来なら答えずとも良い質問ではあるが、王に関係ある者だということからか、素直に答えてしまう。
「はっ、はい…商業国カートルに兵士の補充をしにいくところでして…」
「…そうですか」
「はい…では失礼します」
 鞭を空に上げた瞬間、仮面の男は声をかける。
「やめたほうが懸命ですよ」
 それに気をとられた兵士は軽く馬の尻を叩いてしまい、馬はびくともしない。
「…は?何をでございますか?」
「カートルに行くのを…です」
「それはできませぬ、王の命令ゆえ。…いくら王のお客様といえども」
「そうですか」
 瞬間、男は仮面をはずし空中に投げ捨てた。仮面が空中で分解されて風に流され消えゆく。と、同時に兵の顔がひきつった。
「っ…グラトニー様…グラトニー!」
 手綱を握る手は震え、馬にもその緊張がうつったのか落ち着きがなくなる。
 グラトニーは馬車が来た道を指差し、そのまま王宮を指す。
「王でも兵士にでもいい、伝えてくれ。グラトニーが来た、と」
 兵士はすぐに顔を背け、馬を誘導してヌートリアへと馬車を向けて走っていく。来たときよりも倍以上の速さで…。

 グラトニーは体を車内へと戻し、ハッチを閉じた。
「いいの?わざわざ伝えちゃって」
「大丈夫だよ。心配ない。とりあえずコレを見せて王の反応を待つよ」
 グラトニーは続ける。
「…それより」
「本当みたいね。兵士を他国に売ってるっていうのは…」
「うん。話し合いで済めばいいんだけどね」
 グラトニーは「…でも」と言い、うつむく。
「それじゃあ解決しないかもしれない」
「大丈夫♪あなたになら救えるわ」
 そう笑顔で言う妻を見ながら、グラトニーは車内から紫と金でできたコートを、女性は黒のロングコートを取り出す。外装を照らす太陽には、雲がすこし懸かっていた。
 
第二章「動きはじめた一週間」

 蛍光灯の一つも灯していない店内。ゲーム機の四角い光だけが無数にある。暗闇に溶けるように考案された『特殊部隊』用のロングコートはその真価を発揮するように、見事に背景に同化していた。
 今、画面の上では二人の男が拳と拳をぶつけている。二人は同じ顔、違いはといえば着ている服の色だけだろうか。同じ速さと威力の拳が同時にぶつかり相殺される。
「受けよ我が拳、天破拳!!」「受けよ我が拳、天破拳!!」
 二人がそう叫び、互いに拳を突き出す。すると、拳からあらわれた光が敵を飲み込もうとして、また光同士がぶつかり消失する。
―カチャカチャ
 レバーを動かす音が広い空間に響く。本当なら二つ聞こえるはずなのだが、まったくの同タイミングで動かされるレバーは、不快な濁音を出さず、流れるように空間に広がる。
「ほほぅ、やりますねぇ」
 向かい合った台から声がした。それにつられる様にヴァイスは返答する。
「ふん、お前もなっ。素人だけかと思っていたが、俺と互角に渡り合うとはな」
 二人の会話もなんのその、画面の中の男は互いに敵を倒そうと様々な技をくり出す。
「まさかネトゲのメンテナンス中の息抜きに、これほどの猛者に出会うとはなっ!」
「ほほぅ、貴方もそうでしたか」
「なにっ」
「私もですよ」
「…まさか。…ハングドマン(吊られた男)オンラインか?」
「えぇ、そうです」
「これほどの技量、ランキングは上位だろう?」
「お恥ずかしい限りですが、一位です」
「な…に?」
「どうされました?」
「ははは、そうかいそうかい」
 少しずつ互いの体力が減っていく。もうそろそろ一撃を先に決めた方が勝ちになるまで状況は進んでいた。
―タタンッ
 ヴァイスが素早くコンボを決めようとする。
「俺の名前はヴァイス!この意味は解るな?」
 それを受け流しながら、心からの笑いが帰ってきた。
「頂上決戦…と、いうやつですね。いいでしょう」
 反応、操作速度はさらに上がり、目では追えない勝負はクライマックスを迎えようとしている。
「勝つッ!」「負けるわけにはいきませんっ!」
―プツンッ
 急に、目前の四角い光が消えた。続々と、他のゲーム機も消えていく。部屋の中は正真正銘の暗闇になってしまった。
「くそっ!何てこった」
「ふーむ。何があったのでしょう」
 すると、下の階から女の声がする。
「店長~店長~なんか表の通りでエルフが暴れまわってるそうで~それで電気制御盤に何かぶつけて壊れたそうです~」
 それに応じて、向かいの台の声が返す。
「わかりました~あと、仕度は済みましたか?」
「はい~魔術構成も終わってます~」
 一連の会話が終わった後、ヴァイスは席を立ち向かいの席に向かう。そこで、暗闇の中で慣れ始めた目がとらえた相手は、人ではなくペンギンだった。
 白い腹回りに黒い体、頭からは黄と赤のトサカが綺麗に伸びており、毛並みもフサフサなびいている。イワトビペンギンという種類だろう。
「あんた、ここの店長だったのか…ってかペンギンだったのか…」
「そうです、私は店長でありペンギンです」
 人の言葉とは魔術に用いる文字を用いており、発音もそれに準ずる。人間以外の動物に人語を教えることはまず不可能だが、魔術文字を理解できる動物であれば言葉を交わすことは可能だ。まず、魔術文字を理解できることが貴重なのだが……実際、エルフという種族もその一派である。
 真っ暗な闇の中ヴァイスが手を差し伸べ、ペンギンもそれに応えた。
「頼みたいんだが」
「? なんでしょう」
「…俺をここで雇ってくれないか?」
 すると、握る手に入る力が少し強くなる。
「おっ」
 こそばゆい毛触りとは裏腹に、潰すような圧迫感。痛みを感じ、さらに強く握り返す。
「…ふむ」
 双方、力を混めあう。それでペンギンは納得したのか、ゆっくりと力を抜いて手を離した。
「…うん、上出来ですね。ゲームの反応速度といい、一般人とは思えない」
「いや、俺は…」「店長~五分前ですよ~降りてきてください~」
「はいはいー。じゃあ、ついてきて下さい」
 陽気な声と共にペンギンはてくてくと歩き、ヴァイスもついていき、階段を下りる。
「先ほど一般人を否定していましたが、訓練経験もあるでしょう?」
「あぁ…小さい頃からずっとな」
「素晴らしい。まさか計画の直前に貴方のような優秀な方が参加してくれるとは」
「…さっきから仕度とか計画とか何のことだ?」
「私達は表向きはただの店員ですが、本来は違います」
「本来?」
「まぁ、すぐに分かりますよ」
 続いていた長めの階段の先に、長方形の光が見えた。すると、ペンギンはヴァイスを制し
「一応、私が紹介した後に入ってきてください」
と、言って一段一段を降りていく。

 ペンギンが光の奥に消えると、男や女の勇ましい声が上がった。
「リーダー!準備万端です」「リーダー!」「目にもの見せてやりましょうよ」
「はい、皆さん体のアップは済みましたか?」
 場にいる全員の声だろう、大きな声が力強く肯定する。
「えっと唐突ですが、つい先ほど新たな仲間が加わりましたので、紹介したいと思います」
 小さなざわめきが起こる、だが、よほど統率がとれているのか、ペンギンが手を叩くだけですぐに静まった。
「では、紹介します。ヴァイス君です」
 自分の名前を聞き、ヴァイスは一段ずつ下っていく。いやに静かな闇の中。自分の出す音が響き、柄にもなく緊張している。
(どうする…下出に挨拶すべきか?いや、ここはなめられない為にも強気でいこう)
 決心した足取りは速く、勢いをつけて残り三段になった階段を飛び降りた。暖かく、そして眩しい蛍光灯の光が身なりを照らし、ヴァイスは声を張り上げる。
「俺の名前はヴァイス。ヴァイス・ユッグだ!これからよろしく…」
 そこでヴァイスは固まった。まるで、部屋の中すべての時間が奪われたような。
 誰しもが口を開き、唖然としている。
 地下とは思えないほど広い部屋。見渡せば、戦いやすいように武装して待機している男女、総勢五十名以上。それぞれ、槍や剣を手に携えている。奥には装飾豊かなイスに座るさきほどのペンギン。その頭上には白い布が掲げられ
『我らハイペリオン!王に裁きを下す者なり!』
と、太く大きく書かれていた。

 反王政組織《ハイペリオン》…その起源は十年程前、現在の王に王位が譲られた直後。王権移動後の大幅な増税、反対意見を出す国民への弾圧に対して作られた組織であり、実質的な活動は国民の煽動、現在の王にとって天敵ともいえる存在である。そして、明らかな国民の協力もあり、今日まで拠点さえ発見されていなかった。
 その《ハイペリオン》の目前に王の私有兵《特殊部隊》が現れた、しかもたった一人で。
 すると、大きな怪音波らしき声が鼓膜を破らんとする勢いで木霊する。

「うきゃぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!」
 それはペンギンの放った奇声であった。超音波、もしくは怪音波に近いもの。空間が振動しているのが肌で感じ取れるほどの音量。
 そのあまりの大きさに、遠くのヴァイスを残してペンギンの隣りの男は痙攣している。その男を放置したまま、ペンギンは椅子から飛び降りてゆっくりとヴァイスを睨む。
「気にくわないですね~、私の鳥目という弱点をついて黒い服で潜入してくるとは…」
「いや。これ制服みたいなもんだし」
「なかなか強い同志が見つかったと思っていたのですがね」
「ついついゲームセンターの仕事だとばかり」
「まぁいいでしょう。…しかし、情報をリークして来たのが一人とは予想外でしたね」
「は?」
「うきゃあ、兵士にここの場所をリークしたんですよ」
「?」
「わかりませんかねぇ。あの低能な王が敵の居場所を知ったらどうするか?」
「掃討するだろ、そりゃ」
「でしょうね。全戦力を使って掃討しようとするでしょうね」
 そこでペンギンは手を指のように細めて、横にふる。人ならかなり憎らしい姿だろうが、ペンギンがやるとなぜか可愛く見えてしまい、闘志がわかない。
「しかし、一般兵を使えば自然と情報は垂れ流しになり、国民が《ハイペリオン》を守るかもしれない。そこで使える手駒は《特殊部隊》のみ」
「まぁ当然だな」
「この場合、あの猪突猛進・単純馬鹿の王は間違いなく《特殊部隊》を総動員させるでしょう」
「ぐ…ありそうだ」
「そして《特殊部隊》がここに到着した時、王宮は誰が守るのか?いませんねぇ誰も…」
「まさか…」
 ヴァイスは部屋を隅々まで見渡す。
「ッ!」
 予想通り、奥の部屋に床一面を使って白い魔方陣が描かれていた。おそらく、王宮に直結する光魔術の構成式だろう。

 ふとペンギンは何かを考えたように頭をゆらし、またヴァイスのほうに向く。
「うきゃあ、ここで一つ思いついたんですが」
「なんだ」
「一つ、ゲームをしませんか」
「どんな…だ、ネトゲか?ネトゲならメンテナンスが済んだら今日中にお前を抜いて…」
「違いますよ、そういうゲームじゃない。もっとこう、そう、賭けに近い」
「ゲームの名を冠するものなら何でも強いぞ俺は」
「その意気ですよ。例えば、勝ったほうが負けたほうを従える…というのはどうでしょう?」
 自信ありげなペンギンの瞳。その意見に、ヴァイスは周りを見渡して哄笑する。
「フン、俺が負けるはずがない」
「うきゃあ、慢心ですか…《特殊部隊》も堕ちましたね」
 するとペンギンは思い切り空気を吸い込み、また叫ぶ。
「うきゃぁぁぁぁああああああああああああああああ!!」
 思わず耳を押さえるヴァイス他大勢。ちなみにペンギンの隣りの男は、白目をむいて、泡を垂れ流していた。
「なんなんだ!オメーは!」
 怒鳴り返すヴァイスを無視する形でペンギンは思い切り空気を吸い込む。
「オカマ軍団!!出撃ッ!!」
「フン、そんなものが…」
―ドタンッ
 蹴破るような勢いで隣の閉じていた扉が開く。するとゾロゾロと煌びやかな衣装の女(男)達が現れた。外見はといえば、明らかな男性の骨格のせいでひどく見苦しい。
「ワタクシたちが相手よ!!」
「うわっ、ホントに出やがった!」
「あら意外と可愛いボウヤ」「これが敵の子?」「どう、イイコトして遊ばない?」
 出てきた六名のうち半分はヴァイスを無視して階段を駆け上がり、残りの三人がヴァイスに向かってそれぞれ艶やかな声で言う。その妖艶かつ吐き気をもよおす仕草を全力で無視するヴァイス。鉄板を仕込んだグローブを裾から取り出して装着し、ゴングよろしく思いきり鉄音をさせた。
「全力で断る!」
「そぅ」「じゃあ」「しかたないわね」
 三人が三人、手をわきわきと動かし、寝技を得意とする柔術に近い構えをとる。それに対するように、ヴァイスは右足を前にだし、背筋を反らせて右拳を突き出す。サウスポーの構えだ。
「リーダー、捕虜の扱いは?」
「いかようにでも~」
「楽しみ♪」
 三人がそれぞれ言い、そして素手で襲いかかる。すこしの時間差をつけての攻撃、数の利を上手く使うための技術。攻めにくいように、守りにくいようにヴァイスへと迫っていく。速さも挟撃のタイミングも完璧。
 しかし相手が悪すぎた。
「“楽しみ♪”じゃねぇぇぇえええ!!」
 ヴァイスは右に半歩ずれて、右からの女(男)を左拳のボディブローで沈め、急な方向転換にとまどう女(男)を右足のミドルキックでなぎ倒し、最後の目標との距離を大きくしゃがみ込んで一歩で埋めて、右のアッパーで仕留める。それぞれが体を折って倒れ込む。床に転がった煌びやかな三体は、声を上げることすらできない。
「気にくわないですね~、私の部下を倒すとは」
「フン、こんな粗末な相手ではな」
「では…」
 ペンギンが近くの大柄な兵士を指差す。
「行ってくださいっ!え~と…ヴィラハルト・ラクト・ラクレ・ゴル…ゴル…ゴル……」
「ゴルダインです、リーダー」
「あぁもう名無しでいいやっ」
「はいっ!」
 マッチョな名無しがヴァイスと対峙した。太い腕に広い肩、大きな斧を片手でもっている。どうやら、いわゆる力自慢のタイプらしい。
「どりゃっ」
 真横からの攻撃。薙ぐ刃先をしゃがんでかわし、軽く右のジャブを放つ。だが、名無しの太い腕に阻まれ弾かれてしまった。すると、筋肉山から野太い笑い声があがる。
「はっは!鉄板を仕込んでこの程度の拳とはな…貧弱」
「……」
「だが!後悔することはない」
「……」
「私は《ハイペリオン》において最も堅く!そして最も力強い!その私が相手をしているのだ」
「…」
「ヌートリアの歴史が変わる、今日という記念日の礎となれることを喜びながら大地に還るがよいわ!」
 ヴァイスの体が小さく震えた。
「どうした、恐怖のあまり声も出ないか、王の犬が」
「フッフッ、お前がこの中で一番堅いんだな?」
「はっ!それを知ったところで貴様にはどうしようもない!なぜならば!私と貴様では筋肉の量が…」
「うるさいよ、お前」
―ヒュッ
 ヴァイスの放った右拳が男の顎を打ち抜く。その速さは筋肉山に対応できるものではない。と、体のバランスがずれたせいか名無しの体がぐらりと揺れて、膝をついた。口からは血が滴っている。
「お前が俺の(ネトゲの)時間を浪費させるなら手加減はしない」
 ヴァイスは名無しから大きく距離をとり、眼を閉じた。
「源なる闇」
 集中し、心に六芒星を描く。その中の下の頂点、闇を意識する。
 目を開くと、ヴァイスの目前には小さな黒い円ができていた。ゆらゆらと不安定な黒円、そこに拳を入れる。すると円は拳の形に歪み、表面が硬化した。
 引き抜いた拳に付くように、黒い拳は回転を始める。その回転が最高潮に届いた瞬間、ヴァイスは叫んだ。
「フィスト・マグナム!」
 瞬間、拳は空を走る。腕から放たれたように飛ぶ黒の拳は、周りの空気すら巻き込み、名無しの胸板の上に直撃した。
―ドゴッ
 鈍器で叩くような鈍い音を響かせながら、硬い拳は回転を増して胸にめり込んでいく。
 肺を上から突く的確な攻撃。見る見るうちに名無しの顔は青くなり、ついには倒れ込んだ。
「…こ………こんなぁ……ひょろ…ひょろ……に」
「…フン」
 ずしゃあっ、と無残に倒れる男に見向きもせず、ヴァイスはペンギンを睨み構える。
「そろそろリーダーが出たらどうだペンギン。俺の意見としては、そろそろネトゲのメンテナンスが終了するから家に帰りたくなってきた頃合いだ」
「ふむ?私もそうしたいところです。しかし…王の命の危険が迫っているというのにですか?」
 ヴァイスは腰の黒帯を締めなおし、肩の回りを確認してにやりと微笑む。
「大丈夫だ、俺が勝てばそれで終わりだ」
 合わすようにペンギンも両腕を伸ばして体をほぐす。
「うきゃあ、なら私が勝って王権移行の尖兵となってもらいます」
 言葉を交わさずとも自然と互いに拳を突き出し、構える。と、その時
―ドォンッ!!
爆発音と共に地下室が大きく揺れだした。

     

―王宮―
 放心気味のアシュターを残して剣士が自己紹介を始めている。
「俺様の名前はブレイアン!剣士ブレイアン様だっ!サインは男なら有料、女ならタダ、美人なら抱擁サービスを無料でしてやる!ウェーハッハッハ」
 赤甲冑の中から大声が響く。その横の魔術師は姿勢を正し自己紹介を始めていた。
「名前は魑魅魍魎。趣味は魔術の研究とアホな剣士を見て暇を潰すこと」
「ウェーハッハッハ、最近は剣士の質が落ちてるからな!弱い癖に粋がる。俺様の小指にも敵わない奴が剣士を名乗っているからな!」
「弱い癖に粋がる。そうだな…そんな奴もいるな」
 そういって魑魅魍魎はブレイアンを哀れむ目で見る。
 そんな視線に気づきもせず、ブレイアンはそこにいる全員を眺め…そこにいる美しい金髪の少女に目をとめた。当のシルフィアはアシュターに小声で話しかけている。
「大丈夫ですカ、アシュター?」
「ん…あぁ、なんか腑に落ちなくてな…」
「何が、あぁあのダサい赤甲冑ですカ?」
「魔術師、彼には隙がないんだ。それに力を感じる、だけど」
「赤甲冑はそうではないト?」
「あの男は隙だらけだ。わざと力を抜くとかじゃなく、もともと無い感じがする」
 と、そこで会話を邪魔するように、下品な笑い声と共にブレイアンが二人の間に割って入ってきた。
「ウェーハッハッハ、貴女・シルフィア様ですね?噂どおりの美人だ。…ところで、こんな冴えない剣士より私と話しませんか?主に二人の将来について」
 その声に反応もせず、シルフィアは王に問う。
「お父様、なぜこの方々が勇者なのですか?」
 すると、娘と話せる嬉しさからか、ゆるゆるの顔で王は口を開く。
「ふむ、説明しておくか。勇者様とは…」

―二週間前・工業都市『サザール』からの帰り道の森林―
 日の光も届かない森の中。草木のかすかな呼吸の合間を、王を乗せた馬車とそれを護衛する兵士の乗る馬車が前後に二台ずつ走っている。道はかなり荒れていて、地面はでこぼこ草木は茫々。まるで秘密の小道のようなその道を、蹄が跡をつけていく。
 ふと、森の中に大きな声が響きわたった。
「エルフッフッフッフッ!」
 すると空に巨大な魔術の円陣が現れて、数多の氷柱が降り注ぎ、計五台の馬車を襲う。偶然か狙い通りか、氷柱は全ての馬車の車輪に命中、破壊する。馬は怯え、逃げようと暴れ回るが、流石に馬車ごと引きずることはできずに結局は数センチ動いただけであった。
 同時に、馬車の扉を勢いよく開けて兵が外に出る。護衛のためだ。王の馬車を中心に警戒を始める彼らをあざ笑うかのように声だけが続く。
「フッフッフ、ヌートリア王よ!死んでもらうぞ」
 声の方向、頭上の樹へと視線を動かす兵士達。そこには人影、いや顔面全てを包帯で巻いた男が格好つけて立っていた。そして、それはなんの躊躇もなく飛び、落下してくる。
 包帯の男としか形容できない男、だがひとつだけ人間とは違う特徴があった。異様に長い耳…エルフである。
「おのれ!単独で命を狙うとは、なめるなよ」
 熟練された兵士が剣を取り出すと、周りの者もみな武器を構えた。エルフを囲み、じわじわと近寄っていく。押しつぶされそうな重圧、兵達はそれらを与えているつもりだった。
「フッフ、これがヌートリアの兵?」
 とくに体を強ばらせるわけでもなく柔軟などをはじめたエルフに、勝機ありと兵士がいっせいに切り掛かる。だが、それは誘いであった。
「フッ、かかったな」
 包帯エルフは、人差し指と中指を重ねて迫る兵士の剣に向ける。
「エレクトリック」 
 次の瞬間、指先が電気をまとい、極弱の電流が剣に絡みつく。それは、武器を伝って連鎖反応のように次々と流れ、全ての兵士に痙攣をひきおこす。電流は神経の伝達を止めさせて、動くことも口を開くことも許さない。
「殺さないように調節するのが難しいんだ…感謝してろよ?」
 ただのでくのぼうになった兵士達。その合い間をぬって、包帯のエルフは王の馬車にたどり着き、手をかざす。と、森の静寂には不似合いな叫びが発せられた。
「まてーーーーーーーーーーーーい!」
 その声とともに、甲冑の擦れる音がし、森の奥から赤甲冑の大剣を背負った男が現れる。すると、包帯エルフは動揺し始めて、一歩一歩後ずさっていく。
「ま、まさか…伝説の剣士…」
「そうだっ!俺様が剣士ブレイアン様だっ!」
「あの『ツキノワグマ三十頭までなら小指で倒せる』と、噂の…」
「そうだ」
「異大陸から現れ、その大陸で最強だったという」
「それが俺様だー」
「ひぃぃぃぃぃいいいぃぃぃいい」
 そう言うとエルフは慌てた感じで逃げ出し、どこか森の奥へと消えていった。
 それを笑いながら見逃すと、赤甲冑は馬車の中の王に話しかける。
「大丈夫か、王よ?」
「ありがとう、異大陸の剣士よ…助かった。…ところで、なぜ貴方ほどの強い御方がこんな森の中でどうして?」
 すると剣士は、さも当然のように豪快に笑う。
「俺様が更に強くなるために修行しているのだ。どんな奴にも、いつでもどこでも勝てるようにな!まぁ俺様はもともと最強だから、敵は俺自身だけだがな!」
「…そうですか。」
 王は少し考え込んで、続ける。
「………不躾で申し訳ないですが、貴方の腕前を見込んでお願いがあります。ヌートリアを救っていただけないでしょうか?」
 すると剣士は察したように返す。
「グラトニーか?」
「…そうです、あの男は私が王になったことを逆恨みして私を殺そうと企んでいるのです」
「はっは、あの程度の奴、俺様が本気を出せば一分で粉々だ」
「!本当ですか!是非、お願いします!待遇は『勇者様』とさせて頂き、住む部屋はもちろんのこと、毎月一千万エンお支払いしましょう」
 すると剣士は大きくうなずき、続ける。
「あーあと、俺様には二人の連れがいてな。そいつらも同じ待遇でいいか?」
「はい…で、どういった方々で?」
「あー陰気な魔術師と馬鹿なエルフだ。このエルフはさっきの包帯の奴とはまったく関係ないからな!絶対に!…強さは、俺様には及ばないがグラトニー程度なら軽くひねれるレベルだ」
 その言葉を聞いて王の顔が明るくなった。
「そっ、そうですか!いや~これでヌートリアも安泰です」
「おう、俺様に感謝しろ!」
 そういって剣士は地面に手をかざし「治れ」と叫ぶ。その瞬間、不思議なことに兵士達は痙攣から逃れた。
「流石ですな勇者様」
「はっは。さて、ヌートリアまで魔術で転移させてやろう。俺様と連れは後でいくからなー」
 剣士が遠くに離れ、全ての馬車を範囲に手をかざして「わーぷ」と叫ぶと、地面に光の円ができる。その地面に沈むように全ての馬車は光に消えて、ヌートリアに帰還した。

「…とまぁ、こんな感じで勇者様と出会ったのだ」
 その話を聞いて、アシュターの赤甲冑に対する不信感がさらに高まる。
(グラトニー様を一分で粉々に?)
 アシュターは無意識に拳を握り締めブレイアンを睨みつけた。
 見るからに重鈍な装備。魔術による全方位からの攻撃が可能な現代において、走りにくい甲冑をわざわざつけるなど愚行も愚行である。自殺願望でもあるのだろうか…そんなことを考えていると、視線に気づいたのかブレイアンはアシュターに話しかけた。
「どうした、がっかり剣士?シルフィア様の心が俺様に傾いたから焦りだしたか?まぁ、もう俺様に惚れてしまったからどうしようもないがな。NTR(ねとられ)属性でもつけてろ。ウェーハッハッハ」
 正直、そんなことはどうでも良かった。が、冷静さが欠けていくことは解る。グラトニー様への侮辱、癪に障る笑い方、安い挑発、怒りがアシュターの中に広がっていく。
「安心しろ。グラトニーが来ても俺様が瞬殺してやるから!あ、ちなみに俺は男と遊ぶ趣味はないからな。間違っても惚れるなよ?ウェーハッハッハ」
―プッン
 頭の中で何かが切れた音がした。アシュターは衝動にかられて、つい間違った言葉を選ぶ。
「…ではブレイアン様。わたしがグラトニーに勝てるように剣のご指導お願いできますか?」
 それを聞いて、魑魅魍魎はブレイアンを止めようとするが、当の本人はまったく不安はないようで自信満々の笑顔で答えた。
「ウェーッハッハ、まぁ才能は無さそうだが相手をしてやろう」
 するとブレイアンは大剣に手をかけ引き抜こうとする。が、肉厚の剣を背中にくっつけてあるために引き抜こうとしても簡単にはいかず、手間取ってしまう。
「はっはっは、勇者様は冗談もお上手ですな」
「これぐらいして時間を延ばさないと、勝負はあっという間についてしまうからなー」
 そんなブレイアンが剣を構えたときには、すでに息が上がっていた。

 どうやら剣自体は上物らしい。歪みなどなく、刃は妖しいほどに光を放っている。さらに、剣には魔術の円陣が彫られており、もし赤甲冑が魔術を扱えるならば何らかの魔術が具現化するはずだ。
 アシュターも柄に手をかける。すっ―とその動作だけで斬れそうな迅(はや)さで剣を引き抜くと、ゆったりと右片手で持ち、構えた。
 一尺五寸ほどの業物。鉄(くろがね)の刀身。刃文は無く、反りがわずかにある小太刀。
 ブレイアンは両足を平行のまま、重い剣をまっすぐに持つ。対して、アシュターは右半身を突き出して、揺れる柳のようにふわふわと動いている。
「俺様の剣技に倒れろー」
 と、ブレイアンは不安定な姿勢で前に飛び出した。剣をそのまま持ち上げて、まっすぐ切り伏せようとする。だが、それはあまりに遅すぎた。
 瞬間、アシュターは刃をねかせ、跳び、水平にブレイアンの胴を薙ぐ。
―キィン
 金属同士の衝突。体を両断するかの一撃は、ド派手な高級甲冑に阻まれた。しかし、槍で突いても傷一つ付きそうにないその胴には、くっきりと刀の跡が残っている。
―カランッ
 すると、斬られた線から下が大理石に落ちた。よく見ると、その奥の服も生地が破れている。が、肌からは出血していない。
「胴で絶つことも出来たのですが、まだブレイアン様の剣技を見たいと思いまして…。さぁ相手をお願いします」
 お辞儀しながらアシュターが言う。下げた頭の奥から発せられる声はとても深い怒りに包まれている。すると、ブレイアンの体が小刻みに震えだした。魑魅魍魎に小声でなにかを頼み込み、王に話しかける。
「う、ウェーハッハ。王よ、俺様がこの程度の剣士に本気を出すのはもったいない。だから!連れに相手をさせようと思う。いいな?」
「はい、お連れの方の力も見てみたいと思っていましたので。それはけっこうなことですが。でも急にどうして?」
「いやなに、連れが体がなまってるというから仕方なく…な。ただの弱小剣士でも少しは経験値稼ぎなるかと思ってな」
 その言葉にアシュターは反応し、斬りかかった。
―ガッ
 ブレイアンの首を狙った刃が途中でなにかに受け止められる。そこには、黒く硬い円状のモノ。 闇魔術の円陣が詠唱の声なしに現れて、刃を防いでいた。
 アシュターは、魑魅魍魎に殺気を保ったまま体を向ける。
「そう睨むなよ」
 そんな事を言われ、アシュターは解っていながら当然のことを聞く。
「なぜ邪魔をする」
「そこの伝説の勇者様が言っただろ?選手交代だそうだ。まぁ自分でまいた種も収穫できんような男だからなぁ、別に殺してくれてもかまわんのだが…」
 大人の余裕というものだろうか。その声に焦りはなく、瞳に迷いはない。アシュターは、その雰囲気にかつての師匠を重ねてしまった。
 心のどこかで彼の懐かしい声が響く。
(「魔術師が増加した現代の戦闘では…」)
 一年間という短い期間だけだが、学び、剣を交え、ともに励んだ…最強の師。
(「遠・中距離からの飛び道具。つまり弓や銃などは有効ではない…」)
 今もなお、追いかけている目標。
(「なぜなら、攻撃から当たるまでのタイムラグ中に魔術を扱えるものは容易に盾を作り出すことができる。よって…」)
 そして、敵となってしまった男。
(「魔術師に敵対したときには、魔術で応戦もしくは…」)
(接近戦だっ!)
 ただじっとしているだけで、どこか雰囲気をかもし出す魑魅魍魎。彼と闘ってみたい…本心ではそう思っていたのだろう。そして、彼の存在感は戦士の闘争本能に火をつけるには充分すぎるものであった。
  アシュターは、一気に魔術師との距離を詰める。その顔には喜びの色。先ほどの剣士には無い緊張感…いや高揚感に近い。
「さっきまで冷静だったのに、理解不能な奴だな」
 そう余裕をかます魑魅魍魎に、小太刀を振るい、切りかかる。しかし、攻撃の全てがあと少し…というところで空中に現れた闇魔術に防がれてしまう。
「別にただの剣士に興味はないんだが」
「ッ!」
「だが、何か気に食わん。お前からは主人公の匂いがする」
「わけの解らないことをッ!」
「まぁ…ショータイムの時間も稼いだし。お開きとしようか」
 ゆっくりと、魑魅魍魎は空気を撫でるように指を動かし、詠唱する。
「ゲイル・アロウ」
 撫ぜた大気が疾風の様に変化し、矢の形になった。それが魑魅魍魎の前に大量に現れて、水平に漂う。魑魅魍魎は中指と親指を重ねた。
―パチンッ
 指を鳴らすと、全ての矢はアシュターに向かって放たれる。
 力を抜いているのがアシュターには解っていた。対魔術師戦における自分自身の最良の戦い方を考えて、悔やむ。迫り来る魔術がたいした威力でないことを。
(こんな魔術に使ってもしょうがないな)
 そう判断すると、アシュターは冷静に手をかざす。
「源なる闇」
 目前に黒の円陣が現れた。それに意識を集中させて円を長方形の形にし、具現化させる。
―ドッ
 硬化した魔術の壁に風の矢が突き刺さり、貫く。たが、アシュターの体までは届かずに消えた。それを見て魑魅魍魎は冷笑を浮かべる。
「単純魔術ぐらいは使えるんだな《特殊部隊》ってのは…」
 差別的な言い回し。それにまたアシュターの体が反応した。
 『単純魔術』というのは闇魔術を揶揄した言葉である。魔術の才がありながら、闇魔術師しか学ばない者を見下す単語。
「じゃあ本腰いれますか」
 別に気合を入れるわけでもなく、魑魅魍魎は両手を上に向けて構えて、呼吸を整える。ずん、とまわりの温度が下がった。
「フレイム98」
「98!?」
 フレイムというのは魔術の中でもごく単純な火の魔術で、人生で初めて習う魔術の類。
 小さな火の粉から戦闘用の火球まで生み出せるとあって、魔術師はよく多用し、それを見て力量を測ることができる。また、自分自身の生み出す火が仲間すら巻き込むような危険なものかどうかを、程度を表す意味で、魔術の大きさを数字で表すのが通例だ。
 しかし、98というのは破格の数字である。
 魑魅魍魎の目の前でいくつもの火の粉がおこり、それが固まっていく。みるみるうちに火の粉は炎塊となり、それがまた集まり、巨大化した。火球は、すでに人間を軽く飲み込めるほどの大きさにまで肥大化し、表面ではちいさな爆発が起こっている。
 そして魑魅魍魎が指を鳴らすと、突風に吹かれたようにして炎塊はアシュターに向けて空を滑りだした。
(これだっ!)
 質量・速さともに先ほどの魔術の比ではなく、当たれば人間の耐えられるものではない。
 目の前でみるみるうちに大きくなっていくそれを見て、アシュターは心中に円を描いた。それは十年前…グラトニーとの戦いで得た対魔術師用の『とっておき』の魔術。
 円が重なり、いくつにも連鎖していく。
 アシュターは、両手を前に突き出し、叫んだ。
「光礫(こうれき)の御盾(みたて)!」
 光の粒がどこからともなく集まり、円形を成す。と、同時に体温が急激に下がり、アシュターの体力を奪う。
 炎塊は、一枚に見える光の盾に触れた瞬間、同じ速さ、方向、質量で跳ね返された。
「なっ!」
 魑魅魍魎の顔が歪み、困惑の色を隠せない。自らが生み出した魔術が、自身に跳ね返ってくれば驚きもするだろうが…。
「アクア・ボックス」
 魑魅魍魎は焦ったようにそう叫ぶ。と、空気中の水分が集まり、空中に水の箱ができた。
―ジュッ
 しかし、一瞬にして水の箱は蒸発してしまう。魑魅魍魎は手を掲げ次の魔術を発動させる。
「アース・プロテクト」
 魑魅魍魎の前の大理石が隆起し、壁へと変化した。と、同時に魑魅魍魎は魔術の直線状から外れる。もう直撃する危険はなくなっていた。
 炎の玉レベルになった魔術は大理石の壁に当たり、回転を弱め、そして大穴を開けて貫き、王宮の支柱一本を削いで消える。
 魑魅魍魎が肩で息をし、アシュターの方向を見た。そこに姿はない。
―ッ
 わずかばかりの物音。そちらを見るとアシュターの影。小太刀は、魑魅魍魎に向けて振り落とされていた。
 頭部に小さな黒魔術の円を作り、刃を受ける。が、完全に硬化させる前に具現化させた魔術では勢いを殺せず…刃は魔術に当たり、魔術は砕けて魑魅魍魎を襲った。刃はすんでのところで直撃せずに魔術師衣装を切り裂く。
 そしてアシュターが、切っ先を首筋に置いたときには、二つの炎で出来た槍がアシュターの心の臓を捉えていた。
「互角…でしたか」
 アシュターは刀を引き、鞘に収める。そこに先ほどまでの殺気はなく、穏やかな顔があるのみ。
「なんだ……あの魔術は…」
 そう言う魑魅魍魎は、驚きと期待と畏怖と喜びがそれぞれ混じった顔でアシュターを見ていた。

 光魔術は一つのことしか行えない。
 それは『空間の連結』。
 知っている場所であればその場所の様子を見ることができる、同じように移動もできる、斬られた傷ならば結合することが可能。
 そして、『水』『土』『風』『火』の四魔術は精神と自然を媒体とするのに対し、『闇』と『光』は精神と自らの体温を媒体とする。つまり、使い過ぎると生命機能を維持できず死に至ってしまう。よって、魔術師は基本的に『光』と『闇』は使わない。使うとしても、『空間連結』による長距離移動が可能な『光』だけで、『闇』の内容など四魔術が使えれば、わざわざ命を削る必要などないのだ。
(光魔術で魔術が跳ね返るなんて…そんな魔術、どんな古い文献にも載ってはいない)
 魑魅魍魎が話を続けようとしたその時…ヌートリア国内に警鐘が鳴り響き、王の手元に光魔術で伝言が届く。
「王様っ!グラトニーですっ!北東の門よりグラトニーが現れました!」
 その声と同時に、国民の歓喜が王国を揺るがす。
―わぁぁああああああああああ
―わぁああああああああああああ
「グラトニー様っ!」「グラトニー様が私たちを救いに来てくださった!」
 民の喜びに満ちた声はすこしずつ対象を移していく。
「あの忌々しい王を切り捨ててくだされっ!」「民を苦しめる王などっ斬ってください!」
 重圧に耐えかねた民の悲痛な叫びは、グラトニーという救世主の登場で一気に増加した。
 ピクピク動くこめかみを押さえながら、王は魑魅魍魎を見る。
「映像を出して頂けますか、勇者様」
 魑魅魍魎が「コネクト」というと、大きな光魔術が王宮までの大通りを映し出した。
 そこには、黒い塊から体を出している銀髪の男と、仮面を被った赤髪の人物。男は白い戦闘服に旧王家のコートを羽織り、仮面の…ボディラインを見る限り女だろう…彼女は特殊部隊の黒いロングコートを着用している。
 
 映像を見守る兵と勇者は二人の人物に目がいくが、王の目は鉄の塊に釘付けになっていた。
(なんであんなモノをグラトニーが!あれが本物なら戦わずして負けてしまう)
 王は指を王座の裏に回し、そこにある三つの突起を決められた順番に押し込む。すると遠くで何かが開く音がした。
 それに気づく者はいない。だが、王の挙動を観察しているものは一人だけいた。

       

表紙

刹那主義6号改 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha