Neetel Inside 文芸新都
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 旧校舎の中に入ってからも、水原はずっと口を開かない。
 怒られたことは沢山あったけど、こういう風にずっと黙っているのは珍しい。
 一発殴られるのを覚悟して、言ってみる。
「あのさぁ、水原」
「なによ……」
「帯から、手、離してもらっていい? すっげー、歩きにくい」
「……それぐらい、我慢してよね……」
「なにそれ。俺が悪いみたいに言うなよ」
「そうよ、きつねが悪いの。ぜんぶ、きつねが悪いんだからねっ」
 振り返らなくてもわかるぐらい、俺のすぐ後ろに、背後霊みたいにくっついてる。
 こういう時、なんて言うんだっけ。
「えーと、りふじん?」
「まったくよ。ほんと、理不尽だわ……っ!」
 あれれ、なんで水原が怒ってるんだろ。わかんなくなってきた。
 やっぱり、俺が悪いんだろうか。
 仕方がないから、引っ張られるように歩いてた。慣れない下駄を履いてるし、足元も暗いから、ほんと、すっげー歩きにくい。
「水原、なんか元気ないけど、大丈夫? 腹でも痛いの?」
「……平気……」
 俯いて、とても平気には見えない顔で言う。一応、殴られなかったことにほっとして、また歩きだす。うーん……なんか、しんどい!
「あ、あのさっ!」
「……なによ」
「ほら、思ったより、怖くねぇよな。まだ外も結構明るいし」
「…………」
「入口も出口も一緒だから、最初の組とすれ違ってるしなー。皆余裕じゃん」
「……きつねの、どんかん……」
「うえっ!?」
 なぜだ。また怒られてしまったぞ。だけどいつもならここで、間違いなく飛んでくるパンチがない。水原の両手は、俺の帯から全然離れなかった。これ、本当に水原なんだろうか。
「もしかして水原って、双子だったりする?」
「……なんで? そんなわけないでしょ」
「違ったか。じゃあ悪の組織が作った、水原そっくりの、人造人間……」
「意味わからないわよっ! きつねのばかっ!」
「いたっ!」
 爪先で蹴られた。
「きつねのばかっ、ばかっ、ばかっっ!」
「いたいいたいいたい、いたたたたーーーっ!!」
 だめだ。やっぱり本物っぽい。
 帯から片手だけ離して、ぼこすか殴ってくる。残る片手もしっかり帯を掴んでるから、逃げられない。しかも背面攻撃なので、防御不可。水原無双。
「ごめんっ、ごめんってば! 降参なのだっ!」
「なによ! 謝ったって、許してあげないんだからねっ!」
「うー……でも、いい加減仲直りしねぇ? 水原が、俺のこと嫌いなの知ってるけど。俺はそんなことないからさ」
 そう言った時、急に帯が引っ張られた。
 きゅう……って、ちょっと、息が止まった……っ!
「なにすんだよっ!」
「き、きらいじゃ、ないっ!」
「うん、だから言ってるだろ。俺はお前のこと、嫌いじゃないんだってば」
「あたしだって、嫌いじゃないもんっ!」
「……そうなのか?」
「うん……」
 おかしいな。それならなんで、こんなに怒られなきゃいけないのだ?
 全然わからぬ。なにがいけないんだろう。
「きつね。もしかしてあたしが、アンタのこと、嫌いだって思ってた?」
「うん――――いってぇっ!?」
 背中を、思いっきり叩かれた。なんでか知らないけど、滅茶苦茶怒ってる。
「ほらっ! さっさと歩きなさいよっ!」
「……りふじんなのだ……」
 結局、水原にまた帯を掴まれて、亀みたいに歩いてくしかなかった。後ろの組には、どんどん追い越されてく。
「水原ってさ、おばけがこわ……いてててててっ!」
「おばけなんて、怖いわけないでしょ!」
 帯を掴んでいた手で、背中をひっかかれた。
 くそぅ、乱暴女め!
「別にいいじゃん。怖いのが苦手なら、素直にそう言えよ」
「な、なに勘違いしてんのよっ! あたしに苦手なものなんて、ないんだからねっ!」
「……お前ってさ、わかりやすいよなー」
 なんかこれ、さっき、かっつんから言われた気がする。
 とうとう俺も、かっつんぐらい賢くなったみたいだな。ふっふっふ。
「なに笑ってんのよっ! きつねの癖に、生意気っ!」
「ふーん。じゃあ、俺の帯から、手を離してくれますかぁ?」
「こ、これはっ! きつねが迷子にならないようにしてあげてるのっ!」
「四年生にもなって、自分の学校で、迷子になどならぬわっ!」
「きつねは、バカだからっ!」
「そこまでバカじゃねー! 大体それなら、お前が先に歩けばいいだろ!」
「や……やだっ!」
「なんでだよ! 怖くないんだったら平気――」
 言い過ぎたと思った時には、遅かった。
 水原が、ぎゅっと口を噛んで、泣きそうになるのを我慢してる。俺の浴衣の帯を、両手いっぱいに掴んでる。
「怖くないもんっ! あたし、おばけなんて、怖くない……っ!」
 これはやばい。女子を泣かせたりなんてしたら、大変だ。
 後で間違いなく、かっつんに溜息こぼされて、先生には怒られて、最後に母ちゃんのげんこつ百連発が待っている。
「え、え、え、えーと……そのっ!」
「こぁくない、こぁくないんだもん…………うぅっ!」
 いかん、これは泣いてしまう。
 参ったな、どうしよう。頭なでたらいいのかな。いや、それは逆効果の気がする。
 うあー、わからん! 助けてくれ、かっつん!
「……あ」
 どうしようかと思ってた時だ。水原の目が、大きく開かれた。青冷めた表情で震えてる。
 俺の後ろを、じっと見ていた。片手が指さしているところを、目で追う。
「……」
 通路の曲がり角から、ひらひらと踊る白いなにかが、見えた。
 まだ六時なのに。でるには、ちょっと、早いと思うんだけど。
 突然、俺達の前に、現れた。

       

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