Neetel Inside 文芸新都
表紙

滴草春子の正しい死に方
理想の死に方

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『ヒロ、ヒロ! お願い、目を開けて!!』
 ――大音量で放映される、今時の安っぽいテレビドラマ。
『ワリィ……。俺はもう、ダメみたいだ……グフッ』
 そんな画面にかじりつく様にして見入る、一人の少女。その目は爛々と輝き、開いた口は塞がらないようである。
 完結し、エンディングを迎えるドラマを目に焼きつけながら、少女は決意を胸に秘めるのでした。
(私も、こんな風に若くて綺麗な内に死のう! 絶対!)
 今年9歳を迎えたばかりの滴草 春子(しずくさ はるこ)は、人知れず人生の目標を定めたのでした。

 ――場面は変わり、とある中学校の何気ない風景。カーテンは大きく反り返り、夏の日差しがなだれ込む。
「ってー訳で人間、若くて綺麗な内に死にたいわよね~」
 とりあえずは無事、人生14年目を迎えた春子は瞳を輝かせ友人達に夢を語ります。彼女の夢、それは若く綺麗な内に美しく死ぬ事――。
「春子あんた、それ夢って言わないじゃない……」
 理恵子は呆れて視線を逸らした。 
「良いの。いかに美しく、涙を誘う死を迎えるか。それが私の夢なんだから」
 聞けば聞くほど、どこか何かが狂っている。その夢を聞いて周囲は驚きを禁じ得なかったり、理恵子の様にすっかり呆れ返ってしまったり。
 しかしまあ、これも中学生の言う事と思えば、その内ちゃんとした夢を見つけるのだろうと笑って見過ごすのがベターなのですが。ところがこの時、教室の隅で話を聞いていたのはクラスの悪ガキで――。
「でもよ。滴草お前、ブスじゃねーか」
 一瞬で教室が静まり返ったのは、言うまでも無く――。


 20××年、日本。
 滴草春子は未だ己の望む死を迎える事無く、高校卒業を目前に控えてしまっていた。理想はテレビドラマの様に高校在学中に沢山の涙に包まれ絶命する事であったが、その為には色々と下準備が要る。死に花咲かせるのも楽では無いらしい。特に、春子の様に外見に欠陥を持つ人物の場合、尚の事ただ死ぬだけでは駄目と言うのが彼女の持論でもあった。
「春子~。今日午前で学校終わるじゃない。その後どっか遊びに行かない? 受験勉強の息抜きにさあ」
 安住 理恵子。『あの日』、教室にいたクラスメイトの一人。二人はそのまま同じ高校に進学していた。その上、同じクラスで前後の座席。
「ごめ~ん。今日ちょっと行きたいところがあって……」
 春子は申し訳無さそうに、どこか照れ臭そうに頭を下げた。その発言と仕草で、付き合いの長い理恵子は即座に理解してしまう。
「まさかあんた……、また行くの!?」
 理恵子は驚くと同時に、どこか非難する様な目線を送る。黙って頷く春子を見て、深いため息をついた。
「あんたも良くやるよ……。まあ、もう諭すのは諦めたけどさ」
 理恵子は体から力が抜けてしまったかの様に机に突っ伏した。
「ごめんってば。また誘ってね」
 そう言って、春子は人の気も知らずに笑った。

「ただいま」
 午後一時。学校を終えた春子は一度家に帰ってきた。
「あら。春子あんた、今日は健康診断に行くんじゃなかったの?」
 母、朝子はタオルで手を拭きながら台所から出てきた。健康診断……。
「うん、一回帰ってきた」
 春子はそそくさと部屋へと戻る。健康診断、その本当の意図は流石に両親には話せていないからだ。
「なんだ。お前、また健康診断か。何が好きなのか、全く理解できん」
 父、明雄。厳格な面立ちで、眼鏡を掛けたその様はいやに絵になっている。
「あ。お父さん、いたんだ。今日仕事休み?」
 春子は部屋の中から、閉じた扉越しに言葉を交わす。
「ああ」
 明雄は一言だけそう答えると、さっさと居間に戻っていってしまったのが足音で分かった。
(うー……ん、じゃあお父さんに連れてってもらおうかな。地下鉄で行くの面倒臭いし)
 ぎしっ。部屋の椅子に座ると軋んだ音がした。春子はそこから更に倒れ込み、声の出やすい体勢を作った。
「お父さーん? 今日お父さんも一緒に健康診断いこーよー!」
「たまの休みだって言ってるだろ。ゆっくりさせろ、こんな日くらい」
 扉越しに声が返ってくる。春子は部屋を出て、居間の方へ歩いていった。
「たまの休みだからでしょ。こんな時ぐらいしか健康診断いく機会無いじゃん!」
 春子はそう言って明雄の背中を両手で押した。
「嫌だよ。お前、単に車で連れてって欲しいだけだろ」
 春子の考えなどあっさり見抜かれていた。
「もー! お父さんだってたまには行かないと! ホラ!」
 春子は無理矢理明雄の腕を引くが、ずっしりとした体つきは簡単には動かない。少しして、鬱陶しいと言わんばかりに春子の腕を払いのけた。
「良いじゃない、あなた。春子の言う通り、折角なんだから行ってきたら? 健康第一でしょ?」
 ……愛妻にそんな風に言われては、明雄もなかなか断れず――。

「~♪」
 結局、折角の休みに春子の運転手として出動させられる羽目になってしまった。明雄が不機嫌そうにハンドルを握る後ろで、春子は優雅に寝そべっている。
 ――ところで、何故春子がこれ程健康診断に行きたがるのかと言いますと。そら、病気を発見する為です。ただし、世間一般の様に「発見し、治療する為」に通うのでは無く、悲劇のヒロインの第一歩として発病を心待ちにしているのです。癌だろうと心臓病だろうと何だろうと、何でもござれ。春子は門戸を大っぴらに開いて病気様のご到着を心待ちにしているのです。
「問題無いですね。今回も満点の健康体です」
 ただし、仮にもピチピチの高校生が、そんなに都合良く病気する訳も無く。それどころか常人よりも人一倍健康である春子は、毎回お手本の様な診断表を持ち帰ってくるのでした。
「あーあ、今回も問題無しか~……」
 待合室のソファーで、春子はがっくりと頭を下げる。そのあまりの落ち込み加減から、周囲は何かを察したように「可哀想に……」「まだあんなに若いのに……」などと要らぬ同情を掛けている。
「もう、早く帰りたーい。お父さん早く戻ってきてよ~」

「癌ですね」

 明雄の顔が、みるみる青褪めてゆく。
「ただしかなり早期ですから、これならすぐに取ってしまえるでしょう。転移の心配もまずありません」
 恰幅の良い医者が、淡々と症状を述べてゆく。
「しかしまあ、またタイミングの良い時に健康診断に来たものですねえ。一年も放っといたらどうなってたか分かりませんでしたよ」
 医者はそう言って、はっはっはと笑った。
 さーっ……、と。明雄は、血の気が引いてゆくのを自分で感じていたのでした。
「春子」
 帰りの車内で、春子はふてくされて横になっている。
「何でも言いなさい。今日は好きなものを食わせてやる」

       

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