Neetel Inside 文芸新都
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滴草春子の正しい死に方
邂逅への足音(11/29更新)

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「今日って、真太郎の家でやるの?」
 体を右へと傾けながら、春子が言った。
「うん。真太郎くんの方から是非って」
 香織はテーブルの上のコップを口元へ運び、中のハーブティーを喉に通す。
「へ~、マ太郎もちょっとは付き合いってやつを覚えたじゃないの」
 そう言うと、今度は理恵子も一緒に体を左へと傾けた。理恵子と春子の手には家庭用ゲーム機専用のハンドル型リモコンが握られており、テレビの画面に合わせて右へ左へと忙しそうに体を傾けている。
「それもそうだけど、真太郎くん割と最近二十歳になったばかりだから。友達とワイワイやりながらお酒を飲むっていうのがやってみたいんだってさ」
 そう言いながら香織は壁の時計に目をやった。既に午後五時を回っている。
「あらー、相変わらずクソ真面目なのねマ太郎は。私なんて随分フライングしたわよ、お酒」
「それが真太郎くんの良いところだよ」
 その発言は、過去の恋心から来ているものなのであったが、それは香織自身無意識だった。
「さ、そろそろ行こうよ。時間だよ」
 丁度春子の勝利でレースが幕を下ろした時、香織が椅子から立ち上がって言った。六時過ぎには真太郎の家へ着くよう言われている。
「他にもまだ誰か来るのかな?」
「私達の中学出身だったら菅野とかじゃない? マ太郎仲良かったし」
 春子の問いに理恵子が答えた。それを聞いて春子は、「ああ、そんな人もいたなあ」とぼんやり菅野の顔を頭に思い浮かべるだけである。
「でもできれば、春子の夢を知ってる人が良いよねー。知らない人がいたら話題に出せないもの」
 香織が可笑しそうに笑った。そう、春子の夢を無闇矢鱈と人に広めることはできない。よって理想としては、春子の夢を知る仲間内だけで酒の卓を囲みたいという思いが香織にはあったのだ。
「うーん。その辺、マ太郎なら考えてくれてるかもしれないけど」
 ふと。その時、理恵子が真太郎の事をマ太郎と呼んでいるのを聞いて、香織が自身の中学時代を思い返した。
「……そういえばさ、理恵子」
「うん?」
「真太郎くんの事をマ太郎って呼んでるのって、たしか――」


 ――冬物のコートのポケットの中で、携帯電話が振動する。振動の周期からそれが電話の着信である事を理解した真太郎は、慌てて電話に出た。
「や。久し振りじゃないのマ太郎ちゃん」
 電話から聞こえてくるのは、陽気な男の声だった。それは真太郎も随分久し振りに聞くものであったが、人を小馬鹿にするようなその口調が特定の決め手となる。
「……龍之介か?」
「わお、良く分かったなあ。俺電話番号変わったの連絡してないのに。流石だ」
 電話の向こうの相手は嬉々として言葉のトーンを上げた。
「今晩暇か? マ太郎お前、最近誕生日だったろ。男二人、寂しく酒でも飲まないかい?」
 真太郎には彼女がいる事を知ってか知らずか、男は平然と一括りにしてしまった。しかしまあ、真太郎にはそんな言葉の端を一々取り上げるつもりも無い。
「悪い、今日はもう約束があってさ。俺の部屋で飲む事になってるんだ。また誘ってくれよ」
「はぁ~? なんだよそれ。そんな約束ブッチ切っちゃってさぁ、二人で飲もうぜマ太郎く~ん」
 ……どちらかと言えば真太郎は、この男のこういう部分が嫌いであった。どちらかと言えば。
「いやいや、そういう訳にはいかないよ」しかし真太郎は笑って応答する。「普段は結構暇あるからさ」
 すると電話の男は腹立たしそうに舌を鳴らした。とは言えそれはその男が何か事ある度に行う習慣のようなものであり、真太郎もそれについて特に何かを感じたりは無い。
「誰と飲むんだよ? もしかして俺も入れるような連中?」
「……理恵子と香織と、雄一と」
 そこまで言って、男は嬉しそうに更にテンションを上げた。
「おっほお! なんだい、中学の連中ばっかじゃないの! ったくもー水臭い、なら是非俺も入れてくれよ。合コンって訳でもねえだろ?」
 決して、冗談などで言っている訳ではない。それは真太郎も分かっていた。
「いや……、駄目だ。――春子もいる」
 これは最後まで言うまいと思っていたが、手っ取り早く諦めてもらうにはこれが一番だという考えに至ったのが、真太郎のこの時の思考回路である。
「春子……! 滴草か……!?」
 男は驚いたように声を上げた。その瞬間、ずっと浮かれ上がっていた言葉のトーンが変わったのは春子の名前が挙がったことと直結しているだろう。
「ああ」
 しかしそれは本当に一瞬で、またすぐに嬉々とした声が聞こえてくる。
「ハハッ! ハッハ、なんだあいつ。まだ生きてたのか!?」
 男は楽しそうに笑っている。電話越しながら、真太郎にはその姿が見えるようだった。
「……おかげさまでな。元気にやってるよ」
「しかしまー、そりゃ残念。なら俺が顔出しちゃう訳にはいかんよなあ」
 時々漏れる吐息は、言いながら笑いを堪えているからなのだろう。
「……そういう事だ。すまんな、また連絡くれよ」
 そう言って、真太郎は相手の返事を待たずに通話を切った。この後には念願の飲み会が待っているというのに、その表情は浮かないものだった。

       

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