俺の父ちゃんは、普段はあんまり喋らない。
お休みで家にいる時は大抵、居間で難しそうな本を読んでたり、新聞を広げてる。
「とーちゃん、なに読んでるんだ?」
「政治・経済・株価、その他もろもろ、金になりそうなもんを、ちょいちょいとな」
「カブカ? 漬物にしたら、ウマい?」
「半々だな。寝かせりゃ美味くなったり、不味くなったり、どっちかだ」
「ふーん?」
時々、俺も横からのぞいてみる。だけど、数字がいっぱい並んでるだけで、なんのことやら、さっぱりなのだ。
「いいんだよ。光樹にはまだ……悪い、電話だ―――はい、もしもし。日野です」
父ちゃんの携帯電話は、お休みでも遠慮なく鳴リ響く。
そしたら、父ちゃんは急いで腰をあげて、
「はい、その件につきましては……」
「えぇ、了解しました」
「ただちに、そちらに向かいます」
すごい早口で、喋るんだ。
「悪いな、父ちゃん急の仕事が入った。光樹、パソコン、勝手に使うなよ」
「わかんないし、面白くないし、使わないってば」
「そうか。じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
俺の父ちゃんは、お仕事してる時は、格好いいと思う。
それにしても、大人って、大変なのだ。かっつんの言う通り、夏休みがないんだから。今日は日曜日なのになー。
夏休みが終わっちゃうまで、あと二週間ぐらい。
明日は、小学校の大掃除がある。朝にラジオ体操したら、家に帰らず、そのまま学校へ行かなくちゃ行けない。でも、掃除だけして帰るのもつまらないから、かっつんと一緒に、一つの計画を実行中なのだ。
俺の部屋。持っていくのを忘れないように、枕元にはバットにボール、それからグローブが並んでる。
「うむっ! これで明日の装備はカンペキだなっ!」
それから、勉強机の上にある目覚まし時計を手に取った。今は夜の八時を少し超えたぐらい。ちょっと寝るには早いなぁ。居間に降りて、テレビでも見よっかな。
「……ただいまぁー」
そう思ってたら、玄関が開いて、父ちゃんの声がした。
部屋をでて、階段を降りて、出迎える。
「おかえりー」
「おー、ただいま……疲れたぜ……」
父ちゃんは、大きな溜息をこぼして、ふらふら靴を脱いだ。そんで、俺の頭をくしゃくしゃってして、居間に入って、あぐらをかいた。うむ、かなりお疲れの様子。
俺は台所の冷蔵庫から、ビールを一瓶、カルピスを一瓶取りだした。瓶を軽くぶつけて、「かんっ」って音を鳴らす。
「父ちゃん。いっぱいやりますか?」
「おぉー、いいねぇ」
父ちゃんの趣味は、お酒なのだ。
俺は子供で、まだお酒が飲めないから、父ちゃんに付き合う時は、カルピスかラムネになっちゃうんだけど、まぁ、子供だから仕方があるまい。
「あけるよー」
ビールの蓋を、栓抜きで、きゅぽんっ!
「おっとっとっとぉ~!」
「おー、いいねー!」
父ちゃんのグラスのなかに、とくとくとくとく、注いでいく。
泡立って、溢れるぎりぎりのところまで。
「うむっ! 完璧なのだ!」
「ありがとう、んじゃ、いただきます」
ぐびぐび、きゅーっと、一気飲み。
ぷはー。
「ウマいっ!」
お酒を飲んだ時の父ちゃんは、すっごい幸せそうなのだ。いっつもビール一杯で顔を真っ赤にする癖に、やめられない、止まらないーのだ。
俺も、ちょっとだけ、お酒をわけてもらったことはあるんだけど、あんまりおいしくない。どう考えても、ラムネとかの方が、おいしーと思うんだけどなー。
「こーきー! とーちゃん、もー、仕事したくなーーーい!!」
「ダメ。もっと頑張るのだ!」
「いやだー、父ちゃんはもう、光樹と陽子(ようこ)と一緒に、ごろごろするー! 夏休みがほしいのだぁぁぁ!!」
へべれけになった父ちゃんは、全然格好よくない。
抱きついてくるし、酒臭いけど、がまん、がまん。
これがきっと、大人の付き合いってやつなのだ。やれやれなのだ。
「さぁ! もう一杯注ぐのだっ、我が息子っ!!」
「飲み過ぎはよくないから、これで最後だぞ」
「くぅっ! キビシー! 光樹ぃ、お前は小さい時の、陽子によく似てるよなぁ~」
「それ、聞き飽きたってば。ミミタコなのだ」
「俺はなんどでも言うぞー! こーきはぁ! まだ女学生でぇ! かていきょーしの俺にぃ! 頬を染めてた陽子のぉ! あ、の、こ、ろ、にぃ! よくにてるぅぅぅぅぅ!!」
「うるさいってば。聞こえたら、雷落とされちゃうぞ」
父ちゃんは酔うと、母ちゃんのことを呼び捨てにする。
「ただ、陽子みたいに捻くれてないところがいいな。うん。そこは俺に似たのかもしれん。うははははっ!」
口調も態度も別人になる。むしろこっちが、父ちゃんの正体かもって思ったりするんだけどなー。
「こーき、耳触らせれ~~」
「やめれ」
酔っぱらった父ちゃんは、頭の上に生えた、本当の耳を触ってこようとする。
その度に俺は、正義の味方となって、素早く立ち上がるのだ。
「きつねちょっぷ!」
「くぅっ! やりおるな、きつね仮面!」
「ふふんっ! 悪の怪人、へべれけ魔人なんぞに、負けはせぬのだ!」
「よかろう! ならば飲み比べで勝負だ!」
「おー!」
父ちゃんはビールの瓶を片手に、俺は一緒に持ってきた、カルピスの原液瓶を片手に「せーの!」で口をつける。大抵、勝つのは俺だ。
父ちゃんは口をつけて三秒後に、降参するのだ。
「……うおー、まいった~。や~ら~れ~た~!」
「正義は勝つ!」
「ぐふぅ……あ、やべぇ。吐きそう。マジ吐きそう」
父ちゃんが口元を抑えて、ふらふら立ち上がる。そして、その背後から、
「こんの……アホ親子があああああああぁぁぁッ!!」
「ごふっ!?」
真・きつねちょっぷが、脳天直撃。父ちゃん撃沈。
風呂あがりで、バスタオル一枚だけを身につけた母ちゃんが、近づいてくる。
俺の頭にも、真・きつねちょっぷ。撃沈。
「光樹! 明日は学校にいく日でしょっ! 早く寝なさいッッ!」
「はいっ!」
俺は急いで立ち上がる。カルピスとビールを冷蔵庫にしまって、大急ぎで居間をでた。
後ろから、青白い光が「ばしーん!」って光る。母ちゃんの雷が炸裂したのだ。
やばいなぁ、本気で怒ってるなぁ。
「……狐火まで、でてるのだ……」
青白い炎の塊が、ぼぅ、ぼぅ、ぼぅ。
なんでか知らないけど、母ちゃんの逆鱗に触れたみたいだ。
「もう一度言ってみなさいよっ! どこの誰が捻くれてたってっ!? そりゃあんたのことでしょーがっ!!」
母ちゃん、怒るのそこかよ。
心の中で突っ込んでおく。自分の部屋に一時撤退。ささっと襖の扉に手を置いた時、
「すいません、調子乗りました。許して――――ちょ、ごめ、や……―――――!!」
耳を、ぺたん。
なんにも聞こえませーん。
明日になったら、ちょっとコゲてるんだろうな。父ちゃん。南無南無。
「……まぁいいや、おやすみー」
大急ぎで電気を消して、布団の中に潜り込む。
「そういえば、いつだっけかなー……」
前に、父ちゃんが、酔っぱらった時に、言ったんだ。
妖怪は、全部黒い「もやもや」にしか見えないのに、俺と母ちゃんの、耳と尻尾だけは、はっきり見える、その理由。
「光樹と陽子が、大好きだから。好きな物は、よく見えるんだよ」
お酒臭い息を、ぷはーっと吐きこぼして、そのまま捕まえようとしてきた。
正義の必殺技で、返り討ちにしたっけ。
思いだすと、結構照れるし、やっぱ恥ずかしい。
だけど。
俺も母ちゃんも、父ちゃんと、ずっと一緒にはいられないのだ。
約束があるから。ずっとずぅっと続いてきた、
「あやかしきつね」のご先祖様との、約束があるから。
約束は、まだまだ先のこと。だけど、その日はいつか必ず、やってくる。
どれだけ辛くても、悲しくても、守るんだ。
子供は、口をだしちゃいけない、大切な約束なのだ。
かっつんが、いつかこの町を引っ越してしまうように。
俺も、いつか―――――ふあぁ、眠い。おやすみなさーい……。