夏休みに一度ある、校内大掃除の一日がやってきた。
早くすれば、早く終わるのは、皆わかってるはずなのに。
「あーあ、めんどうだよなー、夏休みに学校とか」
「だよなー、はやく帰りてー」
「……でさー、昨日ね」
「あはは、ほんとー?」
男子も女子も、お喋りばっかり。終わらないじゃない。
「――――男子諸君! 注目するのだっ!」
しかも、椅子の上に、仁王立ちするアホまでいるし。
椅子、蹴っ飛ばしてやろうかしら。
「なんだよ、きつねー。どった?」
「このまま帰るなどと、実につまらぬことを言うでないっ!」
「またなんか、企んでるのかよ?」
「ふっふっふ、この掃除が終わったら、野球大会を開催するのだ! 参加する者は、このきつねのお面の下に、集まるがよい!!」
「おー、いいじゃん。けどさ、道具はあんのかよ?」
「案ずるな、ボールとバットは、俺とかっつんが家から持ってきた! グローブも二つだけならあるぞ!」
「おぉー、さすが、きつね仮面だな。手抜かりねーぜ!」
「チームどうするー!」
「グーと、パーで、決めようぜ!」
「俺も参加するするー!」
「よいぞ。家に帰っても、母ちゃんに宿題をやれと言われるのは、皆同じだろ?」
「そのとおりだ!」
「まったくだ!」
「おとなは、おーぼーだ!」
「夏休みぐらい自由にさせろぉ!」
(――まったく、もう……)
きつねのアホを中心に、男子が盛り上がってる。
まったく、うちのクラスは、相変わらずなんだから。
むしろ夏休みのせいで、歯止めが効かなくなってる気もする。
「よーし、野球大会、やるぞー!」
「おおおおおぉぉー!」
きつねが腕を振り上げて、それにアホ男子一同が、賛同する。
ほんっと、やかましいんだから。
いい加減に、椅子を蹴り飛ばしてやろう。そうしよう。
「――――おい、お前等。サボってんじゃねーよ」
「わふっ!?」
あ、先手を打たれちゃった。
ほうきのトゲトゲが、きつねの頭の上に、ずばん。
「おのれ、かっつん! 不意打ちとはヒキョウな!」
「やかましい。遊ぶんだったら、さっさと掃除を終わらせろ。それから、俺をアホの一員に含めるな。こっちはな、宿題なんぞ、最初の一週間で終わらせてるんだよ」
「な、なんだって……?」
「う、嘘だろ……っ!」
「ばかな、ありえん……!」
「おそろしや、戸田勝也……!」
「……アホばっかりか、このクラスは」
戸田が、ふーって溜息をこぼして、やれやれって首を振る。おおげさな仕草だけど、ちょっと似合うのよね。顔も悪くないし、女子からも人気あるし。
「なんだとぅ、アホとはシツレイなっ!」
「聞き捨てならーん!」
「皆の衆、せいばいじゃー!」
「やっちまえー!」
「まぁまぁ、待てよ。これが目に入らないか?」
戸田が、にやりって笑う。それもまた、結構様になっている。
そして手に持っているのは「夏休みの友(四年生)」だ。
「残念だったな。今なら百円で、宿題写させてやるんだが」
『写させてえええぇぇぇぇーーーーー!!』
「……」
このクラスの男子、ダメ過ぎ。
大変なんだろうな、お母さんたち。
いつもは、だらだらしてる男子だけど、一度団結した時の行動力は、やっぱりすごい。
「どいたどいたぁ! 雑巾がけのお通りだぁ!」
「はーい、机が通りますよー。道をあけてくださーい」
「バケツの新しい水一丁、おまちっ!」
「窓ふき~、窓ふきはいらんかえ~」
「……男は黙って、黒板消し……」
その様子を、見回りしてた学年主任の先生が、褒めてくれた。そしたら男子は、サルみたいに勢いを増して、あっという間に綺麗になった。
まったくもう。やれるなら、最初からやればいいのに。
掃除が終わって解散した後も、あたしは学校の図書室に残ってた。今日は掃除だけで、授業があるわけじゃない。けど、ちゃんと筆記用具と、教科書と、ノートを持ってきた。
「まる、まる、まる、まる……ぜんぶまるっ!」
全問正解してるのを確かめて、おっきな花丸を書く。
「ふふん。やっぱりあたしってば、偉いっ!」
学校の図書室は、静かだった。さっきまで先生が一人いたんだけど、用事を思いだしたみたいで、部屋をでたところ。
だからあたしは、扇風機を、遠慮なく一人占め。
今日は八月にしては、曇り空で涼しいし、扇風機の風を浴びてるだけで、充分快適だ。
「―――ストライークッ! バッターアウッ!」
残念だけど、外から聞こえてくる熱声は、暑苦しいんだけどねー。
「ツーアウッ、三塁! チャンスはまだ残ってんぞー!」
「次のバッタァー、だれー!?」
四階の図書室まで、騒がしい声が聞こえてくる。
男子って、ホント元気で、バカなんだから。
今日は涼しい方だけど、八月なんだからね。もうすぐお昼も近いし、どんどん暑くなっていくんだから。そしたら、汗だくだくになって、へとへとになって、日射病になっちゃうかもしれないんだから。
「だから、あたしは賢いのよ。勝ち組よ、勝ち組」
気晴らしに、負け組を見下してやろうかと思ったけど、やーめた。
せっかく涼しい扇風機、独り占めしてるんだもん。わざわざ、陽の当たる窓際まで行って、アホ男子たちの野球なんて、見る必要、
「次のバッター、きつねかぁ! 打てよー!」
「頼んだぞ、四番ー!」
「みんな、下がれ下がれー! 大バカは、でかいの打ってくるぞ!」
ページをめくっていた手が、とまる。
窓の方を見た。気がつけば、席を立っていた。小走りで近寄って、窓枠をつかんだ。
まぁ、たまには悪くないよね。野球観戦も。
校舎を見下ろした。
足で砂を削って、上から水を撒いただけの、野球場。
グローブはピッチャーとキャッチャーの二人分しかなくて、ボールとバットも一つだけ。
「……なにやってんの、あのバカ」
バッターボックスに、きつねが立っている。予告ホームランのつもりなんだろうか、雲に隠れた太陽めがけて、バットを突き出している。その格好のまま、動かない。
「バカめ! スキありっ!」
ピッチャーの男子が、すかさず第一球を投げる。きつねはそれでも動かず。
ボールはまっすぐ、通り過ぎていく。
「ワンストラーイク!」
「なにやってんだよ、きつねっ!?」
「もったいねー! どまんなかじゃーか!」
「おろかものめっ! 早々に勝負を決めてもつまらんだろう、ふははははっ!」
「…………なによ、それ」
腕を組んで、得意気に高笑いをするきつねを見てるだけで、溜息がこぼれた。期待を裏ぎってくれないバカっぷりに、なんかもう、一気に面倒くさくなった。
「言ってくれるじゃねーか! いくぞ第二球……おりゃー!」
ピッチャー、第二球、投げました。
「うりゃー!」
四番バッター、きつね。きれいな空振りです。
「ツーストラーイク!!」
「どまんなかじゃねーかぁぁ! ヘタクソーーーーっ!」
「タ、タイムッ! お面つけてたら、前が、よくみえぬっ!!」
「アホーーーーーッ!!」
「…………バカ」
今だけは、男子とおんなじ気分。
駄目だもう。見てらんない。
「……勉強しよ」
そう思ったんだけど。でもせめて。
あと一球だけ、見届けたいかな、なんて。
期待なんて、全然してないけど。
きぃーーーーん。
白いボールが、青空のなかを、高く、高く、飛んでった。
みんな、顔を見上げてる。
一人だけ、バットを投げて、駆けだしている、バカが一匹。
きつねが走ってる。とっても速い。
水で書かれた一塁ベースを蹴った時、横顔が見えた。歯をむき出しにして、すごく嬉しそうな顔してる。
「……ずるい」
胸がどきどきする。やっぱり、きつねは、ずるい。
「に……じゃなくて三……えぇい、バックホームっ! 急げ外野っ!!」
焦る声なんて物ともせずに。
きつねが、走る、走る、走る。
一人が帰って、一点追加。その時、きつねはもう、二塁ベースを蹴っていた。
「同点だぁー!」
「急げ急げー! まだ間に合うぞーっ!!」
「おせーよっ! 間に合うもんか!!」
男子たちが、夏の熱さに負けないぐらい、ぎゃーぎゃー叫んでる。
あたしの心も、熱くなる。
窓枠に置いた手が、震えてる。
「……がんばれっ!」
きつねってば、本当に足がはやい。
三塁に着いた時、ちょっと勢いを落として、後ろを振り返った。
ボールはやっと、二塁の側にいた、外野手の男子まで戻ってきたところ。
「きつねー! 戻ってこい、間に合うぞー!」
「わぁってる!!」
迷わず、前へと進む。ランニングホームランまで、あと少し。
きつねに投げられる声援が、どんどん、どんどん、大きくなっていく。
「きたきたきたぁ! 逆転だぁーーーっ!」
「……やったぁ!」
これはもう、絶対間に合ったよね。そう思った時、
「――――キャッチャー! しっかり構えてろっ!!」
空気をつんざくような、鋭い声がした。
その声。きつねの親友、戸田勝也。
弓を引き絞るみたいに、投げ放つ。
ボールがまっすぐ、弾丸みたいな勢いで、飛んでった。
ずばぁぁんっ!
あと、もうちょっと。だったのに。
「うひ~! 手が痺れたぁ!」
ボールが戻ってくる方が、はやかった。
「うっそだろっ!?」
「残念だったな、きつね仮面っ! ちぇすとおおおーーーっ!」
「……わわわわわっ!!」
きつねの足が、たたらを踏む。ばたばた慌てて、必死に踵を返す。
「おそいわっ もらったぁぁっ!」
ボールを持った手が、背中に迫る。もうダメ。追いつかれちゃう。
でも、その時。きつねの右手が、お面に伸びた。
「――――あ」
お祭りの夜を思いだす。
きつねが、凄く怒った声で叫んで、それで、風が舞い飛んだ。あの夜を。
誰にも言わないで。約束して。お母さんに怒られるから。
ちょっと泣きそうな顔になって、耳と尻尾をしょんぼりさせて、そう言った。
「妖怪」っていうおばけが見える、あたしだけが知ってる秘密。
いつも「きつねのおめん」を被ってる、日野光樹の正体は、妖怪「あやかしきつね」。
頭の上から生えた、茶色の耳。半ズボンから零れたしっぽが、ハッキリ見えた。
「とぅっ!」
きつねが、後ろ向きに宙返り。振り向きざまだったのに、綺麗に飛びあがる。
「よっ!」
ボールを持ってた男子の両肩に、手を乗せる。そのままくるんって回る。飛び越えた。
信じられない。ヒトの背中に翼が生えて、空を飛んでるみたいだ。
「はぁっ!」
体操の選手みたいに、びしっと両手を伸ばして、着地する。その場所は、水でひかれたホームベースの真上。
「……んなっ!?」
あれだけ騒いでた男子の声が、その一瞬、綺麗に静まりかえってた。きっと、ぽかーんって、口が半分空いてるに違いない。
四階からでも、男子達の気持ちがわかっちゃう。今みたのが、軽く想像を超えていて、呆気にとられて、言葉がでないんだ。
あたしも、気づいたら、一緒になって叫んでた。
「なにそれーーーー!?」
「なんじゃそりゃああああああああぁぁぁーーー!?」
重なった大きな声の中で、きつねが、お面を外した。
お陽さまみたいに、腕を組んで、眩しく笑う。
「ふははははははっ! 見たか!! これがきつね仮面の力なのだーっ!!」
「ありえねーよ! お前、今、飛んでたぞっ!?」
「このやろー、俺を踏み台にしやがってー!」
「はーっはっはっはっ! きつね仮面に、敗北の二文字はないのだーっ!!」
超得意げに、大笑いしてる。
それを見て、悔しいって思った。あんなの、あたしには真似できないもん。
「……けど」
すごい、すごい、すごいっ!
あれが、あやかしきつね、なんだ。
ちょっと、本当にちょっとだけ、格好良いかもしれない。
(う~~~!)
胸が、もやもやする。
いっつもそうだ。きつねの事を考えてたら、なんか、苦しくなる。
これが、そういうことなのかなって、考えたことはある。でも格好いいところと、格好悪いところを数えていくと、圧倒的に格好悪いところの方が多いわけで。
「……だから、違うんだもん」
うん、やっぱり嫌い。きつねなんて、ただのアホ。
「――――ふー」
大きく深呼吸して、運動場から目を逸らす。さて、勉強に戻らなくっちゃ。そう思って振り返った。それでもまだ、胸がどきどきしてた。
別の意味で。胸がどきどきする。
なんか、いるんだけど。
『やれやれだね。またおめんの力を、無駄に使ったね』
『……母上様、報告……』
『そうだね』
『こぅしゃま、また、ははさまに、おこられる、のー?』
『約束を破ったのは、若様だからね。こればっかりは、仕方ないね』
『かみなりー、ぴかー?』
『かもね』
『こうしゃまー、かぁいそー』
『……南無三』
廊下に、なんか、いるんだけど。
いつもの黒いもやもやは、ほとんどなくって、随分はっきり見えていた。
「なによあいつら……イタチのおばけ?」
山に遠足に行った時、偶然見かけたイタチに、似てる気がする。でも、目の前にいる奴みたいに、窓枠に手を添えて、二本の脚で立ってたり、ヒトの言葉を喋ってたりは、しなかった。当たり前だけど。
『カタナの言う通りだね。若様はいい加減にね、ご自身の立場を弁えてもらわないとね』
小さいのと、ノッポと。ふとっちょ。
全部で三匹。どのイタチの腰元にも、紐で、小さなツボが括りつけてある。どきどきしながらその会話を盗み聞きしてたら、不意に、ふとっちょが、こっちを向いた。
『……姉者』
『ふにゅー?』
『……子供……』
『ほぇー?』
ふとっちょが、あたしを見て、指さした。
それに続いて、小さいのと、背の高いのが、あたしを見る。
「……!」
慌てて後ろを振り返ったけど、図書室には、あたし以外に誰もいない。この階の教室にいた生徒も、みんな帰っちゃったみたいで、し~んとした空気が流れてる。
『みえてぅのー?』
『……』
ふとっちょが、頷いた。
『ヒトの子なのにね。僕達が見えるのですね』
ノッポが、肩に小さいのを乗せて、ゆらゆら、近付いてくる。
ちょっと、やだ、どうしよう――――助けて、きつね。